Moi non plus, je n'aime pas les jeux d'olympiques. ― 2014/04/05 21:53:27

内田樹、小田嶋隆、平川克美共著
朝日新聞出版(2014年2月)
つねづね申し上げているように、東京オリンピックの招致には大反対だったわけである。東京だろうが大阪だろうが名古屋だろうが、大反対なのである。私はスポーツ観戦は好きだし、オリンピックで活躍するなんて、およそスポーツ好きな人間なら一度は夢見る頂点の栄誉だ。そのことだって否定しない。でも、オリンピックというイベントは全然好きではないのである。個別のゲームの観戦はしないでもない。昔から体操の演技は好きであった。ナディア・コマネチなんて私が男なら、今の表現でいえば「萌え」まくっていたであろう。新体操とかシンクロはあまり好きではなかったが、水泳の岩崎恭子ちゃんとか長崎宏子ちゃん(だったよね)には大いに期待したものだったし。でも、なんというか、個別に応援したい選手を目一杯応援する機会であるとか、よく観ておきたい種目をとびきり上等なプレイヤー達のプレイで観られる機会であるとか、普段は知らないスポーツについても観戦の機会があるとか、そういう個人的な趣味の範囲を満足させてくれる要素というのは、それぞれの競技のそれぞれの大会で得ればよいことであって、オリンピックというごたいそうなイベントにしてご提供いただかなくても困らないのである。こんな私のような者でもスポーツに打ち込んだ経験も勝利に酔った経験も怪我でプレイを断念した経験もあるので、思うような結果を出せなかった選手の気持ち、存分に力を出し切っても負けた選手の気持ち、てなものだって少しはわかるのである。目の前の勝負に全力を出し切ることだってたいへんなのに、背後でメダルの数をカウントされたり、国家の威信がどうのこうのと言われたり、経済的波及効果は何億円とか算盤はじかれたりして、そりゃいったいスポーツなのかいって話だよ。お国のために戦うなんて、もう第二次世界大戦の敗戦でこりごりじゃんか。お国のために戦うという言葉を使わなくても、ニッポンのみなさんの期待に応えますっていうのはつまり、同じことじゃんか。やめようよ、もう、そういうの、ってつくづく思うのよ。気持ち悪いって。というわけで、なぜ東京にオリンピックが来て欲しくなかったかと言うと、このイベント、ひたすら気持ち悪いからである。いえ私はね、前の東京オリンピックの年に生まれたざんすよ。自分の年を数えたり、生まれた頃の時代を想像するのにこれはとても便利だよ。1964年という年、当時は冬季五輪も同じ年に開催されていたからどっかで冬のオリンピックやってたんだよね、それと阪神がリーグ優勝してるのよウチのオヤジは大喜びだったらしいよ私が虎の優勝を呼んだって(笑)。海外旅行もできるようになったんだってこの年から(それまでできなかったってのが信じられないんだけどね、そんな国そんな時代だったんだよ)。敗戦後約20年経って、やっと顔を上げて世界に向けて「こんにちは、ニッポンです」っていえるようになった頃だったんだ。オリンピックはそんなニッポンにキラキラのメダルをくれたんだ。だから開会式の10月10日を体育の日として日本人の記憶に刷り込みたいと思ったんだろうに、どっかのアホがハッピーマンデーとか言って10月10日を忘却の彼方に押しやってしまった。その頃からじゃないか、オリンピックが金の亡者たちのための金儲けのためだけのイベントに成り下がったのは。2020年。きっと、それぞれにとって忘れ難いさまざまな出来事に彩られることになるであろう2020年、その一年の中でひときわ輝く東京オリンピック。ほんとうにそうなればいい。そのとき、日本と日本人が、心の底から世界の人々を迎え入れることができ、心の底から国際交流と親善のために選手と関係者と観戦に来る人々をもてなすことができ、心の底から世界の人々と笑い、語らうことができ、豊かな自然を湛える美しい国土と清廉な大和魂を印象づけることができればいい。何の憂いもなく、心に疚しいことの微塵もなく、後ろめたい気分などかけらもない、晴れ晴れとした気持ちでオリンピックを開催できるなら、いい。
しかし、そんなこてゃーありゃーせんがよー、と思う人たちが、なぜそう思うのかを好きなだけくっちゃべっているのが本書である。2013年10月に行われた鼎談を収録したものだ。
ふだんウチダのブログや書き物を読んでいる私には、目新しい内容ではないことはわかっていた。それでもこの本を買ったのは、やはりオリンピック招致キャンペーンが余りにも気持ち悪くそらぞらしく、無邪気に一生懸命になっている人たちには悪いけど安倍や猪瀬が目立ちたいだけのパフォーマンスにいいようにつきあわされているようにしか見えなくて、吐きそうになるくらい嫌だった、だから、この本を読めば、「そうよ、そのとおりよねウチダ」「同感だわウチダ」「あなたって私の分身のようだわウチダ」「私の気持ち全部知ってるのねウチダ」「あなた以外に私を理解してくれる人なんかいないわウチダ」……とこのようにウチダLOVE全開になれて鬱々とした日々のモヤモヤをすっ飛ばせるかと思ったのである。
しかし。
たしかに内容は、「そうよ、そのとおりよね」「同感だわ」の連続なんだけど、うなずく相手がウチダではないのである。小田嶋や平川なのである。この本さ、わたし、頼んでもいないのにAmazon.co.jpから内田樹の新刊が出ますよってメール来たのよ、それって内田樹が著者ってことでしょ。でもよく見たら共著で、しかも鼎談だって。どうしようかなってかなり迷ったけれどもやはり先述のような理由から買うことを決め、予約を入れたのである。こんなふうにまだ出てもいない本を予約して買うなんて、チョー珍しいことなのだ、わたしの場合。いちおう期待したのである、中身に。なのに届いた本を読むと(数時間で読んでしまった)、小田嶋と平川ばかりが喋っている。ウチダ、セリフ少なっ。これ、そう思うの私だけかな? なんかさ、すっごく、めっさめさ、騙された気分(笑)。
しかし、まあ、3人が3人とも今回の五輪招致騒ぎを苦々しく思い、招致が決まって憂鬱になっている人々なので、主張は一緒で、同じ考えをもつ者にとって読みやすくひたすら相づちを打ちながら読み進める1冊には違いない。自分のモヤモヤを誰でもいいから言葉にしてくれないかなと思ったらこれを読めばきれいに言葉になっていて、一時的にはスッキリする。しかしその「モヤモヤ」は著者たちももっているので、けっきょくこのモヤモヤなんとかしてくれよどうにかならんかい、という感じで鼎談が終わるので、モヤモヤの根本原因の解決には、もちろんならない。ならないが、オリンピックなんかやめようぜと思う人が少なくとも自分を含めて4人居ることがわかったんだし、ならばもう少しいるだろうということで、希望をもつこともできる。
何の希望?
東京オリンピックの中止。
……無理か……。
何の希望?
まともな思考の日本人も少しは存在すること。
ほんまやで、たのむわ。