Avril2014/04/30 23:37:49


ロートレックが好んで描いたのはジャヌ・アヴリルという名の踊り子だった。
西洋美術史か、あるいは美学概論か、そんな名称の必修科目が美大にはあり、その学年末レポートのために、私はひたすら最愛のロートレックについて調べていた。
彼の人生はとても短かった。短かったけれど、まるで自分の人生の短いことを最初から知っていたように彼は踊り子たちを描きまくって愛しまくって果てた。作品によく登場したのはラ・グリュとジャヌ・アヴリル、そしてイヴェット・ギルベールという歌手。ロートレックのポスターは、よく批評されているように躍動感にあふれている、なんて私は思ったことがない。前世紀のパリのキャバレーの、放蕩者たちの遊び呆ける様子だとか場末の空気だとかダンスフロアのむんむんした熱気だとかが伝わってくる、なんて嘘だろう。だって実際のそれを知らないもの。でも、レポートにはそんな嘘八百をしれっと書いて提出して合格点をもらった気がする。
たしかにロートレックは、モンマルトルに通いながら、そこに集う男女を観察し、幾つものスケッチを描き、臨場感あふれる構図でポスターを仕上げた。対象(モンマルトル、キャバレー、踊り子)を深く愛していたに違いない。しかし、趣味で描いていたのでもなければ本能から描かずにおれなかったというのでもない。彼が創ったのは商業ポスターだ。ロートレックは居合わせた人々の中でも誰よりもシビアに対象を視ていた。そして、時間を故意に切り取り、効果的に貼り合わせた。意表をつく構成が功を奏し、パリジャン、パリジェンヌたちの気を惹くことに成功していたのだ。
在学中は何も知らなかったが、卒業してからフランス語を勉強し始めて、ジャヌ・アヴリルの「アヴリル」という姓が「四月」という意味だと知る。そして、そのことじたいが何の意味もないことも知る。姓が四月だろうと八月だろうと本人の生まれ月を表しているわけがなく、苗字が「○月」さん、という人はやたらいるのであった。留学中、寮で友達になった背の高いアフリカの男の子、出身国は忘れたが皮膚は真っ黒だったのでアフリカの中央のほうだったと思う、彼の姓はジャンヴィエ(=Janvier、一月)といった。え、そうなの、あたし一月生まれよ、と言ってみたが、彼は「俺は違うよ」と言った、まるで、なぜそこに絡むんだよとでも言いたげに。

四月が終わる。

月の半ばに宇治の平等院を訪れた。鳳凰堂が美しく塗り替えられて新装開店!という感じである。新装開店だが何のセールをしているわけでもない。ないのにどえらい人であった。ものすごい数の観光客。参拝者というべきなんだろうが、誰も参拝しているようには見えない(笑)。修学旅行生が黒蟻のように集まっていた。まさに行楽日和の美しい春の一日。こんな日に京都へ来られて、みなさま、お幸せね。

入場人数制限をしている鳳凰堂は別料金。受付で訊くと、1時間半待ちといわれたので、やめる。
以前は煤竹色をしていた鳳凰堂だが、べんがらだろうか、きれいに塗られて上品に紅く染まっていた。屋根の鳳凰も金箔が貼られて、青空に映える。きれいである、ほんとに。
とんでもなく行楽客であふれているのにそれをちっとも感じさせないことに成功している幾つかの写真をお見せしましょう。鳳凰堂ばかりですけど。

真っ赤な霧島ツツジと。

正面から。

枝垂れ葉桜の、枝垂れの隙間から。

ツツジとともに。

青もみじの向こうに鳳凰。

松葉の向こうにも鳳凰。

宇治へは、在職中にお世話になった知人に会いに行ったのである。宇治市関係の定期刊行物に4年余りかかわった。知人は、私の仕事を過剰に高く評価してくれていた。その刊行物はやがて休刊が決まったが、私が最後の挨拶に行ったとき彼女は人目はばからず号泣した。永久に続く刊行物などあり得ない。いずれどこかで線を引くのだが、どんな時もクライアントに泣かれたことはなかったのでその時は非常に戸惑ったが、でも、嬉しくもあった。

退職したことを報告し、互いの近況を語り合った。似たような年格好なので、同じような年代の親を抱える。おのずと介護の話に花が咲いた。不謹慎かもしれないが、互いの親の衰えぶり自慢というか、ウチはそこまで行ってない、ウチではその点はもうダメ、なんて。子育て中の母どうしが子どもの話題を共有できるのと似ている。かなり似ている。

春、宇治市はかきいれどきである。宇治川沿いの桜が満開になり、つづいて琴坂の山吹が坂道の両脇を、真っ黄色(正しくは山吹色だな)に点描する。そして平等院の藤が花房を垂れ、三室戸寺の紫陽花が境内を青く染めあげる。そうして宇治川の鵜飼の声を聞くと、夏だ。

何もかもが目覚め、芽吹く春。生き物の生命の循環と、人の生活習慣の区切りを重ね合わせ、四月を年度の始まりとし、三月に卒業を祝い四月に入学進学を祝う日本の慣習は、私は悪くないと思う。欧州かぶれ人だったので、いっときは長い夏休みを学年の終わりにして涼しい秋に始まったほうがいいのにと本気で思っていたが、10月になっても夏日が続く場所に住んでいるとそんな考えは無意味だと気づくのである。

ここでは、春も短い。
四月は、花冷えのきつい月でもある。
そしていきなり初夏の陽光に見舞われる。
さまざまな花が咲いては散っていく。
四月は千変万化。

ロートレックを虜にしたジャヌ・アヴリルも、ダンスフロアを出れば生活に疲れたひとりの女だった。見事な足さばきで男たちの目を釘付けにした舞姫の姓が四月というのは、やはり偶然ではないように思えてならないのだ。