Fâchez-vous, mais avec une façon élégante...!2013/01/24 21:42:54

『美しく怒れ』
岡本太郎著
角川書店(角川oneテーマ21)(2011年)


太郎が好きである。
古くはウルトラマンタロウ。続いてドカベンの山田太郎。我が家の風呂にはなぜか「太郎と花子」というあだ名がついている。
そして岡本太郎。幼少期に大阪万博を経験した私の記憶にこのうえなく「かっこええもん」として焼きついたのがご存じ太陽の塔である。その頃、何のコマーシャルだったかは覚えてないが、岡本太郎がくっと空(くう)をにらんで「芸術は爆発だ!」と叫んだアレ、アレも好きだった。私の記憶の中で、岡本太郎はいつも背広を来ていたが、いわばそういうまともな恰好をしているくせに、彼は芸術家で、しかもかなり変わった人で、おもしろいモノをつぎつぎに生み出す人なのであった。しかし、岡本太郎の作品は、例の太陽の塔のほかには、ほんの数点、美術の教科書の類いに載っていたか、雑誌に掲載されていたか、印刷物を介して絵画作品を観たことがあるだけだ。タイトルも覚えてないし。しかし、岡本太郎の作品に対し、非常に高い好感を覚えたという、これまた記憶だけだが、残っている。絵を描きたいという思いに駆られ、願わくば絵を描いて生きていきたいという意志を強くもつようになった頃、平凡な自分とヘンテコな岡本太郎との乖離にけっこう絶望した。偉大な芸術家には、変人でなければなれない。そんな誤解を抱きながら、だから普通の私には無理やんかぁとうなだれながら、それでも美術を学んでいたが、歳をとり、絵を諦め、デザインも手放して、それからさらにずいぶん時をおいてから、芸術家たちだってかなり普通の人間なのだなと思うようになったのである。
それは、こんな普通の私にも、私なりの紆余曲折や波瀾万丈や海千山千があるように、特異に見える芸術家の人生、奔放すぎたり苛酷すぎたりだらしなさすぎたりエロすぎたり、といった人生も、凡人のそれと紙一重に過ぎない。
人間として特殊でもなく、人生も特別ではない。ただ、表現者としてコンテンポラリーに評価される術をたまたま身につけていた、あるいは努力して獲得した、どちらでもいいが、つまりは表現者として別格だったのである。
岡本太郎は、表現者としては、芸術作品を生み出すことにおいて超一流だった。

で、今回の本である。
おばはんになったせいか、いちいちアタマにくることが増えて(笑)、気がつくとひとりでぼやいていたりイライラしていたりする。「あああああーーーーったくもおおおおおおおっ」と、主にクライアントからのメールに向かって叫ぶ私。ああ、こんな生活が何年続いていることだろう。いまさらだけど、眉間の皺は、満面の笑顔でいる時でさえ消えないし、芝居がかった作り笑顔でうなずいても、口角はなかなか上がってくれない。しかめっつらでいる時間が増えちゃって、美容にも健康にもよろしくない。わかってるさ。だけど怒るネタに事欠かないので困るのである。楽しく笑えるネタをくれっ。っても、誰がしたのかこんなひどい世の中にって状態だもんなあ、にこやかでいたいのは山々だけどさ、この際あたりかまわずわめき散らすほうが心身の健康にいいかもなあ、なんてぶつくさアタマの中でつぶやきながらうろついていた本屋で見つけたのが『美しく怒れ』。しかも岡本太郎。買わないわけがないざましょ!

「怒らないのは堕落である」
帯のセリフがいいねえ。

しかし。
しかしである。
私は思った。「岡本太郎は文章を書く人ではない」。本書は、太郎が書き下ろしたものではなくて、岡本敏子編纂によって成立した新書である。だから、一冊の書籍として散漫な感じがあるのはしかたがないし、いま言及したいのはそこではない。
岡本太郎の感性が冴えわたり、鋭利に研がれた精神そして頭脳がフル回転していた頃のニッポンには、その時なりの問題が山積していたことだろう。彼は、世の中に巣食う怠惰や狡猾、蔓延する先送りや後回し、無駄な迂回や時間潰し、あからさまな無視や見て見ぬ振りに対して憤る。実に正直に、憤っている。だが、そのように言葉で憤りを書き留めるよりも、一枚の絵や一点の彫刻にしたほうが、彼のいらだちや憤りは、美しい怒りとして人の心に届いたのではないか、と思うのである。
なぜかというと、どう読んでも、「美しく」「怒って」いるようには感じられないからである。なんだかうるさいオッサンがぼやいている、ようにしか読めないのである。ううむ……。
彼はどんな時も全身に力を込め、エネルギーをみなぎらせて表現していたと想像する。
本書に書かれた言葉のひとつひとつも、文の一行一行も、たしかに真っ向勝負で力強い。しかも、けっして汚くはない。清廉で丁寧である。
けれども、美しく怒るというのとはかなり異なるように思われる。
それはたぶん、現在のニッポン社会に否応なく横たわっている厭世観、目に見えないものへの恐怖や不安、そして自分たちだけでは何ひとつ解決に結びつかないあまりに数多くの事どもへの怒りが、あまりに大きすぎて、いま本書を読むことが何の慰めにも励ましにもならないからだろう。
太郎の時代の理不尽はいまも理不尽なまま残っているし、不条理はますます顕著になっているし、腐敗にはますます重い蓋がなされて無臭なまま、だから人々は気づかず、気づいた人にも重すぎる蓋をどける力はない。あまりに大きすぎる怒りという凸は、大きな絶望という凹と共存しているため、プラマイゼロになり露にならない。だから、私たちだって、美しく怒れるものならそう在りたいが、どう表出すればそう在れるのかは皆目わからない。そして、本書は、その指南書にはならない。ま、それは、年代のずれゆえ、トピックがずれていることもあるだろう。太郎のせいじゃない。
しかし、岡本太郎は、やはり、おっさんのぼやきにしろ、芸術でそれを表現しなくてはならなかった。彼は文章だってエッセイだって芸術だといったかもしれないが、いや違うよ太郎さん。通底するものは在るかもしれないし、絵も文も優れた人だっているだろうけど、あることに突き抜けるほどの表現者で在れる人は、ほかのことではたいしたことないってのは、世の習い。

石川九楊という書家を、これまた私はたいへん愛しているのだが、彼の書の素晴しさといったら、もう、言葉にならないんだけど、舌鋒鋭いことでたいへん人気の彼の講演も、私には平成の人生幸朗にしか聴こえなくて、いや、喋るんじゃなくてそのボヤキ、書こうよ九楊先生、と聴講中、私は心の中で叫び続けたものだ。

美しく怒るって、どんなことだろう。
なんとなく、この人のこの態度がそうじゃないのかな、という例を見つけたので、全文を引用する。

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2013年01月23日12:30
こちら特報部東京(中日)新聞

原爆、原発へ対抗するために「人間信じたい」
被爆作家・林京子さんの思い


長崎で被爆した作家の林京子さん(82)。その体験をつづった作品「祭りの場」で1975年に芥川賞を受賞し、その後も被爆体験を抱えて生きることの意味を問い続けてきた。


「原爆と原発はイコール。人間と核とは共存できない」。そうした思いを作品を通じて発信してきた林さんの目にいま、福島原発事故とその後の日本社会はどう映っているのだろうか。(出田阿生)


神奈川県逗子市の自宅に近いJR逗子駅前に現れた林さんの背は、すっと伸びていた。ジーンズにブーツ姿。赤で統一された首飾りやマニキュアの差し色が美しい。

「福島の事故が起きてから、一度はもう核のことは一切考えまいと思った。被爆者全体が裏切られたのだ、と知ったからです。もう国に何を言ってもダメだと…。これほどの落胆はなかった。(長崎に原爆が投下された)8月9日以上のショックだった」

被爆者たちは長年、残留放射線による内部被曝や低線量被曝の存在を無視する国に、原爆症認定の申請を却下され続けてきた。
ところが、福島原発事故の記者会見を見て、政府の担当者が「内部被曝」という言葉を使っていることに気づいた。つまり、国は内部被曝の被害を知っていて、原爆症認定を却下し続けてきたのだ─と気づかされた。
林さんが被爆したのは、長崎県立高等女学校の3年生のとき。勤労奉仕先だった長崎市内の三菱兵器工場で爆風に吹き飛ばされた。3日歩いて帰宅すると、手足の毛穴全てから黄色い膿が噴き出した。被曝の急性症状だった。

【少女たちもモップ状になって立っていた。肉の脂がしたたって、はちゅう類のように光った。小刻みに震えながら、いたかねえ、いたかねえとおたがいに訴えあっている】(「祭りの場」より)

◆詳細な被爆描写 カルテのつもり

自身の被爆体験を詳細に記した「祭りの場」は、カルテのつもりで書いたという。「わたくしは自分がモルモットになってもいいと思っている。死んだときは骨を砕いて調べてほしい」

奇跡的に生き延びた同級生たちは、30〜40代になると次々と亡くなった。がんや甲状腺の病気が多かった。通院や入院が相次ぎ、一時は「病院で同窓会が開ける」と言い合うほどだった。
林さんが14歳まで暮らした中国・上海の同級生たちには、そんな年齢で若死にする人はいなかった。被爆の影響と考えるのは当然だった。

「原爆症が認定されれば、少なくとも死の間際に、自分の人生を嫌々にせよ、肯定できると思う。友人たちは却下、却下で影響を曖昧にされたまま、小さな子らを残して死んでいった」

林さん自身も、白血球の減少などの症状に苦しんだ。「体の中に時限爆弾がある」という恐怖は結婚して子供ができるとさらに切迫した。
原爆症の遺伝を恐れ、妊娠8カ月で医者に「勇気がありません。処理していただけますか」と頼んだ。しかし、紹介された大学病院の待合室に行くと、泣き叫ぶ幼児や懸命にあやす母親たちが大勢いた。

「ああ、この命を産むんだと思って、そのまま帰ってきた。帰ってきてよかった。息子には言ってないんですけれど…。やはり産まない選択をした人もたくさんいる」

出産直後、赤ん坊の体の薄赤い斑点を見て、思わず「先生、これは紫斑(被曝による皮下出血)ですか」と聞いた。息子が鼻血を出すたびに原爆症を疑い、病院に連れて行った。夫に恐怖をぶつけ続けた。「離婚するとき、夫に『君との結婚生活は被爆者との生活だった』と言われた。被害を周囲にばらまいているようなものですよね」
放射性物質がどれだけ人々の健康と命を脅かすか。作品を通じて、静かに訴え続けてきた。「私たち被爆者は、核時代のとば口に立たされた、新しい人種なのだと思う。わたくしは作品で、原爆と原発とは同じだと訴えてきたつもりでした」
人間は核をコントロールできない。科学の進歩に倫理が追いつかない─。福島原発事故での東京電力のテレビ会議映像を見て、がくぜんとした。水素爆発を防ぐため、自衛隊に建屋を破壊させる提案を「危険だ」と指摘された本店幹部が「どのみち吹っ飛ぶぜ」と捨て鉢な発言をしていた。
日本よりも世界の危機感の方が強いのでは、とも感じた。福島の事故から半年もしないうちに、ドイツでは林さんの短編「トリニティからトリニティへ」 と 「長い時間をかけた人間の経験」が緊急出版された。
「トリニティ…」は99年秋、米国・ニューメキシコ州の核実験場を訪れた体験を書いた作品。広島と長崎への投下直前、人類が初めて原爆実験をした場所だ。

◆初の原爆実験で まず自然犠牲に

そこは生き物が消えた世界だった。バッタ1匹飛ばず、空には鳥の影もない。最初に核の被害を受けたのは自分たち被爆者だと思っていたが、人間より先に焼き尽くされた自然や生き物を思い、涙があふれたという。
福島原発事故後、気力を失っていた林さんが前を向こうと思い直したきっかけは、昨年7月、東京・代々木公園で催された「さようなら原発10万人集会」に参加したことだった。
杖をついた同世代の老紳士は、入院先を抜け出してきたと話した。「最後に子どもたちに何かいいことを一つだけでも残したくて」と言った。

「核の問題を命の問題と捉えてやって来た人が大勢いた。ああ、核と人間の問題はここに落ちてきたと実感しました」

日本は今後、変われるのだろうか─。そう質問すると林さんは、米国の大学生に自らの被爆体験について講演したときのことを話し始めた。
話に聞き入る若者たちの青い目は、見る間に充血して赤くなった。最後に一人の男子学生が「林さん、世界はこれからどうなると思いますか」と質問した。
林さんは「政治家でもないし、分からない。でも、人間を信じます。あなた方を信じます」と答えたという。
全員が立ち上がって拍手をした。「彼らは何かを信じたかったんだと思います。そして、『自分自身を信じよう』と思ったのだと思います」
そして、こう付け加えた。「日本がこれからどうなるのか、分かりません。でも、全てを金銭に置き換えようとする今の『悪い平和』は変えたいですよね」

[デスクメモ]
林さんはぶれない。芸術選奨の新人賞に選ばれた際に「被爆者であるから国家の賞を受けられない」と拒んだ。人は死から逃れられない。だから、国家や神に自らを委ねがちだ。だが、彼女は「命一つあれば十分」と言い放つ。再び国家やカネの論理が頭をもたげてきたいま、彼女の存在は重い。(牧)

[はやし・きょうこ]
1930年、長崎市生まれ。三井物産に勤める父の転勤で、1歳になる前に中国・上海へ移住。14歳で帰国し、被爆した。53年、長男を出産。主な作品に「祭りの場」「上海」(女流文学賞)「三界の家」(川端康成文学賞)「やすらかに今はねむり給え」(谷崎潤一郎賞)「長い時間をかけた人間の経験」(野間文学賞)など。

2013年1月21日 東京新聞[こちら特報部]

阿修羅掲示板より
投稿者 みょん 日時 2013年1月21日 07:59:27: 7lOHRJeYvJalE
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/770.html
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Parce que je suis ANTI-NUKE!2013/01/16 20:06:10

この前、友達と飲んだ。
ここ一年ほどだけでいえば、いまいちばん頻繁に(月イチか2か月に1回ペースかな)会って、食事や酒をともにしている。プライベートが同じようなレベルでうまくいっていない(笑)という点が共通点かな。第三者に対してもつ印象や、人との距離の取りかたに関しては、意見が合致することが多い。私が抱えているいろいろな諸問題について、けっこう鋭い指摘をしてくれるのが、正直、得難いよいことだと感じている。他愛ない世間話をしていても、気が合う。ただ、ディズニーランドが好きだとか(笑)些細だが理解に苦しむことも、実際は多々ある。ま、でも、それも面白い。

その彼が勤める会社の関係者にある政治家がいて、その人の噂になり、しぜんと話は昨年暮れの衆院選に移った。私は、仕事でなければ、相手がどういう立場だろうと先にはっきり好き勝手に発言する癖があるので(仕事の時は用心深いコウモリですのよ、ほほほ)、彼の支持政党や主張を聴く前に、嫌いなアイツやコイツの名を挙げてクソミソに言い、いまやほとんど憎しみの対象となっている安倍を筆頭にしたジミントーをクソミソに言い、「だけど小選挙区は投票できる候補者が立たへんかったわあ」と、ぶつぶつ小言をこぼした。それでひとしきり笑ったんだが、ふと彼が「ねえ、もしかして脱原発派?」と尋ねるではないか。「派」だなんて、私は人間なら「反核・反原発」が当たり前だと思っている。「派」も「主義」もない。だから彼の眼をまっすぐに見て「そんなの常識やん」と言った。賢い彼は、ここでもう「こいつとはこの話題で議論できない」と感づいたのであろう(笑)。「あ、そう」と言っただけで一瞬黙った。そのまま流せばよかったんだけど、賢い私(笑)も彼の瞳の中に「そうじゃないって言いたいんだけど」との意を汲んでしまったので、よせばいいのに彼になんとか口を開かせようと煽るようなことをいくつか口走った。

彼の勤務先は小さな町工場だ。私の勤める零細事務所に比べればはるかにましなはずだが、自転車操業には違いない。「電気」の問題は、直接彼の勤務先と彼自身の生活に降りかかる。

「経済性を考えたら、必ずしも脱原発が正解でもないやろ」
「正解なんて、ないわ。人間として、日本人として、どう行動すればいいのかそれぞれの立場で真剣に考えなあかんってことよ」
「それはそうやな」
「私は私の、君は君の立場で」
「代替エネルギーのめども立ってへんねんで」
「火力でいいやん。それで電気代が倍になっても私は呑む。手を尽くした挙句にそうならね。槍でも鉄砲でも値上げでももってこいバカヤロー関電って感じ? 火力でもたせてその間にほかの手も考えればいいやん。ホーシャノーよりシーオーツーのほうが100万倍も1億倍も、ましやろ」
「けどなあ、そんなん言うてる間に倒れるとこは倒れてしまうしな」
「そやね」
「そやろ」
「お互いキツイ会社に勤めてるもんね」
「うん」
「でも、そんなことは、はっきりいうけど、どうでもいい」
「そういうと思った」
「原発なんてやめようよっていうのは、戦争やめようよ侵略やめようよ搾取やめようよ、というのと同様に、私がずっとずっと抱いてきた切なる願いのひとつやねん。ただこれまで喫緊の問題じゃなかったのが、こんな事態になって、声を挙げているだけ。私の目の黒いうちに原発ゼロは無理かもしれんし、娘の生きてる間にも無理かもしれん。でも、ポンコツ原発しつこく動かした挙句、小さな事故やら放射能漏れをごまかし続けた挙句、あんな大事故になって、日本の北半分を汚して、日本中に汚染された食材やらなんやら拡散して、太平洋に汚染水流し続けて、空中に放射性物質撒き散らして。日本以外の地球人全員から糾弾されてもおかしくないのよ。有害物質を撒いたのよ。究極の有害物質を。それは事実なんよ。《はい、もう原発動かしませんゴメンナサイ》っていうのが当たり前の態度ちゃう? 日本人として。人間として」
「うん。まあな」
「核兵器つくりたいから核発電やめたくない、核兵器つくって戦争にスタンバイしていたい。そのために自衛隊を国防軍にしたい。そのために改憲する。そんなこと言う人が国のトップにいるなんて、この日本で、異常事態やねん。そう思わへん?」
「たしかになあ」
「ん、君は技術者やからね。言いたいことは、ちょっとわかる」
「うん」
「原子力の研究や技術を生かして、54基ぜんぶ、きれいに片づけてほしいと思うのよ、私は」
「んー、でも片づける技術は心もとないんちゃうかなー」
「はは、とりあえず廃棄物をしまう場所、ないもんね」
「うん」
「でしょ? だからよ。なのに原発続けてどうすんのよって、そう思うでしょ?」
「うーん」

でも彼は、やはり勤務先の行く末や自分も含む従業員の生活につい思いを馳せる。心優しい人ほど、その優しさが目の前の人や時間に向かう限りは、安易に原発反対は唱えられないことだろう。ためらう人に無理強いをしてはならないと思う。ただ、無理強いはしないけど、考えることをやめないでほしいと思う。友達のひとりであるこの私が、なぜこう考えるのかについて、彼には考え続けてほしい。と、心底思った。


《(前略)
 重要なのは品格のある衰退だと私は思います。ヒントは英国にあります。英国にはいろいろと問題もありますが、第2次大戦後、欧州諸国で最初に植民地を手放し、インドの独立を認めました。衰え、弱くなることを受けとめる品格を持つことで、その後もインドと良好な関係を結んでいます。フランスやポルトガルなど植民地をなかなか手放さなかった国は独立戦争で多くの死者を出し、禍根を残しました。
 品格のある衰退の先にどのような社会を描くか。私は経済成長社会から福祉成長社会への転換を本気で考えるべき時期だと思います。かつて大国だったスウェーデンがロシアとの戦争に敗れ、衰退した後、世界の福祉モデル国家になった例もあります。
 もうひとつは人間成熟社会です。命に対する畏敬の念を持ち、侵すことのできない命の尊厳を互いに認め合う。多様でありながら、対等な関係を持って、ともに生きる社会です。
 原発事故は、原発に象徴される成長主義を推し進めることで、どれだけ人間の命と尊厳が否定されるかを私たちに教えました。まず人間が自己を変革するところから始め、原発に頼らずに福祉成長社会と人間成熟社会の新しいモデル国家をつくる。それが日本だけでなく、国境を越えた市民のつながりになる。時間はかかるかもしれませんが、新たな時代の変わり目を、そういう希望を描いて生きるときだと思います。》
(京都新聞2013年1月15日付「震災後の日本の未来とは」坂本義和)

On se perd, sans le future!2012/12/28 12:49:12

12月1日の押小路通。紅葉楓(もみじばふう)がまだ葉をつけている。


《暗い時代が始まる。脱原発派と護憲派、ジェンダー平等派にとって。教育現場にとってもだ。インフレ、借金、東アジアの緊張、貧困と格差、弱者切り捨て…亡国政権の始まりだ。
 3・11以後、初の国政選挙で自民党が政権復帰。諸外国には、日本国民が原発継続を選んだ、と見えるだろう。東京電力福島原発事故に関しては、前政権の危機対応のつたなさがあげつらわれるが、もとはといえば、フクシマの事故を招く原因を長期にわたってつくったのは、元の自民党政権である。責任者をだれひとり追及せず、処罰せず、原因究明すらできていない状況で、いわば事故の「戦犯」ともいうべきひとびとを、有権者はふたたび政権の座に就けてしまった。》

昨日の地元紙の夕刊に掲載された、コラム「現代のことば」の冒頭である。この日の書き手は、ご存じ上野千鶴子。
上野はいつも正しい。いつだって正論だ。彼女の言い分が、つけ入る隙のないほど完璧に正しさの鎧をまとい、どんな尖った矢も鋭利な槍も硬い鉄砲玉も跳ね返すほど強靱であるとわかっていても、それに反論せずにいられぬ気持ちになる。というか、ちゃんと話し合うための語彙を当方持ち合わせないので、「反論せずにいられない」ったってまともに議論などとてもできやしないのである。したがってこの場合、「闇雲に逆らいたくなる」「難癖つけたくなる」「つつけるもんはないかと重箱の隅々を箸や楊枝でほじくる」(笑)とでもいったほうがよかろうか。

大学院に籍を置いていた時、社会学部の教授陣にフェミニストがちらほらいて、彼女たちの音頭取りによるジェンダー論関係の研究会や講演会がよく開催されていた。そのいくつかに出席を試みたことがある。しかし、どうにも居心地が悪かった。
必ず「非」フェミニスト系の研究者、学者(たいてい男性、そして一人だけ)が招かれて、その人による講演または報告があり、続いてフェミニストチームから同様に報告や発表が行われる。たいていは複数である。その後ディスカッションとなる。しかしディスカッションというよりも、まるで集団言論リンチ……といったら言い過ぎだろうけど、フェミニストチーム研究者がよってたかって、その招待し報告させた学者の発表内容にとどまらず(「本日のご報告内容はとうてい受け容れ難い内容でしたがこれについて問題点を列挙したいと思います」)、言葉の選びかた(「そもそもそういう言葉づかいに男尊女卑思想が表れているという自覚がないから困りますわ」)、果ては立居振舞までやり玉に挙げて(「その手の使いかた、女性をバカにしてません?」「わたくしこれ以上耐えられません」「同じ空気を吸いたくないわ」「退席します」)、一点集中の攻撃をしかけるといったぐあいだった。
私と同じように、居心地悪く感じた学生は少なくなかったと思う。男らしく・女らしくといって育てられた私たち。そのように育てられた親に育てられた世代。不平等を刷り込まれたとかそんな話ではなく、男として女として、纏う衣も違えば日々の慣わしも書く文字も異なるという文化が連綿と続く国に生まれたのである。そりゃ、誰だって、男尊女卑思想はまっぴら御免だ。しかし、オス・メスの生物学的身体能力は歴然としており、もって生まれた生殖能力の違いからくる役割分担も明快である。男女平等は当たり前だが、男女は同じ種類の生物ではない。

私は「女も学問する時代やねん」という祖母と、「ちゃんと花嫁修業しとかないかん」という母とともに暮らしてきたせいか、ずるがしこく育った。口では女性の権利や能力活用を言いながら、実際には、力仕事はもちろん重い役割やのちに責任を問われるような立場はひたすら男性に譲って生きてきた。しんどくて骨の折れそうな仕事は「わたくしでは力不足でございます」などといって逃げ、何かのプロジェクトリーダーなんぞに任命されようなものなら、そのプロジェクトの問題をあれはどうするこれはどうすると積み上げて、提案した上司に「わかったよ、なんか起きたら俺が責任をとるから」と言わせ、いかなる場合も無傷で逃げられるめどが立つまで粘った。私のこうした行動様式は一貫していて、子を産みひとりで育てている今でも変わらない。
シングルマザーをやっているのは私が選択した結果であって、なぜ選択したかというとこっちのほうが快適だと確信したからに他ならない。快適だと確信したのは、べつに殿方が嫌いだからでも(むしろ好きやん)、疎ましいからでもない。
子育てを誰にも邪魔されたくなかっただけである。私にとって子育ては、つねづね言うように、芸術作品制作に似ている。芸術は孤独な戦いだ、しかも通底する信念に基づいた。そのような創作活動と同じものを子育てに求めると、「共同制作者」だとか「コラボレーション」なんぞ不要になるのは自明である。

(ついでにいうと結婚しなかったのは姓を変えるのが嫌だったとかじゃなくて、単に縁がなかったのである。あ、聞いてないって?)

単に、プライベートにおいてそういう事情であるだけで、私はつねに殿方に助けられてきたし、殿方をおだてて木に登らせるのが得意であるし、また私と同世代の殿方は気前よく木に登ってくださるので(笑)、私はいつもズルく楽して生きてこれたのである。
中途半端なフェミニズムの風にあおられてそっちを向いてしまった若者たちは、たいへんな生きにくさを感じているであろう。この国は、まだまだ女性を虐げている。閣僚に女性を二人入れただけで「どうだ」といわんばかりに大騒ぎしている極右アベシンゾー内閣を恥ずかしいと思うのは上野千鶴子だけではない。私も恥ずかしいよ。

《今度の選挙にあたって複数の女性団体と個人(12月10日現在で賛同人24団体280人)が連携して、「ジェンダー平等政策」全政党アンケートを実施した。12政党注10政党から回答を得た結果は「市民と政治をつなぐ」P-WANサイト上にアップしてある(http://p-wan.jp/site/)。》
《各政党の回答を分析してみると脱原発を支持する政党ほど男女平等にも積極的であり、また「9条」を守る政党ほど男女平等度が高かった。おもしろいのは規制緩和と自由競争を支持する政党は、「女性の活用」には積極的なのに、「女性の権利」を守ることには積極的でない、という共通点が見られたことだ。》

「女性の活用」はしても「女性の権利」は尊重しない、それはまさに今の日本社会そのものであり、参戦と核開発にまっしぐらの新政権が是とするところに違いない。
上野が言うように、不戦と非核は男女平等の大前提だ。貧富格差のない公平な社会実現の大前提でもあるだろう。しかし、極右ジミントーは不戦や非核など「それ何ですか」とすっとぼけてうやむやにし曖昧にしたまま闇に葬り去るであろう。平等とか公平とか奴らにはどうでもよいのである。
というか、階級社会を再構築しようとしているのかもしれないわっ。くわばらくわばらっ

《「自助」の重視という名目で社会保障を抑制し、弱者切り捨て路線を採用する新政権に、女性や若者、高齢者らの社会的弱者は、自ら合意を与えたのだろうか?》

すでに論じられているように、今回の、大差のついた選挙結果は、小選挙区制という選挙制度のなせる業であって、国民の意思を正確に反映したものではない。数えれば、極右ジミントーに投じられた票数を、それ以外への投票数が上回るのであるから。しかし、いずれにせよ、そうした小選挙区制の怖さを知ることなく、投票所に足を運ばなかった人々が結果的には極右ジミントー支持に回ったのと同じことであるからして、「日本国民は、軍隊をもち積極的に戦争に加わり原子力を推進し核兵器開発に突き進むことを党是とする政党を政権に選んだ」と世界に見られても仕方ないのだ。

上野はいつも正しい。その正しさの完璧さに辟易する。正しさというのは主観が左右するから、どんな時もどこかで中庸をとり、妥協点を見出さなければ、いくら潔癖な正しさであろうと裏づけのない脆いガラスに終わってしまう。だが上野の議論はいつだって脆く砕けようとも雪の女王がカイの瞳に投げ入れた悪魔の鏡の破片のように、ともすれば人心を虜にするほどの力をもつ。正しさゆえである。その正しさゆえに、彼女の書くものを読むたび「とてもついていけんわ」感を覚えてきた。
けれども、この私が、だんだん彼女の論にそうした居心地の悪さや違和感を覚えなくなってきたのは、上野が丸くなったのか、私が上野のように尖りつつあるからなのか。後者のような気もする、だって前者はちょっと考えられないでしょ。あら、でもあたし、殿方みなさんと仲良くしたくってよ、怖がらないでこっちへいらして、ムッシュ。

《 》内は、京都新聞2012年(平成24年)12月27日木曜日付夕刊「現代のことば」上野千鶴子「女性にきびしい政権の誕生?」から部分引用。

Escape to OKINAWA!2012/12/24 11:24:55

左サイドバーにリンクを張っている「カレイドスコープ」さん、ときどきでも訪問してくださっているだろうか。

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「沖縄に逃げて!」-沖縄県庁の移住支援12月27日まで

福島の人対象です!
子供と沖縄に避難しよう!
沖縄県庁の移住支援制度で
航空券、ホテル代、2年間家賃無料!
すぐ電話!12月27日(木)メ切り!
沖縄県庁
098-866-2143
に電話して第一歩を!
電話する前に知りたい人は下のホームページへ
http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/bosai/24203.html
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詳細はカレイドスコープさんの当該記事へ
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1736.html


こういうことを、鼻で笑ってすます人ってまだ居るんだろうか。

震災直後から逃げろ逃げろと言い続けてきたけど、夫婦仲のいい友人たちほど動こうとしない。各家庭の事情もあるだろうからもちろん私だってしつこくは言わない。でも、こっちに実家や親戚があるなら、今まで盆と正月だけだったのを少し頻度を上げて帰省したり身を寄せたりしてもいいんじゃないの、と言ってみたり、問題意識を喚起するようにしたこともあったけど、本当にいろいろな感情と事情が複雑に絡まっているのか、それともまったく何も考えないできているのか、反応は芳しくない。どのみち、そんな中途半端なこと、できやしないよね。そうなんだ、事はそんなに単純じゃないよ。わかってる……。

都知事選挙で猪瀬が400万票という圧倒的な数を集めたという報を目にして、もし、投票に行かなかった有権者が全員仮に投票したとしても、勢力図は同じことだっただろうなと思った。都民の、いや、日本人の、現状に対する認識や問題意識って、悲しいけどこうなんだ。こんなありさまなんだ。

「どうってことないのに大騒ぎしちゃって」
「平穏に暮らしてんのに煽らないでよ、縁起でもない」

私も、友達からそんなふうに思われているかもしれない。
何年も何年も経って、ホラどうってことなかったじゃないの、取り越し苦労だったわね、と笑えたらいい。ほんとにいい。そのほうが「ほら見ろ」「こんなことになっちゃったじゃないの!」「被曝が原因なのよこの子の病気は!」なんて会話だらけになるより、ずっといいに決まっているさ。

でもでも、もしも、「……かもしれない」と少しでも不安なら、不安におののきながら、むくむくとこみ上げる恐れを押さえつけながら、家族と口論しながら、あるいは言いたいこと言えずに暮らすより、いっそ思いきり空気の吸える場所へ引っ越して、危険も不安も杞憂も諍いもない毎日を過ごしたほうが母子ともに幸せだよ。

そのほうが幸せだよ、きっと……。

A voter!2012/12/15 13:38:58

明日投票日ですね!

田中龍作ジャーナルより引用。記事二つ紹介します!
(写真とキャプションは外しています。by midi)

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再稼働反対集会に小沢氏登場 参加者「マスコミ帰れ」の怒号
2012年12月15日 01:24

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005830

 マスコミ不信が一気に噴出した夜だった。新聞・テレビのカメラマンたちに向けて「帰れコール」が飛ぶ、前代未聞の事態となったのである。
 “小沢氏が金曜恒例の再稼働反対集会に来る”―― ツイッターで昨夜から情報が流れていたため、14日の集会はマスコミのカメラマンが大挙、国会議事堂前に集結していた。カメラマンたちは少しでも高い位置から撮ろうと脚立の上に立つのが習性だ。それも最前列で。
 カメラマンたちの体で遮られて、参加者はステージが見えなくなる。さもマスコミの特権であるかのような振る舞いに、反感を抱く人は少なくない。
 それを意識してか、スピーチ台に立つ参加者の多くは、マスコミを批判した―
 「パブコメでは国民の8割もが原発ゼロを望んでいるのに、マスコミの選挙予想では原発を3年以内に再稼働させる自民党が単独過半数を取るというのは、どういうことでしょうか?」女性は声を振り絞るようにして訴えた。マスコミのカメラマンが陣取る方に顔を向けながら。
 右傾化、原発再稼働…すべてマスコミが仕組んだと決めつける男性もいた。

 小沢氏がそろそろ到着する7時20分頃だった。目の前を遮るカメラマンたちに対する参加者のイラ立ちはピークに達した。寒いなか「小沢目当て」で来ている参加者にとっては肝心の小沢氏が見えないのである。

 「テレビカメラどかせ」「マスコミ帰れ」「日本をメチャクチャにしたのはお前たちだ」参加者から怒号が飛び交い収拾がつかなくなった。

 「カメラを下げてください。(参加者の)皆さんは早くから来て待ってたんです」。主催者はカメラマンたちに命じて脚立の上から降ろさせた。マスコミの特権が崩れた瞬間だった。
 歓声に迎えられて会場に到着した小沢氏が演説した―

「総選挙に入っても脱原発の声は広がっておりません。新聞・テレビで脱原発を争点から外している。これは日本社会の歪です。マスコミがそういう中に組み込まれている。こんなことが罷り通ったら日本は真っ暗闇になる…(中略)国会で脱原発を通すなら、脱原発を唱える議員が多数を占めなければなりません…(後略)」。

 集団リンチのように小沢氏を叩き続けたのもマスコミなら、原発安全神話を振り撒き、再稼働まっしぐらの自民党を政権復帰させるべく世論操作をしているのもマスコミだ。
 明日(16日)は衆院選と東京都知事選の投票日である。マスコミによる刷り込みを撥ね除けて、有権者の大多数が自分自身の判断で投票することを願う。
《文・田中龍作 / 諏訪都》

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小沢氏、特派員協会で会見
「憲法改正、裏に政治的意図」「右傾化が心配」
2012年12月12日 20:35

http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005802

 日本未来の党の小沢一郎氏が12日、日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見した。結党以来、あまり表に出てこなかった小沢氏が選挙期間中にもかかわらず会見するというので、会場には大勢の報道陣が詰めかけた。
 小沢氏は、異例にも一時間以上も前から会場入りし、懇意の脳科学者と懇談したり、手洗いに立ったりなどし、居合わせた記者らを驚かせた。
 そうした中、北朝鮮のミサイル(弾頭を搭載していないので正確にはロケットと言える)発射を報せるニュース速報が流れた。緊迫した雰囲気の中、海外メディアの質問は選挙後の政治体制と日本の右傾化に集中した。

 冒頭、外国特派員協会のバウムガルトナー会長は小沢氏をこう紹介した。
「戦後日本を代表する政治家のひとりであり、メディアによる人物破壊(Character Assassination ※)の犠牲者である小沢一郎氏を歓迎します」。
 日本のマスコミからは徹底的に嫌われる小沢氏だが、海外メディアの評価は180度異なる。小沢氏が、メディアや官僚から集中的に人格攻撃されたことを世界は知っていた。小沢氏はこう挨拶した――

 「新党は何をめざしているのか?と皆様(海外メディア)からも聞かれた。形の上では新党だが、基本的な政治哲学や政治姿勢については、政権交代で民主党が国民に誓った「このように国を作り替えたい」ということを思い続け、今後もそれを継承して目的を達成したい」。
 「民主党に対する当時の国民の期待が大きかっただけに、その後変質した党に国民が失望してしまっているのが現状だろう。3年前国民が期待してくれたその主張を我々は貫き通そうと思っている」。

以下、一問一答――

シンガポールの記者: 自民党や維新などが憲法改正などを主張しており、海外では日本の右傾化を心配している。
小沢:自民党、維新の会、民主党幹部らも似たようなことを言っている。憲法改正、メディアもこれが争点であるかのように伝えている。憲法改正と、政治的な考え方、政策というのは基本的には別の話だ。裏にいろんな政治的意図が隠されているように思える。同意しかねる。彼らの政治的目的であるなら、はっきりと言うべきだし、メディアもそれを伝えるべきだ。

田中:マスコミはあたかも新政権は自民党中心の政権になるかのように伝えている。ところが、フリーランスや非記者クラブメディアの取材では国民の反応は必ずしもそうではない。現実との乖離についてどう思うか?
小沢:旧体制の中に既得権を持っている人からみれば、小沢はけしからんということになるだろう。メディアも戦後体制の中のひとつの大きな集団だと思う。根本的に日本の大きなしくみを変えることについては、強烈な抵抗と反撃を受ける。
 今の国民の意識は必ずしも自民党にということではないと思うが、メディアを中心としたムード作りと、もうひとつは、民主党政権が失敗した、期待はずれだったというその両方が相まって、何となく国民自身がもやもやしている。あるいは、はっきりとした選択をしづらくなっているのではないか。
 私たちも大きなメディアが報ずる以上に、「自民党政権」というよりはむしろ何か新しい仕組みを作り上げる勢力の台頭を期待していると感じるが、選挙後でなければわからない。

海外の記者(国名分からず):右傾化について詳しく。
小沢:右傾化ということについては、以前から心配していた。現時点で本当に極端な右寄りになるだろうとは思っていない。ただ、EUのように経済的な危機が世界的不況という形で襲って来た場合、中国との領土問題がこじれた場合、朝鮮半島その他に深刻な事態が生じた場合には、その傾向が非常に強くなっていくのではないかと、恐れている。
私も愛国主義や民族主義を否定するわけではなく、自分自身もその一人(愛国者)であると思っている。本当の民族主義とは相手国の(愛国主義)も認めるというものだ。民主主義の基本は自己主張、国家と国家も同じだと思う。単なるその場の情緒的雰囲気に押されての傾向が強まると、特に日本の場合はその要素が潜在的にあるので心配している。
 記者会見の直前、北朝鮮がミサイルを発射した。“国防軍”を唱える自民党の安倍晋三総裁らは大はしゃぎだ。「TPP」「原発」「消費税」という国民生活に関わる肝心のテーマはそっちのけとなりそうな雰囲気をメディアが醸成している。小沢氏が懸念する右傾化が現実味を帯びる。



※人物破壊 
「誰が小沢一郎を殺すのか?」カレル・ヴァン・ウォルフレン著で使用された用語。標的とする人物を実際に殺さないまでも、世間での評価や人物像を破壊しようとする行為のこと。

A lire!2012/11/21 17:09:24

『原発を止める55の方法』
別冊宝島編集部編
宝島社(2012年)


中学生の時に使っていた英語の教科書とたいして変わらない厚さだし、書き手ひとりあたり2~4ページなのでひとり分の意見を読むのに数分で済むし、毎日ひとり分ずつ読むペースでも55日、ちょい読む時間を長めに確保して2~3人ずつ読めば3週間以内で読めてしまう、その程度のヴォリュームなので、しかも630円だし、しゃっと買ってしゃしゃっと読んでしまおう。

私は、左サイドバーにリンクを張らしてもらってるブログ「がんばれ福島原発」さんで本書を知り、そこのブログ主さんも書き手のひとりだと知って速攻で買いに走った。で、すぐ読んじゃった。もちろん、そのブログ主さんのページをまず最初に。

宝島社の気持ちもわかるんだけど、巻頭に菅直人をもってきたのは失敗だったんじゃないかなとなんとなく思うんだがどうだ? 私は菅ちゃん嫌いじゃないけど、やっぱ首相として上手に采配ふるったとはいえないし、結果として彼の在任期間中の仕事、そして退任後の発言といったものはなにひとつ社会にも政治にも行政にも影響を与えていないという事実は悲しすぎるだろ?

菅ちゃん嫌いじゃないけど全然好きでもない。私は現状の太陽光発電には賛成したくない。風車による風力発電にも反対だ。だからこれらを積極的に推進するという立場はとらないし、そういう主張の人とは距離を置く。置くが、まずは原発をやめなきゃならないという点で意見の一致をみるなら、今は手を携えなくてはいかんだろうと思っている。

1. 現在稼働中の原子力発電所を停止させる。
2. 停止している原子力発電所を速やかに廃炉にする。
3. 新規建設中の原子力発電所の工事を中止する。
4. 建設許可が出ている原子力発電所は着工しない。
5. 核廃棄物の行き場所を決める。

こんだけ成し遂げるのに、いったい何年、何世代の時間を費やさねばならないだろうか。気が遠くなる。遠くなるけど、成し遂げなければ日本の未来も人類の未来も地球の未来もない。仮に無事成し遂げたとして、それから新エネルギー政策を議論していたのではもちろん遅いから、今から準備しとくに越したことはない。ないが、なにがなんでも太陽光、なにをさておいても風力、では行き詰るのは目に見えてるやん。でもきっときっと、この国の賢い賢い科学者たちが新しいエネルギーについて名案をひねり出してくれるに違いないと期待している。

ところで、「がんばれ福島原発」のブログ主さんは、福島原発で仕事をされていた元現場主任さんである。原発の配管の専門家である。そのかたも本書には、専門的見地から寄稿されている。
表紙上部に名前が連ねられているのはすっかりおなじみの著名人たちだ。だが、本書に収められているのは著名人による夢と希望論ばかりではない。地に足着いた真摯な意見も多いので、ぜひ買って読んでほしい。さまざまな角度から論じなければならないということを、理屈だけでなくしっかりと知るということだけでも、この本を手に取る値打ちはある。


ところでところで、今日はこんな記事を見つけた。

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http://news-log.jp/archives/5247

オーストリアはなぜ原発の閉鎖ができたのか?(大貫 康雄)
2012年11月21日 大貫 康雄


運転直前閉鎖した原発で太陽光発電

オーストリアが70年代に建設した「ツヴェンテンドルフ原発」は、巨額の経費をかけた末に、完成直前に国民投票で閉鎖された。
以来、この「元原発」はオーストリアの非原発・脱原発政策の象徴となり、各国から見学者が多く訪れる施設となっている。その閉鎖の33年後、電力会社と地元の人たちとの共同事業で元原発が、新たに太陽光発電基地としても動き出した。
オーストリアでも70年代は多くの人が原発の安全性に疑問を持たず、与党、最大野党の双方とも原発推進だった。
ツヴェンテンドルフ原発の閉鎖は30年以上も前に決断されたので、今は経緯を知る人も少ないが、当時としては画期的な「事件」だった。
オーストリアは今、世界でもきっての反原発、再生可能エネルギー推進国家になっている。この大転換の歴史を改めて振り返ってみよう。

地元市民が太陽光発電の出資者となる

1)
「ツヴェンテンドルフ元原発が太陽光発電基地へ」というニュースは、NHKなども報じたので知る人も多いだろう。元原発を所有する電力会社は地元の人たちに出資を募り、地元の人は太陽光パネル1枚当たり日本円にして3万円相当を支払って13年間の所有権を得る。
電力会社は出資者に毎年パネルの使用料を支払い、13年後には出資者はさらに1枚当たり9000円相当を支払う。パネル設置など工事費は電力会社が負担する、というもの。
市民参加型の再生可能エネルギー発電はヨーロッパで増えており、ツヴェンテンドルフも、この方式を採用したとみられる。低金利時代には有利な投資でもある。
ツヴェンテンドルフは人口4000人未満と聞くが、参加した人たちは多かったようだ。
ツヴェンテンドルフ元原発はウィーンから西北に30数km。現在、世界からの見学者が多く、研修施設などに利用されている。これからは元原発の太陽光発電基地としても訪れる人が増えるだろう。


原発推進が当たり前だった50~60年代

2)
ツヴェンテンドルフ「元原発」は、建設費に1000億円相当の経費をかけている。
原発運営の国営企業も作られている。それが回収されることなく、つまり一度も放射能に汚染されることなく、閉鎖された経緯はひとつの奇跡と言っても良いほどだ。
1950年~60年代は、アイゼンハワー米大統領の原子力の平和利用宣言(53年12月8日)など、大国によって原子力発電の安全神話が作られた時期。オーストリアも例外なく大半の国民が原発の安全性に疑問を持たない時代だった(54年3月1日には、ビキニでの水爆実験で第五福竜丸などが被曝し、無線長の福山愛吉さんが亡くなる悲劇が起きた。この悲劇から日本では原水禁運動が始まるきっかけとなるが、国際的には矮小化されている)。
原発計画は60年代末から検討され、議会の全会一致の決議で6基建設に踏み出す。ツヴェンテンドルフ原発はオーストリア最初の原発として72年から建設が始まる。
しかしその後、ドイツにある同じ沸騰水型の原発2基で故障がおきて、運転停止したのを契機に原発技術への疑問が起きる。
またドナウ川が氾濫した際、格納容器まで水につかる危険性が指摘される。さらに原発敷地の地下に断層があることも判り、ツヴェンテンドルフ原発計画に対し、知識人や地元の人たちの懸念が高まっていく。
アルプス山中の地下深くに、原発の使用済み核燃料、核(放射性)廃棄物を貯蔵する施設を作る計画が知られると、予定地とされた近隣の村々から強い反対論が起き、この計画も行き詰る。
一時は核廃棄物をイランが買い取るとの話も出たが、イラン革命で当時のパーレビー国王が追放されて立ち消えになる。
原発の安全性や核廃棄物の安全貯蔵に対する反対論が無視できなくなり、74年第2基の原発建設が延期になる。


反原発に傾いていった70年代

3)
こうした原発反対の声の高まりに危機感を抱いた政府は76年、「原発は安全」との情報キャンペーンを始める。
ところが、新聞各紙が政府の一方的なキャンペーンに逆に初めて原発批判の記事を載せ始めた(この視点、姿勢が日本のメディアでは考えられない)
これで一般の人たちが原発の実態をよく知るきっかけになり、ツヴェンテンドルフ原発の建設が進むにつれ「原発運転開始」への懸念が強まっていく。
そして、人々は初めて以下のような原発の負の側面を知ることになる。

*放射能の人体への深刻な影響
*原発の技術は未完成のもの
*核廃棄物の安全管理・貯蔵の困難さ
*「核の平和利用」と軍需産業の関係
*事故の際、的確な住民避難が不可能なこと


77年4月、ザルツブルクで「核のない未来を目指す国際会議」が開かれ、日本の原水禁運動の関係者が広島・長崎・ビキニの被曝の実相を語り、オーストリアの人たちに放射能被害の深刻さを知らせたことも、反核の世論の盛り上げに貢献した、と言われている。
77年秋には、初めて規模の大きいツヴェンテンドルフ反対デモが行われる(オーストリアの反原発デモは終始、非暴力に徹していた)。
この最中、政府は原発推進色の濃い「原発報告」を議会に提出。しかし国民は逆に反発。

*多くの問題点を無視し、国民を騙すもの。裏付けとなる研究・調査も不十分などの反論が続出
原発推進の野党保守党までもが、ツヴェンテンドルフに限っては安全が十分とは言えないと言い出す。
こうした事態に78年6月、クライスキー首相は「11月5日に国民投票を実施」すると発表する一方で、原発推進キャンペーンに多額の費用をかけていく。原子力関連業界もキャンペーンを強化する。


国民投票により原発の閉鎖が決まる

4)
さて、この政府と原子力業界の攻勢に対し、反原発の活動家たちは金もなく、まだ少数派だったが、唯一行動力があり、智恵があり、熱意があった。そのため効果的な活動ができたようだった。

「原発に反対の母の会」、「反原発教師の会」、物理学者の会、生物学者の会、芸術家の会、宗教者の会など多様な集団が声を上げ、各地にこれらの団体の活動の調整センターが作られる。
与党・社会民主党支持者は困った挙句、「首相は支持するがツヴェンテンドルフは反対」のスローガンをひねり上げ、各地でツヴェンテンドルフ原発反対の活動を展開する。
国民投票の直前、ツヴェンテンドルフ原発は98%完成していた。アメリカから極秘裏に核燃料が運び込まれたとの緊迫した情報がもたらされる。

11月5日当日、有権者の3分の2が国民投票に足を運ぶ。

結果は大方の予想を覆し、ツヴェンテンドルフ反対が31.6%、賛成が31.09%、棄権35.9%、無効1.5%と出た。棄権を除く有効投票の内、50.5%が反対、49.5%が賛成)。僅か
3万票足らずでツヴェンテンドルフ原発の閉鎖が決まった。
際立ったのは、若者たち、特に若い女性たちが反原発だったこと。またツヴェンテンドルフの建設現場や、原発運営に作られた国営企業で働く人が多い地元や周辺の町村の人たちの間でも原発反対が多かったことだった。

国民投票の前、クライスキー首相が「原発が否定されたら辞任」を口にしたのを受けて、本来原発推進の最大野党の保守党支持者の一部が首相を更迭する機会と見て「原発反対」票を投じたことも逆転劇を助けた面がある(しかしクライスキー首相は辞任しなかった)。
いずれにせよ国民の審判は下った。この国民投票の結果を受けて、政府は「原発で発電された電力の使用を禁止する法案」(以後、反原発法と略)をオーストリア議会に提出。国民投票から1か月余り、議会は12月15日、全会一致で法律を可決する。
原発運営に作られた国営会社は即刻解体。ソ連のウラン企業や、アメリカ・エネルギー省との契約は解除。フランス・コジェマ社との核燃料再処理契約も解除。コジェマ社の株式は外国企業に売却。
(こういう果断な決断こそ「決められる政治」というべきだろう。この迅速な決断と処理は、今の日本では到底考えられない。日本ならば恐らく、「原発が98%完成したのに……」などと「原子力村」がまことしやかな理由を挙げ、経費回収まで原発運転、などと言いかねないだろう。ましてアメリカ・エネルギー省との契約解除など対米従属の政府では考えられないだろう)


EU全域の脱原発を訴えるオーストリア首相

5)
ただ、この法律には議会の3分の2の賛成で法律を廃棄できる、との条項が付けられる。
オーストリアが最初の原発を完成直前に閉鎖を決定して3か月後、79年3月28日にスリーマイル島原発事故が起きる。メルトダウンまで起きた深刻な事故だった。
しかしツヴェンテンドルフ原子力業界や原発推進派は、この3分の2条項を利用して「反原発法」を廃止すべく様々な活動を展開し、反原発活動家には気の抜けない年月が続く。
オーストリアの反原発運動を担った人の中からは、環境活動家フレダ・マイスナー=ブラウ氏(女性)や教師マチルダ・ハラ氏(女性)のように反原発・反核活動が評価されて「核の無い未来」賞(Nuclear Free Future Award)の受賞者を出している。
マイスナー・ブラウ氏はオーストリア緑の党の創設者でもあり、95年ウィーンでの第1回国際人権法廷を主宰するなどして、オーストリアでの同性愛者差別を禁止する法の制定にも貢献している。
今やオーストリアの反原発は国民的課題となった感がある。単に再生可能エネルギー利用推進の政策だけではない。非原発・脱原発は国民全体の安全にも関わる現実の問題があるからだ。
隣国チェコやスロヴァキアなどで原発建設が計画され、万が一事故となると自国に深刻な影響が及ぶのは必至だからだ。
東京電力福島第一原発事故から1年目の今年3月11日、ヴェルナー・ファイマン首相は「今年中に少なくともEU加盟国の6か国以上で、EU全域を脱原発にするべく署名活動を始める」と発表している。EUのリスボン条約では少なくとも百万以上の署名が集まれば、EU委員会は何らかの立法手続きをして各国に諮ることになる。

第三者が見るところ、現状でEU全域の脱原発可は凡そ不可能だろう。何といっても各国それぞれの国内事情、エネルギー政策があるし、他国からみれば「原発問題では常軌を逸したオーストリア」と映る。
しかし、今やEU第一の国ドイツが脱原発を明確にし、イタリアも国民投票で二度と原発を作らなくなった。周辺各国も積極的な原発推進者は減少傾向にある。ヨーロッパ議会にも反原発の議員が増えている。予想外の展開もあり得る。
何と言っても33年前、不可能を可能にした国民であり、放射能汚染無き環境を少しでも広げたい、その可能性を追求する姿勢は多くの示唆を与える。

Under 40! Debat interdit aux plus de quarante ans?2012/07/19 19:55:03

若い頃東北のあちこちをよく旅した。ちょっと寂れた民宿に泊まるのが好きだった。あるいはチョーお洒落なペンションに泊まったりもした。海も山も草原も、町も人も、東北は素敵だ。かつて旅先で言葉を交わしたあの人この人。確かめようもないけれど、どうか無事でいてと、ただただずっとずっと祈っている。昔の勤務先の同僚で、東北支社に赴任したKちゃんの行方も私には知りようがない。取引先の営業マンで実家を完膚なきまでに流されたS君とか、ご存じよっぱさんとか、被災地で地道な闘いを続けている人や、闘えなくて力尽きそうになっている人たちを忘れてはいけない。でしょ?

で、今日のめっけもの。
面白い、これ(笑)。とてもいいセンいっている。

★★★

デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか?
開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信


昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。


原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

――昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼  まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。
しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

――開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼  他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。
農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

――1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼  あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

――日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼  僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。
でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。

――それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼  3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。
批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。
そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

――確かにそうですね……。

開沼  先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

――先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼  原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。
かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

――確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼  もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。
若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

――世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼  僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼  面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある

★★★

「アンダー40歳限定」(笑)そうだよ君たちの時代だ。ほんとうにそうだよ。頼むよ。戦争も原爆も知らない世代の、子どもたち。チェルノブイリの事故が起きてから生まれた子どもたち。君たちだからこそできる議論があるはずで、だからこそひねり出せるアイデアもあるはずだ。

でも、だからって、ジジイもババアも、声を挙げるのを、思考するのを、やめないぞ。
若ぇもんに疎まれるってのは年寄りの宿命でい。
そらなんぼ気張ってもそこはしゃあないけど、ウチらかて伊達に年輪、増やしてへんねんよ。

それにしても、とんでもない課題を次世代に残してしまうんだなとつくづく思う。これに立ち向かえる人間を全然育ててこなかったこの国の、破綻しきってしまった教育が、今になって、本当に心底、恨めしい。

Oh la la... C'est fini ce pays, bonjour !2011/11/14 18:35:15

引用ばかりですまん。
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アーバンプレッパー
Mon.2011.11.14 原発・放射能の死角
福島のテレビが水素爆発の映像を流さなかった驚くべき理由
http://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-67.html

(前略)

福島のメディアは、極悪知事同様、どこまで傲慢なのでしょう。
本当に呆れ果てている。
福島中央テレビのみなさんのウルトラ勘違いは、歴史に残るでしょう。

佐藤雄平を張本人として、世界中の人々を被曝させた片棒を担いでいるというのに、まったく非常識極まりない人間たちです。

もう、この人たちは人間としてダメでしょう。常識的な判断さえできないのですから。

福島中央テレビ報道部長、小林典子は、こう言っています。

「世界を駆け巡ることになった、この映像は、福島の人々の、それまであった平穏な暮らしを一瞬にして変えてしまった瞬間の映像ともなりました。

それだけに私たちは、被災した人たちの気持ちを考えて、この映像の使用を必要最小限にしようと決めました。

しかし、それがかえってインターネット上などでは、なんらかの圧力があって、放送しないのではと憶測を生むなど、映像と情報を伝えるさまざまな側面を考えさせられる、特別な映像ともなりました」。

この報道部長は、いったい何を言っているのでしょう。
これが緊張感の薄いローカルとはいえ、報道に携わる人間の態度とは。
もう、あきれ返ってものが言えなくなります。

しっかり、「映像の使用を最小限にした」と“自白”しているのです。

何日もの間、福島県の人たちには情報がありませんでした。
そうした現状を見て知っているはずなのに、「被災した人たちの気持ちを考えて」と言っています。

被災した人たちすべてが、「福島県には情報がなかった」と言っているのです。
「福島県のメディアが情報を意図的に流さなかった」せいで、福島県の人たちが致命的な被曝をさせられたことは事実なのです。

報道部長の小林典子は、「インターネット上で憶測が飛んでいた」といっています。

これは憶測ではなく、被災者たちからの証言によって、多くのブロガーさんが、あるいは、福島県で被曝してしまったご本人たちが、自らのブログで「福島県は情報統制している」と書いているのです。

福島のメディアが情報をコントロールしていることは100%事実なのです。

3月14日以降、東京キー局の頭のかる~い女子アナたちが、「ネットの情報はデマですから信じないように。政府の情報だけが正しいです」と大声を張り上げて叫んでいたのと同じです。

その「政府の情報」を信じた人たちは、無用な被曝をさせられました。
さらに高濃度放射能汚染された野菜を食べてしまいました。

(後略)

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みんな楽しくHappyがいい♪
2011-11-14(10:47) : 原発問題
レスキュー隊の死亡(11月6日札幌・質疑の部分書き出し)
11月6日 全国学校給食フォーラムin札幌
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1110.html

(前略)
レスキューの人達って、本当に苛酷な訓練を受けて、
人よりも何倍も人のためになんかしたいと思ってなった人達なので、
自分たちが被ばくしていても、それでも行ったんですけれども、
結局、本当に身体の体調が悪くて、
「もうこれ以上はムリ」ってわかって、チームの人達みんな辞職してしまったんですけれども、
その時も上の方からは「非国民」扱いされてやめたんですけれども、
で、7月にその事が分かってから、本当に3カ月ちょっとで何度も吐血して、
最後には腎不全でなくなったんですけれども、
あの・・・瓦礫のね処理とか、そういう事をして下さる方が、安全にっていうのは不可能なんでしょうか。

(中略)

山本太郎:
難しいでしょうね。
ん・・・・・ほんとうにこれだけ・・
ただ発電するだけでも被ばくする人がいるわけじゃないですか。
そのメンテナンスだったり、いろんな処に入らなきゃいけないから。
それだけの犠牲の上に成り立つ、この30%未満の発電っていったい何なんでしょうね。
うーーん・・・・
まだそれを維持するって、一体何なんでしょうね。

(中略)

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書き出していてハッっと思ったので・・・
今、肥田舜太郎先生と岩上安身氏のインタビューを書き出し中ですが
その中で肥田先生がおっしゃっている言葉があります。

肥田舜太郎:
粘膜出血です。
で、これはずっと後になって、病理が少しづつ分かってきてからの話なんですけれども、
あの、血液の中にある血小板というね、
血を、お餅のように固くして止める、小さい血小板という、これが無くなるんですね。
だから、血管の外に血がにじみ出た時に自分で血を止める力が無くなって、
もう、お腹の中から内臓、ずっと血が出てくる。
それで、ワーッ!っと吐く訳ですね。
大量出血です。ええ。
だからね、もうね、それを見ているとね
人間の死んでいく姿だなんて、とても思えないですよ。

(後略)

Si cela vous interesse...(suite)2011/11/12 08:48:27

左側のサイドメニューにリンクを貼っている「ざまあみやがれい」からさまざまなブログを覗くのが震災以後の慣わし(気晴らし)。今後目についたものがあったら抜き書きしようと思います。
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机の上の空 大沼安史の個人新聞
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/11/post-8135.html

2011-11-12

〔みえない雲・警報〕 スイス気象台によると、本日(12日 土曜日)は地上10m(赤色表示)のドーナツ状の気団が午前中、関東東部に広がり、午後から夜にかけて東京方面を襲う。

 → http://www.meteocentrale.ch/en/weather/weather-extra/weather-in-japan/weather-extra-japan-zoom.html

Posted by 大沼安史 at 07:55 午前
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みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1105.html

TPP!TPP!!と騒いでいる間に・・・四電伊方原発「条件が整った」

野田総理のTPPに関する記者会見が一日延びた
その間に四国電力伊方原発の再稼働に向けた動きがあります。

今までに稼働した泊と玄海とは違い、ストレステストを通過した原発です。
ここが動いてしまったら、なし崩し的に全ての原発が稼働されそうです。
大変だー!!

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四電、伊方原発の安全評価提出へ 週明けにも
2011年11月11日(金) 東奥日報
 
四国電力は11日、定期検査で停止中の伊方原発3号機(愛媛県)の再稼働に必要な「安全評価」の1次評価結果を、週明けにも経済産業省原子力安全・保安院に提出することを決めた。
安全評価提出は、10月の関西電力大飯3号機(福井県)に次ぎ2番目となる。
保安院は、電力会社が提出する安全評価に関する初の専門家会合を週明けに公開で開催、実質的な評価作業を始める。
(共同通信社)

四国電も耐性評価可能に=報告書記載ミス、確認完了-保安院
時事ドットコム (2011/11/11-19:08)

原発の緊急安全対策などの報告書に記載ミスが見つかった問題で、経済産業省原子力安全・保安院は11日、四国電力が提出した再点検結果を妥当と判断した。 
保安院は、各電力会社が進めている原発再稼働に向けたストレステスト(耐性評価)について、記載ミスなどの再点検が終わらない限り受理しない方針を示しているが、四国電は条件が整った。
同社は、伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の耐性評価を進めており、近く保安院に提出するとみられる。
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……困ったねえ。