Je ne suis pas contente!2014/06/16 00:03:29

つねづね不思議なことがある。
なぜASAHIネットはさまざまな調査で「顧客満足度第1位」とかなんとか、そうした類いの栄誉に浴しているのだろう?


●年連続○○ランキング第1位! とか、そんな言葉がトップページには踊っているし、ウイキペディアのASAHIネットの項には過去の華々しいランキング歴も記載されている。


なぜ? なぜそんなにみんな満足してるの? ほかのプロバイダと何が違うの?


私はほかのプロバイダは使ったことがないので、何がそんなによいのかじぇんじぇんわかりません。ほかのプロバイダにはできないことを、ASAHIネットはしてくれているのか?


お前は比較検討もしないでプロバイダを決めたのか、とお思いであろうか。
実はそうなのだ(笑)。


ある人が「インターネットって楽しいわよ〜」と、私にキョーレツな勢いで「インターネットライフ」を勧めたのだ。10年くらい(もっとかな)前のことだ。


その人は関東の人だったが、リタイアした夫はそのまま家で年金生活、息子と娘はそれぞれ独立して勤務地に住んでいる。彼女は、初めは京都で勤める娘のアパートにときどき来ていたのが、すっかり京都が好きになり、ほぼ毎週のように通う生活をしばらく続けたあと、住み着くことに決めたのだそうだ。


娘さんが転勤でよそへ引っ越したそのあとに、母親がちゃっかり住み続けているというわけだった。


ひょんなことから知り合ったが、そのときすでに、京都生まれで京都居住歴ほぼ40年の私をはるかに凌駕して、彼女は京都のことをよく知っていた。観光ガイドだってできそうだった。ひたすら歩いて、頭の中にはすっかり京都ウォーキングマップができあがっていて、抜け道案内だってできそうだった。穴場スポットとか、知る人ぞ知る隠れ家的名所、みたいな知識まで豊富だった。


私は舌を巻いた。このひと、なにもん? 本でも書くつもりなのかな。……しかし彼女にはそんな下心はまるでなく、ただただ京都を気に入っただけなのだった。


そして京都を愛してやまないのだった。


知れば知るほどその奥深さの深みにはまって蟻地獄的状態なの、などと言う。京都への愛はつきないのであった。


京都を深く愛してくださるのはよいが、「ご家族みなさんばらばらなんですね」。寂しくないですか、と尋ねた私に「連絡網はバッチリよ!」と得意満面でいう。


家族はそれぞれが遠方で暮らしているので「ヘタすると息子なんかすぐ音沙汰なしになっちゃうでしょ」。家族の絆を安易に断たないために始めたインターネットは彼女たち家族にとって「便利よ〜」 このうえないツールだったのだ。


「なんでもメールで知らせ合うわよ。家族だけがアクセスできる掲示板も持ってるし」。ふーん、そんな使いかたもあるのか。当時すでに仕事でインターネットを利用していたのでどういうものかを知っているつもりだったが、私はインターネットとはあくまで産官学連携の便宜を図るものでありその情報共有を促す目的で存在すると思っていたのが、一般家庭でフル活用されているとは。


彼女宅で契約しているプロバイダがASAHIネットであった。


「インターネットでね、趣味のお友達もできるわよ!」という彼女は、京都探訪記を綴っているとも言っていた。それが公開されているのか、家族間の閉じた場だったかは聞かなかったけど。とりあえずとても楽しそうで、しきりにASAHIネットへの加入を勧めるのであった。理由は、「友達紹介したら3000円」キャンペーン中だったからだ(笑)。「私は3000円もらえるし、あなたは何か月か無料になるわよ」


そろそろ家でもネットにつなぎたい とちょうど思い始めたときだったので、彼女の説明をひととおり聞いて「まあ、これでいいか」と即座に判断したわけである。
ほかのプロバイダ については何の調査も検討もしなかった。


我が家での「インターネットライフ」は突然始まって、思いのほかスムーズに滑り出し、彼女も3000円のショッピングボンドを受け取った。めでたしめでたし。


……というわけにはいかないのである。


私はかれこれ10年もユーザーやってんのに、加入以来何か「お得」なことに与った記憶は何もない。
料金優遇されるとか、ポイントがつくとか(笑。要らんけど)。


何もない。


アサブロでは、ブログはひとつしか持てない。2つめからは新たなユーザー登録が必要で、有料だ。なんだいそれ。
私はアサブロのほかに3つブログを持っているけど、どれも無料で開設できる。
アサブロは「広告などは入りません、すっきり!」なんてのが謳い文句にあるけど、私が利用している他のブログサービスはいずれもアサブロ同様にサイドバーや記事下に勝手に広告が入ったりすることは、いっさいない。でも無料。


画像は何十点も一度にアップロードできるし、写真のタテ・ヨコも自動判断して適切に読み込んでくれる。数秒ごとに自動保存してくれるからつねに最新状態がキープされている。アサブロは 、もっちろん編集中に自動保存なんてしてくれない。保存するたび管理画面に戻される。エディタ機能を使わないと複数の写真をブログ記事に載せることはできないばかりか、画像アップロードは1点ずつしかできないし、そのうえ時間がすごくかかるし、しかも写真のタテ・ヨコを判別できない。
おまけに、エントリー中にいきなりログイン画面に戻る。なんなん、これ。
それまで書いた記事、レイアウトは無に帰するのだ。エディタで書いていてもふつうに書いていても、よくある。
アサブロのアタマがパンクしたってことなんだろうけど、そんなに頻繁に卓袱台ひっくり返されると困るのよ、お母さんは。
他のブログサービスでは同じように大量の画像を扱っても、ながながとつらつらと書いていても、途中で放り出してゼロにするなんて、そんな無礼な振る舞いはない。


写真のタテヨコを判別できないなら、画像を回転させる機能をつけてくれ。
くだらないシール機能とかあまり可愛くもかっこよくもないデザインテンプレートとかうじゃうじゃ要らないから、複数の画像をアップできる機能をもたせてくれ。
管理画面トップにいつも出るインフォメーション、2012年のまま止まってるけど、更新しないならインフォ欄なんて辞めたらどうなんだろう。


それに、あの前世紀の遺物のようなWEBメール、どうにかならないのだろうか。

ほんとうは、初め「いちご栽培&収穫の記録」をながなが綴っていたが、途中でアサブロのエディタはやる気をなくしてログイン画面に切り替わってくれた。ほんま、親切。

みんな、ASAHIネットの何が、満足なのだろう?

Avril2014/04/30 23:37:49


ロートレックが好んで描いたのはジャヌ・アヴリルという名の踊り子だった。
西洋美術史か、あるいは美学概論か、そんな名称の必修科目が美大にはあり、その学年末レポートのために、私はひたすら最愛のロートレックについて調べていた。
彼の人生はとても短かった。短かったけれど、まるで自分の人生の短いことを最初から知っていたように彼は踊り子たちを描きまくって愛しまくって果てた。作品によく登場したのはラ・グリュとジャヌ・アヴリル、そしてイヴェット・ギルベールという歌手。ロートレックのポスターは、よく批評されているように躍動感にあふれている、なんて私は思ったことがない。前世紀のパリのキャバレーの、放蕩者たちの遊び呆ける様子だとか場末の空気だとかダンスフロアのむんむんした熱気だとかが伝わってくる、なんて嘘だろう。だって実際のそれを知らないもの。でも、レポートにはそんな嘘八百をしれっと書いて提出して合格点をもらった気がする。
たしかにロートレックは、モンマルトルに通いながら、そこに集う男女を観察し、幾つものスケッチを描き、臨場感あふれる構図でポスターを仕上げた。対象(モンマルトル、キャバレー、踊り子)を深く愛していたに違いない。しかし、趣味で描いていたのでもなければ本能から描かずにおれなかったというのでもない。彼が創ったのは商業ポスターだ。ロートレックは居合わせた人々の中でも誰よりもシビアに対象を視ていた。そして、時間を故意に切り取り、効果的に貼り合わせた。意表をつく構成が功を奏し、パリジャン、パリジェンヌたちの気を惹くことに成功していたのだ。
在学中は何も知らなかったが、卒業してからフランス語を勉強し始めて、ジャヌ・アヴリルの「アヴリル」という姓が「四月」という意味だと知る。そして、そのことじたいが何の意味もないことも知る。姓が四月だろうと八月だろうと本人の生まれ月を表しているわけがなく、苗字が「○月」さん、という人はやたらいるのであった。留学中、寮で友達になった背の高いアフリカの男の子、出身国は忘れたが皮膚は真っ黒だったのでアフリカの中央のほうだったと思う、彼の姓はジャンヴィエ(=Janvier、一月)といった。え、そうなの、あたし一月生まれよ、と言ってみたが、彼は「俺は違うよ」と言った、まるで、なぜそこに絡むんだよとでも言いたげに。

四月が終わる。

月の半ばに宇治の平等院を訪れた。鳳凰堂が美しく塗り替えられて新装開店!という感じである。新装開店だが何のセールをしているわけでもない。ないのにどえらい人であった。ものすごい数の観光客。参拝者というべきなんだろうが、誰も参拝しているようには見えない(笑)。修学旅行生が黒蟻のように集まっていた。まさに行楽日和の美しい春の一日。こんな日に京都へ来られて、みなさま、お幸せね。

入場人数制限をしている鳳凰堂は別料金。受付で訊くと、1時間半待ちといわれたので、やめる。
以前は煤竹色をしていた鳳凰堂だが、べんがらだろうか、きれいに塗られて上品に紅く染まっていた。屋根の鳳凰も金箔が貼られて、青空に映える。きれいである、ほんとに。
とんでもなく行楽客であふれているのにそれをちっとも感じさせないことに成功している幾つかの写真をお見せしましょう。鳳凰堂ばかりですけど。

真っ赤な霧島ツツジと。

正面から。

枝垂れ葉桜の、枝垂れの隙間から。

ツツジとともに。

青もみじの向こうに鳳凰。

松葉の向こうにも鳳凰。

宇治へは、在職中にお世話になった知人に会いに行ったのである。宇治市関係の定期刊行物に4年余りかかわった。知人は、私の仕事を過剰に高く評価してくれていた。その刊行物はやがて休刊が決まったが、私が最後の挨拶に行ったとき彼女は人目はばからず号泣した。永久に続く刊行物などあり得ない。いずれどこかで線を引くのだが、どんな時もクライアントに泣かれたことはなかったのでその時は非常に戸惑ったが、でも、嬉しくもあった。

退職したことを報告し、互いの近況を語り合った。似たような年格好なので、同じような年代の親を抱える。おのずと介護の話に花が咲いた。不謹慎かもしれないが、互いの親の衰えぶり自慢というか、ウチはそこまで行ってない、ウチではその点はもうダメ、なんて。子育て中の母どうしが子どもの話題を共有できるのと似ている。かなり似ている。

春、宇治市はかきいれどきである。宇治川沿いの桜が満開になり、つづいて琴坂の山吹が坂道の両脇を、真っ黄色(正しくは山吹色だな)に点描する。そして平等院の藤が花房を垂れ、三室戸寺の紫陽花が境内を青く染めあげる。そうして宇治川の鵜飼の声を聞くと、夏だ。

何もかもが目覚め、芽吹く春。生き物の生命の循環と、人の生活習慣の区切りを重ね合わせ、四月を年度の始まりとし、三月に卒業を祝い四月に入学進学を祝う日本の慣習は、私は悪くないと思う。欧州かぶれ人だったので、いっときは長い夏休みを学年の終わりにして涼しい秋に始まったほうがいいのにと本気で思っていたが、10月になっても夏日が続く場所に住んでいるとそんな考えは無意味だと気づくのである。

ここでは、春も短い。
四月は、花冷えのきつい月でもある。
そしていきなり初夏の陽光に見舞われる。
さまざまな花が咲いては散っていく。
四月は千変万化。

ロートレックを虜にしたジャヌ・アヴリルも、ダンスフロアを出れば生活に疲れたひとりの女だった。見事な足さばきで男たちの目を釘付けにした舞姫の姓が四月というのは、やはり偶然ではないように思えてならないのだ。

Ce que je voulais faire2014/04/18 00:29:33

今年何を手に入れたいか、何を実行したいかを、いつかブログに書き出したと記憶している。
そのうちの、「母とミュンヘンに行く」はとうてい実現不可能のようである。彼女の状態はだんだん下降している。特別機をチャーターできる身分ならともかく、搭乗手続きやら出入国管理やら、ウチを出てから目的地へ着くまでのもろもろを頭の中に箇条書きにするまでもなく、無理だ、無理。歩行困難な母には平坦なフロアでもハードルが高く、手首の壊れた私には、母を載せた車椅子と自分の荷物の両方をコントロールするのは耐えられない。そんなわけでこれは脱落。


「魔法のようにしゅるるっと抜けるワインのコルク抜き」。いろいろなお店でいろいろなワインオープナーが売られているが、いったいどれが「魔法のようにしゅるるっと」コルクを抜いてくれるのか、全然わからないのでまだ入手できないでいる。

「ミシンを修理に出す」。出したところで「夢見るお裁縫三昧の日々」には到達できないとわかっているので、今年中に実行できるか甚だ疑問。


「退職」は実現してしまった(笑)。わーいわーい。毎日が日曜日♪
と、思いきや、あれもこれもあれもこれもで「会社辞めたらこれがしたい」と思っていたことがほとんど実現していないことに、ふと、呆然としているわたくし。

勤め先の業務内容の性格上、繁忙のピーク時は寝る間も食う間も休む間もない。私の場合、いくつか抱えていた定期刊行物の制作のピークにくると日付が変わらないと帰れなかったし、ここんとこずっと母をほうっておけないからやむなく仕事を持ち帰って家で明け方までに仕上げるとか、母を寝かしつけてから職場に戻るとか、そんなことが数日続く。でも、3、4年前までは、そんな日々がローテーションで巡ってくる生活でも、一日眠りこけたら疲れがとれた。仕事が閑散とする時期もローテで巡ってくるので、その間にほげーっとすることで、また巡ってくるキツい時期を乗り越えられた。しかし、3年くらい前から疲れがとれなくなり、不眠を引きずるようになり、突然起き上がれなくなるなど普段の生活に支障が出始め、そうした支障はいろいろに工夫して一時的にはやり過ごせても、また無理が生じる。


だから、退職してやりたかったことは、とてもたくさんある。
仕事にかまけて、ほんとうに何もできない日々を過ごした。長く過ごし過ぎた。


●毎朝門掃きしたい。水を打ちたい。
●毎日家の中のどこかを掃除をしたい。2か月や3か月に一度、狂ったように大掃除するのでなく、ふだんからこまめに掃除したい。
●毎日きちんと料理したい。決まった時間に食事をしたい。
●植木の世話をきちんとしたい。放置して凄まじい形になったものとか、雑草に負けてかれたものとか、私の可愛い鉢植えたちはなかなかにソヴァージュである。


●真面目に娘のことを考え、娘の将来を考え、行動したい。
●真面目に母に向き合い、エンドレスな介護について覚悟し、行動したい。


●もっと縫いものをしたい。
●もっと編みものをしたい。
●もっと映画を観たい。
●もっと舞台を観たい。
●もっと美術館やギャラリーヘ行き絵の鑑賞をしたい。

だけどいちばんしたかったことは何かというと、「読みたい本を読みたい」。
「読みたい」と思った本だけ読む生活は、ここ数年してこなかった。ただ、読みたくなかったはずの本が、読んでいくと面白く、結果的に満足していることも多々ある。読みたくなかった本というのは、当然ながらかつての勤務先で、仕事の都合上読まざるを得なかった資料の類いだ。こんなもんふんっとページを繰り始めながら、内容の濃いものだと仕事そっちのけで没頭してしまう。そんな本はたいてい短時間で読んでしまうが、何日も頭の中を占領することがある。すると、読みたいと思って枕元に置いてある本を、思うように読めないのだ。


疲れきっているうえに、アタマの中はほかの本でいっぱい。
ベッドに乗っかったら瞬時に寝てしまう私を、その顔のすぐそばに積まれた本たちはどう思って眺めていたであろうか。


勤めという縛りから解放された私はこれらの欲望をすぐに叶えられると思ったが、今、叶っているのは料理と食事くらいだろうか。

毎日誰かが訪ねてきて、毎日誰かに会いにいく。


何も起こらず空気も動かないような日々などに興味はないが、でもやっぱしもっと本を読みたいよ。
(出演:我が家の鉢植えたち)



Que c'est beau! Tout est beau!2014/04/14 21:04:22

「二条城に行きたい」
「なんで、また」
「スマホがそう言うてる、二条城の桜が見頃やって」

スマホが、言ったのか、そんなことを(笑)。
二条城に限らず、京都ではまだまだ桜がきれいである。染井吉野よりそのほかのさまざまな山桜は開花が少し遅いし。でも二条城はウチから近いからそう言ったのだろう。いや、スマホではなく小百合が。


「初めて来たわ、二条城」
「マジ? 関西人ちゃうやん」
「いや、こんな超ど級観光地は、遠方の人のほうがようきゃはんねんで」
「そやな」
「初めて来たけど、来てよかったわあ」
「そうか」
「素晴しいやん、ここ。さすがは京都や」
「まあな」
「外人ばっかりやな。すごい集客力。インターナショナル〜」
「この人らにとって一生に一度の二条城かなあ」
「リピーターかもしれん」
「ユーロ高やしな」

私も家から近くなければこんなに何度も来ないだろう。
どこがおすすめ?と尋ねられたらたいてい二条城と答える。「二条城ならご一緒しますよ」と言えるからだ。小百合が言うように、京都に住んでいても(住んでいるから、ともいえるが)観光地には疎い。人混みが嫌いだから、オンシーズンはなおさら近づかない。けっきょく春と秋には行かないということになるので、その観光地の最も美しい風景は見たことがないわけである。
その点、二条城はなんといっても近いので、億劫がらずにちょこちょこっと行って帰れる。


小百合は「素晴しい」を連発した。国宝の二の丸御殿のそこここで、本丸御殿の前で、天守址で、庭園で。イタリアンレストランを経営している小百合は、集客ポイントに敏感だ。何が人の注意を惹くのか、何が人を欲求を満足させるのか、幸せな気持ちにさせるのか。いったん自分のテリトリー(店)に足を踏み入れた人は、絶対に笑顔にして帰らせる自信がある。あるが、足を踏み入れてもらわなければ戦うこともできない。どうすれば数多あるレストランの中から自分の店を選んでもらえるか。そんなことばかり考え続けて25年間、店を流行らせてきた。恋人どうしで来てくれたカップル客が結婚し、子ども連れで来てくれるようになり、その子が大人になって友達や彼氏彼女を連れてくる。
「京都の観光名所はほら、修学旅行で来る人多いやろ。修学旅行で来て感激した場所に今度は恋人と来るとか、新婚旅行で来るとかして、ほんで家族旅行で来て、フルムーンで来て、とかしてる人多いで、絶対。それぐらい何回も引き寄せられるもんが、あるな。さすがは京都や」
いやいや、君の店も、さすがやで。小百合はマネージメントにとても秀でている。彼女の姉もそうだ。いくつもの会社や店をやり繰りしていたお父さんの血を、娘二人は正しく引いている。

私はといえば、このように誰かを連れて二条城に来ることがとても多いのだが、ガイドはしない。一緒になってほほぉーと観光する。二条城に入って、歩いて、御殿や庭を見て、話すことは人によって全然違う。用件があってきた人とはその用件の話をするが、そうでなかったら、流れに任せて話題もさまざまだ。何に価値を見出すか、それは人によってまるで違うのが、興味深い。国宝の御殿の中を歩くだけでほぼ通過してしまうが、梅や桜の枝ぶりには見入ったり。ふすま絵には関心を示さず、柱の瑕をいちいち注視する人とか。同じ史跡に身を置いても、これほど人の反応とその時の心持ちと話すことが変わるのかと思うと、当たり前のこととはいえ、面白くも、少し切ない。
何度訪れたとしても、その時点の二条城は、時間と空間をも含めて考えると、唯一無二であるのだ。


Poisson d'avril2014/04/01 22:23:05

音楽を聴くのに飽きてiTunesをラジオに替えて適当に押したらFrance Infoが鳴ったんだけど、ちょうど新首相の任命式典の実況中継をしていた。これ、ほんとの話なのかな。だって今日はPoisson d'avrilだもんね(笑)。で、報道サイトをいくつか見るとどこも一様にマニュエル・ヴァルスの着任を報じているので、どうやらほんとうの話のようだ。1962年生まれ。ふーん。若いねえ。それにちょっとダニエル・オトゥイユに似てる……。うん、似てる似てる♪ しばらくオトゥイユの出演映画を観ていないからかもしれないけど(笑)、うんうん、ヴァルス君、オトゥイユに似てると思う!

けさ、友達に会いに行くために阪急電車に乗ったんだよ。そんなに混んでなくて、座席はぽつ、ぽつ、と空いていて、どっちに座ろうかなとほんの百分の一秒迷ったね。私の前にいた若い女の子がためらわずすたすたすたと進んで車両の真ん中あたり、同じような若い女性とおぼしき茶髪の頭部が見える座席の隣にすっと座った。それにつられて私も前に進みそうになり、茶髪ガールのすぐ斜め後ろに空席を見つけたのだけれど、ふとその空席の隣にはすでに背広の男性が座っていた。う、と思って自分のすぐ脇を見下ろすとそこにも空席があり、その隣を占めていたのも背広の男性だった。私はそれ以上前に進むのをやめて即座にすぐ脇の座席に身を沈めた。茶髪ガールの斜め後ろの背広と、今や私の隣にいる背広との違いは、前者はオヤジで後者は若者であるという違いに他ならない。前者がオヤジであるとなぜわかるのか、座席の背もたれ越しに頭が見えるだけなのに、とおっしゃるのかね。頭で十分だよ、いうまでもないだろ、ハゲなの、ハゲ。きれいなスキンヘッドならさ、これまたちょっと話は違うんだけどね、その背広氏のハゲの直径は7センチくらいで、中途半端にとてもハゲだったさ。私はね、車窓から沿線の桜を眺めたかったのよ。阪急沿線には桜が多くて、通勤していた時代にも、この季節は車中花見が楽しみだった。通路側に座ったら、隣の誰かの横顔越しに窓の外を見ることになるから隣の誰かが誰であるかは重要なのである。そこしか空席がなかったら、私ももう年増やけん、ハゲでもスケベでも座ったが、ここに若い男の子がいるのになんで座らない理由があろうか。したがってハゲは却下。
若い男の子といっても特別にイケメンだったわけではない。座って車窓を見るふりしてその横顔を舐めるように(笑)眺めたが、好みにはほど遠い(ごめんね。あ、前の背広氏もごめんね。ハゲに罪はないのよ)。そして、驚くべきことと言うべきかどうかわからないが、彼(に限らないと思うけど)はほとんど微動だにせず、動かすのはスマホの画面を滑る指だけだった。ほんとにぴくりともせず、右手の指だけが、四角い薄っぺらい機械の上をすっすっと動くだけなのだ。彼は梅田のひとつ手前の十三で降りたが、「次は十三〜」のアナウンスが流れて初めて指の動きを止めて膝に置いていた鞄を持ち上げ、一度座り直し、上着を直し、立ち上がり私の膝の前をすり抜けるように去った。……のだがそれだけが私の見た彼の「人間らしい動作」で、「次は十三〜」があるまで、すっすっ……すっすっ……だけだったのである。これ、なかなかすごいことである。そんなに集中できるのね、スマホ操作に。
帰りの阪急電車の中では、向かい合った4人座席のひとつに座ったが、私以外の3人が全員、行きの電車の彼と同じことを始めた。全員を間断なく観察していたわけではないけれども、すっすっ……すっすっ……3人ともすっすっ……すっすっ……すっすっすっ……おおお、まったくすごい集中力。目がよってるよお嬢さん。ぴくりとも動かずに何かに熱中するそのエネルギー、ほかの何かにつかったほうがいいんじゃないの。

相変わらずラジオはマティニョン宮に到着した新首相のことばかり喋っている。ああ、ダニエル・オトゥイユの映画、観たくなったよ。すごく観たくなったよ。

C'est le printemps.2014/03/31 23:26:56

送別会で春らしい清楚な花をいただいた。
春はほぼ一日おきのペースで菜の花を食べているが、この花束の中にも菜の花がある。ブーケを受け取って、「お。うまそう」などと脳内で叫ぶのは私ぐらいのものであろう。

ついこの前までとても寒かったのに、あちこちで桜はもう満開だ。御苑の桜もほぼ咲きそろって、まるで今日花開くと以前から知っていたかのように観光客の大群が押し寄せている京都。春と秋は美しい季節で大好きだが、ここにもごく普通の日常生活を送っている住民が大勢いるのだよということをまるで意識しないで我が物顔で国定公園でも歩くような横柄な態度で闊歩する観光客。初めて訪れるらしき「ドシロウト」な観光客も勘弁して欲しいが、住民のように振る舞うのが通なのと言わんばかりに「クロウトブリッコ」のリピーターも許せん。このまちに税金を納めているのは私たちだ。このまちの美しさや見どころをアピールしてそのよさを正しくしってもらうためのキャンペーンを展開しているのも市や府であるからして、それは私たちの税金から予算を捻出しているのである。道路標識や観光マップや案内板の設置も、私たちの納めた税金で工事を行っている。京都市は人口はそこそこだが超高齢化で納税者は非常に少ないのだ。観光客招致ばかりにでもないにしても、そこに大きな予算が割かれているのは間違いなく、超少子化対策・超高齢化対策は後手後手に回ってそのスピードに追いつかないからいくら予算を確保しても足りない。街路樹も植え直されて、交通量の多い堀川通やビジネスマンと観光客が混在してごった返す烏丸通はとてもきれいになった。四条通は車線を減らして歩行者エリアを拡張するそうだ。しかし、四条通を通れない車はどこへ行くかというと裏通りの細い道に渋滞の列を連ねるだけなのだ。小さな商店や住宅が混在する裏通りはふつうの生活圏である。そこに常時車が連なるようになるという当たり前の展開を予想していないとしたら、施政者はアホである。京都のまちなかを歩いたかたはご存じだろうが細い道にいっぱいいろいろな色で線が引いてあって(笑)車、自転車、歩行者と分けてあるのだ。道いっぱいに広がってガイドブック片手にきゃんきゃんはしゃぎながら歩く大勢の観光客に、歩行者は道の端に寄って1列に並んで歩けと、お役人さん、言ってくださいよ。そんな道だから、わずかな傾斜でも転倒しそうになるマイ母などは危なくて歩けない。手押し車を押しながらヨロヨロ歩く母のすぐ右側すぐ左側を、かすめるように人が行き交う。ときにキャリーケースを軽くぶつけながら。大きく道にはみ出た看板や、無造作に停めたバイクや車があると、それを避けて大きく道路の真ん中ヘ出て歩く。ひと昔前なら、「じゃまやっちゅーねんクソババア」とドライバーの罵声が飛んだであろう(京都は運転マナーがすこぶる悪い。全国でワーストワンをどこかと競うと思う)。しかしこの超高齢化社会のおかげで、大きなクラクションさえ聞くことがない。ほんとに時代は変わったもんだな。皆、とても優しい。高齢者に優しい。高齢者は上皇あるいは皇太后だ。通行や座席を譲ってくれる現役世代の微笑みの裏側に、微かな諦念が透けて見える。ああもう。俺急いでるけど、もうええわ。はあ。あたし疲れてるけど、もうええわ。上皇や皇太后には勝てない。戦う前から降参しなくてはならない。

どうして仕事辞めるの。
いえ、別に……春ですから。
なるほどね。新しいことを始めるにはふさわしいよな。何するの?
いえ、とくに何も……同じ会社に10年もいたなんて新記録なんですけどね、キリがいいから。
何もしないわけじゃないでしょうに。
母の介護してるんです、もうずっと前から。
あ……。ああ、そうなんだ。そりゃ……たいへんだね。そりゃしょうがない。

上皇や皇太后の介護は何にも勝るのだ。

得意先を回って、キコキコとチャリを転がして、御苑や公園のように広い場所に並んで咲く桜、学校の塀の向こうから枝を覗かせる桜、神社の社のそばで枝を垂らす桜、間口の狭い町家の奥庭から満開の花さきを路地に覗かせる桜の数々を見て、いちいち立ち止まって写真を撮る人たちのだらしない笑顔を見て、多すぎる電柱と電線と交差する裏通りの桜を見て、どうしても美しいと言わざるを得ない風景の断片とすれ違いながら、しょうがないなあお前らあたしが面倒見てやるよ、的な気持ちになるのはいったいなぜなんだろう? このまちから逃げ出したくてしょうがなかった十代の頃と、今のあたしと、40年経ったという以外に何が違うというのだろう? 

たぶんそれは、今、春だからだ。
季節が巡るからだ。
全部投げ出して逃げてもよかったのに逃げずにここにいればまた春が来るということを、10歳から数えて40回経験した。それしかないのだけれど、それは意外とかなり大きいというわけなのだ。このまちで、その時間と季節の巡りを体感し続けている。私を上回ってそれを体感し続けている高齢者を尊ばないわけにはいかないし、断片的にしか訪れない観光客や通ぶってても数回リピートしている程度の旅行者なんぞをもてなす気も媚びる気も起きないのは、至極当然ってわけさ。

先月の、二条城の梅。


先週の、ウチのすみれ。
今週はもうこの倍くらい、花がついているよ。

疲れた。なんだかすごく。ものすごく、疲れた。
しばらく私を冷凍してどっかにほりこんでおいてくれないだろうか、ねえ、誰か。

Santé!2014/02/09 02:56:57

ちょっとさ。
お祝いしたいことがあってさ。
ハーフボトルの安ワイン買ってきて、ひとり乾杯♪
ポータブルプレーヤーで観ているのは『潜水服は蝶の夢を見る』。
ああ、好きだ。マチュー・アマルリック。
20年くらい前に、映画祭で会ってるんだよね。いや、会ったとは言わないな、会場にいたのを見た、だな。全然ちゃうやん(笑)。
アマルリックはまだ若かったけれど、演技派としてすでに定評を得た俳優だった。面食いの私は彼の面立ちにあまり関心が高まらず、「あんまりハンサムじゃないよね」などと不遜なことをつぶやいたら、一緒に取材で来ていたフランス人は「お前な、知らんやろ、めちゃめちゃええ役者なんやぞ、どんな役やっても完璧やし、脚本も書くし監督業にも進出しそうやねん、ホンマの映画人やねんで」ともし関西弁やったらこんなんであろうという勢いでまくしたてたのだった。

あ、そうなの?

その時の映画祭出品作品、つまりアマルリックの出演作は、彼が主演だったわけではなかったが、面白かったと感じた記憶がある。このときからアマルリックの名は私の中にしっかり刻印された。駄作だろうと失敗作だろうとヘタレな役だろうとダニエル・オトゥイユは無条件に好きだが、マチュー・アマルリックのことは「お手並み拝見しようじゃないの」といういささか根拠のない上から目線な気持ちで見守ってきたのだった。といってそんなにたくさんは観ていないけど。でも、観るたび、年を追うごとに、彼は美しくいい男になっていく。去年かおととしに観た『チキンとプラム』なんて映画そのものはマンガチックで好きじゃないけど、マチューは素敵だったわよ、アンタ!!!!

彼のように才能にあふれ、それを発揮する機会をうまくモノにした人は素晴しい。アタクシも、才能はないけど、かくありたい。

Fleurs fleurs fleurs2014/02/03 00:00:29

先月、お誕生日にといただいた小さなブーケ、今日もまだ綺麗なまま。大きな花がぷぅわんんっとふくらんで、どこまで開くのかなと見ているのだが、まあるくぷぅわんとふくらんでからが長い。日持ちのいい花だ。周りのスイートピーも全然、花色を衰えさせずに咲いている。お値打ちだなあ。
ブーケには、京都でも屈指のフローリストの名前があった。洗練されたアレンジメントで一躍有名になった店だが、実は花屋の値打ちは、アレンジよりも、いかに「上質の」花を「安価で」仕入れてくるか、にあるのだ。花も青果と同じで鮮度と品質が命だもんさ。切り花が長持ちしなければせっかくのおっされーな花束もすぐみすぼらしくなるのだから。


ところでこれは我が家のアロエである。
物干しにおいてあるもんだから、毎朝見てるんだけど、アロエってカッコいいね!
メドゥーサの頭のようでもあり、千手観音のようでもあり。
でもさ、気づいてくれた? 真ん中にすっくと立っているの、花だよ。花をつけてんのよ。
祖母の代からあったこのアロエ、花をつけるの、初めてだよ。
いったいアロエちゃんに何が起こったの?(笑)


上の写真は、実はまだ去年のうちに撮ったのよ。
で、今日(日曜日)の朝。
花が開いてますわよアナタ。
なんか、なんかに似てるやん? この細長い筒みたいな花の恰好! なんやったっけえー??? うーん思い出せへんっ
でもでもとにかく、綺麗よ、アロエちゃん!


ひとつひとつの花の、やる気なさげなうなだれポーズあるいは微妙な高さをキープしてみせる心意気、に近づきたく……
ううう(感涙)色っぽいわ美しいわ。素敵よアロエちゃん♪
みなさまもそう思われませんこと?
この花のかたち、なんかに似ているんですけどなんでしたかしらね。


アロエちゃん、なんて書いてたらホームベーカリの焼き上がりブザーが鳴った! ので取り出したんだが、私としたことがちょいと油断して、服の袖口とミトンの隙間にのぞいていた手首に、まだ熱々のパンケースを……

ジュッ

と、あててしまったあああああああああつあつ熱ううううううっっっ

そんなわけ、で噂をしていたばかりのアロエの葉を一本ちぎってきてむいて、火傷の手当をしちょるのであった。
これが効くんだ。
アロエの薬効ってすごいのよ、マジ。
あちちちちっと火傷したら時間をおかずにすぐにアロエエキスを塗る。初動が肝腎! 我が家の場合はダッシュで物干しに駆け上がりアロエの鉢からできるだけ肉厚の若い葉をざりっとむしり取り、表皮を剥いて剥いて剥いて、内側の、ジュレのようなぷるぷるを患部に充てる。ぷるぷるは場合によってはすぐ乾くのでそしたらまた表皮を剥く剥く剥く。そしてまたぷるぷるを患部にあてる。
続けて数回繰り返したら、それで火傷は完治する、わけではなく、というよりそんなんあり得ないが、しかし何もしないで放置するとかまたは胡散臭い市販薬を塗るとかしてると、痕がついたり、治る傷も治らなかったりするってよく聞く。


異国の地で自炊生活をしている我が娘も、火傷なんざあしてねえだろうな……とふと心配になる。アロエ、世界中の道端に生えてたらいいのにな。でも世界中の道端にこれがやたら生えまくってたら怖いな(笑)。

では、おやすみなさい。

Merci!2014/01/22 18:10:53

このあいだお誕生日だったので、お花をもらった。
ちっちゃなブーケ。
真ん中の、濃いピンクの薔薇の下に見える花、これは薔薇じゃないんだって。なんとかいう今だけ手に入る珍しい花だそうで、名前聞いたのに忘れちまったい。


で、誕生日当日から三日経過して娘からバースデーカードが届いた。
可愛い~♪
表彰台に乗ったはる(笑)。かつてオリンピックを目指していた(笑)娘らしいチョイスである。しかもバレエコスチューム(笑)。

カードを開くと。
ほほほ~~力作じゃの~
これ、イラストとコラージュよ。やるなあ、毎度のことながら。
そうそう、猫はこたつで丸くなる(笑)。
今年はこたつ、出してないけどね。

ありがとね♪

外国で、母親の誕生日にカードを手づくりする17歳女子の心境……。
これで、よかったのかな、と何かにつけて思うのだけど、よかったのであろう。すでに次年度に向けた目標も立てていると見え、情報収集に余念がないみたいだし。えらいなあ、我が子ながらまったく。

わたしの17歳、18歳の頃なんて、自分以外のこと考えてなかったもんね(今もか。笑)。受験もあったけど、だから周囲が応援してくれてたはずやけど、そんなこと当たり前と思っててさ、自分がいちばん偉かったもんね(今もやな。汗)。

子どものふり見てわがふり直せ。はははっ


無事にまたひとつ歳を重ねることができました。こんなに重ねても、まだまだ成熟にほど遠く、無礼非礼を繰り返しておりますが、このだらだらブログをいじった形跡があればわたくし心身ともに健康とご承知おきくださいませ。皆様とともに五十年目のこの一年、よく視てよく聴きよく考えてまいりたいと存じます。なにとぞ今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

J'adore du pain!2014/01/16 18:24:16

なななななななななんと!
とうとう我が家にも「オレオレ詐欺」の電話がかかったぞ!

もしもし。
「あ、もしもし」
(むしむし、とも聞こえる。すごい早口)


はい、もしもし。
「もしもし、おれ、ジローやけど」
(? むしむし、れ、じよーやけど、としか聞こえないくらい早口)
え、もしもし?


「ジローやけど」
……。……。
(こいつ)
もしもしー?
(お前誰やねん)


ガチャン!

あれ、切れた。
わーお! これ、あれやん! 「ジロー」は(仮名だが)弟の名前だ。

おばあちゃん、いまの電話、オレオレ詐欺やったー!!!
へえ、ほんまー? とうとうウチにもかかったんかー。あんな、デイサービスに来たはる人でな、しょっちゅうかかるて言うてる人、やはるねん。
(あきらめろよ、「オレ」。笑)


声も口調も違うし、ウチの弟はすでにもっとおっさんやし、名乗りかたも違うので、弟でないことはすぐに知れる。この電話を母がとったとしても、これほど差異があったら母だって息子からとは思わない。だいいち、この「おれ」君のようなカスレ声の早口だと、母はまず聞き取れない。
さらに、弟は市内に住み、ウチにはしょっちゅう顔を出すので、電話をかけてくるとしたら「今から行きますー」くらいしかないので、会話に突入したとしてもこの詐欺は成立しなかったであろう。

しかし私は後悔した。あと数秒早くこの電話がそれだと気づいたら、婆さんの振りして騙されゴッコしてやったのに。

おお、おお、ジローか。元気にしてんのか。ちょっとも顔出さんと。ほんで、どないしたんや。そうか、そうか、そらえらいこっちゃな。なんぼ要るんや、すぐ送るがな。現金送るがな。住所、どこやった? あかんのか。ああそうか、銀行か。どないしたらええのんえ。教えてんか。ほうほう。そうか。ふんふん。わかったで。わかったわかった。安心しい。……

(出演:昨秋購入した2台目のホームベーカリーでつくったパンたち)