いっそ変な子になれたら ― 2007/06/08 23:51:20
木村泰子 絵と文
至光社(1977年)
繁華街にあった丸善という大きな書店では、毎年国際絵本フェア(というようなタイトルの)イベントをやっていた。そこでは外国の作家の原画の展示もあったろうか、もしかしたら他のイベントと頭の中でごちゃ混ぜになっているかもしれないが、何しろ漫画で育ち、絵描きになりたいなどと考えていた少女だったので、その手の展覧会には毎日出かけても飽きないくらいだった(毎日は行かなかったが)。
中高生時代はアルバイトをしなかった。書物は親が買ってくれた。わずかなおこづかいを何か月分かためて、ちょっと親にはねだりにくい服や小物を買ったりした。そんなことは数えるほどしかなかったが、それで十分だった。
ある年、クラスメートと例の丸善の国際絵本フェア(というようなタイトルのイベント)に出かけた。外国の薄っぺらい幼児向け絵本を見たかった。日本の作家にはない大胆な、あるいは細密な画風の絵本が、ハードカバーではないので輸入品でも安く買えると知っていた。あわよくば、買おうと思っていた。
「ねえ、これ、かわいいよ」
クラスメートが指し示した『へんなこが きた』。
私たちは丁寧にページをめくり、ページの隅々まで絵を見て、文を読んで、また絵を見て、笑った。最後のオチは見事だった。
「サイコーだね」
そこが丸善のイベント会場でなかったら、私たちは二人で仰向けになり、お腹を抱えて笑ったに違いない。
今、読み返しても、たしかに愉快で楽しい本だが、なぜあのときそうまで笑うほど可笑しかったのか、もうひとつピンと来ない。ツボにハマった、今の表現ならそういう状態か。ま、あるいはそういう年頃だった、そう思うことにしよう。
同じ作家のシリーズがたくさん展示されていた。『ぼくじゃない』『たべちゃうぞ』『だいじなものが ない』……。不思議な世界の不思議な動物たちがめぐり遇う、ごく日常的な、心温まる出来事。特別なお話でもなんでもないが、その描かれる世界の様子が大変に特別なこと(たぶん人類絶滅後の地球)が、ストーリーとの絶妙なバランスを保ってみせる。それが可笑しみを増す。
すっかり魅せられて、私はそこにあった木村泰子さんの絵本を全部買いたいと思った。しかし当然ながら予算オーバーだ。欲しいと思ってたカチューシャが買えないじゃん。長い時間考えて考えて、『へんなこが きた』と『ぼくじゃない』の2冊だけを選んだ。輸入本も買いたいし、これは日本の本だからまたいつか買える、と自分に言い聞かせ。
なぜそうまで魅せられたか。ポイントは二つある。
ひとつは、いうまでもなく、絵本の完成度が高いからだ。
もうひとつは、その絵もお話も、難しそうには見えなかったからだ。この二つめのポイントは私の人生に大きな影響を、実は与えてしまった。私は木村さんの絵本の数々を見て、「私にもできる」と思い込んだ。私は、木村さんのような絵本作家に自分も「なれる」と根拠もなしに確信した。なんと『へんなこが きた』は、私にとって目指すべき職業への(方向音痴な)道しるべになったのだった。あさはかな思春期。罪深き木村泰子さんの絵本……。
通ったデッサン教室や美大には変な奴がいっぱいいた。
美大を卒業し、ピザ屋や弁当屋や居酒屋や、ケーキ屋や看板屋や印刷屋やコピー屋になったのがわんさかいる中で、「絵を描いて」食べている奴は少ないながらも、いる。しかしやっぱしそいつらは変な奴、それぞれがまるで違うタイプの変な奴らだった。私など、まともで画一的で他と区別できないくらい普通だった。
変な子でなかったために、幸か不幸か、こうしてブログで木村さんの絵本について書いている。
あれから私は、木村さんの絵本を買い足していない。普通の書店ではお目にかかれなくて、そのまま諦めてしまっていた。木村さんは今でも描いておられるのか。ふと思いついて検索してみた。おお、『たべちゃうぞ』は入手できるようだ。買っちゃおかな?
あのときのときめきと、根拠がなくとも何やら自信めいたものが湧いて目の前に光が射したような気持ちを、私は一度も忘れたことはない。
コメント
_ ヴァッキーノ ― 2007/06/09 06:55:14
_ コマンタ ― 2007/06/09 14:42:55
これを読み返していたら、
本屋に行く時間がなくなってしまいました。
本人にしかわからない挫折のせいで、
原初のまっすぐなものが
そのままでは到達していないにしても、
まがったところを幾度も反射して弱まりながらも
いまに届いているのはやはり蝶子さんのもつ
まっすぐなものだと、
まわりの者からはそう見えます……宮益坂。
_ midi ― 2007/06/09 16:46:45
今日、建替え(建具を夏物〈葦戸など〉に替えること)をしたらどっと疲れて、なんせウチの冬建具にエライ重いのがあるもんで、それで、へろへろとマイブログみたらこんなに温かいコメントもらっちゃって、なんだか工事現場からお花畑にワープしたような気分ですわん。
しかし永谷園はお茶漬けで存じてますが、宮益坂は……どちら?
_ おさか ― 2007/06/10 08:29:52
私の実家でも、同じことはやってますが、「そういうのをなんていうの?」と聞いても「さあ?」って感じで・・・。
嬉しい、これでひとつ賢くなったわ♪実家で、京都の人に教えてもろたでー!と自慢しよ。お疲れ様どした。
「へんなこ」かあ。
長女がわりかしいいセンいってましたが、最近フツーになってきちゃったかも。喜んでいいのやら悲しんでいいのやら(笑
_ コマンタ ― 2007/06/10 10:28:38
(シャツ、でてますよ!)
のは、気まぐれなんかじゃなかった
と、ふきのとうが歌う道玄坂というのが
渋谷にあります。
その道玄坂を駅のほうへくだって、
ハチ公を右に見ながら、
山手線のガードをくぐったところが宮益坂下。
つまりその先が宮益坂なのでした。
そこをのぼっていくと青山学院があります。
坂下の映画館で東映映画を見たのは
16歳のころでしたか。
なんというタイトルだったろう。
谷隼人が「ちゃちいぜ」っていうんです。
_ midi ― 2007/06/11 06:33:30
うん、建替えといいますね。家の新築または代金一時立て替え、みたいだけどね、建具替えの略みたいですね。ほかの「たてかえ」とはちょっとイントネーションが違う。
絵本に出てくる「へんなこ」は、主人公たちと「種」が違うので最初は変に見えるけど、仲良しになるというお話です。
コマンタさん
渋谷や道玄坂はメジャーな地名ですが、あまり知られていない地名も、まだあるんですね。当然といえば当然か。荷風が『断腸亭』のなかで地名の失われていくのを嘆いてました、そういえば。坂にも名前がついてるなんて、素敵。
_ mukamuka72002 ― 2007/06/11 11:58:02
今ならそれこそ変な矮小な考え方する人たちに、何か云われそうですね。
ちびくろさんぼ、も消えたし、王子と乞食もだめだし、
「ジャングルクロベェ」も封印されたし、
中身なのにねぇ。
「へんなこが きた」がそんな不愉快なめにあってないといいですね
こどもの頃、「普通にしなさい」としょっちゅう云われていたmukaでした
_ midi ― 2007/06/11 13:55:29
>「へんなこが きた」がそんな不愉快なめに
……あってるかもしれないなー。もう、入手不可能なようだし。
ジャングルクロベーも封印ですか! ウラウラタムタムウラ! 大好きだったのにな……。ひどい。
えらいですね、mukaさんのお母さん、学校に「普通じゃないのがウチの子の個性なんですのよ!」なんていわなかったんだ。
_ mukamuka72002 ― 2007/06/11 23:42:56
_ midi ― 2007/06/12 03:21:47
今子どもの「個性」を振りかざす、というか、自分の躾の怠慢あるいはネグレクトの結果としての子どもの現状を「個性」といってはばからない親ばかりで大変な学校現場もあると聞くよ。
かわいそうなのは、子どもです。
人のふり見て我がふり直せ、ですけどね。自戒自戒。
_ ろくこ ― 2007/06/13 00:10:42
私は気粋な子と近所のおばあちゃんから言われていました
きまま?そういうことみたい
ちょうこさんは生き方がすっきりしている
考え方も
頭がいいからかしら?
私はごちゃごちゃしていてそれでいて
きままなので収拾がつかなくなりつつあります
_ midi ― 2007/06/13 09:54:31
私の祖母はよく「あの子はきさんじな子や」といいました。
気散じ、と書くらしい。お気楽な人のことをいうみたい。
私のことをそういったかどうかは、記憶にないけど。
_ ろくこ ― 2007/06/14 00:10:17
きずいなっていうみたい
きずい=きままみたいな感じ
私は友達の家に遊びに行って本人が居なくても
その家でひとしきり遊んで帰ってきたみたいなんですね
そういうところがきずいみたい
全く覚えていないのですが
_ midi ― 2007/06/14 09:46:39
「イキな」という意味とは関係なさそうですね(笑)。
ちょーこさんだったんですね。
ちょーこさんの少女の夢、
今もそれなりに叶ってるじゃないですか。
好きなことって、
「とことん」よりも
「それなり」くらいで丁度いい
かもしれませんえん永谷園。