時代は少しも変わらないと思う。2007/12/30 16:22:15

『十二月八日』
太宰治 著
筑摩書房〈ちくま日本文学全集「太宰治」1991年刊所収〉


過日、パキスタンの元首相ベナジール・ブット女史が暗殺された。それを伝えるフランスのラジオ放送(RFI)がしきりに「カミカーズ」という言葉を用いている。「カミカーズ」はアルファベットで「kamikaze」、語源は日本の「神風」である。よく知られたことだけれど。

昭和16年12月8日は、日本海軍が太平洋のハワイ島に停泊していた米国の戦艦を攻撃した、俗にいう「真珠湾攻撃」の日である。太宰のこの短編は、ひとりの主婦のこの日の日記である。

《昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。》
《私の主人は、小説を書いて生活しているのです。なまけてばかりいるので収入も心細く、その日暮しの有様です。》

太宰(らしき作家)の妻(=美知子)の視点、一人称で書かれている。太宰の作品はとても私小説的であったり限りなくエッセイみたいであったりするのだが、本書巻末のあとがきを書いた長部日出雄によればそれらはすべて紛れもないフィクションであるらしい。だから『十二月八日』も、妻に取材をして妻の見解を綴ったものでもなんでもなく、近所のラジオから聴こえる開戦の報、朝の支度に追われながら赤子に乳をやる妻、隣家と交わす他愛ない会話を材料にして仕立てた「ある家庭の一日を描いた小説」なのである。

《(……)帝国陸海軍は今八日未明西太平洋おいて米英軍と戦闘状態に入れり。」(……)それをじっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。(……)日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。》

暖冬が恒例となった現在では想像もつかないが、12月8日はとても寒いようである。

《いいお天気。けれども寒さは、とてもきびしく感ぜられる。昨夜、軒端に干しておいたおむつも凍り、庭には霜が降りている。山茶花が凛と咲いている。静かだ。太平洋でいま戦争がはじまっているのに、と不思議な気がした。》

いつもと同じ一日が始まって、いつもと同じように朝餉昼餉の用意をし、子の世話を、夫の世話をする。それでも、洋上で攻撃を仕掛けた帝国軍のニュースに身を震わせる。隣の夫人にこれから大変になりますわねと声をかけると、《つい先日から隣組長になられたので、その事かとお思いになったらしく、「いいえ、何も出来ませんのでねえ。」と恥ずかしそうにおっしゃったから、私はちょっと具合がわるかった。》

あることを念頭に話しているのに相手は違うことを考えている、だけど会話はきれいに成り立ってしまって、相手と自分の関係を損なわないが、「私はちょっと具合がわる」い、なんてことはいつだってどこにだってよくあることである。

12月8日、のちに軍神といわれる9人の特攻隊員が米戦艦に突っ込んで果てた。坂口安吾は彼らへの畏怖を『真珠』という一編にこう書いている。

《十二月八日以来の三ヶ月のあいだ、日本で最も話題になり、人々の知りたがっていたことの一つは、あなた方のことであった。
 あなた方は九人であった。あなた方は命令を受けたのではなかった。》

私はどちらかというと太宰よりも安吾が好きで、とはいえどちらも同程度にしか読んでいないけれども、そこそこ大人になってから読み返したときも、安吾の文章が鈍器でぐりぐりとお腹を押される感じがするのに対して太宰の文章は「ただそこにある」という感じがして、やっぱり安吾が好きだなと思ったものだった。この感じ、これらの作家をよく読んでらっしゃる方にもわかってもらえる感覚ではないかと思う。昔、ある場所に安吾評を書いたことがあって、彼の文章を「鈍い鉱物的な重い光沢を放つ」などと表現した覚えがあるのだが、今、さらに歳を重ねた大人になって、もう一度安吾を読み返しても、それはやはり変わらない。
ところが、安吾の鉱物的な重い光沢に対し、太宰の、「そこらにある乾いた石ころ」のような文章が、文字どおりそこらにあるだけのようにしか感じられなかったのに、今は、だからなおさらなのだろうか、とても、心地いいのだ。どうだ、そうだろ?と問いかけ考えさせる安吾に対し、じゃ、そういうことだから、と読み手を置き去りにしていってしまう太宰。

「半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。」で始まる安吾の『堕落論』は、今も色褪せずに読み手を引き込む魅力をたたえている。しかし、太宰は、『堕落論』の二か月後に『苦悩の年鑑』と題した一文を、こう書き始めるのだ。

《時代は少しも変らないと思う。一種のあほらしい感じである。》

第二次大戦を境に多くのことが激変したと語り継がれている。だが、いちばん変わったのは人間自身の「ものを見る目」であった。誰もが戦前と戦後をまるで何かの特効薬の使用前使用後のように語るのを、太宰は「ばーか」とつぶやいてやり過ごしていたのだろう。
現代社会も激動している、たしかに。私たちは、よくまあこんなにいろんなことがあるよなあと呆れるほど事件事故の多い時代を生きている。もういちいち、出来事に振り回されてはいられないよという気分に、とっくになっている。
同列に考えてはいけないと思いつつ、「あーあほらし」とつい感じる私たちの気分は、「当時の」太宰に近い、たぶん。だから、彼を今読むのは心地いいのだろう。

『十二月八日』では、「私」の背中には一歳に満たない園子という名の赤ん坊がいる。隣家にも五歳くらいの小さな女児がいる。子らは無邪気で、屈託ない。ああ、この子たちなんだな、のちに私たちの母親世代となるのは、と、私は前エントリで取り上げた岩村さんの著作を思った。

コメント

_ 儚い預言者 ― 2007/12/30 23:14:22

 感性とは何だろうか。時代は移るが変わらない。断崖の突端で風を感じて、追い越されることの、追いつくことの、いやそうでなく、ただ心に、体に、夢に流れる潮流との間であろうか。
 何も言わなくても分かること、何を言っても誤解でしかないこと。風は知らん顔して私を通り過ぎる。いのちという祈りは、時代の中を一種漂泊しているのかもしれない。それは真なることの夢のように。

_ midi ― 2007/12/31 09:31:06

おはようございます。2007年がいよいよ暮れていきますね。
>何も言わなくても分かること、何を言っても誤解でしかないこと。
思えば日々はその連続です。
今日私を過ぎた風は明日は誰を過ぎていくのか。風さん、風さん、少し立ち止まってくれれば目の前の人とわかりあえるかもしれないのに。しかしやはり過ぎてしまうからこそ、世は人は面白いのでしょう。

_ きのめ ― 2007/12/31 11:14:55

歴史の自由研究をしている息子2に
「おとうさん、1959年生まれでしょ。
第二次世界大戦終わって、14年あとに生まれているんだね。
だから、少しぐらいは戦争のこと知ってるよね」

「あのさ、1953年に停戦した朝鮮戦争ですら知らないのに」とむっとして言いかけて、ふと思った。

1964年、ベトナムでトンキン湾事件が発生してサイゴンが陥落したのは1975年。
1990年、イラクのクェート侵攻から始まる湾岸戦争が始まってから
すでに17年が経ってしまっている。

生まれる前だから知らないのではなく、
わたしは、結局なにも知ろうとはしていないだけだったんだ。
それでもわたしを過ぎた風は、わたしが知らなかったということさえも、明日の誰かにささやき続けるのだろう。

_ midi ― 2007/12/31 19:50:07

我が家も最近年号がトークに出てくるようになって、歴史の苦手な私は慌てていますが、どうも第二次大戦やその後のプロセスの教え方が引っかかるんですよね、小学生の授業で大した話はしていないはずだけど、やはり教師の歴史観が入るんだろうなあ。
これから勉強しましょう、ね、きのめさん。

_ ぎんなん ― 2008/01/04 22:55:21

インターネットがWWWという形で普及し始め、「なんだかよくわからないけど魔法のようなもの」みたいな扱いをされていた時には、私は「ばーか」と呟いていたような気がします。
ネットの向こうに確実に人間がいる以上、インターネットは「社会」の一形態でしかない。詐欺師も犯罪者も変質者も、いないわけがないじゃん。何騒いでんだ。ばーか。

結局のところ、人間はそう簡単に変わらない。人間が変わるのなら、私たちは昔の文学にまるっきり共感できないはずで、実際は文化と言葉の壁さえ越えれば源氏物語にも十分共感できる訳で。
多分、形態が違うだけ。本質は変わらない。でも変わっているんだと思ってしまう。自分も変わらなくちゃいけないと追い立てられる。
本当に、時代は激動しているんでしょうか。
激動してると思い込んでいるだけなのかもしれませんねぇ。

_ コマンタ ― 2008/01/05 00:52:15

サカナを陸にあげてしまえば死んでしまうように、人間も社会から隔離してしまえば死んでしまう、といいます。人間が変わらない、としたらそんなところに理由があるのでは? とさっき思いました。彼は変わりました。彼女も、いぜんはあんなんじゃなかった。でも人間は変わらない。……てめえら人間じゃねえや! それはイミがちがいますよ、萬屋錦之介さん。

_ midi ― 2008/01/06 17:04:57

ぎんなんさん
ある新しいものが登場すると、それがとくに人間の動作を楽にするような機械だと、一気に「それ」礼賛へ傾きますね、人間って。本質的なもの、変わらないものを置き去りにして「それ」を称揚した挙句、肝腎要の身体を破損し続けているような気がします。車の登場で歩かなくなってメタボ。エアコンの登場で人間はアレルギー、地球は温暖化。テレビは人を痴呆化し、ゲームは人の視力を奪い、PCはエコノミー症候群を産み……そしてそれら機械の屑は途上国に不法投棄され、貧しい人々の小銭稼ぎの餌食になっています。
仕事で源氏物語を読まざるを得なくって、しゃあねえなあ、と読んでおりますが、またかよ、おい、ヒカルぅカオルぅ、とぼやきながらもつい読みふけってしまう自分に苦笑しています。
私たちは変わらないもの、変えてはならないものをもっと真剣に見つめなければいけないのでしょうね。

コマンタさん
>てめえら人間じゃねえや!
「破れ傘」(でしたっけ?)ですか? そのあとに「たたっ斬ってやる!」と続く、あれですね。

私も、歳をとって変わったと自覚しています。
ただ本質は変わっていない。なぜ、変わらないのだろう。それはけっこう謎です。イチローも変わらなきゃって言ってましたが、それは意味が違いますね。

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