さよならのこちら側2008/03/25 20:50:35


春は別れと出会いの季節ですね。
私たちにも、いくつか別れがございました。

先日、娘は小学校を卒業いたしました。
まったく、本当に、あっというまの六年間でした。
保育園には一歳の春から五年間預けたんですけれども、その五年間は本当に長い五年間でした。
しかし、その五年間よりも、娘が生まれてから保育園に入園するまでの一年と二か月はもっともっと長かった。
目の前の対象がめまぐるしく変化を遂げゆくのに自分の精神が追いついていかないとき、時間は長く感じるんです。
同じような感覚を、社会人一、二年生の時にもったおぼえがあります。
あの頃、シゴトもカイシャも初めてづくしで、苦楽はフィフティ・フィフティ、稼いだ給料はすべて遊興につぎ込んで(バブってましたから)、たぶんあんなに仕事に打ち込んだ時期もないけれど、あれほど遊んだ時期もありません。眼前に立ち現れるものすべてを記憶の襞に刷り込みけっして忘れるものかともがいていた、そんな精神状態が時間を長く感じさせたのです。
子育ても、同様に、それにたずさわる者を夢中にさせます。単に夢中になるだけだったら、むしろ時間は短く感じますが、対象である子どもの様子を、親は眼で、耳で、皮膚ですべて記憶しておこうと必死になるものです、知らず知らず。だって、今日のこの子は、明日はもういない。明日は明日の、この子であって、今日のこの子よりうんと成長しているのです。そう思うと、一秒一秒がいとおしくなり、一秒一秒を手離したくなくなり、一秒一秒を脳に、心に染みつけようと、無意識に精神が働くのです。
だからとても時間を長く、感じるんですね。

成長(変化)がゆるやかになるにつれ、過ぎゆく時間が早く感じる。
入学式の翌日、自分の身幅よりも大きいランドセルをしょい、玄関で待ってくれている六年生のりなちゃんを前に、いよいよ登校するんだという不安に駆られて大泣きした朝。
集団下校週間が終わって、ひとりで帰宅し、出迎え「お帰り」といった私の顔を見たとたん大泣きした午後。
それはほんのこの前のことのように思えるのに、あれから六年も経ったのです。
頬と鼻を真っ赤にして大口を開けて泣く顔は今も変わらないのに、あれから身長は40センチも伸びているのです。

私はといえば、娘が小学校にいる間に二度も職場を変えたというのに、もはや社会人一年生のときのような新しいものごとに向かう気概や仕事への期待感などはなく、変化を変化とも思わず淡々と押し寄せる事どもを捌き、払いのけ、先送りし、丸めて捨ててきた六年間でした。
たぶん、私の時間は、この六年間と同じように、波瀾なく、その日その日を凌ぐためだけに過ぎてゆくのでしょう。
24歳だったのはついこの前だというのに、いまはアンタ4●歳ですからねえ。

卒業式の日、二、三の女子児童が涙に暮れていましたが、ほぼ全員がとても晴れやかな満面の笑顔で小学校生活の締めくくりをいたしました。
精神的にタフな担任の先生に恵まれて、娘たちのクラスは幸せだったといえるでしょう。いろいろなことがあったので、実際にダウンしてしまった教員も一人二人でなかった状況で、失敗もやらかしたけど最後まで子どもたちの面倒を見てくれた先生に、親としても感謝の気持ちでいっぱいです。私自身は、小学校生活最後の担任の先生にいい思い出がまるでないので、娘は幸運でした。先生のことを忘れずにいような、さなぎ。

この六年間で、娘に濃密に関わってくれた先生、つまり担任だったり副担任だったりした先生は、その担当を終えると異動、というケースがほとんどでした。低学年時の担任はさなぎが三年に進級するときに結婚・懐妊で休職、のち退職、中学年の担任・副担任ともさなぎが五年に進級するときに異動、慕っていた校長先生は市教委へ異動、友達みたいに思っていた養護の先生も異動。
だから、五、六年の担任をしてくれたこの先生も、新年度は異動されるんじゃないか、そんな予感がします。また、陸上の指導にあたってくれた派遣講師の体育の先生も、毎朝のランニングにつきあってくれた副教頭先生も。
馴染みの先生が異動されてしまうと、母校を訪ねても、寂しいね、きっと。

卒業式では泣かなかったさなぎですが、この月末の離任式ではきっとまた、大泣きします。初めての登校で泣いた朝と同じ顔をして、泣きます。
泣いてこい、泣いてこい。
今日の涙は、明日はもうけっして流れない。だから存分に、泣くがいい。

私にとって、おそらくこれまでの子育て時間の中で最も早く過ぎゆく三年間+三年間がやってきます。
その時間、おそらく娘にとっては、喜怒哀楽極彩色の、長い長い、おそらく初めてそうと感じるほどの長さの時間となることでしょう。