続・さよならのこちら側2008/03/26 23:33:38

卒業式に胸につけた生花のコサージュ。有志ママたちの手づくりなのよ。


予感が的中して、娘の担任をしてくださった先生は異動されることになった。今日、その通知と離任式の案内が届いた。あいにく娘はファームステイに隣県へお泊まり。明日帰ってくるけれど、もう卒業した学校の人事とはいえ、担任のほかにも馴染みの先生方が多数よそへ行ってしまうことに、寂しさを覚えずにはいられないだろう。泣くだろうな。泣け泣け。

卒業生は「見送られる」側だから、どちらかというと、「見送る」側の在校生や先生方のほうが、「さよならのこちら側」にいるように、絵的には見てしまうけれど、じつは「こちら側」は卒業生だよな、と今回もそう思った。
今回「も」というのは、自分がどこかから卒業するときには、見送られるのは私じゃなくてむしろ私が先生たちを見送ってるよな、という感覚をもったからだ。

私たちにとって先生は唯一無二の存在だけど、先生方にとってひとりひとりの生徒は山のようにいる教え子たちの何十分、何百分の一に過ぎない。先生方にとって、総体として教え子たちは重く大切でかけがえのないものだろうけれど、ひとりひとりはどうなんだろう、と考えるとき、「見送る寂しさ」をもつのはむしろ先生ではなく生徒のほうだよな、と思えるのである。

学校を背にして歩みゆく私たち。でも、私たちの記憶から遠ざかっていくのは先生方のほう。在校生たちのほう。卒業したらめったなことでは足を向けない母校。卒業したとたんに、引っ越した後にもう次の住人が住み着いてしまっている元我が家・現他人の家、のように見える母校。その姿はだんだん遠ざかりフェードアウトしていく。それをなす術もなく見送るのは、「さよならのこちら側」にいる私たち。

先生、お疲れさまでした。
行政の気まぐれと、他校との軋轢と、保護者からの苦情に翻弄された二年間でしたね。
真面目に向き合ってくださったり、気にすんなと笑い飛ばしてくださったり、一緒に悔し涙を流してくださったり、緩急の効いた子どもたちへの接しかたは、ときどき息切れして見えたけど(笑)好感が持てました。とりあえず私の場合。
離任式で、ウチの子が泣いて言っても、笑って言っても、しっかり受けとめてやってくださいね。
「さよなら!」