オサムのメグミ(3)2008/03/31 17:11:55

娘の発表会にR子さんからいただいた花束。

オサムにメグんでもらったもうひとつのことは、いうまでもなく小林秀雄を再読しようという気にさせられたことである。
中原中也から小林秀雄に行き着いた思春期の私は、当然ながら小林秀雄の書くものをなんら理解はできなかった。だけど、彼の書きっぷりに惹かれたのはたしかである。
http://midi.asablo.jp/blog/2008/02/28/2671306

小林秀雄は何につけてもずばっすぱっしゅたっと言い切るので読んでいて爽快感がある。しかしながらその内容について読んだほうは理解できるかというとなかなかそうはいかない。それは読み手の力量もあるかもしれないが、どちらかというと小林秀雄自身が、明快に言い切っているように見せながら、じつはどっちつかずなまま結論を出さず読者を煙(けむ)に捲くということに長けているせいである。読み手は爽快だけれども理解できない。つまりそれは小林秀雄に「してやられて」いるわけである。小林秀雄はけっして読者をイテコマソウとは思っていなくて、小林秀雄はただ自分の思いかた、感じかたにしたがって、そのときはそうだと思ったことを「そうだ」という断定の形で書いているだけで、書いているうちに「なんだか違うような気がする」と思ったら、「違うかもしれない」と書くだけである。そうした彼の姿勢が、そんな彼の文章をたまたま読んだ読み手のそのときの気持ちにフィットする。

橋本治の『小林秀雄の恵み』には、そこのところが実に丁寧に書いてあるので、「全然わからないから小林秀雄を投げ出した」というキズを過去に持つ私は救われたのである。

●オサムのメグミ その2 『当麻』小林秀雄著(『無常という事』角川文庫所収)

小林秀雄がこの文章を書いた頃、世の中では能の鑑賞が流行っていたらしい。
『当麻』は昭和17年に書かれている。『当麻』だけでなく、『無常という事』所収の全編がこの時期、つまり真珠湾攻撃の翌年の、戦争のさなかに書かれている(戦争のさなかだが、人々は能を鑑賞していたのである。なかなか立派である)。しかし、『無常という事』が出版されるのは戦後なのだ。
橋本治は、戦中に書かれたこれらいくつかの小林秀雄の文章が、戦後日本人の心中を襲った虚脱感、敗北感に、あまりにすっぽりとはまってしまったことに触れている。

《戦争中、日本人は生きることに必死だった。厭戦と好戦と反戦とを問わず、米軍機の空襲にさらされる日本人は、ただ「生と死」を考えるぎりぎりの緊張感の中にいて、戦争報道に一喜一憂していた。(……)平和が訪れて、それが実感されるにつれて、日本人は、「あれはなんだったんだ?」と、戦争中の自分を振り返る。『無常といふ事』の一文は、実にこの敗戦後の日本人の心性とよく重なるのである。》(『小林秀雄の恵み』228ページ)

《僕は、ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。》(『無常という事』/『無常という事』61ページ)

小林秀雄は戦争に関わる文章をいくつか残しているが、橋本治の言を借りればそれは「のらりくらり」と「知らん顔して」好戦でも反戦でもない態度で「投げ出し方をし」ている。戦争協力の集会で講演しながら、《進んで協力して、嘘もつかず、しかしその実、一向に協力なんかしていないのである。(……)聞く人にとっては、「この困難な戦いを勝ち抜こう!」という戦争遂行へ向けての前向きな言葉ともなるからである。なんて食えないオヤジなんだと、私は小林秀雄のイケシャーシャーぶりに感嘆してしまうのである。》(『小林秀雄の恵み』206ページ)

そんなんだから、『無常という事』の「ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ」なんていう感傷的な一文は、まさしく個人的に感傷に浸っているだけであって、在りし日のニッポンや我が愛する郷土を思い出しての一文ではない。小林秀雄は、能狂言『当麻』を観て天地がひっくり返るほどの衝撃を受け、感動した。感動のあまり、それまでの自分はなんだったのかという、虚脱感に襲われた。それを引きずったまま、『無常という事』を書いているのである。

   美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

有名な小林秀雄の言葉である。この一文がでてくるのは『当麻』の後半で、私はこの『当麻』が所収された文庫本『無常という事』を持っているにもかかわらず、この一文が有名であることは知っていたがその出どころを知らなかった。知らなかったが、ここでいう「花」がいわゆる植物の花ではなくて、「あの人には華があるね」などと役者さんらの垢抜けぶりを評していうときに使う「はな」のことだと思っていた。橋本治が『小林秀雄の恵み』のなかで、自身の花(これは植物の花)に関する考え方から、小林秀雄のこの言葉における「花」の意味、世阿弥の『花伝書』の内容に至るまで、懇切丁寧に解説してくれているところを読めば、私がこの言葉について思っていたことはドンピシャではなかったが、そう外してもいなかったんじゃないかなと思われる。
橋本治は、『当麻』において最も重要な箇所は「美しい『花』が……」の一文ではなく、最初の段落の末尾にあるとしている。
《してみると、自分は信じているのかな、世阿弥という人物を、世阿弥という詩魂を。突然浮かんだこの考えは、僕を驚かした。》(『当麻』/『無常という事』56ページ)
そして、こう述べている。
《これを言う小林秀雄は、「当麻」を見る直前まで、世阿弥の言うことも、能のことも、どうでもいいと思っていたのである。重要なのは、この転回ではないのか――。(……)〈美しい「花」がある〉云々は、初めて能を見たシロートの感想――衝撃を受けた一言でしかなくて、そうそう意味のあるものだとも思えないのである。》(『小林秀雄の恵み』198ページ)

小林秀雄という人間を知る手がかりとしては、「美しい花云々」はおそらく意味がないだろう。だが、ではなぜ、この『当麻』という小文の中からこの:

   美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

一文が、当時の――戦後の虚脱の中にいる――日本人たちに抽出され、ひとり歩きして記憶にとどめられるようになったのか。
この一文を記した小林秀雄の真意や感動の度合いは、橋本治言うとおり、たぶん読み手には伝わっていない。なんだか知らないけどこんなふうにシュパッとかっちょよく言い切ってくれている、その潔さみたいなものが、敗戦のショックと混乱ともやもやの中にいた日本人に、爽快に感じられたのである。
重要なのはこのことである。
小林秀雄はキャッチコピーづくりの名人だったのである。

小林秀雄は自身をさして「売文業者」といったという。文芸批評家として新聞に連載コラムを持っていた彼は誇張でもなんでもなく自分の仕事をそう表現したのだが、これを耳にした編集者だか同業者は、ずいぶんと謙遜したことを、とか、そんなに卑下しなくても、とか感じたそうだ。
しかし、まさに小林秀雄は「売文業者」であった。発見や驚愕、感動や哀悼を、万人の胸に、しかし万人のそれぞれの感じ方ですっと浸透していくようなしかたで、響くような文章で書き表したのである。読み手がどう解釈しようと構わない、その一文に惹かれてくれればいい。
それはまさにコピーライターの仕事である。
私たちコピーライターは、くだらないことをさもよさげに、つまらないものをさぞかし面白そうに書くのが商売だが、かる~いおちゃらけなことを書いているように見えても、それには結構労力が要るのだよ。よさげに書くのはいいが、嘘や誇張はいけない。否定はもちろんしないけど、全面肯定もよろしくない。裏付けのあるものを書くにはどこをどう突っ込まれても証拠を出せるだけの下調べが必要なのである。
小林秀雄には知識教養というすでに調査済みの蓄積事項がたくさんあったので、私のように400字の広告書くのに四苦八苦しなくてもよかったはずだが、結果として、成果物として生産するもの(文章)の価値の問われかたは、同じだ。
心に残るか、残らないか。

『当麻』は能狂言の公演広告コピーに使える、と私は今読んで思う。懐古趣味でなく。

   美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。

華のある文章を書きたいものである。私も売文業者のはしくれとして。


あ、ところで、「したがき」も読んでくださいね。来てくれたのおさかさんだけなんです、いまのとこ。
http://midi.asablo.jp/blog/cat/zzzzbrouillon/