夏がゆく2008/08/25 19:49:15

『夏の終わりに』
サラ・デッセン著 おびかゆうこ訳
徳間書店 (2000年)


 新聞もポータルサイトもテレビも「夏休みも残すところあと1週間」「いよいよ夏休み終盤、宿題追い込み」とかなんとかゆっている。ふん。去年も書いたがわたしたちの町の子どもたちはかわいそうに夏休みがまるで短いんだよっ。地域の小学校は金曜日から始まってるよ。娘の中学は今日から「前期の後半」が始まったよ。ゆっとくが夏休みが「早く始まった」わけじゃないんだよ。数年前は大きな夏祭りが7月中旬にあるのでそれに合わせて夏休み開始を早めたりもしていたが、そうやって40日間を確保していたら授業時間足りないんだってよ。そんなわけで今30日間しかない夏休み。公立小・中はみな同じ。
しかも娘の中学は、1週間後には「期末テスト週間」に突入だって、そんなのあり? ウチの子はね、遊んで暮らしていたキリギリスじゃないぞ。早朝は小学生の練習に伴走し、午前・午後は中学の部活、学校で開かれる夏期講座、夏休みの課題でデイケアセンターのボランティア、夜は発表会を控えたバレエの練習。その隙間を縫って宿題。昨日までに終わるわけないって(笑)。宿題のほかにテスト勉強しておくなんて、「不可能」だとか「無理」だとかじゃなくてウチの場合「ありえねー」だから「どんまい!」(by さなぎ)

会社に仏語がらみの仕事が飛び込んで、「誰かチェッカーできる人探してくれ」と上司に言われて心当たりにメールしたけど、誰もいねえよっ(笑)今頃みんなヴァカンスなんですよ、あの人たちはたとえ日本がメイン居住地で日本の職場で生計を立てていても、ヴァカンスはフランス流に取るんだよね。9月中下旬にしか帰ってこないんだよね。それを許してる日本社会ってなんなんだよ、と思わない? 日本の人口の半分くらいがフランス人にならないかなあ。そしたら感化されてフランス流のヴァカンスの取り方するように、ならないかなあ。

本書の舞台はアメリカ。アメリカの児童文学やティーンズ向け小説は次々紹介され翻訳出版花ざかりだが、うーん、なんだかなあ、という本が多いのでなかなか手を伸ばす気になれない。子ども向けだけでなく、大人が書くものも、フィクション、ノンフィクションを問わず、なんだかなあ、である。そりが合わないのだな、あたしとは、きっと。
でもこの本は、表紙の絵がキュートだったので、なんと発売当時に衝動買いしてしまったのである。

15歳のヘイヴンは実に憂鬱な夏を過ごしている。スポーツキャスターのパパはお天気お姉さんと不倫の果てに再婚するし、5歳上の姉アシュリーも結婚を控え、その準備で家族は振り回される。おまけに身長は伸び続け……。面白くない、面白くない! イライラを募らせ塞ぎ込むヘイヴン。ある日、ヘイヴンの前に突然、アシュリーの昔の恋人サムナーが現れる。サムナーとの会話に、ヘイヴンの心は徐々にやわらかく変化していく。

思春期の、やり場のないいらつきや言葉にならないもやもや、素直になれずについ口にする言わなくてもいい一言……などを上手に描いた作品が、私は好きである。
私も、なんだかあの頃は不完全燃焼だったよなあ、と思う。もちろん、爆発して燃焼してしまってたらどんなことになってたか、一歩手前で分別取り戻して(あるいは思い切りがなくて)踏みとどまるから思春期なんだけど、それにしても、と思うから、爆発してしまったり、転がってしまったり、そんな友達に巻き込まれたり、という物語が好きである。

本書は、とっぴな物語でもなんでもないけれど、ちょっと身体的なコンプレックスをもつ15歳の少女のイライラもやもやムカムカどきどきがよく表れている。主人公ヘイヴンの描き方には好感がもてる。
夏休み、長いもんね(笑)そんな鬱陶しい状態が2、3か月続いたらやーだよね。

けれども、主人公と姉、主人公と母、近所のおばさん、出て行ったパパ、再婚相手のお天気姉ちゃん、バイト先の店長、客、サムナー……といった関係性の描き方が、足元をすくわれるような印象を持ったり、えっそうなるの?とあまりに意外だったり、なんだか腑に落ちない箇所に頻繁に遭った気がしたのである。

それはたぶんとても「アメリカ的」な箇所なのであろう。私は日頃から嫌米を標榜してるけれど、実は普通の米国人の普通の生活を何も知らない。私のアメリカ経験は高1のときにクラスに来た留学生と仲良くなったことと、20代の初めにロスやニューヨークに住む日本人の友達を訪ねて旅行した1週間がすべてだ。アメリカ合衆国は日本で最も頻繁に報道され紹介される国だけれど、普通の人々の暮らしの中に入ったことがないから、アメリカ発の出版物を読んでもピンとこないことが多すぎるのである。

本書も例外でないのだ。アシュリーがヒステリーを起こすところ、お天気姉ちゃんの妙な明るさ、近所のおばさんの関わり方。

本書はサラ・デッセンのデビュー作だが、もしかするとこの「こなれなさ」はそこに原因があるのかもしれない。岩瀬成子さんのデビュー作(『朝はだんだん見えてくる』理論社)も磨ききれていなかったでこぼこやざらつきが文章に残っていて、それが作品の魅力なのだが、違和感なく受けとめられたのは、舞台が日本で昭和のある時代のある町だということが、私の場合大きいのだろう。かたや本書は、当時大学生だったデッセンが書いた、たぶんでこぼこやざらつきの残る文章を、訳者のおびかさんがきれいに、かつ、やはりそのざらつき感はいい意味で残るようにと苦心して訳した結果なのであろう。
それが私にはどうにも消化しづらいのだった。

とはいえ本書は40代のオバサンをターゲットに出版されたものではないのであるから私の感想はどうでもいいのである。
十代の多感な少女たちが読んで、ヘイヴンに共感してくれたら嬉しい。
売れ行きはいかほどか知らないが、デッセンの第2作、第3作もおびか訳で出版されている。出たばかりの『愛のうたをききたくて』(徳間書店/2008年7月)は高校を卒業した少女のこれまた「長い夏」を描いたもの。続けて出るんだから、日本のヤングアダルトたちにはウケているのかな?

急に朝晩涼しくなって慌てて肌布団出したり、いきなり雷雨が来て夏祭りの設営片づけたりで、ゆく夏を偲ぶ、なんて情緒はかけらもない。今年もノーエアコンで過ごした我が家では、盆明けから扇風機が回っていない。涼しいからだ。家中、開けられるところはすべて開けていたが、徐々に閉めるところが出てきた。夜はすっかり空気が冷たくなって、きちんと閉めて寝ないと寒い。なのに銀行とか定食屋とか、あちこちでけっこう冷房を入れてくれる。冷房完備が自慢の中学校はどうだろう。今日、娘は寒くなかっただろうか。心配だ。早く帰ろう。

コメント

_ ヴァッキーノ ― 2008/08/26 08:56:34

子供がテスト勉強してると、
ボクはつい癖で、「ヤマ」をはってしまいます。
で、テストにそのはった「ヤマ」が出るとうれしくなるんです。
あと、選択問題だと、問題を見ないで消去法だけで、どうにか答えが出ないかとかに夢中になります。
それは、子供には内緒のボクだけの密かな楽しみです。

_ midi ― 2008/08/26 10:22:51

中学生になって内容が難しくなったよねー
今までたいていのことは教えてやれたけど、最近はもう、
「お母さん、これどういう意味?」
「……うー(汗)ーーーん、○○○かなあ」
「絶対?」
「……たぶん……と思う……かもしれない……だろう」
「どやねん」

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