76 days2010/12/01 02:43:46

夕方、携帯が鳴った。
「お母さん、今日、数学のテスト返ってきた」
「ふうん」
「何点やと思う?」
そんなことを訊ねるくらいだからきっと思いのほかよかったに違いない。
「うーん、100点」
「んなわけないやろ」
「そやな、いくらなんでも。ほな72点」
「あんなあ。もうちょい、良う考えてよ」
「そっか(笑)98点」
「行き過ぎ」
「89点」
「下がり過ぎ」
「ええっ(驚愕)下がり過ぎっ? 89点で?」
「ふっふっふ」
「94点」
「上がり過ぎっ」
「んもう。わからん。つーか1点ずつゆーてったら当たるやん。降参」
「91点」
「うっそ」
「ほんまほんま。すっごいやろー史上初の90点台」
「80点台かてなかったやん」
「そんなことないでえー1回あったで」
「記憶にないなあ」
「とにかく今回はよっしゃあ、やねん」
「ほんまやなあ。よかったなあ。できたって手応え、あったん?」
「まあな」
「ま、あとからやったらなんとでも言えるわな」
「ほんまやって。よっしゃできたでえ、って思たし、もしこれで70点台やったら終わりやと思てててん」
何が終わるのかは知らないが(笑)いつも平均点の前後をうろちょろしていたさなぎにとって、初めての、数学における会心の出来の巻、であった。
志望校は数学の出来重視なので、今回の成果は大きいのである。非常に大きいのである。ところが。
「理科は最悪」
「なに」
「もう、ひどい出来やと思てたけど、ほんまに史上最悪」
「数学よくても理科でこけてたらプラマイゼロやん」
「そやねん……」
「範囲は何やったん」
「天体」
「毎晩夜空を見上げてたくせに」
「眺めてただけやし。それに、星、はっきり見えへんもん」
「街の空は天体の勉強にはならんな、たしかに」
「あああ、まずいー理科はマズいいいい」
昨年度の入試から理科も入試科目に加わったという志望校。余計なことを。だが、さなぎは理科はなんとか中の上を維持していたのであまり心配はしていなかったんだけど……何より本人がけっこう好きな科目だし。

だがまあ、結果はなるようにしかならないんだし、全力尽くすっきゃないなあ。

んなわけで、しのごのごにょごにょぶうたれていたが、けっきょく、高校受験することになったわが娘である。しかも志望校は結構な難関である。なぜそこに決めたかというと、周囲の大人がよってたかって彼女にその高校への進学を勧めたからである。
とにかく家からいちばん近いし(母親、つまり私)
目標は高いほうがいい。ガッツでベストを尽くせば結果はついてくるはずだし(学級担任、つまり嶋先生)
著名なダンサーとして活躍中の息子もその高校へ行ったし(その「息子」の母親、つまりバレエの先生)
OBも全面的にバックアップするし(その高校の卒業生たち、つまり近所のおっちゃんたち)
などという本人の意思とはまったく関係のない理由の蓄積が大きな力となって彼女に第一志望欄にその高校の名を書かせてしまったのであった。
で、ある日、その高校の過去問集を購入。
「絶対無理……」(さなぎ)
難しい。
たしかに難しい。しかし、努力だけはしてみようじゃないの。中学に入ってこれまで、本気で勉強したことがあったか? 走ってばっかで、踊ってばっかで、真面目に何もしてこなかったではないのさ。最後の3か月あまりくらい、死ぬ気で勉強してみろ。
と、言ったのがひと月前。
さなぎは、ひとつ答えを出した。数学。
しわ寄せもきてしまった。理科。
さあ、ヤツは頑張り通すことができるのか?
高校入試まで、あと、76日。

5 years2010/12/02 22:18:09

もう昨日のことになってしまったけれど、12月1日はウチのねこさまの誕生日である。
5歳におなりになった。
光陰矢の如し。
月日は百代の過客にしてなんとやら。
年明けて2月には父の七回忌をとりおこなうので、そりゃ5年経つのも至極当然なのである。
めっきり少なくなったが、我が家にはネズミさんたちが棲みついており、調子に乗って居間やダイドコまで出てくること頻繁であった。天井裏を駆け回るくらいはご愛嬌だが、籠に盛った果物や、三角コーナーに捨てたままになっていた生ゴミを食べ散らかされるのは困る。いつぞやは娘がつくったハロウィンかぼちゃが無惨な姿で発見された。「ネズミがいたずらしてるとこ見てみたいなー」なんて、いわむらかずおの「14ひきシリーズ」の世界を思い描いて余裕のあるところを見せていた娘も、ぼろぼろになったミニかぼちゃを見てさすがに青ざめた。
「ネズミ、許さへん」(わなわな)
私は笑いをこらえるのに苦労したが、この出来事は猫を飼う大きなきっかけの一つであった。
もう一つは、やはり喪失感である。欠乏感である。父が2月に亡くなって悲しみに浸る間もなく、葬儀や七夜であっという間に月日が過ぎ、父の不在に慣れたようでいながら、ふと狭い家の中にできた空隙の思わぬ大きさに唖然とする。それでも、毎日捌ききれないほどの私用公用雑事茶飯事を抱えてばたばたしている私や娘はそもそもなにがしかの思いにふける時間がなかった。が、母はやはりぼうっとしていることが極端に多くなった。ぼうっとして何もせず座っているだけの父を見てはしょっちゅう話しかけたりおやつを差し出したりちょっとした手遊びをしてみたりと何かと構っていたが、相手がいなくなり今度は自分がぼうっとするばかりになった。無趣味な人なので時間つぶしの方法を知らない。ぼうっとしているからといって四六時中そばで話しかけてやるわけにはいかない。母がどれだけ空虚感を自覚していたかは知らないが、このままではこの人は遠からずぼけてしまうであろう。その危機感から私はそれ以前にもまして彼女に家事を頼むようにした。世話を焼く相手がひとりいなくなったので、おのずと孫がターゲットになり、以前にもましてさなぎにかまうようになったのだが、さなぎはさなぎで日々成長する小学生女子だったので、だんだんとばあちゃんの干渉を鬱陶しがるようになっていた。
「さなぎのことはいいから、自分の部屋とかダイドコの掃除とかさ、乾いたタオルきれいに畳んで仕舞うとかしてくれへん?」
実は母は料理も掃除も得意ではない。衣類等を畳んで引き出しなどに片付けるのも不得手である。彼女が畳んだものは私に言わせれば丸めて突っ込んだに等しい。寝室はいろいろなものが山積みになって、とても当人以外にはものを探し出せない(それは、ま、アタシも同じだが)。なのにさなぎには宿題はあるのか、宿題しなさい、宿題すんだのか、時間割したのか、忘れ物ないか点検しなさい、と彼女が家にいる間に各10回くらい言うのである。
要は、自分のことは棚に上げて人の世話を焼きたい、構いたいタイプなのである。
父は、母がかまって何もかもするので、自分の服や下着、靴下がどこにしまわれているのか何も知らなかった。
度が過ぎた世話焼きは迷惑である。
「ばあちゃん、今日一日はさなぎに宿題したか、って言わないこと。ゆうたらおやつのおまんじゅうはなし」
とかそんなことで釣って、あなたの世話焼きは人をダメにするのよということを伝えようと何度も試みたが、現在に至るまでまったく矯正はされていない(笑)
ともあれ、世話を焼く対象がさなぎひとりでは危険だと考えたことが、猫を飼うことのさらに大きなきっかけとなった。
母は動物嫌いである。
しかも猫だけはこの世に存在することが許せないというほど嫌っていた。さなぎが赤子の頃、よく公園に連れていってくれたが、公園の野良猫がどうしたこうしたと、帰宅した私に憎々しげに語ったものだ。ほっといたらええやん。手出ししいひんかったら何もしいひんやろ、猫なんか。しかし母は、視界に入ってくるだけで悪寒を感じるらしい。一方、犬に対しては、自分が嫁にきた頃から近隣に飼っている家庭が多かったせいもあってか、まったく抵抗感がない。だから犬を飼うという発想をしないでもなかったが、犬は散歩に連れて出なければならない。犬好きの父がまだ健在だった時から、我が家では、犬は飼いたいと思えども散歩の担い手がいなかった。誰もが三日坊主に終わると確信していたのである。
そんなわけで、ほとんどムリヤリ猫に決定した。
猫を飼おう!
わーいわーい。
ええええっ。嫌や嫌や絶対嫌や。
ある日、地域紙の三行広告「あげます」欄に「猫もらってください。アメショーMIX6匹います」という告知を見つけた。これだ。
速攻で電話する。あからさまに嫌な顔をする母に、これ、もらいに行くからねと宣言。土曜の朝だった。広告主によれば、すでにもう何人かから引き合いがあるとのこと。「今日の午後、いきますから」と念を押して当時まだ持っていた軽を駆り、午前中の用事を済ますやいなや広告主の住む団地へすっ飛んでいった。
子猫はもう2匹になっていた。
「雄と雌、一匹ずつです」
籠に入った小さな猫は、互いに寄り添いくっつき合って、にゃーにゃー啼いている。少し毛の色が違う。私も娘も直感で、よりブラウンがかった毛色の雌を選んだ。雄よりおとなしそうに見えた。あとから思えば雄のほうがアメリカンショートヘアっぽい毛並みをしていたのだったが、猫の種類などにはとんと興味も知識もなかったので、この子が好き♪と感じたほうにしたのだった。
持参した籠に入れてもらって、まず、いったん帰った。
「おばあちゃん、おばあちゃん、見て見てーねこちゃんー」
あまりに嬉しそうな孫娘の様子に、見てやらんわけにはイカンと思ってかどうか知らないが、籠から出した猫をまじまじと見た母。
「ひゃあ、可愛らしいなあ!」(※「かえらしい」、と読みます)
さなぎが子猫をばあちゃんの膝に乗せる。ちっちゃいわあ。よう来たなあ。
よっしゃクリアしたぞ。瞬時に確信し、さ、ペットショップ行くぞと娘と養女(笑)を連れてトイレとトイレ砂と当面の餌を買いに行った。5年前の2月4日。

「この子、生まれてどのくらいなんですか?」
「いやあ、それが正確には……11月の終わりか12月の初めかなあ。いつの間にか生まれてたし、ちょっと僕も記憶がはっきりしなくて」

わからないものをいくら考え巡らしても結論は出ない。
したがって、12月1日という、ウチのねこさまの誕生日は、実は私たちが当人(当猫?)の意思も希望も事実も脇へ置いて決めた記念日であった。

ねこさまはすくすくとお育ちになり、膀胱炎になったりもしたが、ここ2年ほどはその症状もすっかり影をひそめて、すっかり健康で元気である。猫嫌いだった母は、いまでは愛猫なしでは一日も生きていけないくらい、麗しのねこさまと一心同体化している。5歳といえばいったいいくつなんだろう。けっこうエエ歳のはずである。相変わらず猫に赤ちゃん言葉を使う私たちだが、あんまり悪さをして、叱ってもいうこときかずにいたずらを繰り返す時など私はつい、
「こらっオバハン! ええかげんにせーよっ」
などという(笑)。
「にゃー!」
あんたにオバハンていわれとないわっ。とゆっているように聞こえる(笑)。
今年の誕生日プレゼントは和柄の首輪。ちりめん風プリント地でつくったカラーに梅の花をかたどった鈴がついている。
「品が良うて、よろしおす。よう似合うたはりますえ」
などといってみる(笑)。
「にゃにゃんにゃー」(へえ、おおきに。うれしおす)
というふうに聞こえて喜ぶのは飼い主ばかりである。

ハッピーバースデー。
Bon anniversaire!
5歳の誕生日おめでとう、りーちゃん。

1 night2010/12/03 20:30:22

明日は何の日かというと、娘が初めて「模擬試験」というものを受ける日である。
今までアンタ何しとったんじゃーーーーって感じだが、これも、アンタいきなり本番じゃきついよと口を酸っぱくして言い聞かせてやっと受ける気にさせたのである。
私の検定嫌いが遺伝して、娘はおよそそういうものに全然関心がない。周囲が小学生の頃から英検数検漢検と年に何度も受けていても、また中学入試に挑んだ子はそれこそ毎月のように塾の模試を受けていたけど、さなぎいわくあの人たちは変人、以上。てなもんであった。私もべつにそれでいいと思っていたので放置していたが、中学に入ると1年生のときから高校入試大学受験を視野に入れてくださいよお母さんとばかりに、やたらと進学説明会が開かれた。そんなに進学指導に熱心な中学校なら模擬試験だってあるだろうにと思って一度尋ねたが、さなぎいわくそんなんないで。ふうん、あっそう。しかし3年になったばかりのあるときヤツはつい口を滑らしたのだ。「しのぶとかかなえとか1年のときから模擬試験やたら受けたはる。そやし大会も記録会も来られへんねん。あほやろー」
ふーん。なんで君は受けないのだ? いつか母ちゃんは君に聞いただろ? 学校で模擬試験の案内もらってないかって。君はそんなものは存在しないかのような返事をしたな?
しまったという表情のわが娘。あほはお前じゃ。
しのぶもかなえも超難関を目指しているので学校から申し込む模試のほかに塾主催の模試も欠かさず受験している。二人とも陸上部では短距離の主力だったが、中2の後半からは競技会と重なると模試を優先するようになっていた。
……なんて母ちゃんは聞いてへんでっ
アンタも次の模試は必ず申し込みなさいっ
と言ったのが夏。
で、やっと、明日とあさって、主催者が別のものを連日受験することになった。
夏以降、何のかんのと理由をつけて(忘れてた、締め切りすぎた、発表会と重なるエトセトラ)スルーしてきたが、秋の懇談で嶋先生に脅された。
「今のさなぎが確実に行ける高校いうたら、カナル高かバード高やな」
カナ高もバー高も歴史ある伝統校だが近年は人気が下降してあまりいい生徒が集まらなくなっていて、結果的に学校全体の質の低下を招いている。
さなぎはさすがに青ざめた。行きたい(わけではないが行くとしたらほかにないので志望校にしていた)のはリバーサイド高かノースキャピタル高。
嶋先生「今から本気出したら、絶対大丈夫」
ので、模試を受ける気になったのである。
というわけで、初の模試受験前夜が今夜である(笑)。
朝ごはん、何にしようかな~~♪

Rainy day2010/12/22 02:16:19

ひどい近視なのでコンタクトを愛用していたが、そのコンタクトをはめていると手元を見るのに支障が出るようになった。あれはいつからだったろう。もう2年くらいになるだろうか。いきなり、文庫本の活字がぼやけてくる。校正中の原稿が二重になる。ほんとうに、ある日突然始まったといっていいほどそれは突然やってくる。老眼。やあねえ。コンタクトを外すと、私の視力は手元に関していえば矯正され、何の苦もなく小さな活字の本も雑誌も読めるのである。視界を邪魔するのは、老眼と前後して発症した飛蚊症のちっちゃい蚊だけである。そんなわけで、パソコンのせいかどうか知らないがドライアイの兆候もあるし、日々疲れ目もひどいし、春はアレルギーで目の中も瞼もぼろぼろになるのが常だし、コンタクトレンズじたいも古くなってきているとあって、私はしばらくコンタクトレンズの使用を止めてみることにした。野球選手でもゴルフ選手でもないからフィールドの向こうの白球を見つめる機会はない。自分の両手の下にある原稿や書物の字さえ追えれば私の生活は成立する。かくしてコンタクトレンズなしの生活をしてみるとたいへん快適、眼も楽で、ごろごろしなくて、手元はよく見えて、ベリーグーである。しかし当然ながら、遠くが見えない。当たり前である。家の中、職場の中はいいが、一歩外へ出ると、道行く人々はまるで印象派を気取る下手な絵の中の風景の一部を成すかのようにとけ込んで、識別できない。すれ違う瞬間まで顔がわからないし、表情の変化も感じ取れないので、知り合いが、遠くから私を認めて笑みをたたえながら近づいてきてくれても、私はその人に視線を投げたとしてもまったく気づかず知らんぷりをして通過したりするのである。失礼である。昼間、取引先のビルへしょっちゅう行くが、取引先で私が懇意にしているのは何十人といらっしゃるオフィスの中のほんの2、3人。長くおつきあいさせていただいている方々だが、判別できない。受付で呼び出して待ち、やがて担当者が来てくれても咄嗟にわからないのである。また、幾人も社員さんが行き来する。懇意にしてはいなくてもお顔を知っている人はどっさりいる。だから見かけたら会釈すべしなのだが、これが判別できないのだ。昼間でそうだから夜はいったいどうなるのか。私は、はっきりゆーが、夜は水中を泳いでいるようなもんで、街灯も車のヘッドライトも下手な水彩画の失敗したにじみ効果を連続して見せつけられる中を走るみたいである。そう、私は自転車通勤である。自転車は軽車両である。だからこんなひどい近眼を裸眼のままでさらして操縦するなどもってのほかなのである。それでなくても連日深夜帰りである。街の賑わいは静まり、営業していた店も灯りを消す。中途半端に街灯と車の光だけが闇夜に広がり、その中から突然現れる無灯火の自転車や歩行者とすんでのところで衝突しそうになる。危険である。おまけに雨が降っていると、(我が街では傘さしてチャリンコ乗るのは常識だからして)傘で視界が若干遮られたりもするのである。危険である。今夜はどしゃ降りだった。台風だろうと暴風雨だろうと傘さしてチャリンコを駆る私だが、このごろはこういうとき、自転車通勤を諦め、歩くことにしている。ぼやけた風景の中、歩行者にも自転車にもバイクにも出会わずぶつからずに済む保障はない。傘をさし、歩きながらいろいろなことを考えた。越えなければいけない山の、なんと多いことだろうか。どれもこれも小さい山だがごろごろ岩場の続く歩きづらい山ばかりだ。でも越えなくちゃ。あれを越えて、これ越えて、その次にはこれこれをひょいひょいと越えて……と思考遊びをやってたら家に着いた。

cut cut cut cutting2010/12/23 22:45:08

スライサーで野菜をスライスしていて指まで削った。いたっ、と思って野菜から手を遠ざけ削れた中指の先から血が湧き出てくるまで0.8秒。なぜ0.8秒といえるのかというと、確証は何もないのだが、1秒よりは短いような気がするし、少なくとも「痛っ」と思わなければ野菜から手を遠ざけるという行動には出ないし、私は時間の感覚は甚だいい加減だが、何となく0.5秒以上1秒未満という気がしたので0.8秒と書いてみたのであったが、べつに0.7秒でもよいのである。ところで、なぜ痛みを感じたら即座に野菜から手を離さなければならないかというと、あっという間にその場所が血の海(小さい海だが)になるからであり、私の指は、というか脳は経験的にそのことを知っているので、私は今回「痛っ」に続いて「さっ」とスライサーから手を遠ざけ、中指の先から伝う血液が流しにぽたぽた落ちる前にティッシュを取ってとりあえず傷の付近にあてがうというところまで連続行動がとれたわけである。それは、もうご想像いただけると思うが、スライサーで指を削るという事故が初めてではないからに他ならない。覚えろよ。学習しろよ。スライサーで野菜をスライスしていたらそりゃそのうち小さくなるだろ、野菜が。それを掴んでいる手の指と刃の距離はだんだん縮んでくるだろ。子どもでもわかる理屈だ。と呆れる老若男女の声が耳に痛いさ。わかっているさ。初めて削った時はもう、そりゃもう、痛かったのなんのって。削りぐあいはさほどでもなかったんだが、つまり傷は浅かったんだが、そんな目に遭うことじたいが初めてだったから、それに思いのほか出血したから、もう、うろたえたのなんのって。ぜんぜん血が止まらないのよね。スライサーで野菜をスライスしている時って、たいてい調理中やん。下ごしらえの次の段階が待ってんのに、指先からはどんどん血が流れて止まらなくてバンドエイドもガーゼも包帯も次から次に真っ赤になっていく。あかんわ、どうしよ、それにものすご疼くし、ふえーん、とその日一日を棒に振ったような記憶がある。2回めは、1回めの事故からずいぶんと歳月が経っていた。1回めの事故がかなりショックで、私はスライサーの使用にたいへん慎重になっていた。使わずにすませようとしたし、使わざるを得ないときも、そんなにゆっくり削ってたらスライサー使う意味ないやんと自分で突っ込みたくなるくらい、するっ……するっ……てなリズムで使ったりしていた。そんな日々も昔、災いは忘れた頃にやってくる、ということで去年のいつだったか、久々に私はサラダ用のオニオンと一緒に指先の皮膚もスライスしてしまった。いいいいいいったあああああああ!と、大声で叫んでみせたが、傷そのものは深くなく、ええと、ええと、とちょっぴり手間取ったりもしたけど、初めての時よりはテキパキと自分の指の手当をした。しかし、そない大声出さんでも、と漫才のいとしこいしのいとし師匠に諌められそうなほど叫んだのにはわけがあって、やっぱものすごく痛かったからに他ならない。怪我をした瞬間や、その日一日だけ痛いわけではない。その後もしばらくのあいだ、傷みは和らがないまま続く。しつこくしつこく、ズキズキズキズキと、痛みは強いまま尾を引いた。野菜を押さえる左手の指を包丁で誤って傷つけるのとは違って、スライサーでの負傷は利き手である。私の場合、右手だ。右手の指先が痛みで使えないなんて、いわば、お前今日から当分生活すんなと宣告されたようなもんである。右手が使えないことはそれほど不便きわまりないことなのである。おまけに娘は私の指のことはまるで心配せず、ええっ今日のサラダって人肉入りなん?マジぃ?そんなん嫌やで食べへんでぇ、と来た。親不孝もんめ。人肉なんか入ってへんよ。ほな、その切ってしもた肉片はどこなん? さあ……。ほら、そやろ?スライスしたんやから受け皿にたまねぎと一緒に入ってしもてるやん、肉片。肉片っちゃうて、皮膚がちょっと削れただけやん。嫌や―皮膚やってぇ、やめてー。……みたいな会話をしてから、私は再び慎重にスライサーを使っていたのだが、とうとう3回めの負傷をしてしまった。今回は、勝手知ったるフィンガースライス事件も三度めってことで、冒頭のような行動がとれたのだった。指を削ったのは日曜日の午前中。今回の怪我がいちばんひどいように思える。削ってしまった指も、皮膚というよりは肉片という表現のほうがふさわしいように思える。迅速な行動に出たけれど、痛みはただ事ではなかった。前は2回とも、薬の世話にはならなかったが、今回は薬局へ行って薬剤師さんに事情を話し、適切な薬を買い求めた。以来、私は朝晩せっせと傷の手当をしているが、痛みはまだあるし、水でも何でもしみるし、難儀なことである。ところで、この日(指を削った日曜日)の午後、私は美容院へ行き先々月カットした髪をさらに短くしてもらった。カットは「切る」の意味だけど、こんどのような「削る」はどんな英単語であろう。誰か知ってたら教えてください。

Listening test2010/12/29 12:01:54

娘がよく私のMacにリスニングCDなんつうもんを入れて英語の聴き取り練習をしている。中学校に入ってから定期考査には必ずリスニング問題が出題されていたし、高校入試科目も、一部の専門学科以外はほとんどがリスニング問題を出題していて、過去問題集なんぞを買うと必ずCDが付録でついてくる。
もっといえば、小学校の国語のテストにもリスニング問題というのが出題されていた。娘が持ち帰った問題用紙を見ると、「放送をよく聞いて次の問いに答えなさい」なんて設問がある。どんな問題が出るのか訊くと、たとえば、児童A、児童B、児童Cの学習発表を聞いて、誰が何について発表していたかそれぞれの主題を選択肢から選びなさいとか、誰の発表がわかりやすかったかあなたの意見を述べなさいとか、そんな感じだ。あるいは、売り声を聞いて何を売っているかとか(笑)、それはテストだったかどうか忘れたが(笑)とにかく、けっこう、「聞く」学習が増えていたように思う。それは、PISAの結果を見て慌てた役人たちが、日本の子どもの読解力が低下しているぞ大変だなんとかしなければいかんぞおっと読解力にすぐれているのはフィンランドだフィンランドはどんな勉強をしているのだろうフィンランドに行こうフィンランドの教科書を使おうフィンランドの子どもたちみたいに勉強させよう、といい、フィンランドの真似した読解の授業なんて私は冗談だと思っていたのだが、ほんとうにフィンランドの教科書の日本語訳が出版されて、ほんとうにそれを使って授業がされるようになったのだった。その流れで聴き取り授業も登場したように思う。が、それとは関係なく、英語の授業における聴き取り学習はかなり以前から実施されていたそうだ。国際化国際化と連呼して久しいもんな、たしかに。もう何年も前だがどっかの大学教授を取材した時、彼がぼそっと言っていたことが記憶に残る。「公立中高卒の子って、英語上手なんだよね。発音もいいしね。なんていうのか、たとえばDo you play tennis? Yes I do.くらいならスラスラって言えちゃうよね。もっと混みいった会話ができる子もいるよね。この点は、私学卒の子に勝るんだよ。でもねー読めないんだよね、長文がね。ついでにいうと書けないんだよね。英作文とか全然。こっちは私学がましなんだ。あ、英作文云々よりさ、日本語作文、全然なんだよね。公立私立関係なくね」。つーことは、公立校では文科省指導のもとに、会話重視の英語学習に力を入れて、道で会った外国人に道案内くらいはできるようになりましょう、それが国際化デビューへの第一歩であるかのように、子どもと教師を鼓舞して英会話マスターの道を進ませてきたわけである。娘の学校の英語の授業では驚くほど長文を読ませる機会が少ない。去年参観に行ったときには、声を出させてばんばん英語で発言させていた。宿題は山のように出るが、疑問文&回答文のコンビネーションを○秒以内でスラスラ暗唱できるように、といった内容がほとんどで、長い文章をしっかり読んで日本語にするとか要約するとか、そんな宿題見たことない。でもねえ、先生、高校入試問題って長文読解がメインなんだけどねーー。ま、いいけどね。今さら遅いし。というか、私は娘が英語できないことを愚痴るつもりでコレ書いてるんじゃなくて、いったいいつから「リスニング」というようになったかなと思ったからである。私が学生の頃も、もちろん聴き取り学習はあったのだが、「ヒアリング」と呼んでいた。そうじゃない? 高校2年生のときの担任は英語科担当で、私は美大系か外語系か進路を決めかねていたのだが、英語が好きならチャレンジしてみろと、若干難易度の高い「ヒアリング学習セット」というのを私のために見繕ってくれたのであった。折しも同学年にアメリカからの留学生が来ていて、彼女と仲良くなっていたこともあり、その「ヒアリングセット」と彼女との会話とで、けっこう英語に浸かった高校時代だった。だが、当時、聴き取り学習を指して「リスニング」という習慣はなかったのである。ところで、くだんの留学生の日本語上達のほうが私の英会話上達より速かったので、早々に彼女は学習相手にはならなくなっちゃった。また、英語ではなく他教科に難点のあった私は外語系への進学は早々と止めたんであった。例があちこちへ飛ぶが、私は英検の受験経験はないが仏検はある。仏検でも「ヒアリングテスト」と言っていたぞ。そのうち、というよりまったくもっていつからかはわからないけどいつの間にか「ヒアリング」というのが「ご意見お伺い」「公聴会」みたいな意味で使われる機会に遭遇するようになり、学習の現場では「リスニング」大勢となった。 hear と listen、あるいは look と see、中高時代からその区別には難儀してたけど、実際どうなん? わかる人いたら教えてー。娘に説明できひんねん困ってんねん。

Count down2010/12/30 23:57:15

例年早々と「年末年始休暇をいただきます」とかいってブログ見るの止めちゃうのだが、今年はあまりにも更新しなかったのでしつこく「何か書く」ことにした。本の話も全然してないんだけど、たくさん読んでるよ。でもあれも読んだよ面白かったよコレも読んだよダサかったよ、とかいうふうにまとめるの、嫌なのよ。なんつーか、それでなくても仕事で山のような書籍に資料として目を通すんだけど、それはほんとにざざざざざっと必要なところだけを目で探して引用して、という作業なんだけど、ときにはじっくり腰を落ち着けて読みたい本に出会うんだよね。仕事が一段落したらそんな本を借り直して読む。でも、なんだろ、ざざざざっと目を通したときにおおおおおおっと得たあの感動、みたいなやつがもうなかったりするの。なんだろね、これ。欲しいと思ったときに買わなきゃダメ、みたいな話はよくあるが、読みたいと思ったときに読まなきゃダメってこと、あるんだよね。そうこうしていろいろな本読みを先送りしていて暮れも押し迫ってしまって、枕元やパソコン横や食卓の足元に積み上がった私と娘の図書館カードをフルに使用した20冊の本、冬休み中に処理できるのか? ということはあまり考えず、穏やかな年末年始になりますように。もうすぐ暮れる2010年に乾杯。

※公開ボタンを押すの、忘れて寝てしまいました。

I wish your happy new year!2010/12/31 22:38:09

大雪である。こんなにタイミングよく大晦日にドカ雪が降るなんて、私はたぶん経験がない。明日も雪だそうなので、生まれて初めて銀世界の元旦を見ることになる。犬は喜び庭駆け回り♪じゃないけど、猫好きながら性癖はほとんど犬に近い我が娘は雪が降っていると聞くや表に飛び出しわーいわーいと飛び回る。でもさ、都会の中途半端な雪はろくなことがない。とくに我が街では一年に一度か二度あるかないかの雪の日だから、住民も行政も誰ひとり雪に慣れていないのである。雪が降り積もれば黙々と雪かきをすることが慣わしになっている街や、雪が降れば温水が道路から流れて融かし流すように整備されている街とは違って、雪は降っても積もっても融けても放置されるのみであるので、神社仏閣や御所や庭園、北山杉や東山連峰の雪化粧は美しいけれど、まちなかの雪はただただ踏みつぶされて汚く黒ずんでドロドロがちがちになって「ちっ」と舌打ちされるだけの悲しい半固形物と化するだけなのである。今夜、紅白歌合戦を娘が見終わったら「をけら詣り」に出かける予定なのだが、雪道を歩くような靴、もってないし、歩き慣れてないし、八坂神社で転倒するんじゃないかとどんくさい中年オバハンの私は今からとっても不安なのである。今、嵐が歌っている。2010年は嵐ばっかり見たような気がする。それもこれも、受験勉強のさなか、娘が嵐が司会の番組だけは欠かさず見ていたからに他ならない。嵐はデビューしてずいぶん経つらしいが、松本潤という子がときどき娘が見ていたドラマに出ていたのを知っているだけで、グループとして成立していたなんて知らなかったのである。何にしても、テレビを全然見ないジャニーズどころかアイドル事情にはまるで疎い……という私が、嵐の活躍を認識しているのだからよほど彼らの露出は今年多かったというべきであろう。もうひとつ、数日前のバレエ教室のクリスマスパーティーで娘たちのクラスは少女時代とかいう女の子グループのGeeという歌でダンスを披露したらしいのだが、驚いたのは少女時代をはじめ韓国のアイドルグループがそんなにも日本の青少年に浸透しているのか、ということである。娘の話だと、他にもいくつも日本進出しているグループはあって、友達はみんなCDもってたりiPodにダウンロードしてたりで非常にK-Popに精通しているという。もっと驚いたのは、娘の次のひと言である。「お母さん、J-PopのJって、ジャパンのJやったんやなあ、初めて知った」「なんやと思てたんよ」「なんかもっと難しい単語かなって」「ほんで、なんでジャパンのJってわかったん」「K-Popってみんなゆうたはるし、少女時代とかカラとかのこと」「K-PopのKは何よ」「韓国の〈か〉やろ」…………(=_=;)…………どんまい! 負けるな私! こんなさなぎだけど、きっと奇跡は起こる! 必ずどっかの高校合格してくれる! と、大晦日にアイドル考察とか娘の行く末悲嘆とか、そんなつもりは全然なくて、ただただ、今年も一年間ありがとうございましたと言いたかっただけなのである。こんなブログにお立ち寄りくださる寛大なお心に感謝し、こんな調子だけどうだうだ綴っていきますから来年もまたいらしてくださいね。ふと思い出したんだけど、こないだ友達とツイッターの話になった。日々疲れてるあたしはあんなものがあってもつまんねーとか腹減ったーとかあいつないわ、終わってるーとか、ろくでもないことばかりつぶやきそうだと言って笑ってたんだけど、そもそもtwitterってさえずるって意味なんだね。英語の辞書引いて初めて知ったよ。だから小鳥がキャラクターになったりしてるんだね。なのに、よく耳にするツイッタ―の話題って中傷だったりチクりだったり言った言わないの揚げ足取りだったり。もっとさえずろうよ。仏語で「さえずる」は「歌う」と同じ単語だよ。ぴいちくぱあちくららららら。ツイッタ―愛用者にはつぶやくんじゃなくて、さえずってほしいもんである。そんなこんなで、へし折られそうになる心をブログの読者に何度救われたかわからない。私が思いをぶちまけるときは140字では終わらないので、何を書くときもここで書きますから、来年も変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。みなさんの2011年に幸あれ。Je vous souhaite une très bonne année!