76 days ― 2010/12/01 02:43:46
「お母さん、今日、数学のテスト返ってきた」
「ふうん」
「何点やと思う?」
そんなことを訊ねるくらいだからきっと思いのほかよかったに違いない。
「うーん、100点」
「んなわけないやろ」
「そやな、いくらなんでも。ほな72点」
「あんなあ。もうちょい、良う考えてよ」
「そっか(笑)98点」
「行き過ぎ」
「89点」
「下がり過ぎ」
「ええっ(驚愕)下がり過ぎっ? 89点で?」
「ふっふっふ」
「94点」
「上がり過ぎっ」
「んもう。わからん。つーか1点ずつゆーてったら当たるやん。降参」
「91点」
「うっそ」
「ほんまほんま。すっごいやろー史上初の90点台」
「80点台かてなかったやん」
「そんなことないでえー1回あったで」
「記憶にないなあ」
「とにかく今回はよっしゃあ、やねん」
「ほんまやなあ。よかったなあ。できたって手応え、あったん?」
「まあな」
「ま、あとからやったらなんとでも言えるわな」
「ほんまやって。よっしゃできたでえ、って思たし、もしこれで70点台やったら終わりやと思てててん」
何が終わるのかは知らないが(笑)いつも平均点の前後をうろちょろしていたさなぎにとって、初めての、数学における会心の出来の巻、であった。
志望校は数学の出来重視なので、今回の成果は大きいのである。非常に大きいのである。ところが。
「理科は最悪」
「なに」
「もう、ひどい出来やと思てたけど、ほんまに史上最悪」
「数学よくても理科でこけてたらプラマイゼロやん」
「そやねん……」
「範囲は何やったん」
「天体」
「毎晩夜空を見上げてたくせに」
「眺めてただけやし。それに、星、はっきり見えへんもん」
「街の空は天体の勉強にはならんな、たしかに」
「あああ、まずいー理科はマズいいいい」
昨年度の入試から理科も入試科目に加わったという志望校。余計なことを。だが、さなぎは理科はなんとか中の上を維持していたのであまり心配はしていなかったんだけど……何より本人がけっこう好きな科目だし。
だがまあ、結果はなるようにしかならないんだし、全力尽くすっきゃないなあ。
んなわけで、しのごのごにょごにょぶうたれていたが、けっきょく、高校受験することになったわが娘である。しかも志望校は結構な難関である。なぜそこに決めたかというと、周囲の大人がよってたかって彼女にその高校への進学を勧めたからである。
とにかく家からいちばん近いし(母親、つまり私)
目標は高いほうがいい。ガッツでベストを尽くせば結果はついてくるはずだし(学級担任、つまり嶋先生)
著名なダンサーとして活躍中の息子もその高校へ行ったし(その「息子」の母親、つまりバレエの先生)
OBも全面的にバックアップするし(その高校の卒業生たち、つまり近所のおっちゃんたち)
などという本人の意思とはまったく関係のない理由の蓄積が大きな力となって彼女に第一志望欄にその高校の名を書かせてしまったのであった。
で、ある日、その高校の過去問集を購入。
「絶対無理……」(さなぎ)
難しい。
たしかに難しい。しかし、努力だけはしてみようじゃないの。中学に入ってこれまで、本気で勉強したことがあったか? 走ってばっかで、踊ってばっかで、真面目に何もしてこなかったではないのさ。最後の3か月あまりくらい、死ぬ気で勉強してみろ。
と、言ったのがひと月前。
さなぎは、ひとつ答えを出した。数学。
しわ寄せもきてしまった。理科。
さあ、ヤツは頑張り通すことができるのか?
高校入試まで、あと、76日。
5 years ― 2010/12/02 22:18:09
5歳におなりになった。
光陰矢の如し。
月日は百代の過客にしてなんとやら。
年明けて2月には父の七回忌をとりおこなうので、そりゃ5年経つのも至極当然なのである。
めっきり少なくなったが、我が家にはネズミさんたちが棲みついており、調子に乗って居間やダイドコまで出てくること頻繁であった。天井裏を駆け回るくらいはご愛嬌だが、籠に盛った果物や、三角コーナーに捨てたままになっていた生ゴミを食べ散らかされるのは困る。いつぞやは娘がつくったハロウィンかぼちゃが無惨な姿で発見された。「ネズミがいたずらしてるとこ見てみたいなー」なんて、いわむらかずおの「14ひきシリーズ」の世界を思い描いて余裕のあるところを見せていた娘も、ぼろぼろになったミニかぼちゃを見てさすがに青ざめた。
「ネズミ、許さへん」(わなわな)
私は笑いをこらえるのに苦労したが、この出来事は猫を飼う大きなきっかけの一つであった。
もう一つは、やはり喪失感である。欠乏感である。父が2月に亡くなって悲しみに浸る間もなく、葬儀や七夜であっという間に月日が過ぎ、父の不在に慣れたようでいながら、ふと狭い家の中にできた空隙の思わぬ大きさに唖然とする。それでも、毎日捌ききれないほどの私用公用雑事茶飯事を抱えてばたばたしている私や娘はそもそもなにがしかの思いにふける時間がなかった。が、母はやはりぼうっとしていることが極端に多くなった。ぼうっとして何もせず座っているだけの父を見てはしょっちゅう話しかけたりおやつを差し出したりちょっとした手遊びをしてみたりと何かと構っていたが、相手がいなくなり今度は自分がぼうっとするばかりになった。無趣味な人なので時間つぶしの方法を知らない。ぼうっとしているからといって四六時中そばで話しかけてやるわけにはいかない。母がどれだけ空虚感を自覚していたかは知らないが、このままではこの人は遠からずぼけてしまうであろう。その危機感から私はそれ以前にもまして彼女に家事を頼むようにした。世話を焼く相手がひとりいなくなったので、おのずと孫がターゲットになり、以前にもましてさなぎにかまうようになったのだが、さなぎはさなぎで日々成長する小学生女子だったので、だんだんとばあちゃんの干渉を鬱陶しがるようになっていた。
「さなぎのことはいいから、自分の部屋とかダイドコの掃除とかさ、乾いたタオルきれいに畳んで仕舞うとかしてくれへん?」
実は母は料理も掃除も得意ではない。衣類等を畳んで引き出しなどに片付けるのも不得手である。彼女が畳んだものは私に言わせれば丸めて突っ込んだに等しい。寝室はいろいろなものが山積みになって、とても当人以外にはものを探し出せない(それは、ま、アタシも同じだが)。なのにさなぎには宿題はあるのか、宿題しなさい、宿題すんだのか、時間割したのか、忘れ物ないか点検しなさい、と彼女が家にいる間に各10回くらい言うのである。
要は、自分のことは棚に上げて人の世話を焼きたい、構いたいタイプなのである。
父は、母がかまって何もかもするので、自分の服や下着、靴下がどこにしまわれているのか何も知らなかった。
度が過ぎた世話焼きは迷惑である。
「ばあちゃん、今日一日はさなぎに宿題したか、って言わないこと。ゆうたらおやつのおまんじゅうはなし」
とかそんなことで釣って、あなたの世話焼きは人をダメにするのよということを伝えようと何度も試みたが、現在に至るまでまったく矯正はされていない(笑)
ともあれ、世話を焼く対象がさなぎひとりでは危険だと考えたことが、猫を飼うことのさらに大きなきっかけとなった。
母は動物嫌いである。
しかも猫だけはこの世に存在することが許せないというほど嫌っていた。さなぎが赤子の頃、よく公園に連れていってくれたが、公園の野良猫がどうしたこうしたと、帰宅した私に憎々しげに語ったものだ。ほっといたらええやん。手出ししいひんかったら何もしいひんやろ、猫なんか。しかし母は、視界に入ってくるだけで悪寒を感じるらしい。一方、犬に対しては、自分が嫁にきた頃から近隣に飼っている家庭が多かったせいもあってか、まったく抵抗感がない。だから犬を飼うという発想をしないでもなかったが、犬は散歩に連れて出なければならない。犬好きの父がまだ健在だった時から、我が家では、犬は飼いたいと思えども散歩の担い手がいなかった。誰もが三日坊主に終わると確信していたのである。
そんなわけで、ほとんどムリヤリ猫に決定した。
猫を飼おう!
わーいわーい。
ええええっ。嫌や嫌や絶対嫌や。
ある日、地域紙の三行広告「あげます」欄に「猫もらってください。アメショーMIX6匹います」という告知を見つけた。これだ。
速攻で電話する。あからさまに嫌な顔をする母に、これ、もらいに行くからねと宣言。土曜の朝だった。広告主によれば、すでにもう何人かから引き合いがあるとのこと。「今日の午後、いきますから」と念を押して当時まだ持っていた軽を駆り、午前中の用事を済ますやいなや広告主の住む団地へすっ飛んでいった。
子猫はもう2匹になっていた。
「雄と雌、一匹ずつです」
籠に入った小さな猫は、互いに寄り添いくっつき合って、にゃーにゃー啼いている。少し毛の色が違う。私も娘も直感で、よりブラウンがかった毛色の雌を選んだ。雄よりおとなしそうに見えた。あとから思えば雄のほうがアメリカンショートヘアっぽい毛並みをしていたのだったが、猫の種類などにはとんと興味も知識もなかったので、この子が好き♪と感じたほうにしたのだった。
持参した籠に入れてもらって、まず、いったん帰った。
「おばあちゃん、おばあちゃん、見て見てーねこちゃんー」
あまりに嬉しそうな孫娘の様子に、見てやらんわけにはイカンと思ってかどうか知らないが、籠から出した猫をまじまじと見た母。
「ひゃあ、可愛らしいなあ!」(※「かえらしい」、と読みます)
さなぎが子猫をばあちゃんの膝に乗せる。ちっちゃいわあ。よう来たなあ。
よっしゃクリアしたぞ。瞬時に確信し、さ、ペットショップ行くぞと娘と養女(笑)を連れてトイレとトイレ砂と当面の餌を買いに行った。5年前の2月4日。
「この子、生まれてどのくらいなんですか?」
「いやあ、それが正確には……11月の終わりか12月の初めかなあ。いつの間にか生まれてたし、ちょっと僕も記憶がはっきりしなくて」
わからないものをいくら考え巡らしても結論は出ない。
したがって、12月1日という、ウチのねこさまの誕生日は、実は私たちが当人(当猫?)の意思も希望も事実も脇へ置いて決めた記念日であった。
ねこさまはすくすくとお育ちになり、膀胱炎になったりもしたが、ここ2年ほどはその症状もすっかり影をひそめて、すっかり健康で元気である。猫嫌いだった母は、いまでは愛猫なしでは一日も生きていけないくらい、麗しのねこさまと一心同体化している。5歳といえばいったいいくつなんだろう。けっこうエエ歳のはずである。相変わらず猫に赤ちゃん言葉を使う私たちだが、あんまり悪さをして、叱ってもいうこときかずにいたずらを繰り返す時など私はつい、
「こらっオバハン! ええかげんにせーよっ」
などという(笑)。
「にゃー!」
あんたにオバハンていわれとないわっ。とゆっているように聞こえる(笑)。
今年の誕生日プレゼントは和柄の首輪。ちりめん風プリント地でつくったカラーに梅の花をかたどった鈴がついている。
「品が良うて、よろしおす。よう似合うたはりますえ」
などといってみる(笑)。
「にゃにゃんにゃー」(へえ、おおきに。うれしおす)
というふうに聞こえて喜ぶのは飼い主ばかりである。
ハッピーバースデー。
Bon anniversaire!
5歳の誕生日おめでとう、りーちゃん。
1 night ― 2010/12/03 20:30:22
今までアンタ何しとったんじゃーーーーって感じだが、これも、アンタいきなり本番じゃきついよと口を酸っぱくして言い聞かせてやっと受ける気にさせたのである。
私の検定嫌いが遺伝して、娘はおよそそういうものに全然関心がない。周囲が小学生の頃から英検数検漢検と年に何度も受けていても、また中学入試に挑んだ子はそれこそ毎月のように塾の模試を受けていたけど、さなぎいわくあの人たちは変人、以上。てなもんであった。私もべつにそれでいいと思っていたので放置していたが、中学に入ると1年生のときから高校入試大学受験を視野に入れてくださいよお母さんとばかりに、やたらと進学説明会が開かれた。そんなに進学指導に熱心な中学校なら模擬試験だってあるだろうにと思って一度尋ねたが、さなぎいわくそんなんないで。ふうん、あっそう。しかし3年になったばかりのあるときヤツはつい口を滑らしたのだ。「しのぶとかかなえとか1年のときから模擬試験やたら受けたはる。そやし大会も記録会も来られへんねん。あほやろー」
ふーん。なんで君は受けないのだ? いつか母ちゃんは君に聞いただろ? 学校で模擬試験の案内もらってないかって。君はそんなものは存在しないかのような返事をしたな?
しまったという表情のわが娘。あほはお前じゃ。
しのぶもかなえも超難関を目指しているので学校から申し込む模試のほかに塾主催の模試も欠かさず受験している。二人とも陸上部では短距離の主力だったが、中2の後半からは競技会と重なると模試を優先するようになっていた。
……なんて母ちゃんは聞いてへんでっ
アンタも次の模試は必ず申し込みなさいっ
と言ったのが夏。
で、やっと、明日とあさって、主催者が別のものを連日受験することになった。
夏以降、何のかんのと理由をつけて(忘れてた、締め切りすぎた、発表会と重なるエトセトラ)スルーしてきたが、秋の懇談で嶋先生に脅された。
「今のさなぎが確実に行ける高校いうたら、カナル高かバード高やな」
カナ高もバー高も歴史ある伝統校だが近年は人気が下降してあまりいい生徒が集まらなくなっていて、結果的に学校全体の質の低下を招いている。
さなぎはさすがに青ざめた。行きたい(わけではないが行くとしたらほかにないので志望校にしていた)のはリバーサイド高かノースキャピタル高。
嶋先生「今から本気出したら、絶対大丈夫」
ので、模試を受ける気になったのである。
というわけで、初の模試受験前夜が今夜である(笑)。
朝ごはん、何にしようかな~~♪
Rainy day ― 2010/12/22 02:16:19
cut cut cut cutting ― 2010/12/23 22:45:08
Listening test ― 2010/12/29 12:01:54
もっといえば、小学校の国語のテストにもリスニング問題というのが出題されていた。娘が持ち帰った問題用紙を見ると、「放送をよく聞いて次の問いに答えなさい」なんて設問がある。どんな問題が出るのか訊くと、たとえば、児童A、児童B、児童Cの学習発表を聞いて、誰が何について発表していたかそれぞれの主題を選択肢から選びなさいとか、誰の発表がわかりやすかったかあなたの意見を述べなさいとか、そんな感じだ。あるいは、売り声を聞いて何を売っているかとか(笑)、それはテストだったかどうか忘れたが(笑)とにかく、けっこう、「聞く」学習が増えていたように思う。それは、PISAの結果を見て慌てた役人たちが、日本の子どもの読解力が低下しているぞ大変だなんとかしなければいかんぞおっと読解力にすぐれているのはフィンランドだフィンランドはどんな勉強をしているのだろうフィンランドに行こうフィンランドの教科書を使おうフィンランドの子どもたちみたいに勉強させよう、といい、フィンランドの真似した読解の授業なんて私は冗談だと思っていたのだが、ほんとうにフィンランドの教科書の日本語訳が出版されて、ほんとうにそれを使って授業がされるようになったのだった。その流れで聴き取り授業も登場したように思う。が、それとは関係なく、英語の授業における聴き取り学習はかなり以前から実施されていたそうだ。国際化国際化と連呼して久しいもんな、たしかに。もう何年も前だがどっかの大学教授を取材した時、彼がぼそっと言っていたことが記憶に残る。「公立中高卒の子って、英語上手なんだよね。発音もいいしね。なんていうのか、たとえばDo you play tennis? Yes I do.くらいならスラスラって言えちゃうよね。もっと混みいった会話ができる子もいるよね。この点は、私学卒の子に勝るんだよ。でもねー読めないんだよね、長文がね。ついでにいうと書けないんだよね。英作文とか全然。こっちは私学がましなんだ。あ、英作文云々よりさ、日本語作文、全然なんだよね。公立私立関係なくね」。つーことは、公立校では文科省指導のもとに、会話重視の英語学習に力を入れて、道で会った外国人に道案内くらいはできるようになりましょう、それが国際化デビューへの第一歩であるかのように、子どもと教師を鼓舞して英会話マスターの道を進ませてきたわけである。娘の学校の英語の授業では驚くほど長文を読ませる機会が少ない。去年参観に行ったときには、声を出させてばんばん英語で発言させていた。宿題は山のように出るが、疑問文&回答文のコンビネーションを○秒以内でスラスラ暗唱できるように、といった内容がほとんどで、長い文章をしっかり読んで日本語にするとか要約するとか、そんな宿題見たことない。でもねえ、先生、高校入試問題って長文読解がメインなんだけどねーー。ま、いいけどね。今さら遅いし。というか、私は娘が英語できないことを愚痴るつもりでコレ書いてるんじゃなくて、いったいいつから「リスニング」というようになったかなと思ったからである。私が学生の頃も、もちろん聴き取り学習はあったのだが、「ヒアリング」と呼んでいた。そうじゃない? 高校2年生のときの担任は英語科担当で、私は美大系か外語系か進路を決めかねていたのだが、英語が好きならチャレンジしてみろと、若干難易度の高い「ヒアリング学習セット」というのを私のために見繕ってくれたのであった。折しも同学年にアメリカからの留学生が来ていて、彼女と仲良くなっていたこともあり、その「ヒアリングセット」と彼女との会話とで、けっこう英語に浸かった高校時代だった。だが、当時、聴き取り学習を指して「リスニング」という習慣はなかったのである。ところで、くだんの留学生の日本語上達のほうが私の英会話上達より速かったので、早々に彼女は学習相手にはならなくなっちゃった。また、英語ではなく他教科に難点のあった私は外語系への進学は早々と止めたんであった。例があちこちへ飛ぶが、私は英検の受験経験はないが仏検はある。仏検でも「ヒアリングテスト」と言っていたぞ。そのうち、というよりまったくもっていつからかはわからないけどいつの間にか「ヒアリング」というのが「ご意見お伺い」「公聴会」みたいな意味で使われる機会に遭遇するようになり、学習の現場では「リスニング」大勢となった。 hear と listen、あるいは look と see、中高時代からその区別には難儀してたけど、実際どうなん? わかる人いたら教えてー。娘に説明できひんねん困ってんねん。
Count down ― 2010/12/30 23:57:15
※公開ボタンを押すの、忘れて寝てしまいました。