Rainy day2010/12/22 02:16:19

ひどい近視なのでコンタクトを愛用していたが、そのコンタクトをはめていると手元を見るのに支障が出るようになった。あれはいつからだったろう。もう2年くらいになるだろうか。いきなり、文庫本の活字がぼやけてくる。校正中の原稿が二重になる。ほんとうに、ある日突然始まったといっていいほどそれは突然やってくる。老眼。やあねえ。コンタクトを外すと、私の視力は手元に関していえば矯正され、何の苦もなく小さな活字の本も雑誌も読めるのである。視界を邪魔するのは、老眼と前後して発症した飛蚊症のちっちゃい蚊だけである。そんなわけで、パソコンのせいかどうか知らないがドライアイの兆候もあるし、日々疲れ目もひどいし、春はアレルギーで目の中も瞼もぼろぼろになるのが常だし、コンタクトレンズじたいも古くなってきているとあって、私はしばらくコンタクトレンズの使用を止めてみることにした。野球選手でもゴルフ選手でもないからフィールドの向こうの白球を見つめる機会はない。自分の両手の下にある原稿や書物の字さえ追えれば私の生活は成立する。かくしてコンタクトレンズなしの生活をしてみるとたいへん快適、眼も楽で、ごろごろしなくて、手元はよく見えて、ベリーグーである。しかし当然ながら、遠くが見えない。当たり前である。家の中、職場の中はいいが、一歩外へ出ると、道行く人々はまるで印象派を気取る下手な絵の中の風景の一部を成すかのようにとけ込んで、識別できない。すれ違う瞬間まで顔がわからないし、表情の変化も感じ取れないので、知り合いが、遠くから私を認めて笑みをたたえながら近づいてきてくれても、私はその人に視線を投げたとしてもまったく気づかず知らんぷりをして通過したりするのである。失礼である。昼間、取引先のビルへしょっちゅう行くが、取引先で私が懇意にしているのは何十人といらっしゃるオフィスの中のほんの2、3人。長くおつきあいさせていただいている方々だが、判別できない。受付で呼び出して待ち、やがて担当者が来てくれても咄嗟にわからないのである。また、幾人も社員さんが行き来する。懇意にしてはいなくてもお顔を知っている人はどっさりいる。だから見かけたら会釈すべしなのだが、これが判別できないのだ。昼間でそうだから夜はいったいどうなるのか。私は、はっきりゆーが、夜は水中を泳いでいるようなもんで、街灯も車のヘッドライトも下手な水彩画の失敗したにじみ効果を連続して見せつけられる中を走るみたいである。そう、私は自転車通勤である。自転車は軽車両である。だからこんなひどい近眼を裸眼のままでさらして操縦するなどもってのほかなのである。それでなくても連日深夜帰りである。街の賑わいは静まり、営業していた店も灯りを消す。中途半端に街灯と車の光だけが闇夜に広がり、その中から突然現れる無灯火の自転車や歩行者とすんでのところで衝突しそうになる。危険である。おまけに雨が降っていると、(我が街では傘さしてチャリンコ乗るのは常識だからして)傘で視界が若干遮られたりもするのである。危険である。今夜はどしゃ降りだった。台風だろうと暴風雨だろうと傘さしてチャリンコを駆る私だが、このごろはこういうとき、自転車通勤を諦め、歩くことにしている。ぼやけた風景の中、歩行者にも自転車にもバイクにも出会わずぶつからずに済む保障はない。傘をさし、歩きながらいろいろなことを考えた。越えなければいけない山の、なんと多いことだろうか。どれもこれも小さい山だがごろごろ岩場の続く歩きづらい山ばかりだ。でも越えなくちゃ。あれを越えて、これ越えて、その次にはこれこれをひょいひょいと越えて……と思考遊びをやってたら家に着いた。

コメント

_ BB ― 2010/12/22 11:22:10

僕はみごと厄年にいろいろ来たよ。
病気とか無かったから良かったけどね。

不便って思うのはパソコンを見ながら書き物をする時と運転してて地図を見たい時。
いったんクルマを停めて眼鏡を外して見ないいけない。
かなりめんどう。
だから見ないでいると道によく迷う。
かと言って運転前に目的地までの道を憶える記憶力もだんだん落ちて来てるし。(笑)

_ midi ― 2010/12/22 17:17:12

同世代の人たちの中にはもう老眼鏡を愛用している人もいますね。あなたはまだ必要じゃないの?と訊かれて、老眼のおかげで近眼が矯正されてまして、と冗談めかして答えてます。でも、遠近両用コンタクトとか要るよな、と思案中。でもでも、コンタクトなしライフがあまりに爽快なのでもうコンタクトありライフに戻れないかも。

_ 儚い預言者 ― 2010/12/25 07:33:50

  見るのは何だろうか。見えるのは何だろうか。人は、見たいものしか見えないと。もし見たくないものがあれば、それはメッセージを携えて、世界を教えてくれている、と思えば、大きな愛の懐で、素敵な夢を紡いでいると感じる。
  世界と「私」は、今は余りにも隔絶して、感覚、思考、感情で、その合間を繋いでいる。本当にそうだろうか。当然或いはごく当り前の認識が、逆に世界を変装させてはいないだろうか。
  邂逅とは当に、あなたの愛と光が、世界を輝かせているという、埋もれた記憶の発現である。
  あるがままに、愛の優しい手引きが、いつもあなたにありますように。
  メリークリスマス。

_ midi ― 2010/12/28 01:24:29

預言者さま メリークリスマス。
こんなに余裕のないクリスマスは初めてですが、友人のパーティーにも行き、娘にプレゼントも渡し、ケーキも作りました。あーしんど。
よい年をお迎えくださいね。

トラックバック