Il faut réfléchir maintenant?2011/03/15 17:41:06

購読中のメールマガジン、チェチェンニュースからの転載。
チェチェンのことにも触れているけれど、今回は主宰者のある見解のみ抜粋。
(日時:2011年3月13日 22:51:26:JST)

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■地震と原子力災害と私たちーー原子力資料情報室の情報に注目を(大富亮/チェチェンニュース)

 東北地方の悲惨な状況にもかかわらず、私の住む神奈川県は平穏です。町は買い物客で混み合っていました。それでも、ラジオや懐中電灯、電池は品切れの張り紙。平穏なようでいて、実は不安な私たちの気持ちをよく表現しています。
 10年ほど前、仕事の必要に迫られて、原子力関係の本を読み漁っていた頃がありました。それ以来、原子力の問題はかなり批判的に考えるようになっていました。今回、枝野官房長官の会見を何度も耳にするうち、内容をそれまでの知識と突合せ、「なにかがおかしい」「本当はもっと深刻なはずだ」と思わずにいられませんでした。
 その矢先、福島第1原発の1号炉の建屋が吹き飛んだのです。いま、1号炉で漏れた放射性物質は北に150キロほどはなれた女川原発に届いているという情報もあります。
 「どうしてこんな地震のある日本に原発を作ったりしたんだろうね」という声を町で聞きました。それはきっと、あなたも、私も原発の恐ろしさうことを知ろうとせず、反対の意思表示もしなかったのだから、当然といえば当然です。私に関して言えば、例の「読書」は、頭の体操でしかなかったのです。
 震災に見舞われて、家族を海の彼方に連れ去られた人々の上に、今度は放射能が降り注ぐのでしょうか。どうか、原発で行われている必死の努力が報われますように、祈ります。
 私は今、電力の一大消費地、関東圏に住んでいます。関東地方には原発はなく、もっとも近いところでも、東海村、そして御前崎の浜岡原発です。東北の大震災によって、東海地震が引き起こされる可能性もあると思います。少なくとも、危険な断層上に立地している浜岡原発は、今すぐにでも停止しなければなりません。地震の続く新潟の柏崎刈羽原発も、危険なはずです。
 本当に原発が安全なら、東京に作るべきでした。
 しかし今は、「東京に作らなくてよかった」と思ってしまう私がいます。では、福島だったらよかったのか? よかったとすれば、私たちに、原発や死の灰が風に乗ってやってくることを想像し、恐れ、どんな風にそれを受け止めるかを、考える時間を与えられたことだと思います。
 なによりも、明日の日本を、原発のない国にするためには、どうしたらいいかを、切迫感を持って考える時ではないでしょうか。もし手遅れだとしても・・・今でなければ、いつ? ということです。
 政府からの情報は極めて限られたものです。しかし、市民団体の原子力資料情報室は、長い反原発の運動と研究を通じた蓄積をもとに、情報発信を開始しています。ぜひ、同室のサイトや、毎日行われている記者会見を、ネット上でチェックしてください。この情報を、つよくお勧めします。
 世界全体の未来を考えれば、まだ、手遅れではありません。この危機を、真剣に原子力の、核の問題を考えるきっかけにしましょう。

 http://cnic.jp/ (原子力資料情報室)
 http://www.ustream.tv/recorded/13293527
 (13日17時から開かれた記者会見の録画)

Ce n'est pas leur faute, non plus!2011/03/15 17:58:44

のほほん、としていて、私にとっては癒し系の鈴木晶さんのブログ。
http://shosbar.blog.so-net.ne.jp/

バレエの研究家なので、おのずとバレエについての言及が多い。でもここ数日はもちろん地震のことである。勝手ながら、今日のつぶやきを、たいへん共感を覚えたので、転載する。

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2011-03-15 12:40
原発

 石原慎太郎という人は、本当によく舌禍事件を起こす人だ。東北関東大震災は、我欲に走る日本人にたいする天罰だ、と発言したそうだ。日本人が我欲に走っているということについては、心から賛同する。でも被害にあった東北の人びとがとくに我欲に溺れていたはずもない。罹災者たちが彼の発言をきいたら、殺意を抱くと思う。  
 今朝(15日)の菅首相、枝野官房長官の談話にはいささかの感動を覚えた。危険を顧みずに原発の被害を最小限に食い止めようと必死に取り組んでいる、東電の人たちへの感謝の意を表明していたからである。
 東電の会見をみていると、例によって新聞記者の態度がわるい。事故があるといつでもそうだが、新聞記者はいつもの「上から目線」に加えて、にわか「正義の味方」として糾弾口調になる。
 津波は東電のせいではない。その後のトラブルも、べつに東電の管理がずさんだったせいではなかろう。福島の原発で必死に事故を食い止めようとしている人たちには心から感謝したい。大量の放射能が漏れ出したら、最初に被爆するのは彼らだ。
 私たちが今いちばん口にしてはならないのは、「それみたことか、原発は危ない。原発なんか作るべきではない」という批難だ。
 原発反対運動の人たちも、さすがに今はおとなしくしているが、事態がおさまったら、かならずや反原発運動が盛んになるだろう。そういう方々が、電気のない生活をされているなら、その言葉にも耳を傾けようではないか。
 私だって放射能はこわい。でも、原発がなかったら、今のような生活は維持できない。「電気は使いたい、でも原発はいやだ」というのは子どもがだだをこねるのも同然である。
 正直を言えば、私も原発に反対である。そのかわり、テレビ局の数がいまの半分になり、放送時間が半分になっても、なんの不満もないし、時々停電しても文句は言わない。夜の街がもっと暗くなっても不満はない。