Ce n'est pas leur faute, non plus! ― 2011/03/15 17:58:44
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バレエの研究家なので、おのずとバレエについての言及が多い。でもここ数日はもちろん地震のことである。勝手ながら、今日のつぶやきを、たいへん共感を覚えたので、転載する。
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2011-03-15 12:40
原発
石原慎太郎という人は、本当によく舌禍事件を起こす人だ。東北関東大震災は、我欲に走る日本人にたいする天罰だ、と発言したそうだ。日本人が我欲に走っているということについては、心から賛同する。でも被害にあった東北の人びとがとくに我欲に溺れていたはずもない。罹災者たちが彼の発言をきいたら、殺意を抱くと思う。
今朝(15日)の菅首相、枝野官房長官の談話にはいささかの感動を覚えた。危険を顧みずに原発の被害を最小限に食い止めようと必死に取り組んでいる、東電の人たちへの感謝の意を表明していたからである。
東電の会見をみていると、例によって新聞記者の態度がわるい。事故があるといつでもそうだが、新聞記者はいつもの「上から目線」に加えて、にわか「正義の味方」として糾弾口調になる。
津波は東電のせいではない。その後のトラブルも、べつに東電の管理がずさんだったせいではなかろう。福島の原発で必死に事故を食い止めようとしている人たちには心から感謝したい。大量の放射能が漏れ出したら、最初に被爆するのは彼らだ。
私たちが今いちばん口にしてはならないのは、「それみたことか、原発は危ない。原発なんか作るべきではない」という批難だ。
原発反対運動の人たちも、さすがに今はおとなしくしているが、事態がおさまったら、かならずや反原発運動が盛んになるだろう。そういう方々が、電気のない生活をされているなら、その言葉にも耳を傾けようではないか。
私だって放射能はこわい。でも、原発がなかったら、今のような生活は維持できない。「電気は使いたい、でも原発はいやだ」というのは子どもがだだをこねるのも同然である。
正直を言えば、私も原発に反対である。そのかわり、テレビ局の数がいまの半分になり、放送時間が半分になっても、なんの不満もないし、時々停電しても文句は言わない。夜の街がもっと暗くなっても不満はない。
本当に大切なこと
そっとひとりになって
故郷のことを思う
そっと抱きしめて
温かさを感じて
そっと夢見て
幸せの在処に
そっと心を
解き放つ
放射線の煌びやかな行進が始まった
脅かす夢は、私達のものでないと
放射線は歌う
どうして私達を呼んだのと
放射線は真っ直ぐに突き進む
本当は光に成りたかったのように
放射線は嘘が嫌いだ
馴染まない次元に存在を明かすことに
放射線は永遠に帰りたい
だから長く永い時に近づこうとする
放射線は問うた
私達はあなた達と友達でいるのは良いのと