Je ne peux pas penser à autre chose en ce moment qu'à vous et au peuple japonais. Toutes mes prières sont pour le Japon.2011/03/18 22:21:37


一日がすごく長い。
そりゃま、毎日12時間働いているから実際長いんだけど。
ずっとニュースサイトを自動更新させながら開けている。更新されるたびにチェックできるわけではないのだが、それでも最新情報はとりあえず得られる。いや、言われなくてもわかっている。最新情報を得たところで私には何もできない。ただ、ああ気の毒に、ああたいへんだ、どうか無事でいて、彼らをお助けください神様、と心の中でつぶやくだけだ。

とりあえず私たちは大丈夫。何度もそう告げてはいるけれど、報道に温度差のある海外では、ことさらに原発の状況とその影響がルポルタージュされているようで、食いもんあるか?なんて心配するメールが届く。あるよ。困ってないよ。

そんな返事を書きながら、ため息をつく。


自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。


取引先との打ち合わせから戻った上司が言った。
「●●寺の前を通りかかったから、義援金入れてきた」
「へえ、いいことなさいましたね。でも、ホントに被災地へ届くんでしょうか」
「そこやねん、一抹の不安は。義援金入れるとこ、普通の賽銭箱やった」
「それって、お寺の収入として遣われちゃうかもですね(笑)」
「ほんまになあ……大きな寺ほど強欲やからなあ」
「こんなときこそ、だだっ広い境内や本堂や、道場とか研修場とか提供したらどうなんでしょうね。頼まれるの待ってんと、受け容れます、来てください、って言うたらエエのに」
「賛成や。けど、それはそれで社寺間の大いなる競争みたいなもんを引き起こして醜い争いになるような気がせんでもない」
「あ、そうですね。一段落した頃にウチは何人受け容れたぞみたいな坊さま談話が飛び交いそうな」
「いややなー。聞きとないなー、そんなん」

と、ことほどさように市民の信頼を得ていない我が町の裕福社寺の面々であった。が、地元紙のニュースサイトで、「仏教各派救援へ動く 施設開放も検討」という記事が配信されていたのを見た。そりゃ、そうだよね。こういうときこそ宗教者らしいことやらなきゃ、人間でもほとけでもないよといいたい。

普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。

いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。


通学用のスニーカーを買おうね。ハイソックスは紺でないとあかんって。お弁当箱と水筒、可愛いの見にいこうか。……


今のようにほぼ毎日10時間以上仕事に拘束され、月に7日くらいは午前様の日があり、休日の半分は潰される、というような生活をしていると、私の家庭と体は本当に崩壊してしまう。最近マジでそう思うようになってきた。


母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。


それより、ヤツのために4月からお弁当ライフである。
これまでも年間に数日程度とはいえ、給食休みや休日練習や競技会とかなんとかいってお弁当の日はあったのだが、それはあくまで非日常的なイベントであった。これが毎日となると生活習慣を根底から考え直さねばならない。そこの奥さん、笑っているけど、アタシにはターイヘンなことなんざんす! でもでも、だんなさんの分、上の子の分、下の子の分というふうに毎日毎日複数つくって家族を送り出しているお母さんたちは実際山のように居られるのである。しかもキャラ弁なんかつくってらっしゃるのである。まるで魔法使いである。
私は魔法使いにはとうていなれない。


だから今年に入ってから実は、簡単に作れるお弁当おかず、とかお弁当にもぴったりの作り置きおかず、とかいろいろ練習してお弁当向きおかずレパートリーを増やしている。週末ごとにいろいろな惣菜をどかっと作って毎週連日試食会、って感じ。おおむね好評である。
我が家はそんなに好き嫌いはないので、食事はたいてい大雑把な支度でも何でも食べてくれるが、娘は減量期間がしょっちゅうあるし、母はものが噛めないときている。おのずと草食動物の餌みたいなおかずになってしまうが、パワーはつけないといけないので、育ち盛りの子どもじゃないけど栄養価の高い献立をこころがけている。
娘が盛んに陸上のトレーニングにいそしんでいたときはガンガン食べさせたが、結果、ものすごくウエイトアップして筋肉モリモリ(笑)。これじゃ舞台に立てませんよというくらい逞しくなっちゃったのであった。ついた筋肉はなかなかとれないが、ウエイトダウンは徐々に進み、小さくいくつも目標を置いて小刻みに達成しているようである。

食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。




コメント

_ 儚い預言者 ― 2011/03/19 09:15:44

  限りある時間に、何れだけの奉仕が出来るか。取捨選択の主権は、いつも自分にある。人生の仕組みは、想いの総計である。
  豊穣なる物事を、それは本来の自分であることを、自分に流れ込む事を許しましょう。受け取る許可を自分に許すのです。ついでに私からの愛も。ばっしー。すみません。
  まあ、リラックスですよ。肩もみもみ、たんたんとんとん。◯◯もみもみ、あんあん、んはんは。バッシー。

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