『舞鶴クレインブリッジ ~地域社会に根付いた斜張橋~』
岡本寛昭著
文理閣(2003年)
たいへん技術的なことを書いた本であり、ほんらい私などが手にして読んでも、1行も理解できない内容である。それが、ごくごく部分的に、「うん、そうだよね」と思わず相づちを打ちたくなるような数行を発見したりして、「ああよかった」と胸を撫でおろしたい気になる。いや、べつに、何がよかったわけでもないんだが。
先月、仕事で舞鶴を訪れた。
半世紀近く生きてきたが、舞鶴へ行くのは初めてだった。
出張に先立って下調べは若干したが、私はあまりにも舞鶴について無知であった。知らないことが多すぎて追いつかない。しょうがないから何も知らないまま出かけた。
「舞鶴引揚記念館」から見た「舞鶴クレインブリッジ」
撮影:マブハイさん(2007年09月19日~)
半島をぐるっと回るよりも、このクレインブリッジを渡ったほうが近道だ。取引先の営業部長と運転手兼カメラマン氏は、そんな話をしながら車を目的地へ向けて転がしていたが、気がつくと橋と平行に山道を走っていた(笑)。なわけで目的地への往路は遠回りだったが、帰りは間違わずに橋を走った(駄洒落じゃないよ)。橋を走る(駄洒落じゃないよ)車は、われわれだけだった。行けども行けども。橋を渡り終えるちょっと手前で、工事現場に向かうらしきダンプカーとすれ違っただけだった。こんなに交通量が少ないのに、ものすごい橋を建てたもんだなあ。運転席と助手席の二人はそんなふうに感心していた。
上の写真は、ウエブ上で偶然見つけて拝借した。勝手にすみません。
「クレイン」は英語で鶴のこと。この橋のデザインは、二羽の鶴が羽ばたくイメージからできたと、本書に書かれていた。ふうん。鶴だったんだ。
出張の日はあいにくの大雨で、この写真のように美しい鶴の姿は見られなかったが、遠目に橋が見えたとき、私はある場所の別の橋を思い出していた。
それがこれである。フランスのミヨー橋。
写真はウイキから拝借しました。クリックしてね。
Creissels et Viaduct de Millau (Deutsch: Blick auf Creissels mit der Autobahnbrucke im Hintergrund), Source:Selbst Aufgenommen, Author: Ritchyblack, Date:2009-08-15
この橋の存在を知ったのはそんなに昔のことではない。だいたい完成したのが2004年らしいから、本書『舞鶴クレインブリッジ』の出版より後である。2004年だろうと2005年だろうと、私はクレインもミヨーも知らなかった。たしかフランス大使館とか政府観光局とか関係のサイトかメルマガで写真を見て知ったはずだが、それもほんの3、4年前のことだ。きれいだなあ、どういうわけかこういうもん造らすとなかなかやっぱ冴えてるよなあフランス人め、といったような感想を持ったことを覚えている。
で、去年か、一昨年のことだけど友達(日本人)が友達(フランス人)を頼ってフランス旅行に行くことを決めたとき、「今回の旅はミヨー橋を見ることなの。連れてってね」と友達(フランス人)にリクエストしたというので、私は友達(フランス人)に「ミヨー橋行ったら、写真撮って送ってね!」と頼んだりした。友達(日本人)が帰国して数日後、友達(フランス人)がミヨー橋の写真を送ってくれた。カメラに向かってニッと笑う彼らの後ろで、ミヨー橋はあまりに大きく高く、白くて、美しすぎた。
下の写真はその時の写真などではなく、これもウイキからの拝借もの。でも、友達が撮ったのも似たような感じの構図であった。
こちらの橋も、それほど交通量が多いとは思えない。
見物に来る人も、そんなにいないんじゃないかな。いくら美しくても、外国の旅行客はパリの町並みやモンサンミッシェル、アルルの競技場やニームの水道橋のほうを好むと思われる。
が、なんだか、たとえ写真とはいえ、眺めていると「ほうら見ろ、すごいだろ俺たちって。どうだ悔しかったらこんな橋建ててみろ」というフランス人技術者たちの得意満面な顔が浮かんでくる。誰の顔、というんじゃないんだけど。
舞鶴クレインブリッジのことなんて、いったいどれほどの日本人が知っていることか。本書の中でも著者は「あまり一般には知られていない」とはっきり書いてて、おいおい宣伝しろよと突っ込みたくなった。取材先では、丹後の町はどうしても「天橋立には勝てんのです」ということらしく、観光客数も伸びないそうだ。そらま、どんなきれいな橋も天橋立には勝てん。
ところで、大きな火力発電所の横を通った。
火力発電所は接近しても危険がないのか、設備のギリギリ近くに道路が造られていて、私たちはその威容(といっていいのか)に圧倒されつつ、営業部長は「今爆発せんといてくれよ」などとつぶやきながら、たぶん、めいめいが被災地を思った。
舞鶴のまちはとても控えめなつくりで、山が近く、海に面して、空が広かった。大雨の中でも、人々がこの豊かな自然を享受し暮らす喜びに満ちているだろうことが想像された。こういうのどかな場所に発電所なんつうもんを建てるのである、人間は。もう少し東へ行くと敦賀、福井県の原発群がすぐそこだ。