Je suis ennuyée... ― 2012/03/13 18:34:41
いろいろなことが起こるんだけど、退屈だ。カフェやりたいよぉウチもぉ~とつぶやいて今USAを謳歌しているあの娘がいないということがこんなにも退屈を呼ぶとは思わなかった。いや、本当は予測できたけど(笑)。ほんとに私って、ヤツがいないと三文の値打ちもない。私の人生における優先順位の第一位から最下位まで、娘が占めている。最下位のまだ下の、問題外ランキング(ごめんな)に扶養している母と猫と、肉親である弟一家や親族一同、そして、お世話になってる地域の面々が並ぶといったぐあいだ。もちろん、問題外ランキングの順位は事情によって上下するし、ときには最下位まで占める娘mattersの一角に割り込むこともある。それは臨機応変に捌くこのワタクシ。(あ、忘れていたが問題外ランキングのさらに下のほうには仕事も並ぶ)
しかし、先週の金曜日早朝、ヤツが旅立っていってから、優先順位第一位から最下位までのヌシが不在なのである。不在をいいことに金曜の晩は友人たちと飲み、土曜は美術鑑賞と久々のイタリアンディナー、震災から一年のあの日曜日には好きな映画を一日中観ていた。昨日の月曜日には水族館の内覧会に招かれイルカパフォーマンスに拍手もした。さらに明日は抜歯の予定である。いや、それは娘の不在とは関係ないが。
そんなにあれやこれやとあるのに、退屈極まりない。
アメリカでどうしてるんだろうと心配だが、とりあえずざっくりした行動報告は学校のブログがしてくれているので、それを見る限りほとんど変わったことはなく予定どおり旅程は進んでいると見える。個別に問題起きたら、またそれが命にかかわるなら、個別に連絡が来るだろうし。なーんもない。何もないことを喜ばねばならないのだが、退屈だ。親とはまこと勝手なもんである。親とはまこと子どもなしでは存在意義のないもんである。
そんなわけで、今、少し仕事もゆるいので、早く帰宅し、早く寝て、ギリギリまで寝ている。お弁当作らなくてもよいし。いや、べつに、自分だけにつくってもいいんだけど、近所によいお店がぽこぽこできているので、「偵察しといてよ」との命が下っているのだ。誰から? いわずと知れた「カフェをやりたがっている」娘である。なもので、おひるごはんはカフェ飯三昧しているこの頃。
だいたい、研修旅行委員をやればトラベルプランナーになりたいといい、和菓子屋へ体験学習へ行けば菓子職人になりたいといい、猫の具合が悪くなって獣医へ行けば動物看護師になりたいといい、接骨院で足を診てもらえば理学療法士になりたいという。こじゃれたカフェを訪れては、カフェを開きたいという。しかも、それは「お母さんやってよ」と私頼みである。自分でやりゃいいでしょうが。だってお母さんのほうがコーヒー好きやしよう知ってるやん。う。そのセリフ、けっこうツボを突いている(笑)。たしかに私の夢は、いつかクラシックなムーラン(コーヒーミルのこと)を買って、なじみの珈琲豆屋で好みの強さで煎ってもらった豆を挽き、ホーローのポットで沸かしたお湯をゆっくり注いで、私だけの一杯を淹れることなのだ。願わくばデロンギあたりの高級エスプレッソマシンも購入し、ときにはエスプレッソを淹れてフランスに思いを馳せたい。
婆さんになったら、カフェ、しよか。その頃には娘はすっかり自分の発言を忘れてどっかで羽を伸ばしているだろうから、一緒にカフェやってくれる人を募集しよう(笑)。
明日から、京都水族館がオープンします。
水と海の恐ろしさを思い知らされた私たちだけれど、海に棲むさまざまな生き物たちに罪はないから。なんだかんだ言っても、人間は水と共存するより道はないから。だから水を大切にしたい。(だから原発反対!)
退屈だけど、宣伝しておこう。
Bienvenue! A l'aquarium de Kyoto!
Salop le typhon, le pire! ― 2011/09/05 20:22:10
Vent frais, vent du matin.... ― 2011/08/31 22:42:45
今日も暑かった。いちばん暑いときに外をうろうろしなくちゃなんなくて、ったくもうたいがいにしてくれよお、と何度思わず口に出したことか。社に戻ればこれまた山がいくつも。
で、またつい。ったくもうたいがいにしてくれよおおおおお
疲れた。
もう帰ろうと思うんだけど、片付かない。
ったく、仕事の山がちっとも減っていかない。
今日で8月も終わりだ。
少し前なら「夏休み最後の今日は……」なんていって、最後の行楽、最後のプール、最後の宿題、なんかやってる子どもたちの様子を報道したりしたもんだが、最近はもうとっくに学校が始まっているので8月31日は特別な日でもなんでもなくなった。
ウチの子の高校なんか実質、夏休みは8/1~18しかなかった。そんなん、あんまりちゃうん?
遊興のまったくない夏だったが、娘は初めて甲子園球場というものを体験した(笑)。高校野球観戦に出かけたのである。たまたま座った3塁側のアルプス席。そこに陣取った応援団の学校が、その日はたまたま2試合とも勝って、上機嫌な一日だった。連れてってくださった友達家族に感謝。
球場の広さと、芝生の美しさ、打撃音、歓声。
地元の小さな球場で見た予選とは桁違いのスケールに、いたく感動した娘は、その日から数日高校野球病とでも言うのか、野球なしでは夜も日も明けぬような野球馬鹿少女に変身していたのであるが。
「お母さん、ウチ、バレエも大学もアカンかったらアストロドリームズのトライアウト受けるわ。うん、それがいちばんいい方法やと思う」
アストロドリームズは女子プロ野球団である。
いちばんいい方法って……。
アンタそれ、いちばん勝ち目ない話やで。
日大三高が優勝して数日。
今は、野球?それ何ですか?といわんばかりに野球のやの字もなくただひたすら踊る毎日である。文化祭でもダンスをやるらしい。
毎晩ぺたぺたどんどん踏みしめられて、ダイニングキッチンの狭い床がもういつ抜けるかわからない(笑)
アストロドリームズのトライアウト受けなくてもいいように、なんとか頑張ってくれ。
Comme ça, il faut qu'on soit en colère, non? ― 2011/07/29 01:40:27
この人みたいに怒りを表明したい!
ばかやろーーーっっっ
ゼロレベルの幼児教室からやり直しておととい来やがれ!!!
Pardon, je suis fatiguée... ― 2011/07/06 20:16:57
そうでなく、眠くなくて意識がはっきりしているとき、体内に妖艶な大蛇を棲まわせているごとくの重さを感じていたとしても、ふと、いっさいの曇りや濁りがとれて眼球のうしろ側の脳内がすっきりクリアになるのを自覚できるとき、思いがけないことだが私は泣いている。えへんえへんううっううっと泣くのでもしくしくずずずと泣くのでもない、ただ涙があふれて止まらない。あふれるにまかせているといつまでもいつまでも流れ続ける。単に結膜炎の悪化やないのん?と思いたいところだが、ではない。
頭の中がクリアなとき、つまり仕事のことや家のことでいろいろと算段をせず、やり繰りも検討もせずにすんでいるとき、つまり何もないとき、脳内スクリーンに浮かぶもの。
ミドリ。キンスキー。ドーニャ。ギンコ。ノブナガ。ヒデヨシ。イエヤス。
(以上、お亡くなりになった我が家の魚類両生類爬虫類)
……なんやねん、そんな話かっ といわないでくれ。
仕掛けた毒餌を食べて果てた鼠。轢かれた鳩。轢かれた野良猫。
殺処分された牛。殺処分された豚。殺処分された鶏。
隣のおばあちゃん。向かいのおばあちゃん。路地奥のおばあちゃん。
伯母の死に顔。父の骨。呼吸していた父。目を開いていた父。起きていた父。喋っていた父。食べていた父。飲んでいた父。笑っていた父。
倒れた阪神高速。燃える長田区。崩れた住友銀行。シェイクされてぺしゃんこになった加奈子の家。倒壊した隣家に押されて半壊した桃香の家。
モスクワの劇場で死んだ男女。ベスランの小学校で殺された子。四川の小学校で瓦礫に潰され死んだ子。エレベータの中で撃たれ死んだアンナ。
そそり立つ黒い津波。濁った飛沫をあげて這うように進む津波。舟を、港を、車を、家を、町を、ごくりと呑む津波。
瓦礫。焼け野原。へばりついた泥もひからびた写真。ふやけたまま乾いた雑誌。首の取れた人形。瓦礫。瓦礫。瓦礫。
見つからないまま埋もれている人。見つかる前に腐敗した人。誰にも見えないまま流された人。そこにいるのに見つけてもらえない人。ここまで来たのに息絶えた人。
父を待つ子。母を捜す子。子を捜す母。子の写真を抱く父。
失くしたものを思うときに、心に去来する何か。形にならない、色も匂いもないその何かを脳裏に映し私の眼から涙が流れる。
Tu va bien? Comment il est, le temps de là-bas... il fait beau? Ici, il pleut il pleut il pleut sans cesse... ― 2011/06/18 11:57:08
普段は超短文でコピー書いてんだけど、仕事離れるとどうも文章がコンパクトにならなくてダメだね(笑)
なので、新たにエントリーしました。
私、ブログの場合あまり「推敲」(←よく使ったねえこの言葉。笑)とかしないで書き散らしているので、もしも私の文章から「関西ではもう福島はダメだということになっている」と思われたのなら関西の名誉のために(笑)訂正します。誰もそんなこと思っていません。私の情報源は主に購読している地元紙の朝夕刊とインターネットだけですが、地元紙はわりとバランスよく報道する新聞(逆に言うと主張に特徴がないということ)ですから普通に読んでいたらあまり頭の中は偏らずにすむはず。
(ついでに申し上げると、地域の事情で世間一般に先行して共同アナログアンテナが撤去されちゃったので、5月から、もうテレビ全然映らないのだ。ま、もとより私は例外を除いて全然視聴していなかったし、母も娘も「テレビなしライフ」に慣れるため番組を厳選していたので、動揺は少なかった。今はとても生活が平穏です。さらについでに申しますと、朝昼のワイドショーや夜のニュース系番組などは、それこそ全然視聴する習慣がなかったので、3月11日直後こそ報道番組(だらけだったし)は視ましたが、テレビの番組編成が落ち着いてからは全然。批判や擁護の対象になっている識者やコメンテーターの類いがどこの誰のことだかもわかんない)
地元紙では、被災地の現状も原発さんのごきげんも、どこどこの校庭の放射線量,どこどこの農産物の検査結果などなど、わりときめ細かく、数値も併せて報道してます。
その報道内容をいちいち疑ってかかる人は、読者の中にそうはいないと思います、関西では。それは、信用しているというよりは、関東・東北、あるいは東海に比べれば被災地や原発への関心が低いからといったほうがいいでしょうね。また、いくら問題意識を強く持ち、高い関心を寄せていても、現地へ赴かずにこっちで普段どおり暮らしている人間が、気分で震災や放射能漏れのことを口にするのは憚られる、そういう気持ちは誰もが持っているように思います。
大手の全国紙を読んでいる人はまた違うかもしれません。
私も別に誰かが何かを隠蔽してるとか画策しているとか、思ったことありません。政府も経産省も保安院も東電もそんなにアタマの回る人たちじゃない、アマチュアで甘ちゃんだよね、という思いはおさかさんと同じです。
新聞を読んでいると、被災地の生活が相変わらず苦しいことや、それでも次の段階に向けて活動を始めている人のこと、子どもたちの健康を心配する親たちの声も、個人個人に取材してレポートしたりしています。まあ、新聞社もあの手この手で面白い紙面にしないといけないから工夫と苦労の跡が見て取れます、連日。親を亡くした高校生が、助けにきてくれたレスキューの人たちの活躍を見て、消防士になってレスキュー隊員になると語っていたいつかの記事は、泣きました。うう。阪神の時も同じような話があったなあ。
子どもを守らないといけない、ということはけっして魔法の言葉などではなく、日本人のみならず世界中の大人が最優先で肝に銘じなくてはいけないことだと思います。ただそのベクトルは個人によって違うしね。子どもを守ろうと思った時にどう言葉で表現するかも人によって違う。
私は、当事者でない分、どんなふうにでも振る舞えます。子どもを守れえええと叫ぶように書いても、そうでなくごく淡白に述べても、それで誰かを扇動しているわけではないし、また煽られてそうしているわけでもありません。
究極の選択を迫られた時にどっちに立つだろうかと考えたらやはり脱原発に立つだろうな私は、と自覚してはいます。発想がそこに在るので、そのあとの思考のみちすじも分かれてくるんでしょうね。
原発と放射線医学とは同じ土俵で論じられないと考えています。数年前,微粒子学会に張りついて一般向けの成果発表パンフの制作をしていたとき、重粒子線治療研究をしている研究者たちに会いました。放射線を人体に有用な役立つものと捉えてその利用研究と開発にいそしむ立場と、原子力発電所建設の際に有害な放射能が漏れないように設計し、万が一の時の対策を準備する、という立場は、世間話はできても議論にはならないと思います。
今,高度先進医療が身近なものになりつつあるので、放射能,放射線,放射性などと聞くと即有害だと断じてしまうような「風評」は消さないとね。だからって、私はその違いを説明するほど勉強していませんが。
娘が出てからものすごいどしゃ降りの雨でしたが、すぐ止みました。おかげで洗濯機を3回、回せたよ。それにしても毎日よく降るね。
J'ai mal partout! ― 2011/06/08 14:33:55

スズキ コージ著
ビリケン出版(2000年)
いつもいつもいつもしんどい、という限りなく更年期的症状に近い状態にはカラダもアタマも慣れつつあるのだが、近頃そこらじゅうが痛いのである。頭とか腹ではなく膝とか肘とか指の第二関節とか踵とか土踏まずとかいわゆる整形外科的疼痛である。そんなもんアンタ前からじゃないの、あっちもこっちも痛い、なんてのはさあ、とおっしゃる向きも多かろうが、現在のように同時多発的な痛み発症というのは、なかなかどうして、私の場合珍しいのである。じつは今年初めから膝関節が痛くて曲げ伸ばしが困難になり、正座するのがひと苦労なのである。正座できないというのは、我が家での暮らしにも支障があるし、居酒屋のお座敷席でも難儀するとあって、非常に不都合な真実である。しかし、そんなことになってしまったのには原因があり、したがってこれは治癒する痛みだという診断が下され、そして医師のいったとおり、GW過ぎると痛みはかなり軽減した。したのだが、膝が楽になって喜んだのもつかの間、さきほどならべたてた部位の数々がいっせいにブーイングを飛ばすように痛み始めたのである。まともに歩けないから家の中ではほとんど伝い歩きである。外を歩くときくらいはしゃきっとしようと思って無理するので、職場や自宅に戻ったとたん、前かがみで足を引きずり、ほとんど老婆。これじゃあスズキコージのつえつきばあさんのほうがよほど元気でダンサブルなのである。年に一度の祭りの日。山奥のあちこちの集落から人々が集まって踊る。つえつきばあさんたちもつえつきおどりを踊るのである。こういう年中行事があるから元気でいられるのだな。膝を傷めた時、かかりつけの整形外科医は「絶望的なほどの運動不足がそもそもいちばん問題」といった。つまり、あまりにも体を動かしていないから、突然動かした時の負荷が何倍にも膨れ上がってしまうのである。運動不足解消には何がよいか。つえつきばあさんの例のように、やはり年中行事に限るのだ。私の場合、原則祭りは見物オンリーだ。これではいかん。参加型の祭りが必要だ。祭りでないといかんこたあなかろうに、とおっしゃる向きは多かろう。たしかに、早朝や夕方に近くをジョギングするとか、いや、走らずとも歩くだけでよいではないか、ウォーキングしなはれ、というか、通勤は徒歩に変えなさい。ハイハイ、おっしゃるとおりです。最近よさげなスポーツジムもできたことだし、体験エアロにでもいってみっか。いろいろと、私だって、検討しないわけではないのだ。しかし、どれもこれも生活の中での優先順位をいうと下位にきてしまう。時は金なり。一秒でも惜しい毎日を過ごしているのでジテキン(自転車通勤)はやめられない。ましてやジムなんぞに行く暇はない。しかし、地域の年中行事は優先順位のトップに上がる。地域の夏祭り、子ども祭り、地蔵盆、レクレーション、運動会。どれひとつとして外したことはない。どういうわけか、休日に仕事を入れられそうになっても「すみません、町内行事があるのでほかの日にしてください」というわがままが通る。お母さん、●月●日、買い物行こうよという娘にも、あかん◆◆祭りの日やもん、というと聞き分けがいい。というか「ウチも行くー」である。現にウチの娘は夏の神輿担ぎに必ず参加している。べつに義務づけられているわけではない。ないが、季節がめぐると、参加せんでどうする、みたいな気持ちになるのである。炎天下でほぼ丸一日まちを練り歩く。ハードワークだ。体力使うぞ。そうだ。私にもそういう行事があればいいのだ。杖つかないと歩けなくなる前に、この夏の盆踊りには参加を表明しよう。うう、痛い。ふざけているようだが大真面目である。そこらじゅうが痛いのである。
La vérité ― 2011/05/27 23:15:28
http://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon_bis/sommaire.html
上記サイトの日本語訳のあるページ(最近のレポートはありません)
http://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon_bis/en_japonais/japonais.html
こんなネタ探せばいくらでもあるだろうね。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1437
テレビ番組のコピーみたいですね。たまにはテレビも見んとアカンのかな(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=YA2LaX8eGDA&NR=1
諸悪の根源。べつにこれに限らず。
http://www.youtube.com/watch?v=KlCmPJEd5f0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BTAJvigFNnc&feature=related
もう黙ってられない! というサイトです。もうちょっと整理してほしいけど。
http://blog.goo.ne.jp/chiba20110507
どんな写真を見ても動じない人はどうぞ。
http://www.youtube.com/user/shinsaiganbarou
どこかから引っ張った女子高生のメッセージ。出典、コピペし忘れました。
***********
真実
助けてください
福島県南相馬市の
女子高校生です
わたしは友達を津波で
なくしました
私の友達は
両親をなくしました
私の無二の大親友は
南相馬でガソリンが
ないため避難できずにいます
電話やメールでしか
励ますことしかできません
親友は今も放射能の恐怖と
戦ってます
だけどもう、諦めてました
まだ16なのに
死を覚悟してるんです
じわじわと死を感じててるんです
もし助かったとしても
この先放射能の恐怖と
隣り合せなんです
政治家も国家も
マスコミも専門家も
原発上層部も全てが敵です
嘘つきです
テレビでは原発のことが
放送されなくなりつつあります
同じ津波の映像や
マスコミの心ない
インタビュー
口先だけの哀悼の意
被災を『天罰』と言った政治家
政治家はお給料でも
貯金でも叩いて助けて下さい
彼らの贅沢をやめて
被災者を生きさせて下さい
命令ばかりしないで、
安全な場所から見てないで、
現地で身体をはって助けてください
私達は・・・見捨てられました
おそらく福島は隔離されます
完全に見捨てられます
国に殺されます
私達、被災地の人間は
この先ずっと
被災者を見捨てた国を、
許さないし恨み続けます
これを見てくれた人に
伝えたいです
いつ自分の大切な人が
いなくなるかわからないです
今隣で笑ってる人が
急にいなくなることを
考えてみてください
そしてその人を
今よりもっと大切にして下さい
今、青春時代をすごす
学校が遺体安置所になってます
体育や部活をやった
体育館にはもう二度と
動かない人達が横たわってます
どうしたら真実を
一人でも多くの人に
伝えられるのか・・・
一人でも見て貰えれば幸いです
考えた末、勝手ながら
この場をお借りしました
ごめんなさい、そして
ありがとうございます
***********
もう一個、ゆうちゅうぶからコピペ。
***********
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【転載歓迎】
(これをご覧になられた方へお願いがあります。あなたの家族や友達など大切な人に伝えて頂けないでしょうか?このバトンが日本中に回ることを期待しています)
小出裕章さん【原子力の専門家が原発に反対するわけ】
http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk
2011年3月20日に行われた小出裕章さん(京都大学原子炉実験所 助教)の講演です。小出さんは原子力の研究者という立場から、原子力の危険について、40年以上に渡り警鐘を鳴らし続けて来られました。その警鐘空しく、私たちは東日本大-震-災で福島原発の大事故を招いてしまいました。今も現場では作業員の方々が命がけで復旧に取り組んでおられますが、まだまだ予断を許さない状況が続いています。空や海に-広がる-放射能の影響も心配です。
この苦しい経験から私たちは学ばなければいけません。同じ過ちを繰り返さないように。子供たちに安心して暮らせる世界を残せるように。この地球に生きるすべての人に届けた--い。隠される原子力・核の真実。あなたの大切な人に伝えてください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここまで↑
映像をアップしましたTJです。山口県上関町に建設されようとしている「上関原発」の現場に身を置き1年7ヶ月、写真や映像を発信しています↓
「スナメリチャンネル」をご覧ください。http://www.youtube.com/user/hakunamatataTJ
(リンク歓迎です。ブログやツイッターなど、市民メディアで伝えてください!)
***********
ついでに関係ないけど。基本、ジモッピーは応援する私。
http://www.youtube.com/watch?v=F5Mbs6Ho-Lg&feature=related
だからさ、ガッキーもがんばルンバよ。地銀の支店長代理みたいな風貌は許すからさ(笑)
もう、5月の下旬だよ。
ゲンパツ壊れてから、とにかく子どもたちを助けろってずっとゆうてるやん。周りがなんと言ったって、京都のあたしたちには直接影響がないっつーのは脇へおいといて、とにかく逃げろ離れろってゆーてんのに。
きょうやっと、「年間1ミリシーヴェルト」
遅い。
ほんま、めっさ遅い。
解散しろよ文科省。小学校で英語で遊ばせてる場合か。
ああ眠い……アタシももう少し、がんばルンバ。
Si cela vous intéresse... ― 2011/05/09 23:08:47
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110509.html
出来の悪い番組だったらごめんなさいね(笑)。
くたくたである。
立ち働くの止めて座ったら、その瞬間から両の瞼が閉じ始めるという感じ。ましてやどこであろうとちょい横になったら瞬時に爆睡しそう。昨夜も米をといでいて、炊飯器にセットしてふう、と床にへたり込んだ姿勢のまま、次に気づいたら午前3時だった。末期症状。
毎晩、お米をとぎ、発芽玄米を混ぜ、ときどき雑穀をプラスして、水加減して、タイマーをセットする。よくわからないけど、今の私にとってこれが至福の時間である。忘れると翌朝の弁当づくりがドエライことになるので(笑)半ば強制労働(笑)なのだが、お米をとぐという行為、米粒をもてあそぶ掌の感触が、なんというか、誰にも譲りたくない感じで悦楽なのである。
つーわけで、毎夜の儀式にこれから取りかかり、そのあとチェルノブイリを視て寝るとしよう。おやすみなさい。