Nicolas Sarkozy doit s'entretenir avec le Premier ministre nippon Naoto Kan... ― 2011/03/30 18:37:44
ニコラったら、麗しのカーラさんじゃなくて原発作業ロボ連れてくるんかな。米製より仏製が性能は上よって?
すみません。ふざけたいわけじゃない。
フランスは原発大国であり先進国だ。核保有国でもある。
だからってその国民が核について正しく理解しているわけではない。ま、もちろん、いったい誰が核について「正しく」理解しているだろうかと問われれば、誰ひとりいないと答えるしかないけどね。
福島第一原発が事故ったとの報に最も敏感にそして迅速に動いたのはフランス人だった。それは放射能がどんなに危険なものかをよく知っているからといえば聞こえはいいが、実際には、政府が退去命令を出したこともあるけど、故郷の実家の親とか友人たちが過剰反応し日本列島が速攻で汚染されているかのようにパニクって帰れコールを起こしたからだ。公式発表は曖昧ではっきりしないし(したところで日本語だし)、いきおいネットで仏サイトでニュースをゲットするとやはり大騒ぎしてるし、関東圏の日本人も買占めしたりして右往左往しているし、よくわからんけど実家を安心させるためにもここはとにかく帰るべ、という人が多かったんじゃないかな。もちろん、誰よりも本人がパニクっていた可能性もあるけど。
仕事や学業で来日し、そこで日本人と出会い結婚し、家庭を築いたフランス人を少なからず知っている。カップルのありようはさまざまで、どの家庭もが皆サンパな(=感じがいい、好感の持てる)訳じゃないんだけど、それぞれなりに今日までのプロセスがあることを思うと、こういうときの配偶者の態度、原発推進派なのか反対派なのか、みたいなことも含めて、平時には現れないはずの潜在意識や隠し持っていた哲学、平たくいえば生活する上での不具合の申し立て、もっとあっさり言うと配偶者への不平不満、なんかが一気に噴出したりはしないのかな、といい気味だ、じゃなくて(笑)憂える事態じゃないのだろうか。いやこれは日仏カップルだけに限ったことではないんだけど。いや、わかってる。余計なお世話だ。
なにがいいたかったんだろう。
そう、余計なお世話だ。
助けたげよう、手伝ったげよう、そう申し出てくれていたフランスやアメリカに最初から素直に頼ってればいいのに。そう考える日本人は多いだろう。私もだ。非常時なんだし。でも何をどうしてもらったらいいのかすらわかんなかったんだから、それぐらいお子ちゃまレベルだったんだから、もう何をいってもしかたない。今ようやく何をすべきかわかりましたから助けてください、そうお願いしたということだからそれはそれでいい。
でも大統領が来んでもええやん。
阪神淡路大震災が起こったとき、私はフランス人スタッフの中で働く、という環境にいた。知的でいいやつばかりだったが、ものごとすべて、あるいは日本すべてを見下す傾向のある人たちで、それは悪意からではなくて、彼らの国民性に中華思想がどうしようもないほど染みついているからなのでしかたないのだが、それでも日本人の私にとってはかなり鼻につく発言が多かったことは事実だ。
震災のせいで、私たちの職場と関わりのある、ある紳士(日本人)が亡くなった。その死を私たちは大変悼んだが、でもけっきょく、ウチのフランス人スタッフらは、少し交通が落ち着いた頃を見計らい、めいめいカメラを持って、グループをつくって出かけた。街の姿が一変しているから、神戸に行ったことのある人もはぐれちゃうといけないし、みんなで行けば心配ないよね、という感じで。
何をしにいったかというと、物見遊山である。
炊き出しするでなく、物資を持っていくでもなく、また、亡くなった例の紳士宅は崩壊してしまっているし家族は避難していたしでお見舞いに行くでもない。行って眺めて写真に収めてくるだけならそれは物見遊山だ。
翌日出社したスタッフが得意げに写真を披露してくれたとき、その写真の数々は文句なしに衝撃的だったが、写されているもの云々とは別の次元で、私は静かな怒りと彼らへの殺意を抱いた。いや、それはすぐに消えたんだけどね。仕事もあったし。
ニコラはナオトに何を言うのだろう。
未曾有の大震災に遭われてお見舞い申し上げます。
国際社会に対する日本の貢献度を引き合いに出すまでもなく、われわれフランスはこの日本の苦難を少しでも軽減するための援助を惜しみません。必要なものは何でもリクエストしてくださいスィルヴプレ。原発処理作業スタッフはいくらでもいますからとっかえひっかえ提供します。ムッシュナオトカン、くじけちゃいけません。大丈夫、原発はもっと頑丈に作ればいいんですから、福島のは無理にしてもね。ご所望ならヒントはいくらでも差し上げましょう。
……言わないかな。
言うかも、でしょ?
余計なお世話だ。
ムッシュナオトカン、今回の大災害を教訓に、将来的には原発を全廃する方向で行かなくてはなりません。フランスも脱原発を模索しているのです。クリーンエネルギー創出のため、日仏の叡智を結集しましょう。
……言わないよね。
Il faisait chaud comme le printemps... ― 2011/03/30 01:37:12
「今年度」がもうすぐ終わる。たしか去年も、年度替わりのときに疲労困憊して弱音を吐いたような記憶がある。暑いのをこらえて、冷房とも戦って、必死で体調維持して過ごした夏。いろいろな行事に思うように参加できない悔しさから来るストレスと物理的な過剰労働でどうにかこうにか立っていた秋。豪雪極寒きわまれり、って感じで、手持ちの冬物衣料では太刀打ちできないので思わぬ出費を強いられた冬。花粉症の春。
と、自分のことだけでも捌ききれないほどしんどいのに、娘のバレエと受験に思いのほか手を取られ時間を費やした。建て替え中の隣家に南側の採光口を遮られてしまい植木が半分ほど枯れてしまったし。金魚は2匹しか残らないし、冬眠から醒めたミドリはせっかく起きたのにちっとも暖かくねえ、なんて憎まれ口をたたいているかもと思うほど、うごかず、ひどく痩せている。
このごろ普通に歩いても息切れするようになり、ひどい運動不足を感じている。現状は打破しないといけないから、どんなに息が切れても歩くべき時は歩くが、そんなの、歩かなくてはいけない距離からすると雀、というよりミミズの涙であろう。と言って、ウォーキングしたり、スポーツジムに通ったりなんて芸当はとうてい不可能だ。通勤を徒歩に変えるのがまずはいちばんいいのだが、けっこう日中得意先回りをする私にとって自転車は必須アイテムなのである。チャリ通勤は止められない。
けっこう打ちひしがれているのに全然食欲は減退しない。どころか、毎日食べ過ぎを自覚している。このままでは天災があっても人災があったとゆっても逃げられない。
ヤバい。
7h41: Trois ouvriers de Fukushima irradiés ― 2011/03/24 19:30:32
今、東京の水道水が安全でなくなり、現実に被曝した人たちが出るに及んで、ようやく都会人が覚醒しつつある。もう、原発は止めよう。本気でそう決めなくてはならない。原発をやめてしまうことに躊躇していた国々が、福島第一原発のありさまを見て、再建や再稼動を中止したり、廃炉を決めたりし始めている。
福島第一原発がおとなしくなるまで手当は欠かせないかもしれないが、国も東電もまだ「修理して使いたいんだよね」という気持ちを持っているように見えてしかたない。結論がどう転ぶにしろ、危険な作業が続くことには違いないのだろう。今必死で働いている人たちの無事を祈るしかないが、それでも、「原子力発電の恐ろしさがよくわかりました、だから今後順番に廃炉していきます」という姿勢を見せるのと見せないのとではずいぶん違うと思うんだけど。
あっちこっちで、公の発表には現れない議論がなされている。
偉そうなことを言う私も、まるで判断能力はないけれど、一読に値すると思われるページを貼っておく。
http://takedanet.com/
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
こっちは、「フランスではガイガーカウンターがいまだかつてないほどの売れ行き」というリベラシオンの記事。原発大国だからな。
http://www.liberation.fr/terre/01012327272-en-france-les-compteurs-geiger-s-arrachent
テレビは見ないがインターネットのニュース配信は見る。
http://www.ustream.tv/channel/nhk-world-tv?lang=ja_JP
(関係ないが、最近娘が「何でもネット上にあるねんな」ということを知ってしまい、見逃した《くだらない》ドラマや友達の間で評判の《どうでもいい》映像を、暇なのをいいことにずっと見ている。これまでせいぜいミュージシャンのPVやバレエの舞台映像程度だったのに……。だがこれでテレビがなくなっても大して不自由はないことに気づいたであろう。我が家ではニッポン全国地デジ化の機会にテレビの視聴を止めるつもりだから)
だが、何よりも、せっかく命拾いしながら避難所や仮設診療所で死んでいく人が後を絶たないことが悲しくやるせなく、何をさておいても被災地避難民の救援救護にすべての力を注ぎたい。水も食糧も物資もまず被災地に送られなくてはならない。今日命ある人が明日も朝を迎えられますように!
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_-_new_fears_as_the_trage.html
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_hopes_fade_for_finding_m.html
http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_one_week_later.html
だが飲む水のない都会の子どもたちの状況も深刻だ。
海外からはまず水をもらおう。水ください。エヴィアンでなくていいの。水道水でいいから。
私はといえば、少しだけ「お岩状態」を脱している。目薬が効いているのか、ちょろちょろ降った雨のせいか。今日はよい天気で花粉も飛び放題だった。久々にしんどいが、まず今シーズンの山のひとつ目を越えたのかなという気がしている。アイメイク再開の日でしたの巻。
Quelle cauchemar...! ― 2011/03/20 12:08:43
それは別に夜遅かったからでなく、昼間でも、PCを見ることを目が拒否しているのがわかる。閉じよう、閉じようとするのである。要は眠いのだが。いくら眠くても、仕事に追われているとか頻繁に電話に見舞われるとか、そういう状況でいれば睡魔も逃げるんだけど、ここのところダメである。
花粉のせいもあると思う。何年か前から鼻より目と喉に強い症状が出るようになって難儀している。今年は大量飛散が早く始まったので、従来スギにはたいして反応しない私も、早くも両目両まぶたが「お岩」状態である。
寝ていろと言われたらたぶん1週間くらいノンストップで眠り続けることができそうだ。そんなことをしたら腰痛悪化で二度と起き上がれなくなってしまうかもしれないけど、それほど睡眠は不足している。PCに向かう時間は過剰である。
こんな時期なのに、リビアで戦争している。
シリアやイエメンでも人が死んでいる。
自然災害は誰も恨みようがない。だから歯を食いしばって、不平を言わず、みんな頑張っている。脱兎のごとく逃げる外国人が多い中,残って手伝ってくれている人もいる。
こんな状態の国が世界のどこかにある今だから、せめて故意に人を殺めることは今は止めておこう、という気にはならないのだろうか。……ならないんだよね、
Je ne peux pas penser à autre chose en ce moment qu'à vous et au peuple japonais. Toutes mes prières sont pour le Japon. ― 2011/03/18 22:21:37
一日がすごく長い。
そりゃま、毎日12時間働いているから実際長いんだけど。
ずっとニュースサイトを自動更新させながら開けている。更新されるたびにチェックできるわけではないのだが、それでも最新情報はとりあえず得られる。いや、言われなくてもわかっている。最新情報を得たところで私には何もできない。ただ、ああ気の毒に、ああたいへんだ、どうか無事でいて、彼らをお助けください神様、と心の中でつぶやくだけだ。
とりあえず私たちは大丈夫。何度もそう告げてはいるけれど、報道に温度差のある海外では、ことさらに原発の状況とその影響がルポルタージュされているようで、食いもんあるか?なんて心配するメールが届く。あるよ。困ってないよ。
そんな返事を書きながら、ため息をつく。
自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。
「●●寺の前を通りかかったから、義援金入れてきた」
「へえ、いいことなさいましたね。でも、ホントに被災地へ届くんでしょうか」
「そこやねん、一抹の不安は。義援金入れるとこ、普通の賽銭箱やった」
「それって、お寺の収入として遣われちゃうかもですね(笑)」
「ほんまになあ……大きな寺ほど強欲やからなあ」
「こんなときこそ、だだっ広い境内や本堂や、道場とか研修場とか提供したらどうなんでしょうね。頼まれるの待ってんと、受け容れます、来てください、って言うたらエエのに」
「賛成や。けど、それはそれで社寺間の大いなる競争みたいなもんを引き起こして醜い争いになるような気がせんでもない」
「あ、そうですね。一段落した頃にウチは何人受け容れたぞみたいな坊さま談話が飛び交いそうな」
「いややなー。聞きとないなー、そんなん」
通学用のスニーカーを買おうね。ハイソックスは紺でないとあかんって。お弁当箱と水筒、可愛いの見にいこうか。……
今のようにほぼ毎日10時間以上仕事に拘束され、月に7日くらいは午前様の日があり、休日の半分は潰される、というような生活をしていると、私の家庭と体は本当に崩壊してしまう。最近マジでそう思うようになってきた。
母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。
それより、ヤツのために4月からお弁当ライフである。
これまでも年間に数日程度とはいえ、給食休みや休日練習や競技会とかなんとかいってお弁当の日はあったのだが、それはあくまで非日常的なイベントであった。これが毎日となると生活習慣を根底から考え直さねばならない。そこの奥さん、笑っているけど、アタシにはターイヘンなことなんざんす! でもでも、だんなさんの分、上の子の分、下の子の分というふうに毎日毎日複数つくって家族を送り出しているお母さんたちは実際山のように居られるのである。しかもキャラ弁なんかつくってらっしゃるのである。まるで魔法使いである。
だから今年に入ってから実は、簡単に作れるお弁当おかず、とかお弁当にもぴったりの作り置きおかず、とかいろいろ練習してお弁当向きおかずレパートリーを増やしている。週末ごとにいろいろな惣菜をどかっと作って毎週連日試食会、って感じ。おおむね好評である。
我が家はそんなに好き嫌いはないので、食事はたいてい大雑把な支度でも何でも食べてくれるが、娘は減量期間がしょっちゅうあるし、母はものが噛めないときている。おのずと草食動物の餌みたいなおかずになってしまうが、パワーはつけないといけないので、育ち盛りの子どもじゃないけど栄養価の高い献立をこころがけている。
娘が盛んに陸上のトレーニングにいそしんでいたときはガンガン食べさせたが、結果、ものすごくウエイトアップして筋肉モリモリ(笑)。これじゃ舞台に立てませんよというくらい逞しくなっちゃったのであった。ついた筋肉はなかなかとれないが、ウエイトダウンは徐々に進み、小さくいくつも目標を置いて小刻みに達成しているようである。
Count down ― 2010/12/30 23:57:15
※公開ボタンを押すの、忘れて寝てしまいました。
Rainy day ― 2010/12/22 02:16:19
風邪を引いた ― 2010/11/13 23:30:01
故障中 ― 2010/06/08 17:08:40
とはいっても大げさなものでなく、花粉のせいでネジが一本二本落ちた程度のことなので、年中行事である。
花粉が原因で、必ず「一日寝込んでしまう」という日がある。例年それは五月のGW真っ最中に起こる(笑)。ま、GWなんつう時期に行楽地へ出かけたりするような暴挙はもう数十年慎んでいるので、しんどくなるとわかっていてGW中に外出したりすることは、けっしてないのだ。
花粉症を患ってるかたにはおわかりいただけると思うが、症状を予め抑えるために早めに対策を講じるとすると、早い人だと2月の初めから服薬しないとならないだろう。そしてそれは中断することなく継続しなくてはならない。
私はスギに対しては軽症なので、例年ヒノキ対策として3月から薬を飲み始めていた。本当はそれだと少しだけ遅いのだが、とにかく医者に診てもらう時間を捻出するのがひと苦労だから、2月の終わりくらいから「行かなくちゃ行かなくちゃ」と思い始めてやっと3月中旬あたりになって抗ヒスタミン薬を入手する。私の場合、服薬を6月の下旬あたりまで続けるわけだが、花粉症の薬というのはけっこう身体に負担がくる(と思う)。はっきり効果が出なければ三文の値打ちもないので、しっかりと効果が出るようにつくられている。そのぶん、副作用は避けられない。ぎょえーというような副作用は、私の場合はないけど、普段飲み薬と無縁の生活を送っているので、なんであれ内服薬というもんはカラダにコタエルようである。
3月から飲み始めた薬に対してカラダはひと月もすると悲鳴をあげようとする。そもそも、遠いお山から飛んできて24時間浮遊し続ける花粉のせいで、すでにカラダは悲鳴をあげている。花粉飛んでるから、服薬中だからって仕事をセーヴするいいわけにはならない。(なんでならないの?病気だよ、れっきとした。……と思うんだけどねえ)
必死で引っ張って、踏ん張って平気な顔して適当に仕事捌いて、その引っ張り続けた糸が一度ぷつんと切れるのがGWの頃だ。
発熱するわけでもどこが痛いわけでもないが、ただ苦しくてしんどくて一日中寝る。
掃除も洗濯もご飯も全部パス。
しかし、今年は少々事情が違った。
どうもスギさんもヒノキさんも例年のようにダイナミックに飛行しておられなかったようだ。症状が出ないわけではなかったけど、なんとかやり過ごせる程度であった。
それに加えてかかりつけの耳鼻科医院が閉院してしまったので、どうしよう、と思いつつアクションをおこせずにいた。
五月はイネ科の雑草の類いが活発になる。私にとっていちばん手ごわい敵が、実はこのイネ科である。「医者に行かなくちゃ」と危機感を募らせてはいたのだが。
例年になく機嫌よく過ごしたGWが終わり、雨が続いた。
雨があがって、ピーカンの五月晴れ。
きたっ
どうやらカモガヤに代表されるイネ科の雑草がにょきにょきと伸びてせっせと開花したようである(泣)
朝から晩までクシャミしっぱなし、という土日を過ごし、意識朦朧としたままただ座っているだけという月曜日を終え(そんな状態でもこの日はオフィスにいなくてはならなかった)、翌火曜日、とにかく這うようにして出社したが。
「すみません、早退します」
「まあ、どうしたの」
「眼も鼻ものども機能しないんです。どえらいミスをしないうちに」
「まあまあ。そんなにしんどいの? 気の毒ねえ」
「今日特効薬もらって、明日必ず復活しますので、すびばせん」
「あらあら、もうしゃべらなくていいから、早うお帰り」
娘の中学校近くに見つけた耳鼻科で診察、「よく効きますからね」と太鼓判を押された薬を飲んだり差したりしている。
クシャミもハナものどのイガイガも改善した。
見た目、別人のように立ち直ったが、実は思考回路は壊れたままである。
「へ」でもない仕事がフィニッシュできず停滞している。
会議討論を録音したテープ(カセットテープですよ、あーた)の中身を誤って消去してしまった。(討論記事はほぼでっちあげで何とか提出)
今週中にお出しします、と約束した「今週」はいにしえの彼方に。(先方が怠惰と重度健忘症を粘土で人形にしたような人なので大怪我はしないで済むと思う)
今日アップ予定のポスターのキャッチコピーがぜんぜん、これっぽっちも思いつかず、ひと文字にすらならないので、目先を変えようと思ってブログを書いている。
故障している間に、世の中ではいろいろなことが起きていて、身内にもいろいろ起きていて、読書だけはハイペースで進んでて、書くことは山ほどあるけれど、「考える」あるいはもっと控えめに申し上げると「思いめぐらす」という行為が続かないのである。
ぐだぐだほげほげと愚痴や雑言を吐いているようにしか見えないだろうけど、この拙ブログだって、いちおう頭を働かせてはいるのである。
いろいろの、起きた出来事ひとつひとつに反応して、思考回路ストップ状態で書けば、非人道的な暴言と、およそ大人の女としてはサイテーな泣き言繰り言に終始して、目もあてられないのである。
ここ数日は、サイードの本を読んでいた。今は亡き、愛しのサイードである。彼が白血病と闘いながら何とか発言を続けていた頃のインタビュー集。彼の死を知ったのはインターネット上でだったと記憶しているが、パソ画面に焦点の合わない視線を投げたまま、私は激しく泣いていた。涙がとめどなくあふれ出て、止まらなかった。あとから思えば、その頃ひとつ恋を失くしてからあまり時が経っていなかったが、目まぐるしい日々を消化するのに必死だった(という状況は今も同じだが)ところが、サイードの訃報によって緊張がいっぽん切れて、こぼれた感情が滝になったのかもしれなかった。
怒涛のごとく喪失感が突き上げて、長いこと、長いこと泣いていた。
泣いた記憶を呼び戻したくて、書架から文庫本を引っ張り出したのだった。(書物の内容に言及し始めると暴言の連続になりそうなので、また今度)
父を亡くしたときは事実の重さに呆然としていて泣けなくて、アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺はショックが大きすぎて涙が出なかった。エメ・セゼールのことは数年前から覚悟していたし。誰かを亡くして泣くということは思っているよりずっと希少なことなのである。
今度、怒涛のごとく泣くときは、喜びで泣きたいなと、故障中の頭で、思う。
ハイチ ――ちょっとそこの君、忘れてたでしょ。 ― 2010/03/11 00:45:15
いっときぬくぬくぬくと気持ち悪いくらい暖かくなって、ホラ来たぞって感じで花粉が飛び始めた。ら、目がしょぼしょぼしてったくもおおおお、何も飛ばなくても疲れ目だってのに、やめてよ。という日々が続いたが、ここ数日の寒波でさすがの杉も開花のタイミングが狂わされているのかそんなに花粉を飛ばしていないようである。一昨年あたりから私は花粉症の症状の出かたが劇的に変わっていて、とりあえず杉花粉に関しては、鼻から眼へと、まるで奴らが標的を変えたかのように、ダイナミックに移行している。檜のピークになるとまた事情は違うけど。
そんなわけで相変わらずしょぼしょぼしている目だけど、ちょっとかゆみや異物感や重みはましなのである。寒いせいである。寒さ万歳。
先日チリで地震があった。そのせいで津波が来る!というニュースが世界を駆け巡った。ちょうど例のダリ本の書評が新聞に載った日の前夜である。翌日の日曜、私は娘のバレエ教室のリハーサルを、夕方見に行った。ママフレンズたちと発表会当日の役割分担や段取りを話し合うためもあったので、リハが一段落したときに集まって立ち話をしつつメンバーが揃うのを待っていた。で、あ、そーだ朝日買わなくちゃと思い出し、近くのコンビニに走って朝日新聞を買いにいった。
教室に戻るとママフレンズのひとりが「津波、津波はどうなった?」と私の新聞を見て叫んだ。
へ? 津波?
そのとき時刻はもう5時か6時だったので、津波が予報された時刻はとっくに過ぎていたし、何のニュースも聞かなかったから、私はとっくに津波の危機は去ったと思っていた。が、そのママフレンドは「我が家の一大事」とでもいうように興奮して津波津波と繰り返す。
古来天災に悩まされた日本列島は、十数時間後に3メートルと予測された津波に対して打つ手がないほど、ナイーヴではないはずだ。30分後に10メートルといわれたらそりゃ慌てる。被害の大きかった過去の災害は予測不可能なほど突発的であったり、予想を遥かに超えて大規模だったりしたためにそのような事態を招いたが、この国では政治家も官僚もアホだが庶民は知恵者であるから備えは万全であっただろう、いくらなんでも。
と、思っていたので、また内陸住民の気楽さも手伝って、津波のことなんかすっかり頭から消えていた。親戚とか実家とか友人が沿岸部に住んでいたらまた意識のしかたも違ったであろう。例のママフレンドにもそんな事情があるのかもしれない。と思ったがスルーして、新聞の中面を開いてダリ書評をママフレンズに見せ、さんざん宣伝した私であった。

ヒラリー・クリントン&ルネ・ガルシア・プレヴァル
Le 16 janvier 2010 a Port-au-Prince. AFP/Nicholas Kamm
で、ちょっと、そこの君。忘れてたでしょう、ハイチを。
は、はい、先生。忘れてました。
実はチリ地震の前までは覚えていたのである。
購読しているあるメルマガからたいへん有意義な記事が配信されたということもあったし。
以前ハイチについてブログに書いたとき、さくららさんという方が、ハイチ情報を求めてたどり着いてくださった。あれ以降、さくららさんはハイチについて、私のぐだぐだくだまき文ではなく、まともで正しい情報を得られただろうか。ちょっと心配だった。
購読しているメルマガというのはル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版というもので、もう10年くらい配信を受けている。ル・モンドとついているのでおわかりかな、と思うけれども、フランスの大新聞「Le Monde」(ルモンド)の外交ネタ版で月刊誌である。ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版はその名のとおり、「Le Monde Diplomatique」から抜粋した記事を和訳して購読者に配信するものだ。非常に読み応えがあって、勉強にもアタマの体操にもなる。翻訳は有志による。訳文の完成度の高さはエヴェレスト。優れた仏日翻訳者を探すならここを覗けばよいのである。
それはともかく。
2月26日、配信された記事の中にあったのがこれ。
ハイチを的確に語ってあまりある。私が説明したかったのはこういうことなのである。こりゃあいいと思ってすぐブログで言及するつもりが、忘れてしまっていた。
(なぜ忘れちゃったかというと例の書評が嬉しかったり娘の発表会前でバタバタだったりしたからである)
ハイチを忘れてはいけないとあれほどいったじゃありませんか。
めっ
すっかり報道がなくなってしまったハイチ。ハイチを忘れないでください。
ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版もどうぞよろしく。