妖怪人間ではないけれど2007/01/22 13:29:12

『倒錯の罠 ~女精神科医ヴェラ』
ヴィルジニ・ブラック著 中川潤一郎訳
文藝春秋〔文春文庫〕(2006年)


職場には海外ミステリーファンがちょろちょろいて、彼らはどういうわけか私に「読んでみな」と薦めるのに熱心だ。

私は子どもの頃マンガ本ばかりを読んでいて、自分でまともな読書を始めたのはようやく中学生の頃だ。しかもいわゆる純文学とか世界の名作といった学校推薦図書とかの類ではなく、探偵ものばかりだったように思う。当時、極端に集中して読んだせいか、探偵ものの東西横綱を勝手に決めるとしたら西はクリスティで東は横溝正史しかない、というのが持論なのである。
そのせいか、同僚たちは「他にも面白いミステリー作家はこんなにいるんだよ」といわんばかりに、次々と貸してくれる。
まあ、そこそこ面白いものもあるのだが、ミステリーとかサスペンスとか謳う以上は、あんまりすぐに犯人が推測できちゃうのはよろしくないんじゃないだろうか。言っては悪いが、これまで借りたものはいずれも、登場人物が出揃ったところで犯人をあててしまった。そうするとだな、キミ、後半読む気がしなくなるぢゃないか?
犯人やからくりがわかったとしても、小説としての骨格がしっかりあるものは読み応え十分なんだが、世に氾濫するミステリーの数々の中には、残念ながらそうではないものも多いのだ。

「これ読んで、感想聞かせてよ」
「なんで」
「だってこれ、フランスの作家だし。でさ、男性が訳してるってとこも意識してほしいんだよ」
「ヴェラだなんて、妖怪人間しか思い浮かばねーよ、あたし」
「その感覚、イイよ。そのセンで、読んでよ」

何が、そのセンだ。
つまりこの「女精神科医ヴェラ」=妖怪人間ベラとして読んでも見当違いではないってことだな?

フランス文学の傾向として、非常に描写に凝る、ということがある。
私は、大学で仏文学を専攻した人とか、専攻しなくても文系だったから仏語が必修だったとか仏文学も読まされたとかいう人に比べたら、まるで仏文学を読んでいないに等しい。だから仏文学について(仏文学に限らず文学全般において)論ずる資格はまったくないけど、一読者として、自分の読んだ範囲での感想は、言える。
フランス小説の人物描写、心理描写、情景描写は、みなさん本当に工夫を凝らされていて作者それぞれ趣向も異なってかの国の言語的深遠に感じ入るばかりなのだが。
時に冗長なのだ。
一つの物語、一冊の本として読んだ場合、冒頭もしくは前半のあれこれの描写が長すぎて、詳しすぎて、まどろっこしくて、思わせぶりすぎて、だから早く本題に入れよ、と突っ込みたくなること多々アリなのだ。でもって中盤の盛り上がりや結末が説明不足・言葉不足になってちっとも感動できないこと多々アリなのだ(←これについてはまた別項で語りたい)。
単に、私があんまり良書を読んでいないせいかもしれないけどっ。

本書も、事件を追う主人公の精神科医ヴェラ嬢について、彼女の特異性を、作者はずっとちらつかせ続ける。彼女に子ども時代を語らせ、警視への恋心を語らせ、周囲の兄弟や友人の口を借りて、ヴェラの特異な〈それ〉は暗示され続ける。しかし最後の最後まで、彼女の秘密について真実は明かされず、作者は種明かし寸前で止める。
本国では「女精神科医ヴェラ」シリーズとして、本書を含めすでに3冊出ているらしい。ヴェラの秘密は2作目か3作目かどちらかで明かされているらしい。
でも、たいていの読者は、本書の前半でヴェラが何者かを気づいてしまうに違いない。すると、ヴェラのモノローグで進むこの小説の、根幹といっていい部分への興味は半減する。あとは謎解きだが、これも、冒頭から名前だけがちらちら出てくる人物がいちばん臭う、と早々にわかる。ただ、その「倒錯」ぶりが、期待していたほどでなかったという点が、個人的には予想を外れたけれども。

物語では最後のほうで、まるですべての辻褄を合わせるかのようにある人物が真相を一気に語る。何もそんなに全部綺麗に説明させなくても、と思うほどだ。犯罪は雪崩のように解決するが、しかし、途中に登場して、入念に描写され、物語の厚みをつくっていたさまざまな脇役たちはほったらかしにされたままだ。読者としては彼の、彼女の、あの子の、その後のほうが気になるのに、と思う。
この手の作品にそこまで求めてはいけないのだろうか?

「女性が訳していたら、もっと違った文体、というか、表現だったのかなって、思わなかった?」
うーん……と私は唸りながら、別にそういう感想は持たなかったな、と答えたが、確かに女性が翻訳すると、ヴェラへ感情移入過多、となるかもしれないなとは思った。すると知性にあふれ鋭い感覚をもつ医師としての側面が減退したかもしれなかった、と思う。
「これはこれでいいんじゃないの」
同僚はちょっと物足りなそうな顔をしていた。シリーズの続刊が出たらまた読むよ、といっておいたけど、同僚の耳には「もっと面白い本持ってきなさいよ」と聞こえたかも。ごめんな。

大丈夫です!(ニャンてこった!その2)2007/01/22 19:42:49

猫の膀胱炎、その後。

処方してもらったお薬を与えて1週間が経過。
もらったのは10日分。そのあと「検尿」しなくちゃいけないし、まだ終わっていないんだけど、確実によくなっていることは、わかる。

診察してもらった翌日から2日間、血尿が出たし、投薬の影響か、便は極端に軟らかくて下痢を疑うほどだった。「こんな状態なんですけど大丈夫でしょうかっ」と何回も獣医院に電話したり、様子見に昼いったん帰宅したり。

そういいながらも血尿はぴたりと止まり、軟便は徐々に通常の状態に近くなっている。軟便だとトイレ掃除が大変だからとにかく早く前のころころウンチに戻ってほしい!

そもそも紙砂でよく遊ぶ猫なので、頻繁にトイレに行くのを遊んでいるだけだと思って気に留めなかった。その翌日、遊んでいるだけじゃなくてちゃんとおしっこポーズを構えているのに、何も出ていないことに気がついた。
もしかして、やばいんじゃないか。そう思って獣医院へ走ったのが、先週の日曜の晩だった。

うちの猫の定位置は私の背よりも高い食器棚の上。薬を飲ませるためにそこから降りてこさせるのがまた大変。おもちゃを鳴らしたり目の前で揺らしたり、よってたかってあの手この手で気を惹いて、遊んでやる振りして捕まえて、口をこじ開けて薬をピュッ。

「えらいね〜かちこいねえ〜」
「じょうじゅにのめまちたねえ〜」
「これですぐによくなりまちゅよお〜」

いっせいに猫を褒め称える私たちだが、なぜか赤ちゃん言葉になるのである。