耳を、澄ます その22007/01/06 11:20:12

『世界でいちばん やかましい音』
ベンジャミン・エルキン作 松岡享子訳 太田大八絵
こぐま社(1999年)


2006年のクリスマスに、私から娘へのクリスマスプレゼントのひとつとして買った絵本。

娘は現在小学校5年生で、5週間後には11歳になるが、自分で物語の本を読むということをまったくしない(涙)。本は大好きで、2週に1度は必ず図書館に行き次に読む本を物色する。だが読むのは本人ではなく、母親の私。おかげで必殺読み聞かせババアと化している。365日×10年余。ほぼ毎日、特別な例外の日を除いて(病気になったり、声が出なかったり……って、もちろん私が)。
娘が自ら開いて読む本は絵本、なぞなぞやクイズがぎっしりつまった「頭の体操、パズル系」の本。だけ。
どうも、ページに字だけが整然と並んでいるのを見ると、即刻睡魔に襲われるらしい。やれやれ。とはいえ、私も同じような年の頃はマンガ週刊誌しか読まなかった。それを思えば、娘のほうがまだましかもしれない。何しろ彼女は新聞は読む(読めるページはごく一部だけれど)。文字に大小があり、写真も豊富な新聞は、眠くならないのだ。

大好きな絵本『ブータン』の作者・太田大八さんの挿画であることと、私自身の育児キーワードのひとつ、「音」がテーマであることから選んだ本。実はずいぶん前からほしかったのだが、本屋へ行っても書架になかったり、オンラインショッピングするときにはさっぱり忘れてしまっていたりで、買いそびれていた。ようやく手に入れて、満足満足。

この本に出てくる王子様は、ブリキのバケツやドラム缶を高く積み上げて一気に崩す遊びがお気に入り。バケツや缶がぶつかり合って起こる大きな音を楽しむのである。
わが子がお座りできるようになったばかりの頃、積み木を危うげに積み上げては一気に崩し、キャッキャッと喜んでいた姿を思い出す。子どもは思いがけなく聞こえてくる音が大好きだし、いつもと違う音に敏感だ。その音がどのように起こるかに興味を示す。音の出る仕組みがわかると何度も繰り返す。

王子様への誕生日プレゼントとして国の人々はいちばんやかましい音をプレゼントしようとするけれど……。物語の結末は途中から予測できるけれど、それでも劇的で、かつ安堵を覚える素晴しい終わりかた。

大切な人に、本当に聞かせたい音とはいったいどんな音なのか。
これは、母親としての私の頭から離れることのない問いである。自戒を込めて、つねに自問している。

ぱたぽんの本名2007/01/06 13:56:46

『まりーちゃんのくりすます』
フランソワーズ文・絵 与田準一訳
岩波書店(1975年)

2006年のクリスマスに、サンタクロースから娘の枕元へ届けられた絵本。
届いたのは75年の初版本ではもちろんなく、05年の第27刷だが、素朴な絵と訳文が時代を感じさせて、なんだかとてもいい。
私も、幼い頃にこんな本を贈られたかったな、と思う。

まりーちゃんはクリスマスが楽しみで、あんなものほしい、こんなものほしいという。
でもひつじのぱたぽんは、私はどうせ羊だから何ももらえない、とすねている。
まりーちゃんは、うきうきワクワクする気持ちを抑えきれなくて、まるで、すねるぱたぽんの話を全然聞いてないみたい(このあたりがとても笑える……娘は「笑うところじゃないよ」と怒るんだけど)。
いっそうさびしくなるぱたぽん。
でも、まりーちゃんはやっぱり優しい女の子。
そしてサンタクロースもやっぱりちゃんと、見ていてくれた。

「幼児から低学年向け」の絵本だ。

――サンタさんに出した手紙、ひらがなばかりで書いてたんじゃないの?
――そんなこと!……あるかも。ははは。
――1年生だと思われているよ、きっと!
――勉強よくできる5年生だと思われてちっちゃい字ばっかりの分厚い本もらうより、ずっといいもん!

というわけで、本人大喜び。
しかも、サンタクロースは我が家の愛猫へのプレゼントも一緒に包んでくれていた。
この本とそっくりのクリスマス。
幸せいっぱいの娘と猫。
サンタクロースはちゃんと見てくれていたわけだ。

原書では「ぱたぽん」はなんて名前なんだろう、と思って調べたら……

「Patapon」だった!

再挑戦できたなら2007/01/06 17:48:00

『カラフル』
森 絵都 著
理論社(1998年)


いろいろな児童文学賞を受賞している森絵都さんの作品のひとつ。日本における児童文学というジャンルをよく知るため、とりあえず何らかの形で評価されている作品を読んで研究しよう、と思っていた頃に購入した本。面白い。いくつか読んだ(といってもこれのほかに2作品だけど)森作品の中で、ダントツに面白い。

意表をついた装幀。センスがよいと思う。
線画のイラストも今風。
子どもに読ませるための本を探す親はターゲットにしていない、という気がする。そうでもないのかな? 子ども自身が自ら選ぶように装幀された本、という外観だ。

中学生の家庭生活、学校生活が描かれる。
幸せでないようで、幸せだ。ごくありがちな、家族と学校。

読者ターゲットも中学生以上……であってほしい。
これをすらすら読んで笑える小学生……いるかもしれない……笑うだけなら。
字面だけを追うことはたやすいが、著者が本当に伝えたかったことをしっかり読み取って受けとめる、それほど深い思索ができる小学生は、たぶんいない。

そう思って、長いことこの本は私の本棚に入れておいたのだが、不要物を整理した機会に子どもの本棚に移した。目につくだろうなと思いつつ。
すると案の定、まもなく娘は「これ読んで~」とねだりにきた。冒頭を読んで興味がわいたらしい。だったら自分で読めよ! と思ったが、本人の理解を超えたボキャブラリーもかなり出てくるので、読み聞かせることにした(で、余談だがそれで誤植を見つけた……購入したての頃に何度も読んだが気づかなかったのに。音読するほうが誤植は見つけやすいことぐらい、わかってるさっ)。
随所にストーリーと関係なく笑わせる小ネタが出てきたり、設定じたいが非常にコミカルだったりするので、聞きながら娘はけらけら笑っている。

しかし本書の主題は、非常に深刻で重大なことなのだ。
病んだ日本の社会の部分部分を切り取ってつないで作ったような物語。

人生を捨ててしまっても、捨てたことを心から悔いて、もう一度生き直せたら。
そう思いながら天に召されてしまった魂が、どれほどあることだろうか。
生き直したい魂ばかりでもないだろうが、やはりもう一度生き直したい、本当は生きていたかったと後悔しきり、という魂もあるのだろう。
しかし、再挑戦のチャンスなど、決して誰にも訪れないのだ。命を捨ててしまったら。

この本を読んで、「あ、再挑戦すればいいのね」と、安易に自殺するバカ者がいないことを願うが、もはやその可能性がなきにしもあらずの世の中だから、もはやティーンエイジャーの気持ちのありようがわからないから、この本は相手かまわず読めと薦めることはできない。

聞きながら「ありえね~」と笑っていた娘よ。
二、三年後、もう一度これを読み直してくれ。
今度は、自分で。君なら大丈夫のはず。