ちょっとお知らせ2007/09/03 17:09:42

福岡在住の古い友人から毎年恒例のメールが来た。
イベントのお知らせである。
実を言うと、私自身はあまり興味がないのだが、せっかくブログという驚異のツール(全然活用してないが)を持っているのでそのメールをコピペしておこう。
関心をもたれた来訪者の皆さん、各自主催者HPなどへ飛んでください。

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Chers Amis du CM Festival,

ボンジュール!JC.ブーヴィエです。

10月27日(土)「世界のCMフェスティバル2007」
オールナイトで世界50ヵ国の傑作CM500本を体験しませんか?
今年は会場をフェスティバルホールに移して開催します!

ご希望の方には,今年上映のCMが入ったプロモーションDVDを無料で配布中です。
コピー自由ですので,なるべく多くの方に広めてもらえればありがたいです。
お申し込みはコチラまで↓
世界のCMフェスティバル事務局
092-843-7370(Tel & Fax)/bouvier@cmfestival.com

自由席,指定席,ロイヤルボックス席のチケットはローソンチケット,チケットぴあ,イープラス,世界のCMフェスティバル事務局で発売中です。詳しくはホームページへ!
www.cmfestival.com

今年のおすすめは...
—カンヌ広告祭 歴代の受賞作品
—シャネル(ニコール・キッドマン編&マリリン・モンロー編)
—世界最先端CMのメーキング映像(CM業界誌『SHOTS』の協力により)
—イギリス広告協会(APA50)のスペシャル・エフェクト
—日本初上陸ボディースプレー アックスCM
—タイのユーモアCMとアフリカのゆるいCM
—タバコ vs 反タバコキャンペーン
—世界のエイズ撲滅運動CM&コンドームCM
 
もちろん日本語字幕付きです。

ブログで上映内容に関する記事が読めます。→http://cmfestival.ameblo.jp/

フェスティバルホールでオールナイトをご一緒できるよう
楽しみにお待ちしています。
クチコミよろしくお願いします!

Merci & Yoroshiku,

Jean-Christian Bouvier
ジャンクリスチャン・ブーヴィエ

君は永遠のロリポップ2007/09/05 09:42:19

『地球に落ちてきた男』のポスター。
これを「ええおとこ」といわずして何と言う!


私の小学生ライフは漫画と歌謡曲ではちきれそうだった。
(さらにいうと円谷プロ製の特撮映画もこれに加わるが)
当時歌手の皆さんは3か月ごとに新曲を出し、歌謡番組で披露するのが慣わしで、誰かが新曲を歌うと翌日のクラスはその話でもちきりになる。
今みたいに歌詞が字幕で出ることもなかったから、競うように連夜歌番組を見て歌詞を覚えた。誰かが『明星』や『平凡』の付録「新曲ソングブック」なんぞをもってくると取り合ってノートに書き写し、下校時にはみんなで歌いながら帰ったこともあった。
思えば暗記力があったものだ(笑)。

そんな私たちを、いつもフフンと鼻で笑うように見ていたのがうえっち(仮名)だ。
うえっちは、長髪の秀才だった。とくに前髪が長くて、顔にかかる髪をさっと払いのける仕草を、女子は気持ち悪がり、男子は馬鹿にしていた。
いまどき長髪で秀才の少年なんて珍しくもなんともないが、当時はごくごく少数派だった。気持ち悪くても彼が一目置かれていたのは、やはりすごく勉強ができて、成績が抜群によかったからだ。たまに発言すると、それは至極まっとうかつ全員を納得させるものだった。いじめや暴力にはいっさい加担しなかった。というより、無関心だった。そんな素振りが気に入らないといってガキ大将に理由もなく殴られ(ここでやり返せればスーパーボーイなんだけど)、うっうっうっと泣いていた(やはり腕力はかなり弱かった)が、だからといってその後ガキ大将に媚びるとか、殴られないために誰かと徒党を組むということがなかった。一匹狼っぽくて、孤立していたといえなくもなかったが、どこかでみんな敬意を表していたのだろう、故意に仲間はずれにしたり無視したりはしなかった。好かん奴なんだが存在感は否めない。そういう感じだ。

私はつねづね、うえっちは気に入らなかった。
彼はよくノートに、中学で習うはずの、私にはとうてい理解できない数式や方程式をぎっしり書きつめていたが、その余白にこれまた私には解読できないアルファベットによる単語をずらずらと書き並べ、雑誌の切り抜きか何かと思われるけったいなガイジンの写真を貼ったりしていた。今でも覚えているけれど、そのうちの一枚が派手な隈どりメイクでこっちを睨んでいて、鳥肌が立ったものである。
あるとき、彼はカッターナイフまたは彫刻刀で机に何か彫っていた。何やってんのよ、と聞くと、俺がこの席に座った記念だよ、なんていう。彫っている文字は「DAVID BOWIE」。私が机に彫るものといえば「相合傘に好きな子と自分のイニシャル」ぐらいのもんなのに。
気に入らない。

6年生のとき。バレンタインデーに、ゆみちゃん(仮名)と、きょうちゃん(仮名)の3人であるいたずらを思いついた。義理チョコも友チョコも、言葉じたいがなかった頃、恥ずかしくて本命の男の子にチョコをあげるなんて離れ業はとうていできぬ正しいニッポンの少女であった私たちは、それでもバレンタインというイベントに参加したかったのである。
私たち3人はそれぞれ「気に入らない」男の子の名前を挙げた。
ターゲットはうえっち他2名。

市販のチョコレートを湯煎で溶かして、大きめのスプーンに少し流し込む。
その上に「具」をさっとのせる。
直ちにチョコレートを再び流し込む。
「具」をうまく隠さなければ、計画は失敗だ。それがなかなかうまく隠れない。おそらく生涯で初めてのチョコレート作りだった。惨憺たる出来映え。
へたくそだねーあたしたち。
いいじゃん、いいじゃん、これであげちゃおうよ。
そうそう、みためじゃないよね、こころだよね。ぷっ。

私たちは、ラッピングだけは可愛く整えて、晴れてバレンタインデーを迎えた。
うえっち他2名、それぞれ非常に戸惑っていたがチョコレートを持って帰ったよ。うひひ。

私が永遠のロリポップに出会うのはそれからすぐ後である。
ある日、商店街にある本屋に入った。
愛想の悪いおばさんの前を通ってマンガ本コーナーに行く途中に、ファッション雑誌や芸能雑誌がばらばらと平置きされている棚がある。
マンガにたどり着く前に、その表紙の数々を眺めるのがちょっとした楽しみだ。大好きなスターの顔が見えたりする。
私の目に、いつもは目に留まらない音楽雑誌の表紙の大きな文字が飛び込んだ。
DAVID BOWIE。
すぐ横にカタカナで、「デヴィッド・ボウイ」。
私の頭の中を閃光が走る。引き寄せられるようにページをめくった。
その誌面に私はデヴィッド・ボウイとやらの姿を発見する。
とてつもない衝撃。
頭の中を『ツィゴイネルワイゼン』が鳴り響く。
ああ、これは、よく祖母に買ってもらった缶入りドロップそっくりの、透明で神聖な丸い玉。舐めたい。なんて美味しそう。何がって、ボウイの青い瞳。というか、眼球。
こいつが、「DAVID BOWIE」なの? じゃ、うえっちがノートに貼っていたあのけったいな写真は……。

後日、うえっちとの接触に成功。
「チョコレート、食べた?」
「わけねーだろ」
「ぜんぜん?」
「かじったけど……食えるもんか」
「ははは」
「おまえら、ろくなことしねえって、知ってるっ」
「ねえ、デヴィッド・ボウイ、好きなんだね」
「げげ。おまえ、なんでボウイ様のことを知ってる」
「ボウイ様って……。うえっちのノート、そのボウイ様でいっぱいじゃん」
「ボウイ様は最高なんだ」
「どうして外国の人、知ってるの?」
「兄ちゃんが教えてくれる」

うえっちには年の離れたお兄さんがいた。
音楽や映画について、彼が私たちよりも早熟だったのは、お兄さんの影響だ。よくある話である。

秀才うえっちは、超難関のアールスター学院中学校(仮名)の受験に失敗し、私たちと同じ地元の公立中学に進んだ。話をする機会はほとんどなかったが、誰も見ていないところで偶然二人きりになると、私は彼から「ボウイ情報」の摂取に必死になった。ピンク・レディーやキャンディーズの振り真似遊びに興じるいっぽうで、私はボウイに飢えていた。
このことは誰にも明かせなかった。ガリ勉長髪うえっちとこそこそ話し込んでいるなんて、友達には絶対知られてはいけなかった。もちろん、ボウイのことも、口が裂けてもいえないと思っていた。ボウイへの偏愛を私は心に秘め、独りで愉しんだ。

中学2年になると、うえっちは忽然と姿を消した。なんと超難関アールスター学院中学校を再受験して合格し、転校しちゃったのである。
貴重な情報源を失い、私は自力でボウイのネタを追いかけなくてはならなくなったが、当然のことながら、ますますその美貌にはまっていったのである。

デヴィッド・ボウイは有名な人だから、解説は不要であろう。
うえっちがノートに貼りつけていたのは『ジギー・スターダスト』の頃のボウイで、私がその後独りで本格的にのめり込むのは『ロウ』や『ヒーローズ』から、『スケアリー・モンスターズ』や『レッツ・ダンス』の頃である。(いずれもアルバム名です)
『地球に落ちてきた男』で見た彼の瞳のクローズアップ。ああ、だめ。今思い出しても垂涎。『戦場のメリークリスマス』で見た、地面からぽっこりと出た彼の頭。かぶりつきたい衝動を抑えるのに必死だったのは私だけだろうか。(いずれも出演映画タイトルです)
回数は多くはないが、ボウイはコンサートツアーで何度か来日している(お忍びでの来日は頻繁という噂だった)。けっきょく私も一度しかライヴでボウイを見ていない。『ロウ』のときのツアーを逃したので『レッツ・ダンス』のときは死に物狂いでチケットを取ったのを覚えている。
舞台で歌い踊るボウイは、ただただかっこよかった。
今年還暦になったはず。しっとり落ち着いたデヴィッド・ボウイにも会いたいな。



何年か前の地元の夏祭り会場。タオルを首に巻いて、私はたこ焼き屋コーナーでたこ焼きをひっくり返していた。顔を上げると視線の先には、まだ一人歩きのおぼつかない娘と両親が座っている。ときどき手を振る。と、その視界をいきなり遮ってぬっと顔が現れ「すみません、ひと舟ください」。
心の中でちっと舌打ちしつつ「はいよー」と返事する。
え。
うえっち。
「あれーっ、えーっ、あ、お祭りのお手伝い? うわーご苦労さま!」(by うえっち)

小中学生時代とは全然違うハイテンションで、彼は私との再会を喜んだ。バイオ系の研究者となって小難しい名前の会社だかなんだかに就職したと聞いていたけど。
「Uターンってわけでさ」
「へえ、家族も一緒に?」
「うん」
近くに赤ちゃんを抱いた奥さんが微笑んでいた。

うえっちはよくしゃべるオトーサンになっていた。
地元に帰った同級生は意外と多い。オヤジ盛り、ママさん盛りが互いに声をかけあい、すぐ昔馴染みの輪ができる。祭りの楽しみのひとつだ。
うえっちはみんなの輪の中で、素っ頓狂な声をあげて笑っていた。
いまでも彼は「ボウイ様」を崇めているんだろうか。
チョコのことは、もう忘れてくれただろうな。
その話題を出す勇気は、私にはなかった。

さて、ここでクイズです。
例のチョコレートの「具」は何だったでしょう。
2種類のフレーバー・コンビです。
たとえば「オレンジピール&ナッツ」というふうに答えてね。

宙づりされた日常世界2007/09/07 09:53:34

『彼女は長い間猫に話しかけた』
川崎徹著
マドラ出版(2005年)


 この本に関する書評を新聞紙上で読んだのは父を亡くしてからほんの2、3か月、あるいは四十九日の法要を済ませてからその程度経過した頃だったか、なんにせよまだどうにも頭の中で整理がつかず、父の表情をはじめ臨終の際のいろいろな事どもの記憶がまだ鮮明なときだった。そのせいかまるで飛びつくように本書を買った。自分のために書かれたとでもいうように。あなたの本ですよ、と呼ばれて吸い寄せられるかのように。
 表紙はシンプルで、今風の嫌味のないイラストがほどこされ、カバーは点線で描かれたいくつもの線画のうち、猫の絵だけが切り取れるようにしてあった。だからって切り取りはしないけれども、切り取る人もいるかもしれない、と思わせた。切り取ったら猫は黒猫になる(書籍本体の表紙が黒いから)。

 本の帯の一方の面には書評でも触れてあった高橋源一郎による絶賛のメッセージが添えられ、もう一方には本書に納められている四つの短編のレジュメがおのおの一行でまとめられていた。

「彼女は長い間猫に話しかけた」父の臨終に立ち会う男の脳裏に、幼い日々の情景がふと蘇る。
「言い忘れたこと」男はただその終わりを見届けたいため、平原にどこまでも続く白線を辿る。
「水を汲みに行く」古いバケツを巡って毎日公園で繰り広げられる青年と老人の水面下の攻防。
「水族館」水槽の砂底に覗くふたつの目が自分を嘲笑しているという考えに囚われた中年の男。

 これら4行の上にゴシックのボールドで1行。

CM界の奇才が、宙づりされた日常世界に読み手を誘い込む書き下ろし短編小説集。

 川崎徹は私たちの世代にとっては、そして私たちのようにかつてデザインやヴィジュアルクリエイティヴィティを学ぼうとしていた若者たちにとっては、カリスマ的存在のCMディレクターである。フジカラーの「それなりに写ります」(樹木稀林の、あれ)などが代表作だ。ほかには、たぶん「やりがい」(転職求人雑誌関係、背中に貝を載せたやつ)とか、「のみすぎー!はたらきすぎー!」(胃腸薬かなんかのCMで飲んでる高田純次の前に杉の木が飛び出るやつ)などもそうじゃなかったかなと思うが、確認していない(間違ってたらごめんなさい)。目を引き笑わせるCMはたいてい川崎徹だった。川崎徹もどきのCMと、真正川崎徹のCMを比較して、「もどき」には何が足りないか、など論じることも、大学時代は常だった。著者名に懐かしさがこみあげてきたことも、ダッシュで購入した理由のひとつだ。

 ふだんは新刊書の帯になど注目しないのだが、本書の帯のキャッチコピーは上手に小さくまとめられていて、言い過ぎず、言い足りて、押しつけがましくない。こうしたコピーに接すると、私はまだまだ日本語の素人だ修業が足りん、と自戒する。
「宙づりされた日常世界」
私ならつい、宙づり「に」された、としてしまうところだ。

 「宙づりされた日常世界」とは、その人のふだんの生活に密接にかかわっていながら行き場を失くしてとりあえず棚上げされ見ないように蓋をされてしまった時間や空間、現象のことだ。とるに足らないモノやコトは、何かをきっかけに大きな意味をもって立ち上がり、その人の思考のゆく手を阻む。それが辛くてあるいは煩わしくて、人は蓋をする。棚に上げる。宙に吊るしておく。

 例えばしょっちゅう言われるこんなこと。
「使わない鉛筆は片づけなさい」
 わかってる。片づけるよ。
「使わない鉛筆は片づけなさい」
 あとで使うかもしれないじゃん。
「使わない鉛筆は片づけなさい」
 あ、片づけるつもりだったのに……。
「使わない鉛筆は片づけなさい」
 はいはいはいはい。
 と、ここまで来なくてもすでに当人は「片づいていない鉛筆」の映像を見ないようにしている。注意を促す親の声は聞こえているが、聴かないようにしている。蓋をしている。片づけるという行為を宙につるしたまま、処置を先送りしている。

 私にとって父のことはまさに「宙吊りされた日常」だった。父はなだらかになだらかに変調していた。わかっていたのに、病院へ連れていくのは今度にしよう、の台詞の繰り返しに甘んじた。

 この短編集に収められた作品のそれぞれの主題は、いずれもそうした見過ごしがちな日常の断片である。えーと、正確には、断片のようである。というのも実は表題作『彼女は長い間猫に話しかけた』以外は読んでいないので知らないのだ。
 本作の語り手「わたし」(たぶん著者自身)は、容態が悪化し「一両日」と宣告された父の病室に佇み、父とその周囲に集まる人々(医師や看護師)を見ている。見ながら、ここに至る経過や父との会話、先に亡くなった母のこと、少年時の記憶を脳裏に交差させている。「猫」は少年の頃、近所にいた怖い婆さんが構っていたのら猫のことだ。「わたし」がなぜその猫と婆さんのことを思い出すのか、その理由に「わたし」は触れない。読者はこれを、少年の初めての、死との接触体験であったのだろうと推測する。
 記憶と現実の交差は頻繁だ。肉親がいよいよ臨終というときの、心模様や落ち着かない気持ちの表現であるというよりも、行を追う読者の目にいろいろなヴィジュアルを提供することが小説の役目だと自身に言い聞かせながら書いたもののように見える。そういう意味で、『彼女は長い間猫に話しかけた』はじめこれらの短編は、表現者・川崎徹がその技術を駆使して仕上げたものである。

 いかにも映像のクリエイターらしい表現がところどころに散見する。
《しぼんだ望みは黒い染みになり、一本の線になり、やがて点になって消えた。》(10ページ)
《父の名は廊下の突きあたりを直角に折れ、斜めの矢印となって階段を下った。》(53ページ)
 「わたし」は父の臨終という非日常的な時空間に佇んでいるが、そこにいくつもの「わたし」にとっての「宙吊りされた日常」を確認する。たとえば当直医の白衣の袖から覗く「ドラえもんの腕時計」のようなものどもである。看護師が呼ぶ父の名前のようなことどもである。それらは他でもない自分の父のいまわの際に関わる物事でさえなければ、医者のくせにドラえもんの時計かよ、とか、機械的に患者の名前呼びやがって、とか、フン気に入らないな、くらいでやり過ごしてそのままにしておく類のものである。だが「わたし」は当事者という立場に立たされて、そうしたさまざまなどうでもよいはずのものに神経質になり心を囚われたりしていることに気づかされ、半ば愕然としている。

 と、このように、「わたし」のためらいや迷い、静かな怒りや自嘲が現れては後退する本作は、面白い一編として読むに値するのだろうと思われる。そして本書は、高橋源一郎がいうように「ここ十年の間に書かれた現代文学の中で最高の一つ」なのであろう。

 しかし、私という読者の場合には、川崎徹の技術に基づく表現方法の新鮮さなどは、どうでもよい。私はそのためにこれを読んだのではない。書評の内容は忘れたが、それを読み、この本は私が自分の中で言葉にできていないものを言葉にしてくれているのだ、と確信したから速攻で買いに走ったのである。私が反芻したのは、文章表現としてはありきたりな次のような箇所であった。逆にいえば、こうしたあまりに(私にとって)リアルな箇所のせいで、本書全編を純粋に楽しめないでいる。

《患者本人より先に、死を承諾してしまったうしろめたさが残った。》(11ページ)
《この場所でこの人は死ぬのだと思った。(中略)そのことを本人は知らない。白い壁に囲まれた四角いこの空間に辿りつくために延々歩いてきた》(66ページ)
《持っている力すべてを動員して、死なないようにしていた。(中略)吐く息、吸う息がはっきり聞こえた。その他にも、普段は目立たない生の現象が、顕著に表面に現れていたから、元気だった頃より、生きている感じが強くした。自分が死んでない証拠を、父は懸命に見せていた。》(67ページ)

バッドの意味は幅広い、たぶん。2007/09/10 20:05:09

なんと第3王子である。今は亡き王太子殿下の大きさに迫る勢いである。


『バッドボーイ』
ウォルター・ディーン・マイヤーズ著 金原瑞人訳
小峰書店(2003年)


 最近の我が家には、ロアルド・ダールの本が途切れることなく置いてある。娘が気に入って、短編ものなら一人で読んでくれるので次から次へと借りては返しまた借りる、を繰り返している。娘が読む本には私もざっと目を通すことにしているが、ダールの本はたしかにどれも面白い。ただ、作品の傾向としては、登場する子どもは無垢で純真、そのうえ賢いが、大人はエゴイストで教養のない不潔な生物として描かれることが多い。もちろん、大人の中にも聡明な人がちゃんといて、不幸な子どもを救う役割を果たしたりするが。いずれにしろ、腕白な子は出てきても、「悪い子」が出てこないので、ちょっと悪い子の話を読んでみたいなと思って書架を眺めていて見つけたのが本書。バッドボーイ。そのまんま(笑)。

 先に結論めいた感想から言ってしまうと、「バッドボーイ」は全然「bad」じゃない。なるほど主人公は生い立ちが多少複雑である。そして黒人である。吃音のせいで(本人はちゃんと話しているつもりだが)友達との会話がうまくいかない。そのことをネタにいじめられる。出自のことで馬鹿にされる。しかし腕力があるので、頭にきてつい殴ってしまった暁には、相手にひどいけがをさせてしまう。取り乱した教師が叫ぶ。「あなたってほんとにバッドボーイね!」

 しかし少年は、実は非常に読み書きに優れた子どもだった。今風にいえば「リテラシーが備わっている」のである。母親(生みの母ではなく育ての母)がたまに家に持ち帰る雑誌に少年は幼少時から関心を示し、読み聞かせてほしいとねだった。母親は読み聞かせるだけでなく、誌面に書かれた文字や言葉を指し示し、子どもの興味にしたがって根気よく教えたのである。家庭は貧しかったが、主人公の気持ちはこうしたことでも満たされていた。だからぐれることもなかった。乱暴者には違いなかったが非行少年ではなかったのである。

 読書でもすればおとなしくなるかと思って彼に「文学」を与えた教師たちは、彼の読解力を目の当たりにして驚くのだ。

 少年は飛び級し、優秀な中学校へ進学する。でも昔ながらの友達とは相変わらずストリートでバスケをやって遊ぶ。よその家の窓を割ったりもするけれど、叱られるのを恐れて嘘もつくけれど、何かしでかしたときはその度ビクついている。正直で、繊細だ。あからさまな黒人蔑視の態度にも遭う。しかし「気にするな」といって支えてくれる親友がいる。親友は彼の本質に近いところや、家族や友人への愛情にあふれていることなどを知っているからだ。というわけで、全然バッドじゃないのである。

 そんなわけで、私は途中でつまらなくなり、丹念に読もうとはせずに後半はざざざっと流し読みしてしまった。きちんと読み込まずにあれこれいうのは気がひけるが、やはりタイトルと内容はいささか乖離しているように思われる。
 途中で気がついたんだけど、これはなんと著者マイヤーズの自伝なのである。知らずに読んでいて、主人公の独り語りの強引さに「なんなんだろう、これは」と思っていると、途中で名前を呼ばれるところが出てきて気がついた。

 マイヤーズはすでに多くの著作のある売れっ子児童文学作家らしい。不勉強な私は英米文学事情に疎い。マイヤーズの作品の傾向もわからない。いくつか読み終えてその人となりをつかみかけた作家の自伝であったら、楽しく読めたかもしれないなと思った。しかしその作品を全然知らなくても、自伝がめっぽう面白いということだって、ある。そう思うと、本書が少々わかりにくく楽しみにくいのも、ただただ一直線に自分のことを語りすぎて、時代背景や状況の説明が不足しているからだ、たぶん。マイヤーズの祖父にあたる人は奴隷だったという。「奴隷だった」ということがどんな意味を持つのか、著者は語らないし、訳者も説明しない。そりゃ、ひと言で説明できないし、本書の主題でもない。しかし、自身が黒人であることの意味について「深く考えるようになった」(物語の後半)というのなら、その考察の中身にも言及してほしかった。あるいは、読者の知的好奇心をくすぐるような形で訳注や参考文献を提示するなどの工夫が編集側にほしかった。
 本書は著者が17歳になるまでの人生を書いたものだ。そりゃ頭の中がいちばんくっちゃくっちゃしている頃だ。訳注だらけの海外小説って嫌いだけど、補足しなくちゃ伝わらないことってあるじゃないか。

 日本語のカタカナにしたときの「バッドボーイ」が与える意味印象は、原題の『BAD BOY:A MEMOIR』の意味とは、やはりずれているように思う。本書の最後に「ぼくは、いままでに33冊の本を出版した。そして、いまもタイプしている……。」という一文がある。いろいろと障壁はあったけれども、僕は努力して乗り越えて、今好きな仕事に打ち込んでいるんだよ、というのがとりあえず本書で著者の伝えたいことだったんじゃないだろうか。だとしたら、邦題にもいま少しの工夫が要る。
……と、なんだかタイトルに騙された気分になったということを、書いておきたかったのであった。

 著者のマイヤーズは1937年生まれだそうだ。突っ込みどころのある世代である。いろんな意味で。

いずれ誰も何も言えない世界になる2007/09/11 10:02:42

ある方のブログで知ったのだけれど、ウズベキスタンのイルホム劇場演出家、マルク・ヴェイル氏が9月6日、自宅で殺害されたそうだ。
イルホム劇場は今年来日公演を果たしている。
http://tif.anj.or.jp/program/ilkhom.html


事件についてはざくっとこちらを。↓
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/DoH/2007031001.html#A1994
http://www.ilkhom.com/english

ロシアのジャーナリストや関係者が暗殺襲撃されている一連の事件と、殺害の手口が似ていると言われている。
ヴェイル氏の暗殺(かどうかわからないけど)とロシアの反プーチンジャーナリスト暗殺とのあいだに共通点があるとしたら、その被害者たちがいずれも「言い(表現し)にくいことを堂々と表現することをためらわなかった」ことである。

世界が必要としている特別な人ほど、「ある人間」から見れば目障りに映る。
たいして必要のない人間は、その代わり誰からも邪魔扱いされないから生活は安泰だ。
どちらがいいのか。
その人にしかできない仕事を成し遂げる、稀有な存在。
いつでも取り替えのきく存在。

私たちは、立場によっては両方でありうる。私の仕事は他にいくらでも替えがきくけれど、家族にとっては私の代わりはいない。毎日実に多くの事件・訃報に接するけれど、取るに足らない命などひとつとして、ない。すべて等しく重いのである。

とはいっても、やはり「今ここで絶たれるべきではなかった命」というのはたしかにある。
ヴェイル氏の死は、あまりに残念だ。

摩天楼に君を想ふ2007/09/12 19:36:48

『街場のアメリカ論』
内田樹著
NTT出版(2005年)


今日は9月12日である。今朝の新聞に、グラウンド・ゼロでの追悼集会風景の写真が載っていた。そういえば、昨日は9月11日だったのであった。

生意気盛りであった20代半ばの頃、親友の小百合(仮名)と米国旅行へ出かけた。ある年の9月、私たちはそれぞれの職場でそれぞれの上司に取り入って、有給と土日をくっつけて12日間の休暇を得た。
この旅はなかなか愉快だったので、詳しくそのドタバタ紀行を書きたいと思っているが、今日の本旨は別にあるゆえ次の機会に。

小百合と私はある夜、エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階に上り、輝く摩天楼を見渡し、それぞれほうってきた恋人のことを想っていた。当時私の恋人は例のジャズ通で、「俺も行きてえ」なんてゆっていたが「女どうしの旅なのよっ」と邪険にした。小百合も同じようなことを言っていた。だが私たちは二人とも、やはり旅の半ばで男も連れてくりゃよかったと、ちょっと感傷的になっていた。そういう乙女心に、ニューヨークの夜景はきゅるきゅると沁みた。会いたいなあ。会いたいよお。エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階から、きらきらのパノラマにくらくらしながら、私たちはニューヨークの何も、見ていなかった。さらには、フェリーに乗って夕陽に輝くマンハッタン島を下から眺めるという体験までしたのに、何も、見ていなかった。

というのも、あの9月11日の、同時多発テロの映像がテレビ画面に映し出されたとき、まず私が放った言葉は「こんなビル、ニューヨークにあったっけ?」であったからである。なんと不謹慎か。私、このビル見ていたはずだよな……。報道を見て地図で確かめて、私はあの小百合との旅行を思い出していた。思い出にひたってのち、我に返って出来事の規模の重大さに唖然となった。唖然となったけれど、次につい口に出した言葉は「だから言わんこっちゃないよ、アメリカめ」だった。どこまでも不謹慎である。

ここで「なぜ私はアメリカが嫌いか」を述べるつもりはない。アメリカ嫌いは別に私だけの事象ではなく、日本人全員に関わることだから、私がとくとくと述べる必要はないのである。個人的にアメリカ人に恨みはない。私はタイソン・ゲイにも拍手を送るし、今でもハリソン・フォードは大好きだ。アメリカが好きな場合も嫌いな場合も、日本人は誰しも共通して、アメリカに対してひと言で言い表せない複雑な感情をもっているものだ。それが普通の日本人である。
この感情について明快に説明しているのが、愛するウチダの『街場のアメリカ論』なのである。

同じような行動様式の人も多いと思うけど、私も、本を読むとき、まえがき→あとがき→目次の順に読む。そこまでいってしばらくはその本を読み終えた気になってしまう。実際それで事足りる本の多いこと(笑)。愛するウチダの『街場のアメリカ論』も、正直言っちゃうとその類に入る(爆。ただし、私の場合、ウチダが「何を」書いているかよりも「どのように」書いているかが重要なので、全部読むけれども)。

私は本書が大好きである。予約満杯でなかなか手にできないウチダの著作の中で、この本はなぜか、けっこういつも図書館の書架にある。だからあれば必ず借りて読む。これまで幾度借りたことだろうか。借り手がいないのは面白くないからだとおっしゃる方も居られよう。
でも、騙されたと思って一度「まえがき」だけでも目を通してほしい(けっこう長いんだけど)。当ブログの常連さん(○○塾関係者)たちは、騙されたと思って「あとがき」だけでも読んでほしい。
それでも「いやだよ」とおっしゃる方に、引用大サービス。

《日本のナショナル・アイデンティティとはこの百五十年間、「アメリカにとって自分は何者であるのか?」という問いをめぐって構築されてきた。その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってよい。》(8ページ)
《アメリカからの自立はアメリカへの依存を基礎とするしかなく、アメリカの許諾を得ずに政策決定をするためには、その自決権の行使についてアメリカからの許諾を得なければならない。》(18ページ)
《アメリカが日本に期待しているのは他の東アジアの国々と信頼関係が築けず、外交的・軍事的につねに不安を抱えているせいで、アメリカにすがりつくしかない国であり続けることである。》(23ページ)以上「まえがき」より

《メディアがもてはやす「切れ味のよい文章」はたいていの場合、「同時代人の中でもとりわけ情報感度のよい読者」を照準している。(…)
 でもその気遣いの欠如(…)が文章を腐りやすくする。》(258ページ)
《「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々にも届くことばを書き記すこと。それは排他的で誘惑的なエクリチュールとはめざすところがずいぶん違う。私はそういう書き方をしたいと思ったのである。》(260ページ)以上「あとがき」より


それでも「それがどうしたんだよ」とおっしゃる方にはなす術がない。私の拙い筆力では本書の有用性を語りつくせないのである。親米派で、また国際社会や米国を研究(それがたとえ余興でも)し、確固たる何がしかの信念をもたれる方には本書は物足りないかもしれない(というより確実に物足りない)ので、これ以上は申し上げられない。しかし心の片隅に、ふん、アメリカがどうした、けっ偉そうに、という気持ちのある方、また、いや9・11はひどい話だよ、うん、しかし……みたいな「つっかえ虫」がいる方は、本書を手にとってみてほしい。


話をいきなりブーンと戻すが、エンパイア・ステイト・ビルディングで想った彼と、小百合はめでたく結婚して現在に至る。え、私? 訊かないでください~♪(そんな歌はない)

痛いの痛いの、とんでゆけ2007/09/14 18:47:40


今日、ほんとうは「ええおとこ」カテゴリでひとつ書こうと思っていた。だけど気がかりなことがあるのと、それに関わる自己嫌悪とで、ぜんぜん「ええおとこ♪」気分に乗れないので、そっちはやめることにした。

先頃、鹿王院知子さんと食事をした。その席で、私たちは「あんなこと」や「こんなこと」を他愛なくお喋りした。「あのひと」の「こんなこと」や「このひと」の「あんなこと」をあげつらっては笑い話のネタにする私に、鹿王院さんは半ば呆れ顔でしかし優しく微笑んで相槌をうってくださっていた。
私は、しばらくぶりに会う鹿王院さんの健康のことやお仕事のことをまったく尋ねないばかりか(鹿王院さんは私のご機嫌うかがいはちゃんとしてくださったのである)、ご主人はお元気ですかとか、法事などで忙しい夏を過ごしてらしたのを知っていたのに大変でしたねのひとことも言わず、人の噂話に終始したあげく、気がつけば自分の娘の自慢話ばかりしていた。それに飽き足らず、この秋に目白押しである娘の諸芸の発表会の宣伝チラシを「見に来るよね、当然」といわんばかりに押しつけるという暴挙にまで出ていたのである。我ながら恐れ入る。

さらにさかのぼって9月の初め、社会人院生をしていたときのゼミ仲間だった涼子ちゃん(仮名)と卒業以来で再会したときも、同じような状態であった。涼子ちゃんは、コソボとかイラクとかリベリアとかいつ銃撃されたり誘拐されたりしてもおかしくないような場所で、難民への食糧配給とか亡命者の国境越えとか孤児の保護とかを支援する職務に就いてきた人である。しばらくぶりに故郷へ帰って次のステップに向けて英気を養いつつ国際資格試験のための勉強をしている人である。そのような(いろいろな意味で)貴重な友人を前にして、涼子ちゃんの「あの国ではアレが飛んできた」「この国ではこんな目に遭った」という得難い現場の話をへえ、ふうんとまるでタレントの離婚話でも聞くかのような態度で受け流したあと、気がつけば私は娘の自慢話をしていた。

もう諦めている。この癖は一生直らないであろう。思えば親になってから、私は人と話をするときに娘の自慢をしなかったことは皆無である。いつも自慢とは限らない、というのは詭弁である。ウチの子ちっとも算数できないの。あらイイじゃない、さなぎちゃんはスポーツ得意だし。そうなのよ、おっほっほ。で終わるのであるからして、自慢話である。
娘が小さかったときはどこへ行くにも連れ回していた。子連れで来た友人に向かってその子どものことを褒めもせずご機嫌とりもせずに済ますことのほうが難しい。わかっていながら私はどこへでも連れて行き、わかっているけどおだててもらっていい気分に浸っていた。
そしてその後は、ひとが私の娘について何も言わないときは自分から娘の自慢話をするようになっていた。
彼女が成長してちっとも可愛げなくなっても、ずっと。
11年余りのあいだ、ずっと。
このあと自分が生を全うするまでずっと、続くのであろう。



娘の足の疲労がピークに達しているようだ。
毎日、毎夜、痛がっている。ふにゃふにゃと弱音をひととおり吐く。足首、指の付け根、ふくらはぎと湿布だらけにして眠る。翌朝それらを一気にはがし、テーピングに換える。よしっとかうしっとか口の中で小さく気合を入れて朝練(陸上の走り込み)に出かける。放課後の走り込みを途中で抜けて、バレエの練習に行く。帰宅したら両足を氷水で冷やす。私が帰る時間には、ちょうど両足バケツに入れてテレビを見ているか宿題をしているかである。ちょうど冷水がぬるくなる頃なので保冷剤を追加する(これだけが私の仕事)。
食事をして、今日一日の出来事を互いに話し、風呂から上がると足の痛みに意識が戻る。
痛くてトウシューズ履けなかったよ。悔しそうにつぶやく。痛いという箇所は腫れてもいないし、赤くもないが、痛いというからには何らかの炎症が起きているのだろう。たぶん負荷がかかりすぎているのだ。バレエの練習のない日は部活のバスケがある。彼女の足は、休んだことがない。
身体そのものはものすごくスタミナがついてきたようで、まったく疲れを感じていないようである。もっと練習したいけど、授業が始まるし。もっと練習したいけど、レッスン時間終わるし。で、たぶん、もっと練習続ければ、もっと足が痛くなるのだ。

9月15日 運動会(雨天の場合17日に順延)
9月17日 バレエの発表会
9月22日 陸上競技地区予選
9月30日 和太鼓の発表会
10月8日 陸上競技大会(予選会とは別イベント)
(この後も飛び飛びで競技会や試合が続く)

つねに全力投球、その時点で最良の結果を出す。娘のモットーである、というか、人に言われなくても、目標に掲げなくても、そうせずに居れない性格である。子どもは誰でも計算して手を抜いたり力の加減をしたりということがまだまだできないものであるが、小学校高学年にもなってくると自分の中で優先順位をつけて、○○のための力を温存するために××は適当にやり過ごす、という術を知らず身につける。悲しいかな娘の場合、「放課後練習に臨むために算数の授業で寝ておく」ということはしても、「バレエのレッスンのために放課後練習をサボる」ということはできないのであった。
結果、彼女にとっては得体の知れない激痛が足を見舞う。
(疲労骨折してるかもしれないな……)
娘も私もたぶん同じことを考えている。だが、不安が増大するので口には出さない。
(複数の外科で何度も診察してもらっているし、杞憂に過ぎないさ)
これも、語彙は異なるだろうが同じことを考えている。でも、口にしたところで痛みは消えないからこれも言わない。

運動会、予定どおりできるといいね。
うん。もし(発表会と)重なったら、絶対痛くて踊れない。
いいさ、派手に転んじゃえ。発表会は来年もあるよ。
(真顔で)やだよ、そんなの。
土曜日の朝から昼過ぎまでさえ、降らなかったらいいんだよね。
うん。そのあとなら台風やハリケーンが来てもいい。
うーん、そうするとウチの家、飛ばされちゃうからちょっと困るな。(笑)

今日の午後、短いあいだに強い雨が降った。
また降るなら今夜、降ってくれ。明け方は、降るな。
降るな、雨!

痛いの痛いの、娘の足から、とんでゆけ!


とゆーわけで、ウチの子がどんなに頑張り屋さんかということを自慢したのであった。はっはっは。はあ~……。

まじめな、お知らせ2007/09/21 17:30:04

何を隠そう、私はチェチェン・ウォッチャーたちのウォッチャーである(なんだそれ、といわないでください)。
購読しているメルマガの全文をここに転載する。どうかご一読いただきたい。リンク先へも行って、何か考えるきっかけにしてくだされば嬉しい。

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【転送歓迎】チェチェンイベント情報 2007.09.21 発行部数:1650部

いよいよ明日開催です。取材も歓迎します。

■9月22日(土) アンナ・ポリトコフスカヤ追悼集会
―ロシアの闇とチェチェンの平和を考える―

 昨年の10月7日、チェチェン戦争を追っていたジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんが、モスクワの自宅アパートで暗殺されました。彼女は 1999年以来、毎月のようにチェチェンに通い、軍事侵攻で虐げられた人々についての地道な報道を重ねており、プーチン政権を厳しく批判していました。

 ポリトコフスカヤさんの死後、日本では新たに著書『ロシアン・ダイアリー 暗殺された女性記者の取材手帳』(NHK出版)が刊行されるなど、皮肉にも暗殺によって、ロシア・チェチェン問題への関心が高まっています。

 また、暗殺事件の直後の11月には、イギリスに亡命してプーチン政権を批判していた元連邦保安局(FSB)職員、A.リトビネンコ氏も暗殺されています。プーチン政権によると見られる、反対派に対する暴力は、見過ごすことはできません。平和・人権の運動や、ジャーナリズムの場でチェチェンに関わってきた私たちは、彼女の貴重な仕事を忘れず、あらためて暗殺への抗議の意を表するとともに、現在の状況を理解するための集会を開催します。

 集会では、長年チェチェンを現地取材し、ポリトコフスカヤさんにも取材している林克明さんや、最近アムネスティ・インターナショナルが発行した人権報告書の解説など、アクションの呼びかけなど、有識者の報告を伺います。

 会場では、日本語に翻訳されているポリトコフスカヤさんの全著作と、9月に刊行された林克明さんの最新刊、『プーチン政権の闇-チェチェン戦争・独裁・要人暗殺』(高文研)を販売いたします。また、遺族にあてたお見舞金を受け付けます。
 土曜昼間の開催ですので、比較的長い時間を、会場からの質問や、討論にあてたいと思います。ぜひ、ご参加ください。

 もしあなたに、アンナ・ポリトコフスカヤさんの名前を知るご友人がいたら、この案内を転送してあげてください。他のサイトでの紹介も歓迎します。どうぞよろしくお願いします。

【概要】
集会名: アンナ・ポリトコフスカヤ追悼集会
    ―ロシアの闇とチェチェンの平和を考える―
日時: 9月22日(土)13時30分~16時30分(開場13時00分)3時間(休憩1回)
会場: 東京都・文京区民センター2A (210名収容可)
参加費: 500円
共催: チェチェン連絡会議 市民平和基金
    チェチェンニュース編集室 ハッサン・バイエフを呼ぶ会
    社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
    日本ビジュアル・ジャーナリスト協会  後援 : DAYS JAPAN

地図 :
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_shisetsu_gakusyubunka_kumincenter.html
交通: 地下鉄丸ノ内線・南北線「後楽園」駅徒歩5分/地下鉄三田線「春日」駅 A2出口真上・大江戸線春日徒歩1分

【内容】
 報告: 林克明(ノンフィクションライター) 「プーチン政権の闇を語る」
      川上園子(アムネスティ・インターナショナル)
          「チェチェンにおける強制失踪と正義の実現」
     岡田一男(映像作家)「リトビネンコについて」
     備考:会場からの質問用紙をもとにした討論あり
     映像:「誰がアンナを狙ったのか -ロシア 報道記者暗殺の真相-」
     司会:青山正(市民平和基金代表)

【連絡・問い合わせ先】 clc@chechennews.org (チェチェン連絡会議)

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止めるというのも、一案2007/09/25 17:59:45


ここ数日、右目の下瞼の痙攣が止まらない。いや、全然止まらないでずっと痙攣しているわけじゃなく、正確には頻繁に痙攣するという状態だ。やだ、これ。しばらく治まっていたのに、なんだよ。四六時中、ぴくぴく。パソコンを見つめてタイプしているとき、検索しているとき、オセロしているとき(おい)。ぴくぴくぴく。図書館で書架を見つめるとき、取り出して本の頁をめくるとき、借りる本をカウンターに差し出すとき。ぴくぴくぴく。チャリで街を疾走するとき、競技場で子どもたちを声援するとき、人にお礼や挨拶を述べるとき。ぴくぴく、ぴくぴくっ。やーん、対面してるときだけは止まっててくれよお(泣)。

最近書くのが嫌である。
たぶんこれは、好きでもないこと、賛同できないこと、理解してもいないことを大量に書かされたせいである。
書く内容がなんであれ、説明する対象がなんであれ、書く自分のことは横に置き、読む最終顧客、つまり読者の身になって書くのがいちおう私の仕事である。でも、でもでも、そんなこと、書きたくないのだ。こんなこと、私の筆から発信したくないのだ。あんなこと、いくら名前が出なくても自分が書いたって記憶に残るのが嫌なのだ。

と、仕事のせいにしてみたが、違うのである。

最近、書くのが嫌である。
その理由は、体力の衰えである。持久力の減退である。私はもとより集中力はないが、つらつらたらたらと起伏のない緊張状態(ってあるのか?)を持続する術はどういうわけか心得ていて、糸を張ったり弛ませたりまた張ったり、することで当面のハードルをよいしょと越えるようにしてきた。
でも、これができないのだ。今。
張って、張り詰めっぱなしで一気に駆け抜けないと、いったん弛ませたらもう復活できない。疲れた、という思いが頭や身体を駆け巡っても、それにしたがって糸を弛ませたが最後再び仕事モードに戻れないとなったらやはり、疲れた、という思いに逆らってむりやり頭と身体を張り詰めさせることになる。
そうしてどうにかひと仕事終えたときの、疲労が半端じゃない。
ただでさえ重いのに、身体の重さが二倍にも三倍にも感じる。おお、それは重い。関取マッツァオ。
肩や背中や手首の痛みは昔からのことだが、身体全体をただならぬだるさが襲い一日をふいにするなんつうことは、やはり四十路を過ぎてからである。しかもそのように一日をふいにすると、その翌日に確実に影響が出る。捌かねばならないことを持ち越すので勢い短時間で多くのことがのしかかり、またしても疲れるのである。
そして、瞼もぴくぴくを止めないのである。
そして、書くのが嫌になるのである。

書くのが嫌なのである。
「書く」ことが日々の主幹作業であるからだ。これ止めたら、一気に楽になるのだ。わかっているのだ。
そういいつつ、ブログを書いている。
こういうぐだぐだを書くのも、きっと止めたほうがいいのであろう。
何も書かない日々をどのくらい過ごしたら、瞼の痙攣が止まり、身体が軽くなるのだろうか(←こっちは物理的にはできない相談だが、ま、感覚として)。