Merci a vous, Tokyo! ― 2008/07/08 16:45:56
http://www.h3.dion.ne.jp/~artspace/library2008.html
足を運んでくださった方々から、作品や会場風景の写真、感想などを送っていただき、とてもうれしはずかしーな日々でございました。
本当にありがとうございました。ふかぶか。
作って、作ったものを見てもらうって、いいですね。
「見ましたよ」
のひとことが、これほど強く温かく心に響くことって、そうありません。
モノをつくって見せた者だけが得られる快感とでもいいましょうか。
どんな褒め言葉よりも嬉しいし、どんな励ましにも勝って勇気づけられるし、どんな慰めよりも気持ちが上向きます。
またみなさんに「見ましたよ」といってほしいので、これからも作っていきたいと思います。
関東のみなさま、ありがとうございました。
関西のみなさま、8月9日 (土)~8月17日 (日) ギャラリーはねうさぎ よろしくねー!!!
虫の眼差しは詩になる ― 2008/07/10 14:04:17
思潮社(現代詩文庫、2001年)
ふと詩が読みたくなって、図書館の詩歌の書架の前に立つ。
私は詩の世界をあまり知らない。
詩も小説と同じく、教科書や参考書に載っていた書き手に興味をもった場合に限り、単行本に手を出した。興味をもった場合というのはごく少なくて、中原中也の話は前にしたが、他には高村光太郎や室生犀星ぐらいしか、日本の詩人はない(谷川俊太郎は別格として)。なのになぜかゲーテやバイロンの文庫があって、今読んでも難解なのにこれをいったい当時の私はどう読んだのだろうと不思議でしかたがないのだ。
イラストポエムに凝っていたローティーンの頃には、やなせたかし(たしかやなせたかしのイラストポエム集はもっている。『りんごの皮を切れないようにむく』という詩が載っているやつで、その詩が好きで、以来私はりんごの皮を切れないように剥くのが上手になった)が主宰している『詩とメルヘン』という雑誌もあって、絵も詩も応募したけど軒並みダメだった(応募作品のレベルはたいへん高かったぞ、今思っても)。自分ではええ詩じゃー!と思っても、他人には何ひとつ伝わらない。詩というのは独りよがりな言葉遊びから始まるとはいえ、そこに終始している人とそうでない人とで明暗が分かれるのだろう。
他人さま全員に同じように伝わることもありえない。
程度の差こそあれ、もし「何か」が伝わったらめっけもんである。
幾つもの行のなかのひと言がその人の心の琴線に触れさえすれば、詩としては大成功なのではないか。
詩歌の書架の前に立ち、あまり考えずに知らない詩人の本を取った。
《ながれる雲を眼で追いながら
あなたのなまえを考えていた
空にはしろいまんげつがあり》(表紙より)
漢字とかなの使い分け方にすこし惹かれて、池井昌樹の詩集を借りることにした。同じ出版社の現代詩文庫シリーズからは、おびただしい詩人のおびただしい詩集が出されている。辻仁成の詩集も出ている(詩も書くんだ、この人)。吉本隆明の詩集も出ている(詩なんか書くんだ、この人)。
池井昌樹のこの本をめくると、冒頭からずっと、自分の子どもや妻に呼びかけるような詩がたくさん出てくる。愛する人と結婚して、可愛い赤子が生まれて、愛しくてたまらない妻も子もこの家も!というような心情がひたひたと伝わってくる。こういう、家庭の平穏を謳い上げるタイプの詩が私はすこぶる苦手である。自分を含めて身近に愛し合い信頼しあい尊重しあう夫婦の例がひとつもない、ということに起因していると思っているのだが、そんな読み手の私をせせら笑うように池井の詩は、父(自分)にまとわりつく息子の肌の柔らかさを讃え、かたわらの妻の微かな寝息をいつくしみ、家という空間を愛で続ける。ぱらぱらと目で追っていくだけで、J'en ai marre, ca suffit! もうたくさんだ、という気になってしまう。私は言葉の上っ面だけを見て食傷気味になり、たぶん池井の表現の本質を見てはいないのだろう。
《ぼくが夜詩を書こうとすると
一匹の奇態な虫が落ちてきて
途端に姿をくらましたのだが
あしもとかどこかそこいらに
ひそんでいるにきまっていて
いまにもひんやり触られそうで
きがきじゃなくて
視線を落としてみれば良いのに
眼が合いそうでそれもできない》(24ページ「不惑遊行 白紙」より)
上のような書き出しが目に留まって、前言取り消し、もう少し読もうという気になった。私は虫を書いたものは好きである。虫は意外と人を見ている、複眼だし、あっち向いててもこっち見てるよな、と思ったりするから、虫の気持ちのわかるような文や詩は好きである。
単なる家族愛賛美屋さんじゃない(当たり前じゃないか多数の詩集を出してるんだから)とわかると、なんだこれと思った詩もそれなりに魅力的に映るから、読み手というのは(私だけかもしれないが)勝手なものだなと思う。
《人をあやめる夢を見た
七夕の翌朝は良い天気になった
鴉をよけてゆこうとすると
後から女房が追いかけてくる
漆黒のポリ袋がなにかでふくらみきっている
もってやろうというと
結婚式の夢を見ちゃった
うれしそうにしている》(99ページ「結婚」より)
人をあやめる夢を見た夫と結婚式の夢を見た妻が一緒に持って歩く黒いゴミ袋。彼はいつこの詩を書いたのだろう。
《僕は思い出すのだ
あのようにわらいさだめくもののいたこと
あのようにわらいさざめく日のあったこと
はるか遠くで
やがてまた
わらいさざめきあわんことを
錆びた把手(はんどる)をにぎっている
ここからではもうちいさく見えるあなたの背後に
青青と裾野をひろげた
積乱雲のような山が光る》(106ページ「おとうさんの山」より)
《河が生んだ
魚をおもう
河が生んだ
魚の死をおもう
(中略)
喰い
夢見
まんしん傷め
傷みにも酔い
ののしりあい
(中略)
おもいのこさず
かともおもえず
飾りたてられ
囃したてられ
ようやく終わる
われらの生を訝しむのだ
(中略)
われらを孵した
遙かな水源の沈黙をおもう》(107ページ「母よ」より)
詩は、いいものである。
夜帰宅すると、隣近所や商店街で見聞きしたことを、母がひっきりなしにしゃべる。
遙かな水源は沈黙しててほしい、と心底おもう瞬間である(笑)。
手紙の誤字も詩になる ― 2008/07/12 20:03:08
川滝かおり 詩
林静一 絵
サンリオ(1982年)
そのむかし、林静一さんというイラストレーターが大好きであった。例の投稿詩の雑誌『詩とメルヘン』には、彼の絵がよく出ていた。投稿詩のなかには苦悩を鋭利な言葉でうたったものも、哀しみや絶望を叫ぶかすれた声が聞こえるかのようなリアルなものもあったが、多くは恋する乙女のはにかみや幸せをかみしめるカップルのつぶやき、あるいは若い失恋であった。そういう詩に林さんの絵はとてもよく合っていた。可愛い絵なのだが少女趣味ではなく、少女マンガチックでもない。描かれた少女や静物は黙して語らずけっして詩の前には出てこない。なのに詩の核心、あるいは落としどころをぶれることなく絵にしている。
挿画家たるもの絶対こうでないといけないのだが、画家のみなさんはちょっと売れ始めると、添えものであることを忘れて自分を前に出そうとなさる。画家が頑張っても絵に負けない文章や詩はあるものなんだが、絵に負けてしまう文章や詩に画家がはりきって絵をつけてしまうとなんじゃコラ、みたいな話になってしまうので要注意だ。それをきっかけに仕事を失う画家もいる。
といって、添えものという身分をわきまえ過ぎてあまりに謙虚であり続けた結果、技量はすごいのに陽の目が当たらずじまいということもある。商業イラストの世界で生きる人はけっこう難しい綱渡りをしている。みんな、それなりに偉いのである。
林さんの絵は、絶妙だった。
出しゃばらないけど、すでに詩と一体化していて、その詩はもう、林さんの絵なしには、じつは成立しないのである。だが、その詩は林さんの絵ある限り、林さんの絵「なしでも十分鑑賞に値する」と読み手に思わせることができる。
林さんの絵はすごいのである、そういう意味で。
川滝さんの詩は、いわゆる普通の人がノートに書き綴ったような、おとなしい可愛らしい詩である。等身大で、同世代の女性の心にまっすぐに届く。『詩とメルヘン』に投稿詩が載り、はじめての詩集を出したとき、この人は普通の専業主婦だったらしい。
本詩集が成功しているとしたらその理由は、主婦っぽさ、家庭の匂いを排除していながら、全体に、燃えるような大恋愛期はもう過ぎた、平穏な日常にいる女性の、記憶や気づき、ふと心に訪れる迷いを、難しい言葉を使わずに連ねていることにあるのだろう。
林静一の絵でなければ買わなかったこの詩集のなかに、めっちゃ共感できる数行に出会ったのは確かである。私も若かったし、感じやすかったんだな。
《赤く咲く花よ
教えてくださいわたしに
季節がくればふたたび
同じ赤さで咲くことのできる力のわけを
枯れた心のよみがえるすべを》(25ページ『教えてください』より)
《覚えておいて
あとで思い出そう
あなたを好きなわたしの気持ち》(41ページ『覚えておいて』より)
《かさを捨て
雨にぬれたいときがある
雨にうたれて歩いてみなくては
心がわからないときがある》(65ページ『風景』より)
《彼の顔も家も
思い出すことはない
けれどあの花のいろだけが
とつぜんあざやかに
胸によみがえってくる
そんな夕暮れがある》(69ページ『初恋のいろ』より)
《すぐに忘れてしまえるよう
消えてなくなりそうな
たよりないのがいちばんだ》(73ページ『別れの場面』より)
とりわけ好きだったのが、次の2編だ。
《サンダルのまま
玄関で封を切ったりはしない
手紙をにぎりしめ
ポケットのお金をまさぐって
駅への道を走ったりしない》(15ページ『手紙』より)
《「手紙が送れてごめんなさい」
ああ妹はきっと幸福
こんな誤字を平気で書いて
せんたくばかりしていれば》(21ページ『誤字』より)
四半世紀前のこの詩集には、黒電話もダイヤルも出てくる。
誤字に気づかぬ相手のさまを、微笑ましく思えた時代だった。
恋も仕事も暮らしも、変わったなあと思ういっぽう、上に挙げたような言葉で、恋心は今も表現されるじゃないか、とも思う。
だけど私は歳をくっちまったので、いま川滝さんの詩を読むと、別にこれ詩でなくてもいいんでないかい、改行しないで文にして普通の文章に紛れ込ませてもさ、といじわるばあさんのようにつぶやくのである。
言葉で遊ぶと詩になる ― 2008/07/14 13:36:24
『あしたのあたしはあたらしいあたし』
石津ちひろ 詩
大橋歩 絵
理論社(2002年)
《あしたのあたしは
あたらしいあたし
あたしらしいあたし
あたしのあしたは
あたらしいあした
あたしらしいあした》(6ページ「あした」より全引用)
谷川俊太郎さんの「かっぱかっぱらった」をもち出すまでもなく、詩の世界は言葉遊びの世界でもある。小学校の低学年では言葉遊びの延長で詩を学ぶ。「かっぱかっぱらった」は何人かで音読するのが楽しいようにできていて、輪唱したり(いや、歌うわけじゃないが)メロディと伴奏に分かれたり(けっして歌うわけじゃないが)すると面白い。
金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」の最後の2行は《すずと、ことりと、それからわたし、/みんな ちがって、みんな、いい》だが、学校の人権学習ではこの「みんなちがってみんないい」のフレーズがやたら使われて、金子みすゞが社会的弱者への優しい眼差しをもった国民的詩人のごとく奉られたりもしているが、娘にせがまれて買った金子の詩集を読むと、そんなたいそうなことじゃなく、彼女は童謡作詞家だったので子どもにもわかる優しい言葉で自分の目の高さに見えるもの、感じるものを書いたに過ぎない、ということがわかる。ただし、書いたに過ぎない、といってしまうには余りある深淵を彼女の瞳に感じるのも確かである。たとえば「ほしと たんぽぽ」には《みえぬけれども あるんだよ、/みえぬ ものでも あるんだよ。》という一節があるけど、この2行で彼女がいわんとする事どもの大きさ深さにぞくっとすると同時に、その簡潔さにうまいなあ、プロだなあと感心する。
でもそういうことにはあまり言及せず、単に言葉のリズムの心地よさを鑑賞して、娘と私の「金子みすゞブーム」はすっと終わった。
そのノリで買い求めたの本書だ。
『なぞなぞのたび』などで我が家ではおなじみの石津ちひろさん。
でもこの詩集にあるのは、金子みすゞの童謡詩でもないし、谷川さんの粋な遊びうたでもない。言葉遊びの名を借りた、大人の心にグサグサ突き刺さるメッセージ集である。少なくとも私にはそう思えた。もっと正確にいうと、笑えないダジャレに終始している詩と大人に説教垂れている詩の二つに分類でき、笑えないダジャレに終始しているほうは、ちっちゃな子どもに説明つきで読んでやると笑ってくれる詩で、大人に説教垂れているほうは、その行間に漂う切なさやわだかまりはとても子どもには言い表せないし、読み手の自分にさえなぜこんなに胸が詰まるのか説明できない。
《ころころ
かわる こころ
このごろ かわる こころ
ところどころ かわる こころ
このごろ ところどころ
かわる こころ
ころころ かわるから
らくな こころ》(8ページ「かわる こころ」より)
《かぜがここちよかったから
たましいをこころのおくから
とりだして
かぜにさらしました
かぜになびきながら
いたましいたましいは
もうすこしで
とんでいきそうになりました》(50ページ「たましい」より)
《かたつむり
かためをつむり
かたつむり
わかったつもり
かたつむり》(62ページ「かたつむり」より)
いちばん好きな詩は、最後に掲載されているこれである。ほか同様、部分だがご紹介して今日はおしまい。
《とどはどっと泣く
うみにとどく
とどの声
うみにとどろく
とどの声
とどのかなしみ
とどくかなしみ
とどろくかなしみ》(76ページ「とどの声」より)
墓標に立つと詩になる ― 2008/07/15 17:51:31
『詩人の墓』
谷川俊太郎 詩
太田大八 絵
集英社(2006年)
「詩人の墓」という108行の長い物語詩が一冊の本になっている。ひと見開き(つまり2ページ)に4行ずつ。見開きごとに、太田大八の水彩や油絵やコラージュ作品。
贅沢な本である。
一編の詩で一冊の単行本というのも贅沢だが、一編の詩のために齢九十を数える老匠の絵を惜しむことなくふんだんに使いまくり。約30点。なんと。
太田さんの絵はピカソもマティスもクレーもカンディンスキーもイヴ・クラインも髣髴させ、私の目は、温泉地に保養に行きスペシャルインドエステサロンでリラクゼーションマッサージなど堪能しとれとれイキイキの地産名物をたらふく食ったかのように、うるうるうるると元気になるのである。
しかし、詩は悲しいのであった。
詩は、詩人の在りさまを少ない言葉で述べる。
宙を見つめる。浮かぶ言葉を書き連ねる。その詩を贈る。
詩人の書く詩は人々を感動させ、喜ばせた。
しかし詩人は、およそ詩を書くことしかできなくて、過去も未来もなく今日の今しか生きられなくて、恋人と記憶に浸ることも将来を夢見ることもできないのであった。
詩人とはかくも悲しい在りさまであることを意味すると、詩は述べている。
谷川俊太郎の、音のない慟哭か。
目に心にビタミンいっぱい、とかなんとか、つい軽薄なキャッチコピーをつけたくなる悲しいサガですけど、それとは別に、ああ、つくりたいなあ、こんな本。
*
墓標に立つと、そこに刻まれた文字を読む。在りし日のその人を思う。何も記されないただ石を積み上げただけの墓碑ならば、その石を積み上げた人が念じたであろう言葉、描いたであろう亡き人の姿を追想する。
文字や言葉をたどっても、脳裏に描いても口の中でもぐもぐつぶやいても、墓の下で眠る人に届いたような気がしたとしても、墓標のそばで、わたしはひとりだ。
墓標をみつめ、去来する事どもを、たとえ不器用であれ、言葉にしていく。
それはおそらく詩になる。
墓標はいうかもしれない、「そこにわたしはいません」と。
しかし問題はそんなことではなく、そこに碑があれば墓になるのであって、その下になにがあろうと墓は墓であり、墓標はかつてあった命の象徴なのである。かつてあってもう今はないものを思うとき、それを象徴するもののそばに佇むと、思いは詩になる。思う者は詩人になる。
きこえるか
ノブナガ
きいてくれ
イエヤス
ごめんな
なにもしらなくて
ごめんな
しんどかったな
くるしかったろ
ほんとにごめん
ヒデヨシのこと だいじにするよ
ふたりのぶんまで長生きさせるよ
昔、ギンコってのがいてさ
お前と同じように
浮いては沈み、浮いては沈み
もがきながら泳いでいたけど
ある日突然死んじまったよ
ギンコは
公園の鉄棒のそばに埋めたんだ
あの頃毎日のように娘がさか上がりをしに行ってたからね
ギンコは長生きしたからなあ
あの子はとても悲しんだ
ギンコがいなくなった水槽はやけに広くて
残ったふたりはのびのびしていたが
眺めるほうには寂しかったよ
お前は、ここだ
枇杷の木のねもと
ウチの枇杷は毎年、小さいけれどたくさん実をつけるんだよ
来年はきっと、いっそう艶やかな実が生るだろう
お前のからだが
しなやかさ きめ細かさ いろあざやかさを
枇杷の表皮に与えてくれる
ひとつめは飼っていたイモリ3匹のうち2匹が死んで、近所の路地に埋めたとき、石ころを積み上げながら娘がぽつ、ぽつ、つぶやいた言葉をつないだもの。
ふたつめは、つい先日、7月9日に他界した可愛い金魚のタマちゃんを葬ったときに思ったこと。ギンコというのは昔いた金魚の名。ギンコの同期生はまだ元気である。
子どもが小さいころ一緒に見ていたテレビ人形劇で、ある星を征服しつくしたあげく滅亡へとまっしぐらに進み最後の一人になったキノコ(!)を訪ねた少年が、そのキノコの墓標を立てるシーンがあったが、しっとりしたとてもよい場面であった。彼はそのとき詩人になっていたのだ。
(人間の墓標をネタにできなくて、ごめんなさい。)
7月も最後だし。 ― 2008/07/31 19:52:53
昼間、みんな暑い暑いってゆーけど、私はエアコンがだめな人なので、エアコン地獄から脱出しようと外に出ると一瞬だがおひさまの恵みに極楽~てな気分になるのである。
こういうふうに、人工的な温度差のために7月から9月は体のあちこちがおかしくなる。
2月から6月は花粉のせいで喉から上がおかしくなる。
12月から2月は暖房と乾燥のせいでおかしくなる。
お、すると、私がまともなのは10月と11月だけということになったが。
この2か月は秋の行事真っ盛りで、全然休めないのである。ほほほ、よくできたもんだ。
私は頭痛もちだが、救急車を呼ぶような大事になったことはもちろんなく、12時間痛み続けても13時間めには痛みが引く、ということを繰り返しているので医者にもかからずにきた。どんな診療科に行けばいいかとか考えるのがめんどっちかったってのもある。
あるいは、今度こそ医者行くぞ、と思った日に仕事が入ったり、子どもが熱出したりしてお流れになるものの、それでもまあえーわ、というレベルだった。
だけど、今年になって、頭痛のせいで初めて15時間以上を臥して過ごした。しかも2回も。頭だけが痛いのだ。カラダは起きたいのにアタマのせいで起きられない。ちょっと焦った。ダイジョーブか、このアタマって。
こないだから歯が痛くて歯医者通いをしていたけれど、それが一段落して、やっと神経内科を受診できた。
いろいろと目から鱗のお話を聴く。
私が頭痛を覚えるのは、平均するとほぼ2日に1回。
激痛も鈍痛も長いのも短いのも、いろいろ。
片頭痛と緊張性頭痛のミックス版だろうという話である。
目も悪いし、歯も悪いし、肩凝りや腰痛あるし、膝もかかとも手首も痛いし、平日は一日中パソコンの前にいるか、不当なくらい一日中歩かされるかどっちか、とゆーよーな仕事に従事して。なんともないほうがおかしい。といわれて、ああ、こういう人間がよくいるのだなと思った。
お薬をいただくには、この頭痛が腫瘍などに起因する重大なものでないことを確認しなくてはならないので、MRIを受けることになり、今日、行ってきた。
だいたい、見舞い以外で大病院には行かないのでおろおろ右往左往しつつ、地下の放射線エリアへ。
金属(モドキも含め)製品を外して、台の上に横たわり、かまぼこトンネルみたいなとこへ、ういーんとアタマから入っていく。
音がうるさいので我慢してくださいね、と診療所の医師も、この病院の検査医師もいう。
ほんとだ。
ごんごんごん ががががこんこん びーーーーぴーーーーー
ぐいーんぐいんぐいん
がーがーがーごろごろごろごろごろごろ……
バキバキバキッ ドドドドガッガガガー
ギギギギギギギギギギギギギ……
と、絶え間なくつづく音をBGMに、私はなんとぐーすーぴーと眠った!
だって、目をつぶっててくださいね、て言ったし。
目をつぶって横たわると私は眠るのである。
あーよく寝た。
このところ、8時間睡眠のとれない日々が続いている。何か月も。
そのせいか、わずか20分ほどだったけど、熟睡した!
とゆーわけで、本日、初MRI。なんだかすがすがしい気分で往く7月を見送ることができるのであった。