一生わからないと思う2008/10/31 19:13:14



『しずかに流れるみどりの川』
ユベール・マンガレリ著 田久保麻理訳
白水社(2005年)


マンガレリの『おわりの雪』について書いたのはもう一年も前のことなんだ。自分でちょっとびっくりしている。
http://midi.asablo.jp/blog/2007/11/08/1897843

『おわりの雪』がまさに雪の色をしていたのに比べて、こちらは草の色でむんむんしている。タイトルの「みどりの川」は主人公の記憶の中にあリ、今人物の眼前にある情景として描かれているのではない。にもかかわらず、やはりタイトルにあるせいだろう、わずかな記述しか割かれていない「みどりの川」の存在感は物語の中にいる二人にとってとてつもなく大きい。
ここでいう物語の中の二人とは、主人公の少年と、読者である。

少年は、自分よりも背の高い草の生い茂る原っぱを、潜るように歩くのが好きである。草を踏みしめて道を作り、それでもなお左右から覆いかぶさる草で「トンネル」ができる。そこへ毎日歩きに行く。歩きながら、さまざまなことを思う。思い出し、空想し、考える。
いま住む町へ引っ越す前に住んでいた町には、川があった。藻が繁殖しているせいで川は深い緑色に見えた。少年は、その川で父が釣りをしていたと記憶している、と思っている。だがその記憶は不確かで、父は、釣りをしていたことは思い出せないという。
父は、静かに流れる緑の川が前の町にあったことは憶えているけれど、その記憶自体に関心はないのだ。
だが少年の心は川の緑色にとらわれる。
その色は、彼がトンネルと呼ぶ草原の緑とは微妙に異なって読者には感じられる。物語の季節は夏で、眩しい陽光が容赦なく照りつける草原の緑は浅く黄色っぽく浮かぶからだ。だが父と少年が住む家の裏に茂る「つるばら」からは深い葉の色が想起される。つるばらを殖やしてひと儲けしようと考える父の脳裏には、緑の川の緑の代わりにつるばらの緑が繁茂している。
読者の思いはしかし、少年の「トンネル」内部の深淵に「しずかに流れるみどりの川」を見、彼の父への純真な愛情をその色とオーバーラップさせ、やはり父ではなく少年と「みどりの川」を共有するのだ。

父と息子とは、なんだろう。
父と息子とは、どのようにつながっているものなのか。

私には永遠にわかるはずのない問いである。

私の周囲には、幸か不幸か「傍目にも羨ましく思えるほど」「強い絆で結ばれた」あるいは「とてもよい関係を構築している」父と息子ただ二人の家族というのが存在しない。
仲良しの父と息子は掃いて捨てるほど(あらごめんなさい)いる。
でも必ずそこには「妻」とか「娘」とかが絡んでいて、男二人だけの世界を謳歌している例はないのだ。

だから本書のような物語の、行間や、後ろにある、目に見えない父と息子特有の紐帯のありようが想像できない。
それはおそらく母と娘にはありえないものなのだろう。