誕生日とお正月準備の話 ― 2009/11/13 20:24:28
今日は13日の金曜日である。
マイ母の誕生日である。73回目だ。
父が亡くなったのと同じ年齢になったけど、幸い彼女はとりあえず元気である。私の母の場合、カラダは大変頑強である。母のきょうだいはみな、問題を抱える者もいるが、カラダは元気である。今年の夏、長姉のさよ伯母が亡くなったけど、およそ病とは無縁の人であった。長兄は認知症が始まっているけれど、カラダのほうはまるで大丈夫である。
8人きょうだい(うち2人は夭逝しているから実質6人)の末っ子の母は、やはり末っ子だけあって、というと世の中の末っ子からブーイング来るかもしれないけれど、自分で道を切り開けないというか、主体性がないというか、人に頼ることしか知らないというか、そのくせ叱られるのが怖いから(まずいことは)黙っているとかそんなとこにだけ智恵がまわるというか。
母は姑(私の祖母)の嫁いびりにも耐えたし、父の女遊びにも耐えたし、染め工場の専従者として仕事と家事を両立させてきたし、なかなか図太くて根性入ってて、立派な女性なのである。だからもっと自信をもてばよいのである。なのに発想も発言もネガ志向である。まじめに喋っていると気が滅入ることしばしばである。面倒だから書かないけど。
そのわりにはもうちょっと真剣に考えてくれよ、というようなことをすーっとスルーしちゃうというか問題視しないというか忘れるというか。
私は出来合いのおせち料理の広告が大嫌いである。
ちっとも美味しそうに見えないということがひとつ。
もうひとつは実際に美味しくないのに決まり文句で過剰に飾り立てて御節を作るという日本文化を破壊しようとしているからである。
一度、社用でどうしても某超有名ホテルの割烹による御節三段重を注文しなくてはならなかったので注文し、間違いなく大晦日に届いたのでお正月にありがたくいただいたのであるが、私たちの郷里の御節とはまるで異なるものが入っていて(そのホテルはよそさんでしたの)、どうすればこんなけったいな味付けになるのか、というような代物ばかりであった。その地方では定番の名料理なのかもしれないが、なじんでいない、口に合わないということをあれほど思い知らされたことはなかった。やはりその土地のものはその場所へ行って、その土地の地を踏み空気を吸って、その土地の人と話をしながらいただかないと美味しくない。その経験もあって、我が家では、主に母が、であるが、御節はやはり自分の家と、地元の気心知れた商店街とで準備したほうがいいという意を強くしたのである。
去年、ひいきの魚屋さんのおじちゃんが亡くなって、棒鱈の下ごしらえを頼める人がいなくなって、母は何年ぶりかで自分で戻すところから始めたのだったが、手順がどこかで欠落したのか、棒鱈はかなり硬いままであった。味付けはバッチリだったので、やはり戻してから煮るプロセスで「ちょっと面倒くさくなった」のがいけなかったのだと母は反省し、今年は完璧な棒鱈をつくると張り切って、隣近所のオババどもにリサーチしている。
お正月準備は、その気心の知れた商店街のいくつかのお店にリストを渡し、配達してもらうのが慣わしだ。私は掃除と飾りつけ係であるので、注連縄などの買い出しには自分で行く。とはいえ去年あたりからどこにでも背が届くようになった娘が、飾りつけもほとんどやる。重詰めもする。そのうちばあちゃんと一緒に煮炊きもするかもしれない。けっきょく私には料理当番はまわってこないかもな、と思っている。ま、そのほうが、母は元気で長生きしそうである。まだまだ家事の大部分を引き受けてもらわないといけないのであるから。
「おばあちゃん、いんようになったらホンマ困るよな。生き延びれへんかも」
こら、真剣にいうな、娘。
というわけで、ハッピーバースデー母ちゃん。
コメント
_ 儚い預言者 ― 2009/11/14 23:57:32
_ midi ― 2009/11/16 05:31:28
預言者さまも棒鱈お好きなんですね。おいしいですよね〜
酒のアテにもご飯のおかずにもいけるしねえ。
今年はぜひ正月準備に加えてください。