まだ終わりとちゃいますねん2010/07/19 12:09:28

「祇園祭・神幸祭
 祇園祭の神幸祭が17日夕、行われた。京都市東山区の八坂神社を出発した3基の神輿(みこし)は、「ホイット、ホイット」の掛け声と飾り金具の音を響かせて氏子地域を練り歩いた。/午後4時から八坂神社で神事が営まれた。午後6時すぎ、中御座(ござ)、東御座、西御座の3基の神輿が石段下にそろい、夕日を浴びて輝かしい姿をみせた。/法被姿の輿丁(よちょう)が、担いだ両手を真上に伸ばす「差し上げ」を行った後、ゆっくりと回転する「差し回し」を披露して祭神への敬意を表すと、見物客から大きな拍手が起こった。/3基は東山、中京、下京各区の氏子地域をそれぞれ練り、四条通寺町東入ルの御旅所に1週間鎮座、24日の還幸祭で八坂神社に戻る。」(地元紙サイトより)

山鉾巡行の行われる17日は「先祭り」のクライマックス。であるからして、まだ祇園祭は終わりではないのである。
このあとの後祭りは山鉾よりもぐっと小さな神輿ではあるけれども、それだけにぐっと身近な「おらが祭り」。24日の還幸祭には我が町内会は総出でお手伝いor見物するのが慣わし。ウチの子もボランティアで子ども神輿(上で引用した記事中の「3基」には含まれない)のお手伝いをしたりしている。

日本中にさまざまな祭りがある。優雅なもの、勇壮なもの、神聖なもの。私たちの祭りは阿波踊りのように踊る楽しみはない。だんじりのように命懸けの迫力があるかといえばない。けれども、なんだろう、村や町に古来残る祭りというものはいずれもその地の民にとって必要十分な姿で継承されているもんなんだなと今さらなんだが思わずにはいられない。私たちは盆踊り程度なら好む人もいるけれど、お祭りどすえ踊らなどないしゃはりますんさあさ踊ろ踊ろほれほれ、というようなメンタリティはあまり持ち合わせていない。ものすごいスピードで駆ける山車の上でさらに飛び跳ねてみせるだんじりは、よそ者が見るぶんには楽しいが、いざ主催する立場に思い巡らし、もし我が町的精神でもの言えば、そんなんあぶのうおまっせ、やめまひょ、で話が終わりそうである。祭り(だけではないが)が民の精神をかたちづくる。その逆もまた真である。