きっとあの嵐はこのことの前触れだったのだ。2010/07/27 18:49:36

還幸祭のあった日、とんでもない夕立が。

空は光るわ鳴るわ轟くわ、で嵐みたいに(本物の嵐のことを申しているのであって、巷でジャリン子からオババまでキャーキャーゆっているジャ○○ズ家のボンボンたちのことではない)賑やかなことこのうえなく。我が家のぼろっちい物干しが吹き飛ばされんのんちゃうかと思うくらいに風も強くて。一日中洗濯していたので、午後に干した娘の陸上ウエアなどがまだ残っている。であるからしてすっ飛んで上がって取り込んだ。取り込んでいるあいだじゅう、横なぐりで降ってくれたから全身びしょびしょになりましたわよ(怒)。しかしそのあと非常に爽やかになったね、空気が。とにかく連日、これはもう生き物を殺そうとしているとしか思えないほどの悪意に満ちた(笑)暑さが続いてたでしょ。あと数日続けばホントに死んでた気がする(いやいやいやいや死ぬかいな。笑)。

嫌よ、まだ死にたくないわ。死にたくないけど、屋内にいても熱中症で亡くなるかたがおられるというニュースを目にし、案外思いもよらぬことで足元すくわれて死ぬかも知れん、あたし、などと思ったりする。このごろチャリ乗ってて、四つ角の出会い頭で車とよくぶつかりそうになる。わが町のドライバーは行儀の悪い人がたいへん多い。ウインカー出さないで曲がる、一旦停止しないで交差点に入る、狭い道で高齢者に大きなクラクションを鳴らす、狭い夜道でライト上向けたままやたらスピードを出す。運転の下手な人ほど行儀が悪い、つまり、なんでもそうだけど、熟練してくるとかえって身の程を知ってお行儀よくなるもんなんだよね、人間って。でも車の運転のような、ある種の運動能力の向上幅がその人の技術力も左右してしてしまうといった習得技術の場合、下手な人って何十年運転してても下手だよね。何十年たっても行儀が悪いというか品がないというか、洗練された運転ができないんだよね。とくにタクシーの運転手さんたちに、そういう意味の二極化傾向が見えるのは私だけだろうか。めったに客にならないが、さっき述べたような出会いがしらでぶつかりそうになるのは、実はタクシーが多い。勝手知ったる都大路、目ぇつぶってても走れまっせとでもいいたいのだろうか、早く送り届けたい気持ちもわからんではないけど、やっぱし四つ角では一旦停止しなさいよ曲がるんなら前もってウインカ出しときなさいね。いつか、タクシーが小さな四つ角を左からスピードを落とすことなく右折してきたのとぶつかりそうになったが、その前に、そのタクシーの右側を走っていた自転車が、タクシーが右折するのに驚いたのか、交差点手前で転倒した。ウインカ出せよっ。男性が毒づいたが、接触してなければ無関係だとでもいうのだろうか、タクシードライバーは転んだ自転車には目もくれず、自分が右折しようとした先に突然現れた私を恐喝するかのような勢いで睨んでいる。停まれよオッサン。私は唇だけでそういって、転んだ男性に駆け寄り大丈夫ですかと声をかけた。タクシードライバーの目には、ミラー越しに私たちの様子が見えていたと思うが奴はなんと何も言わず走り去った。……とここまでは車の傍若無人さに対して文句を言っているのだが、実は本題はそこではなくて、私の反射神経が鈍化したということがいいたかったのである。車の行儀の悪さは今始まったことではない。自転車だろうが自動車だろうが、私は気配を察知することには自信があった。だから、今挙げたようなケースのときだって、運転手に睨まれるような接触寸前のぎりぎりまで停止できないということは皆無であった。見通しの悪い交差点でも、車が接近してきそうな空気は伝わってきたもんだ。なのにそういう感覚が鈍って能力が低下しているのか、しょっちゅう「危機一髪」である。ほぼ毎朝、通勤路で「ヒヤリ」とすることに遭っている。命が今あるのが不思議なくらいである。まだ私は死にたくない。若い頃、もういつ死んだっていいさなんて思っていたが、今は、嫌だ。でも、なんとなく、こんなふうに、山積するモンダイどもを一つも片付けられないままぐだぐだ生きて「死にたくない」なんてのたまう人間を、神は狙い打ってお召しになるのではあらしませんか、などとも思うのである。五体満足で人一倍頑丈そうな私だが、再三言及しているように昨今の体力知力忍耐力反射神経の低下は著しく、ふと足踏み外して階段から落ちて頭打ったり、ぶつかりそうになった車を避けようとして今度は自分が電柱にぶつかって転倒して頭打ったり、植木いじりしていていきなり見知らぬ虫の大群が襲ってきてびっくりして欄干で頭打ったり、などなどいろいろな死に至るケースが予想される。暑さのせいで熱し殺されそうだぜと毎夏思うがけっこう暑さに対して耐久力のある自分を発見して幾歳月、今はいわゆる「加齢」(なぜ老化といわないのだろう。笑)によるうっかり事故による死亡が目の前をちらつく。うう、嫌よ。今は死ぬわけにいかない。グズグズこんなことをいうのも、例の還幸祭の日の夕立のとき、洗濯物を取り込んでいて、突風に煽られて足元をふらつかせた自分に驚いたからだ。マジ、いつどんなことで命を落とすやもしれぬ。
このブログの更新が停滞し、どしたんだあ?と心配してくださるかたが、ひとり、ふたり出始めた頃に、もうとっくに死んでいたりして。

そんなことどもに思考しない頭の中の思いをめぐらしていると、ふと、自分の両腕が発疹だらけで赤いぶつぶつだらけなのに気がついた。右腕は今月初めにとある畑で撮影をしたときからだ。虫にでも刺されたかと思ったが、赤いぶつぶつは侵食面積を広げていく一方で、やだなあこれ、早く引かないかなあと思ってふと左腕を見るとニューブツブツが! 瞬く間に翌日から広がってちょっと人前に出られない両腕になってしまった。出てたけど。この暑さなもんだからとても袖のあるものを着る気になれないのでぶつぶつ満開の腕をさらしたままでいたのだが、悪化する一方の腕を見て皮膚科で診てもらえばあー?と鬱陶しそうにいう娘の言葉ももっともだと思い、それに、さすがにこの腕のぶつぶつはよからぬビョーキかもしれないわ、という気もしたので、ようやく時間をひねくりだして皮膚科へ行くと、「紫外線を避けなさい」とのお達しが! 発疹の初発は植物や虫、あるいは汗と繊維などとの接触が原因だが、拡大し継続する理由は、紫外線なのだった。私は整形外科から処方される経皮吸収型消炎剤を四六時中、右肘と両手首に塗っているが、たいていの消炎剤は紫外線を浴びるとかぶれを起こす恐れがあるのである。そんなことは整形外科通い歴のハンパでない私には自明だったのに、自分の皮膚に発疹なんて茜の空にゴジラが出ても起こることではないと思っていたのだった。単純な私はさっそく、あんな恥ずかしいカッコ、どんなにオバハンになっても絶対にしないわよと心に誓っていたはずの、手首から二の腕までを覆う紫外線避けアームカバーをとっとと買い求めたのだった。

とりあえず発疹では死に至ることはなさそうだと安堵した昨夜。
冷蔵庫がその騒音を止めた。
我が家の冷蔵庫は10年選手だ。去年かおととしの冬、いきなり稼動が止まったので慌てて修理してもらった。それほどの重症ではなかったが、何より助かったのは真冬だったからで、戸外は冷蔵庫よりも低温だったので主要なものはすべて外に出して修理が終わるのをのんびり待つことができた。
しかしこの暑さである。
冷蔵庫の気持ちもわかる。しんどいよねこの暑さの中、いっぱいいっぱいで稼動してんのに人間は容赦なくドア開けて暖気入れてくれるしね。もうやめさしてもらうわ。って職務放棄したくなるよな。
しかし、君、翌朝、6時半の早朝にウチの娘は試合に出かけるのだよ。あたしはね、緑茶とスポーツドリンクをいつもの倍つくって、氷と保冷剤を山のように用意して、ペットボトルを何本も凍らせとかなきゃいかんのだよ。その作業中になんですか、いきなり。なんで今なのよ、なんで明日の晩じゃないのよ。ところで前回のように君の状態は修理可能なんかい? それとももうきっぱりと大往生したのかい? 今生の別れをするつもりなん?
たかだか10年程度前の製品のエラーコードについて、ひと言も情報を掲載していないメーカーの姿勢にもびっくりだが、突然に、あまりに突然に訪れた奈落の底への墜落に唖然としたまま、真夜中の台所で私はひとり呆然と立ち尽くしていた。還幸祭の日に私をよろめかせた嵐はこのことの、前触れ……だったのね。