7月7日の祇園祭2010/07/08 19:34:31

「祇園祭・綾傘鉾稚児社参/祇園祭の綾傘鉾(京都市下京区綾小路通室町西入ル)の巡行で先頭を歩く稚児の男児6人が7日、東山区の八坂神社を社参し、祭りの無事を祈った。」(地元紙より抜粋)

動画も見られます。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/movie/player.php?id=20100707gion-ayakasa

(7/5の長刀鉾の吉符入りの動画や、去年の祭の動画もあるみたい)

生き稚児を乗せるのは長刀鉾だけと書いたけど、そのとおり「乗せるのは」長刀鉾だけなのです。綾傘鉾の「鉾」は「傘」だけで、巡行時は皆さん、徒歩です。だからお稚児さんも、何にも乗らずに手を引かれて歩きます。

「祇園祭で「鉾」といえば、見上げるような大きな車を指すのが通例です。しかし、綾傘鉾にはそういうものはありません。鉾は大きな傘のみです。こういう、いわゆる風流傘形式は、実は祇園祭(御霊会)の草創期からあるものですが、室町期以後山鉾が大型化しだすと、かえって異彩を放つ個性的な存在となりました。
巡行における綾傘鉾は、この大きな傘を中心に、衣装に身を包んだ稚児や棒振りと太鼓方、そして浴衣姿の囃子方などの行列によって成り立ちます。
 大きな鉾の場合、お囃子はその鉾の上で演奏されますが、綾傘鉾の場合は、鉦・笛・太鼓が歩きながら奏でられます。いわゆる徒歩囃子です。巡行の間中、各楽器はずっと手持ちです。
 囃子方のうち棒振りは、ほかの鉾のお囃子には無い傘鉾に特有のものです。綾傘鉾のお囃子が別 名“棒振囃子”と呼ばれるのもその故です。」(HP「綾傘鉾のすがた」さんより引用。)

綾傘鉾公式サイトはここです。
http://www.ayakasahoko.com/
いきなり理事長さんの顔が出てきますが、ひるまず(笑)いろいろなボタンを押して見てあげてください。棒振り囃子は非常に優雅かつ勇壮で、神聖な舞です。顔を隠してはるのでなおさらカッコイイのです。

皆さん、綾傘鉾をどうぞよろしく。

面白すぎる2010/07/08 21:23:18

Фёдор Михайлович Достоевский
(ロシア語も再現できる素晴しいアサブロ)
Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky
(↑ 英語ではこう綴るドスト君の名前)
Fedor Mikhaïlovitch Dostoïevski
(↑ 仏語ではこう。ファーストネームはFiodorとも)


『地下室の手記』
ドストエフスキー著 江川卓訳
新潮文庫(2002年版)


この大作家さんの作品は『罪と罰』しか読んだことがなかったが、それはすごくすごく昔の話で、何が罪で何が罰なのか内容はまるで覚えていないに等しかったので、この作品関連で仕事の話があったとき、再読しなくちゃと『罪と罰』の文庫を買い求めたが、そのとき横にあった薄い本書もついでに購入したのであった。しかしそれから長いこと触れることなく放置されていたが、こないだ再読していたサイードの『ペンと剣』を本棚に戻したときにこの本が目に入り、読んでいなかったことを思い出し、それでこれを読むことにした。なにもいま、こんなに不定愁訴でしんどいのにドスト君でもなかろうによ、と自分でも思ったが、いや、今こそ読むべきなのだ、なんて逆境に立ち向かうつもりで読むことにした、わけでは全然なく、暗くてつまんなかったらやめよう、とそのくらいの気持ちで読み始めたのである。するとどうだろう。面白すぎる。とまらない。文庫なのでバッグに入れて持ち歩き、昼休みの食前食後や、外出時の電車の中とかで読むが、焼鯖定食が目の前に置かれても、車窓から降車駅のホームが見えても、ページから目が離せなくて、本を閉じる踏ん切りがつかなくてとても困る。残り少ない時間にばくばくと食べて苦しくなったり、慌てて鞄やジャケットを抱えて駆け込み乗車ならぬ駆け出し降車なんぞする始末。

たぶん江川さんの翻訳がよいのだろう。絶妙な言葉遣いで面白さを何倍にもしていると思う。いっぱい引用したい箇所があるけれど、あまりにもいっぱいあってきりがない。毎行毎行面白いので、引用し始めたらきっと本書を丸写ししたほうが早いだろう。それに、大作家の傑作のひとつだから当ブログのレギュラーメンバー、準レギュラーメンバーの皆さんはたいていお読みであろう。

「二二が四」(2×2=4)には逆らえないとか、ぼくは虫けらにもなれないとか、現代のちゃんとした人間は臆病者で奴隷であるとか、ハイネは正確な自叙伝なんてありっこないといっているとか、女遊びにふけったとか、ぼくはやせっぽちでちんちくりんだとか……最初から3分の1くらいまでは、兄さん何言うてますねん、みたいな感じで引きこもり男の自嘲的自己弁護と思い出し笑いと嘆きが続く。具体的な登場人物の名前が出始めると、「手記」が「色」を帯びてきて、物語性が強くなってくる。

本作が画期となって、ドストさんは『罪と罰』はじめ数々の名作を、後世に残るだけでなくこれほどまでに読まれ愛され研究され議論され続ける文字どおり不朽の名作、大作として人々の記憶に刻まれるほどの力をもった書物として送り出すことになる。本作を書いたときドストさんは42歳。40歳ちょい過ぎって、やはり男性にとってはお年頃なのね。四十にして不惑というしね。ある種の転換点であったり目覚めであったりするのね。いえ、周囲にも、ドストさんのような偉大な作家とは並ばないけど、そういう例が散見するもんだからさ。

女はどうだろうか。女は子どもがいる場合は子どもの成長が節目になるし、何人もいる場合は節目だらけでややこしいから、30歳になった、40歳になったといっていちいち「よっしゃあ」とかゆってられないよね。私の場合は27歳というのが憧れの年齢だったんだけど、その次はロートレックが死んだのが37歳のときだったというので自分の中では、べつにアンリと何の約束もしてないけどさ、37歳までは死なないわ、みたいな決意があって(笑)、でも27も37もぴゅーーーっと過ぎてもう次の「●7歳」が目の前じゃん。やばっ。ウチの子も高校生になるやん(なるんか)。やばっ。あ、いや、自分のことは置いといて。

じゃ、子どもがいなかったらどうなんかな。子育てを経験していない女性の人生の画期ってどこだろう。もちろん、職業や家庭環境で一概にはいえないけれども……男性と同じように40歳というのはある意味で節目ではないかなと思う。そんなふうに言った先輩女性がいた。ちょうど私が40になろうとしたときに、「あなた今からスタートラインよ」と。

ワタクシゴトを続けさせてもらえば、40歳は別にスタートラインでもなんでもなかったし、単にいろいろな事どもが「継続中」であったが、しばらくして振り返ると、その頃から本格的に書くことが仕事になってしまったので、そういう意味ではそうだったのかも。

『地下室の手記』って、いま世に氾濫するブログみたいなもんだな。どこまで真実でどこまでホラなんだかわからないし、浮いたり沈んだり、自分や他人を褒めたり虐めたり。てことは、ブログやってる人の中から大作家が生まれるのも道理なわけで、まだその例はないかもしれないが、将来的にはあるかも、だね。みんな頑張れ!(さて誰に言っているでしょう? 笑)

もし、まだ本書を未読のかたがおられたら、これは超お勧めです。まじです。カラ何とかの兄弟とか大作長編を読む前に、お試しあれ。もちろん、江川さん訳でないとだめよ。