それからどうなった?シリーズ その1。冷蔵庫 ― 2010/07/29 19:19:47
ご心配くださった多方面の皆様、ありがとうございます。
いつ再び止まっちゃうかわからないんですが、とりあえず冷えとります、いまのとこ。
冷蔵庫が稼動しなくなってから約8時間後、出入りの電気屋に母が電話。朝9時頃にオッチャンはやってきて、あーこりゃいよいよあかんかなあ、などとつぶやく。何年経った?10年か。もうちょい、もってもらわななあ。けどこりゃワシの手に負えん。メーカーにゆうとくし、電話かかってくるさかいな。そしてオッチャン家のクーラーボックスを保冷剤つきで貸してくれた。私が会社に行ってる間に、メーカーの事務員らしき女性が電話かけてきたらしい。翌日にしか修理工を派遣できないというので、電話を受けた母はそんなん困るわこんな暑いのに。中のもん全部解けるやん全部腐るやん、と文句を言い募ったらしいが、この暑さでキレて脳死状態になった冷蔵庫がゴマンとあるそうで、順番待ちなのだそうだ。そんなわけで私たちはバターとかヨーグルトとか牛乳とか絶対常温にできないものを緊急避難させ、解けてしまったアイスキャンデーに泣く泣く別れを告げ(笑)、少しでも冷気を保持するために冷蔵庫をあまり開け閉めしないように心がけ、買い置きの冷凍食品などを優先して消費した。
稼動が止まって24時間後、冷蔵庫の中はほとんど常温になってしまっていたが、私はあることに気づいた。冷蔵庫そのものがとても冷たいのである。稼動しているとき、冷蔵庫の外側はとても熱い。冷蔵庫じたいが発熱体そのものであり、室温を上げ不快指数を上げる原因の一つでもある。その冷蔵庫がなにもしないでいると、奴のボディはとてもひんやりして、触れると快適である。おまけに鬱陶しいモーター音がいっさいしない。夜中、繕い物をしながら、冷蔵庫がただの箱になった室内の静寂と涼感を楽しんでいた。悪くないではないか。
夜が明けて9時頃、メーカーの修理工が電話してきた。私はもう靴を履いていたので母が電話を受ける。「ええっ1時? もっと早よ来てもらえへんの???かなんわあーー」
困惑する修理工さんの顔が浮かぶようである(知らない人だけど)。順番割り込むわけにいかないからしょうがない。
母「これ、もう直らへん、っていわはったら、どうしよう?」
私「どうしようもこうしようも、買い替えなしゃあないし」
母「カタログかなんか、もろとこか」
私「修理屋さんにいうてもあかんやろ。電気のオッチャンに頼んで」
母「高うつくなあ。また」
私「さなぎの発表会もあんのになあ。ま、オッチャンに値切るわ」(笑)
と、突然の大出費を一度は覚悟し、もしそうなったらどんな冷蔵庫にしよっかな~♪とちょっぴり楽しみでもあったのだが。
午後、出張先から家に電話する。
「どうやった?」
「直さはったわ」
「いーーーっ」(笑)
「中見てな、ふんふん、あ、これか、とか言いもってな、しばらくかちゃかちゃしたはって、ほんで《今暑いしなかなか冷えへんけど、明日の朝くらいには元通りの温度になりますわ。けど、今度おんなじように止まったら、そのときはもう新しいの買うてください》やて。あっという間やったえ」
けっこう、直るものなんだなあと感心しつつ、半ば落胆しつつ(笑)、余計な出費を避けることができて安堵したのであった。
私「冷蔵庫なしでは一日も生きていけんということを思い知らされたなあ」
娘「二日ぐらい、生きたで」(笑)
私「止まってから修理終了まで37時間やった。冷え始めるまでは40時間かな」
母「あと一日延びてたらもっといろんなもん、あかんようになってたやろな」
私「そやなあ。けど雨降って暑さがちょっとましになってたし……。それに、知ってる? 昨日の晩、静かやったわあ。冷蔵庫の騒音なかったし。ちょっと発見」
娘「へー。経験したかったかも、それ」
というわけで仰天の復活を果たし、何とか11年目に突入した我が家の冷蔵庫である。
