Bonne année 2011!2011/01/01 22:31:23

あけましておめでとうございます。
平和で穏やかなお正月をお過ごしのことと存じます。
本年が幸多い佳き一年となりますよう祈念いたします。

私はことあるごとにへろへろじゃもうダメよしんどい限界絶不調などとぶつくさ申しておりますが、以上体調不良はただただ寄る年波と更年期の症状以外のなにものでもないと思われ、それが証拠にどんなにコテンパンにやられたぜええ、と打ちひしがれても、寝て食えば復活しているのでありまする。まったく頑丈に生み育ててくれた親に感謝するのはこんなときですね。
それでも、です。一昨年は訳本に時間を費やしてけっこう体力を消耗しましたが、昨年は会社の仕事だけで危うく「カローシ」(今や国際語)しそうになりました、というと大げさだけど、苦労知らずのお嬢様育ちの私には苛酷すぎる一年でした。だいたいね、ほんとうに仕事するのって嫌いなのよマジ。
本年は、もう少し、まともな人間らしい生活をしたいと思います。だって、娘に言われたんですよ。「お母さんって、仕事、好きやんな。ウチ、そんな状態が続くのって絶対耐えられへんもん。そんな目に遭わされたら絶対辞めるわ。お母さんは文句は凄く言うてるけど、仕事、楽しそうやん」……ってあーたね、いったい誰のために顔で笑って心で怒って泣いてゲロ吐いて(あらお正月から失礼)働いてると思ってんのよっ……なんつーことは口が裂けても言わず、ただただ「おみゃーも大人になったらわかるだぎゃー」なんて茶化してみるのですけれど、ヤツはふんと鼻で笑って「わかりたないし」なんていうんですよ。ったく可愛げのないことと言ったら。でも、彼女のほうが実は正しいんですよね。連日仕事で午前様になる母親がどこにいます? いや、いらっしゃるでしょう水商売に従事してらっしゃれば。でも、私はそんな勇猛果敢な仕事ではなく、朝9時過ぎに出社する薄給のサラリーマンですのよ。残業代とか健康診断とかいう言葉は弊社の辞書にはございませんわ。働きすぎて具合悪くなっても診てもらう時間もなく、費用も捻出できずという日常ですから、娘は母を心配するというよりは、何が悲しくてそんなところにしがみついてんのあんたは、という感覚でものを言っているのです。何が嬉しいのよこき使われて。そう言いたいのでありましょうね。
ま、もともとがそういう体質の会社ですから、このご時世、下請けの足元見て単価を下げてくる顧客ばかりですから、経営が苦しくなるのもしかたないことですのよねー。好きでしがみついているわけでなく、この歳で転職は博打よりも危険ですから、しがみつくというよりは、苦境にあっても針の穴ほどの楽しみと幸せを糧に日々の業務をこなすのみと肝に銘じていますのよ。
自分を見失うことなく歩いていればよいのではないかしらね。
願わくば娘にも、苦境にあっても簡単には壊れない頑丈な体を、と思ってしっかり必要十分な栄養を摂らせるようにしています。


『愛と痛み 死刑をめぐって』
辺見庸著
毎日新聞社(2008年)

購読している地元紙の、土曜日の夕刊に辺見庸は月1回の連載をしている。その文章が、とてもいい。漢語をあまり使わない、やたらと行換えを行わない、という、文章の見た目が私好みなのである。辺見庸がそういう書きかたをする人だとは思っていなかったので、新鮮に感じるせいもあるかもしれないが。今はその月イチの長めのコラムが楽しみでしかたない。ただし、取り上げるテーマはとても重い。あるときは老人の孤独死、老老介護、病んだ若者、テロリスト、破綻国家、破綻政府などなど、読み進んでいくほどに、あ、今日のテーマはそこですかと文章半ばで気づかされるのだが、それがこんにちの社会が抱える数々の病巣をえぐりとっていて見事なのである。書き出しのイメージはのどかな公園の風景や窓から見える青空だったりする。内容の道しるべ役には路傍の露草や道を這って転がる枯葉、小石で広がる水面の波紋だったりする。優しいイメージに潜む記憶やその裏側に隠れる苛酷な現実を、辺見庸独特の(あるいはこのコラム独特の)筆致で、いかにも、足元のふらついた危うい精神状態の筆者の手になるものというふうに思わせぶりな文体で、しかし硬派な、彼の信念、彼の思想、彼の怒りを行間に込めている。美しいものを美しい言葉で表現するのは簡単だ。だが、醜いもの、鬼畜のような人心、おどろおどろしい現実の在ることを、清新で美しく澄んだイメージとともに読ませる技は誰でもがもてるものではない。そんなわけで私は、辺見庸の、とくべつ冴えた文章を読む幸福を味わっているのである。
辺見庸の著作をあまり読んでいなかったが、吉本隆明との対談本をずいぶん前に古書店で入手し読んだことがあったので、辺見庸ってこういう語り口の人なんだと思っていたら、くだんのコラムの文体はそれとは全然違うのであった。この対談本は古いものなので、辺見庸のスタイルがその後変化したとしてもおかしくないし、たしか重病を患ったとも聞いたような気がするので、そのことも大いに影響したのかもしれなかった。
『愛と痛み』は講演録である。だから、くだんのコラムとは自ずと文章は違ってくるけれども、講演しているのはそんなに昔の辺見庸ではないので、おそらくは編集で形がきれいに整えられているであろう本書の文章とも、そんなに差異は感じられない。
本書は、死刑制度廃止を目指したいとする立場でありながら、そのことを議論すること、信念を曲げずに在り続けることの難しさを書いている。また、なぜ死刑制度廃止へ向かわなくてはならないないのか、なぜ重罪人を殺してはいけないのかを、考えることすらしない人々を振り向かせることの困難を書いている。
難しい問題ではある。死刑制度廃止を言うとき、じゃあ死刑にしないならどうするのよ、という話に必ずなる。なんぴとも故意に命を奪われることがあってはならないからとか、基本的人権を侵害しているからとか言っても、とてつもない凶悪犯罪の前には説得力を持たない。代わりに終身禁固重労働なんつっても、それこそ人権侵害にならんのかという、堂々巡りの議論になるのがオチである。
ロベール・バダンテールは「死刑制度は廃止する。我が国は、国家の名においての殺人を二度と行わない。それだけである」と言った。代替案はなかった。ただ死刑はもうしないのだ、それを決断することから始めなくてはならない、というスタンスだった。根強い反論があったがフランソワ・ミッテランは死刑制度廃止を公約にして当選し、大統領在任中に実現した。
たぶん、こうでなくては死刑制度廃止にはこぎつけることはできないだろう。代わりにどんな罰を与えるのか、という話をしていては進まないだろう。本気で死刑制度を廃止するつもりなら、まず止める、そして、そこからスタートする。もう死刑はない。そういう社会にまずしてから、凶悪な犯罪が起こったときに、その時点で考えうるあらゆる重い刑罰を被告に与える、というのではいけないのであろうか。最近は死にたいから人を殺したとか、早く死刑にしてくれとかいう犯罪者が増えている。そんな輩の「願い」を叶えてはならないと思う。国家であれ誰であれ、人を殺してはならないから、人を殺した者を罰するのだ。「極刑」の意味するものが「死」ではない他の別の何か、それを英知を結集して検討すべきではないのか。

Il faut bien garder les nœuds d'amour...2011/01/02 19:20:50

『絆つむいで 家族はかけがえがない』
京都新聞社取材班編
京都新聞出版センター(2008年)

「絆を深めよう」ってよくいうでしょ。間違いよ。「絆」はね、深まらないの、強まるもんなの。深まるのは、「溝」よ。間違えないでね。絆は「いとへん」だから、糸とか布とかに類する言葉である。だから、本書が絆を「つむいで」と題しているのは、なかなかイケている。
副題に明らかなように、本書は家族の絆のありようを追ったものである。取材された「家族」の数々は、ほとんどが家族の体をなしていない。「家族の絆」は存在していないのだ。だからその絆をゼロからつくらなければならない。あるいは、建前だけの「太い太い絆」が鉄鎖のように「家」を縛りつけている。それを断ち切らなければ生きていけないと思い込み、家族を捨てる。そんな人もまた絆はゼロからつくらなければならない。糸を紡いで縒るように、絆も「つむいで」つくるのだ。
連載は2006年から2007年にかけて35回にわたって掲載され、新聞読者の大きな反響を呼んだ。私も必ず目を通した。文体があまり、というより全然好きではなかったが、取材されて語られている「家族」の一例一例が凄まじいのと、原則地元住民から取材していたので一部の例を除きほとんど「ご近所さん」に近い人々の話だったので、たいへん身近に感じて毎回読んだものである。
ルポされるのは、虐待、不登校、引きこもり、親への反発、暴力、離婚、再婚、ひとり親、家業の断絶、闘病、介護……など、家族という形態があるばかりに引き起こされる問題ばかりである。ならば家族なんかもって生きるのを止めればいいではないかという議論にはならないのが人間の人間たるゆえんである。人間は弱い生き物であるからして、ひとりでは生きられないのである。血縁家族のない人にも疑似家族が必要なように、みな、家族を必要としているはずである。
たぶんね、「家族」という字面に人はひるむんだな。「家」も「族」も、なんか大げさやもんね。「家族」をうまく維持するには、その字面が意味するほどのタイソーなもんではない、と思うに限る。家族は重いし、ときに鬱陶しいが、なんぼのもんじゃいと思ったっていいもんである。たかが家族である。同じ家に住んでるというだけである。たまたまその腹から出てきたというだけである。家族との関係性に苦悩している人がもしいたら、そんなふうに言ってあげたいね。親のことは選べない。生まれた家も選んだわけじゃない。もうたくさんよ。そんなふうに家を、家族を捨ててしまった人がもしいたら、それでも親がなかったらあなたはいなかったんだよ、と言ってあげたいね。こういうのは理屈じゃないから、ああたしかにそのとおりねと速攻で納得する人はないけれど、理屈じゃないから、血の通った自分の手の体温を確かめるだけで、突然親の存在を思い知ることだってあると思うよ。
私自身は、本書の、取材記事の連載中、こんなにたいへんな思いをしている人がいるんだなあ、ウチなんか恵まれてるほうなんだなあ、と思うこと頻繁であったので、何にせよ、帰る家のあることと親がいることと娘がいることをありがたいと思ったもんである。だって、ひとりは寂しいもんね。若いときは一匹狼を気取ったもんだが、今は、ひとりは嫌なの。親を見送り、娘を独立させたら、誰かと絆、紡がなくっちゃ☆

Elle a quatorze ans en ce moment et aura quinze ans en février.2011/01/03 23:49:39

『14歳の心理学』
香山リカ著
中経の文庫(中経出版/2006年)


年が明ければ一つ歳をとる。毎年毎年毎年毎年、経ていることなのに感慨深くなってしまうのはやはり子どもの成長が早いせいだろう。いつの間にこんなに大人びてしまったのだろうか我が娘は、と思うようなことがよくあると思ったら、彼女は来月15歳になるのであった。元日、学問のご利益で有名な天満宮へ祈願に出かけ、絵馬に願いと名前と年齢を書いたが、こうしたことの慣わしで、歳は数えで書く。すると、「16歳」である。筆に墨を含ませ「十六歳」と書くのを見守りながら、そんなに大きくなったのねとため息をついた。あっという間に、私が自分の親にしてきたように、何も明かしてくれなくなり、どこにも一緒に出かけなくなり、私のことはほっといてよ、が口癖になるのであろう。
「なるのであろう」と述べたように、ウチの場合、いまのところ派手な反抗期を経験していない。もちろん、口答えはするしエラそうな口を叩くし、時にはだんまり決め込んでムスッとしっぱなしということもしょっちゅうだけれども、娘はなんだかんだいって怒鳴ったりしないし、ものを投げたりしないし。過去に何度かキツく叱ったこともあるけれど、それが尾を引いたこともないし。キツく叱るといっても私の叱りかたも派手に大声出すとかいう種類のもんではないので、娘のほうも大声で応酬するということはなかった。たぶん、男親がいないせいで、「もう嫌よ、こんな家!」みたいな状態には発展しにくいのだ。
しかし、本書によると、最近「思春期の反抗期」なんてものが消滅しつつあるらしいことが明らかになっているという。昨今の傾向として、親子はとても仲良しだそうである。そして仲良しなまま、小中高と経過して大人になっていく。親子双方にとって非常にしんどい思春期、反抗期が、波風立たないまま、訪れないまましゅっと過ぎるのは、精神的には楽かもしれない。が、香山リカ氏は本書の中で、専門家の言を引いて「(自我の目覚め、自立心の芽生えである)反抗期を通過せずに十代を終えてしまうと、親への依存心が残ったままの幼稚な大人となってしまう。よくない傾向である」ことに言及している。実は私も、ウチのさなぎのその点が少し心配だ。反抗期の到来をわりと覚悟していたのだけれど、今のとこ無いに等しい。もっとぶつかってくれてもいいと思う。もちろん、まだ来ていないだけかもしれない、とも思う。ま、とにかく、本書によれば、たいした反抗期を経験していない家庭がすこぶる多いということである。
本書『14歳の心理学』は、悩める14歳のための本では全然なくて、思春期、いわゆる12、3歳から長めにみてハタチまで、の子どもを抱える親のための本である。平易な言葉と文章で読みやすく書かれているようでいて、実は専門的な言説がいっぱいで、意外なほどわかりにくい。意外なほど、というのは、青少年がかかわった事件や社会問題などに関してよくこの著者の寄稿文を読むが、概してわかりやすく的確だと思わせるものが多いと記憶していたからである。べつに彼女がわかりにくく書いているわけではなく、私が思うにこれは編集の失敗ではないか。随所に4コマ漫画を配し、重要な箇所は太ゴシック系書体で組み、キーワードにはピンクでマーキングするという方法は、読者の便を図ったつもりかもしれないが、タテ組明朝体を基本にした文庫本では視覚的効果は逆に作用してしまい、かえって煩雑に映るという結果を招いている。残念である。
冒頭の例に挙げられているのが、殺人あるいは殺人未遂など事件を起こした高校生の心理状態の分析で、著者は、これらがけっして特別なケースではなく、現代社会においては誰でもが陥る可能性があるのだ、というところに論を導きたいようである。その後に続くいくつかの章においても、「特異な症例」が多く紹介され、いずれも特異ではなく、どんないい子や真面目な子にも発生しうる状況だ、といっているように読める。
たしかにそうかもしれないが、漫画や現代アート、流行の小説などを引用して精神病理と関連づける論の展開は、スリリングであるいっぽう、読み手が自分のこととして引き寄せられるまでに若干のタイムラグがあって、それがちょっと辛い。先生のおっしゃりたいこと、わかるような気がするんですけど、でもたとえがちょっと突飛な感じでとっつきにくんですの、とでもいえばいいだろうか。
けっきょくは、子どもの振る舞いや言葉遣いに注意を払いつつ、「心をオープンにして」何があっても受けとめる、という覚悟が必要である、ということを述べているだけなんだけれども。
去年、娘の誕生日に贈った『14歳の君へ』という、亡き池田さんの本は、当の本人よりは私が読んでじっくり考えたほうがいいような内容であった。その本は、装幀はシンプル、衒いのない誌面デザインで、とても読みやすかった。
趣旨が違うので比べてはいけないが、書名にしてもキーワードとして「14歳」を使えばそれなりの読者層を拾えるとして安易にタイトルを付けたようにしか思えず、その点も、香山リカ氏のこの本は残念な気がするのである。

Eh voilà ça commence!2011/01/06 00:07:52

選択出版『選択』Vol.37 No.1(2011年1月号)
3ページ
〈連載〉巻頭インタビュー
「中国は覇権を求めない」程永華(駐日中国大使)


《小康社会の建設というビジョンの実現のために自国の建設に力を入れていく。小康とは中国語のニュアンスでは衣食足りて少し豊かになったという意味であり、調和のとれたゆとりある社会を指す。……》
《……都市と農村の格差や都市内部の所得格差は、どれくらいが許容範囲であり合理的か、判断のうえ対応できれば、それはそれで調和のとれた社会といえるのではないか。》
《……そもそも絶対的な民主化、自由などというものはありえない。……他国がどのような体制をとっていても、それを中国に導入するという議論にはならない。……》
《……あくまでも平和発展を目指し、国は大きくなっても覇権は求めないというのが、数千年来の中国の理念であり、現実的な政策だ。……》

ページの中央に程さんの聡明そうなお顔。この人勉強できたんだろうな。でもって仕事もできるんだろうな。そんな感じだ。日本で留学経験も大使館勤務経験もあり、就くべくして就いた今のポストで、言うべきことと言ってはならないことを心得て、インタビュアーを煙に巻いている。格差の許容範囲だなんて。あんたんちいったいどんだけ格差あんのよ。ウチとこだってよそのこと、とやかく言えんけどさ。そりゃ米国流の、どこにでも米国版民主主義を押しつけて、その地独自の文化を踏みにじって民主化するやりかたは誰だって嫌悪感をもつけど、それ以上にあんたんちの内情、ヘドが出るほどひどいってこと、みんな知ってるって、知ってるの? 知ってるんでしょうね。知っていて、しれっと「ありえない」とか「導入するという議論にはならない」とか言ってるんでしょうね。さすがオートフォンクショネールシノワ。そんな控えめなもの言いしなくても、その調子で人口増やしていけば在外人も合わせて20億人も遠い話ではないでしょうし、嫌でも覇権はあんたんちに転がり込むわよ。

仕事が始まってしまった。やっぱあと一週間、欲しいな、休暇。二週間あれば、一週間は私が休むのに使い、もう一週間を母が休むのに充てることができる。けっきょく、私が休暇だろうと夕飯どきだろうとずっと仕事をしている状態なので、私の母は家事から解放されて「何もしない日」というのをもつことができない。冷蔵庫の中の残り物をやりくりしたり、孫娘の帰宅時間に合わせて自分の外出時間を決めたりといったことは、彼女の老化防止に大いに役立っているかもしれないが、たまには「何もしない日」をつくってやらないと突然倒れるかもしれぬ。いつ何が起こってもおかしくない年齢にもなっているのだから。だが悲しいかな、私が仕事や内職をセーヴしたりするととたんに食えなくなる我が家。もうちょっと頑張らないとなあ。ホントに去年は仕事でひどい目に遭ったので、でも今年も同じ仕事をしていかなくちゃならないのだから、改善しつつパワーアップもしないと。でもさ、仕事始めの席に着くとさ、なんか、あああ、て感じで気が萎えちゃう。初日からもう勘弁してよね、みたいな依頼というのか要求というのか有無をいわさず指示が来る。まったく、空気はこんなに清廉なのに、ヘドロのような重い何かを体の中に抱えて帰る。でもね、でもでも、お帰りといってくれる家族がいるのさ。
中国の農村部や地方都市の惨状についての本を読んだり、一方で程さんのような人の「できた」話を見聞きすると、それでも私たちは幸せなはずだと思うし、幸せである権利を行使しなくちゃとも思う。だってあの国で貧困に喘いでいる人たちには基本的な権利さえ保障されていないのだから。そりゃ、こっちの国にしても、何もしようとせずブーたれていたら、アカンままである。だけどその気になりさえすれば「アカンまま」から脱することが(できなくなろうとしているという噂だが)できるのが、私たちの国なのだから。
とはいうものの、やっぱ、始まってしまったと思うと暗くなる。今日は何も思考することができなかったので、マイブログいじりばかりしてました。ああ、モンペリエに帰りたい。

Mais si c'est la joie pour eux?2011/01/07 00:20:47

選択出版『選択』Vol.37 No.1(2011年1月号)
110ページ
〈連載〉日本のサンクチュアリ●シリーズ436
 箱根駅伝 ——歪んでしまった「国民的行事」


12月の中学校恒例行事、持久走大会を最後に娘は全然走っていない。この持久走大会、毎年最上級生の中3生の記録はおしなべてふるわない。通常6月〜7月を最後に部活動から引退し、受験勉強を理由にほとんど運動しない日々に突入するからだ。持久走大会の2週間前から学校挙げての強化練習(という名前ほど激しいものではない。体育系の生徒ばかりではないので、全員に体を走ることに慣れさせるためのものにすぎない)はあるけれど、それで、部活引退前の好調時に体を戻せるわけはない。娘も例外ではなく、陸上部は秋まで記録会や駅伝の予選があったので他の運動部よりも長く3年生も活動していたとはいえ、やはりチームは1、2年生中心になるので3年の練習量はぐっと減っていた。しかも娘は6月に800mで敗退してから100m×4Rに出場するため短距離練習に切り換えていて、秋の駅伝も控えの控えだった。全然長距離のモードに体がなっていなかった。というわけで、記録はこの3年間の中ではいちばん遅かった。てきめんだ。やはり練習というのは侮れない。積んだ積まなかったで結果が見事に左右される。本人はよく自覚していたので、その上で自分の出せるタイムをある程度は予測していたようだ。
陸上部主将で長距離のエース、小学校からの仲良しキョーカはなんと自己のもつ学校記録をさらに大幅更新。凄い! ちょっとっ。皇后杯全国都道府県対抗女子駅伝のメンバーに、なんでキョーカが選ばれないのよっ……と言いたくなるほど彼女は凄い。余談だがすでに陸上で高校進学内定ももらっている。ま、だからずっと変わりなく部活に出ているんだが。
キョーカが小学校3年生で転校してきたとき、少しアレルギーがあるのか、プール授業も参加できなかったり、母親とテニススクールに通っているなんて嘘でしょと思うくらいひ弱な印象が否めなかったのに、今の彼女は年中浅黒く日焼けし背も高く足も長くすらっとして、なおかつ筋肉ムキムキで、ゆえに力強い走りを見せる。他のメンバーが足を引っ張るからキョーカは駅伝で市内の予選止まりで上の大会へ進めなかったが、彼女自身は十分に全国クラスの実力を持っている。都大路のコースを走らせてやりたかったな。
今年の箱根駅伝、往路を制した東洋大の「山男」柏原選手がインタビュー時に「やったぞ田中!」とチームメイトの名を叫んでいた。陸上は孤独なスポーツだ。競走する相手はいるけれど、実際は自分との闘いに終始する。そんな中で、リレーや駅伝は団体競技、チームプレーの醍醐味を味わえる貴重な機会だ。普段の練習は短距離長距離フィールドと分かれるしメニューも異なるので、なかなかチームとしてのまとまりを維持しにくそうだが、リレーや駅伝のあるおかげで、メンバーでない者も一緒になって妙に部の結束は高まるのである。
それにしても長距離リレーの駅伝という種目を考えたのは誰だろう。偉いなあ。今や駅伝はいろいろなヴァリエーションを生み、国際的に認知されている種目である。やはり、長い歴史を持つ日本の箱根駅伝の果たした役割はとてつもなく大きいと思う。駅伝といえば箱根だ。順天堂大学だ。
しかし、『選択』の今月号の記事は、苛酷なレースが選手寿命をすり減らし、ほんらい未来のマラソン選手を育てるはずの目的で創設された大会が、今は将来有望な長距離選手の「墓場」になっていることを暴露する。箱根駅伝常連の各大学は、全国から走れそうな有望選手をかき集める。特待生扱い、優遇制度、スポーツ推薦、名称はいろいろだろうが要は「ウチで走ってくれるなら試験なしで学費も免除」なんていうのは普通に行われている。そうして入学した陸上界の明日の星たちは、連日固いアスファルトをただただ走り続けて、膝や腰の関節を傷め、卒業する頃には体はボロボロ。これまた実業団などにスカウトされて入ったとしても、選手生命はほとんど尽きているというケースがほとんどという。
この記事にもあるが、箱根で活躍したランナーでのちにマラソンで名を馳せたのは瀬古と谷口くらいである。私はあまり熱心にマラソンをみるほうではないが、男子マラソンで活躍する選手と、箱根で活躍した選手との名前が一致しないなあとは感じていた。箱根で決死の走りを見せた選手ほど、それで選手生命を燃やしつくしているからなのだ。
大学にとっては箱根駅伝出場はまたとない大学の広報宣伝の場である。大学名が長時間テレビで放映される。アナウンサーに連呼される。東洋大などは柏原選手の活躍のおかげで入学志願者が1万人以上増えたという。したがって、そこでは莫大な予算がつぎ込まれている。駅伝選手は、大学の存続をかけた宣伝の場で、足と命をすり減らして走るのである。記事は、あまりにも巨大な規模の一大イベントになってしまったせいで、世界へ羽ばたく選手の育成という目的を果たせなくなり陸上競技としてはその意味で機能しなくなっている箱根駅伝を嘆いている。
それでも、箱根駅伝が観るスポーツとして群を抜いて面白いものであることには違いなく、私の周囲でも、普段は何もスポーツ観戦をしない人でもお正月の箱根だけは観るという人が多いから、その人気の高さは凄まじい。
走る、ということの面白さや爽快さは、走らない者にはあまりピンとこない。
まだ中2の時だったか、ウチのさなぎの散らかった机の上に、キョーカから渡されたらしき、紙を折り畳んでつくった手紙があるのを見た。どれどれと、さささっと、中を見た。
「ウチが走るようになったんは、さなぎのおかげやねん。5年生のとき、先生が集めてた小学校駅伝のメンバーに、キョーちゃん一緒に入ろって誘ってくれたんは、さなぎやった。あの時さなぎに手を引っ張られへんかったら、今、ウチは陸部にいいひん。こんなに走るの好きになってへん。ありがとう、さなぎ。これからもずっと一緒に走ろうな」
だいぶはしょったが(それに記憶違いもあると思うが)、だいたいこのような内容だった。キョーカがこの先、立派な選手になってもならなくても、彼女がそんなにも走る喜びを知り、目標を持ち、ひたむきに頑張るのなら、そうした時間と思い出を共有できたさなぎはどんなに幸せ者であろうか。キョーカを陸上へ「導いた」(笑)者のひとりとして誇らしく思うことすらできる。
もはや箱根駅伝が、あまりクリーンでないお金が動くようなそんな営利事業に落ちぶれているのだとしても、現実に選手はあの道を走っている。彼らは幸せに違いないのだ、たとえそこで、大学の名のもとに、力尽きようとも。
世界に羽ばたくマラソンランナーが背負うのが日本という母国の名だとしたら、箱根駅伝のランナーは母校の名と友情を背負っているのである。そこにそんなに違いがあるとは思えない。箱根駅伝が大会・大学関係者を大きな金の動きで潤す構造は、オリンピックのそれとたいして変わらないと思うがどうであろうか。

Vous aimez le Chanel ?2011/01/11 02:18:27

『シャネルの警告 永遠のスタイル』
渡辺みどり著
講談社(2001年)


所用があってここ数日、ガブリエル・シャネルの伝記本を山のように読んだ。ホントに日本人ってシャネルが好きなんだね。よくまあ、こんだけあるわねっていうくらい、シャネルの本はたくさん出ている。もちろん、シャネル好きは世界中にいる。日本で出版されているシャネルの伝記も多くは翻訳物である。どこの国でもガブリエルに憧れる人々はある種の層を成しているのだろう。
なかには本書のように日本人が手がけたものもたくさんある。シャネル個人の伝記としていちばんよくできていると思えたのは山口昌子さんの『シャネルの真実』であった。これが企業シャネルあるいはブランドとしてのシャネルを語る本になるとずいぶん様相が変わってくるので、個人伝記本とは比較できない。正直いうと、企業グループとしてのシャネルを分析した本のほうが、ガブリエルの生涯を描いたものより何十倍も面白い。とはいえ、ガブリエルことココの生涯も、上手に書いてくださってれば凡人には十分に面白い。
冒頭に掲げた本書『シャネルの警告……』は、十分に面白いはずのココの生涯をまったくつまらなく読ませるという点で群を抜いている。著者の、本書制作の目的はいったいなんなんだろう? いくらページをめくっても、シャネルがなにがしかの警告をしているようには読めない。シャネル語録は嫌というほど引用されているが、それは警告というくくりかたをされるような意味の言葉ではない。「警告」と並んで「永遠のスタイル」がタイトルとして掲げられているのも理解に苦しむ。シャネルが生んだのはモードではなくスタイルだ、というのはどの伝記を読んでも食傷気味になるくらい書いてあるが、どの本も、シャネルがいかにしてその「スタイル」を築いたかに言及してある。しかし本書に限っていえば、そうしたことにはあまり触れられず、いやもしかして、触れているけれど私の目に留まらなかっただけかもしれない。言い訳じゃないけど、ものすごく手早くピャーと読んだので、よほど印象的な書きっぷりでないと全然心に残らないのだ。
いっとくがほかの伝記本も同じようにピャーと読んだんだぞ。でも、ううむなるほど、とか、へええシャネルって素敵じゃん、とか、思わせてくれる何かが読後にあるのにさ、本書にはなかった。
著者の渡辺さんは皇室番組などを手がけたこともあるとのことで、本書の後半ではさりげなーくシャネルのバッグを手にもつ美智子皇后や雅子妃殿下の写真などを挿しながら、皇室のエレガンスにも言及している。興醒めするなあ、と感じたのはなぜだろうか。私はべつに皇室嫌いでもなんでもない。この国の政治が阿呆なのは皇室の存在が確固としてあるせいなのか、それとも政治が阿呆だから皇室が存続せざるを得ないのか、どっちだか知らんけど、とりあえず、いまんとこ、皇室なしにこの国の外交は成立しないというていたらくなので、皇室メンバーさまがたにはフル回転してもらいましょう、という立場である。
それはそれとして、たぶん興醒めしたほんとうの理由は、渡辺さんがご本人自身のエピソードも織り交ぜながら書いているせいである。「私の経験からすると」みたいなくだりが何度か出てくるが、この本を手に取る人は、渡辺さんのエピソードにはたぶん興味がないし、皇室メンバーがシャネルを愛用することにも興味がない。貧困家庭の出身であるシャネルの生涯を、彼女の残した言葉の数々を軸にして、クチュリエとしてのサクセスストーリーとして読みたいと思ってページをめくってみるはず。
ま、とりあえず、シャネルの伝記だと思って読み始めたのがマズかった。渡辺さんの考察メモ、程度の認識で読めばよかったのだ。でもさあ、立派な装幀だしいぃ。

映画『ココ アヴァン シャネル』ってヒットしたの?

Tu as l'heure, s'il te plaît?2011/01/12 20:53:45

『適当な日本語』
金田一秀穂著
アスキー新書(076)(2008年)


たいへんよくできた本である。
日々、何がしかの文章を書いている人に一読をおすすめする。
あなたの書くのがケータイで送るメッセージにせよ、取引先に送るクレームにしろ、上司へ提出する報告書であろうと、長い長い恋文だとしても、誤字や誤用は一気にその文章の価値を奈落の底へ突き落とす。
これはほんとうであるぞよ。
私は毎日膨大な量の文章を書くが(いわゆる仕事上の文書も、原稿も、友達への手紙もメールも、ほいでもってこんなブログも)、同時に膨大な量の文章も受け取るし、新聞も毎日読むし、文献にも目を通す。そういうもんの中に誤字誤用を発見するとやはり相手や出版元を「そういう目」で見てしまう。
マイブログでもよく書くが、私が仕事でかかわる人たちって、ほんとに、ちゃんと書けない。年齢は関係ない。また学歴や職歴も関係ない。
賢そうな御仁がことわざや慣用句を誤って使う。軽薄な営業担当が若者ぶって略語だらけのメールをよこす。いつも誠実で丁寧なもの言いの婦人が敬語のむちゃくちゃな連絡FAXを送ってくれる。知的で名の通った新聞の記事に変換ミスが散見する。
共通しているのは言葉を軽んじていそうな態度であることだ。
その文章を差し向ける相手を軽んじているわけではない。(だから厄介なのよね)
言葉を真摯な気持ちで扱う人が少なくなったといっていいのだろう。
ここ数年、テレビ番組のネタにも漢字や言葉を問うクイズが増えてきたように見える。くだらないテレビのネタにされることこそ誰もが本気で向かい合おうとしていない証左だ。
「通じたらええやん」とはウチの娘がよくいうのだが(笑)、それが通用するのは、けったいな英語で外国を旅するときだけなのよ。
間違いは誰でもあるのだし、間違えたときに学習すればいいのだけれど、最近は人に対して間違いを指摘したりしにくい風潮が世に蔓延している。上司も教授も、部下や生徒を「傷つけてしまうのが心配」で、バチッと指摘できないでいたりする。小中高の教師陣はもはやご本人たちがあまり言葉をご存じない。とほほ。
だから、言葉は、自分で正しく覚えて、少なくとも自分だけは正しく使いたい。みんながそう心がければ、正しく使える人が少しは増えないかな。ま、ここまでたいそうに考えずとも、言葉をきちんと使いたい、きっと誰でもそう思っているのだ。けれど、え、これってどっちが正しかったっけ? みたいな紛らわしい同音異義語や類義語はもともとあるし、昨今いい加減な用法がまかり通って通りきっちゃった挙句正しいと認識されているケースもあって、実際判断に困ることもよくあるのさ、という真面目な人はたくさんおられるのではないか。
金田一先生はカタイことはおっしゃらない。
書名の『適当な』は、「適切な」と「いい加減な」の両義をもっている。で、この題名も両義を含むとおっしゃる。
言葉は生きものだ。だから杓子定規に考えずに、寛容に言葉と向き合いたい。眉吊り上げて正しい本義をまくし立てるばかりが、「正しい日本語を守る」ことにはならない。その意味するところがゆっくり変わってきた言葉もあるし、時代が変わったからといってやはり誤用はどうしても認められないと思われる言葉もある。
言葉の遣いかたって、身に着ける衣類に似て、その人の好みや性格を映す。立ち居振る舞いやしぐさ、食事の際の行儀に似て、その人の育ちかたや学びかたを映す。それらは全部、ごく初期には親から譲り受けたり躾けられたりするものに属する。「親の顔が見てみたい」というが、その人の言葉遣いに親は潜んでいる。言葉は母だもんね。しかし服の好みが親子で異なることがもちろんあるように、親の影響から脱して自分の言葉遣いで生きていくことは可能だし、それは試みなくちゃいけない。だって若人たちよ、あんたたちの親世代ってほんまにアホやねん。乗り越えな、あかんよ。
若人って、わこうどって読むのよ。覚えてね。
で、本書だが。
いいじゃんべつにどっちでも、というケースと、いやいやそこは間違えないでくださいよ、というケースを明快にして、優しく易しく金田一先生は解説してくださる。第一章は「ぷぷぷっ」と笑える「誤用」例がいくつも並ぶ。でも、人のことは言えません。自分も似たような間違いをしているかも、と我がふり直そうという気持ちにさせてくれる。私が好きなのは第二章。センセイ、同感ですわ。ここに列挙されている美しい言葉を難なく使いこなしてものを言い、ものを書いていきたいわ。第三章は変換ミスに気をつけましょう編。とても勉強になる。これこれこういうときの「とる」はどの「とる」?取る撮る採る……と選択肢を掲げてのクイズ形式。
世の中に日本語関連の類書は山のようにあるけれど、大別すると、とんでもない誤用例をやたら掲載して笑いをとる系の本と、真面目に真面目にあくまで正しい日本語の追究を目指す系の本に分かれる。
本書は、その両方の要素をちょっとずつもっている。そのうえで、どちらにもないこの本だけが読者に与えうる満ち足りた読後感。誰でも手にできる、でもってとっとと読めちゃう、実にお手軽な新書でありながら、実は実は、実に稀有な本である。
ところで、この投稿につけたタイトルは現在時刻を人に尋ねるときのよくある言いかたである。直訳すると「時間、もってますか?」である。腕時計(または類するもの)を携帯しているかどうかを尋ねる文だ。日本だと「時計もってる?」かな。そう訊かれて、「はい、もってます」とだけしか答えない人は、ない。もっていれば見て、時刻を答える。「今何時?」と訊かれなくても、相手が「時間(時計)もってる?」という言葉を使うことで「今何時?」と尋ねているのは明白だからだ。
こうした会話の成立こそ、互いが空気を読んでいることの証しにほかならないと、私は思う。時計もってる?と訊かれて時刻を答えることを知っているなら、ケーワイ、なんていわれても心配しなくていい。いま少し、感覚を研ぎ澄ませればいいからだ。
今、言葉は、文字どおり読まれ、字義どおりに解釈されてこそ価値あるかのように振りかざされて、ちょっぴり悲しそうである。発せられて宙をいく言葉は、いろいろなものをまとって対象に届くはずなのに。
空気を読むとは、その場の雰囲気に迎合することではない。相手の立場や真意を測って自分の発言のさじ加減に心を配ることだ。その場所が職場であったり、会議の場であったり、合コンであったり、人はいろいろな場面に遭遇する。それは幼少時にすでに始まっている。言語を駆使する過程で空気を読む術も、人間は身につける。私的な関係にあるものどうしなら、みなまでいわなくても、わかる。でしょ?

Me voici, j'ai eu un an de plus, aujourd'hui! Merci à tous!2011/01/18 19:36:13

『100万回生きたねこ』
佐野洋子作・絵
講談社(1977年)


名作の誉れ高い絵本である。私にとっては、大きくなってから、つまり職業としての絵描きや絵本作家を意識した高校生くらいのときに手にした絵本であるので、この本が幼い心にどのように響くのか想像することができない。
娘が保育園のとき、読み聞かせの時間にこの本がとりあげられたことがあった。年中か年長児だった娘は、「ひゃくまんねんいきたねこ、よんでもろた」といった。「それはさ、ひゃくまんかいいきたねこ、とちゃう?」「そやったっけ?」「百万年、生きるのと、百万回、生きるのとは、かなり違うよ」 「ふうん」「面白かった?」「わすれた」
保育園児には難しすぎる絵本である(笑)。
小学校に入ったら、地域住民で構成する図書館ボランティアさんの尽力で読み聞かせ会は頻繁に行われていて、娘は放課後よく聞きにいっていた。あるとき、やはり本書が取り上げられたことがあった。保育園のときに読み聞かせてもらった記憶は微塵も残っておらず、なんとなくあの猫の顔覚えてるような気がするけどなんでやろ、ぐらいの気持ちで聞いたらしいが、感想は:
「言いたいことはわかるけど、お話としてはどうなん、て感じ」
という、まことに佐野先生には申し訳ないというか恐れ多いというか、分不相応に偉そうなコメントを吐いたのであった。
しかし、無理もないのだ。
小学生にだって難しすぎる絵本なのである。
「ねこ」は生きては死に、生きては死に、を繰り返す。生きるたびに飼い主や友達との出会いがある。そして事故や病気で死ぬ。だがまた生きるチャンスを与えられるのかなんだか知らないが、再びこの世に返り咲いて生きる。それを百万回もやってきた。一回の生は数年間に及ぶはずであるから、年数でいうと数百万年生きている。化け猫である。しかし、それはこの本の主題ではない。ここらへんで、子どもは本書理解への挑戦に挫折する。これは化け猫の話ではない。だとすればなんだ? 百万回めに「ねこ」は恋をする。これが大きなポイントなのだが、いかんせんほんものの恋とか生き甲斐とかに出会う前の子どもたちにとっては、たとえば自分の両親などに照らして、やっと結婚したんか、くらいにしか受け取れない。
「ねこ」は生を全うしてほんものの死に至る。
やっと、死んでもいい境地に達した。
やっと、死なせてもらえるくらいの役割を果たした。
本書は「ねこ」をつかって天寿を全うして召されることの幸せを描いているのである。この「ねこ」の気持ちがわかるには、やはり「天寿を全うする直前」に至る必要があろう。
本書は、だから、じつにさまざまな年齢の人々に読まれているし、十人十色の受け止めかた、感想が生ずるのも当然なのである。ウチの子は今のところ好きではないけれど、彼女の同級生には感動した子もいたかもしれない。
中学校に入ってからは、なんと道徳の時間に本書が取り上げられたという。たしか1年のときにはほかの本と一緒に紹介されて、生と死、老いのことについて話し合ったとかなんとかいっていた。さらに、3年になってまた取り上げられ、道徳は担任の受け持ちなので、あの嶋先生が例の調子で授業をしたそうである。
「嶋先生は通りいっぺんのきれいごとばっかりの発言とか嫌いやねん」
「そやろな」
「そやから、誰かがいわはってん、ねこは最後に死ぬことへの恐怖を克服したんだと思います、とか。ほかにも、そういう真面目な答え、ゆわはった人、何人かいて」
「へーーーえ!!!」
「そしたら嶋先生、ほんまか、ほんまにこの絵本読んでそんな感想もったんか、どこ読んでそんなふうに思たんか教えてくれ、とかゆわはんねん」
「いけずやなあ、しまぴょん」
「みんな、しどろもどろ」
「そやなあ。あんたは何かいうたん?」
「ウチの猫がこんな猫やったら嫌やなあと思いました、って」
「ストレート過ぎるな、それは」
「なんで嫌なん、って聞かれたし、ウチの猫は、赤ちゃんのときにウチに来てそれからずっと一緒にいるのに、もし、私の知らないところでそんなにたくさん生きたり死んだりの経験いっぱいしてるなんて想像できひんし、してみても気持ち悪い、って答えた」
我が娘は正直である(笑)。表面的なストーリーしか追えていないことの証左だが、やはり、中学生にすら難しい絵本なのだ。
猫を飼っているから余計にマイ猫と重ねて違和感をもつのは否めない。「ねこ」を猫として読んでいる間は、その域を出ない。しかたないのだ。
あまりにたくさんの人々が読んで、いろいろな評価を下されているので、大人になってから再読しようにも、情報が邪魔をして、純粋な気持ちでは向かえないかもしれない。名作といわれる書物の悲劇的な一面である。この絵本を読んでもはや「邪悪だ」なんて感想はもてないのである(笑)。
天邪鬼な私は、この本に初めて出会ったとき、絵は好きだけどストーリーはわかりにくいな、とウチの子そっくりの(笑)横柄な感想をもったものだ。そして、ええ歳になったいまでも、その評価はあまり変わらない。佐野洋子さんがこの本を通じて言いたかったこととはべつに、一冊の絵本としては、やはり、わかりにくく対象年齢を絞りきれない難儀な一冊に数えられるのではないかと思うのだ。
私は佐野洋子さんの『おじさんのかさ』は大好きである。何度も図書館から借りて、娘に読み聞かせたものだ。エゴイスティックなほどに。
でも、佐野洋子さんの絵本で私が知っているものは、じつはこの2作しかない。佐野さんはその生涯に多くの著作を残されたが、絵本はあまり多くはない。本書の絵は好きだと書いたが、といって佐野さんの絵のファンになるほどではなかった。世の多くの人がそうではないかと思う。幼児受けするものは描いていないし、売れたからといってその絵本の続編なんかつくろうとはしなかったようであるし。
寡作だからこそ、『100万回生きたねこ』が突出して支持されているともいえるのかもしれない。
絵本は、罪な存在である。
大人の感性でよしあしを決められてしまう。子どもは「よい」本しか与えてもらえない。なのに、人生の間には、時にそこからはみ出た本、つまり「よくない」本にも感動する。そのとき、そんなもんにカンドーしてしまう俺ってアタシって、と卑下せず素直に自分を感動させてくれたものを受け容れてほしいものだと思う。佐野さんはきっと、そういう意味で、児童書としてはよくないほうに分類されるかも、ぐらいの気持ちで本書を描いたのではないだろうか。そう思うとなんとなく得心するのだが、考え違いだろうか。
佐野さんはかつて、ある児童文学賞の審査員をされていた。その第一回目、ある作品が受賞したが、佐野さんはその作品には反対票を投じた。最後まで支持しなかった。彼女のその作品への批評を読んで、私はものすごく共感を覚えた。そうよそうよ、だからあたしもこの本嫌いなのよ! と。その作品も、一躍有名作家になったその人の他の作品も、私は相変わらず好かんのであるが、もしかしたら佐野さんは私などよりずっと柔軟なアタマと感性をおもちだろうから、評価を変えてらしたかもしれない。ま、それが、たったいちど、「佐野洋子」を偉大に思った出来事だったのである、私にとって。
佐野洋子さんはウチの母より二つも若いのに、亡くなった。佐野さんの人生をあまりよくは知らないが、百万回生きて、挙句天寿を全うした化け猫だったかも、またそんなふうに彼女を思うことも、許す境地で逝かれたであろうと思うのである。私もぜひ、化け猫並みに何万回も生きて面白おかしい人生をいっぱい経て、最期に至りたいもんだ。さて今のこの生は、何回目なのだろうか。どっちにしろ、今日はその節目のひとつであったりする。あーあ。

Pourquoi tu veux aller à Tunis?2011/01/21 18:55:54

『チュニジアン・ドア』
高田京子 詩・写真
イリエス・ベッラミン、フランク・ミラー訳
彩流社(2005年)


社会人駆け出し2年目だったか生意気にも休暇をとって、小百合とニューヨークへ旅行した。滞在中、偶然入ったジャズバーで、ディジー・ガレスピーがライヴをしていた。当時つきあっていた慎吾から教わってガレスピーというトランペッターの名前もその風貌も知っていたので、思わぬ偶然に私は小躍りしたものだった。とはいっても彼のオリジナル曲まで覚えてはいなかったので、風船みたいに膨らむガレスピーのほっぺたを眺めながら、何吹いてんだかわかんないけどこの雰囲気はいいなあ、なんて小百合に言うと、英語のわかる小百合は「これからチュニジアンナイトっていう曲を演奏するみたいよ」といった。へえ。
マグレブから西アフリカあたりの文化に興味をしんしんともち始めていた私は、もちろんチュニジアもターゲットのひとつであったので、キョーミシンシンで耳を傾けた。だが、そのときの私には、なぜ、今吹かれている曲がチュニジアの夜という題名なのか、当然といえば当然なんだけど、ぜんぜんわからなかった。だが、とにもかくにも、もうメロディーだって忘れてしまったのだけれど、「チュニジアの夜」はたいへん盛り上がり、なんだか聴くほうも演るほうもノリノリで、私たちは図らずも、得がたいほどに楽しいひとときを過ごしたのであった。
以来、ガレスピーはともかく、チュニジアという国は、ファノンのアルジェリアよりも、クスクスのモロッコよりも、サリフ・ケイタのマリよりも、私の気持ちを惹きつける国となった。わが国ではあまり語られることのない国だから、数少ない紀行文や研究論文の類を読み、憧憬の思いを募らせていた。あるとき、老後はチュニジアに移住したいねん、なんてことを、フランスの誰かに話したのだが、なんでえ?あんなけったいな国、みたいな返答をされたことがある。ま、美しいものを創る文化はあるけどな、と言い足してはくれたけど、普通フランス人はマグレブをよく知っているから、彼らのものさしだと日本人がチュニジアに移住するということが測りきれないのであろう。
今、チュニジアで起こっていることは、いくらなんでも、皆さんご存じと思われる。私は紺碧の空と海に映える白い壁とレリーフ、鮮やかな色彩の衣装や絨毯、伝統舞踊音楽、といった部分しか見ていなくて、うかつにも政治体制についてまったく不明であった。えらいことになっているかの地の映像を見て、娘が言った。ちっとも住み心地よさそうじゃないけどなあ、チュニスっていう町。そりゃまあ暴動中だからな。画面から暴動取り除いたとしても、どうってことないやん、どうしてお母さんは住みたいの? ウチは行かへんで。来んでええわ。老後穏やかに過ごすために行くねん。暴動してんのに? アタシの老後まで暴動やってへんと思うわ、いくらなんでも。わからんでえーお母さんの老後ってもうすぐやん。黙れ。
黙れ、だよほんとにもう。……チュニジアは、どこに行くんだろう?
日本では詳しい報道が全然ないから、フランスのニュースサイトと、粕谷さんとか猫屋さんのブログを参考にして〈老後のために〉勉強している私。踏ん張りどころなんだよな、きっと。頑張れ、チュニジアンたち。私の老後のために麗しき国土を守りたまえ。


※追記1) チュニジアンナイト、じゃなくてナイトインチュニジア、でした。小百合の聞き違いや言い間違いではなくて、私の記憶違いです。だってもう四半世紀も前の思い出だからね(笑)

※追記2)本の話を全然しなかったので少しだけ。著者の高田さんには昔出版された旅のエッセイ集「チュニジア 旅の記憶」がある。以降、彼女に何があったのかわからないけど、この本では詩人に変身である。いずれにしろ写し出されたチュニジアの風景が、美しすぎる。言葉を寄せつけないほどに。

以上(1)(2)ともに22日1:59a.m.

Ne t'inquiètes pas, tu vas reussir quand-même! Tu as encore plus de 3 semaines!2011/01/25 00:26:14

入試を前に、学校では模擬面接なる時間を設けて、近年の高校入試で主流になっている「内申書+小論文+面接」での選抜に耐えられる生徒を送り出そうと懸命である。……懸命なわりには、何となく力の入れどころが違うような気もする。
私たちの街では、公立(のみならず私学もだけど)の入試制度が大きく変わった。激変である。だから私たちのときの「常識」がまったく通用しない。激変していいこともあればよくないこともある。私たちの頃は、進学する公立高校というのは原則、自宅住居のある区域で決まった。第一志望が公立であれば自ずと第一志望校は限定された。そこへ進学するのが嫌な場合は、住む場所を変えるか、私学を受けるしかなかった。自分の地域にある高校と行きたい学校とが一致する場合はよい制度であるし、そうでない場合は悪い制度だっただろう。
今、ちょうどその反対の事態となっている。自分の住む地域にある公立高校へは簡単に進学できない仕組みになっている。どの公立高校も普通科だけでなく専門学科を設け、また普通科の普通コースだけでなく普通科の進学コースも設けている。この、「専門学科」は市内のみならず府下全域から志願者が集まる。「進学コース」は市内全域から志願者を募ることができる。地元対象は普通コースだけなのだが、これも昔のように学区別ではなく、市を大きく二つに分けて北圏・南圏としただけだ。
ウチの住所は北圏に属する。
私の家は、娘の志望校から歩いて5分とかからないところにある。
娘の志望校は私の母校である。なぜそこを志望するかといえば、近いから。そのほかにどういう理由をこね回さなくてはいけないというのだろう。私もそうだったが、地域の高校の文化祭には住民も出かけ、バザーや模擬店で買いものしたりする。グランドを借りて運動会などが行われる。ウチの子は地域の陸上クラブに入っていたが、練習はいつだってこの高校のグランドだった。小・中学校は統廃合が進んだせいで、ウチからの通学路はずいぶんと長い距離になった。そして小学校も中学校も、我が家のある町内会とは離れているので、地域の行事が開催されても、私たちとは関係がないのだった。それに比べればこの高校はずっと、私たちにとって身近な存在なのである。
「でもな、志望理由を訊かれて近いから、って答えるのはNGやねん」
「なんでよ」
「理由にならへんって」
「なんで近い学校を選んだか、自分で整理してみなさいよ。通学路歩くのが嫌で、電車乗るのが嫌で近いとこに決めたんちゃうやん。バレエのレッスンが毎日10時半や11時まであって、それ以降でないと寝られへんやん。もし翌朝電車やバスに乗って1時間以上もかかるとこやったら、絶対遅刻常習犯になるやん。そういいなさいよ」
「別の質問で、バレエと勉強を両立させたいって答えたら、君にとってバレエを続けることはどういう意味があるのですかって訊かれた」
「誰やねん、その模擬面接官」
「タダオ先生」
「いけずのタダオかあ。今日はカン爺とちごたんやね」(先週はカン爺先生だった)
「タダオ先生もよう知ってる先生やし、余計に緊張して、日本語めちゃくちゃになった」
「緊張せんでもさなぎは日本語めちゃくちゃやけどな」
「いつもは自分では何ゆーてるかわかってるつもりやねん。でも、今日は自分でも何ゆーてるかわからんかった」
「前途多難やなあ」
「どうしよう、志望理由」
「近い、をほかの表現に置き換えよう」
「どういう意味?」
「私の家と同じ学区にあるリバーサイド高校は、私にとっては、小学校よりも、中学校よりも、幼い頃から身近な存在でした。大きくなったらこの学校に行くんや、とずっとずっと思っていました。リバーサイド高校の生徒の姿は私の憧れでした。とかなんとか、言うねん」
「……嘘はつけへん」
「ぶっ。そもそも、バレエと勉強を両立させたいっつーのも嘘やんか」
「ぐぐぐ」
「罪なこっちゃなあ。まだ15歳にもならへんのに大人の顔色みて口先だけの受け答えさせられるなんてえ」
「そんなんゆーても始まらへんやろ」
「そーかて、面接室のドアは両手で開けろとか、後ろ手に閉めるなとか、そりゃ礼儀・お行儀は大切やけど、面接のポイントってそこなん? そういうのが大きいわけ? なにさ志望理由やなんて、就職ちゃうねんで。そこに高校があるから行くだけやん」
「そやからそんなんゆーても始まらへんやろ。去年、リバーサイド高校に受かったある先輩は、志望理由訊かれて,入試説明会のときの校長先生のお言葉を聞き胸にこみ上げるものがありました、ていうたんやって」
「きょえーほら吹きめー」(笑)
「そういうこといわなアカンねん、きっと」
「なんと嘆かわしい」
「説明会の時、何ゆーたはったっけ? つーか、校長先生っておじさんやった、おばさんやった?」
「そんなことも覚えてへんわけ?」
「話長くて寝てたと思う」
「学校のパンフレットにさ、いろいろとキーワードが載ってるからそれを読んで頭に叩き込むことやな。自立した18歳を送り出す、とか書いてあったで」
「ふんふんなるほど」
「ああ、嘆かわしい」
……たしか、12月1日に、このブログに死ぬ気で勉強するぞと頑張る娘について触れたと思うのだが、ほんの数日後に最初に掲げた難関校をあっさり諦め(爆)、ランクを下げたがそれでも危なっかしいことがわかり(泣)、安全策で今の志望校の普通コースに決めたが、冒頭に書いたように、近いから入れるというわけではないのである。志望校は大変な人気校で、倍率も高い。推薦選抜では面接が結果を左右するというのがここ数年の傾向だというのである。極端な緊張グセのあるウチの子にとってはまさしく大バクチである。しょうがないから私学も併願するが、私学しか受からなかった場合、本気で検討せねばならない日がくるであろう、夜逃げを(汗)。
私学入試まであと22日。大バクチの面接試験まであと27日。神様!