Pourquoi il faut regarder la carte allemande?2011/06/01 02:14:37

風の影響で、こちらにも若干飛んで来そうな気配です。西日本の皆さんも明日は、気をつけてね。
http://savechild.net/?page_id=875

(追記)
放射性物質拡散予報に関してだけいえば、こちらのほうがよいかもです。SaveChildからリンクで行けますけど。
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329

※この気象図は原発故障当初から、おなじみ中部大学の武田先生がリンクしてくださってたので、以来私もたびたびチェックしてたんですが、なんせドイツ語わからないので、こちらを見つけてほっとしています。

同様の図はフランスのニュースサイトでも見られますが、測定結果ばかりで、予報やシミュレーションを求めるなら今のとこ最良は ↑ だと思います。

どうしてドイツの予測をあてにせんといかんかというと、日本の気象庁は「みんなが混乱するから何も発表しないでね」とか通達したからです。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/others/News/message_110318.pdf

Ce sont comme deux grues, selon eux.2011/06/02 00:32:08



『舞鶴クレインブリッジ ~地域社会に根付いた斜張橋~』
岡本寛昭著
文理閣(2003年)


たいへん技術的なことを書いた本であり、ほんらい私などが手にして読んでも、1行も理解できない内容である。それが、ごくごく部分的に、「うん、そうだよね」と思わず相づちを打ちたくなるような数行を発見したりして、「ああよかった」と胸を撫でおろしたい気になる。いや、べつに、何がよかったわけでもないんだが。

先月、仕事で舞鶴を訪れた。
半世紀近く生きてきたが、舞鶴へ行くのは初めてだった。
出張に先立って下調べは若干したが、私はあまりにも舞鶴について無知であった。知らないことが多すぎて追いつかない。しょうがないから何も知らないまま出かけた。


「舞鶴引揚記念館」から見た「舞鶴クレインブリッジ」撮影:マブハイさん(2007年09月19日~)
「舞鶴引揚記念館」から見た「舞鶴クレインブリッジ」
撮影:マブハイさん(2007年09月19日~)


半島をぐるっと回るよりも、このクレインブリッジを渡ったほうが近道だ。取引先の営業部長と運転手兼カメラマン氏は、そんな話をしながら車を目的地へ向けて転がしていたが、気がつくと橋と平行に山道を走っていた(笑)。なわけで目的地への往路は遠回りだったが、帰りは間違わずに橋を走った(駄洒落じゃないよ)。橋を走る(駄洒落じゃないよ)車は、われわれだけだった。行けども行けども。橋を渡り終えるちょっと手前で、工事現場に向かうらしきダンプカーとすれ違っただけだった。こんなに交通量が少ないのに、ものすごい橋を建てたもんだなあ。運転席と助手席の二人はそんなふうに感心していた。

上の写真は、ウエブ上で偶然見つけて拝借した。勝手にすみません。

「クレイン」は英語で鶴のこと。この橋のデザインは、二羽の鶴が羽ばたくイメージからできたと、本書に書かれていた。ふうん。鶴だったんだ。
出張の日はあいにくの大雨で、この写真のように美しい鶴の姿は見られなかったが、遠目に橋が見えたとき、私はある場所の別の橋を思い出していた。

それがこれである。フランスのミヨー橋。
写真はウイキから拝借しました。クリックしてね。
Creissels et Viaduct de Millau (Deutsch: Blick auf Creissels mit der Autobahnbrucke im Hintergrund), Source:Selbst Aufgenommen, Author: Ritchyblack, Date:2009-08-15
Creissels et Viaduct de Millau (Deutsch: Blick auf Creissels mit der Autobahnbrucke im Hintergrund), Source:Selbst Aufgenommen, Author: Ritchyblack, Date:2009-08-15


この橋の存在を知ったのはそんなに昔のことではない。だいたい完成したのが2004年らしいから、本書『舞鶴クレインブリッジ』の出版より後である。2004年だろうと2005年だろうと、私はクレインもミヨーも知らなかった。たしかフランス大使館とか政府観光局とか関係のサイトかメルマガで写真を見て知ったはずだが、それもほんの3、4年前のことだ。きれいだなあ、どういうわけかこういうもん造らすとなかなかやっぱ冴えてるよなあフランス人め、といったような感想を持ったことを覚えている。

で、去年か、一昨年のことだけど友達(日本人)が友達(フランス人)を頼ってフランス旅行に行くことを決めたとき、「今回の旅はミヨー橋を見ることなの。連れてってね」と友達(フランス人)にリクエストしたというので、私は友達(フランス人)に「ミヨー橋行ったら、写真撮って送ってね!」と頼んだりした。友達(日本人)が帰国して数日後、友達(フランス人)がミヨー橋の写真を送ってくれた。カメラに向かってニッと笑う彼らの後ろで、ミヨー橋はあまりに大きく高く、白くて、美しすぎた。

下の写真はその時の写真などではなく、これもウイキからの拝借もの。でも、友達が撮ったのも似たような感じの構図であった。

こちらの橋も、それほど交通量が多いとは思えない。
見物に来る人も、そんなにいないんじゃないかな。いくら美しくても、外国の旅行客はパリの町並みやモンサンミッシェル、アルルの競技場やニームの水道橋のほうを好むと思われる。
が、なんだか、たとえ写真とはいえ、眺めていると「ほうら見ろ、すごいだろ俺たちって。どうだ悔しかったらこんな橋建ててみろ」というフランス人技術者たちの得意満面な顔が浮かんでくる。誰の顔、というんじゃないんだけど。

舞鶴クレインブリッジのことなんて、いったいどれほどの日本人が知っていることか。本書の中でも著者は「あまり一般には知られていない」とはっきり書いてて、おいおい宣伝しろよと突っ込みたくなった。取材先では、丹後の町はどうしても「天橋立には勝てんのです」ということらしく、観光客数も伸びないそうだ。そらま、どんなきれいな橋も天橋立には勝てん。

ところで、大きな火力発電所の横を通った。
火力発電所は接近しても危険がないのか、設備のギリギリ近くに道路が造られていて、私たちはその威容(といっていいのか)に圧倒されつつ、営業部長は「今爆発せんといてくれよ」などとつぶやきながら、たぶん、めいめいが被災地を思った。

舞鶴のまちはとても控えめなつくりで、山が近く、海に面して、空が広かった。大雨の中でも、人々がこの豊かな自然を享受し暮らす喜びに満ちているだろうことが想像された。こういうのどかな場所に発電所なんつうもんを建てるのである、人間は。もう少し東へ行くと敦賀、福井県の原発群がすぐそこだ。

Les fraises, fraises, fraises!!!2011/06/03 01:30:40

3月の終わりに、ちょいとイチゴが安くなったので、がさっと買い込んでシロップをとった。ボウルにイチゴを入れてグラニュー糖をかけて1週間。


色もきれいだしお味もお見事!
簡単にできるもんなんだねー
ヨーグルトにかけたり、ウチで焼いたシンプルなケーキに垂らしたりするとおいしい。良いイチゴに当たったようである。
写真の右にしょぼくれた果実が写っているが。


しょぼくれた果実に新たに買ってきたイチゴを足して煮る。
すると、ほれ。


ジャムをつくったのは4月の初めのことなもんで、とっくに食べ尽くしてしもうた(笑)
ほんまにおいしかった。手前味噌やけど。
もう一回、イチゴ安くならないかなと毎週末、商店街へ行くたび店という店を眺めているが、むしろ高くなっちゃって、んでもってもう出回る時期も終わったみたいだ。
また来年。

Politkovskaïa : le tueur présumé arrêté, pas le commanditaire2011/06/03 21:24:30

アンナを暗殺した犯人が捕まったとの報がRue89に掲載された。

(リンク、効いてないけど)
http://www.rue89.com/retro-ina/2011/05/31/politkovskaia-assassin-presume-arrete-pas-le-commanditaire-207146

ここに貼られていたいくつかの映像を、こっそりもらってきた。
暗殺を伝えるニュース。↓



こちらは在りし日のアンナ。
フランスの討論番組に招聘され、モスクワにおける劇場占拠事件ならびに、チェチェンについて熱く語った。


って、せっかく貼ったけど、ここでは再生できないのね(苦笑)。オリジナルサイトへという表示が出るので、ご興味のある向きは飛んでください。

アンナ・ポリトコフスカヤ。ジャーナリスト。
2006年10月7日、自宅のあるアパルトマンのエレベータ内で何者かに銃殺。享年48。
以上、覚書。

J'ai mal partout!2011/06/08 14:33:55

『つえつきばあさん』
スズキ コージ著
ビリケン出版(2000年)


いつもいつもいつもしんどい、という限りなく更年期的症状に近い状態にはカラダもアタマも慣れつつあるのだが、近頃そこらじゅうが痛いのである。頭とか腹ではなく膝とか肘とか指の第二関節とか踵とか土踏まずとかいわゆる整形外科的疼痛である。そんなもんアンタ前からじゃないの、あっちもこっちも痛い、なんてのはさあ、とおっしゃる向きも多かろうが、現在のように同時多発的な痛み発症というのは、なかなかどうして、私の場合珍しいのである。じつは今年初めから膝関節が痛くて曲げ伸ばしが困難になり、正座するのがひと苦労なのである。正座できないというのは、我が家での暮らしにも支障があるし、居酒屋のお座敷席でも難儀するとあって、非常に不都合な真実である。しかし、そんなことになってしまったのには原因があり、したがってこれは治癒する痛みだという診断が下され、そして医師のいったとおり、GW過ぎると痛みはかなり軽減した。したのだが、膝が楽になって喜んだのもつかの間、さきほどならべたてた部位の数々がいっせいにブーイングを飛ばすように痛み始めたのである。まともに歩けないから家の中ではほとんど伝い歩きである。外を歩くときくらいはしゃきっとしようと思って無理するので、職場や自宅に戻ったとたん、前かがみで足を引きずり、ほとんど老婆。これじゃあスズキコージのつえつきばあさんのほうがよほど元気でダンサブルなのである。年に一度の祭りの日。山奥のあちこちの集落から人々が集まって踊る。つえつきばあさんたちもつえつきおどりを踊るのである。こういう年中行事があるから元気でいられるのだな。膝を傷めた時、かかりつけの整形外科医は「絶望的なほどの運動不足がそもそもいちばん問題」といった。つまり、あまりにも体を動かしていないから、突然動かした時の負荷が何倍にも膨れ上がってしまうのである。運動不足解消には何がよいか。つえつきばあさんの例のように、やはり年中行事に限るのだ。私の場合、原則祭りは見物オンリーだ。これではいかん。参加型の祭りが必要だ。祭りでないといかんこたあなかろうに、とおっしゃる向きは多かろう。たしかに、早朝や夕方に近くをジョギングするとか、いや、走らずとも歩くだけでよいではないか、ウォーキングしなはれ、というか、通勤は徒歩に変えなさい。ハイハイ、おっしゃるとおりです。最近よさげなスポーツジムもできたことだし、体験エアロにでもいってみっか。いろいろと、私だって、検討しないわけではないのだ。しかし、どれもこれも生活の中での優先順位をいうと下位にきてしまう。時は金なり。一秒でも惜しい毎日を過ごしているのでジテキン(自転車通勤)はやめられない。ましてやジムなんぞに行く暇はない。しかし、地域の年中行事は優先順位のトップに上がる。地域の夏祭り、子ども祭り、地蔵盆、レクレーション、運動会。どれひとつとして外したことはない。どういうわけか、休日に仕事を入れられそうになっても「すみません、町内行事があるのでほかの日にしてください」というわがままが通る。お母さん、●月●日、買い物行こうよという娘にも、あかん◆◆祭りの日やもん、というと聞き分けがいい。というか「ウチも行くー」である。現にウチの娘は夏の神輿担ぎに必ず参加している。べつに義務づけられているわけではない。ないが、季節がめぐると、参加せんでどうする、みたいな気持ちになるのである。炎天下でほぼ丸一日まちを練り歩く。ハードワークだ。体力使うぞ。そうだ。私にもそういう行事があればいいのだ。杖つかないと歩けなくなる前に、この夏の盆踊りには参加を表明しよう。うう、痛い。ふざけているようだが大真面目である。そこらじゅうが痛いのである。

Pour Areva, la décision de l'Allemagne de sortir du nucléaire est «très hypocrite» .... Publié le 30 mai 2011.2011/06/11 00:47:29

原典はここです。
http://www.20minutes.fr/article/733104/areva-decision-allemagne-sortir-nucleaire-tres-hypocrite

(20minutes.fr / 2011年5月30日付)
アレヴァに言わせればドイツによる脱原発の決断は「単なる偽善」

【エネルギー】
我が国を代表する原子力企業のスポークスマン、ジャック=エマニュエル・ソルニエによれば、「ドイツが2022年に向け脱原発を宣言したことは驚くに値しない。むしろ、どのような代替エネルギー案が出てくるのか非常に楽しみだ」

Q 2022年向けてドイツが脱原発宣言をしたことをどうお考えですか? そしてこのことはアレヴァにどのような影響を与えるでしょうか。

A この決定じたいはシュレーダーさんがすでに2000年に発表されてます。当時、2021年までの脱原発を宣言したんです。ですから同じようなことを聞かされてもスクープでもなければ革新でもなんでもない。そしてシュレーダーさんと同様、メルケルさんも、ドイツの電力消費の22%を占める原子力発電に取って代われる方法について何も説明しないままです。

Q ドイツは再生可能なエネルギーの開発に野心を燃やしています。彼らの回答はそのあたりから自ずとくるのでは?

A アレヴァは海上風力発電に関してはヨーロッパ第二の推進役です。ですから、再生可能エネルギーについては知り尽くしています。非常に高いポテンシャルを持ってはいますが、その発電は断続的なんですよ。しかし、送受電ネットワークは、連続的に発せられる電気を継続して運ぶことを前提に成り立っているものです。断続的な発電は想定しておらず対応できません。したがってネットワークは「ダウン」します。なるほどドイツは再生可能エネルギーの比率を高めることはできるでしょう。しかし、化石燃料による発電も増やさなくてはなりません。どういうことかというと、CO2の排出も増やすということです。さらに、近隣諸国から不足する電気を輸入することになるでしょう。とくに、発電量の多くを原子力発電でまかなっているフランスからね。そんなもの、偽善以外のなにものでもない。

Q ということは、EU加盟諸国には、自国に必要な電気を再生可能エネルギーで100%まかなえる国はひとつもないということですか?

A われわれが電気を蓄えておく方法を持たない以上、それは不可能です。現代社会における経済的・社会的発展の成果を諦めない限り。われわれの社会はTGVや都市部のトラムウエイ(路面電車)を強く推進し、電気自動車の普及を目指しているのですが……

Q フランスとドイツ、両国ともに、TGVもトラムウエイも発達させてきました。しかしこの両国の発電法には大きな隔たりがあります。電気全体に占める原子力発電の割合は、フランスは74%、ドイツは22%……。

A それは政治的な選択の結果です。完璧なエネルギーの組み合わせなどありません。奇跡的な配合比率も存在しません。どのエネルギーにも長所と短所があります。歴史的にフランスは、産油国とのしがらみを断ち切る目的で、積極的に原子力発電を選んできました。ドイツはこの点に留意しなかったようです。逆説的ながら筋が通っている点は、EU加盟国は共通のエネルギー政策を採用してきました。こんにち、27か国は27の異なる政策を持っています。ドイツが脱原発の意向を発表したのと同じ週、英国は原子炉の新設を確認しているんですよ!

C'est quoi ça, ce chiffre "15"?2011/06/12 23:55:08

関電が、今夏は皆さん15%節電してね、そこんとこよろしくっなんてゆってることは皆さんよくご存じかと思う。

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関西電力:原発撤退などを株主が提案へ 29日の総会で

 関西電力が29日に大阪市内で開催予定の定時株主総会に、株主124人が原子力発電からの撤退を求める議案を提出した。別の株主36人も建設から30年以上たつ高経年化炉の廃炉を念頭に自然エネルギーへの転換を求める議案を提出した。関電が株主招集通知で明らかにした。関電の取締役会は反対を表明している。
 原発撤退の株主提案は、東京電力福島第1原発事故で放射性物質が放出されたことを受け、「放射能の処理ができない原発はやめる」よう、定款の変更を求めた。撤退まで役員報酬を支給しないことやプルサーマル計画の凍結など計7議案を提案している。取締役会は「今後も、原子力を中心とした最適な電源構成を構築し、持続可能な低炭素社会の実現を目指す」として、反対している。
 一方、自然エネルギーへの転換を求める株主提案は、「原子力発電から自然エネルギー発電への転換を宣言する」よう定款変更を求含む10議案を提案。これについても、取締役会は反対している。【横山三加子】
毎日新聞 2011年6月12日 2時30分
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まだそんなんゆーてんのぉ?という気になったのがここ。
「今後も、原子力を中心とした最適な電源構成を構築し、持続可能な低炭素社会の実現を目指す」
何ですか、その「原子力中心」てのは。
こんなに国土が放射能まみれになってんのに。

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2011.06.12
personal power plant のご提案

関西電力は10日、大企業から一般家庭まで一律に昨夏ピーク比15%の節電を求めた。
どうして、一律15%削減なのか。関電がその根拠を明示しないことに関西の自治体首長たちはいずれもつよい不快を示している。
関電の八木誠社長は会見で、節電要請は原発停止による電力の供給不足であることを強調した。
しかし、どうして首都圏と同じ15%で、時間帯も午前9時から午後8時までと長いのか。
会見では記者からの質問が相次いだが、関電から納得のいく説明はなかった。
関電は経産省からの指示で、今夏を「猛暑」と予測し、電力需要を高めに設定している。
だが、同じ西日本でも中国電力などは「猛暑」を想定していない。
また、震災で関西へ生産拠点が移転することによる電力需要増や、逆に、震災で販路を失った関西企業の生産が減少する場合の電力需要減などの増減予測については、これを示していない。
15%の積算根拠としては、猛暑時の電力不足分6・4%に「予備力」として5%、さらに3.6%の「余裕」を見込んで設定したそうである。
平年並みであれば、いずれも不要の数字である(そもそも「予備力」と「余裕」の違いが私にはわからないが)。
東電の「計画停電」と同じで、原発を止めると「こんなこと」になりますよ、と国民を脅かしつけて、原発の早期再稼働を求める世論形成をしようという経産省と財界のつよい意向を体したものだと考えるべきだろう。

「節電」というのは根本的な矛盾を含んだ要請である。
というのは、電力会社は営利企業であり、電気は彼らの売る「商品」だからである。
「節電」とは要するに「うちの商品をあまり買わないでください」と企業が懇願しているということである。
ふつうそういうことは起こらない。
そういうことを言われたら、「あ、そう」と言って、ほかの店に行って代替商品を買うに決まっているからである。
電気の場合は独占企業なので、それがむずかしい。
でも、できないわけではない。
自家発電システムに切り替えてしまえばいいのである。
大手の企業の多くは自家発電設備を備えている。ただし、ほとんどが化石燃料を使火力発電であるから、原油価格が高いと電力会社から買う方が安い。
でも、電力会社から必要量が買えなければ、自分で電気を作ることになる。
95年の「電力自由化」によって、それが可能になった。
ポテンシャルとしては、全国の認可自家発電設備は3000箇所以上あり、火力発電の総出力は5380万KW、水力が440万KW。
原発54基の総認可出力(4900万KW)を超える。
これらの発電者を「特定規模電気事業者」と法律ではいう。
英語だと簡単で、PPS:Power Producer and Supplier 「動力を作って供給するもの」。
電力会社が「うちの商品を買わないでください。お出しするものがないのです」と消費者懇願するのであれば、「よそで買ってくださるか、ご自身で調達してください」というのが筋だろう。

今問題になっている「発送電分離」というのはこの話である。
PPSは発電はできるが、送電のためのネットワークを持っていない。
送電については電力会社の送電線を借りるしかないのだが、その使用料と使用条件がきびしい。
だから、送電部門を発電部門から切り離せば、競争原理が働いて、コストも下がり、経営も透明化するだろうというのである。
むろん電力会社はほかの事業者が電力事業に参入することを喜ばない。
発送電分離についても、激しく反論している。
その論拠は理解できないわけでもない。
だが電力会社はどこかで「独占企業に消費者が依存するしかない」という制度を手放すべきではないかと思う。
その営利企業の収益への固執が、むしろエネルギー政策の新たな、大胆な展開を阻害しているように私には思われるのである。

例えば、ガス会社が開発した「エネファーム」という家庭用の発電設備がある(凱風館にはこれが装備されている)。
これはガス中の水素と酸素を反応させて発電するシステムだが、停電するとモーターが停止して、発電できなくなる。
自家発電装置が電力会社からの送電が切れると止まる・・・というのでは意味がないではないか、とお思いになるだろう(私も思う)。
でも、実際には外部電力が停止しても、自家発電できるテクノロジーをガス会社はもっている(当たり前である)。
しかし、法律上の制約があって、電力会社からの送電が止まると、自家発電装置も止まるようにメカニズムが設計されているのである。

そういう話を聞くと、電力会社の「節電のお願い」をどうしてもまじめに聴く気にはなれないのである。
電力会社がこれまで「オール電化」とかさんざん電力を浪費するライフスタイルを提唱してきた責任を感じるなら、「電気を使わないでください」というだけでなく、「電気はうちから買う以外の方法でも調達できます」という方向に消費者を案内すべきではないのか。

私自身は電力浪費型のライフスタイルよいものだと思っていないので、節電が15%でも50%でも、最終的には100%になっても「それはそれでしかたがないわ」と思うことにしている(それこそはあのフレドリック・ブラウンの『電獣ヴァヴェリ』描くところの牧歌的世界だからである)。
だから、電力会社が「これからはできるだけ電気を使わないライフスタイルに国民的規模で切り替えてゆきましょう」というご提案をされるというのなら、それには一臂の力でも六臂の力でもお貸ししたいと思っているのである。
でも、この15%節電は「そういう話」ではない。
電力依存型の都市生活の型はそのままにしておいて、15%の節電で不便な思いを強いて、「とてもこんな不便には耐えられない。こんな思いをするくらいなら、原発のリスクを引き受ける方がまだましだ(それにリスクを負うのは都市住民じゃないし)」というエゴイスティックな世論を形成しようとしているのである。

繰り返し言うが、私は節電そのものには賛成である。
電力に限らず、有限なエネルギー資源をできるだけていねいに使い延ばす工夫をすることは私たちの義務である。
そして、その工夫はそのまま社会の活性化と、人々の未来志向につながるようなものでなければならない。
70年代に、IBMの中央集権型コンピュータからアップルのパーソナル・コンピュータという概念への「コペルニクス的転回」があった。
同じように、電力についても、政官財一体となった中枢統御型の巨大パワープラントから、事業所や個人が「ありもの」の資源と手元の装置を使って、「自分が要るだけ、自分で発電する」というパーソナル・パワー・プラント(PPP)というコンセプトへの地動説的な発想の転換が必須ではないかと思うのである。
ドクター・エメット・ブラウン(in Back to the future)の考案した「ゴミ発電機」なんか、すごくいいと思う。
誰でもそう思うだろう。
でも、国民の総力をあげてPPP革命による世界のエネルギー地図の塗り替えを企てるという方向に日本が進むことで、むしろ不利益をこうむる人たちが依然としてわが国ではエネルギー政策の決定権を握っている。
それが私たちの不幸なのである。
日時: 2011年06月12日(内田樹の研究室)
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最近,あんたウチダの話あんまりしないじゃないの? といわれる向きもあろうと思うが、変わらずウチダは私にとって最愛の書き手であり、共感する同志である。言葉の師であり、仏語の師である。彼の新刊書はあまり買っていないが、これまでに買ったものを飽きもせず何度も読んでいる。変わらず私はウチダ漬けである。ツイッターに傾倒しているようなのでブログの更新が停滞気味だが、かえってじっくり読めてよい。
前から思っていることだが、いまも、ウチダと私は、生まれた年月と性別が異なるだけで実は同じ人間ではないかと、つねづね思っていて、とくに昨秋彼の講演を聴きに行ってその思いを強くし、いま日本がこうした事態になって、いろいろな事どもに対する彼の意見を読み聞きするたびに、同じジャンルの脳みそを持っていることを確認する。

C'est trop triste...2011/06/13 17:34:33

私たちは誰一人として、今日今すぐ原発をすべて止められるとは思っていないし、今後何十年とかかるかもしれないけどしかるべきのちには停止・廃炉がすんなり実現するわよね、なんてことも思っていない。でも、「ずっと原子力頼みでいきますよ、だってそれしか方法ないのよ現代生活維持しようと思えばね」というのと、「原子力発電から徐々に脱却していきます。ついては生活面で利便性からは遠のいていくかもしれないのですが、文明的にひどく後退、なんてことにならないように知恵を絞っていきましょう」というのとでは全然スタンスが違うのである。
私たちは、全然安全でなかった原発を、電力会社とお役所と時の政府がつくっていた仲良しクラブのいう「絶対安全よ」という言葉を鵜呑みにして検証もせず疑問を投げもせず見学にも行かず、間違いなく安全なものと思い込んでしまっていた。狭い国土の、しかもわが国にとって最も美しいといっていい海岸線に、これでもかというほどの数の原発を、建てさせてしまった。
そして今、美しい国土は東日本を中心に放射能で汚染されている。
空から、海から、そして運搬物を経由して、汚染物質は全国土に広がるだろう。
子どもたちはその未来において、いやおうなしに、それら汚染物質との戦いを余儀なくされる。撒き散らされたものの掃除をする一方で、おそらくは核をもち続けたいと考える「推進派」との戦いも続くだろう。
核をキープしたい。国家戦略としてそっちへ舵をとりつづけるとしたら、「エネルギー対策」を口実に、なんだかんだいってどこかの原発が稼動し続ける。
私たちの世代では間に合わない。私たちの目の黒いうちは脱原発はきっと叶わない。しかし次世代も、その次の世代においても、戦いは続くだろう。
何より悲しいのは、戦い続けてくれる子どもたちの中に、被曝が原因で志半ばで癌に倒れる者たちが続出するだろうと予測されることだ。その確率が1000分の1だろうと100万分の1だろうと、ほんらいゼロでなくてはならない罹患率だ。どう考えても悲しい。ただ悲しすぎる。今日もとある幼稚園の取材をしたが、取材ネタと全然関係のないところで私は悲しくて仕方がなかったのである。


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原発事故中間まとめ(5) 国民が背負ったベクレル

福島原発から上空に漏れた放射性チリは、約70京ベクレル。海に流れた方はハッキリしないが10京ベクレル程度と考えられる。
つまり、福島原発から環境へ漏れた量はおおよそ100京ベクレルだった。この量を少し落ち着いて考えてみよう。

福島第一原発には1号機から4号機まであった。1号機、2号機、3号機は運転中だったので、原子炉の中に合計6亥4000京ベクレル(亥は本当は土偏で、ガイと呼ぶ)、プールに1400京ベクレルの放射線量があり、4号機は原子炉の点検中で、原子炉の中はゼロ、プールが2100京ベクレルだった。

つまり、原子炉に6亥4000京、プールに3500京だから、合計6亥7500京ベクレルの放射線量があった。

この内、100京が漏れたのだから、全体の0.15%が漏れたに過ぎない.もっとも、放射線量は運転が止まる(核分裂が止まる)と急激に少なくなるので、どこの時点をとるかで大きくことなる。

とにかく、ザッと言うと、福島原発が持っていた放射線量の1%未満が大気中にでたことになる。
・・・・・・・・・・・・

まず100京ベクレルというのは、余りにとてつもない量なので、ピンと来ない。まずは、これを「日本国民あたり」にしてみると、100京を1億2000万人で割るので、
「約80億ベクレル」
となる。
つまり国民一人あたり80億ベクレルというとてつもない量を、私たちはかぶり、これからの子供はそれを背負って生きていくことになる.

すまない!

・・・・・・・・・・・・

気を取り直して、少し考えてみよう.
私たちは水道水を1日、0.6リットル飲むが、料理や歯磨きなどを合わせると2リットルになる。
水道水の汚染の基準はWHO(世界保健機構)が、1リットル1ベクレルと決めているので、おおよそ1日1ベクレルということだ。
そうすると80億ベクレルというのは、80億日分になる。
人生80年とすると、人の一生は約3万日だから、その30万倍というとてつもない数字になる.
・・・・・・・・・・・・
原発の事故がいつもこんな大変なことになるという訳ではない。たとえば、新潟沖地震で壊れた柏崎原発では、3億ベクレルが漏れた。
ずいぶん多いようだけれど、3億ベクレルを1億人で割ると、
「一人3ベクレル」
になる。
放射性チリが水道に入っても、3日間、我慢したらそれで終わりになる.今度の福島原発のすごさが判ると思う.
・・・・・・・・・・・・
さて、このことが判ると、「福島原発から出た放射性チリをいくら薄めても、将来の子供達が被曝する」ということがわかる。
たとえば、福島の瓦礫を日本中に移動したり、ホウレンソウを基準以下だと言って生協が運搬したり、乳牛を北海道に移動すると、
「人間の手で放射性チリを全国にばらまく」
ことになり、しかも日本人一人あたりの量がとんでもなく多いので、永久に日本列島が汚れてしまう。
さらに、秋になって台風が来て強い風が吹くと、放射性チリの多いところから、また全国にばらまかれる。
量が少ないときはこんな問題は起こらないが、多いときはかくのごとく違うのだ。
そこで、本来なら政府が、このことを国民に知らせて、ハッキリとした対策をとるべきであった。
1) 放射性チリは100京ベクレルほど出てしまった、
2) これは国民一人あたり80億ベクレルにもなる、
3) 薄めても危険な状態になり、日本列島が全部、汚染される、
4) だから、福島のものを他県に絶対に出してはいけない、
5) 東京など周辺の地域もできるだけ早くチリを集めなければならない、
6) 国家が福島を除染して、原発近くにチリや土壌を移動し、そこで処理を急がなければならない、
7) 半減期が30年ということを考えると、早くやらないと100年、禍根を残す、
ということなのだ。
「梅雨までに」と言ってきたが、すでに梅雨に入った.かくなる上は強い風の吹く台風までに除染しないと、南風で宮城が、北風で静岡が、東の風で新潟や秋田まで汚染が拡がる.
・・・・・・・・・・・・
日本人一人あたり80億ベクレルをできるだけ小さくすること、それが今の大人が次世代の子供達にしてあげなければならない最大の義務だろう.
放射性チリで汚れた日本列島では「環境を良くする」などと言うことは全く出来ないからだ。
一刻も早く、事実を直視して、目を覚ましてもらいたいのだが。
(平成23年6月12日 午後3時 執筆)
武田邦彦

Mycle Schneider: «L'énergie nucléaire n'a plus de perspective»2011/06/14 03:30:48

先日、リンク先で読んでね!とどっかに書いたがやっぱし全文をコピペする。
http://genpatsu.wordpress.com/2011/06/11/mycle-schneider/
イタリアも脱原発を選択したが、やはりフランスのアレヴァは「やれるもんならやってみい」といっているのだろうか。私がよく見ているフランスのニュースサイトでは日本の震災,福島の原発に関する報道はすっかり1面(トップページ)に登場しなくなってしまったので、なかなか、探さないと見つからない。どの国も、マスメディアの状況は似たり寄ったりということなのだろう。
だが良心をもつ独立系のメディアは日本にもある。日本の賢者たちにもどんどん発言してもらいたい。もっともっともっと。

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「マイケル・シュナイダー: “原子力にすでに未来はない”」
仏メディア パール誌インタビュー記事全訳
作成者: genpatsu

出典:http://www.mediapart.fr/journal/international/310511/mycle-schneider-lenergie-nucleaire-na-plus-de-perspective
(midi注:IDとパスがないと記事は読めません)

マイケル・シュナイダー:「原子力にすでに未来はない」
2011年5月31日 ミシェル・ド・プラコンタル

福島の惨劇も、ドイツによる脱原子力の決断も、フランスの指導者たちの判断を揺るがすことはなかった。彼らにとって、「原子」の他に救いはない。では、原子力が我々にとって、必要不可欠なものであるどころか、打開策のない行き止まりであったとしたら? エネルギーの専門家であり、もうひとつのノーベル賞と言われ、環境保護や人権活動などに貢献した個人や団体に贈られるライト・ライブリフッド賞の1997年の受賞者であるマイケル・シュナイダーが、30年の原子力産業分野での研究実績を元に語る。


記者(以下Q):アンゲラ・メルケル独首相は、2022年までにドイツは原子力から脱却するとの決議を行いました。これは、エネルギー史においても大きな転換となる出来事に思えますが?

マイケル・シュナイダー(以下MS):目覚ましい決断であったと思います。現ドイツ政権はドイツ国内の政界においても最も急進的な原発推進派とみられていただけに、ドイツでのこの度の出来事は、単なる政治の出来事ではなく、歴史の一つの転換であると言えるでしょう。アンゲラ・メルケルの選択は、エネルギー確保のための倫理委員会の報告書が述べているエネルギーの現状分析と、核を代替するための一貫性のあるエネルギー施策の提案に基づいています。
同報告書は、政府の要請に応じてまとめられたもので、元環境相であり、国連環境計画 (UNEP) 事務局長を務めたクラウス・テプファーがまとめたものです。テプファーの倫理委員会は、脱原発までの期間を10年と試算し、さらに短期間で実現することが望まし(!)とも述べています。
また、同報告書は、エネルギーのマネジメントにおいて、組織的かつ抜本的な改革が必要であるとしています。テプファー氏は、脱原発は「経済成長の原動力」になる可能性があるという興味深い見解を支持しています。2013年のドイツ総選挙においては、「脱原発を最も早く実現できるのは誰なのか?」ということが論点の一つになるのではないでしょうか。

Q:ドイツのこのような決断がある種の目くらましであるとする見解もあります。結局のところ、脱原発といったところで、フランス産の核エネルギーに頼ることになるのではないか、また、そのことによりドイツの脱原発はフランスの脱原発を遅らせることになるのではないかという意見もありますが。

MS:それは非常に面白い、しかしながら、誤った見解であると言えるでしょう。フランスはむしろここ数年、ドイツ電力の純輸入国でした。つまり、両国間の輸出入総額の収支においては、フランスのドイツからの電力の輸入額は、輸出額に上回っていたということです。2010年においては、フランスは、6.7テラワット(67億キロワット)の電力をドイツから輸入しており、これは、原子力発電所一つ分の生産量に該当する電力(!)です。ただし、フランスの輸入は、冬に集中しており、その電力もドイツの石炭火力発電所から供給されるものです。また、フランスの冬季における電力消費のピークは、96ギガワットを記録しているのに対して、フランスの人口を1600万人も上回るドイツの数字は80ギガワットにとどまっているのです!
ヨーロッパにおける電力の流通を左右するのは、あくまでも市場価格の論理であり、生産量の多い少ないではありません。現在の調査結果は、ドイツがフランス産の電力に依存しえないことを明らかにしています。であるならば、今回のドイツの決定がどのようにしてフランスの脱原発を遅らせるというのでしょうか?


「何一つ解決をみない福島の現状」


Q:現産業相のエリック・べッソンは、リベラシオン誌で「福島は結果的に原子力の安全性を底上げする」と宣言し、また、日本政府が「自国の原発を停止する意志を全く持っていなかった」と言及しています。彼が言うように福島原発事故はすでに決着を見たのでしょうか?

MS:いいえ、この見解は現実と符合していません。25回の訪問を経て、わたしも日本をそれなりに知っているつもりですが、福島の惨劇を過小評価すべきではないと考えています。ある種の技術信仰と決定権を持つ集団による盲信が今回の一件の発端にあります。そして、状況は何一つとして解決をみていない。それどころか、日に日に悪化していると言えます。
事故から2カ月半が経とうとしていますが、放射性物質の放出は続いており、東京電力は未だに安全を確保するための一貫性のある戦略を持っておらず、また、日本の保健当局は日本国民を保護するための包括的な計画を何一つ実装していません!原子炉とその燃料が如何なる状況にあるのか、信頼できる情報源が一つもないにもかかわらず、状況は何一つ安定していません。5月25日付の報道発表によれば、東電は、原子力安全保安院の要請を受けて、線量計を社員各自に装備させたそうですが、それはつまり放射線の汚染が著しい区域で作業していたにもかかわらず、東電社員はこれまで同様の装備がされていなかったということを意味しています。これは信じがたいことです。
さらに恐ろしいことに、東電は、社員全員への装備が行きわたるまで、放射線の用量が介入地域毎に単一であるという論拠に基づいて、技術者一グループにつき、一台の線量計を配備するとしています。しかしながら、半日間、電離放射線下で働いた場合の放射線汚染容量には、数メートル単位での位置の差で10倍の差があることは周知の事実です。つまり、チェルノブイリの事故処理に従事した人々と同じように、今回も労働者たちは全く保護されていないのです。事故から2カ月経つ現在にいたっても、放射線防護の基本中の基本すら無視されています。
原子炉の状態を正常化する施策についても、非常に断片的なデータを根拠とする推論に留まっているのです。三つの原子炉においてメルトダウンが起こったことは確実だと言えますが、では具体的にどの程度の比率で燃料に損傷があったのか、ということは分かっていません。東電の分析は、不十分な数のデータや、センサーの破損により多くの場合が正確とはいえない実際の測定値から類推したシナリオを頼りとしているに過ぎません。これはただの切り張り作業です。おまけに、廃棄物や汚染水の管理に至っても同様の対応しか見せていません。

Q:東電と日本政府は、もっと国際的な支援を呼び掛けるべきなのではないでしょうか?

MS:日本国が問題を解決する能力がないことを2カ月に及びデモンストレーションしてきたわけですから、国際社会に課せられた責任は重いと思われます。現在、アメリカ、フランス、ドイツが、日本に援助を行っていますが、介入国間の協議は特に行われておらず、日本との二国間の援助に留まっていることも問題です。
日本との関係の深いアメリカに関しては、無人偵察機を配備しているため、他国に比べてより多くの情報を保有している可能性がありますが、特に福島近隣の米軍基地周りの状況把握など、彼らには彼ら固有の利害があります。フランスはフランスで、アレバ社(訳注:フランスに本社を置く原子力産業複合企業)のビジネス上の利害関係を日本と持っている。こうしたように、結局のところ、一連の二国間援助の動きの狭間で東電は行ったり来たりしているに過ぎず、多国間で協調する形で包括的な施策は何一つ行われていないのです。これではうまくいきようがありません。そして私には、数ある原子力大国が何故このような状況に甘んじているのかがわかりません。世界最高峰の専門家を集めて国際的なタスクフォースの類を編成するといったことがむしろ求められていると考えます。


「チェルノブイリを上回る健康への被害」


Q:日本国民の保護、そして福島原発外の環境への影響はチェルノブイリと比較してどうなっているのでしょうか?

MS:チェルノブイリより良い状況だとは全く言えません。チェルノブイリでは起こって、福島では起こらなかったことが、二つの間に大きな差を作っていると言えます。たとえば、ウクライナで起こった十日間に及ぶ火災の原因となった大爆発は、汚染物質を標高三千メートルの高さにまで運び上げました。結果、チェルノブイリの一件で発生した汚染物質の約半分の量が、旧ソ連の三共和国(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)以外の地域まで飛散したということが現在わかっています。
逆に、福島の場合は、汚染物質は継続的に排出されつづけ、原発の周辺が主な汚染地域となりました。半径100キロから200キロ圏内が特に被害を受けた地域であり、数千キロ先まで被害が及んでいるわけではありません。外国にとってはこれは幸い、しかしながら、日本にとっては最悪の事態であると言えるでしょう。そして現時点においては、汚染地域を地図上で特定することは非常に難しいのです。なぜならば、汚染が進むのに一定の規則性はなく、天候に左右されながら、地表上に染みのように広がっていくからです。最も危険な地域を特定するには、非常に多くの計測を行う必要があります。日本ではガイガーカウンターは売り切れ状態になっています。この点においても、日本は今も散々な状況にいると言えるでしょう。
日本在住のアメリカ人による民間プロジェクトが日本で結成され、約四十程度の移動型の測定ラボが設置されようとしていますが、個人的にはこのような動きに賛同します。しかし既存の施設を活用して固定型のラボも同様に設置されるべきでしょう。たとえば、食品会社の持つ研究所に放射能測定可能な分光器を配備することなどが考えられます。しかし、こうしたことは現状を反省し、国家レベルで一貫した協調的な施策として組織されなければなりません。特定の地域、例えば学校などの施設における住民が曝されている放射線量の計算も酷く混乱しています。日本政府は、年間20ミリシーベルトの摂取を学童に認可していますが、これは、原発労働者の年間の摂取量に相当します。これは子供たちの危険を二十倍に倍増していることを意味するのです!国民の背負うリスクを軽減するための本当の意味での施策はまだ存在しないのです。このまま何も状況が変わらなければ、今後放射能の影響によるガン患者が何千人と生まれることは明白です。

Q:福島の地域住民の被害状況は、チェルノブイリ事故の後にベラルーシの人々がさらされた状況と同じくらい酷いものであると言っていいのでしょうか?

MS:放射能の排出量が低いといっても、人口密度がより高い限られた面積の上に集中して散布されているわけですから、健康への影響という意味ではチェルノブイリを上回っていると私は考えます。このままでは大勢の人が見殺し状態になる可能性があります。


「原子力に未来はない」


Q:このような劇的状況にもかかわらず、日本は脱原発を宣言していませんが・・・。

MS:事実を観察すれば、脱原発の方向に進んではいます。繰り返しますが、福島の傷跡は、たとえそれが外からはわからないものであったとしても、とても大きいものです。加えて日本は、この半世紀で初めて自民党ではなく民主党が与党につくという政治的にも特殊な状況に置かれています。そしてこの民主党は原子力推進派の政党ではなく、党員の多くが、たとえばフランスの社会党と比較してもそれを上回るほどの反原発の立場を取っています。重要な立場にある人間が原子力批判をするということもあり、またそれは決して孤立した意見ではありません。
確かに原子力推進派のロビー団体は日本において非常に大きな勢力を持ち、国自身も、電力の輸出国になるために一貫した転換を図ろうとしていました。しかしながら、民主党は、この遺産を継承する必要はありません。それどころか、この動きに対し一定の距離を保つことに利益を見いだすはずです。管直人首相は、福島の危機に対する管理能力から多くの批判を受けていますが、前任者たちの政治からの離脱という点において突破口を見いだせるかもしれません。面子を失うことが政治家にとって最も恐れられる国において、自民党に危機の責任を負いかぶせる形で、身の振り方を見出すのは、民主党にとっては魅力的な方法に思えることでしょう。
管の支持率は過去最低を記録しており、脱原発を宣言したところで失うものはもはや何もありません。実際に彼はそうしようとしていますね。具体的には、新規の原発を作らないことを先日宣言しました。また、福島同様、沿岸に位置する浜岡原発の閉鎖を要請しました。浜岡には五つの原子炉がありますが、2009年には、新たな耐震基準に合わせた改修工事がコスト的に見合わないという理由からそのうちの二つを閉鎖しました。現在残る三つの原子炉も活動を停止しています。五番めの原子炉は2005年に完成したばかりでしたから、「ボロだったから停止した」というわけではありません。
合計すると日本にある54の原子炉のうち、現在半数近くが活動を停止しています。日本が過去の政治の遺産と完全に離別する日が訪れる可能性は極めて高いと思います。国内の政治の状況のみならず、国際的な世論もこの動きを後押しするでしょう。

Q:世界で最も多くの原発の稼働を誇るアメリカの状況はどうでしょうか?

MS:オバマ政権は、原発の改修について好意的な宣言をしています。ただし実際には、原発の実権を握るのは、政府ではなく電力会社です。今日、電力会社は撤退の動きを始めています。中でも最大級の規模だった南テキサスの建設計画( 「South Texas Project」)は白紙となり、4億8100万ドルの投資は泡と消えました。
現在アメリカで唯一建設が続けられているのは、テネシーにあるワッツバー原発です。これは1972年より開始された計画で、順当にいけば、来年からの稼働が予定されています。しかし、順調に活動を開始したとしても、それまでに40年の月日が掛けられているということは考察に値するでしょう・・・。アメリカの電力大手の一つであるExelonの代表であるジョン・ロウは、福島の事故より以前から、新しい原子炉の建設は経済的に何の意味もなさないことをすでに公言していました。
原子炉の新築コストは、2008年から2010年にかけて倍以上に跳ね上がっており、福島以降、さらに高騰することが予想されています。この技術に未来への展望はありません。アメリカは間違いなく、原子力ルネッサンス(訳注:サルコジ仏大統領がフランスの原子力産業を形容する際の表現)の国ではないでしょう。原発の建設を続けるのは、中国やインドといった国のみでしょう。そして中国は、クリーンエネルギーの開発を原子力と同等、もしくは、それ以上に続けています。2010年には、380億ユーロの投資を行い、すでに世界を牽引する立場にあります。2010年末には、中国では風力発電による電力の生産が原発のそれを4.5倍上回ったとの数字も出ています。

Q:しかしながら、原子力は、そもそも地球温暖化による脅威への一つの解決策ではなかったでしょうか?

MS:原子力産業に残された最後のセールストークは、温室効果ガスの排出量を軽減できるという点でした。地球温暖化のリスクを回避するという目的は別として、エネルギーというものはそもそも、安くつき、かつ生産基地の開発に時間がかからないことがよしとされているはずです。一方原発は、高くつく上に、建設にも時間がかかります。

「フランスは時代に乗り遅れようとしている」

Q:ではどのようなエネルギーに我々は賭けるべきなのでしょう?

MS:再生可能エネルギー以外にないでしょう!そして、何よりも、エネルギー産業の効率化も欠かせません。たとえば、カリフォルニアのように、いくつかのアメリカの州ではすでに進んだ施策が取られています。少なくとも、現在転換期を迎えようとしているドイツよりははるかに進んでいるのです。ドイツでは2007年までは、風力と太陽光によって生産された新たな電力は、全体の消費電力の上昇分を補う役割しか果たせていませんでした。しかしながら、ドイツ人は太陽光発電による電力料金の低下については楽観的な見解を見せており、2015年までには「グリッド・パリティ」、つまり再生可能エネルギーによる発電コストが既存の商用電力の価格と同等かそれ以下になる分岐点を迎えるとしています。アメリカには、すでにそのような状況を迎えた自治体も存在しています。
しかしアメリカが最も進んでいるのは電力網の構築においてでしょう。電力の未来はエネルギー源の選択の問題を除くと、そのネットワークをどのように構築するかにかかってきます。限られた生産者が消費者への電力の供給を担う現行のシステムは時代遅れと言えるでしょう。供給者が需要者になるという新たなパラダイムに転換すべきです。将来、各世帯に太陽光もしくは風力による発電装置が配置されれば、無数の供給者が出現することになります。例えば、冷蔵庫が電力網の構成要素になる、ということでもいいのかもしれません。

Q:どういうことですか?

MS:つまり、電力消費がピークを迎える1,2時間の間、その機能を失うことなく電源をオフにするためのチップを、各世帯の冷蔵庫に内蔵することができるのです。これが「スマートグリッド(訳注:アメリカで考案された新しい電力網。発電設備から末端の電力機器までをデジタル・コンピュータ内蔵の高機能な電力制御装置同士をネットワークで結び合わせて、従来型の中央制御式コントロール手法だけでは達成できない自律分散的な制御方式も取り入れながら、電力網内での需給バランスの最適化調整と事故や過負荷などに対する頑健さを高め、それらに要するコストを最小に抑えることを目的としている)」という発想です。インテリジェントなネットワークが世帯毎の電力の消費を調整し、電力消費グラフを平坦化する、つまり急激な電力消費の変動を和らげるのです。もしくは、ある時間帯を避けて稼働する洗濯機なども考えられます。換言すると、定められた時間割にのみ稼働するサービスを使うことによって効率的に電力を使用できるようになりますが、それが嫌だという人はより高い電気代を払って、好きなように電力を使えばいいのです。
電子機器を活用することによって、電力供給者を素早く切り替えることができます。たとえば、アメリカのメーカーであるワールプールは2015年以降、「スマート・グリッド互換」の商品のみを生産することを発表しました。後は「インテリジェント」な電力メーターさえあれば実用化できるでしょう。ヨーロッパにはこのメーターの生産ノウハウはありますが、実用化するための法規がありません。対照的に、アメリカでは非常に速く事態が進展しています。
ル・モンド紙(2010年8月12日付)の発表によれば、キャップジェミニ(訳注:情報サービス・コンサル ティングファーム)代表のコレット・レヴィネールは、電力産業の発展の鍵となるのは、「電力網のインテリジェント・ネットワークへの転換である」としています。この問題をおざなりにしたならば、ヨーロッパは近い将来アメリカに大きな後れを取ることになるでしょう。

Q:EPR(訳注:European Pressurized Reactor、あらため、Evolutionary Power Reactor の略。第三世代の原子炉開発プロジェクトの総称で、フランスのアレバ社によって1990年代~2000年代にかけて推進された。なおアレバ社によるフィンランドのEPR建設は予算オーバーと建設の遅滞によって問題となっている。)や第四世代原子炉などはまだ先の話ですね!

MS:私は原子力産業を三十年にわたり研究してきましたが、ほとんど自閉的とも言えるような、自己中心的な態度をこの産業は取ってきました。この業界ではいつも同じ人物同士で会議が開催され、堂々巡りを続けているのです。アンリ・プログリオがル・モンド紙のインタビューで、日本の原発が地震によく耐え、事故が原子力産業の今後に何ら影響を与えなかったと発言しているのは、無責任である以前に、現実を否定している以外の何物でもありません。
フランスの原子力産業に関わる官僚たちに、はたして新聞を読んでいるのか、と問いたくなります。世界第五位の経済大国がエネルギー問題に関しては、1970年代のレベルに止まっていることは大問題でしょう。原子力が重く、堅く、中央集権的なものの象徴であるのに対して、現在のキーワードは「軽やかさ」と、「柔軟性」と、「地方分権」といった言葉です。フランスは時代の波に取り残されつつあるのです。オバマは2010年2月のスピーチで、クリーン・エネルギーを制する国家が21世紀を制すると宣言しました。このままではフランスは分が悪いでしょうね…。

Dear friends...2011/06/16 10:52:44

震災や原発のことを口にするのは「大変憚られる」というムードが、こちらにはある。いや、こちらというのは関西を意味するつもりで書いたけど、今ふと、それは私の周りだけかもしれない、と思った。そうだ、きっとそうである。私は広告業界に足を引っ掛けている。報道や議論の現場からはあまりに遠い。広告業界は美しいもの、心地いいものだけを追求する業界なので、気持ちが曇るようなことは表現してはならない(これが芸術とは大きく違うところだ)。たったひとりからのクレームでも大問題。だからクレームがこないように、疑わしきはすべて取り去るか薄めるかモザイクで隠す。こんな業界以外では、きっと活発に率直に、口に出し声を挙げて意見を交換しているのだろう。
取材(たいへん明るくノーテンキなネタでの取材)で自治体首長に会うことが多いが、話のついでに東北のこと、震災のこと、原発のこと、政府のこと、節電のこと、尋ねてみたい気に駆られる。だが、仲介する代理店やプロモータに「触れないように」と、あらかじめ釘刺されたりする。で、私は「今回の取材趣旨とはまったく無関係ですものね。心得ておりますよ」と答える。「でも、あちらから話題に出されたときは話の腰は折りませんよ」と言い添えるのを忘れないけど(笑)。

いずれにしろ、職場や顧客・取引先などでは全然話題にならない。関電が15%節電しろといい、隣の府知事が「んなもん知るか」ってわめいたという報道記事は多方面で共有しているはずだが、それが雑談にすら出たことはない。こんなとき、何かを述べることは、どっちかの「側に立っている」ことである、そう相手に見透かされるのが怖いのである。相手あっての商売をしているから、「あ、こいつ反原発派? じゃもう発注するのやめよかな」なんて極端な例だが、でも、そういう事態をお互いに避けたいので、主義主張はしないのである。どっかの都知事が集団ヒステリーと形容したのは的外れではない。ある側から見ると反対側はそう見える。たとえば、私はシーなんとかいう、日本の調査捕鯨船の仕事の邪魔をする変な集団、あの人たちのことなどを、都知事の言葉を借りれば集団ヒステリーだと思っているが、鯨愛護者、捕鯨反対の人から見たらシーなんとかさんは至極真っ当なのである。
仕事に直接関係ないことで意見対立してしまったら、その後「やりにくくなる」。それは非常に「不都合」だ。

だから公の場では、尖った刃の先を折って磨いて丸めて「長いもの」の色に染まった当たり障りのないことしか書かないマスコミの振る舞いをほぼなぞるかたちでしか、お互いに発言しない。

今、そういう場に身を置くことが非常にしんどいのだろう、私は。
「のだろう」としかいえないのは、実際のところ自分でも確信がもてないからだ。

私を知る人は「嘘つけ」と笑うだろうが、私は実はあまり喋らない。とくに親兄弟の前では喋らない。「あ」「うん」「ん」「いや」「まあ」「そやな」くらいしか言わない。娘に対してだけは話をするが、必要な時に限る。だが私と喋るのが好きだという友達は多い。それは無邪気な要請なので喜んで応じるし、そんなときはよく喋る。だが身内の前では喋らない(たぶん父も母も、無愛想な娘だ嫁の貰い手がないのも道理だと思っていたに違いない)。いや、べつに珍しくもないだろう、こういう人間は多いはずだ。仕事で顔も性格もつくっているので帰宅すれば反動がくるだけだ。喋るのはエネルギーの要ることだ。精根尽きて帰ってさらに消耗するのは耐えられない。
それでも、たぶん、余力があったら、私は、四六時中わめき散らすに違いない。アホボケカスーの罵詈雑言に留まらない。余力があったら、仕事なんて放り出して奔走するだろう。おさかさんからは余計なお世話よと門前払いを食らうかもしれない(笑)けど、友達のもとへ、福島と、茨城と、埼玉と、群馬と、神奈川と、静岡と、そして東京にいる、大切な友人たちのもとへ走って、逃げて逃げてーなんて、叫ぶのである。

でも、しない。
そんな簡単に家捨てて逃げられるわけないでしょ、といわれるに決まってるからではない。
そんな簡単に東海・関東・東北へなんて行けないからだ、私が。
生活に追われる一般人に過ぎないからだ。

行動していない分、口に出して主張していない分、ブログには非常に無節操にあれこれ書き、無節操に人の発言を引っ張っている。たいへん不健康だ、ある意味。ときどきふと我に返ったりして、『つえつきばあさん』のこと書いたりもするが、なんか、とってつけたみたいだな。

なんにせよ、喋る余力はなくても書く余力はあるつーこった。
バランス悪いな。

不健康なのは、バランス悪いのは、ブログだけではない。
私もだ。
「真面目な話、一度ちゃんと診てもらえ」と人から言われた。
(イケメンドクターに会えたらめっけもんやんけ、なんてつけ足すから真面目に聴く気が起こらないのだが)
人の心配する立場ではないのだ。
ないのだけど。


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2011年6月14日(火)、TBSラジオの番組「ニュース探求ラジオ Dig」
小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)
神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム)
竹内香苗氏(メインパーソナリティ)

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/14/tbs-dig-jun14/

(……からインタビュー部分のみ抜粋)

竹内)福島原発の中はどうなっているか?
小出)分からない。私たちのような人間にとって最も大切なのは正確な情報で、それに基づいて判断し状況を伝えるのが責任だ。これまで東電と国が公表するデータに基づき自分の推測を伝えてきたが、そのデータが次々と覆されてきた。前にお伝えした推定が全く違っていたことも度々あった。現在実際にどうなっているのかは分からない。

竹内)具体的に言うと?
小出)決定的に重要なのは、水が原子炉の中にあるかないか。従来東電は炉心に半分まで水があると言ってきた。それを聞いて私は燃料の下半分は形があり、その状態であれば水を入れ続けることで原子炉を冷やせると思ったから、水を入れ続けて炉心の崩壊を防いでほしいと思ってきた。そのために循環式冷却回路を作るべきだと伝えてきた。ところが、ある段階で東電は水は無いと言い出し、メルトダウンという言葉をつかって炉心が溶けていることを認めた。これには二つ意味がある。一つは、炉心が溶け落ちるときに水蒸気爆発が起き、圧力容器が破壊され、その外側の格納容器も破壊され、破局的な事態になると思ってきたが、既にメルトダウンが起きている中で事実として水蒸気爆発は起きていないということ。最悪の事態は回避され、ほっとした。もう一つは、メルトダウンが起きたなら圧力容器は無傷のはずがなく、燃料が格納容器に落ちて、溶けたウランの塊が格納容器の損傷部分を通って更にその下に落ちている可能性が強いということ。

竹内)恐れていた最悪のシナリオが回避されたとしたら、いまの時点での最悪は?
小出)本当に回避されたかは今でも分からない。東電が水位計を調整したのは1号機だけで2、3号機については未だに分からない。私が恐れているシナリオが回避されたとは断言できない。1号機については東電が言うことが正しいとすれば炉心が格納容器の底に落ちており、私は格納容器も損傷していると思うが、こうなると冷温停止は全く不可能。その場合、原子炉建屋全体を覆うような仕組みをつくる方向に転換しないといけない。かなりの深さまで壁をつくり、地下水と接触しないようにする必要がある。

竹内)それは時間を争うか?
小出)もちろん。どこまで落ちているか誰も分からないが、地下水に触れると汚染はどんどん広がる。

神保)最悪のシナリオは水蒸気爆発だということだが、今回それは防げたとしても放射性物質は漏れ続けており、周辺は高濃度の汚染になっている。最後になって、爆発でなかったから良かったと言えるものなのか?
小出)もちろん心配。環境に漏れる放射能の総量については、どっちが多いかは分からない。ただ爆発で放射性物質が放出されるのは大変なことで、比較の問題だが徐々に漏れる方がありがたい。海は汚されるが、人が住む陸地の汚染は軽減される。

竹内)全部を覆ってこれ以上広がらないようにするのがベスト?
小出)東電が言うように既にメルトダウンしているのであれば、それが最善。

竹内)その方向にいきそうか?
小出)残念ながら今の東電や政府のやり方は混乱しており、この戦争のような状態の中で誰がどんな指揮をとっているのか不安だ。何でもは出来ず、出来る最善のことを一つしかできない状態。そういう決断をしてほしいと願ってきたがそうなっていない。

神保)3月11日以降、事態がここまで至ってしまった原因をどう考えるか?
小出)端的にいえば油断。推進してきた人たちは原発がこのような事故を起こすとは思っていなかった。実際に想定外という言い訳しか出てこないし、何も準備をしていなかったということ。常に後手後手にまわってしまった。

神保)作られた安全神話を信じていた?それとも安全と言ってきた手前、危険を前提とした対応がとれなかった?
小出)両方だろう。絶対安全とは言えなくとも滅多に起こらないだろうと思っていたのだろう。自分が関わっている間には起きないでくれるだろう、と。起きたときの対策については誰も考えてこなかった。

竹内)ドイツやイタリアで脱原発の動きがある。日本ではもっと事故の影響による動きがあってもいいと思うが、日本の脱原発の動きをどう見るか?
小出)40年に原子力を廃絶させたいと発言を始めたが、当時は孤立していた。当時はほとんどの日本人がこれから原子力の時代だと思っていた。ある時から労組を中心とする人たち、原子力施設を押し付けられた地域の人たちが加わってくれたが、それでも小さい声。最近は組織を離れたひとりひとりが自発的な声を上げ始めた。質的な転換をしているのではないかと思うようになった。

神保)電気を使わない生活をされている。早く就寝されるということで前倒しして収録しているが、原発を使って作られている電力をできるだけ使わないという意味か?
小出)それもあるが、もともと電気などそれほど使わなくていいものだし、何が大切なのか、本当に何が必要なのか、すべての人が考える必要がある。

竹内)これから先何が一番恐ろしいか?
小出)こどもたちの被曝。たいへんな汚染が福島周辺でおこっている。一部の人は避難をさせられているが、彼らは二度と帰れないだろう。避難させられていない地域でも想像を絶するような汚染になっており、そういう地域でこどもが生活していることは許しがたいこと。こどもたちを被曝から守らないといけない。

竹内)汚染は小さく伝えられがち?
小出)そうだ。「風評被害」ではなく、現に汚染は起きているし被曝している。食べものも沢山汚染されている。食べものを規制しろと主張したことはないし、生産者を守るためにも大人は食べるべきと私は主張しているが、実際食べものは汚染されている。風評被害ということではない。

神保)これまで先生は異端扱いをされてきたと思うが、警鐘をならしてきた通りの事態が起こり、現在メインストリームになってきている。恐れてきたことが実際に起きてしまったということと、言ってきたことが正しかったことが証明されたということが同時に起っているが、どうか?
小出)全くうれしくない。今回の事故で、私は最終的な決定的な敗北をした。でも、次の悲劇を防がないといけない。今回のことで学んで原発を廃絶してほしいと願っているし、それが成し遂げられるまでは発言を続けないといけないと思う。