Elle a enfin fini sa carrière.2011/09/25 23:49:16

休日っていいなと実感するのは、時間に追われて家事をしなくてもいいことだ。洗濯も掃除も食事の仕度も、何時何分までに用意して何時何分までに終えて……という「段取り」をしなくていい。のろのろと、気の向くままに、今やりたいことをして、その次に思いついたことをして、というふうに、好きなように好きなことをしていても、誰も咎めることはない。眠ければまた寝ていいし。平日の朝なら、何時何分に私は出かけなくてはならないっという、何が何でもクリアしなければならないラインがあるのでそれから逆算して(娘が早く出発するとかプラスαのイベントがあるととくに)分刻みで段取りを計算して(寝坊なんかした日はとくに)一秒たりとも気を抜けない。給湯ポンプのタイマー音や、洗濯機の終了ブザーの音に耳を澄ましながら(キッチンから遠いしね)、卵を焼いたりサラダをつくったりトーストし終えたパンをオーブンから出したりするのは、それでも別に嫌いな作業でもない。ただ、そうしたことが時間を気にせずにできる日は、やはりどこかゆるゆるとしていて、外のお天気に関係なく、ああ今日っていい日だなと思えるのである。この土曜日もそんな日だったので、私は、朝、台所を片づけたあとにのろのろと洗濯機を回し、回っている間、ぼーっと村上龍を読んでいた。ら、突然、バキバキバキガラガラぐわんぐわんガチャガチャばりばりばりばりっっっとそれはもう、ものすごい音がした。隣家のウルサイ3歳児の遊ぶ声や歌う声や隣家の小1の大変上手なピアノのレッスン音なんぞかき消して余りあるというにはホンマに余りあり過ぎるくらいすごい音だったので、私はその音がウチではなくどこかよその工場が爆発したのではないかと一瞬思ったくらいだったが、音の近さからして紛れもなくウチだった。ものすごい音を発したのは、賢明なみなさんはもうお気づきであろう、洗濯機であった。驚くべきことに洗濯機は、そんな爆発に近い音を発していながら、回っていた。脱水の段階にきていたが、やがて時間が来て止まり、終了を知らせるブザーはきちんと鳴った。開けると、ちゃんと絞れていた。もう一度回さなくてはならななかったので、いったん終わった洗濯物を出し、2回目の給水に入った。水は溜まるし、ボタンを押すと作動した。が、洗濯槽は回らなかった。回している音はするのだが、どうやら、底のほうの外側で「槽」が外れてしまっているらしく、内蔵コンピュータの指令どおり動こうとしているようだが致命的な怪我を負ったからうごけないのよと言ったところか。それに続いて気づいたのだが、溜まった水が、排水の段階に来ていないのに勝手に排水しているので、どこかに穴でも空いてしまったのだろう。水が減ると、機械は注水しようとする。あれま。とうとう壊れたよ、洗濯機。15年選手でした。
よく利用した家電店が閉店セールをしているので見に行った。凄まじい勢いで在庫品が売れているようだ。いろいろな棚がスカスカで「展示品のみ」「現品限り」などの貼り紙が目につく。洗濯機は、いろいろあるが私の予算は限られているので、最初からあまり多機能なものは見ず、またドラム式は嫌いなので近寄らず、我が家の15年選手よりもひとまわり小さいシンプルなものを選んだ。店員は、もう閉店するからかどうか知らないが、寄ってきて恭しく挨拶したり希望を訊ねたりという、これまではやっていたことをいっさいせず、群がる客を放置してひたすら倉庫と売り場とレジを巡回している感じだった。すみません、これとこれの違いって何ですか、と私は5kg用の2万4000円のと4.5kg用の2万1000円を指して訊ねた。容量の違いだけですか。そうですね、それもありますが、こっちの5kgのは節水仕様なんです、ステンレス槽で。ふうん。水の使用量は少ないにこしたことはないと思って、じゃ、節水タイプにしようと安易に決めた。というより、ほかに選択肢はほとんどなかった。売り場にある商品にはほとんどが現品限りの貼り紙の上に売約済みの殴り書きメモが貼りつけてあった。乾燥機能付きだとか、8kgまで洗える大型のものなどは、閉店セールのくせに5〜6万は軽くするのだ。
リサイクル料とか設置料とナンダカンダで計3万円。配達&設置は殺到していて、即日も翌日も無理だった。したがって月曜日。明日、私が会社でブーたれている間に、新しい洗濯機がやってくる。楽しみだけど、古い15年選手と別れるのはやはりちょっと寂しい。娘が生まれて間もなく、先代機が壊れたために買ったものだったのでキャリアは娘の年齢とほぼ同じなのである。大量の布おむつ(そうよ、布おむつで育てたのよ、15年前はまだ布が主流だったよ、ホントよ)を洗い、おねしょのシーツも洗ったし、吐いて汚した毛布も洗ったし、成長すればどろんこの体操服や靴下やユニフォームを洗い、制服も、よそいきの服もクリーニングモードで洗ったし、洗ったスニーカーを絞ったし、ジャージに突っ込んだままのポケットティッシュも一緒に洗って怒ったし(ポケットの中のもんは出しとけってゆーたやろぉぉぉっっっ)。私は「ドライ」表示のものは洗濯機のクリーニングモードで洗うし、「手洗い」表示のものはネットに入れて普通に洗う(笑)。そんなわけだからほんまに我が家の15年選手はよく働いてくれたのである。今、娘は陸上部だがマネージャーなので、もうどろんこになった練習着などは持ち帰らない。中学校時代に比べて彼女の洗濯物は激減した。それを知ってか、もう引退させてということなのかな。別れに立ち会えないのは辛いが、君の部品が何かに生まれ変わって再び活躍する場のあらんことを。

Je me demande si tu m'aimes toujours et si je peux faire quelque chose pour toi, et, et s'il vaux mieux qu'on se voit plus...2011/09/26 20:43:20

毎日いろいろなことがある。毎日誰かしら人に会い、会わないまでも、必ず誰かと交信している。話しながら、表情を見ながら、時に目を合わせて真意を探りながら、言葉を選んでメールを書きながら、気持ちを量って顔文字を選びながら、それでも私はどこかで上手に表面を取り繕っている。相手の真意は測りたいけれど私の本音は見透かされたくない。私は日々起こる事どもを、毎分毎秒交わす会話を、それらが盛り上がっても破綻しても、なんでもないことのように、流れるままに見送るような顔をして、本当はそうじゃなくてもう少し捕まえて引き寄せてこだわって見せたいのに手を離し、なんでもないことのように、あ、そう、そうよね、ふうん、わかった、じゃあね、みたいな言葉を最後にして相手と別れる。なんでもなかったかのように。
もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないのだ。もう二度と、電話やメールを交わすことはないかもしれないのだ。じゃ、おやすみ。それが最後の言葉になるかもしれないのだ。
いちいちそんなことを考えて日々暮らしてはいない。けれど、あれがあいつとかわした最後の言葉になってしまった、の「あれ」を、覚えているか君は? 二度と会えなくなってしまった人との、最後の交信を、覚えている?
私は、見事に覚えていない。私より先に逝った人たちとの話ばかりしているのではない。意図的に会わなくなった人も、いるだろう? その人と、最後に何を話したか。私が相手に投げて捨てた言葉はなんだったのか。もう覚えていない。そのくせ、忘れられない言葉がいつまでもいつまでも皮膚の奥に入り込んでしまった「そげ」のように、引っ掛かって残って、疼く。
「かつて君と関係があったからこんな話を持ってきたんじゃないんだ。一仕事人として、一仕事人に頼んでるんだよ」
あるとき慎吾が私に言った言葉だ。あれほどまでに長い間私たちは恋人であったのに、それを清算したのはそれなりの理由があったのだからしょうがないんだけれど、あんなにべたべたしてたのに、私が慎吾から聞いた台詞で真っ先に思い出すのがこれだ。味気ないにもほどがある。私たちは、コーヒーだけで、毒にも棘にも薬にもならない会話をいくつかやり取りして、仕事の話は不成立に終え、かつての余韻に浸ってみたいよな、もう少しつき合えよ、ウォッカを飲みたいね……なんつう会話はひと言もせず、その喫茶店をあとにして別の方向に歩いた。最後に私は慎吾になんと言ったのだろう。慎吾は私になんと言ったのか。全然覚えていない。先述したイケてない台詞だけが耳にこびりついている。慎吾は今何をしているのだろう、とふと思い出すことがあって、そんなときに思い出すのがこの台詞だ。声まで覚えている。色気がないにもほどがある。
「君の活躍を世界の片隅で祈っています」
川瀬君がよこした手紙の最後の一文だ。川瀬君はバリ島で出会ったナイスガイで、ジャカルタで働いていたが休暇でバリに来ていたのだった。実は大失恋を引きずっていて、どうにも立ち直れなくてダメなんだーみたいなことも言っていた。私はそんな川瀬君に何を言っただろうか。私も川瀬君も若かった。私は披露するような恋バナのネタがなかった(つまみ食いばかりしてたから)。だけど川瀬君は全身全霊で愛したその年上の女性を思い切ることができたらやっと二本足で立って歩けるような気がするんだといっていた。若いのに、私の何倍も濃縮した人生を生きている、そんな気がして、一緒にいるのがチョイこっ恥ずかしかった。帰ってしばらくしてから、彼から手紙が来た。ジャカルタでの契約が終わって九州の実家に帰って仕事を探していると書いてあった。日本で働くのは性に合わないとも。そして私のことを持ち上げ誉めそやして、上の一文で手紙を締めくくっていた。なんなんだよお前は。たしかそんなふうな感想をもった。失恋からは立ち直ったのか? で、あたしのことはそれでいいのか別れ際はあんなに辛そうだったじゃんかよ? 川瀬君ともバリでの一週間だけという短期間だったけどあんなにべたべたしたのに、覚えているのはその最後の手紙の一文だけなのだ。何が世界の片隅だよ。たしかに、今どこにいるのかわからない。南アジアが似合っていたけど、意外と大阪の消費者金融にいたりするかも知れん。ただ、なんにせよ私は彼が放ったひと言を覚えているけれど、彼は私の言葉を覚えているだろうか? 私も覚えていない言葉を、相手は覚えていてくれたりするもんだろうか? ああ、あんな女いたっけな、あいつ今どこで何してんだか……そんなふうに思い出すことがあるんだろうか? そのとき、どんな台詞をともなって、私は脳裏に浮かび上がるのだろう?
「おまえ、やっぱり桜井はあかんのけ?」
雅彦とはくだらない話や面白い話をいっぱいしたのに、桜井君の告白幇助の際のこの台詞ばかりが思い出されて泣けてくる。桜井君はあのとき、私がごめんなさいを言った後、受話器の向こうで泣き出したみたいだった。「あ、おまえ、桜井泣かしたなー責任とってつきあったれよ」「あほなこといわんといてえさ」「桜井、ええやつやぞぉ」「知ってるよ。でもそれとこれとはちがうやん、もう。切るよ」「あっおい、おいってば」
雅彦は帰らぬ人になってしまい、桜井君はテレビ番組のテロップに名前が出るほどの凄腕ギョーカイ人となってしまい、これまた遠い人なのであった。桜井君とは電話口でごめんなさいを言ってから卒業までひと言も話せなかったので、同窓会で会わなければ、唯一自分が最後に放った言葉を覚えている相手になるところだったのだが、同窓会でくだらない話をいっぱいしたので、東京へ帰る彼に最後になんと声をかけたか忘れてしまった。ただ私は、中学生のときの面影を色濃く残す桜井君と喋りながら、雅彦のことばかり思い出されて、でも、あの電話での告白のことを話題に出したら泣いてしまいそうで、だから、桜井君アンタあたしにコクったやんなあ、なんて笑い話はできなかった。ほかの同級生がカラオケで懐メロを歌っているとき、桜井君は私に訊いた。
「フランス人って、そんなにいいの?」
吹き出した。いや、べつに、そんなことないけど。日本の男とは傷が深くなりすぎるんだよ、どんなに皮膚が再生しても痕が残ってまた掻きむしってしまうしね、たいした傷じゃないのに、いつまでも消えない。そういいかけたけど、言わなかった。そんなふうに、真面目には話せなかった。いや、べつに、なんでかなあ、あはは。でも、桜井君の台詞としての最後の記憶が上の台詞っていうんはちとサビシイから、今度京都に帰ってきてくれたらもう少しマシな会話をしようと思ったりする。
これが最後、にしたくない相手がいる。どうか消えてしまわないでほしいと切に願う人がいる。私はこんなにも、寂しがり屋だから、誰ひとり、もう失いたくない。でも失わないために何をすればいいのか、それが全然わからない。会いたい。

T'es bizare...2011/09/28 02:36:24

『とおくはなれてそばにいて――村上龍恋愛短編選集』
村上 龍著
ベストセラーズ(2003年)


本書の表紙、とても素敵だ。どっかから拝借したこの表紙画像には帯が巻かれてあってその半分が隠れてしまっているのが何とももったいない(ああ、マータイさん亡くなってしまわれたわね……合掌)。私はこういう絵が大好きだ。本書には、何葉も、おそらく同じ画家の、似たタッチの油絵がカラーで挿してある。どれもが美しく、切なく、力強くて、悲しい。何も言葉では言おうとしていないのに、絵を見つめているとメッセージが迫りくるような錯覚にとらわれる。たぶん、こうした絵を見ても、これぽっちもなあああんんとも思わない人もいるのだろう。絵だとか音楽だとかはこのように受け手によって解釈も感動もまるで異なるのが面白く、絵だとか音楽だとかが生き残っているゆえんであると思う。
さて、こういうトーンをもつ絵を描く子が、美大のときの仲間にいた。清美(仮名)という名前だったのになぜか愛称はおシマ(仮称)だった。なぜ彼女はおシマだったのか。一度訊ねたが、おシマは「さあ、なんでかなあ。昔からおシマって呼ばれてきたからもうわからない」と頼りない。名字に「島」や「縞」や「嶋」や「志摩」があるわけでも、母親や祖母や姉妹や従姉妹に「しま」という名の人がいるのでもなかった。岩下志麻という女優がことのほか好きな私は、清美のようなその名前のとおりの純で飾り気のない子と岩下志麻との間に何の共通点も見いだせないのに彼女がおシマと呼ばれるのが不思議でその由来にけっこうこだわってみせたが、おシマは「さあ、なんでやろぉ」しか言わないのであった。おシマは、岩下志麻ではなく鈴木京香がセーラー服の女子高生の頃に戻ってかりっと痩せてスッピンになって、そんでそこからもう一度、一、二年、歳を重ねて、制服から生成りのワンピースに着替えて麦藁帽子をかぶらせたらホラ、おシマになったよ、というくらい、可愛かった。清楚できれいな子だった。男子学生はみなおシマが好きだった。おシマのことを好きであることは男子学生の間ばかりでなく女子学生の間でも常識であった。常識というより当大学生の心得というか、まず何を置いてもおシマが好き、それは暗記必須英単語集のマスターに近いというのはきっと喩えが変だが、誰もがすっと黙って静かに越えるべきちっちゃなハードルだった。女子はそんな男子を赦すしかないのである。だっておシマだから。おシマは何も目立ったことはしなかった。いつも楚々とした笑みをたたえて、すごい絵を描いていた。そう、私は、おシマの油絵が大好きだった。さっきの話じゃないけど、アブストラクトなその大画面は、美しく、切なく、力強くて、悲しい。おシマの卒業制作作品は、圧巻だった。私はこの絵に出会うためのこの大学に入ったんだな。しみじみと、本気でそう思った。
本書を読み進みながら、ときどき挟み込まれた挿画に、おシマを思い浮かべて、あの絵を思い浮かべて、あの絵はどこに行ってしまったのだろう、おシマは今どこにどうしているのか、そんなことを考えた。

さて、村上龍である。なんでこの人はこんなに変態ばかり書くのだろう。ページをめくれどもめくれどもヘンタイしか出てこない。ヘンタイオヤジばかりではない。ヘンタイねーちゃんも山のように出てくる。そのヘンタイ度も普通の秤では測りきれずに針を振り切って壊れてしまうくらいである。数々の名峰を極めてありとあらゆる頂きを登り詰めた超一級のヘンタイだ。ってそんなこというと、あんた素人だねえ、ぷっ。と笑う人がいるだろうか。私は好んで官能小説や性愛小説を読んだりしない。だから村上龍の変態小説と他の作家のそれとの比較検討はできない。子どもの頃、西村寿行のミステリーが好きだった。そこに描かれるのは犯罪と欲情との見事な絡み合いで、究極の事態に追い込まれると人間ってどんなモノでもどんな条件でも、欲しいものは欲しいんだな、ということが味わい深く描かれているのがとても好きだった。つまりは、性描写なんて、その場に犯罪の匂いがしたり、その後に凄惨な流血シーンが待っていたり、罪の意識や捨て去った尊厳に心を惑わされながらそれでも「やってしまう」どうしようもなくダメな性(さが)を描いたものでなくては、まるっきりつまらないのである。普通の官能小説なんてもんは(ほとんど読まないので批判めいたことを言える立場じゃないけど)「それ」しか書いてなくて、「それ」に終始しちゃってるもんだから、私としては「それ」がいったいどないしたっちゅーねん、としか言えなかったりするのである。しかし、村上龍の場合は、もう、げんなりさせられるほど変態シーンばかりなのに、物悲しさが目の前に立ちこめて、変態ジジイの変態プレイに心の中で口をポカーンと空いたまま、でも、その変態プレイの裏の、隠せない心の傷みたいなものを覗こうとしている純真な読者たる自分を発見するのである。こういう気分にさせてくれる作家は、村上龍だけだ。本書は変態短編集だが、村上龍じゃなければとても最後まで文字を追い続けることができなかっただろう。村上龍であるということがまず私を辛抱強くさせている、それは事実だ。理屈抜きに好きな作家の作品には、出来不出来は棚上げしても、中身にのめりこむ。
本書に出てくる変態たちはニューヨークや南仏に出かけ、高級料理や超一級ワインに舌鼓を打つ。いけすかないすけこましなわけであるが、そのいけすかなさも少し大目に見てやりたい、そんなふうに思ったのは、ある短編で南仏の田舎町の描写に触れたときである。広がる葡萄園、頂上まで家に覆われた小高い丘。私に郷愁の念をかきたてたその一編は、小説としてはたいして面白くはなかったが、私を一瞬過去に連れ出してくれたので、よしよしオッケー、なのであった。

C'est vraiment pas possible...!!!2011/09/29 22:19:05

私はグリーンピースとか実は大嫌いなんだけど、あ、豆の話じゃなくてNGOのほうですけど、嫌いな相手からも学ぶことは多々あるわけである。嫌いな相手が必ずしも自分にはない斬新なアイデアを持っているから学べるということばかりでなく、やっぱりスカポンタンなことしか言わないぜだから嫌いなんだよ、という場合でも考え方の一つとして学ぶところはあるのである。だからあっちの立場もこっちの立場も向こうの立場も自分の立場でさえも、何回も往復巡回して確かめる。そんなこと必要ないケースのほうが多いけど、そうしたほうがいい稀なケースにそういう手間を惜しんではいけないのである。

そんなわけで、グリーンピースさんのスタッフさんが日本縦断講演会をするそうなので、関心のあるかたは下記をクリックされるがよろし。

http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/energy/etour/

私は自然エネルギーなんか「けっ」という立場なので、脱原発派だけど、自然(再生)エネ派ではないという意味で、このドイツ人さんが主張されるであろうことには「けっ」としか思わないであろうと想像されるが、それでも傾聴すべきなんだろなと思う。でも10/12(水)なんて絶対行けねーもんな。もしどなたか行かれたら感想を述べられたし。



これまでいろいろとあっちを読みこっちを読み、考えてきた(まだまだ考え足りないが)。
私は自分で自分のことを決して特異だとは思っていないし、といって決してほめられた常識人でもない、とも自覚しているんだけど、そんな私がどう考えても、真っ当に考えれば考えるほど、出てくる結論は「原発やめるしかないやん」なんだが。至って平静に、そう思えるのだが。
なのに、美味し国「うつくしまふくしま」をあんなにしてしまったのに、それでもやめないってへーきで言う人がかなりいるということに唖然とする。

『夕凪の街・桜の国』で、ヒロインが「死んでもいいって思われたんだ、私たち」とつぶやく場面があったように思うんだけど、震度6程度で壊れて放射性物質を漏らしちゃうかもしれない施設をつくって老朽化しても放置してたってことは、周辺の住民のことなんか「死んでもいい」と思ってたに等しい。都市部から離れた過疎地だし、何か起こって死傷者が出ても大した数にはならないし、と、要は見通しが甘かった。ええ、たしかに見通しは甘かった。でもさ、いわば見通しが甘かっただけじゃん。「だけ」じゃん。と、そう言っているのだ。これって、水俣でチッソがやらかしたことと同じで「僕らのせいじゃないよ、だってわざとじゃないもん、だってそんなことになるとは思ってなかったもん」という理屈である。ただただ、逃げるのである。悪質な轢き逃げとおんなじ。あれ、なんか撥ねちゃった? やばいかも? でも見えなかったんだもんしょうがないよな、しーらない、とりあえず逃げよ。

ある人間のことが憎くて憎くて仕方がない。
だから殺そうと決意した。
入念に準備をした。計画した。抜かりのないように手はずを整えて、殺した。

殺した人間はひどい奴である。なんでまたそんなに憎む羽目になったか、時間をかけて計画練って、そうしている間にもぴくりとも揺るがなかった殺意、そんなもの、人として到底容認はできない。人類史最大の悲劇といわれる、アドルフ・ヒトラーによるホロコーストは、こっちの類である。んなもん、許せるはずはない。
ないんだが。

軽い気持ちで酒を飲み、深夜だから車も人も少ないと思ってスピードをガンガン出し、よく前を見ないで走って挙げ句に人を撥ね、引き摺って、わざとじゃないもんねーとただひたすら逃げる。

私はこの後者のほうがさらにいっそう悪質だと考える。誰がなんと言おうと絶対に許すことはできない。
水俣病の発生も原発事故による放射能汚染も、こっちに似ている。
人間のすることだもん、過ちも手違いも見込み違いもあるよ、では済まされないことをしでかしているのに、その自覚がない。ぜんぜんない。……信じ難い。



べつに、こんな事態になったから脱原発だあ、とわめいているのでもない。そうでしょ? みんな昔から、心のどこかでは脱原発派だった。そうじゃなかった?

私は、日本人は全員、「しかたなく」原子力発電を受け入れていると思っていた。本当は一基だってつくってほしくはないけれど、火力発電や水力発電だけでは限界があるだろうから、そうだな全体の3割くらいまでなら、しょうがないだろ。広島や長崎、ビキニのようなことは起こるまいさ。だって核爆弾つくってんじゃないんだから。そう自分自身に、大なり小なり言い聞かせて。「しょうがないだろ」とは思うことのできない一握りの人たちが、活発に脱原発を唱えている。「しょうがないだろ」「しょうがないとは思うけど、やはりなんとかしてほしい」「しょうがないではダメだ!」というふうに温度差はずいぶんあるけれど、それでも、基本はみんな「反原発」だと思っていた。

チェルノブイリの事故のほんのひと月前までヨーロッパにいたので、私はあの事故には本当にぞっとした。社会人デビューしたとこだったから正直言ってこの件は「人任せ」にしていたけれど、この事故によって飛び出した放射性物質は日本にも到達したし、あの頃、けっこうな騒ぎになっていた。原発反対を唱える人の声は、たしかにあのとき一気に大きくなり、歳月を追って徐々にではあるけどやはり大きくなっている。拡大している。

だから今、脱原発の議論がことさらに高まっているとは思えず、みんなの意識の根底にあったことを、それぞれが、それぞれの表象のしかたで述べているんだと、そう思っていたんだけど。原発施設に従事している人、原子力や放射線の研究をしている人イコール推進派ではない。むしろ逆が多いもん。声高に脱原発を言えずにいた人たちが言うようになったとしたらそれはそれでいいことだし、つまり、私は基本的に、被爆国の日本人は、全員がそういう共通のメンタリティを持っていると思っていた。

でもそうじゃないのね。マジでガンガン増やしてガンガン稼動させんでどうすんのさと思っている人、いるのね。原発万歳! 原発なくして日本に未来はない! と考える人たちが相当数いるということが明らかになって、いささかビビっている。こわい。

今日、広々とした田んぼを見た。
その美しかったこと。
私たちにとって本当に大切なものってなんなのか。
もっともっと、考えたい。

C'est assez intéressant.2011/09/30 02:37:09

『レモネードを作ろう』
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ著
こだま ともこ訳
徳間書店(1999年)


14歳のラヴォーンは母親と二人暮し。
小さな頃に父親を亡くした。
母親が働いて生活はなんとかやっていけている。
だけどラヴォーンは、この町の、この暮らしから脱出したいと切に願う。
どうすればいいんだろう。
そうだ、勉強して大学にいくんだ。
固く決心するラヴォーン。
素晴しいわ、あなたが大学へ行きたいと願うなんて。
母親は心底嬉しそうで、あなたならきっとできると娘を励ます。
たくさん勉強しなくちゃね。そしてお金も必要だわ。
お金。ラヴォーンは自分も何かしなくては、
と健気にアルバイトを探すのである。
アルバイトをすれば、勉強時間を削られる。
できるだけそういうロスタイムのないように働くにはどうしたらいいのだろう。
ラヴォーンが見つけたのはベビーシッターという仕事。
小さな子どもの世話をして、保護者が帰宅するまで留守番していればいい。
子どもを寝かしつけたら勉強していればいいんだし。
これっていいかも!
ラヴォーンは掲示板で見たベビーシッター募集の広告主を訪ねる。

まだハイハイもできない赤ん坊。
おむつの取れない3歳児。
二人の乳幼児を抱えて、四六時中町工場で働くのは、
17歳のジョリー。
ジョリーははっきり言わないけれど、
上の男の子・ジェレミーと、下の女の子・ジリーの父親は、違うみたいだ。

17歳の二人の子持ちのシングルマザー。
14歳のベビーシッター。
その母親は子育てと仕事を両立させてきた強い女性。
ラヴォーンの母親から見るとジョリーは危なっかしくて「めちゃくちゃよ」。
ラヴォーンにはそんなアルバイトはやめてほしい。
ラヴォーンだってわかっている。
ジョリーの影響は少なからずあるし(言葉遣いが悪くなった)、
留守番中の勉強なんてほとんど捗らないし、
実際成績は落ちるし、
ジョリーは工場をクビになってバイト代の支払いは滞るし……
だけどラヴォーンは、やめない。
ジェレミーは、いつのまにかラヴォーンになついて離れない。
ラヴォーンを見ると安心する。
ラヴォーンにのせられておむつも外れちゃった。
ベッドメイキングだってできるようになった。
ラヴォーンが蒔いたレモンの種の芽が出るのを、
今か今かと待ち続けるジェレミー。
ラヴォーンは、この子たちに「普通の」環境で育ってほしいと思う。
ジョリーが、途中でやめた学業を再開し、
社会へ出ても恥ずかしくない程度に読み書きができ(今は知らない言葉が多すぎる)
きちんと手続きをして福祉サービスを受け、
子どもたちに十分な保育環境を整えて。
そこまで、この親子3人にたどり着いてほしい。
ラヴォーンはその実現のために本気でこの親子にかかわっていく。


……というふうに、なんだか散文詩みたいな書きかたをされた小説である。YA小説を引き続き読んでいて、なんだかめぼしいものはみんな借り出されちゃっているので、あんまり残ってないなー何でもいいかな、日本の作家のものが読みたいんだけど、アメリカもんでもいいか、あれ、何だこれ、ヴァージニアウルフってYA小説まで書いてたのぉ???
と、大いなる勘違いで借りたのがこの『レモネードを作ろう』である。
開くと、余白の面積がやたら大きいのである。上でつらつら書いたように、センテンスは短く、長い場合は読点で改行されてて、1行がページの下端まで到達することが全然ない。叙事詩じゃないんだからよ。たくもう。失敗だったかなこりゃ、だって私ったら底抜けの馬鹿よねヴァージニア・ウルフなワケないじゃん。とアメリカンな自分突っ込みをしたりしながら読み進んでいくとこれが意外と深刻なネタで、まったくお母さんは呆れてものが言えないわっみたいな内容である。
こういうのを読むと、いつかドラマでやっていた『14歳の母』なんてのは、めっさニッポンなんだよねえ、甘くて口当たりいいのよねえ、と思っちゃうんです。