Les jours heureux2012/09/04 19:12:25


『ハッピーデイズ』
ロラン・グラフ著 工藤妙子訳
角川書店(2008年)


原題の「Les jours heureux」は「幸せな日々」という意味で、したがって「ハッピーデイズ」というのはそのまんま英訳カタカナにしたものである。
「Les jours heureux」は、この小説の舞台となっている老人ホームの名称でもある。
翻訳作業なんぞをしていると、外国語をわが母語に置き換える困難さに辟易すると同時に、日本語という言語の便利さと融通無碍さに救われる。この小説において、主要な舞台である施設名は小説の題名であり、テーマであり、キーワードでもある。「幸せな日々」では明瞭すぎて何も語らなさすぎる。では原題の発音をカタカナに置き換えたら? 「レジュールゾロー」。意味不明(笑)。

で、「ハッピーデイズ」だなんて。なんと。「ハッピー」も「デイズ」もその意味を知らん日本人が存在するだろうか? なんと行き届いたこの国の英語教育。文部科学省万歳。このように、わが母語には普通名詞の顔をした英カタカナ単語が実に生き生きと存在し使用されておるゆえ、原書が仏語だからといって「それ」を利用せずにすます手はないのだ。シャワーだってキッチンだってスパークリングワインだってオレンジジュースだって、いちいち仏語カタカナになんかしないのだ。(ドゥーシュ、キュイジーヌ、ヴァンムース、ジュドロンジュ。意味不明)

というわけで、ハッピーデイズ。ハッピーデイズと書かれた表紙の下にきれいにペイントされたこぢんまりした建物と老人二人の写真。これだけだが、余生の幸福がテーマの話だとわからない日本人がいないわけがなかろう?

だけど、もし私がこの本にタイトルをつけたなら、ハッピーデイズとはせずに、主人公のアントワーヌを前に出しただろう。「僕は十八で墓を買った」とか「老人ホームで暮らすわけ」とか。あるいは「ミレイユ」。ミレイユは入居者の一人で末期がん患者、アントワーヌと心を通わせる老女だ。
出版に至るまでに、こうした案も含め、小説のタイトルにはきっと相当な議論がなされたに違いない。どんな小説でも映画でも、タイトルは生命線だ。その本を書架から、あるいは平積みワゴンから手に取る理由は、申し訳ないが店員の手書きポップではなく、「タイトルに惹かれたから」に尽きる。購買行動を喚起する第一のアイキャッチ。

そういうことから考えると、ハッピーデイズという語は、シンプルすぎて、優しすぎて、目に留めた人の心をわしづかみにするほどのパワーを持たない。持たないからこそ惹かれる人もあるだろうが、一般的にいえばやはりちょっと弱いように思われる。
ただ、何だろ?と思って読みさえすれば、「ハッピーデイズ」の語が幾重にも意味を含み、読者にとってのハッピーデイズの何たるかを問いかけすらしていることがわかって、読後は「ハッピーデイズ」の語が単に優しいだけの小説の題名を超え、心にどすんとのしかかるのを感じる。
ということを考えると、「僕は十八で墓を買った」じゃなくて「ハッピーデイズ」でよかったな、小説よ、と言いたくなる(笑)。

ただし、以上は、かなり好意的にこの小説を読んだ場合である。

正直いうと、違和感を拭えないまま読み進んで読み終えてしまった。奥歯になんか挟まったまんまよ、てところか。

主人公のアントワーヌは18歳にして人生のすべてをもう経験し終えたと悟りこの上は死ぬ準備をするだけだという境地に至る。で、親が貯めてくれた貯金をすべてはたいて墓を買う。
私のような醒めたオバハンは、こういう人物設定に共感したりしないのである。アホかクソ餓鬼と吐き捨てるのである。で、このクソ餓鬼、あとは死ぬのを待つばかりと覚悟を決めたんなら可愛いが、やっぱし恋のひとつも情事のひとつも結婚のひとつも味わってみたくて、素直そうな少女をナンパして恋仲になり結婚し子どもをもうける。全然、人生終わってへんやないのアンタ。子ども産ませたんなら育てなさいよ。と、たしかにアントワーヌは育児に興味を示し、一生懸命になろうとするのだが、要は、このクソ餓鬼、単に飽きっぽいのだ。子どもはけっして親の鏡でも縮小コピーでもなく自分で生きる力があり人生をデザインし切り拓く力のある生き物だとわかると途端に興味を失うのである。おめでたいクソ餓鬼である。そんな折、アントワーヌの名付け親が彼に巨額の遺産を残して死ぬ。一生遊んで暮らせる財産を手にしたアントワーヌは、妻子に別れを宣言し、老人ホーム入居を決める。このとき35歳。老人ホームの名は「ハッピーデイズ」。
小説は、この施設におけるアントワーヌと老人たちの生活を切り取って描写したものである。


ませたクソ餓鬼は、老人ホームの変なオッサンとなって、入居者の老人老女はもちろん、所長はじめ職員、出入り業者、近隣の住民ともうまく折り合いながら、長すぎる余生を幸せに生きている。このように、いっさい生産活動を行わず、社会に何も寄与しないで、ただもらったもんを食いつぶしていくだけで一生を終える輩が欧米にはいまだ少なからずいる。長らく続いた貴族制度やその時代に対する偏愛とノスタルジーは健在だ。そしてそんな人間を主人公にした人間ドラマが成立するのも洋の西ならではだ。

私は、労働こそ崇高なものだなんてこれっぽっちも思っていない。物はすべて配給制で平等に分配されるべきなんて気持ち悪い思想をもったこともない。私は働くことの大嫌いな怠け者だし、熱しやすく冷めやすいし惚れっぽくて飽きっぽいし、つまり、アントワーヌと一緒やん、である。ただ、アントワーヌのこの物語は彼の勤勉な両親が築いたひとまとまりのお金と、たまたま子孫のない紳士が名づけた子に残した莫大な遺産とがなかったら「無い話」だ。彼の「飽食」も、誰かの「勤勉」や「蓄財」や「敏腕」のたまものだ。私とアントワーヌの差は、「ひとまとまりのお金」と「莫大な遺産」の有無だけだ。なのに彼は「生かされている」とはけっして思わず自分独りで生きているつもりでいる。

老人ホームという共同生活の場所を舞台にしてはいるが、ここでは、人は独りで生き、独りで死にゆくものであるということが前提にされている。まったく面白くもなんともない小説だ、とは言わないが、この大前提、というか発想の中核になっているものが私の中にあるものと決定的に異なるせいで、永遠なる相容れなさを感じ、読んでいる間も気持ち悪さがつきまとう。

私が、あなたが、独りで生きてゆけるのは、誰かの努力、誰かの制度設計、誰かの書類手続き、誰かが造った道、誰かが造った橋、誰かが実らせた果実、そして誰かの命があってのものだという視点が、ない。独りで生きてゆけているように見えて、けっして独りはあり得ないという視点が、ない。それは私などの感覚からすれば人生観の違いというよりは欠落だ。ミレイユの死に際してアントワーヌはたしかに生命のありさまを感じ取ったようだけれど、でも、ミレイユの息子に会って、命の連鎖を感じただろうか? そうは描かれていない。

皮肉と風刺が売りもののフランス小説に、もはや手垢にまみれて中途半端な流行語と化してしまった「絆」だとか「つながり」だとか、そんな日本語の意味を求める気はさらさらない。本書はこれでいいのである。ただ、フランスのひとというのはどこまでも「個」であり「弧」であるのだ、それを再認識させられた。ほどほどのところで妥協の手を打たないと、知れば知るほど互いが居心地悪い場所になるのだ。ああ。


私は本書を図書館で借りて読んだ。「フランス文学」の書架に「ハッピーデイズ」という英語カタカナのタイトルは、非常に異質に見えた。「英米文学」の書架にはどんなカタカナが並んでいてもピシッと決まる。『ホテル・ニューハンプシャー』『サイダーハウス・ルール』『ダヴィンチ・コード』『トラベリング・パンツ』……でも、仏、独、西、露などの書架にはカタカナのタイトルはほとんどない。ましてや英カタカナ語を冠した小説本なんて皆無だ。だから『ハッピーデイズ』は異彩を放って見えた。これが大型書店の新刊書コーナーにあっても、ひっそり目立つことなく、そしてやがては片づけられてしまったであろう。たまたま、私のような者が書架を眺めた日にそこにあったおかげで、また、たまたま私が分厚い長編小説を読む体力がまったくない時期だったから、薄っぺらい『ハッピーデイズ』は晴れて私に読まれることになったのである。
いつだったか『かげろう』というタイトルの、これも薄っぺらい短編を取り上げたが、タイトルだけを問題にするなら『ハッピーデイズ』のほうが『かげろう』の数倍気が利いているように思う。だってあれ、全然「かげろう」じゃなかったもん。でも物語の中身は『かげろう』のほうが面白かったけど。

C'est le vrai art de vivre!2012/09/06 20:09:05



『暮らしに生きる刺し子―鈴木満子コレクションから』
鈴木満子、林ことみ共著
文化出版局(2005年)


学生時代から駆け出し社会人の頃にかけて、何度も東北へ旅をしたが、とりわけ津軽がお気に入りだった。いつも同じ民宿に泊まって、そこを足場にある年は東へある年は西へ南へと、東北各県のあちこちを訪ねた。なぜそんなに津軽が好きだったかというと、大きな理由が三つある。(1)城下町の名残があって、古くさいまちの住民である私には大変落ち着く空気をまちが持っている。(2)有名なねぷた祭りは、弘前のそれは青森のねぶた祭りの勇壮さと対照的にたいへんエレガントで、これも私の土着的背景と一致して心地よい。(3)子どもの頃から手芸好きだったが、雑誌などで「こぎん刺し」なるものを発見して以来、その産地を訪ねることが当時の私の大目標であった。

記憶がもう曖昧だが、弘前にはこぎん刺し作品を展示販売しているような民俗館みたいな施設がたしか存在して、そういう場所で、むかしむかしのこぎん刺しの袢纏(はんてん)など防寒着、仕事着を見た。厳しい冬を越すために、また農作業をはじめ重労働にいそしむため、民は、貴重な布で仕立てた仕事着が一日でも長く保(も)つように、その身頃や肩やひじの部分を丁寧に刺して補強した。なおかつそれは意匠としても非常に優れていた。むかしのこと、誰かが起こした図案集があるわけではない。女たちは、布の織り目の規則正しい繰り返しに沿って運針した。昔の女たちには針と糸を持つことは特別なことでもなんでもない。針に糸を通し布に刺し始めたら、夫の働く背中を思い浮かべてどんな模様に刺していけばカッコいいか簡単に絵が浮かんだであろう。どこで糸を引っ張り、どこで緩めれば、刺した柄に緩急がついて表情豊かになるかとか、空気の層ができて防寒効果が上がるかとか、そんなことは幾針も幾針も刺し続けるうちに手と体が覚えていったに違いない。現代人はスマホのアプリの操作はわけなくマスターする。新しい技術、新しい機種が押し寄せてもものともせず使いこなしてゆく。しかし自分がゼロから何かを生み出せるかというと、それをする人間はたいへん少数の、ごく一部の突出して優れた能力を持つ人だけに許される特権的行為となってしまった。突出した一部の者たちによるテクノロジーの洪水をただ享受するだけの私たち。むかしむかし、刺し子の腕を磨くには何年もかかっただろうが、ひとたび刺し子を覚えた女たちは、自分だけの図案を生み自分にしか刺せない着物を刺して、愛する者たちに着せ、愛された者たちは世界でたったひとつの刺し子の仕事着を何年も何年も愛用した。男も女も、子どもも老人も皆が、モノをつくる人であると同時に使い続ける人であった。

私はこぎん刺しのふるさと津軽を幾度も訪れたが、ため息が出るような手仕事の素晴らしさを眺めるだけで、その作品を買うことはできなかった(当時の私には高価すぎた)。たったひとつだけ買ったのが名刺入れである。ようやく社会人となり、会社からもらった名刺を入れるためである。買ったばかりの頃は、名刺を出すたび名刺入れを誇示して、これ素敵でしょう、と、いちいち名刺交換した相手に念を押したものだった。誰もが社交辞令的に素敵ですねと言ってくれたが、まったく興味を喚起していないのは明快だった。こぎん刺しの美しさや、手仕事の重さを、だからって私は熱弁ふるって周囲に理解を求めようとはしなかった。それよりも、掌の中にこぎん刺しの名刺入れをすっぽり入れた時に感じる人の手の温もりに似た手触りの至福を、誰にも知られたくなかった。

本書は読み物ではなく実用書である。前半には著者が保管している古い時代の刺し子の衣料品の写真が並ぶ。見事な刺し子の、その正確を期した運針ぶりを見るにつけ、東北の女たちの根気よさ、辛抱強さ、器用さと、高い美意識に感嘆する。後半は、それら刺し子の図案と刺し方の解説が少し。小物に刺すことは、手芸に長けた人にはわけないだろうが、モチヴェーションの違いはあまりにも大きい。刺し子が刺し子であるゆえんを思えば現代人が刺し子作品を創作しようというのはある意味おこがましいというのか厚かましいというのか、身の程知らずというのかお気楽でいいわねというのか。いや、それでも、ひと針ひと針刺すことをしなくてはならないのかもしれない。本書を眺めながら、いつも古タオルを適当に縫い合わせていた雑巾を、今回はちょっと色糸でお洒落にステッチかけてみようかなどと思う私なんぞはたしかに「お気楽」のたぐいだが、ミシンがまともに動かなくなって以来、やむを得ないとはいえすっかり手縫い派になっているのである、実は。そのうち電気が足りなくなったら真っ先に駆逐されるであろう家庭用ミシン(だって、もはやプロ or セミプロ手芸家しか使わないでしょ)。何年も前から新しい上質のものが欲しくて物色していたが、ここ数年すっかり手で縫うことに慣れてしまって、へたくそだけど、この際だから手縫いに専念して腕を上げようと誓うのだ、本書のような本を見るたびに(そして喉元過ぎれば何とやら)。

著者の鈴木さんは福島市に古布の店を持っておられるらしいが、今も営んでおられるのだろうか。

Pour la calligraphie, il est formidable !2012/09/10 18:48:49

週末、書道展へ行った。友達が出品しているからだ。その友達は書道を習い始めてまだ4、5年だけれど、先生の勧めで公募展に出品するうち佳作や入選、特選と入賞するようになり、それが励みにもなってますます書くことが好きになり、多忙な中間管理職ながら、時間をひねり出して練習に打ち込んでいるらしい。
で、初めて彼の書を鑑賞。
びっくり。

「えーーーっ。これ、書いたん? アンタの体のどこからこんな高尚な字が出てくんのよーー。びっくりしすぎて言葉もないわ」
「あのなあ、いまさんざん言いたいことゆーたやん」
「かっこいいーーー! すごおおおい!!! どんな顔してこれ書いてたん? 動画に残しとかなあかんやん」
「顔って……」
「ほんでこれ、何て書いてあんの?」
「そういう質問は、しんといてくれる?」(笑)

その書道展には、高名な指導者、またそうした書家に師事して自身も書家として一本立ちを目指すプロ志向の人から、ただの余暇つぶしの趣味としてちょろちょろと書いては応募するような一般人まで誰でもが参加できる(ただし、作品の規格は決められている)もので、応募者全員の作品が展示されていた。ピンからキリまであったわけだが、その作品のありようは非常にさまざまで、たいへん楽しめた。

書家として活動し、しゃしゃしゃっと書いた作品がン十万円もしちゃうくらいメジャーになっちゃった、という女性が友人にいるんだけど、彼女の場合は独創性とかこれまでもこの先も誰も書かないものを書くことが求められているし、それに応える作品を生み出さなければならない。文字から発想しているのだろうけれど、作品そのものはもはや字ではなく絵にしか見えなかったりする。

数年前まで漢字がらみの仕事が多かったので、漢字・文字研究者や、いわゆる書家に会い取材したことも多かったのだが、書家という人たちの書く字はもはや字の領域を超えていた。ま、芸術作品である。書の展覧会に行くということはそういうほとんど字には見えないぶっ飛んだ世界を鑑賞することを意味していた。この週末までは。

今回鑑賞した書道展は、そういうのではなくて、「お手本に従って書きました」「先生に教わって書きました」という、いい意味で、まじめに上手になろうとして練習中の人たちによる成果発表会的な要素が強かった。なんていうんだろう、この字を書くためにいったいどれほど紙を費やし、来る日も来る日も墨を摺って、何度も書き直すということを繰り返したことだろうか、なんて(わが子のバレエの発表会を見るような)妙な愛しさをどの作品にも感じた。漢字にしろ、仮名にしろ、ひと文字ひと文字に思いを込めてあるが、玄人的な思いの込めかたではなくて、ただただ「とめ」「はらい」「はね」を綺麗にかつ自分らしく筆を運んで表現する、という、「作品をつくる」というよりもずっとずっと単に「書く」ことに近い行為の成果。
書くって素敵だ。書くって大事だ。痛切に、そう感じさせてくれたのである。

先述した、メジャーになっちゃった友人書家も、取材でお目にかかった大家たちも、ゲージツ作品をつくってはいるが、書道教室の先生として子どもから大人まで基礎から教える仕事もしているのである。何書いてんのかわからんようなもんを書いていても、書くときゃ書く、ちゃんと楷書行書草書隷書篆書etc.,etc.,書くし指導もするのである。基本の「き」はしっかり確立しているのである。
筆を手に持って書く。これ、大事だ。

「ねえねえ、どんな書道家になりたいの?」
「へ? 書道家って何、その〈か〉ってつけるのやめてくれる?」
「でも、賞もらったりしてるやん。書道家の卵ってゆーか予備軍ってゆーか、そんな感じやん」
「先生の字見て真似すんので精一杯やねんで、そんなんあと何十年と続けてたら万に一つもあるかもしれんけど」
「続けたらええやん」
「飽きるかもしれんもん~」

いやいや、彼は飽きないとみた。次の作品展も楽しみである。

Pour ta maman, l'opération de la cataracte, c'est assez simple et sans douleur.2012/09/11 17:23:09

母が、白内障の手術を受けるため今日から入院した。白内障の手術そのものはたいそうなものではないが、なにしろ非常に歩行困難な人なので、「通院」にひと苦労なのである。母がごくたまに眼を診察してもらっていた眼科は、白内障の手術でも評判だったが、少し離れた本院での日帰り手術しか受け付けていなかった。手術後はその本院へ毎日通院しなくてはならない。では誰かが送迎すればよいのであるが、車プラス二人がかりでないとウチの母を運ぶのはたいへんである(車の乗降に二人必要なの、立ち座りが不自由だから)。普通に自分で歩かせるのがいちばんいいのだが(シルバーカートという必殺武器を持っているのだ)、術後は若干見えづらいのでどのみち誰かが付き添わねばならない。
毎日母と眼科詣でをできる人間は、残念ながらいないのである。こういうときに身内に付き添う余裕もないなんて、理不尽な社会だが、そんなところに向かって愚痴っても仕方がなく。
専業主婦の弟嫁はヒマしてるんだが、弟嫁ひとりに母を託すのは、酷である。母は重いので、万一転倒などしたあかつきには、彼女一人では母をけっして起こせはしないのである(コツが要るのよ)。

というわけで入院させる道を選んだ。入院先の総合病院は私の勤務先の近く。ここの眼科医は白内障の権威とやらで(全然知らんかったけど)、受診して手術と入院を決めたはいいが、3か月待ち。

てなわけで、3か月前から、母は隣近所の井戸端会議仲間に白内障の手術をすることを言いふらしていて、誰もが「手術はとても簡単」「手術後は世界が変わったようによく見えるよ」と母に言うのですっかり手術を楽しいイベントとして心待ちにしていたのである。
私は隣近所や商店街を歩いて母の仲間に会うたびに、「お母さんの手術っていつやったっけ?」「こわがらんでもええのんえってゆうたげて」「よう見えるようになったら溌剌としゃはるえ」などと声をかけられた。私は家の中ではあまりしゃべらないので、おしゃべりな母はそこらじゅうを話し相手にして発散していると見える(笑)。ご近所があってよかったと思うのはこんな時である。いまや母の白内障入院は町内会はもとより学区内のお友達から商店街の面々まで皆さんがそのスケジュールをご存じである。

幸い、今ちょうど仕事がピークを迎える嵐の前で、私も少し時間に余裕があるので毎日病室を覗いて帰ることができそうである。母は入院が決まった時から(つまり3か月前から)、猫のリーちゃんの餌やりをとても心配していて、「かしこうしてへんかったら、お母さんご飯くれはんの、忘れはるえ」(忘れへんてば)「ご飯食べたらちゃんとお母さんにごちそうさまってゆうのんえ」(ゆうわけないやろ)と毎日毎日四六時中猫にそんなことを言い、私に向かっては「何時と何時にご飯やるのん、会社から早う帰ってこれるんか」「お昼ご飯やりに帰ってこれへんの」みたいなことをこれまた朝晩必ず言い続けてきたのである(なんで娘や自分ではなく猫のご飯中心に動かないかんのよ)。たぶん、病室を覗いても、話はリーちゃんの餌やりに尽きるに決まってる。はいはい。

Le monde est si claire comme ceci, je ne savais pas!2012/09/19 18:07:18

連休最後の月曜日、母が無事退院した。ちょうど1週間。さっそく猫にまとわりつかれて嬉しそうである。視力はだいたい0.8くらい、遠くがよく見えるように焦点を合わせて設定してあるそうだ。医学って進歩してるのね。

入院した翌日に右眼の手術が行われた。その日退社後病室に立ち寄ると、顔中眼帯だらけ、という形容がおかしいのはわかっているがそうとしか言いようのない状態の、母はたいへん上機嫌で、「すぐ終わったわー」と言っていた。その二日後に左眼の手術が行われたが、右眼のときより少し時間がかかったらしい。夜様子を見に行くと、同じように済むと思っていたのにずいぶん長かった――母は何か左眼によからぬことが発見されたのではと気を揉んでいた。医師は機械の調整に手間取っただけと説明したらしいがこんなことは疑いだすときりがない。翌朝の診察で問題なしといわれるまでドキドキしていたらしい。

白内障の手術では麻酔を打つのは眼球だけである。したがって意識ははっきりしているし、落ちてきたら顔がぺしゃんこになるよと思うほど(「顔の真上にな、機械がいっぱいあんねん」)顔面を機械に覆われるし、「上にあるランプを見つめていてくださいね」という医師の指示どおりにじっと上方を凝視していないといけないし、なのに眼球はいじくられているし(「なんか知らんかちゃかちゃかちゃかちゃ目のとこでしたはんねん」)、短時間とはいえその間ピクリとも動いてはいけないので手足は頑丈に縛りつけられるし、手術室は殺風景で寒々しいし(「部屋(=病室)は狭い狭いとこに6人も容れられてんのにな、手術するとこは部屋の何倍も何倍も広いねん、真ん中にベッドひとつだけあってな、その周りに大きな機械ばっかり、ぎょうさんあんねん。ひやあ、かなんわあ、こんなとこ、て思うえ。あんなとこ、誰も行かしとうないわ」)……と、病気になどかかったことがなく手術も入院も出産以外に経験のない母にはたいへんなビッグイベントであった。ま、しかし、幸い、合併症も何もなかった。追加の精密検査とか新たに疾病発見とか、手術順番待ちの3か月間はそのようなネタが心配されていたが、終わりよければすべてよしの見本のようなイベントであった。

さて、帰宅した母。家の壁や柱やガラス障子には、余白がないほど孫の写真や描いた絵や賞状や書き初めや似顔絵などが貼りつくされているのだが、大きな数字のカレンダーも含めほとんど見えていなかったそれらが今クリアに見えているそうだ。
白内障を患う前から老眼はめいっぱい進んでいたし、そもそも近眼もあったはずなので、長年視界はかなり不良だったはずである。見えてへんのんちゃう?と視力の衰えを指摘すると意地になって否定してきた(「ちゃんと見えてますっ」)母なので、実際どの程度見えていて、見えていなかったのかは、私にはわからない。いまやよおくよおく見えるようになったいろいろなものを、じーっと凝視していたりするが、孫の写真なんて、10年以上同じものが貼ってあるのだぞ。「ぽぽちゃんまできれいに見えるわー♪」という発言は、人形のぽぽちゃんをだっこした3歳のさなぎの写真がそこに貼ってあることを13年前から認識していてのものなのか、はなはだ定かではないが、もはや追及する気力は私にはないので、とりあえず、今はよく見えてよかったよかっためでたしめでたし、なのである。

それにしても、もう明日は退院という日の午後に足を運んだのだが、もう両の眼で見える状態になっていた母の、私をじろじろと見つめたあの表情は忘れられない(笑)。このお調子もん然としたオバハン誰やのん、ほんまにわたしのむすめなんかいな、と言いたげで、非常に可笑しかった。

Parce que le demain se décide d'aujourd'hui!2012/09/23 23:46:15

      ♪★♪★♪★♪★♪

昨日は娘が通うバレエ教室の秋の発表会が行われました。
わざわざお越しくださったみなさまへ、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
お客様の喝采あっての舞台人ですので、観にきていただけることがどれほど光栄なことか、未熟者なりに理解している娘でございます。
これからも精進して参りますので応援よろしくお願い申し上げます。

      ♪★♪★♪★♪★♪


毎回、たくさんのお花をいただく。
発表会後は、古くさくて愛想のない我が家がしばし、華やぐ。
自慢じゃないが、生花を長期間保たせることにはちと自信のあるわたくし。
いただいた花束の、すべての花を最初のまま、というわけにはいかないが、発表会後ひと月半くらいは玄関先と食卓の上がちょっぴり華やかで色鮮やかである。
最初は豪華に、日を追うほどにだんだんと清楚にシンプルになるものの、ハレの日の華やかな気分の余韻を長く長く味わう私たちである。
(※相変わらずアサブロは画像のタテヨコを全然認識してくれないので、花が横向いちゃってごめんなさいである)


娘は今夏、地元開催のごく小規模なバレエコンクールに出場したのだが、そこで入賞し、ご褒美に海外遠征や留学のスカラシップをいただいた。いずれも来年の話なのでいろいろなことが未定だが、娘にとってはオドロキ桃の木山椒の木どころではない超ビッグニュースとあって、もう心はすっかり地球の裏側、うきうきどきどきわくわくを抑えられず毎日を過ごしている。
バレエ教室にとっても大きな出来事で、先生方もたいへん喜んでくださった。比較的のんびり、和気あいあい型の教室なので、賞獲りのための指導は原則しない方針だし、ゆえにこうしたイベントで賞を獲るということがあまりなかった。先生方も先輩生徒さんも後輩さんも皆喜んでおめでとうの嵐。幸せな娘である。わたしもお母さん仲間からたくさんお祝いのメッセージをもらった。ありがたいことである。
高校でも一瞬大騒ぎ(笑)だったようで、友達はもちろん、担任はじめ先生たちもげげげうっそーほんまかーという感じでますます一目置かれている娘である(入学当初からいろいろな意味で一目置かれていた娘なんだが)。


昨日の発表会に来てくださった皆さんには、もちろん入賞のことを知らせたので、「そういう目」で今回の舞台を観てくださったはずで、はたして「やはりそれだけのことはある」と思ってくださったか、「なんだ、口ほどにもない」と思われたか。
いずれにしろ、娘が取り組んでいるのは古典舞踊であり舞台芸術である。ひとりでは成立しない代物である。先生方や一緒に舞台に立つ仲間はもちろん、音響照明大道具小道具撮影隊アナウンスのおねいさんまで、非常に多くの人々の力が結集されてやっと実現するものである。踊り続ける以上そのことはつねにつねに肝に銘じなくてはイカンのである。だって明日は今日の在りようで決まるのよ。

Encore le typhon!2012/09/30 03:41:29

秋になったねーとご機嫌で言ったり書いたりしてたんだけど、金曜日は昼間31度まで上がったし、そのあおりであっちでもこっちでも冷房ガンガンかけてるし、あたしゃ取材で外歩きのあとそういう冷えヒエの建物の中に入らざるを得なくて、もう! 例年ならだんだん体調が快方に向かうのにガチガチだよ(泣)。周囲で風邪ひいてる人を散見する。朝夕涼しくなったせいじゃなく、関電がわーわーゆってた節電期間が終了してヘヘヘンと言わんばかりにどこかもかも冷房設定温度下げ出したんだよね。そのせいで内外の気温差に今さら体が耐えてけないってとこよね。せっかくねえ、節電期間中、多少暑いのに慣れてたとこだったのに、お気の毒。


木曜日の朝6時50分台の東の空。撮影さなぎ。早起きだなあ、偉いぞ。


同じく西の空。まっさおー♪ 秋晴れじゃのー。今日も一日しっかり勉強するぜえ〜 ……とは絶対叫んでいなかったであろう、撮影者はさなぎ。月曜日から定期考査なのでねえ、今さら後の祭りなんだけどさあ、いつも早起きだけどさらに早く起きて頑張るのはいいけど、無駄な抵抗とはこのことという見本のようなテスト勉強の日々。

気持ちいいなあ、これからはこんな日がしばらく続くんだよね〜なんて、みんなで思っていたのさ。日中暑いけど、朝晩の心地よさがそれを慰めてくれてあまりあるもの。



また写真がひっくり返ってますけどお〜、東側の窓からの朝日にひなたぼっこするリーちゃん。夜の間、寒いもんねえ、君にとってはもはや(笑)。これは私のガラケーでの写真。


毛づくろいもお日さま浴びながらだと気持ちよさ倍増よね♪(リー)


秋を満喫しようとしていたのだが、なんと台風が(知らん間にもう18号まで数えておるぞ)明日(つまり今日ね、日曜日ね)このあたりを通過するそうである。今日(つまり昨日ね、土曜日ね)は一日蒸し暑くて、たまりませんでしたわよ、あれこれ用事でそこらじゅう出かけたんだけど汗だく。でもってそこらじゅう冷房ガンガン。さむーーー寒すぎーーー(TT)

ふとしたご縁で交えたやりとりから文通状態になったり、久しぶりに来た友達からの葉書に返事を書いたり、贈呈本の礼状を書いたり、永らく借りていたことを失念してて慌てて返送する時についつい何枚もの何枚もの長い手紙になってしまったり。ここ数日、ペンを取って手紙を「打つ」ではなく「書く」ことが増えていて、なんだか嬉しい。自分の汚い字に目を覆いたくなるけど、やはり、人間、筆記具もって書かなきゃいかんぞとおのれに言いながら書く。やっぱ「打つ」より「買う」、じゃなくて「書く」ほうがエキサイティング。

あああ、我が家の建具がガタガタ鳴り始めましたよー。風が強くなってきた。台風めー悪さすんなよー。日曜の外出予定潰してくれたんは許したるから、家とばしたり土砂崩したりしんといてー。

みなさまも台風にお気をつけください。