Et vous, vous pensez à quoi, Victor?2014/04/13 09:55:27

『ユリイカ 詩と批評』2013年10月号
特集 武田百合子 歩く、食べる、書く
青土社

ものすごく、久しぶりにウィングス京都ヘ行った。去年、アーサー・ビナートの講演を聴きに来て以来だろうか。公的イベントはしょっちゅうあり、市の仕事で取材に来たことも過去にはある。そのほかには、お気に入りのバンドがクリスマスライヴをしたことがあって、1500円払って聴きに来たっけ。そんなわけでふだんはまったく用事がない場所なんだが、しかし、けっこう使えるよ、という情報をくれたのは実は娘だった。予約の入っていないスペースを、自習室として開放してくれるらしい。知っている人がいるとつい喋ってしまう、パソコンがあるとついユーチューブを開けてしまう、お菓子があるとすぐ食べてしまう、の「やってはいけないことを全然守れないで」賞を受賞してばかりの娘には、恰好の勉強部屋だ。同じような「ビョーキ」の学生たちが、チラ、ホラときて、カリカリと、あるいはぼーっと(笑)勉強していくらしい。ウィングスの図書室では、ほかの公立図書館と同様、「学校の試験勉強のため」に机と椅子とを貸してはもらえないので、調べものは調べもので別途しなくてはならない。ウィングス京都の図書室は、学生が調べものをするほどには蔵書はない。フェミニズムや女性問題を扱うなら別だが。しかし、その分コンパクトで、探しやすく整理されていることに今回初めて気がついた。「図書室は、リニューアルしたんです」とカウンターの人の言。そうなんだ。以前は書架を覗こうともしなかったのでどんなだったかわからないし比べようもないけど、貸し出し制限が5冊というのも、つい借り過ぎて、貸し出し期間中本に没頭してほかに何もできなくなるという事態に陥りがちな私にはちょうどいい。

おすすめの本のラックに、10月号の「ユリイカ」が載っていた。
特集・武田百合子だって。
ユリイカなんて気が向いたときにしか手にとらないから、武田百合子を特集していたなんて、知らなかったよ。知っていて、先にこの特集を読んでいたら、前に言及した2冊のエッセイ集を、私は買っただろうか。買わなかった気がする(笑)。

いろいろな人が武田百合子について書いている。多くは『富士日記』について行を割いている。『日々雑記』についても、多い。そっか。ではいずれこの2冊も読むことにしよう。

このユリイカを借りて、武田百合子特集をひととおりぱらぱらめくったあと、いちばん気になったのは、実は巻頭にあった詩人・中村稔さんの「人生に関する断章」という連載だ。この号のタイトルは「ミュージカル『レ・ミゼラブル』について」。

たしか最近、米映画でリメイクが行われたよね、これ? あの『プラダという名の悪魔』という映画に出てた、メリル・ストリープにいじめられる女子新入社員役の口の大きな女優がファンテーヌを演じていた、と記憶している。映画としての評価はどうだったのか知らないけど、DVDレンタルで借りて、CGを駆使したつくりがつくりものっぽくて(いや、映画はつくりものなんだけどさ)、とってつけたようなパリ・コミューンのシーンも学芸会みたいで、ちょっとな、うーん、みんなよく歌って頑張っているけど(それはほんと)全体としてはいまひとつ、という感想を持ったのだったが。

中村稔さんは、あくまで舞台のミュージカル『レ・ミゼラブル』について言及なさっている。この舞台のたいへんなファンらしい。劇中に歌われる歌の歌詞(英語)を書き出し、訳詞を検討し(さすがは詩人)、と熱がこもっている。日本での初演は1980年代で、ファンテーヌは岩崎宏美、マリウスは野口五郎、コゼットは斉藤由貴、エポニーヌは島田歌穂だったそうだ。島田歌穂はこの役が当たってその後一気に大物女優に成長したとか。しかし、中村さんによれば島田以外の3人はとんでもないミスキャスト(笑)、ミュージカルというのは歌も演技も抜群に秀でていなければならないのに3人はいずれも一方にしか長がなく、それゆえに劇全体を貧相なものにしていた、と手厳しい。そうなのね(笑)。

ミュージカル『レ・ミゼラブル』はフランス製の映画にもなった。仏製ミュージカルではどんなふうに描かれているのだろう。いままでミュージカル『レ・ミゼラブル』にはまるで興味がなかったが、中村さんのように一ファンとして真剣にミュージカルを論じておられるのを読むと、むしょうに観たくなった。
だいたい、原作は物語とか小説というよりも「フランス史」と呼んでもいいほど、フランスの国家としての歴史のいちばんごちゃついた数十年間を舞台にしている。王制から共和政、また王政復古、そしてパリ・コミューンという激動の時代があって、さらには大戦を経て、そして今のフランス共和国があるのよと思って、原作は読まなくてもいいけどそういう時代背景をいちおう考えてそれぞれの登場人物を眺めなければ、面白みは半減すると思うのだ。

従姉の娘たちが本を読める年頃になった時、私は「世界文学全集」を1冊ずつ贈った。全部で20巻くらいあったと思うのだが、第1回配本が『ああ無情』だった。もちろんそれは、コンパクトな抄訳で、小学生に読めるように装幀の工夫されたものだったが、贈る前に、中身を読み返し、抄訳をまとめた人の苦労も考えず『あ、あの場面をはしょってる。よくないなあ」なんて勝手な感想をもったものだった。でも、これをきっかけに、『ああ無情』の完訳を読みたいと思ってくれたら嬉しい、というようなメッセージをつけて贈ったような覚えがある。よく言うよね(笑)。完訳全巻は、よほどのフランス好き、ユーゴ好きが気合いを入れて読まなければ読めるシロモノじゃない。はい、私も、途中で挫折したんです。

ユーゴは、何年も何年もあとに自分の書いた小説が、舞台化される可能性は少し考えたかもしれないが、映画やミュージカルとなって世界中で愛されることになると想像していたであろうか。ましてやマリウスを野口五郎が演じて挙句こき下ろされるなんて、そんな光景を目にしたら何を思ったかしら、と、堀川通の八重桜を見ながら思ったりもしたさ。



京都はもんのすごい観光客ラッシュである。でも一人当たりの単価は下がってるそうだ。みんなしぶちんやな。

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