就寝前の寝言(ん?)2010/10/21 02:33:47

なんつーか……あのひとたちにとって、日系企業の店舗や製品を破壊するとか火をつけるとか(つけてないか?)、日本を鬼と呼んだり滓と言ったり(ゆってないか)するとかいうのは、たぶん年中行事っつーか、お祭りみたいなもんなんだろうなあ。なんであの国にはこっちの岸和田のだんじりや鞍馬の火祭りとか、それになんだっけ、勇壮なお祭り、日本にはたくさんあるじゃん、そういうのがないんだろうね。あるのかな。誰か知ってる? あればきっと、そういう祭りで憂さ晴らしもストレス解消もできるだろうに。ユーチューブで見る限り、デモやってるとか抗議行動をとっているとかいうよりは、やっぱ単なる鬱憤晴らしにしか見えないよね。そこが痛いなあ、あの国も。もうちょっと真剣味があれば双方もう少し真面目に取り組むだろうけどイマイチなもんだから双方ともに「ちっクソガキらめ」みたいな対応しかしないんだろうね。

それにしても、豊かになったんだね。
私が旅した頃のあの国は、ほぼ全員が薄汚れた人民服を着ていた。身なりのいい子は軍服を着ていた。男女とも。女の子は腰の位置が高くて、すらりとしていて、長い髪を固い三つ編みにし、前に赤い星のついた軍帽をかぶって、軍靴をカツカツいわせて道を横断し、友達に会えば「アイヤーッ」と挨拶し、でなければ必ず数歩に一度はかあああーーーーっぺっと道に痰を吐いた。それがエリートの証であるかのように。
人民服の人が少なかったのは唯一広州だけだった。どの町ででも、老若男女問わず、紺かくすんだ緑、カーキの人民服またはそれに準じた型の服を着ていた。広州の人がお洒落だったわけではない。人民服ではなかったというだけだ。
私は当時流行っていただぶだぶシルエットのトレーナーを着て、膝丈のパンツにバッシュといういでたちだったので、誰がどう見ても、現地人には見えなかっただろう。

広州から桂林へ行くバスに乗り合わせた男性が、ぜひウチへ泊まれと言ってくれて、怖いモノ知らずの私と弟は喜んでお世話になった。奥さんとまだ2、3歳の女の子と、本人か奥さんかどっちかのお母さんと一緒に住んでいた。桂林は一大観光地で、観光客が国内各地、それと外国からも来ていた。彼は私たちのために現地人用の遊覧船の切符をとってくれて、自分や奥さんの上着を貸してくれて、話しかけられてもわかんない振りをしろ、あんまり執拗に何かいわれたら自分らは北京の者だといえ、そしたら相手は黙るから大丈夫、外国人とはバレないよと送り出してくれた。同じ方法で、桂林から次の訪問都市への列車の切符もとってくれた。口元にチョビ髭を生やした、そうだな、誰だろう、ああ、あれだ、似ている俳優がいるんだけど名前が出てこないよ。

昆明から成都へ向かう列車の中ではおばちゃん二人連れと座席を乗り合わせ、よくわからないまま私たちはいろいろ根掘り葉掘り聞かれ、泊めてはあげられないけどご飯一緒に食べようということになり、成都での二日めの昼食をおばちゃんたちの家にお世話になった。水餃子だった。それはもうものすごい量で、御馳走になったのは昼飯という設定だったが、夕方まで食べ続けていて、当然ながら晩ご飯は食べなくてもよかったのだった。おばちゃん二人のうちの年配さんのほうに15歳くらいの娘さんがいて、その子が私たち二人を兄さん姉さんと、わずかな時間の間ずっと慕ってくれて、私も弟もいけ好かない姉や弟でなくこんな可愛い妹がいればどんなにか毎日が楽しかろうと思ったもんだった。
若いほうのおばちゃんの旦那さんという人が鉄道員で、成都から次の訪問地までの切符をこれまた家族価格でとってくれたのだった。この人は、若い頃のフォーリーブスの今は亡き青山孝にそっくりだった。

旅は道連れとやらで、ドイツ人の二人組と途中連れ立って旅をした。彼らと一緒に、4人で割り勘すればたいした金額じゃないよということで比較的よいホテルに宿を取った。そのときのフロントのお兄さんは、松尾貴史みたいだったが流暢な英語を駆使し、お客さんがたそんなムチャを言っちゃあいけませんよ、まったくしかたありませんねえ従業員用の折り畳みベッドを一つ入れて四人で一室ということにしてあげましょう、なんて言って、トリプルの部屋に身長2メートル級のドイツ人二人とちっちゃい日本人二人を一緒に泊めてくれたのであった。

私が旅した中国は貧しくて、町も宿も店も清潔とはほど遠かったが、食べるものは素朴でおいしく、人は親切で温かく、子どもは無邪気で屈託なく、若者は好奇心旺盛で人なつこかった。

たぶん今もそれは同じのはずだ。ただ、おそらくは何か捌け口が必要なんだろう、貧富の差が拡大したり、地方都市が荒廃したり、大都市が過密状態になったり、皆が過剰に上を目指すような社会だと、どこかでガス抜きをしないと、なんだかわからないものがわからないまま破裂して、けっきょく弱者が怪我をする。

遠くに住んでいると島々のもつ意味はちっともわからないから、欲しいならくれてやれよといいたくもなるが、そんなこと言ってはいけないのだろう。もし私が毎日その島々の見える町に住んでいて、私の父や近しい人はその島々の方向へ漁に出かける、そんな日々を過ごしたならば、今のような発言はもちろん、20年以上も前のかの国を思い出して郷愁に耽るなんて、しない人間になっていたのだろう。島々に愛着を感じ、島々を侵犯する者たちを許せないと思うのだろう。

さて、寝るとしよう。

ずつうでゆううつ2010/07/23 23:45:50

けっこうええおとこ。


『ボオドレール 悪の華』
シャルル・ボードレール著 鈴木信太郎訳
岩波文庫(2000年/初版1961年)


なんでかわかんないけどアタマ痛い……すごく痛くて今日はぜんぜん仕事にならなかった。頭痛はしょっちゅうなんだけど今日みたいに激痛が収まらない日は、それほどしょっちゅうではない。こういう時って思考不可能だから思考しなくてもいいことにばかり、思考が走る。走るけど、仕事しない、思考。
家の本棚の隅っこにあったボードレールの詩集を職場のデスクに置いている。なぜそんなものをそんなところに置いているかというと、こういう、思考が思考の仕事をしないときに、ぼーっと眺めるのにうってつけだからである。なぜ自分がこの詩集を持っているのか実は私にはもうわからない。この本が欲しい、読みたいと思った記憶はない。誰かに贈られた記憶もない。だいいち誰も贈らないだろ悪の華なんて、と思うし。
旧字旧仮名遣い表記なので、読みにくいことこのうえない。不思議なもので、これが日本人作家や著述家の書いたオリジナル日本語文だと読むのはちっとも苦にならないのだが、紅顔毛唐碧眼の輩(←よい子の皆さんはこんなこと言ったり書いたりしてはいけませんよ。ほほほ)の文章の翻訳が旧字旧仮名遣いになってるとまるで宇宙語のようである。まだ漢文漢詩のほうが意味が伝わる。
頭の中で、昔よくあった(いまもあるのか?)灯油缶みたいなのを曲がった金属バットでガンガンガンガンと、頭の内壁にくっつけて打たれるような、不愉快な痛みと耳鳴りが続くようなとき、本書の、旧字旧仮名遣いの、小難しさのファッションショーのような詩文を目で追う。そこには書き手の苦悩とか思想とかが見え隠れするはずだが、見えていようが隠れていようが私にはまったく読み取れない。が、『悪の華』は十分にここでの役割を果たしてくれている。とりあえず難しい字の並んだ本を読んでいると、さぼっているようには見えないし、時たま、あらそうねホントねナットクだわ、と共感する詩に出会うこともある。


憂鬱

市(まち) 全体に 腹を立てた 雨降り月は
隣の墓地の 蒼ざめた亡霊どもには 暗澹と
した冷たさを、また霧深い場末の町には
死の運命を、甕傾けて 肺然と注ぎかける。

わが猫は 床石の上で 寝床の敷藁を探して
絶えず 疥癬の痩せた体を揺すぶっている。
老いぼれ詩人の魂が 寒がりの幽霊のやうな
悲しい声をたてながら 雨樋の中を うろついている。

寺院の鐘が泣くやうに鳴り、燻った薪が
裏声で 風邪をひいた柱時計に伴奏する、と、
こちらでは、水腫(ぶく)れにむくんで死んだ老婆の遺品(かたみ)、

厭らしい匂ひの染みたトランプの札の、
ハートのジャックの色男と スペードのクヰンの二人、
返らぬ昔の恋愛を ぼそぼそ陰気に語つてゐる。

(222ページ)
(旧字は現代字に改めた。以下同)


この詩集には「憂鬱」と題された詩が連続して4編収められている。
二つ目の憂鬱。

(……)
雪の降る年々の 重い粉雪にうづもれて
陰鬱な 探究心の喪失から 生れる果実(このみ)の
倦怠が 不滅の相を帯びながら 拡がる時に、
蹌踉(そうろう)と過ぎてゆく月日より長いものは 何もない。
(……)


三つ目はつまんない。
四つ目の憂鬱。

(……)
——さうして、太鼓も音楽もない、柩車の長い連続が
わが魂の中を しづしづと行列する。希望は、
破れて、泣いてゐる。残忍な、暴虐な苦悶は
わがうなだれた頭蓋骨の上に 眞黒な弔旗を立てる。




憂鬱だ。仕事の進捗を思うと憂鬱だ。雨漏りしていた天井を思うと憂鬱だ。娘の進学を思うと憂鬱だ。痛む歯を思うと憂鬱だ。いじられる歯の本数を思うと憂鬱だ。今夏の暑さを思うと憂鬱だ。今夏の暑さできっと来春のスギもヒノキも大豊作だと思うと憂鬱だ。明日の朝ご飯の献立どうしよう、と思うと憂鬱だ。





私の憂鬱に比べれば、ボードレールもジュリーも、何よその程度でぐだぐだいわないでよ、てくらいの憂鬱じゃんか。というか、そういうのを憂鬱ってゆーんかい? みたいな、なんていうのか、憂鬱の方向性の違いみたいなものが存在する。暴虐な苦悶とか、悲しい声で雨樋の中をうろつく寒がりの幽霊なんて、憂鬱の域を超えている。「毎日ボク眠れないやるせない♪は・は・は」なんてそれは憂鬱じゃなくて不眠症じゃないの? でもジュリーは美しいので許す(実はジュリーのLPレコードをたんまりもっている私)。

毎朝、カラダが全身最大のエネルギーを絞り出すようにして私の脳に「会社行きたくない」と訴える。登校拒否児童の精神と肉体の状況ってもしかしてこんな感じなんだろうかと想像してみる。してみるが解決にはならないので、とりあえず脳は、そういわずにさ、一緒に行こうよ、などとカラダに言い聞かせているようである。もうずっと長いこと、私のカラダはキレが悪く、重くて、あちこち痛くて、いつの間にこんなことになってしまったのかと思うほど、何をするにも動作が遅く、反応が鈍い。だからいっときに比べて1時間以上早起きしないと朝の家事がすべて終わらない。五月以降、私は皿を2枚、ガラスコップを2個、割った。モノが手につかないのである。

明日は還幸祭。お神輿わっしょい! 私たちのクライマックス。神輿に祈願するの忘れないようにしなくちゃ。

カフカは好きですか2010/06/26 20:13:25

『ミレナへの手紙』
(決定版カフカ全集8)
フランツ・カフカ著 辻 ■訳
(※訳者辻氏のファーストネームは玉偏に星)
新潮社(1992年)


カフカは好きですか。私は、すごく好きです。

『変身』しか読んだことのなかった私に「カフカが好きだ」という資格はないかもしれないが、たいして作品を読んでいないのにその作家が好きであるといえる数少ない小説家の、フランツ・カフカは、一人である。最近、これまで未邦訳だったものを集めたという短編集を手に入れた。まだ少ししか読み進めていないんだけど、切りのいいところでまたご紹介したいと思っている。

フランス滞在中、『カフカ』という映画を観た。観たけど何がなんだかじぇんじぇんわからなかった。だってドイツ映画でフランス語字幕だったもん(笑)。カフカの小説の映画化ではなくてフランツ・カフカを主人公にしてカフカ的不条理世界を表現したホラー映画だったらしい(怖そうに聞こえるけど実は怖くなさそう、みたいな映画だ)。モノクロで、ロケ地のプラハの町並みが美しかった。カフカを演じた俳優もやたらカッコよかった。話がわかっていたら逆につまらなかったかもしれない。何が語られているか聴き取れず、目は字幕を追えずで、とにかくただ映像美だけを堪能したという経験だった。(後から知ったのだが、『スターウォーズ』でオビ・ワン・ケノービ役を演じたアレック・ギネスも出てたけどじぇんじぇんわからなかった)

そんなこんなで知らないままのカフカだったんだが、去年、みすず書房から『ミレナ 記事と手紙』という本が出た。カフカ作品の翻訳者であり、ジャーナリストでもあったミレナの文章を集めた本だ。そしてミレナは、カフカの恋人だった。さっそく予約して読んだ。この本については次回書く。

ミレナがカフカの恋人だったという事実だけは早くから知られていた。ミレナはカフカから受け取った手紙をそっくりヴィリー・ハースに託したが、ハースはそれを完全に保管していて、カフカもミレナも亡くなった後に書簡集として世に出したからである。(カフカが受け取っていたはずのミレナの手紙は一通も残っていないのだが)

1920年、カフカはメラーンに療養にきていた。もうすでに、病気だったらしい。

《(…)脳髄が、自分に課せられた心労と苦痛にもはや耐えることができなくなってしまった、というのがそれです。脳髄がこう言ったのです、「俺はもう投げた。だがまだここに、身体全体が保持されなくてはどうも困るというものがいるのだったら、どうか重荷を少し引き受けてくれないか。そうすればまだしばらくは何とかいくだろう」と。そこで肺臓が志願して出たというわけですが、肺としても悪いのはもともとで大した損失ではなかったろうと思います。私の知らないうちに行われたこの脳と肺との闇取引はおそろしいものであったかもしれません。(…)》(8ページ)

シンプルでどうってことない事柄をことのほか難しくぐちゃぐちゃにするのが得意技と見受けるが、自分の病気や不調も込み入った闇取引物語にしている(笑)。
と、笑うのは簡単だ。だが、大人になると角膜が濁るごく普通の人間には滑稽としか思えないような、純度の高い透徹な視線をカフカがもっていることをミレナは敏感に感じとり、カフカにのめりこんでいくのである。カフカの作品を翻訳する過程で、あるいはカフカの手紙を毎日読む過程で。

《(…)おっしゃるとおりチェコ語は分ります。なぜチェコ語でお書きにならないのか、と今までも何度かおたずねしようと思いました。と申しても、あなたのドイツ語が不完全だから、などというわけではありません。たいていの場合はおどろくほどうまく使いこなしておられます。そして、ふと、あなたの手に負えなくなると、かえってそのドイツ語の方で、進んであなたの前に頭を下げているのです。その時のドイツ語がまた格別に美しい。これはドイツ人が自分の言葉であるドイツ語からはとうてい望み得ぬことで、思いきってそこまで個性的な言葉使いで書くことができないのです。しかし、あなたからはチェコ語でお手紙をいただきたいと思っていました。なぜなら、あなたの母国語がチェコ語であるからであり、そのチェコ語のうちにのみミレナ全体が息づいているのであって(翻訳がそれを裏書きしています)、(…)》(10ページ)

チェコ語とドイツ語は似ていない。しかしヨーロッパ言語を体系づけたらたぶん同じエリアにくくられる言語だろう。プラハには何度か行ったけど、街の人たちは、外国人に道を尋ねられたりしたときはまず「ドイツ語はおできになりますか」と聞いて、相手の答えが「はい」ならドイツ語でさらさらっと説明してしまう。今はおそらく事情は異なるだろうけど、25年前はそうだったし、17年前もそうだった。それは、チェコという国の生い立ちが人々にそうさせていたのであって、かつて一緒の国だったスロヴァキアではまたまるで言語事情は異なっていた。
それはさておき、ミレナはプラハ生まれの誇り高きチェコ人であった。プラハという町はそのからだを微妙にドイツ人エリアとチェコ人エリアに分裂させてしまっていて、どういうわけか(そりゃそうなんだが)ドイツ人が偉そうに振る舞っていた。
ミレナはプラハでエルンスト・ポラックという10歳ほど年上の男性と恋に落ち、父親の反対を押し切って結婚し、ウィーンに住んでいる。最初にカフカと出会った場所はプラハのカフェと解説に書いてあったように思うけど、とにかく、二人の手紙はメラーンとウィーンを頻繁に行き交った。カフカは翻訳者としてのミレナの仕事を高く評価し、ミレナもそれに励まされ次々とカフカ作品をチェコ語で紹介していった。カフカは、幾つかの新聞や雑誌に記事を寄稿していたミレナの文章を、読みたがった。二人は互いに、互いが書いたものを読み尽くすことでその精神と肉体を征服しあおうとしていたかのようだ。

《(…)二時間前にあなたのお手紙を手にして、おもての寝椅子に横たわっていたときよりは、気持が落着いてきました。私の寝そべっていたほんの一歩前に、甲虫が一匹、あおむけにひっくりかえってしまい、どうにもならず困りきっていました。体を起こすことができないのです。助けてやろうと思えば造作もないことでした。一歩歩いて、ちょっとつっついてやれば、明らかに助けてやれたのです。ところが私はお手紙のせいで虫のことを忘れてしまいました。私もご同様に起きあがることができなかったのです。ふととかげが一匹目にとまったので、それではじめてまた周囲の生命が私の注意をひくことになりました。とかげの道は甲虫をのりこえていくことになっています。その甲虫はもう全然動かなくなっていました。じゃああれは事故ではなかったのだ、断末魔の苦しみだったのだ、動物の自然死という珍らしい一幕だったのだ、と私は自分に言いきかせました。ところが、とかげがその甲虫の上を滑っていってしまい、ひっくりかえった体をついでのことに起してやったあと、なるほど甲虫はなおしばらくの間、死んだようにじっとしていましたが、それから、まるで当然のことのように、家壁を這いのぼっていきました。これが何か少しまた私を勇気づけてくれたようで、起きあがってミルクを飲み、この手紙を書いた次第です。フランツ・K》(15ページ)

本書のこのくだり、私のいっとうお気に入りであります。カフカってばほんとうに虫が好きなんだね。(いや、そうじゃないかもしれないけど)

《「あなたのおっしゃる通りです。私は彼が好きなのです。でもF、あなたのことも私は好きなのです」とあなたは書いています。この文句を私は実に念を入れて読みました。一言一言です。特に「のことも」のところでは長い間立ち止りました。みんなそおのとおりです。これがそのとおりでなかったら、あなたはミレナではないでしょう。そして、もしあなたがいなかったなら、一体この私は何なのでしょう。(…)しかもなお、何らかの弱さから私はこの文句と手を切ることができずに、際限もなく読みつづけています。そして、結局それをもう一度ここに写して書き、あなたがこの文句を見て下さるように、二人が一緒にそれを読むように、額に額をよせて(あなたの髪が私のこめかみに)、と望むのです。》(78ページ)

ミレナは、夫、エルンスト・ポラックとの結婚生活がとっくに破綻しているのに、解消できずにいた。大恋愛の末駆け落ち、みたいな感じで結婚したのに、いざ結婚生活に入るとずっと満たされないまま日々が過ぎていった。エルンストは「互いに拘束せず好きにやろう」という主義の男で、事実派手に女遊びを繰り返したようである。ミレナは、かといって自分も男遊びをする気にはなれなかったが、金遣いは荒かったようだ。互いの愛情だけでなく経済的にも枯渇していくポラック夫妻。カフカとの文通はそうした状況と並行しているのだ。ミレナはきっと、カフカがウィーンに来て、ご主人と別れて僕と一緒になろうとはっきり言ってくれるのを熱望したはずだ。しかしカフカは病気もちであり、まるで文通のせいで伝染したかのようにミレナも肺を病み、気力体力を失っていく。

《どうも私たちは絶えず同じことばかり書いているようです。あなたは病気かと私がたずね、するとあなたがそれと同じことを書き、私が死にたいと言えば、あなたがまた死にたいと言い、あなたの前で小僧のように泣きたいと書けば、私の前で小娘のように泣きたいと書いてこられる。そして、私が一度、十度、千度、そしてひっきりなしにあなたのそばにいたがれば、あなたもこれと同じことを言う。》(113ページ)

《あなたは私のもの、と言われるたびに、私はもっと別の言い方を聞きたいと思いました。なぜこの言葉でなくてはならないのでしょう? この言葉の意味しているのは愛情ですらなく、むしろ身近かな肉体と夜なのです。》(156ページ)

ミレナは女として男であるフランツ・カフカを欲したであろう。一人の男を愛する女としてその男のすべてを貪り食うほどに愛し、手中に収めて支配するほどに征服し彼と一体化したかったであろう。カフカはこれにかろうじて答えるように、手紙の末尾にフランツとかカフカとかFとか書く代わりに「あなたのもの」と記して手紙を終えることもあったのだが……。

《(…)人間は今までほとんど私を欺いたためしがありません。しかし手紙は常に私を欺いてまいりました。それも他人の手紙ではなく、私自身の手紙が私を欺いたのです。(…)これは亡霊どもとの交際に他ならず、しかも手紙の名宛人の亡霊ばかりでなく、自分自身の亡霊との交わりであり、この亡霊は、書く人の手のもとで、書かれる手紙の中に書くそばから発育し、(…)一連の手紙のうちにも発育してゆくものです。人間が手紙で交際できるなどと、どうしてそんなことを思いついたのでしょう! 遠い人には想いをはせ、近い人を手にとらえることならできますが、それ以外のことは一切人間の力を超えています。手紙を書くとはしかし、貪欲にそれを待ちもうけている亡霊たちの前で、裸になることに他なりません。書かれたキスは至るべきところに到達せず、途中で亡霊たちに飲みつくされてしまうのです。このゆたかな栄養によって、亡霊たちはこうも法外な繁殖を遂げるのです。(…)郵便の後には電信を発明し、さらに電話、無線電話を発明しました。幽霊たちは飢える時を知らず、われわれは没落していくでしょう。》(200ページ)

カフカはあるときついに、もう手紙を書くなとミレナに告げる。厳しい状況下にあっても毅然と前を向き、旺盛に仕事をし、エネルギッシュに今と未来を生きようとするミレナの姿を前にして、自分はザムザのような虫の姿で彼女に寄生するしかないんだ……なんて自虐的なことをあのカフカが思うはずはないとしても、手紙のやりとりが情熱的になればなるほど双方向でその情熱は「飲みつくされてしまう」ばかりで、後には書き手という抜け殻しか残らないことを、カフカは知っていたのだ。
そしていみじくも未来を予言してもいる。“電信を発明し、さらに電話、無線電話を発明しました。幽霊たちは飢える時を知らず、われわれは没落していくでしょう。” 向かい合い、目と目を見つめ声と言葉で行う意思疎通からあまりに乖離した手段でコミュニケーションが事足りている(ふりをしている)今の世は、カフカのいう通り幽霊の繁殖の成果なのかもしれない。

カフカとミレナの恋は叶わないまま次第に疎遠になっていくという形で先細り、それぞれが新しい相手に出会い、やがてカフカの死を迎えて終わる。
カフカは、ミレナへの恋文の束という、おそらく自身の作品の中でも長編の、他に類を見ない文学作品を残した。ミレナの手紙がないから余計に、日付のない便箋や彼の文体、筆致の変遷が、憶測と推理ごっこと真面目な研究を煽ってきた。それでもまだ解明されていないことが多くあるという。カフカの手紙が山ほど残り、ミレナの手紙が一枚もない中で、はっきりしていることは、饒舌なカフカの文面を食い入るように見つめ、文字を、語句を、一文一文を、行間を、便箋の裏側をも、しゃぶりつくすように読んでその書き手を愛したミレナだけが、作家フランツ・カフカを深く理解した女性であったということである。

先生のアレルギー体質はハイレベル2010/05/13 18:45:01

ニキビ花盛りのわが娘。近頃は背中にもぶつぶつできてきて、代謝が活発だからしかたないのかなあと思いつつも、最近早くも秋のバレエの発表会の演目の話題が出て、彼女の身体をしげしげと見つめ、この、首から胸元、背中にかけて、またしてもファンデーションを塗りまくるのだと思うと、そんなことがなければ歳を経て治っていくだろうになあ……などと心配になる。それで、なんとはなしにニキビ、背中、などで検索かけてみるとそれなりの対処法にいきあたる。けれども、皮膚のことなので、覗いたサイトによっては重篤なアレルギーやアトピーに言及していることもあった。おおおそんなアレルギーもあるのか、恐ろしい。と、そこで私は可愛い娘のニキビのことはすっかり忘れ、愛しい嶋先生に思いを馳せる。

「嶋先生な、好き嫌い多いし、絶対給食のおかず、残さはるねん」
「アカンなあ。教育者にあるまじき振る舞い。でも、取り分けはったおかずはどうすんの」
「(食べたい生徒が)みんなでジャンケンして奪い合うねん」
「で、いつも勝ってるやろ」
「うん。ほぼ。そやし、給食時間充実してんねん」
「何が嫌いなん、嶋先生」
「エビ、カニ、魚……」
「給食のメインやん」
「ウチらがなあ、食べられへんで残してたりするやん、そしたらな、『お前、世界では3秒に1人、子どもが飢えのために死んでいってんねんぞ』っていわはんねん。毎回、必ず誰かにゆうたはる」
「でも、先生もやん、なあ」
「うん、それで言われた子が『先生も残したはるやないですか』っていうたらな、『お前、俺は食うたらショック死すんねんぞ』って」
「へえ? ショック死?」
「世界の子どもの飢餓の話と、自分のショック死の話はセットで毎回、あんねん」
「なんで、ショック死? エビ食べて?」
「なんか、アレルギーやって」
「ああ……甲殻類のアレルギーか。そら、やっかいやなあ」
「お医者さんに、この次食べたらショック死するかもしれませんって言われてからは絶対食べへんって決めたんやって」
「甲殻類とか蕎麦粉とかピーナッツとか、すごい極端なアレルギー反応起こして、死ぬことあるらしいしなあ」
「ほな、マジなんや、ショック死」
「そうかもな。で、魚は何がアカンの?」
「全部」
「なんで」
「骨が嫌やって」
「ただのわがままなオッサンやん」
「ウチが先生にもろた鯖とか秋刀魚の骨とってたら、ひえええって顔して『ひいいいいい、お前、信じがたいぞ、奇跡の行いやなそれ』とかいわはんねん」
「評価されてんのかな」
「たぶん」

家庭訪問の日、多方面からいろいろお話しになった嶋先生だが、「中3を受け持つのは嫌でねえ、生徒がみんな自分の背を追い越していくから、さなぎさんもまた背が伸びたみたいで、見下ろされてますわ」
たしかに嶋先生は小柄である。おまけに近頃体脂肪率が高くなってと嘆かれる。

「先生、そんなふうには見えはらへんですよ」
「隠れメタボなんですわ。ヤバイです」
「好き嫌い多いって聞いてますよ。バランスよく何でもお食べにならないと」
「でも僕はねえ、ショック死するんですよ」
「(笑)それもさなぎから聞いてます。アレルギー、きついんですか」
「なんかね、エビ食うたり、カニ食うたりするとぶつぶつ出てきたり、汗かいたりしてたんですわ。最初はなんでかわからんけどどうも食いもんらしいと思って医者に行って、アレルギーのテストしてもろたんです。そして結果出たら医者が声荒げて『絶対エビやらカニは食べたらアカン。この次食べたらショック死するかもしれませんからね』っていいよるんですよ。ひええっもう、怖いですやんそんなん。それから何があっても口にしてません」
「それはしかたないですねえ。でも、お魚も召し上がらへんとか」
「骨が嫌いなんですよ。骨を取るのが」
「(笑)けどそれはしょうがないですやん」
「なんで骨取ってまで食う必要あんねん、と思うんですわ」
「ウチの子は魚、好きですよ」
「きれいに骨始末して食べますねえ。感心してるんです。僕には真似できませんわ、ほんまに」
「すると、どうしても肉中心ですね。メタボにもなりますね」
「運命なんですわ」

その後、またしても給食の話題が出た。
昨年同じクラスだった問題児のポニー君と、縁あって再び同じクラスなのだが(笑)、ポニー君がどうしても食べられないおかずを残すといってきかないので例によって飢餓の話とショック死の話になったらしいが。

「でもな、ポニー君がしつこく、嫌や嫌やっていうから嶋先生、『お前、俺がショック死したらどうなると思う? 誰がこのクラス面倒見ると思てんの? 校長先生やぞ』って」
「え、そうなん?」
「他の教員はみんないくつも職務掛け持ちしてるし、空いてんの校長先生だけとかいうて」
「そんなことないやろ」
「ウン。そんなことないねん。ウチ言うてん。『先生、それはまず、副担任の竹下先生が代行でしょ』って」
「そしたら?」
「先生な、ウチ指差して『ハイレベル』って」
「なんやねんそれ」
「理屈で負けたり、笑いとんので自分より上行かれたら、しゅたっと指差して『ハイレベル』っていわはんのがマイブームやねん」
「(爆笑)褒めてもろたんやね」
「うん。『さなぎ。ポニーのおかず、食うたれ』って。そやし、よっしゃあ!やってん」

問題山積の世界だが、どうにかなるように回っていくさと思うのはこういうときであるのだった。

アゾールさん、ほか関連情報再掲2010/05/08 10:06:09

raidaisukiさんがおっしゃっていた「北中正和さんのワールドミュージックタイム(NHK FM 月曜0時‐1時(日曜深夜))」でのハイチ特集というのが明日の晩らしいので、番組ページをご紹介します。
ここです。

でもって、ハイチのミュージシャン、アゾール(Azor)さんのライヴ情報は:ここです。

普段、あまり真面目に音楽というものを聴きません。いえ、いっぱい聴くんですが、何が鳴っていても、それがどういうジャンルの音楽で誰が鳴らしているのかということに、基本的に関心がないんですね。今も昔も好きなミュージシャンはいるけれども、新たに面白そうな音に出会っても、あまり入れ込まなくなっちゃった。そんなわけで、かつてアフリカ音楽にはノックアウトされたんだけれどもハイチ音楽についてはどうってことなかったもんですから、当然アゾールさんのことも知りませんでした。
でもって、こないだ久しぶりにRFI(ラジオフランスアンテルナショナル)のサイトをうろうろしてて、BELO君という若いミュージシャンのことを知りました。けっこう好きかも。
彼の音と声、ハイチの街、しばし味わってみてください。


いかがでした? 感想など聞かせてくださいましね。

(追記)アゾールさんのライヴ映像、見っけ。



めっさ、よろしいやんーー♪(目がハート)どおどおどお???

ハイチのアーティスト、Azorさん2010/05/07 08:03:07

敬愛するraidaisukiさんのブログでハイチのアーティスト、Azorさんの来日ライヴについて紹介されていました。エントリはここ。詳細はここ

ちょっと、そこの君、「そんなのかんけーねー」って顔してるけどっ

ま、興味ないかたも、ちょびっとそそられるかたも、ハイチを忘れないでくださいね。


嶋先生ご来訪!!!2010/05/06 18:52:41


おーほほほほほほほ家庭訪問でしたのよぉ~~~
あの! 嶋先生が! 我が家の敷居をまたがれて我が家の椅子にお座りになって!
ウチが本日の予定のトリでしたので、通常20分くらいのところをなんと! 1時間近くもいてくださったのですわーいっぱいいっぱい嶋節炸裂でおしゃべりくださったのですわー
おーほほほほほほほアイラヴ嶋せんせーい♪♪♪

何の話をしたかというと、もう中学三年生なので当然ながら主に進路ネタである。
(それ以外の世間話もいっぱいしたけど)
わが市はここ数年、高校入試制度がコロコロ変わっているのでまったくもって困っているのである。ご近所の元受験生の親御さんたちの話も、先輩の事例も、まったく参考にならない。いえることは、年々内申書重視の傾向が強くなっていることだけである。通知票の数字だけでなく、どういうことが得手で不得手か、授業態度は、ノートの取りかたはどうか、1年・2年のときはどうで3年になってどうなったか、部活動は、委員会活動は、行事への取り組み態度はどの程度積極的か、えとせとらえとせとらえとせとら。

「とにかくその生徒の、目に見える結果や学力だけでなく潜在能力、どういう性格でどういう場面で自分らしさを発揮できるかとか、人格の完成度まで調べつくした挙句合否を決めるという感じですわ。かと思えば、何の取り得もなさげやったのに数学だけバリバリできる、いうのんが受かったり。そやから予想つきません。去年こういう子が合格したからお前いけるぞって背中押してアカンかったりね」(by嶋先生)

そういう宝くじみたいなあるいはギャンブルめいた高校入試にチャレンジさせるには、ウチのさなぎは塾にも行ってないし模擬テストや検定モドキも受けたことがないし、実戦のカンがまったく養われていないのでまったく心もとない。

「とはいうても、ウチの学校の生徒に関する報告書(=内申書)は基本的に各高校から信頼されているんでね、ウチの報告書に性格は二重丸、とついてたら間違いなくその子は二重丸。評価が5段階の5と付いてたら間違いなく勉強もできるというふうに、実際の生徒と書類との間にギャップがないという意味で信頼されてますしね、しかも全体にレベルが高いので、《おたくの中学からこれこれこういう生徒がほしい》という打診まで来るくらいですからね、ま、さなぎさんなら行けない学校はないです、必ずどっか行けます。超進学校なら別ですが」(by嶋先生)

とりあえずどこかには入れるってことね(苦笑)
それにしても「実際の生徒と書類との間にギャップ」なんてあったらイカンやないのさ。

「それよりねえ、こないだアンケートとりましたらねえ、高校行かんとバレエだけやる、とか書いてましたよ、どの程度本気なんですかねえ、どう指導したもんかねえと思ってるんですよ、こんなん書いた子は初めてですしねえ」(by嶋先生)

学校提出のアンケートにそんなこと書いとったんか、奴は……(笑)
どの程度バレエに打ち込んでいるか、ということを先生にお話しするが、嶋先生にとっても知らぬ世界のことだ、それで食べていけるほどに上達するためにどうしなくてはならないのかなんて、想像してはいただけまい。

「お前なあ、そんなんいうてて、あるときパツンってアキレス腱切ったりしたらおしまいやんけ、高校ぐらい行っとけ、ていいますわ」(by嶋先生)

ははは(苦笑)
喩えがリアルすぎて恐怖心持ってしまうかもしれないからそんなこといわないでください(笑)

やだなあ。真面目に考えて真面目に決めていかなくちゃいけないということなのである。
実はガラスのハート(高橋大輔じゃないけど)のさなぎちゃんに、自分で決めていけるかな? はあ、親は無力ねえ。

新学期!2010/04/05 18:20:40

白い花と濃い桃色の花が一本の木に混在している桜。今日取材先で道をほげほげ歩いていて見かけた。桜、と書いたけど自信はない。でも一本の木に二色咲いているのは間違いない。


今日から学校が始まった。
といっても春休み中ほとんど部活で学校へ行っていたウチのお嬢さん。ジャージ姿で行ってたのが制服に代わっただけである。

今日は教員の着任式と始業式。小学校時代から毎年経験していることとはいえ、新着任の先生方ってどんな人なのか、生徒ゴコロにはとっても気になるらしく、4月1日の地元紙に一斉掲載される教員異動の記事を穴が空くほど見ていた娘。去年新着任の先生が担任だったので、またそういうことになったらどうしよーと不安も混じり。

昼、いったん帰宅した娘が携帯を鳴らした。

「お母さん、嬉しいお知らせ!」
「なに?」
「担任の先生な、嶋先生!!」
「えっ! マジ? うそ、ラッキーやん。きゃっほーい家庭訪問が楽しみ!」

なんと、今年の担任は長年本校にお勤めのベテラン教諭、技術科担当の嶋先生だというではないか! 私は2年前から嶋先生の大ファンである!!!
と、そんなことを申し上げると私のことをよく知るレギュラーメンバー、準レギュラーメンバーのみなさんは、嶋先生がどんなイケメンかとお思いになるであろう。
残念でした。そっち方面ではないのだ。
でも、嶋先生が「ええおとこ」であるには違いない。
たぶん、私と同世代じゃないかと思う。部活顧問のカン爺先生も同世代なんだけど、で、カン爺先生もいい先生だけどちょっと違うのである。カン爺先生は陸上部指導歴が長いせいか、生徒用の顔と保護者用の顔を使い分けておられる。嶋先生はコンブ顧問だ。あ、コンブというのはコンピュータ部である。そのせいか、運動部顧問の教員とはなにかしら生徒に対するスタンスが違うような気がする。カン爺先生は生活指導担当でもあって、容赦ないのである。嶋先生はそれに比べると売れないお笑い芸人がぽつっとギャグかますような感じで注意するので(見たわけじゃないんだけど)、逆に生徒たちは襟を正すそうである(最近の子どもはわからんもんですな 笑)。
私の印象では、喋りかた、間の取りかた、「あ、いま笑いを取ろうとしているな」というトボケかた、などが妙に自分の感覚とフィットするというのか、話を聞いていてたいへん心地よく、楽しいのである。もっと若いお母さん方にとってはこの限りではないかもしれないが。

入学して最初に「部活動紹介」という保護者向けの集まりがあって、その司会進行をされたのが嶋先生だった。これがたいへんよろしかった。以来、嶋先生大好きモードのアタシ。その次は授業参観でたまたま技術科だった。パソコンのお絵描きソフトでを使いなにやらつくる授業で、授業というより、PC室で生徒がめいめい勝手に作業するのを巡回して指導するというスタイルだった。先生がどんなふうにどんな言葉を生徒にかけているかを必死で耳で追いかけていたアタシ。娘が画面でつくっていた絵はほとんど見ずだった(笑)。嶋先生を評価するにはあまりにも材料不足なんだけど、それでも、以上たった二回の逢瀬で、本校一等賞は嶋先生で決まり、だったのである。

中学生のお子さんをお持ちのかたでなければ、いま中学生が技術科でどんなことを学習しているかご存じないであろう。あるいは、殿方は、ご自分が中学生の時に学習していたことと一緒だとおっしゃるのだろうか。俺たちのときのほうがもっと難しかったよ、とおっしゃるのだろうか。
私は娘が図面を引いたり、電気モーターの部位名や大工用語を暗記したり、本箱を作ったり、ラジオを作ったりして持ち帰るのを見て仰天した。

「さなぎ、技術科の勉強はいいから数学とか英語、もう一回復習しなさいよ」
「数学とか英語とか、やっても無駄やもん」
「それ、難しすぎるやん。いま覚えんでもいいって、その技術科のワークブック」
「もう覚えたもん。今は見直ししてんの。自信あるもん、技術」

その言葉どおり、娘は技術科が大得意である。お母さん、技術が0点でもおこらへんよ、といっているにもかかわらず、技術はほぼ満点に近い点を毎回獲得している。それもこれも、嶋先生の授業が好きだからである。どうして嶋先生は技術科の先生なのよ、どうして数学担当じゃないのよまったくもう、と思うほど、いい先生である。
もちろん生徒たちにも人気である。
長年、本校に在任なので、異動かもしれないなと、じつは母娘で気にかけていた。残られることがわかってよかったあ~と胸をなでおろした年度末。でも、まさか受け持っていただけるとは思っていなかった。

そりゃ、担任になったらまた印象変わるかもしれないけど。
今年は中三だし、大事な年なんだけど。
大事な年だけに。
こいつは春から縁起がええわい!
わーいわーいわーい!!!

しつこいようですがありがとうございます2010/03/04 12:39:37

日曜日に新聞に書評が載ったと大騒ぎしていたのだが、その二日後にはウエブにアップされた。

http://book.asahi.com/review/TKY201003020167.html

(リンクが効かないみたいなので、asahi.comから◎エンタメ⇒BOOK⇒書評と進んでくださいませ)

これで、掲載誌を購読しているしていないにかかわらず書評をお読みいただける。便利な世の中になったもんである。
ただ、同じ内容にもかかわらず、新聞紙上で読むほうが読みやすく、感動も大きく、評者の言わんとしていることがよくわかると思えるのはなぜだろう。今回の場合、私は当事者でもあるし、先に新聞のほうを読んだし、という事情がかなりモノをいっているのは事実であるが。でもやっぱり、新聞は新聞で読むほうが好きである。私は日本の新聞屋さんのサイトには全然行かない。

まあいいや。

気のせいか、アマゾンさんでのランキングも急上昇しているのである。
最近みんな簡単に本を買うし、読んだら売るし。売れてる本は中古市場もすごい。そんなんだと新品での売上の数字をどの程度評価していいのかわからなくなっちゃわないか? 
まあいいや。一度でも手にとって目を通してくださったみなさまがたに心から御礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございます。

発行元の担当者さんから、仲介者さんを経由して「購入した方の感想」なるものが送られてきた。
ダリの好きなかたって、けっこういる。 これこれこういう本を訳してんのよ、と話をすると、へえーいいな、私ダリ好きなんだーという答えが多くてびっくりした。
ダリを好きな皆さんはこれ、ご存じだろうか?



アメリカ製の、何年か前のショートフィルムの、これは予告編なんだけど。
訳出作業中はとにかくやたら調査しまくるので、こんなものもひっかかったのであったが。

鍵が皿に落ちるシーンがあるので、製作者(か、脚本家)は拙訳『ダリ・私の50の秘伝』の原書『DALI 50 secrets magiques』の英語版『50 secrets magic craftsmanship』を参照したことが窺える。
でもでも。

演じてる俳優、ダリじゃないよー(泣)
ちがう、ちがうよー
違いすぎるよーーー

大先生の書評をいただきました2010/02/28 15:17:49

友人のがるちゃんが新聞をスキャンして送ってくれました。
なになに? なんだろーー?
と思ってよく見たら。
おーまいがっ
まいだりっ
なんとなんとなんと、朝日新聞さまさまが日曜書評欄にダリ本を載せてくださいましたっ
しかもしかもしかも! 評者はあのっあのっあのっ(力入りすぎ)!!!
横尾忠則大先生っ
きょえーはひーーごごごーーーっ
ありがとうござりまするありがとうござりまするありがとうござりまするっ
よかったなあ、よかったなあお前(とみたび本に呼びかける)
これでまたひとりでも読者が増えたら望外の喜び♪
がるちゃん、知らせてくれてあんがとねあんがとね(感謝感謝感謝)
はるえちゃんのように図書館にリクエストしてくださったみなさま、
raidaisukiさまはじめブログ等で触れてくださったみなさま、
本書をお買い上げくださったみなさま、
お読みくださったみなさま、
口コミしてくださったみなさま、
本当にありがとうございます。
これからも精進しますのでなにとぞよろしくお願いいたします。
さっ 朝日買いに行こっ