2007/01/23 18:53:38

「暖かくなったら、また来てくださいよ。運動場の桜が満開になって、それはきれいですから」
 冬に会ったときの彼の言葉に誘導されて、私は静花寮を再訪した。車を降りると、建物の向こう側から楽しそうに駆け回る声が聞こえてくる。受付でキム君に取り次いでもらうように頼むと、担当寮生の世話で手が離せないから中庭で待っててください、といわれた。廊下を抜けるとさまざまな花の香りが鼻につく。入念に手入れされた庭とは言い難いが、寮生たちが丹精こめて育てた鉢植えが所狭しと並ぶ。開寮時に植えられたらしいツツジや紫陽花も見える。
「一年中たいてい何か咲いていますね。絵を描こうというと、みな喜びいさんで花を描きますよ」
 前回訪れたときに応接間で見た、いくつかの花の絵を、私は思い出していた。中には、言われるまでそれが花だとはわからないものもあったけれど、どれもがエネルギーに満ちていた。満ちているというよりも、弾けている、溢れている、というべきか。ある種の力が素直にまっすぐ伸びているようにも、感じられたものだ。花の名前など、おそらく彼らにとっては意味をなさないのだろう。彼らが描いているのは花の命そのものだ、と思った。花の咲き誇るときの虫や鳥を呼ぶ妖艶な力といったものが、彼らには見えるのだ、きっと。

 中庭を過ぎると住居棟があり、その向こうが運動場だ。
 満開の桜の木々の下、体格のさまざまな子どもたちが、鬼ごっこをしているのか、みな全力で駆け回っている。歓声に時折奇声が混じる。陽光は彼らの顔いっぱいに注ぎ、その表情からは注がれた光が喜びに変換されてこぼれている。空にかざした彼らの手は、私たちには決して見えない宙を飛ぶ妖精をつかもうとしている。
「やーまったく、みんな元気すぎるってやつですねえ」
 いつのまにか私の横にキム君が立っていた。
「お待たせしてすみませんでした。ミツルが、あ、僕が担当してる子なんですが、そのミツルがちょっと具合悪くって」
「風邪でも?」
「ご機嫌斜めなんです。一度機嫌損ねると、どういうわけか長く続くのが常でして。彼の障害の傾向のひとつらしいのですが」
 ま、とりあえず眠ってくれましたから、とキム君は微笑んで、運動場を走っている子どもたちひとりひとりについて説明してくれた。赤いシャツの子は軽度なんですが幼児期からここにいます、母子家庭でね……茶色のズボンの男の子は、ああ見えて二十歳なんです、成長が止まってますけど、絵が好きで今年も桜を描いてます……。
 きむちゃーん、きむうー、とさまざまな声に、キム君はあっという間に取り囲まれた。私にはああ、ああ、わーわーなどとしか聞こえない彼らの言葉に、キム君はひとつひとつ返事をしている。違うだろ、そりゃ。えっすごいな。なに、待てよ、僕が鬼?

 障害者施設静花寮は昭和中期に創設され、以来家庭での保育が困難な知的障害者児童を受け入れその養育を担ってきた。児童は成人になり、障害の程度が軽度で作業ができる場合は就職するなどしてここを「卒業」していく。しかし何人かは年老いても寮生のままだ。肉体の老化にともなって、障害の種類によっては肢体不自由をも引き起こす。成人寮生の多くが車椅子の世話になり、流動食しか受けつけなくなっているという。
「ヒトシさんていう五十代の男性寮生がいるんですが、久しぶりに帰宅したときにお母さんのカレーを食べたんですって。寮じゃ流動食しか食べられないのに、家では食べたって、送ってこられたお母さんが泣いて話してくださってね」
 キム君は市南部のコリアンタウンに生まれた。早くに両親を失くしたが、「コリアンタウンの住民全員が僕の親みたいなもんですよ」と、あっけらかんと笑う。保育士の資格を取り、自治体職員に応募し採用された。配属先はどこでもよかったが、面接では「社会的弱者に寄り添いたい」と述べたという。在日の僕を雇うんだからこの町は将来性ありますよ、といたずらっぽい笑みを浮かべた。
「静花寮の子どもたちはいつも元気炸裂状態なんでね、職員もそのパワーをもらうせいか、むちゃ活力あります。僕は若手で、男で、背も高いってんでいちばん体力ありそうなんですが、先輩方にはまだまだかなわないです。子どもたちの、純真で濁りのないハートっていうんですか、そういうものに接していると、力がみなぎってきて、心底幸せになりますね」
「親御さんの事情もあるでしょうが、実際、見離されてしまっている子どももいるわけなんです。だけど、べつに親を恨んだりしてないですよね、その種の感情がない。そういう子も、定期的に面会に来る親を持つ子も、ただ目の前にいる僕たち職員を家族だと思って全身で甘えてくれます。彼らのいい兄貴でいたいし、大人の寮生たちには頼れる弟分でありたいですね」

 キム君は両手を子どもたちに引っ張られながら、あっちへこっちへ走り回り、ひとりずつ捕まえては抱き寄せる。ランチルームらしき場所から女性職員が顔を出し、おやつよ、と声をかけた。終わる気配のない鬼ごっこ。まったく何も聞いてないんだから、とその女性は苦笑した。満開の桜の木々の下、紛れもなく幸せな家族の姿がそこにあった。

コメント

_ mukamuka72002 ― 2007/01/24 09:46:41

 今コンクール用に書いている小説は七十年代後半の設定で在日の方々が
多く登場するんですが、当時のそれらを描写すると、とても暗い気持ちに
なって困っていました。ちょーこさんの書かれた現在の在日であるキム君
と、出会い元気をもらいました。寮生たちの描写からもです。
 昨日、とある差別発言を聞いてしまい怒りにまかせて書いた今日のブロ
グにコリアタウンとパク君がちらりと登場させたので一瞬、あ、となりま
した。ちょーこさんの方が先でしたが。

_ トーサ・ヴァッキーノ ― 2007/01/24 10:41:49

mukamukaさんのブログにもコリアンタウンが出てましたけど、チャイナタウンみないな街なんですか?
キムチ屋さんがたくさんありそうな商店街を勝手にイメージしてしまいました。
とか言いつつ、我々も文章塾タウンにひっそりと住んでいるんですけど。。。

_ ちょーこ ― 2007/01/24 11:44:47

mukaさん
小説、頑張ってくださいね。内なる自分に打ち克て!いつも元気溌剌とはいかないもんです。たぶんキム君もそうだと思う。

ヴァッキーさん
コリアンタウン、なんて別に看板上がってる訳じゃありません、私の地元の場合(実をいうとよく知らないのですが……遠いし)。昔々から、朝鮮半島から来た人たちが寄り添い助け合いながら暮らし、住みついている町。結果的に焼肉屋さんが多い、ということはあるけれど。大阪だと商店街化しているのかしら?

_ トゥーサ・ヴァッキーノ ― 2007/01/24 12:30:41

あ、そうなんですか。
しかし、外国で生きるって大変ですよね。きっと。
まぁ、いろんな事情で移り住むんでしょうけど、遊びで外国語覚えるんじゃなくて、生きるために取り入れるわけですよね。
外国の人が日本で介護士の資格とるのは難しくて、不合格だと帰国!みたいなことになるそうですけど、それをボクだったらどうだろうと考えたら、不安で心臓がドキドキしてきました。

_ mukamuka72002 ― 2007/01/24 14:47:38

ヴァッキーノ君、解説しよう。
コリアタウンで一番有名なのは、大阪市生野区にある。
環状線JR鶴橋駅を下車するといきなり焼肉の匂いがする。
焼き肉屋さんだらけだ、中でも「鶴一」は名店で、とにかく安くて大量に肉が食える。
だがそこはまだコリアタウンではない、十分ほど歩いたところにある一見普通の商店街がそうである。
キムチ屋さんが立ち並んでいる間に珍しい朝鮮半島の民芸店や、激安ばったもんの店がある。関西で何泊かする場合は是非遊びに行く事をおすすめする。まったく気取らない町なのだ。以上。
http://www.ikuno-koreatown.com/

_ トゥーサ・ヴァッキーノ ― 2007/01/24 15:01:23

イテテテ…
mukamukaさん
ボクが温めてあげたおかげで、生き返りましたね。
イテテテ…
はは~ん、そういうタウンなんですかぁ。
キムチ食べたくなってきたぁ。
イテテテ…

_ マロ ― 2007/02/05 23:29:54

来ました、来ました。やっと来ました。
これが、噂の長いバージョンだったのですね。なるほど。
こっちの方がよく書けてるというのは、分かる。
やっぱり、文章は細かい描写と会話ですね。それがあると、雰囲気がよく伝わります。
花の絵の段落が、僕にはとっても印象深かった。

塾の方では、エラソーなことをいってごめんなさい。
障害者と在日というキーワードが、ちょっと押しつけがましく思えたもので。
こちらの長い文章で読むと、とっても自然で、そんな印象はありません。
長く書くより、短く書く方が難しい場合もありますね。

_ ちょーこ ― 2007/02/06 10:01:49

マロさん、いらっしゃいませ~来ていただいて光栄です。
短く書くほうが難しいです。塾には長編作家を目指す人がいらっしゃると思うけれども、短いものをしっかり書くというハードルを越えておかないと、長いもの書くときにほころびがでる、というのが持論なんです。でも私は全然長いものを書いていないので、人の書いた長いものを検証する資格はないんですが。
でも書くって楽しいですよね、仕事以外だと♪

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