また給湯器壊れまして(笑)対応は丁寧だけど話の通じない大阪ガス ― 2010/02/02 12:17:02
娘も私も帰宅して、お風呂沸かそうと給湯器リモコンを操作したら、エラーがでて作動しないの。お湯が出なくなるんです。困るじゃないの。
お風呂に入れないだけならいいんだけど、とくに暖房を床暖房に依存している母の寝室は、彼女が就寝する時間帯に合わせてセットしているのにそれが機能しないとまるで氷の部屋のようなのである。暖房きかへん、とわかってから、ハロゲンとか、なんとかっていう熱風おこすやつとか慌てて作動させても、追いつかないのである、もう寒すぎて。
ついこないだと同じように大阪ガスフリーダイヤルに電話して、エラー番号の意味を聞く。
でも電話に出た奴は「知らない」のか、それともこっちが素人だから説明しても理解できないと思って「取り合わない」のか知らないけど、お茶を濁す感じでちゃんと説明しないのである。機器を点検しないとわからないの一点張りである。そりゃそうだろうけど、だいたいどういう異常なのかを告知するためのエラー番号表示じゃないの? 細かく番号分けしてあんのはそのためじゃないの? もおおおお。
夜のうちに来てもらうか翌日回しにするかの判断をこっちに委ねるなら説明しろよっ
……とは言わないが(笑)、もう少し詳しく教えていただかないとどうすべきか判断できませんよ、どの程度待てばいいのかも教えてくださいというと、わかりました申し訳ありません(←二言目にはこの台詞をはく)、確認して折り返しお電話いたします、と言った。
私たちの世界では「折り返しTEL」というと、長くてもせいぜい5~10分後のことざんす。
20分も30分も後になる場合は、「のちほど」とか「●分後に」などなどあらかじめそう伝えるのである。
しかし大阪ガスはこの電話のあと1時間、電話をしてこなかったのである。もしかして、きみたち、アホ?
折り返し電話するって言った人、1時間以上電話して来ませんけど? と再度フリーダイヤルにコールした私(この時点でかなり若者をいじめたいモードに入っている。笑)。とうぜんさっきの兄さんとは違う兄さんが出てきた。同じように住所と名前と電話番号を告げて、ついでにさっきも言ったイヤミ「ついこないだ壊れて直してもろたとこやのに、よう壊れるわあ、おたくの給湯器」も忘れずに(笑)。
申し訳ありません、手配のめどが立ちましたらお電話いたします。
いつ頃電話くれるの? 何分くらいかゆーてくれる?
はいっ5分、10分後には必ずっ
今度はちゃんとかかってきました。えらいえらい。
前の時と同じように、当直のメンテ屋さんが町中修理にまわっているようである。こないだと同じメンテ会社の、違う人が電話してきて、すみませーん、今伏見で作業終わったとこなんでこれから向かいます~
今度の兄さんもたいへんてきぱきと点検してくれ、説明も明快であった。このメンテ会社の人、みんな優秀だなあ。
よく見てもらうと、とくに故障箇所はない。エラーメッセージの意味するところの症状が機械に出ていないのである。ということは、もっと深刻な事態か、または機械のアタマが勘違いした(オイオイ)。
というのも、メンテ兄さんが帰り支度を始めた頃にエラーメッセージは消えて、給湯器は作動するようになったからである。
彼によると、ウチの給湯器は「もうかなり古い」。イマドキの機械は10年もてばOK、15年もてば奇跡。10年目を迎える前にいろいろと支障が出てくる。10年過ぎたらそれは日常的になる。
ウチのは12年目。
前の給湯器が25年もっていたのは、現代のものよりもずっとシンプルだっただけである。
今のは複雑なつくりで多機能な分、寿命が短いのである。賢すぎるのも問題だ。
でもさ、ハイそうですかって取り替えられませんよ。ねえ。
こまったもんだあ。
とりあえず、さっき述べた「深刻な事態」かどうかを調べに、我が家の担当メンテ会社が今日、来る。ここが頼りないからねえー(ため息)
こまったもんだあ。
800? ― 2010/02/04 19:27:58
川島誠著
角川文庫(2002年)
対照的な二人の高校生が陸上競技の800mという種目で競う青春小説。
……とかなんとか、たぶんそのような紹介のされ方をしていたのをどこかで見たのであろう。陸上競技の800m走の選手で来年度は中3になるので全国大会出場目指して勝負に出る(笑)我が家のお嬢さんがこの『800』という小説を読みたい読みたいとずっとうるさかったのである。
「読んだらええやん」
「学校の図書館にないねん」
「ふうん」
「ふうん、じゃなくて。今度お母さんいつ図書館行くの」
「行かない」
「行ってよ」
「リクエストしてる本が来たよって電話があったら行くけど。お母さん忙しいもん。自分で行きなさいよ」
「むう~。さなぎも時間ないもん」
彼女に時間がないというのは本当で、土日朝から晩まで走るか踊るかしていて食べる時間と寝る時間の確保だけでひいひいゆっている。
私がリクエストしてる本というのは、例のダリ本(笑)だったり、3000円も4000円もするみすず書房の本だったりするので、おそらく新規購入の手続きになるので時間がかかると思われた。ま、可愛い娘の頼みだから用事がなくても図書館に行って『800』とやらを探そうか、と一度は思ったのだが、そうするうちに「ご予約の本が届きました」という図書館からの電話が入ったのであった。念のため『800』が行きつけの図書館の書架にあるかどうかを検索したら、ない。市内の、ウチからいちばん遠い公立図書館にある。なんだ、また取り寄せリクエストをしなくちゃならない。でも、あることがわかっているからすぐに到着するだろう、しかもこんなの誰も読んでいないに違いないから貸し出し中でもないはずだと思って、先に予約した本(ダリ本でした~♪)を取りにいくついでに予約した。
すると3日後だったか4日後だったかに「ご予約の本が届きました」と電話。たぶん『800』だろうと思って取りにいくと、はたして『800』だった。カウンターにダリ本を返し(だって読む必要ないし、あたし。市立図書館さんゴメンね)、取り替えるようにして借りた『800』をその場でぱらぱらと開いてみる。
書き出しの数行は、まあええ感じである。
しかし、2ページ目、3ページ目と進むにしたがって、んーこれはさなぎが期待している内容とはたぶん違うぞ、ということが早くも判明してしまう。
佐藤さんの『一瞬の風になれ』、あれも私はあまり好きではないのだが(言葉遣いが好みでない)、何というか、陸上競技に関する記述、スポーツを直接描いたシーンというものがもっともっと多かったと記憶している。練習メニューのこと、記録会のこと、合宿のこと、重要な試合のこと。
『800』にもそれらは出てくるが、はっきり申し上げて圧倒的に少なくて、800m走という競技の魅力が伝わってこない。800mはトラック2周、だから「Two lap runners」という副題がついている。トラックを何周も走る1500や3000とは違い、また直線部分のみや半周だけする100や200でもない、800という競技の面白さを描きたい……とは思えないのだ。走るシーンが少なすぎる。「800」は単なるネタ、100や長距離だとありきたりだから800を採用しただけなのかと思えて仕方がない。
そんなふうに思えたのは、たぶん私が800に打ち込む中学生の親だからだろう。
あらためてこの作品についての評価をオンライン書店の書き込みや個人ブログなどを検索してみると、すべからく好意的で、絶賛されていたりする。だが、面白いという読者はたいていが800mという競技を知らない。面白くないという評価する読者は陸上競技の経験者だったり、愛好者だったり、実際800mに取り組んだことのある人だったり。
たしかに知らない世界については想像が膨らむし、その一方、事実関係については無頓着でいられるものね。
本書を借りたのは1月最後の土曜日で、この日は早朝から、ウチのお嬢さんは選抜合宿に出かけてしまった。翌日夕方まで帰ってこないので、鬼の居ぬ間の大掃除をしようと思っていた(だって去年は全然掃除できなかったのよ)のだが、決意をすぐ翻意する私は(笑)掃除は適当に手抜きすることにして合間に本書を読みきってしまった。
帰宅した娘はさっそく『800』を手にする。
「それ、もうお母さん全部読んだよ」
「面白かった?」
「ううん」
「やっぱり。そういうと思った。お母さんが面白ないっていうてもさなぎには面白いかもしれんで」
「うん、面白いかも。でもなー」
「でも、何?」
「〈親指探し〉みたいにわかりやすいことないで」
「全然ジャンルが違うやんか」
「それに、あんまり陸上のこと書いてへん」
「ええーっそれ意味ないやん」
「高校生の青春小説模擬恋愛付き、という感じ」
「なーんや」
かなりがっかりした様子ながら、それでもすすすすっと読み進む娘。
「ハイペースで読んでますね」
「うん。だって、陸上に関係ないと思ったら飛ばしてるし」
ははは(苦笑)。そうですか。
たしかに、中高生の性体験シーンばっかり出てくるから、まだまだそっちには関心が向かないさなぎにはリアリティがなさ過ぎるであろう。
この小説には主人公が二人いて、この二人の一人称によって物語は語られる。その語りかたが非常に対照的であるなどなかなか巧妙なつくりである。読み手に目の前で話しかけるような文体なのだが、二人の性格をよくにじませたものになっている。冒頭はその二人が出場する中学陸上の市大会のシーンだ。第1章で語り始めた、ちょっとチンピラな感じの少年は決勝で2位に入る。第2章で語り始めるまじめな陸上少年が1位。まずこのようにそれぞれが1位、2位を走って800mという競技を紹介したあと、第3章で、2着の少年が「オレの名前は中沢」と名乗り、第4章で「僕は広瀬」と1着の少年が名乗る。というふうに、彼ら二人は交互にナレーターとして登場する。それぞれの語りを通して、人物の性格、生活ぶり、環境などを読者は徐々に知ることになる。
江國香織の『きらきらひかる』が、たしか、こういう構成だったが、はからずも、文庫版には江國センセイの「絶賛解説」が巻末についている。先にそれを読んでしまうと本編を読む気しなくなるに決まっているので我慢し(笑)、小説を読んでから読みました。ハイ、これにはかなりげんなりしました。以上、蛇足。
中沢はテキ屋系ヤクザの次男で、家は殺風景な工業地域、中学卒業前から同級生と寝ていて、やがてその姉とも寝るようになるというような、ヤリまくりたいタイプの女好き。体が大きくて中学時代はバスケットボール選手。かたや広瀬は海が見えるハイソな(たぶん)街に住む。中高一貫校で正しく陸上競技に打ち込み、800mという競技以外には何も興味を持とうとせず、その語り口から頭脳明晰で冷静な理論派であることが窺える。
その二人が高校生になり、強化合宿で出会う。もしも競技を描くことに主眼を置いた小説なら、彼らにもっとライバル意識をもたせて、練習に励みしのぎを削るシーンを増やすのが王道なのだろう。しかし著者はそうせずに、それぞれのガールフレンドとの性行為の描写だとか、強化合宿で出会ったなかなかイカス女子ハードル選手との絡みや嫉妬の感情などに行を割く。おませな広瀬の妹に重要な位置を占めさせたり、さらには、「女の子に興味なし」然とした広瀬の意外な恋愛経験が明かされて、なかなかに手が込んでいて、それはそれで展開のしかたとしてはダメなわけではない。
単行本として発行されたのは1992年だそうで、その時期に日本でどの程度陸上競技がメジャーだったかもう思い出せないけど、いずれにしても、国内大会の中継や報道は、同じ陸上でも駅伝やマラソンとは扱いに雲泥の差があるのは今も昔も同じだ。これを原作に映画まで製作された(1994年)らしいが、私はまったく記憶にない。ごめんなさい。本書や映画をきっかけに800mという競技に少しは光が当たったかどうか、それが云々されたかどうかということすらも、ぜんぜん聞かなかった。
《ぼくは八〇〇メートルという距離を走ることが気に入っている。
それは、不思議な長さだ。
(中略)五〇〇〇メートルなら、ともかく持久力。中高生にとって、やっぱり五キロを速く走るっていうのは、スタミナが勝負。
その点、八〇〇メートルは違う。短距離並みのスピードで、四〇〇メートル・トラックを二周(TWO LAPS)する。しかも、コースはひとりひとり分かれてなくてオープンだから、駆け引きがある。勝とうと思ったら、かなりの速さで走りながら、緩急をつけなきゃならない。
八〇〇っていう長さを決めた人は天才だって、時々ぼくは感じる。》
《中距離っていったけど、アメリカでは八〇〇までをDASHと呼んで、それ以上をRUNと区別している。つまり、八〇〇までは短距離の扱い。八〇〇メートルを走ることが、どんなに楽しくて苦しくて特別なことなのか、少しはわかってもらえるかな?》
――という、広瀬の語るくだりがある。このほかにも、いくつかの箇所で、800特有のレース展開の仕方などが書かれないわけではないが、「この競技への理解が進んで関心の高まることを期待する」という観点に立ったときに、あまりにも物足りなく、情報不足である。ま、たぶん、著者の目的はそれではなかったのだ。彼はただ、800を題材のひとつにしただけなのだ。
陸上部でなかったら、あるいは中途半端な期待や予備知識なしに読めば、中高生には面白いのであろう。おそらく思春期御用達のワクドキストーリーとしてこれからも支持され続けるであろう。
で、ウチのお嬢さんだが、ときどき「へえ、ふうん」とつぶやきながら読んでいた。それは広瀬が練習メニューに取り入れている呼吸法だとか、800mではスタートが他の距離走とちょっと異なる点だとかを説明している箇所だったようである。女の子と「バコバコやってたわけよ」としか語らない中沢の章はほとんど飛ばしていたようだ(笑)。
期待はずれだったね。
800mという種目で活躍する日本人ランナーの登場を待つしかないさ。そんなことがあれば、上手な作家センセイたちが素晴しい青春800m走小説を書いてくれる。きっと。
んなわけで、とっとと『800』を手から離してしまったさなぎは、『ぎぶそん』という中学生バンドを主人公にした小説の単行本を新たに学校で借りてきた。これはまたこれで、遠そうな話である……。
※800字のお話だと思った方がいらしたら、失礼しました♪
エディタで書いてみた ― 2010/02/08 13:30:53
日曜日、ウチの子は駅伝大会でした(笑)。いい天気でしたが、ひどい悪路だったようで(笑)靴も靴下もジャージも全部ドロドロ。
空は澄み渡ってましたけどね。物干しから見たわが町です。

祖母が大事にしてた盆栽の松。
そろそろ祖母没後35年になりますが、松は元気。

ミニばら。盆栽ではありません(笑)。ちょっとぎん姐ふうに(笑)。

家や建物が壊れずにちゃんとあるって、ありがたいことですね。

世界はハイチを忘れてはいけない ― 2010/02/08 19:51:09

(2010年2月3日号)30ページ所収
Cover Story「史上最悪の人道危機 ハイチの悲劇」
(写真:チャールズ・オマニー)
ニューズウイークなんて、初めて手にしたよ。行きつけの図書館で雑誌「オレンジページ」を探していた(ホントです)のだが、どうやら置いていないみたいだ。銀行での待ち時間、備え付けの雑誌をめくって「おおおっこれはおいしそう」なんてレシピに出会ったと思ったとたん番号を呼ばれる。数知れずそんな目に遭うのだが、もう一度その雑誌を見ようと思っても別の人がしっかり読んでしまっていたり、手続きが済んだらとっとと雑誌のことを忘却してしまったりするので、ある日ふと台所であ、豚肉のおいしそうなレシピ、こないだどこで見たんだっけ? なんて脳内ヴィジュアル保管庫にライトを当てまくるのだが見つからない。そんなことを2秒間ほどやって我に返る。ないものを探してもしかたないから、諦めて手持ちの料理本や切り抜きを探したり、あるいは少ないレパートリーからついこないだやったのと同じ料理をま、いーかと繰り返す。思い出せないそれは、たいていオレンジページのいつかの号で、次に銀行にいった時にはとっくに店から撤去されている。銀行の斜め向かいに本屋があるので、いつぞやはその足で発売中のオレンジページを買ったこともあるが、そんな快挙は二回ほどだ。そもそもその手の雑誌に縁がないので、本屋に入った瞬間、別の本に気を取られ、当のオレンジページを忘却の彼方へ葬り去ったりする。そんなわけで、この時も私は万策尽きてなけなしの積み立てを解約して引き出す手続きをし、待つ間に読んだオレンジページを、今度は逃すまいと、奇跡のように持っていたペンと紙切れで号数をメモして、銀行を後にした。だがバッグに突っ込んだその紙切れの存在を思い出した頃にはその号はかなり古い号と化していたので本屋に行っても時すでに遅しで、図書館でバックナンバーを借りようと思いついたのだった。と、前置きが長くなったがオレンジページはまったく関係なく、雑誌の書架をぶらついていて目についたのが「ハイチ」の文字だった。書架から取り出すと、ニューズウイーク日本版だった。うわっ初めて触ったこんな雑誌。あたりまえだけど、縦書きのなのに、ものすごく英語臭い(笑)雑誌だ。
世界はハイチを忘れてはいけない。特集記事に写真を提供しているカメラマンがそう呟いている。今、先進諸国がわれ先に人道支援にいちばん熱心なのは自分たちだといわんばかりにハイチ合戦を繰り広げているけれど、そんなのを見ているとむしろ、たいへん乗り遅れた感のある日本の援助隊がとても謙虚かつ賢明に見えてくるので不思議なんだが(だいいちあんなところに一番乗りしたってクレオール語もフランス語もわからなきゃ被災民の声に耳を貸したって何もできやしないよね。体制整えて出発するがよろし)、それはともかく、とにかく、ずううっとこの国に対し知らん顔してきたくせに、いま世界は躍起になってこの国を救う振りをしている。振りであれなんであれ、実際に人命を救助しているのだから文句はつけまい。しかし、だ。しかし、現地で活動する人たちはとてもそれどころじゃないよっていうかもしれないけど、国家の再建という展望に立ったとき、本気でこの国の「再建」を力を貸そうという国が、人々が、どれほどあるだろうか? 瓦礫を取り除き、家を建て直し、道を作り直し、水道や電気を整備して、また暮らせるようにしてやればそれでいいと思っていないか?
《過去1世紀の間に、天災で同じように首都が壊滅的な打撃を受けたのは、東京だけだ。1923年の関東大震災は、人々がかまどで昼食を用意している時間に起きた。現在の東京都区部の大部分と横浜のほぼ全域が猛火にのみ込まれた。
その結果、10万人以上が死亡し、200万人が家を失った。(中略)歴史学者のジョン・ウィジントンによれば、「数日もすると、被災を免れた会社や店が商売を再開した」。
ハイチは違う。(中略)地震の前からハイチは破綻国家だったが、今は国家ですらない。
(中略)地震が起きるずっと前から、世界はハイチを諦めていた。》(32~33ページ)
本誌編集部執筆による記事は、だからハイチが本当に機能する国家として立ち直れるかどうか、ハイチが独立以来真の意味でもったことのない「首都」をもてるかもしれない、そのチャンスが到来しているのだと締めくくる。
たしかにそうかもしれない。一度シャッフルして配り直して最初から。トランプの七並べみたいに、一枚ずつ、ていねいに、並べ直してきれいにする。それさえ手伝ってやれば、後はカードの一枚一枚が自分の裁量で動き、考慮し判断して新たに道を切り開いていくのなら、それでいいのだ。
でも、ハイチにそれは望めないのである。世界中が無視していた、といったけれど、国家は無視していても人道支援機関はそれなりの活動を継続してきていた。もちろん今回多くの職員を失った国連も長期にわたってミッションを継続中だった。貧困に喘ぎ、衛生状態が悪く、医療もままならない国だからMSF(国境なき医師団)はじめ各国のNGOが詰めていた。だが当のハイチ人たちに「この国を何とかしよう」という気がまったくない。ハイチの公務員の半数は幽霊職員であり、賄賂なしで商売や就職が成り立つ例はない。いつかも書いたけど、上層部は無教養で金の亡者。稀に運良く教育を受けたハイチ人もいるけど国外在住。地震直後、フランスのニュース番組でハイチ出身のジャーナリストが悲痛な面持ちで「私もまったく家族と連絡が取れません」と、その時点でわかるだけの惨状をレポートしていた。とこのように、働けるハイチ人はみんな国の外なのだ。
おまけに、大量の孤児や、養育が不可能な親元を離れた子どもが、先進国に大量に養子縁組で引き取られていく。つい先頃も不法に子どもを連れ出そうとした米国人たちが捕まっていたが、合法か不法か、善意か悪意か、よりも(もちろんその点は大いに問題にすべきなんだけど根本的に)、ハイチの子どもたちをハイチから連れ出してよその国で何不自由なく生活させることが最良の方法なのか? 彼らは先進国で高等教育を受け、マナーと教養を身につけ、高い知性と明晰な頭脳で、あるいは芸術的才能で、あるいは身体能力で、で、どうするのだ? 成人を迎えたとき、たとえばフランスではフランス国籍取得の道が開けると予想される。この子たちはけっきょく、養子縁組で引き取られた国の国民として生きるのか、誇り高き共和国の一市民として? あるいは貧しき故国へ帰ってその再建と発展に力を尽くすのか? 後者の場合、そのような意識を持たせるにはそのように教育しなければならない。あなたは私たちの子どもとして暮らしているけれど、ほんとうは、故郷はハイチなのよ。地震で壊滅したハイチ、地震が起きる前から破綻していたハイチ。カリブ海のあの島が、あなたの生まれた国なのよ。
10歳以上の子どもなら、言わなくてもそうした意志をもちうるかもしれない。けれど、引き取られた子どもたちの多くは6歳未満だ。
私はとてもこれ以上子ども育てる力はないけれど、もしも万が一にもそんなふうにして子どもを引き取ったとしたら、その子の肌が黒かろうと赤かろうと、アナタは日本人なのよ、ほら、お箸とお椀のもちかたはこうよ、とかなんとか躍起になっちゃいそうである。荒城の月と浜辺の歌を懸命に教えそうである(笑)。親心とはそういうもんだ。でも、ハイチの子どもたちを引き取った皆さんはどうお考えなのだろうか。
ハイチを忘れないために例の歌をもう一回。
(ちょっと聞き飽きたけどね。笑)
世界は9月11日を忘れてはいけない ― 2010/02/14 14:48:27



「5」あるいは「50」 ― 2010/02/23 08:25:13

図書館に行こう! ― 2010/02/24 07:55:25

クアトロ・マオ、とか(笑) ― 2010/02/26 16:09:02

予定どおりの結果の女子フィギュアですけど、真央ちゃんトリプルアクセル成功してよかった! 去年の不調がなければたぶんトリプルアクセルを完璧にしたうえで演技全体の完成度を上げてヴァンクーヴァに臨む余裕があったと思うんだけど、これも巡り合わせだねえ、残念。ウチの娘は大の真央ちゃん贔屓。実は私は超・村主さんファンだったのですが、トリノが終わってからは下降の一途で、スポーツってのは厳しいですねえ。
それにしても今日のキムヨナちゃんはパーフェクトでしたね。トリノの荒川さんを髣髴させました。衣装も青くて、動きが滑らかでノーミスで。実をいうとスケーターとしてあまり好きじゃなかったんですね、なんとなく、表現のしどころを間違えてらっしゃるような印象をいつも持っていまして。
荒川さん(実はこの人の演技を観たのはトリノだけなんです。だからあまり知らないのですが)がここ一発で完璧な滑りを見せたときに、オリンピック照準ってこういうことねと感じたのと、同じものをヨナちゃんにも感じました。きっちりと五輪に合わせてくるというのは北米大陸の傾向ですからねー。
ところでトリプルアクセルのアクセルとは車のブレーキ・アクセルとは関係なくて(そんなん誰かて知っちょるわっ)、北欧の、フィンランドだっけノルウェーだっけのアクセルなんとかさん(なんて曖昧な情報だ。すんません)の技だったことからついた名称だそうですね。男子が盛んにやっている(やってない人もいるけど。笑)4回転はなんて呼ぶんだろ?
真央ちゃん、今回完璧に決めたトリプルアクセルにあと4分の1回転足して「トリプル・マオ」とか編み出したりしないかなー。
それとも、あと2分の1回転足して4回転目指す? それともいっそあと1回転足して4回転半にして「クアトロ・マオ」の完成を目指すかっ
女子では前人未踏の超高難度の技をやっとの思いでなしとげたばかりだというのに阿呆なことをつぶやくオバちゃんを許してね。
まだ19歳。挑戦し続けるんだ! フレーフレー真央ちゃん!
大先生の書評をいただきました ― 2010/02/28 15:17:49
まいだりっ
なんとなんとなんと、朝日新聞さまさまが日曜書評欄にダリ本を載せてくださいましたっ
しかもしかもしかも! 評者はあのっあのっあのっ(力入りすぎ)!!!
横尾忠則大先生っ
きょえーはひーーごごごーーーっ
ありがとうござりまするありがとうござりまするありがとうござりまするっ
よかったなあ、よかったなあお前(とみたび本に呼びかける)

がるちゃん、知らせてくれてあんがとねあんがとね(感謝感謝感謝)
はるえちゃんのように図書館にリクエストしてくださったみなさま、
raidaisukiさまはじめブログ等で触れてくださったみなさま、
本書をお買い上げくださったみなさま、
お読みくださったみなさま、
口コミしてくださったみなさま、
本当にありがとうございます。
これからも精進しますのでなにとぞよろしくお願いいたします。
さっ 朝日買いに行こっ