四角い言葉と丸い言葉 ――水俣(3) ― 2010/05/04 19:47:21

美しい自然はいっぱいあるんだけどいちいち「入場料」が要るってのが困るよね。
藤原書店『環』Vol.2(2000年夏号)
42ページ
〈特集〉『日本の自然と美』より
対談『魂と「日本」の美ーー水俣から学ぶ』
鶴見和子(社会学者)
石牟礼道子(作家)
季刊誌『環』のこの号が、私と「水俣病」との再会であった。
とうの昔に風化した過去の事件のように、この三字熟語が想起させるある種の事実の上澄みは頭の片隅にはあったけれど、「それ」が「何」なのかはもちろん知らなかったし、わかろうという意思も持ち合わせていなかった。私はべつに、どのような事件であれ被害者救済の会といった類いの活動に関心はなかったし、公害病の研究者でもなければ環境破壊防止や動物愛護を訴える(胡散臭い)活動家とも縁がない。ただ、水俣病にかんして言えば幼少の頃にやたらと耳について離れないほど報道が盛んにされていた記憶があって、もっとのちにチェルノブイリとか世界ではいろいろと起こるわけだけれども、そうした、大人になってから見聞した「許せないいろいろな事ども」 とは少し異なった色を帯びて私の中にあったのは確かだった。
42ページから63ページまで、この対談は、いささか冗長に続く。正直に申し上げるが、この対談記事、何をくっちゃべってらっしゃるのか、最初は全然わからなかったのである。なんといっても憧れの鶴見和子なので、私はなんとか理解したかったのだが、対談記事なので言葉は非常に平易なのだが、ふたりの口にのぼる話題の要素(エレメンツ)にかんする知識がない。(※この号に限らず『環』が自宅に届くたび、そして記事を読むたび同じ思いをするんだけど)
ふたりは水俣について語り合っている。
石牟礼道子はその当の土地の人間であり、水俣病を題材に小説を書いている作家である。対して鶴見和子はまったくの外様であり、「東京からの研究者」として同僚とともに水俣入りした経験をもつ。その際に石牟礼に会った。石牟礼は、現地の被害者、患者たちと鶴見ら研究者一団の仲介役をした。そのときから25年程度経って、当時の経験を振り返り、水俣の過去と現在と未来について、「日本の美」という観点から思いつくままをあーだわねこーだわねそうよそうよそうだったわよきっとそうなるわよ、と語り合っておられる。
この中で、鶴見が柳田國男から助言を得たというエピソードを明かしている。この助言がなかったら、自分は、水俣だろうとどこだろうと社会学者として訪ねる資格をもち得なかっただろうという重要なアドバイスだ。
《柳田先生がこう言われたの。「外国からいろんな学者が来ます。だけど日本には二つの違う種類の人間がいるんですよ。一つは四角い言葉を使う人種、もう一つは丸い言葉を使う人種がいるんです。外国の学者はみんな四角い言葉を使う人にだけ話を聞いて帰るから、日本のことはさっぱりわからない。だからあなたはほんとに日本社会のことが知りたいなら、丸い言葉を使う人の話をお聞きなさい」って。もう私はそばで聞いててびっくりしたの。》(50ページ)
正確には鶴見へのアドバイスではなく、鶴見が柳田のもとへ案内した外国人研究者に対して柳田が発した言葉であったのだが、鶴見には、このとき以前に生活言語にかんするフィールドワークを通して得たある見解があったので、柳田の言葉が文字どおり腑に落ちたのである。それを経て、水俣へ行った。水俣へ行くと、丸い言葉はさらに輪をいくつも重ねた二重丸三重丸の言葉となる。ここではいわば四角い言葉の側の人間である自分は、石牟礼道子という四角と丸のあいだを行き来するシャーマンがいなければ、水俣の人々のどんな言葉も理解し得なかったであろう。と、そのようなことをおっしゃっている。
私は、その二重丸三重丸の言葉ってどんな言葉なのかと素直に疑問に思い、素直に水俣という土地に興味を惹かれたのであった。
※私はもともと方言の姿というものに関心があって、フランスにいるときもいわゆるパリジャンのフランス語には興味がなく、滞在していた南の方言(オック語やプロヴァンサル)や訛り(アクサン・ミディ)を真似しながら、カタルーニャ語やイタリア語との類似性はいかに、みたいなことを論ずる授業を受けたりしていた。
対談記事の次には、水俣病患者のひとりで旧水俣病認定申請協会長を務められた緒方正人さんの講演録が掲載されている。こちらは、チッソが垂れ流し続けた水銀に身も心も故郷も引き裂かれた当事者として、同様に平易な言葉ながら、ひと言ひと言がやたらと心に突き刺さる。ただし、それでも、知識のない者にはピンと来ない。水俣病の被害はあまりに大きすぎ、傷はあまりに深すぎて、その傷痕からはまだまだ膿みが出て尽きることがないようなのだが、その厳しい現実が私たち門外漢にはわからない。だから、この特集(は、水俣の特集ではない。日本の自然と美の特集である。このあとに自然美としては沖縄も瀬戸内海も出てくるし、生活や芸事における日本の美しさも論じられているのである)を、鶴見×石牟礼対談と緒方氏講演録をどちらを先にどう読んでも水俣のことも丸い言葉のありようもわからない。べつに、わからなくってもよかったんだけど、わからないままにしておくのは何となくキモチ悪かったので、読破できる自信はなかったが、その昔気まぐれに古書店で(たぶん)買った石牟礼の『苦海浄土』を読み始めたのだった。
購入当時の私の頭はこういった書き物をまったく受けつけなかったのか、叙情あふれ不知火海への愛に満ちた石牟礼の筆致を理解するキャパがなかったのか、とにかく私はほとんど読めた記憶がなかったのだが、歳はとるものである。何十年も生きているということが役に立つってこういうときだよね、としみじみ思う。『苦海浄土』についてはまた今度。
嶋先生ご来訪!!! ― 2010/05/06 18:52:41
おーほほほほほほほ家庭訪問でしたのよぉ~~~
あの! 嶋先生が! 我が家の敷居をまたがれて我が家の椅子にお座りになって!
ウチが本日の予定のトリでしたので、通常20分くらいのところをなんと! 1時間近くもいてくださったのですわーいっぱいいっぱい嶋節炸裂でおしゃべりくださったのですわー
おーほほほほほほほアイラヴ嶋せんせーい♪♪♪
何の話をしたかというと、もう中学三年生なので当然ながら主に進路ネタである。
(それ以外の世間話もいっぱいしたけど)
わが市はここ数年、高校入試制度がコロコロ変わっているのでまったくもって困っているのである。ご近所の元受験生の親御さんたちの話も、先輩の事例も、まったく参考にならない。いえることは、年々内申書重視の傾向が強くなっていることだけである。通知票の数字だけでなく、どういうことが得手で不得手か、授業態度は、ノートの取りかたはどうか、1年・2年のときはどうで3年になってどうなったか、部活動は、委員会活動は、行事への取り組み態度はどの程度積極的か、えとせとらえとせとらえとせとら。
「とにかくその生徒の、目に見える結果や学力だけでなく潜在能力、どういう性格でどういう場面で自分らしさを発揮できるかとか、人格の完成度まで調べつくした挙句合否を決めるという感じですわ。かと思えば、何の取り得もなさげやったのに数学だけバリバリできる、いうのんが受かったり。そやから予想つきません。去年こういう子が合格したからお前いけるぞって背中押してアカンかったりね」(by嶋先生)
そういう宝くじみたいなあるいはギャンブルめいた高校入試にチャレンジさせるには、ウチのさなぎは塾にも行ってないし模擬テストや検定モドキも受けたことがないし、実戦のカンがまったく養われていないのでまったく心もとない。
「とはいうても、ウチの学校の生徒に関する報告書(=内申書)は基本的に各高校から信頼されているんでね、ウチの報告書に性格は二重丸、とついてたら間違いなくその子は二重丸。評価が5段階の5と付いてたら間違いなく勉強もできるというふうに、実際の生徒と書類との間にギャップがないという意味で信頼されてますしね、しかも全体にレベルが高いので、《おたくの中学からこれこれこういう生徒がほしい》という打診まで来るくらいですからね、ま、さなぎさんなら行けない学校はないです、必ずどっか行けます。超進学校なら別ですが」(by嶋先生)
とりあえずどこかには入れるってことね(苦笑)
それにしても「実際の生徒と書類との間にギャップ」なんてあったらイカンやないのさ。
「それよりねえ、こないだアンケートとりましたらねえ、高校行かんとバレエだけやる、とか書いてましたよ、どの程度本気なんですかねえ、どう指導したもんかねえと思ってるんですよ、こんなん書いた子は初めてですしねえ」(by嶋先生)
学校提出のアンケートにそんなこと書いとったんか、奴は……(笑)
どの程度バレエに打ち込んでいるか、ということを先生にお話しするが、嶋先生にとっても知らぬ世界のことだ、それで食べていけるほどに上達するためにどうしなくてはならないのかなんて、想像してはいただけまい。
「お前なあ、そんなんいうてて、あるときパツンってアキレス腱切ったりしたらおしまいやんけ、高校ぐらい行っとけ、ていいますわ」(by嶋先生)
ははは(苦笑)
喩えがリアルすぎて恐怖心持ってしまうかもしれないからそんなこといわないでください(笑)
やだなあ。真面目に考えて真面目に決めていかなくちゃいけないということなのである。
実はガラスのハート(高橋大輔じゃないけど)のさなぎちゃんに、自分で決めていけるかな? はあ、親は無力ねえ。
ハイチのアーティスト、Azorさん ― 2010/05/07 08:03:07
「普天間基地ってさ、実際どうなん?」 ― 2010/05/07 17:51:42
ごめんよー 母ちゃんはとんとわからへんねん。マジ。
でも、なんとなーくわかってることや知ってることからいうと……
米軍基地があの場所にあったからこそ生まれたものは多いと思うんだ。
アムロとかSPEEDとか(ってそういう話じゃないんだけどさ)
基地の危険度とか騒音のひどさとかは、宮古島にしか行ったことのない私にはぴんと来ないんだけど、想像するに、恐ろしいと思うよ。
伊良部島の空港で飛び立つ飛行機を間近で見たよね。
ああいうふうに、まさに頭の上ギリギリを軍用機がしょっちゅう往来する感じ。
伊良部のあの空港は住宅街から離れてたような記憶があるけど、普天間の基地は住宅街近くにあるそうなので、あの感じを住民が日常的に経験しているということなんだ。
やっぱ怖いし、うるさいだろうね。
そういうこともあるけど、何より沖縄の人たちが許し難いと思っているのが米兵の行動でしょ、たぶん。もちろん悪い人ばかりじゃないはずだけど、中には羽目外しすぎる兵隊さんもいる。過去に少女暴行事件があって、日本側でその米兵を裁けなかったから、沖縄県民の怒りが爆発した。
普天間基地の移設問題というのはこのときから論じられるようになったと思うけど、それにしても長いことかかってるって感じはするよね。
下記、ちょっと前のものだけど、いろいろ思い巡らしていて見つけたブログ。
http://ameblo.jp/oka-fko/entry-10420272917.html
*
娘の修学旅行先は沖縄だったのだが、そこで、地元の人たちから「誰もが基地に反対ってわけじゃないよ」という話を聞いたという。
娘なりに、新聞の報道があまりにも「県外移設の公約まずありき」「鳩山首相は嘘つき」みたいな論調になっていることに違和感を覚えたのだ。
安保条約が生きている以上、国内の米軍基地を無くすことは不可能だ。どこかが引き受けなければならない。どうせどこかが引き受けないといけないなら、今あるものを上手に使ってやり繰りするのがいちばん賢い方法のはず。新しく基地や滑走路を建設なんて(こっちが費用もつのにさ)非現実的なんだ、本当は。それでもその非現実的なネタをたまには振りかざさないと、誰もこの問題について考えない、というのが超楽観的国民・日本人の悲しいところだ(嬉しいところか?)
そして何より、日本は米国なしには存続できない。
私はアメリカ嫌いだが、米国に守られて日本が在るという事実は、悔しいけど、虫唾が走るほど嫌だけれど、受け容れないとしゃあないと思っている。子が親を選べないように。しゃあないやん、こういう星のもとに生まれたんやさかい。
世間はなんのかのと騒がしいけど、私は鳩山さん(と小沢さん。ついでに前原君)に頑張ってほしいと思っているので、この問題で「言った言わない」のレベルでいじめるのはやめようよ、といいたい。公約うんぬんというけど、過去50年以上自民党がやってきた数々の悪行三昧に比べたら幼稚園児の悪戯みたいなもんやん。公約守ることだけがすべて素晴しい結果につながるわけでもなかろうに。
米軍基地のない日本の国土実現にはあと100年くらいかかるだろう。100年後に日本が米国の傘を必要としない強い国になっている、という意味ではなく、世界の勢力図が変わって、日本から米軍基地は撤退、でもその代わり中国軍基地がびっしり、ということになっちゃってるかも。
それでもたぶん、日本人のメンタリティというのは大きくは変わっていないんじゃないかと思う。今と同じように、反対と言ったり必要と言ったり。
で、これこそが日本の強みだと思うんだけど、どう? いつも目の上のたんこぶを鬱陶しいと言いつつもそのたんこぶがなかったらいざというときの言い訳も申し開きもできないから、ぶつくさ言いながらたんこぶをたんこぶのままキープしておくほうが得策、そのたんこぶのオーナーが誰かなんて二の次よ、て感じ。
いいじゃないのさ、それで。
アゾールさん、ほか関連情報再掲 ― 2010/05/08 10:06:09
ここです。
でもって、ハイチのミュージシャン、アゾール(Azor)さんのライヴ情報は:ここです。
普段、あまり真面目に音楽というものを聴きません。いえ、いっぱい聴くんですが、何が鳴っていても、それがどういうジャンルの音楽で誰が鳴らしているのかということに、基本的に関心がないんですね。今も昔も好きなミュージシャンはいるけれども、新たに面白そうな音に出会っても、あまり入れ込まなくなっちゃった。そんなわけで、かつてアフリカ音楽にはノックアウトされたんだけれどもハイチ音楽についてはどうってことなかったもんですから、当然アゾールさんのことも知りませんでした。
でもって、こないだ久しぶりにRFI(ラジオフランスアンテルナショナル)のサイトをうろうろしてて、BELO君という若いミュージシャンのことを知りました。けっこう好きかも。
彼の音と声、ハイチの街、しばし味わってみてください。
いかがでした? 感想など聞かせてくださいましね。
(追記)アゾールさんのライヴ映像、見っけ。
めっさ、よろしいやんーー♪(目がハート)どおどおどお???
謙虚な気持ちでレッスンすることと、自覚と自信をもつこと ― 2010/05/10 18:38:40
ルーマ・ゴッデン著 渡辺南都子訳
偕成社(1996年)
本書と、同じ著者による『バレエダンサー』(上下)は、娘がバレエを習い始めた頃にバレエとは何たるかを知るために熟読したものである。これらの物語によってバレエの何たるかがすべてわかるわけではもちろんないが、とにかく、当時は、バレエに関するいちばんまともな本ってもしかして山岸涼子の『アラベスク』か有吉京子の『SWAN 白鳥』だけじゃないの、バレエに関するまともな文献なんてないじゃんかと思っていたので、ゴッデンのこの2作は、バレエについてその世界を垣間見るための絶好の参考書であったのだ。
少し知識がついてくると、ダンス関連の書物や雑誌がやたらあることに気づいていきなり目は開かれるのだけれど、パッと見、雲の上の存在のダンサーをただ眺めるだけの雑誌、または、ぶりぶりひらひらお嬢様御用達マガジン、にしか見えないような体裁だったりするのでなかなか手が出ず、読むべきところをピンポイントでしっかり読み込めばそれなりに参考になるのだということに気づくまで、相当時間を要したりするのであった。
ともかくそういう事情で読んだゴッデンの本書だが、プロダンサーの世界は誰もが望んで入れる場所ではない、ということを明快に語っているといっていい。それはたしかである。努力がものを(まったく言わないわけではないが)言う世界ではない。もって生まれた素質と才能が98%、親や周囲の審美眼と鑑識眼と投資が1%、本人の努力1%。あからさまにそう書かれているわけではないが、結局はそういうことねとわかるような物語になっている。ほんとうは、作家の狙いはダンサーを夢見る子どもたちを勇気づけることにあっただろうと思われるが、できるだけ現実味を帯びさせようと工夫した結果、読み手によっては逆に「ああ、私には手の届かないところなのね」と打ちひしがれてしまうこともあろうかと思われる。
そんなわけで、娘がバレエを習い始めた頃、姿勢がよくなればいいわ、ほどほどの頃合いで辞めさせなくちゃと思っていたのだが、だから他の習い事にも目を向けさせたりしたのだが、意に反してバレエがいちばん好きになりバレエ以外はすべて辞めてしまって、バレエがいっちゃん大事やねんウチは、と口にするようになってしまって現在に至る。
物語は、シャーロットという10歳の少女が英国王立バレエ学校に入ってジュニアの主役を射止め立派に踊りきるところまでが描かれている。
シャーロットの亡き母は優れたダンサーだった。今、母の姉である「おばちゃん」と一緒に暮らしている。生活は貧しく、昼となく夜となく、休む間もなく働きづめのおばちゃんを助けて、シャーロットは学校へ行きながら家事一切をこなす。そしてバレエ教室へも通う。
彼女が通うバレエ教室に、王立バレエ学校からオーディションの打診が来て受験することになり、猛レッスンの日々が始まる。
落ち込んだり、レッスン教師をクサらせたり、何かとたいへんだったが合格して入学、入寮するシャーロット。他の生徒から意地悪されたり、残してきた愛犬(この子犬の存在が話をややこしくしている)が心配だったりと、何かと話はさまざまな要素を絡めつけもつれさせて展開していく。が、高慢な同期生アイリーンが退学させられたくだりから、物語のゴールははっきり見える。すべてはこの上ないほどハッピーなエンディングへと収束する。
読み取るべきは、シャーロットが謙虚な性格に描かれていて、とても自分なんかダンサーの器じゃないと思っていたのがだんだんと選ばれた人間としての自覚と自信をもつようになる、その成長のさまであろう。容姿に恵まれ立居振舞にも華のあるアイリーンが、自惚れから基本レッスンを怠ったために上達が滞り、学校から退去させられるのと対照をなしている。謙虚な気持ちを失わず、自分の身体の声を聴くことに徹するシャーロットに女神が微笑む。このことは、死にもの狂いの練習とか、たゆまぬ努力、というものとは少し違う。いくらやってもダメなものはダメで、するべき人がするべき時にするべきことをした時にのみ、将来のプリマは誕生するのである。
原文のスタイルを尊重した翻訳文は、雰囲気を余すところなく伝えているようだが、若干読みづらさをともなう。たとえば、いま語られているのがレッスン場面だとすると、そこに前触れもなく、レッスン室にはいない第三者の過去の会話が挿入されたり、突然場面転換したりする。一般小説ならべつに普通の展開だろうが、児童書であるので、さらには翻訳文体であるので、もうちょっとだけ親切な編集ができていればと思う。主人公の年齢からしても、小学校中学年あたりからをターゲットにしたいところだろうが(実際英国ではそうなんだろうけれど)、翻訳ものを相当読み慣れていて、なおかつ小学校高学年以上、がせいぜいではないか。ちなみに、ウチの子は中学生になってから、返却期限を超過して読んでいたが、読み切れなくてギブアップ。いわく「どうでもいい話題が多すぎる」。いや、ルポルタージュじゃなくて小説だからこれでいいんだよ。でも、もう少しだけ日本の小説らしくなっていればなあ、と思わなくもなかった。
シャーロットのおばちゃんは、シャーロットの通うバレエ教室の主宰団体である劇場の衣装係として勤めており、そのためシャーロットはほとんどレッスン料を払わなくて済んでいる。彼女の母親がかつてその劇場を賑わしたダンサーであったことも関係している。そして王立学校への入学である。シャーロットは貧しいが、バレエに関してほとんど費用がかかっていないのである。反対に彼女の周囲は、膨大な費用をかけてレッスンを積み合格した子女たちばかりで、親が多国籍企業のトップだったり、国境を越えて入学していたり、帰省先はお城だったりする。謙虚で控えめなシャーロットの存在は、読み手によっては励ましになるだろうが、先述したとおり、やはり例外というか虚構というか、御伽噺に近いものだと思わせるのがちょっと悲しい。
ちなみにウチの子の場合、バレエのレッスンにかかる費用はいまのとこ年間で約60~70万円程度である。最初からそうだったわけではなくて、習い始めの頃はその半分ぐらいだった。3、4年前に跳ね上がって上昇中なのだが、これに、他の生徒さんのように臨時講習や教室外レッスンなどをこまめに受講したり、レッスン着やシューズ、ポワント(トウシューズ)をどんどん新調していくと、ぽんぽんと10万単位で積み上がっていく。だから60~70万円というのはこの世界ではけっして高くはなく、とてもリーズナブルに過ごせているはずである。しかし、なんといっても親は年収が250万円に満たないこの私ひとりである。何かにつけて私がぴいぴい弱音を吐くのも無理ないということをわかっていただけるであろうか。で、である。娘がさらにバレリーナの道を邁進するとなったらいったいこの私にどうしろというのか。
「さなぎちゃんは踊れる子です。お母さん、身体を大事にしてしっかりバシバシ働いてください」
「お母さんに苦労かけて悪いからもうバレエ辞めよう、と思うようでは見込みがありません。お母さんに苦労かけるけどそれでも私はやる、というある意味非情さをもたないと、あるいは誰が自分のためにどれだけ力を尽くしていようが知ーらない、というような無頓着さ、そういう人でなければこの道では大成しません」
中一の時にいただいた、バレエ教室の先生からのお言葉である。
はいはい、働いておりますですよ(苦笑)。
しかし、ウチの子は非情でも無頓着でもないから、大成せんということだ。
家庭訪問のあった日、進路ネタで嶋先生と話したことを娘に言うと彼女はけらけら笑ったあと真顔になって、
「女子プロ野球チームに入団、ていう手もあるやんな。ウチ、入れる自信あるで。知ってる? 年棒200万円やって。お母さんとええ勝負」
……。あのなあ。
コレハ ニンギャウノイヘ。イッタイ ドンナ ニンギャウガ スンデ ヰルノデセウ。 ― 2010/05/11 18:47:12

『武井武雄画噺2 おもちゃ箱』
武井武雄 絵・文
銀貨社(復刻版1998年)
偉大なる武井武雄大先生をご存じか。
私は恥ずかしながらつい近年までまったく知らなかったのである。
なぜ知ったかというと、武井武雄大先生は画家であると同時に造本作家でもあったのだが、蒐集家や美術館が所蔵している武井武雄作の豆絵本の数々が地元のとあるギャラリーで一挙展示される機会があり、武井武雄の名は知らずとも「豆本」「造本」というキーワードにビビビときて私はその展示会へダッシュした。はたして、そこに展開されていたのはめくるめく大正モダニズムの薫り濃く、昭和初期の罪なき少年少女が夢見た星の向こう側を見事に描きつつ、エスプリとアイロニーをピリリと効かせたタケちゃまワールド、ううう、もとい、武井武雄大先生様の世界であった。またこいつめ過剰称賛してからに、と思われるかもしれないが、ほんとに素晴しいのだ。当時の子どもたちのほうがきっときっと現代っ子の何百倍も幸せだったに違いない。そう確信できるほど、武井武雄大先生様の絵本は美しく幻想的で想像をかきたててくれるのである。その世界は文字どおりおもちゃ箱をひっくり返したようでありながら、ちゃらちゃらしてなくて、しっとり、じんわり、きめ細かく心に沁みてくる。
武井武雄のその造本作品は、今は長野県の「イルフ童画館」がほとんど所蔵していて、そこへ行かないとふつうは見ることができない。私が作品を見ることのできたギャラリーは、そのオーナーの先代が個人的に武井武雄と交流があり、いくつか作品を収集していたのを披露した、ついては各地の蒐集家や所蔵館にも一部を出展してもらったということであったようだ。昨今めっきり小ギャラリーへは足を向けなくなり、知り合いの作品展か、行きずりで覗いた個展やグループ展、でなければ子どもにせがまれて鳴り物入りの大きな美術展しか鑑賞しなくなっていたので、新聞の片隅の三行広告だけで行動するなんて珍しい出来事であったわけだが、ときどきこういうふうに運命の出会いというか、脳に稲妻が走るような衝撃の出会いが訪れる。やはり私は本づくりに生きていかなくちゃ、大先生には及ばないけれど、かつて大人も子どもも魅了したタケちゃまワールドのように、私なりの世界をつくらなくちゃ。世間知らずの美大生のようなナイーヴな呟きを中年の胸に繰り返したひとときであった。
そうはいっても、もう武井武雄大先生の絵本は、どこででもお目にかかれるものではないのである。本書は、図書館の児童書コーナーを、例によってぶらぶらほっつき歩いていて、泳いだ視線の先に、たまたま、あったのである。
本書『おもちゃ箱』は銀貨社からいくつか出ている復刻版のひとつ。
おもちゃ箱のなかのおもちゃの国で起こる不思議な(というか、だからなんやねん、的な)物語が4編収められている。オリジナルの『おもちゃ箱』はすべてカタカナ表記だが、復刻版では、著者本人の手書き文字以外は現代仮名遣いに改められている。
「ワラノヘイタイ ナマリノヘイタイ」
「キデコさんのはなし」
「キックリさんのはなし」
「クリスマストオモチャバコ」
この4編のお話の前に、おもちゃ箱の中の人物紹介というのがあって、「リクグンタイシャウ」(陸軍大将)に始まって、数ページにわたっておもちゃの絵と説明が連なる。オリジナルのデジタルアーカイヴがあるのでぜひご覧いただきたい。
http://kodomo4.kodomo.go.jp/web/ippangz/cgi-bin/GZFrame.pl?SID=107370
もともとは昭和2年に刊行されたそうである。当時はモダンでハイカラな絵本だった。
とにかく、人物(人形)の目が素敵。視線がたまらない。ああ、オネエサマ(笑)。身悶えしちゃうよ。
※疑問※「にんぎょう」は「ニンギャウ」、「たいしょう」は「タイシャウ」、なのになぜ、「すんでいるのでしょう」は「スンデヰルノデセウ」と表記するのかな? 誰かご存じ?
武井武雄は1894(明治27)年6月25日生まれ。長野県の平野村(現岡谷市、イルフ童画館のあるところ)出身。東京美術学校(現東京芸大)西洋画科を卒業。1921(大正10)年、生活のため『子供之友』や『日本幼年』などの子ども向けの雑誌に絵を描き始める。
やがて、子どものために絵を描くということは腰掛けや片手間ですることではなく、「男子一生の仕事にしても決して恥ずかしくない立派な仕事」であると思うようになったという。
『コドモノクニ』という絵雑誌が1922(大正11)年に創刊されると、その絵画部門の責任者として従事する。見開きいっぱいの美しいカラー刷りの絵に、西条八十や北原白秋の童謡や童話を掲載した『コドモノクニ』は、当時画期的な雑誌であったそうだ。
1925(大正14)年、初の個展「武井武雄童画展」を銀座で開催。『童画』という言葉は武井武雄がこの時初めて使ったという。
しかし、私は、武井武雄の絵を「童画」といってしまうのは惜しい気がする。それは大先生には不本意なことかもしれないが、大先生の絵は「童の画(わらべのえ)」を遥かに超越していると思うからだ。
その「わらべ」がミソである。おそらく「童」という字は、かつてはもっと意味が深く神聖で、この一字に人々が込める願いは天空よりも大きかったことであろう。現代ではこの文字は「幼児」と「児童」と「生徒」との区分けにしか用いられない。「児童手当」も「子ども手当」に変わっちゃったし(笑)。「童」も「童画」も「童話」も、もうノスタルジーを帯びてしまって現実味がないのかも。「童心」なんて、死語だもんね。
ああ、武井武雄大先生ーーー。
節約に王道はない。……んじゃないかな。はい、私はそう思いますけどぉ ― 2010/05/12 19:09:12
林望著
日本経済新聞出版社 日経プレミアシリーズ057(2009年)
というわけで(ってどういうわけさ 笑)、「節約」の「王道」である。
これ、衝動買いしてしまったよ。
白川静大先生へのオマージュ本を買うために入った書店で、ワゴンに積み上がっていたのに目がいってつい手に取ってしまった。先に白状してしまうと、失敗でした。
昨年10月に出た本だが、もうすでに11刷を重ねている。たいへんな売れ行きなのだな。林さんの知名度と、この不況下「節約」というテーマを選択したこと、あくまでも男性の視点で語ったことなどをあわせれば、そりゃ成功するよね。節約、といえば一般に家事を担い家計をやり繰りする女性の専売特許のように思われているところを、男性向けに書いたのだから、林さんと同じような世代の男性には受けるであろう。お金の使い道については誰もがそれなりの主義主張を持っているであろうから、林さんの意見に誰もが賛成ではないだろうけど、こういう本は、なるほどそれも一理あるねえ、と思わせるだけで十分である。
そう、まさにそうなのだ。
なるほどそれも一理ある。でもでも、やはり自分とは比べものにならぬほど裕福でらっしゃる林さんの「節約」は、ただ文字面だけを追っていては、「なるほどそれも一理あるわね」だけで、真意を読み誤る。
「家計簿はつけない」「小銭は募金箱へ」「一度に三着まとめ買いできる額で服を買う」「車は年収一か月分の価格のものを買う」「車両保険のつもりで貯金する」「お金に余裕があったら子どもに投資せよ」「高校・大学になってもアルバイトはさせるな」
車好きの林さんは「年収一か月分の価格」の中古のベンツを購入されたそうだ(笑)。そして車両保険はお金を捨てるようなものだから掛けない、車両保険を掛けたつもりで毎年10万円貯金するとおっしゃる。5年も経てばその貯金は50万円になり、ほんとうに事故ったときにはそのお金を使えばいいし、無事故なら「海外旅行にも行けるというものです」(笑)
林さんが主張するのは10円や100円をケチる「節約」ではない。まして1円5円など小銭は迷わずレジにある募金箱へ入れよとおっしゃる。金額の問題ではなくて、何より貴重なものは「時間」であると強調する。人生は一度きり、今過ごしているこの時間は二度と取り戻せない。だから、1000円のシャツを隣町なら980円で買えるからといって足を延ばす必要はない、その分の時間に、ほんとうにそのシャツは自分に合うのかどうかを自問するほうがいい。
お金を投じる目的を見失わず誤らないこと。貴重な時間と天秤にかけてみれば、それぞれのお金の使い方が見えてくる。たぶん、そうおっしゃっている。と、好意的に読むことにする。
私は27年前に普通免許を取得し、親にすぐ軽自動車を買ってもらって、以来あの「JAF」(ここは「仕分け」の対象にならないのか?)の会員である。「JAF MATE」はずっと手元に届く。数年前までの何年もの間、巻頭の特集ページは美しい日本の四季を映した写真の数々に林望さんが文章を添えたものだった。読み手のドライブ欲をそそる、非常によくできた特集が続いた。昔、零細出版社の雑誌をつくっていた頃、よくJAF MATEの巻頭特集のレイアウトを参考にしたものだった。
林さんの名前は、だからずいぶん前から知っていたが、私は彼のことをただのクルマエッセイストだと思っていた。車と旅行が好きで若干書けもするからここにレポートを寄せているのだろう、くらいに思っていた。というのも、文章自体にあまり感動した記憶はないからだ。当時の(今もだけど)JAF MATEの特集は、やはり写真がモノを言っていた。
しかしその後、林さんはリンボウ先生などとあだ名され、知らない間に著名人になっていて、聞けば国文学者で書誌研究家だという。先日、娘に受講させている通信添削の保護者向け会報誌に林さんのインタビューが載っていて、その誌面で知ったのだが、『源氏物語』の現代語訳を手がけていて、その第一巻が出版された。びっくりだ。そんな人だったのね。その保護者向け会報誌の記事の中身は当然子育て論だったが、とにかく多方面にわたっていろいろな著作があって本職は何なの状態の人なので、なおさら『源氏物語』とは驚いたのだった。その記事の中でも古典を読むことを熱心に勧めている。ただ、正直に言っちゃうと、林さんの源氏ってどうなん? と、ちょい疑心暗鬼だ。
本書はおそらくご本人の執筆ではなく、「語り下ろし」である。ライターが、聞き書きした内容をまとめ、それを校正して仕上げる方法だ。あとがきだけは執筆したと思われる。
躊躇せずに断言する文体は、読み手によっては気持ちがよいだろう。リンボウ先生の生き方哲学に心酔している人々(またはその予備軍)には必読書だ。でも、住む世界も金銭感覚も物質的趣味も異なる人々、たとえば私だが、にとっては、いささか高慢、「上から目線」を感じる文章でもある。
そういうふうに感じてしまったら、なかなか、林さんの意図や真意はどうあれ、語られていることの極意に触れられない。理解しないまま放り投げてしまうかもしれない。現に私も、とちゅうで「ケッ」とか「ちっ」とかいいつつ放り投げそうになったのだった。
最後まで読んで、そんなに悪くないんだとはたしかに思ったのだが、べつに、今後もずっとそばに置いといて何かにつけ紐解く、というような本でもない。
日々節約のテクニックに右往左往している私にとっては、この内容はあまりに精神論に過ぎる。いちいち、「言われなくてもわかってるわよ」といいたくなる。
書物というものにありがちなことだが、本書も、最初のページの古典の引用と、「直視せよ 後書きに代えて」という最終章を読めば事足りる。「節約」の「王道」を知ることはできないが、林さんの「真意」はわかる。
先生のアレルギー体質はハイレベル ― 2010/05/13 18:45:01
「嶋先生な、好き嫌い多いし、絶対給食のおかず、残さはるねん」
「アカンなあ。教育者にあるまじき振る舞い。でも、取り分けはったおかずはどうすんの」
「(食べたい生徒が)みんなでジャンケンして奪い合うねん」
「で、いつも勝ってるやろ」
「うん。ほぼ。そやし、給食時間充実してんねん」
「何が嫌いなん、嶋先生」
「エビ、カニ、魚……」
「給食のメインやん」
「ウチらがなあ、食べられへんで残してたりするやん、そしたらな、『お前、世界では3秒に1人、子どもが飢えのために死んでいってんねんぞ』っていわはんねん。毎回、必ず誰かにゆうたはる」
「でも、先生もやん、なあ」
「うん、それで言われた子が『先生も残したはるやないですか』っていうたらな、『お前、俺は食うたらショック死すんねんぞ』って」
「へえ? ショック死?」
「世界の子どもの飢餓の話と、自分のショック死の話はセットで毎回、あんねん」
「なんで、ショック死? エビ食べて?」
「なんか、アレルギーやって」
「ああ……甲殻類のアレルギーか。そら、やっかいやなあ」
「お医者さんに、この次食べたらショック死するかもしれませんって言われてからは絶対食べへんって決めたんやって」
「甲殻類とか蕎麦粉とかピーナッツとか、すごい極端なアレルギー反応起こして、死ぬことあるらしいしなあ」
「ほな、マジなんや、ショック死」
「そうかもな。で、魚は何がアカンの?」
「全部」
「なんで」
「骨が嫌やって」
「ただのわがままなオッサンやん」
「ウチが先生にもろた鯖とか秋刀魚の骨とってたら、ひえええって顔して『ひいいいいい、お前、信じがたいぞ、奇跡の行いやなそれ』とかいわはんねん」
「評価されてんのかな」
「たぶん」
家庭訪問の日、多方面からいろいろお話しになった嶋先生だが、「中3を受け持つのは嫌でねえ、生徒がみんな自分の背を追い越していくから、さなぎさんもまた背が伸びたみたいで、見下ろされてますわ」
たしかに嶋先生は小柄である。おまけに近頃体脂肪率が高くなってと嘆かれる。
「先生、そんなふうには見えはらへんですよ」
「隠れメタボなんですわ。ヤバイです」
「好き嫌い多いって聞いてますよ。バランスよく何でもお食べにならないと」
「でも僕はねえ、ショック死するんですよ」
「(笑)それもさなぎから聞いてます。アレルギー、きついんですか」
「なんかね、エビ食うたり、カニ食うたりするとぶつぶつ出てきたり、汗かいたりしてたんですわ。最初はなんでかわからんけどどうも食いもんらしいと思って医者に行って、アレルギーのテストしてもろたんです。そして結果出たら医者が声荒げて『絶対エビやらカニは食べたらアカン。この次食べたらショック死するかもしれませんからね』っていいよるんですよ。ひええっもう、怖いですやんそんなん。それから何があっても口にしてません」
「それはしかたないですねえ。でも、お魚も召し上がらへんとか」
「骨が嫌いなんですよ。骨を取るのが」
「(笑)けどそれはしょうがないですやん」
「なんで骨取ってまで食う必要あんねん、と思うんですわ」
「ウチの子は魚、好きですよ」
「きれいに骨始末して食べますねえ。感心してるんです。僕には真似できませんわ、ほんまに」
「すると、どうしても肉中心ですね。メタボにもなりますね」
「運命なんですわ」
その後、またしても給食の話題が出た。
昨年同じクラスだった問題児のポニー君と、縁あって再び同じクラスなのだが(笑)、ポニー君がどうしても食べられないおかずを残すといってきかないので例によって飢餓の話とショック死の話になったらしいが。
「でもな、ポニー君がしつこく、嫌や嫌やっていうから嶋先生、『お前、俺がショック死したらどうなると思う? 誰がこのクラス面倒見ると思てんの? 校長先生やぞ』って」
「え、そうなん?」
「他の教員はみんないくつも職務掛け持ちしてるし、空いてんの校長先生だけとかいうて」
「そんなことないやろ」
「ウン。そんなことないねん。ウチ言うてん。『先生、それはまず、副担任の竹下先生が代行でしょ』って」
「そしたら?」
「先生な、ウチ指差して『ハイレベル』って」
「なんやねんそれ」
「理屈で負けたり、笑いとんので自分より上行かれたら、しゅたっと指差して『ハイレベル』っていわはんのがマイブームやねん」
「(爆笑)褒めてもろたんやね」
「うん。『さなぎ。ポニーのおかず、食うたれ』って。そやし、よっしゃあ!やってん」
問題山積の世界だが、どうにかなるように回っていくさと思うのはこういうときであるのだった。
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