寒くなったかい?2010/11/08 23:59:24

寒くなった。なったけど、それは数日前に比べたら気温が下がったねというだけで、もう11月8日だというのに、コートどころか厚手のジャケットすら、日中は不要だ。ここ数年、寒季がどんどん短くなっている。今年の夏、しつこい暑さが続いたとき、この反動で今年の冬はとんでもない寒さになるだろうと訳知り顔で言っていた人がいたが、根拠があっての発言だったのだろうか。今のところ、今年の冬が去年あるいは例年に比べて特別に寒くなりそうな気配なんか全然ない。11月1日になったら、毎年母は嬉々としてガスストーブを納戸からひっぱり出してきたものだったが、ここ数年、11月1日あたりではまだまだ「ストーブ」に思いがいかない。衣服を一枚増やせばしのげてしまえるのである。そうだ、人間は着るもので体温調節するけれども、自然界の生き物はそういうことができないから私たちなんかよりずっと寒暖に敏感だ。おそらくは生き物自身の意思とは無関係に体(皮膚)が温度に反応して本能的な行動をとらせるのだろう。我が家の場合、今、ホントに寒いかどうかはウチのミドリを見ればわかるのである。ミドリは冬眠時期になると食べ物を追わなくなり、目が半開きのまま動かなくなる。気温があるレベルまで下がったら、水苔に潜り込んで眠る。ウチへ来たばかりの頃、11月の声を聞けば、水槽の中にミドリの姿を見つけることは突然容易でなくなる。ミドリは水苔か、水槽内のミニプランタの土を掘って、土をかぶって寝る。しかし、ここんとこ、本格的に冬眠態勢に入るのは12月中旬がやっとである。今日もミドリは黒い瞳を見開いてポトスの葉の上でおくつろぎ。寒くなったかい?と訊いてみた。うん、ともケロ、ともいわないが、寒いと感じている時は顔に出るし、冬が到来すれば寝る。こうして何年もウチにいるミドリ。金魚たちはみないなくなってしまったが、ミドリには何度も冬眠してほしい。しっかり冬眠しないと翌春を健やかに過ごせないのである。そのためにも冬は冬らしく正しく厳しく到来してほしいものである。あんまり今日暑かったので、そんなことを思った。

ほぼ日刊豆ご飯2010/11/09 23:59:06

先月、いや先々月だ。圧力鍋をオークションで買った。よく新聞折り込み広告の入る「アサなんとか軽金属」のなんとか鍋っていう圧力鍋が前から欲しかったんだけど、安く手に入れるにはべつに欲しくない鍋まで一緒にまとめ買いしなくちゃならない。で、その鍋がオークションでたたき売られてないかなあと探していたら、圧力鍋というのはけっこうオークションを賑わしている製品なのだということを知った。だからブランドで選んでも容量で選んでも値段で選んでもよりどりみどり、ひとつが落ちてもまた雨後のタケノコみたいにぼこぼこ出品される。自分には予算っつーもんがあるから、いつもけっきょく、自分の上限まで行っては高値をつけられて競り負ける……ということを繰り返して、飽きてしばらく諦めて、ということを何年も繰り返していた。もともと圧力鍋が欲しかった理由というのは、モンペリエの語学講座で私のクラスの教師であったジョルジェットが日本の私立大学に臨時教員として来たときに、手料理を振る舞ってくれたことがあったが、滞在先の家の台所で使った圧力鍋がトレビアーンに見えたからだった。その圧力鍋はジョルジェットのものではなくて滞在先の太田家の奥さんのものだったんだけど、ジョルジェットが圧力鍋でつくった鶏肉のトマト煮がまたトレビアーンなお味で、柔らかくて味がよくしみて、なんと圧力鍋というのはこんなにおいしい料理を短時間で作ってしまうものなのかっ……と大感動したことが始まりである。そうはいっても私が台所に立ち料理をするようになるのはそれから何年も何年も後のことになるのだが、太田家の圧力鍋は容量の大きなでかいバケツのような形をしていて、ステンレスが妖しく光って、美しかったという事実が脳裏に焼きついており、私は圧力鍋をけっして忘れることはなかったのである。しかし、昨今流行し、今ではすっかり定着した感のある炊飯器クッキングをマスターしてしまったので、圧力鍋の必要性をそうそう感じなくなっていたのも事実だ。とにかく炊飯器は凄いのである。とくに根菜の調理には威力を発揮する。もちろん葉ものと肉類を一緒に炊き合わせるのもトレビアーンである。モロッコ料理のタジン鍋がやたら流行っているけれど、あれを使うならあんたクスクス食べなさいよといいたくなるよね。炊飯器があればタジン鍋が売りにしている蒸し料理なんか朝飯前じゃん。というわけで、タジン鍋欲しいけど予算も収納場所もないから負け惜しみを言っているだけなのであった。それはともかく、最初はケーキづくりから始まった炊飯器利用だが、家族三人の朝食分ならおかずづくりにも過不足はないので、というより、五合炊きの炊飯器だと、汁物はあまり大量につくれない。それとやはりコンピュータ機器なので、壊れたら困る。なのであまりムチャをできない。未知への挑戦とかできないのだ。炊飯器壊れたらちょっと困る。しゅっと買えないし。と、そんなことを思っていて、豆料理が大好きな私は、娘が豆料理を好きでないことを理由にあまり豆を使っていない年月が続いていることに気がついたのだった。娘は枝豆フリークで、節分には豆を撒くより食べるほうに夢中だし、赤飯だって大好きだが、豆に関しては以上、なのだ。つまり今挙げた以外の豆は食べないのだ、たとえばポークビーンズという料理ではポークしか食べないし、ビーンズシチューとかだと汁しか飲まないし、ミネストローネに豆が入ってたらよけるというし、ひじき豆はひじきしかつつかないというし、煮豆があると他のおかずと交換するというし……あ、これらは給食での話であるが。しかし、豆は人間の健康的な食生活に必須の食品である。とくに彼女はいま減量中なので低カロリーで栄養価の高いものを食さねばならないのだ。なんとか工夫してヤツに豆を食べさせなければ。というわけで、自分で豆料理をなんとかするべえ、豆を効率的に料理するには、あんた、圧力鍋がトレビアーンなはずである。と、再び圧力鍋ゲット大作戦敢行! で3000円でルミナスとか言う全然知らない名前の圧力鍋、でかいのでなく、3.5リットルの片手鍋だが、ウチにはじゅうぶん。さてさて到着早々、取扱説明書と付属レシピとにらめっこすること数日間、シンプルに野菜を蒸すことから始めて、ちょっとずつ、ご飯炊いたり、シチューつくったりして、圧力鍋の扱いに慣れてきましたよーん。ようやっとちゃっちゃと段取りよく他の鍋での煮炊きと組み合わせながら使えるようになったわさ。てことで、これまたちょびっとずつ豆をシンプルに煮ていただくことを繰り返してとうとう先日インターネットの豆屋さんで何キロもいろんな種類の豆を買っちゃったーんんんえへへへへっ。今日は青大豆明日は白インゲンおとといはひよこ豆だったわね、というふうに、ほぼ毎朝違う色の豆ご飯をいただくヘルシーな日々である。娘が文句を言うどころかおいしいおいしいと苦手なはずの豆ご飯をぱくぱくお代わりするのがたいへん清々しいのである。ほくほくに煮てミキサーで潰してスープにしたり、それをペーストにしてドレッシングやソースに使ったりといろいろ手はあるし、やってもみたが、豆は豆の形をしているものでいただくのがきっといちばんおいしいよな。なんせ豆を煮るのに圧力鍋だとホント短時間ですむのが嬉しいことよのう。というわけでほぼ日刊豆ご飯新聞のコラムでしたー。おやすみ!

同窓会プラン進行中2010/11/10 20:16:55

幼なじみのあっちゃんがメールしてきて、小学校時代の同級生AちゃんBちゃんCちゃんDちゃんたちの現在の連絡先を知らないか、知らなくても実家に聞きに行けないかな、というので、生まれた家に住んでいる私は小学校時代の友達で引っ越していった本人たちのことなんか知らないが、そのご両親、昔からの私を知ってくれているおっちゃんおばちゃんたちとは今でも当然仲良しだから、何でも調べてやるぜえと返信した。とはいっても、自分の自由時間といったら真夜中しかないワタクシ、明るいうちになんとか訪ねたいと思っても、おっちゃんおばちゃんたちだって用事で留守にしていたりするし、ま、早い話がなかなかご両親にお目にかかれないのである。ようやっと、こないだDちゃんのお母さんに会えて、彼女の自宅の電話番号を聞きだせた。「いやあ、ちょーちゃん、ほんまに懐かしいわねえ」に始まって、「あれやわねえ、これやわねえ」とついいろいろなことが口をついて出てくる。近所に住んでいるのだから顔を合わせそうなものだがそれがなかなか、そうは行かない毎日であるからして、こないだばったり商店街で会ったのはもう何年も何年も前、ということになりがちだ。Dちゃんちはお店をやっているのでおっちゃんもおばちゃんもたいへん朗らかにおしゃべりをする方々である。かくして、これはひとつ恐れていたことなのであったが、おばちゃんの話が長い(苦笑)。終わらん。いやそのーDちゃんの電話番号もらったしアタシは仕事に戻りたいねんけど……。でもそんなそぶりを微塵も見せたくない私はよせばいいのに「そうそう、そやねんよ、そういうたらこんなことあってん」とつい話を発展させてしまう(笑)。で、この日はけっきょく昼飯にありつけなかったので、これでは捗らへんやん、と思って、ごくごく近所で、かつウチの母も顔なじみの人々の家には、母に伝書鳩役を頼んだ。お留守でもこの手紙(あっちゃんの連絡先を記してある)入れといて、と。幸い在宅されてれば、母もおしゃべりに花を咲かせられるし。地元の利ってこれやんな。さらにそれを生かし、知ってる? 娘の同級生や先輩後輩の親が元同級生だったりそのきょうだいであったりするケースがもんのすごく多いのよ、ウチらの地域。だからあっちゃんの連絡先書いた紙をまたいくつか作って娘に「これ、あんたの後輩のみっちゃんに渡して」「4組のマサに渡して」「クラスのサエキにさ、あんたのいとこのマキちゃんに渡してって頼んで」なんつって、小さな手紙をいくつもこしらえた。もちろん、封筒に入れて「みっちゃんのお父様へ」とか「まさくんのお母様へ」とか書いておく。そのお父様やお母様のきょうだいが同級生だったりするのだ。遠いようだけど、住んでる場所は近かったりする。サエキのいとこってのは地元にいるけど私立へ行ってしまってウチの子らとは交流がまるでない。だがその親は同級生だとわかっている。わかっているが、音信を交わしたことがなかったり……。依頼人のあっちゃんの許可を得て電話番号を配ってるわけだけど、まあねえ、こっちはよくてもあっちはまるで興味ない場合もある。同窓会開催の企画趣旨、同窓会名簿2011年版を作成する趣旨を理解して、全員があっちゃんに自ら連絡するかどうかは「?」である。しかし、思うのだが、あたしたちもう50歳にあと数歩なのだ。近頃、何でも許せる気になっている自分に呆れることがあるあるんだけど、これって年の功ってやつだろうか。20代や30代のときは、同窓会なんて話を耳にするとはっきり言って鬱陶しかった。会ってどうすんのよ。私はつねに根拠もなくエラそうにして生きてきたから、20代の頃は同窓生なんかに会う時間ないわよもったいないわよあいつらに費やすなんて時間もお金もなんて思っていた。30代になると実際問題として時間の捻出が難しかった。子どもが小さくて精神的に余裕がなかったこともあった。が、本音を言えば美しいきらきらの宝石のようなわが娘を、ほらようくご覧よあんたんちのガキんちょとは違うでしょといわんばかりに見せびらかしたかったのに行けなくて悔しいわ、てな感じでもあった。強がって生きているのは生まれてからずっと同じだが、振り返れば30代の私はいちばん強がっていて、そのくせ、「この子の親である」ということ以外には何も確実なものを持っていなかった。前が見えなくて手探りだった。「この子の親である」ということ以外に何が必要なのよ、それだけで十分よと思えるようになるまでずいぶんかかったもんだ。あたしって、何者? そんな自問を繰り返す身には、社会的地位を得ていたり、小さい規模ながら成功を収めていたり、幸せな日々を過ごして満ち足りた表情をしている昔なじみに会うのは、辛い。気持ちの置き場所を見つけられないまま、同窓会のお知らせなんか受け取っても、そのために何が何でも時間やりくりして行くぞというふうには盛り上がれない。ああ、しかし、私は若かったのだな、けっきょく。そんな日々も今は昔。今は誰と会ってもどんな話になっても笑い飛ばせるし、なにも隠さず自身の物語も披露できると思う。20代のときよりも、30代のときよりも、今がいちばんお金も時間もないんだけど、もし同窓会が無事実現するなら万障繰り合わせて絶対行きたいな。去年の今頃、道でばったりタツヤに会った。「おちょーさん?」「え?」「おちょーさんでしょ」「はあ」「おれおれ。佐々木」「あーっタツヤ!」「この辺に住んでんの?」「うん、生まれた家にいる。タツヤ変わらへんなあ」「そのわりにわからんかったやん」「どこ行くの?」「パチンコ」「マジ?」「ああ」「不良中年」「ちゃうって。唯一の癒しやんけ」「かなしー」……タツヤは別に元カレだったとか片思いの君だったとかいうわけではなくて、中3のときに同じクラスになってよく話をした男子の一人だったが、小柄でちょこまかしていた彼はあまり男臭さがなくて気軽にオモロイ話のできる男子として女子に人気だった(本人にとってはびみょーだなあ)。今で言うと「天然」だろうか、ちょっとすっとぼけた反応が受けていた。といって誰も恋愛対象に選ばなかったところがタツヤの悲しさでありよさだった。去年会ったタツヤは、中3のときの面影を残したまま、無精ひげをあごに残したままついさっきまで畳の上でゴロゴロしてましたとわかるようないでたちで、交差点で信号待ちをしていた私の隣に立ったのだった。家族のことや仕事の話はしなかった。早くパチンコに行きたくてしょうがないねんと言いたげだったので、私も行き先があったし、引き止めずに横断歩道の終わりで別れた。タツヤは同窓会に来るだろうか。タツヤの現住所は、男子の名簿係をしているヒロアキやイチローは把握しているのだろうか。

あなたに借りたパワーオブナウも読み終えていないのに2010/11/11 19:48:35

先月の終わり、髪を切った。やっと切ったぜーーーすっとしたあーーーと天に向かって叫びたくなるくらい、爽快だった。行きつけの美容室の店長は「僕嫌われたんかなあって思てましたよぉ」と泣き真似をして見せてくれたが、ホントは夏前に行きたかったのに行けず、本格的に暑くなってからは、中途半端に切るよりも束ねたほうが首筋や肩が鬱陶しくないのでけっきょく切るタイミングを逸してしまっていた。それに8月以降はほとんど休日に取材や打ち合わせや原稿書きが入っちゃってまとまった時間休めない状態だった。頑張れるようでも、そんな生活は続かない。必ずガソリンは切れる。私のからだはエネルギーの泉ではないのだ。本当のことを言えば、先月の最後の土日も休んでいる場合ではなかったんだけど、もうアタマもカラダも悲鳴をあげていて、思考することが不可能になっていた。こうなるともう、ふっと気を緩めるとその瞬間にばたっと倒れてガーガーゴーゴー寝てしまうに違いないのである。「お母さん、この土日も仕事?」「ううん。もう行かへん。絶対休む。でないと死ぬ」「どうするの、寝てんの?」「起きるよ。朝ごはんもつくるし洗濯もするよ。長いこと掃除もしてへんし。でもあんまり考えなあかんことはもうしーひん」「髪の毛は?」「あっ! そうやん! 切る切る絶対切る」……とそんな会話をしておきながら、美容室への電話一本がかけられなくて、土曜日になってからやっと「今日いけます?」なんて予約コールをした私。「担当はどの者でしょうか」「店長さんです」「申し訳ありません。本日は終日予約がつまっております」「やっぱりそうですかー」「明日ではいけませんか?」「明日なら何時が空いてるんですか?」「○時と□時に空きがあります」「んんーほな□時でお願いします」「かしこまりました」というわけでけっきょく日曜日の夕方、重たい毛足の長い絨毯のようになった頭をすっきりさせに、美容室へ足を運んだ。ひどい雨の日だった。その日の朝、母と娘と、ついでに猫も一緒に出かけたのだが(なぜそんなにみんなして出かけたかというと♪すみずみまで効く♪●●●●に▲▲サン♪というCMソングでおなじみのアレを焚いたからである)、出かけた先で私は傘を買った。数日前に愛用の傘の骨が折れてしまったからだ。どうにも変な折れ方をして、差せないことはなかったが、折れた骨が顔の位置でぶらぶらするようになってしまって、しかも畳むときにつっかえるようになってしまって、お払い箱にするには惜しいながらやはりもう使えないと断じて新しいものを買うことにしたのだ。もともと傘にハイクオリティなんぞ求めないのだが、久しぶりに傘選びも楽しいかもと思って手当たり次第に差してやっと決めた大きな傘は、黒地に紅色のドット模様。ところが、そろそろ帰ろうかという時間になって雨が降り出した。なんだよもう。私は買ったばかりの傘の包装を解き、母と母のカートの上の猫のケージが濡れないように、母のカートの傘取り付け棒に傘をはめて締めた。真ん中に母を、両側に私と娘が並んだ。大きな傘なので、私も娘もまったく濡れなかったとは言わないが、けっこう凌ぐことができた。夕方になって雨足はどんどん強くなり、美容室へ出かける時間は土砂降りもいいとこだった。私は新しい大きな傘を差して歩いて出かけた。大きな傘はいい。私の広い肩幅もカバーしてくれる。さて、美容室では長さだけでも軽く25cmくらいの髪を切った。その上、私は髪の量が多いので放置していると自動二輪を駆るにいさんのヘルメットみたいになる。今回も長さがなかったらヘルメットだった。それを、普通の女性のアタマ並みに梳いてもらう。常時ヘルメット状態から解放だ。ご想像いただけるであろうがかなり爽快である。この店では施術後に肩腕背中(上部)のマッサージをしてくれるのでありがたい。頭の芯から上半身すっきりして生き返った気分である。金曜の夜中までの自分をこの土日も継続していたら、きっと、いまや国際語として認知されている「カローシ」という目に遭っていたに違いない。ああよかった。無理やり休んで。でも休んだせいで、翌月曜の朝イチにアップしなくてはならなかった制作物は当然できなかったし、引っ張っちゃって仕上がったのは夜の7時だった。得意先に叱られて平謝り。平謝りしたけどあたしは全然悪かったと思ってなくて、命削らず生き延びたことのほうを喜んだのさ。ま、そんなことでつかの間の深呼吸を、私のココロもカラダもアタマも頭皮も、たっぷりさせてもらったさ。髪を切るといつも口をついて出る昔の流行り歌……♪わたし髪を切りました♪ グレープの「追伸」だ。撫子の花が咲きました/芙蓉の花は枯れたけど/あなたがとても無口になった秋に/怖くて私訊けませんでした/あなたの指の白い包帯/上手に巻いてくれたのは誰でしょう/風に頼んでも無駄ですか/振り返るのは嫌いですか/どこにもあるようなことですか/わたし髪を切りました……たとえば今日のあなたのこと/ほかのひとと楽しそうに笑ってた/あなたの声がまぶしくて/耳を塞ぎました/下手なくせにあなたのために/編みかけた白いベスト/やはり夢でした、ほどき始めましょう/あなたに借りた鴎外も読み終えていないのに/最後のわがままです、あなたの肩幅教えてください……。最後のフレーズ、あなたの肩幅教えてください、で笑うのは私だけ? 絶対、これ、オチだよね。肩幅教えて、っていわれてああ、●●センチだよって答えられる人、どれくらいいるかなあとも思うしさ(笑)。ま、いいさ。わたし髪を切りました。どう、私に会いたくなったでしょ?

気がつけば周りはどこもオール電化2010/11/12 17:56:27

夏場から立て続けに、リフォームとかIHクッキングヒーターとかエコなんとかとか太陽光発電とか、横向きにジャンルの近いコマーシャル制作を請け負って、世の中そんなに電化ライフへ傾いているのかと、半信半疑ながら感心していた。提供側と消費側と両方に取材をしてわかったのは、電気もガスも一長一短だからうまく組み合わせて使えればいちばんいいということだ。と、おりこうさんなことを書いて終わる気は、もちろんないよ。やっぱオール電化にすると光熱費が飛躍的に節約できるらしい。それは電力会社のサービスによるところが大きいんで、電力消費が減るわけではないんだけれども。ま、節約できるよといわれてもだね、ウチはガスの恩恵をこうむってきたのでウチ中オール電化という状態に踏み切るのにはすごくためらいを感じる。とある家庭でIHクッキングヒーターを見せてもらったが、スイッチというかタッチパネルというか、ちょいちょいと触っただけで、あとは勝手に、乗っかった鍋の中身をきちんと調理してくれるというその魔法のような調理器具に、自分の生きているうちにこんなものを使う時代が来るなんてと感銘すら覚えた。関係ないが、私はオートマチック車を運転することができない。私が免許を取得した頃はオートマチック車なんてなかった……わけないだろ。あったよ。もう、マイカーの主流はAT車だった。でも、教習はミッションで受けたし、私が車の操作でなにが好きだったかっていえばギアチェンジに他ならない。ガチャガチャとギアを押したり引いたりする私に教官は何でお前はそこにこだわるねん、左手もとりあえず普通はハンドルに置け、なんて言ったもんである。でも、隠れ左利きに違いない私は、こういうもんを左手で操作することに快感を覚えるのだ。車なんて、曲がるとき以外はハンドルを持つ必要はないじゃん? 左手でのギア操作と左足のクラッチつなぎで、まちなかを走るのは事足りる。これがAT車だったらすることなくて暇すぎて居眠りしてしまう……本気でそう思った。思っていたらしぜんとAT車を避ける癖がついて、気がつくとAT車の操作がわからない人になっていた(笑)旅先のレンタカー屋で、借りたいけどAT車しかなくて、座ってみてやっぱりわからなくて、お兄さんこれ、どこが何?なんて尋ねて、ええっお客さんやばいっすよー。だってさ、オートマ運転したことないねん。ええっお客さん、カッコよすぎないっすかー。……それはともかく、便利すぎると脳が退化するというのは、思い込みかも知れないが、あながち外れてもいなくない。極論だが、ガスコンロをIHに換えてしまったら、火加減というものを人間はしなくなるだろ? アタシなんかいまだに弱火中火強火のコントロールに四苦八苦してるってのに、でもその四苦八苦をけっこう楽しんでいるというのに、それがなくなったら。人間を人間たらしめているのは太古、炎を操れちゃったからだろ? ガスコンロや燃焼型暖房器具っていうのは、とにかくなし崩し的に便利になって、危険な火や炎を暮らしから遠ざけてきた人間が触れる最小の「火気」だったと思うけど、そこんところを、つーかその最後の砦を機械任せにするのはむしろ今まで以上に危険でないのかい? 家庭の中をオール電化に踏み切ったある若い奥さんがまとわりつく小さな子どもたちの頭を撫でながらつぶやいた。「暮らしの中から火というものがなくなったことが、子どもたちにとってよいことなのかどうか……」だよねー。洋式トイレしか知らない子どもたちが学校の和式トイレで何をどうすればわからなくなって泣き出すとかもらしちゃうとかいうのと同じような事態が、小学校の家庭科の授業で起こるかもしれないなあ。いやまて。家庭科から調理実習つーもんがほとんどなくなっているって知ってる? 私が小学生のとき、5・6年生になったら家庭科はほとんど調理実習だった。中学校へ上がると家庭科は技術・家庭となって男女別れて学習するようになるから、男子にとっては最初で最後の調理実習を楽しむ機会ってことで、中にはやたらはしゃいで千切り短冊切りみじん切りと披露するツワモノ男子もいたりして、賑やかで楽しい時間であった。中学での家庭科は、実習はひたすら縫い物が多かった。刺繍、アップリケ、ミシンでエプロン、パジャマ、スカート、ワンピース……。覚えたミシン縫いで彼氏のシャツを仕立てるツワモノ女子までいて、それはそれで賑やかで楽しかった。調理実習は少なかったとは思わないが、小学校のときの、あの、違うのは場所だけでまるでキャンプで飯盒炊爨やるような大騒ぎ実習ではなくなったのが、なんとなくつまらなかった。今、わが娘は小中とも技術家庭科は男女一緒で、やはり、いつの世も同じというべきか、包丁さばきの巧みなカツヒロとか運針がきれいなジュンヤの噂をしてくれるし、さなぎはさなぎで、のこぎりやかなづちを使うコツってやつをヒロキに教えてやったと言ったりするので、世の中変わったもんだわね、と思わなくもないのであるが、聞いていると小5以来約5年間、調理の実習は年に一度ずつくらいしかなかったと思う。一品だけ実習して、あとは応用レシピを配っておうちの人とつくりなさい、という話になっている。今後は学校でもガスコンロを使う機会はますますなくなるであろう。IH家庭で育った子は、調理実習でもコンロの火加減ができないからできる子任せにするだろうし。IHが多数派になったら、学校の家庭科実習室もIHになるのだろう。たぶん、先進的な設備を売り物にする私学ではもうそうなっているのだろうなあ。こうして世の中全部がいずれナマの火や炎を生活から駆逐して、あるとき家が放火に遭って火の手が上がったとき、燃え盛る炎を見て、「あの赤いの何?」なんてつぶやくようになるのだろう。恐ろしくないかい、それ。と、想像を逞しくするばかりの私の家の隣では今改築に向けて作業中であるが、聞くところによるとオール電化プラス太陽光発電設置なのだそうだ。ウチとええ勝負のゴミ屋敷寸前の汚い古家が、ぴかぴかのオール電化ハウスになる。きょえー。すごいわねえ、なんていってると、向かいの若奥さんが「ウチもオール電化ですよ」と言った。そういえば彼女が向かいの次男と結婚して同居することになったとき、お向かいは蔵を改造して彼らの新居にしたと聞いたが、そのときに古い母屋のほうも全部ひっくるめてオール電化にしたそうだ。ええっそうなの? 「三軒南の山口さんちもオール電化だって聞いたんで、思い切ったんですよ」ええっそうなの? と、気がつけば町内のほとんどがオール電化ライフに突入してガス器具を使っているのはウチだけ……という日が来るのはもうそんなに遠くないのだな。旗色悪いな、ガス会社。やっぱりガスかな、さすガッス! といってみても、やっぱ劣勢かな。私も今年デロンギ買っちゃおうかななんて思っているし、実は。

風邪を引いた2010/11/13 23:30:01

全然寒くないと思っていたらやはり急に寒い日がやって来た。と思ったら周囲に風邪引きさんが何人も登場した。やだなあ。ウチの社は隙間だらけの町家のせいか、これでもかっていうほど閉め切って暖房をがんがん焚いてもなかなか暖まらない。私は夏のエアコン冷房は嫌いだが、暖房器具がなんであれ意に介さなかったんだけど、ここ数年、歳のせいもあるのだろうか、乾燥に弱くなってしまって困っている。皮膚もそうだし眼も、耳・鼻・喉も毎冬からからになってしまう。気候による冷気より、室内の暖房による過剰な暖気のせいである。自分の感覚で室内はとっくに十分すぎるほど暖まっている、と思ったら私は一度暖房を消す。消すと、はたして室温は一気に下がるだろうか? あるいはビミョーに下がるだろうか。それをいちいちキャッチするほど、現代人の肌は敏感か? 敏感か鈍感かはどっちでもいいが、暑いと思ったら消し、寒いと思ったら点ければいいではないか。だいたい、スイッチがONになっていないファンヒーターを見て初めて暖房が点いていないことに気づくのだ。それを見て初めてそういえば少し室温が下がり始めているのに気づくのだ。人間は目で見るもの、もっと言えばほんとうは見えてやしない、ただ映っただけのものに、残る四つの感覚を左右されてしまう。視覚に飛び込んだものがそうであればそれがすべて、自身オリジナルの皮膚感覚や舌の感覚を棚に上げてしまってそれを活用することを止めてしまう。人間はいつか目でっかち頭でっかちな、昔の漫画に描かれた宇宙人のような、いびつな姿のセイブツになってしまうであろう。眼と脳しか使わない、役立たずな歪んだ生物。ま、いいや。熱されて乾いた空気の中を楽々と飛行して、他のスタッフから旅立った風邪君が私に棲みついてしまったようだ。イカン。私は明日5時起きで娘の朝食と弁当をこしらえねばならんのに。熱っぽくて関節が麻痺してしまったみたいに動きが悪くて、何をするにも力が入らず時間もかかる。困ったなー持ち帰った仕事もまだ途中なのになーちくしょーめ。カリン酒飲んで寝よ。おやすみ。