Si on a encore le temps... ― 2011/05/01 17:53:57

http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html?week=20110509
その続きには四川大地震のこともやるんだね。
ぜひこちらの写真家さんのサイトも覗いてください。
http://www.shihofukada.com/
左下のINDEXに触れると目次が現れるので、チャイナ・アースクウェイクをクリック。
いつの時代もどこの土地でも、何か重大なことが起こったときに犠牲になるのは子どもたちだ。中国政府もまさかそんな大地震が来るなんて思ってなかっただろうが、まったく耐震を考慮せずに学校が建設されてたなんて、なんでよりによって学校なんだって、普通の人間は思うんだけど、子どもをアリンコ程度にしか考えていない(だって、子どもだから。いまんとこ納税者じゃないし。死んだらまた産みゃあいいんだし。って程度の認識の)人たちが国を司っているとこういうことになる。誤解を恐れずに言えば、高齢者よりも子どもを大事にする仕組みが整ってなくちゃ国は滅ぶ。子どもを大事にったって過保護のかほちゃんになっちまったらダメなんだけど、どうもごく一部の勘違い層はかほちゃん化していて、そうでない一部は高齢者にばかりパワーとマネーをつぎ込んでいて、二の次三の次、果てはないがしろにされるのが子どもたちである。
年間20ミリシーベルトまでオッケー?
初めてその文言を目にしたとき20マイクロの間違いじゃないのかと目を疑った。でもそうじゃなかった。
どういうことなんだよ、ねえねえ、武田先生なんとか言ってくださいよ(なんて言わなくても武田先生は連日爆言中だが)、と恐怖に脳みそがシェイクしそうだったが、そしたらなんとかいうお名前のナオトカンのご意見番が辞任した。泣きながら。
かっちょわるー! ナオトカン&his friends!
私は日本の総理大臣に聡明さとか敏腕とかリーダーシップを求めたことはかつて一度もない。私が物心ついてからそうした総理大臣は皆無だった。若干頭の良さそうな方はおられたが、その方とて任期半ばで急死なさったので職務全うできなかった。憎らしいけど仕事できるやんと思われたおっさんは足許すくわれてコケたし。颯爽と現れては、途中で嫌になって辞めたり、実は町内会長みたく回り持ちでその座に座ったけど何もできない人だったとバレてスゴスゴ退陣とか、そんなのばかりだったから、総理大臣というのは仕事しないヤツが座るもんだと思ったし、国民が選ぶことができない以上、町内会隣組長程度の、あの人らがええと思て決めはったんやさかいほっとこ、くらいにしか思えない、と言っても罪はないだろう。だが、そんなスカタンでも外へ出て行く。国家元首としてよその国の人と会う。私は選挙権を得た頃から海外旅行を楽しむことを覚えたが、痛感したのは、アホでもいいからかっこいいヤツに首相であってほしいということだった。アホやけどスーツの着こなしが決まってる。なんもできひんけど演説させたら声がいい。そういう人に外交の現場とか首脳会談とか外遊とか行ってほしい。切にそう思った。よその国の国家元首は、当の国民はどう思っているかはしらないけど、イカして見えたのだった。
もちろん、そのように「アホやけど見た目かっこいい」首相すらいた試しはない。ないが、せめて本人はアホでもまわりがなんとかしてかっこよく見繕ってやれよ。なのに、いつだってどんな政権だって、日本の首相&his friendsはサイテーである。
今日、日曜日だった。書評欄を見ていると、
『まだ、まにあうのなら―私の書いたいちばん長い手紙』が紹介されていた。甘蔗珠恵子さんの、まるで今日を予言したような手紙。
でも、間に合わなかったよ。間に合わなかった。
10年後、20年後、確実に今回浴びた放射線がもとで病に冒される人が出てくる。そしてそれは、その時期になっても、たとえ研究が進んでいるとしても、医学上の因果関係が立証されることはけっしてないだろう。「甲状腺がんや白血病の罹患率はたしかに増えているが原発事故との因果関係があるとまでは言えない。したがって原告の訴えを棄却する」。目に浮かぶさ、そんな法廷がさ。
人の生死は統計で示されるが、個々の人にとって確率など意味をなさない。がんに冒される割合は1000人に5人だろう、「だから心配ありませんよ」なのか、「由々しき事態だ」なのか、どう思いますか。
確率が1万分の1であろうと、その恐れがあるのならその芽は確実に摘み取らねばならない。福島の子どもたちを、将来子どもを産む女児、女性たちを、お願いだから助けてください。
Incroyable... ― 2011/05/07 00:08:59
Si cela vous intéresse... ― 2011/05/09 23:08:47
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110509.html
出来の悪い番組だったらごめんなさいね(笑)。
くたくたである。
立ち働くの止めて座ったら、その瞬間から両の瞼が閉じ始めるという感じ。ましてやどこであろうとちょい横になったら瞬時に爆睡しそう。昨夜も米をといでいて、炊飯器にセットしてふう、と床にへたり込んだ姿勢のまま、次に気づいたら午前3時だった。末期症状。
毎晩、お米をとぎ、発芽玄米を混ぜ、ときどき雑穀をプラスして、水加減して、タイマーをセットする。よくわからないけど、今の私にとってこれが至福の時間である。忘れると翌朝の弁当づくりがドエライことになるので(笑)半ば強制労働(笑)なのだが、お米をとぐという行為、米粒をもてあそぶ掌の感触が、なんというか、誰にも譲りたくない感じで悦楽なのである。
つーわけで、毎夜の儀式にこれから取りかかり、そのあとチェルノブイリを視て寝るとしよう。おやすみなさい。
Le réacteur n°1 de la centrale nucléaire dévastée de Fukushima Dai-ichi avait réservé une surprise. ― 2011/05/13 21:36:14
浜岡原発が停止する。
停止した原発って、危険はないの?←素朴な疑問
だけど期間限定らしい。「安全確保」の暁にはまた動かすらしい。なんで? 安全確保って何さ。
いろいろと(利権がらみで)あるだろうが、まずは全部止めて、原発なしでやってくぞ、って話はでけんもんなんかい?
ウチでは前から夏場は冷房なしで過ごしている。さすがに冬は凍死したくないので暖房使うけど、ババハハムスメネコの4名、身を摺り寄せて同じ部屋でほぼ一日過ごす。自販機はほぼ使わないし、深夜は大晦日以外に外出しない。
もちろん、私自身が生まれてこのかたそうだったかというとそんなことはなく、バブリー親父ギャルなのでそりゃもう社会のエネルギーを湯水のごとく使ってゴミを垂れ流して生きてきた、恥ずかしいほどに。ヨーロッパで少し過ごして、たまたま出会ったシンプル質素に生きているひとたちを少し見習おうと思ったのをきっかけに、自身も親になり、まじめに次世代を考えたときに、姿勢を正さねばいかんと思ったさ。本当に、これでもかというほど、地球にはそこいらじゅうに引っかき傷がついている。
私が美大生でいた頃までは、まだ地球は毛布をかぶって寝ていたのかもしれない。
社会へ出てからは、チェルノブイリがあり、ベルリンの壁が崩れ、各地で紛争や大虐殺、テロがあり、日本は阪神淡路の震災があり、奥尻の津波があり、中越の地震も、府北部の洪水もあったし。湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン空爆。スマトラの津波があり、四川大地震もあって。そして東北。
北海道には一度も行ったことのない私だが、東北は幾度となく訪れている。とりわけお気に入りは青森県なので、今回の震災の被害は大きくなかったが、青森まで行く途中、もちろん仙台も盛岡も小岩井も遠野も会津も喜多方も行ったさ。ごめん、順不同だ。帰りは秋田も山形も通って帰ったさ。私の町は夏、暑いので、夏に東北へ行くとものすごく涼しく感じたものだ。「暑いっしょ」「暑くないです」「どこから来たね」「京都」「ええとこだが」「でも夏はここより暑いです」「みんな涼しげに着物着て歩いとる」「いえいえ、それ、ドラマだけ(笑)」
そんな会話を宿の人やお店の人とよく交わした。
大好きな弘前ではいつも同じ民宿に泊まった。「次は彼氏と来なね」何度かそういわれていながら毎回独りだったけど、あの温かさはなんとなく独り占めしておきたいというか、誰とも分け合いたくないというか。いや負け惜しみだ、ほっといてくれ。
思い出話になっちゃったが。
そうじゃなくて。
本気で、【必要なものだけ】にしか電力を使わないようにすれば、全国の原発が止まっても、火力と水力を動かせば十分まかなえる。
みなさんは、太陽光や風力という自然エネルギーについてどうお考えだろうか。
何も破壊せず、それ自体ゴミにもならず、生態系や健康被害を出さないなら本当に素晴しいけど、そうはいかない。太陽光パネルは、寿命が来たら粗大ゴミじゃないの? あの、貧弱で、やる気のない扇風機にしか見えない風力発電機(私、大っ嫌いなの、アレ)は、山や田園や海上にすくっと立っていなさるが、アレが立っている場所にあった自然は壊れたのではないのか? 海底の生物たちはあんなものにドシーンと来られて住処を失ったに違いないではないか? 化石燃料を食い尽くす火力、放射能を撒き散らす原子力。自然エネルギー発電はそれよりマシだと本当に言えるのだろうか?
言えないよ。
言えない。
原子力信奉をやめて自然信奉に改宗しても、ひとりひとりが無駄遣いをやめなければ何も変わらない。
何らかの形で悲劇は繰り返す。
だから、もっと考えよう、真剣に。
明日、貴重な休みです。
何しようかな~
……掃除だな(笑)
***
武田邦彦先生が講演されるそうです。
http://takedanet.com/2011/05/post_b861.html
http://takedanet.com/2011/05/post_c131.html
最近の投稿ではこれが好きだった……
http://takedanet.com/2011/05/1105122_9694.html
たくさんの方がそれぞれたくさん発言するようになっているみたいで、喜ばしい。
相変わらず阿呆な広告コピーで食っている自分がチョイミゼラブルだけど、うんニャ、そげんこついうたらいかんばい。生きていかなアカンのじゃけえ。
*
ジャーナリスト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/690fa101ec86b0db439bf633856fc6cc
岩上安身オフィシャルサイト(アーカイヴ)
http://iwakamiyasumi.com/archives/8030
*
女性週刊誌は頑張っているって知ってた?
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110513-20215/1.htm
「女性自身」には小出裕章先生も発言している。
*
[動画] 福島原発放射線汚染の地域毎の影響の可視化
http://genpatsu.wordpress.com/2011/05/13/visualization-map-radiation/
チェルノブイリを超えた放射能汚染
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-6f19.html
*
世界はどう動いていくだろう……
ヨーロッパの原発状況
http://www.liberation.fr/carte-interactive-situation-nucleaire-europe-apres-fukushima.html
Et voilà ce que j'avais pensé depuis... ― 2011/05/15 19:18:05

草野たき著
講談社(2008年)
中学3年生の双葉(ふたば)。卒業後は全寮制の高校に進学する。それと同時に両親は離婚することが決まっている。三人別々の暮らしが始まるのだが、双葉は取り乱さず傷つかず冷静に受け入れている。両親の離婚は、修羅場があったわけではない。母親・美樹の、大学院へ行ってじっくり勉強したいという一方的な希望に起因する。だからって、なぜ離婚までしなければならないのか皆目わからない父親・健一。けれど、健一は美樹を愛するが故に同意する。そして最後の家族旅行を提案、計画し、北海道にでかけることになった。
絵に描いたような善人だが、今よく使われる言い方をすれば「空気の読めない」父の健一。いつも冷静かつ不愉快そうな顔をしていて、双葉と目を合わそうとしない母の美樹。
双葉には手に火傷の痕があり、幼い頃に美樹の不注意から負った傷だということになっている。が、双葉は、なぜなのか自分でもわからないが、真相は別にあるとどこかで思っている。普段の美樹の態度、時折疼く自身の心の奥底……ただ、気がかりのような、不安のような、言葉にはできないもやもやした納得できない感覚を抱えたまま、双葉はそれでもつねに「大人」でいようとし、ものわかりのよい一人娘として振る舞ってきた。そのことに誇りすら感じて今まで生きてきた。だから離婚だってどうってことない。自分自身も、寮生活を通して自立し、自分の道を歩むのだから。
家族旅行なんて今さら鬱陶しいだけ、と双葉は思ったし、どうやら美樹も同様だ。健一だけが無理矢理はしゃいでいる。双葉は親友や彼氏とときどきメールを交わし合って気を紛らす。
しかし、ありきたりな観光旅行とはいえ、非日常に身を置いたことで家族は真に次のページをめくることになる。
一見よくあるよさげな家族は、実はバラバラ。かっこいい理由で離婚を認め合う進歩的なメンバーである振りをしつつ、実は自分に嘘をついたままごまかしたまま仮面をかぶり続けることに苦しんでいる。『メジルシ』が描くのは、けっこう近年使い古されたテーマ「家族」の、ある再生のかたちである。小説の中では再生には至らないが、辛い記憶の目印だったものが再出発の誓いの目印に変わろうとするさまを描いた小説であるとでもいおうか。
というと、とってもいい小説のようだけど、やはりそこはヤングアダルトに分類される作品なので、説明しすぎるというか、わかりやすすぎるというか。
昨今の、本をあまり読まない、深読みできないティーンエイジャーの傾向を汲んでいるのだろうかと思わせるほど、手取り足取りの描写ですいすいすいと読み進ませ、なんだかちょっともったいない。読み手を読解力発展途上中のティーンズと仮定するならなおさら、もっと想像力をかき立てるような表現で、迷わせたり立ち止まらせたり、悩ませたりしながら引っ張ってほしいなと思った。
「家族」はよくあるありきたりなテーマとはいえ、切り口次第で面白いものになる。本書も、目のつけどころはとてもよいと思う。そして、作家はきっと元来筆力のある人である。思うに、これは編集サイドの余計なおせっかいの「成果」ではないか。草野さん、もっとていねいに、もっとわかりやすく、こんなふうにあんなふうに書かなくちゃ、中高生は読んでくれませんよ。とかゆってないか?
娘が中一の時に『ハーフ』を借りてきて、借りてきたままいっこうに読んでいなかったので横から失敬してしゅしゅっと読んだことがある。その時も、面白いことをネタにしたなあと感心しつつよくわかるように描かれすぎているために残念な出来映えだなと感じたことを覚えている。
だが、文字どおりヤングアダルト(っていったいどのへんの子どもたち?)には受けているのだろう、順調に次々と作品を発表し、いずれの単行本も好調らしい。
『メジルシ』は図書館で偶然見かけて、表紙の飛行機が可愛いので借りてみた本だった。ずいぶん前に読んだのだが、この週末、娘と「本をもっと読めー」「読んでるやんダンスマガジン」「そりゃ本とちゃうやろ雑誌っつーの」「雑誌でも字が書いてあるやん」「その字をオメーは一字も読んでへんやろが写真ばっか見て」「ぐ」……
というような会話の挙げ句、草野たきならオメーにも読めるからその辺から始めろ、という話になって『メジルシ』を思い出したのであった。
Les jeunes sont comme des fruits verts, mais ils sont tres forts... ― 2011/05/17 20:14:02

草野たき著
ポプラ社 (2009年)
もしかして短編ならけっこう面白いかも、と思って草野たきに再チャレンジしたのが本書。これは、なかなかに痛い毎日を送っている少女がその「逆境」にめげず、負けず、耐えるばかりでなく「反撃」に出るストーリーを5人の少女分、5編をまとめた短編集。物語のほとんどを、一人称で少女自身が語る自分自身の葛藤の日々が占め、そして、反撃に出てなんらかの「成果」を得た数年後、イキイキと自分らしく生きる当の主人公を、今度は三人称でまとめて締めくくる、といった体裁。その締めくくりの部分に出てくる主人公の友人が、次の短編の主人公になる、というふうに連なっている。
5つの短編のあらすじは検索かければけっこう出てくるのでもう書かない。
ポプラ社サイトでの紹介ページはここ。
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80010230
前エントリで挙げた『メジルシ』を思わせる、(私にとって)草野たきらしい流れは「いつかふたりで」。『メジルシ』の後半のくだりのように、母と娘のちょっと説明的な会話が残念な感じ。この一編はそういうわけで結末も早くに見えてしまった。
でもそれはあまり問題ではない。どの少女も基本的には真面目に精一杯の努力をして、毎日をよりよくしたいと思いながら生きている。努力の方向が少しずれてる、勘違いしてる、というところが悲しくもあり笑わせるところでもある。何もかも思いどおりではないにしても、結構いいカタチで大人への階段を上っている、そのことの窺える結末が読後感をよいものにする。
とてもとても僭越なことを申し上げるけれど、『メジルシ』よりは数段いい。上達したじゃない草野さん、という感じ。読者として想定しているのは中学生だが、幅広く見積もれば小学校6年生から高校1年生までイケるだろう。『メジルシ』は部分的に冗長で主人公の振る舞いにでき過ぎの感があったが、本書の短編はそれぞれ短編として必要十分、冗長さはなく、複雑な物語でもなく、まさにウチのお嬢さんあたりにうってつけである。というわけでこれもヤツに薦めてみよう。
De temps en temps il est bizzare ce blog d'ASABLO... Zut! ― 2011/05/18 18:19:42
今日は、コメントを入力できません。この私が。ブログ管理人なのに。
いつだったか、テンプレートを変えたら「おかしくなったよ」と友人からメールをもらった。自分のマックでは見えていても、別環境ではバグっちゃうこともあるとわかった。
いろいろアフィリエイトリンク貼ったりしているし、今回、ひさびさに可愛いテンプレートができたから変えたりしてみたけど、それがよくないのかな? そんな特別な体裁にしているわけでもなんでもないのに、こんなに頻繁につまらない故障があると困る。
いつも不思議なんだけど、どうしてASAHIネットって「顧客満足度1位」なの?
ほかと比較検討して加入したわけではないから、私の場合、満足も何もないんだけど、ほかの人はどっかから移行してきて、「おおおアサヒネットすばらしー」なんて思っているわけなの?
なにがいいんだろう。……。
WEBメールの使い勝手とか悪すぎません? ほとんど中世、いや古墳時代もんやん。
ま、いいけど。
(怒っている)
Allez ! Pour juste un petit bonheur...! ― 2011/05/19 19:23:51

AFP PHOTO / TOSHIFUMI KITAMUR
たくさんの子どもたちがそのあまりにも貴重な命を失った。未来輝いていたはずのひとりの子どもの命の貴重さといったら、国会議員100人分、御用学者や官僚100人分、東電社員1000人分足しても及ばない。全然、全然、ぜんぜーん(しつこい?)及ばない!
朝、ドタバタと出かけていく娘を見送り、夜帰宅し、トドのように寝そべって足でお帰りを言う娘を見て、ほっとして、よかった今日も幸せだと思い、世の中はどうしても不公平にできているのだな、と思う。
「福島のお母さんへ」(きっこさん)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-bb09.html
武田邦彦先生の日記から
http://takedanet.com/2011/05/110517_e3cc.html
http://takedanet.com/2011/05/post_268d.html
「福島の子どもたちを守れ!」
http://blog.goo.ne.jp/cherno1986jimukyoku/e/5b11aab9b3b5fbddc3f9b01ee4e506f1
上記ブログはここのスタッフ便り。チェルノブイリ子ども基金
http://www.smn.co.jp/cherno/index.html
ナターシャ・グジー(チェルノブイリの歌姫)HP
http://www.office-zirka.com/
数日前に「観てね」と紹介したNHKの世界のドキュメンタリー、チェルノブイリ原発事故25周年記念番組のほうはいろいろやることがあって全部観られなかったのだが、今週アタマからやっていた核のゴミ処理のほうはガッツリ観た。
みんな、観た?
これまでに、だいたい、なんとなく見聞していたことどもを、裏づけてくれた内容だったけど、ああいうふうにまとめてくださったりするとなぜか不必要にショッキングである。
フランスでは、あの番組、どのくらい観られたのかな。東日本の震災前に放映されているはずなんだけど。
滞日フランス人が「フクシマダイシィ」(福島第一をフランス人が発音するとこうなる)が壊れてすぐ飛んで帰ったのも、爆発(破壊)直後の放射能拡散が最も大きいという、(ノーテンキなわが国でだって専門家の先生方や東電の幹部はよおく知っていた、でも政治家と国民は知らなかった)事実と被曝の危険性をよく心得ていたからに他ならない。
でも、帰ったその自分の国だって、すごく危ないんだよね。
私は「脱原発」を唱え続けるフランス人を何人も知っていて、その「無駄な抵抗」に注ぐエネルギーはどこから来るんだと、その昔は思ったけど、今となってみると彼らはごく普通に常識的に正しいということや、今その彼が必死で私のことを心配してくれるのも、よくわかる。
幸い、私のまちで喫緊にガイガーカウンターが必要だということはないけれど、今後「フクシマダイシィ」がおとなしくなってくれるのかなんて全然わからないし、この先どこにどんな地震が起こるとも限らない。壊れる可能性のある原発は浜岡だけではない。関電のエライさんがウチらの知事に定期点検中の原発の点検が終わったら動かしていいでしょ、と頼んだそうで、頼まれたケイジ君はダメダメほんとに安全かどうかわかんないし、だいいち福井県さんがうんと言わないよ、と答えたらしい。
福井県知事にお願いする。
関電にゴーサインを出さないで。
福井県がこれほどまでに原発建設を受け入れたのにはひと言では語れない多大で深刻な事情があったと思うけれど、それでも、原発はやめなくてはならない。原子力発電所は、ひとつずつ、停めていこう。停めて、廃炉していこう。福井県だけじゃなく、ぜんぶ。原発とか原子力とかいうのをやめて、「核」とはっきり呼ぼう。私たちが電気を得るために動かしているのは「核」なのである。
私たちには、子どもたちに負の遺産を負わせる権利はない。
子どもたちはもう、十分すぎるほど傷ついた。
これから何年もかけて彼らを襲うであろう病魔を可能な限り退けて、健康を維持してあげなくてはならない。エライ人たちにはたった今からその準備にかかってほしい。
Pourriez-vous m'expliquer pourquoi vous leur faites parler avec une façon si bizzare, s'il vous plaît? ― 2011/05/23 18:41:16

↑ 関連写真をもっと見たい方はこちらへ:
http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/Earthquake/201105/522undoukai/
凄まじい背景と、中学生の笑顔のミスマッチ……といいたいところだけど、あまりミスマッチにも思えないのはなぜだろう? 空襲後にも似た、見渡す限り瓦礫の山の合間にかろうじてこしらえた小さな空き地のようなグランドで、運動会に興じる、あまりに純朴そのものの子どもたち。屈託なくて、虚飾もない、悲しいくらいに。多くのものを失ったあまり、邪念が去って、今この一瞬をめいっぱい生きるぞ!みたいなピュアなエネルギーに満ちているように見える。
それにひきかえ。
土砂降りの競技会から戻った娘。
「あんなあ、今日、合羽もっていくの忘れたし、アイ先輩に借りてん。そのことをオダ先輩に言おうとしてん。《この合羽、アイ先輩に借りた》っていうことを言おうとして《オダ先輩、この合羽、アイ先輩に借りさせさささ……》ってなってしもて、そしたらオダ先輩が《さなぎ、無理すんな。俺もそれは言えん。高等テクニックが必要や》ってゆわはったわ」
「……あんたらは平和でのん気でめでたしめでたしやわ」
「借りささせていただきました? 合うてる?」
「合うてへんってば。ささせせ言うなっつーの。《お借りしました》、でええの」
「おおおおお」
「感動すんな」
「でもな、させていただいたって言うほうがより丁寧なんやろ」
「なんで? そんなことないよ。より丁寧なんと違て、させていただく、という言いかたにはそれ自体に意味があるからその意味と違う遣いかたしたらおかしいよ」
「ほな《大会に出場する》は?」
「大会に出場いたします」
「マツザワ先生は《出場させていただきます》って言わなあかんって言わはんねん」
「マッツーが? 国語教師のくせに何血迷ったことを」
「大会に出場するのは自分だけの力と違う。大会を運営する人、これまで尽力してこられた先生、先輩がたが居られてこそ、今回、自分が出られるわけやから、《出場させていただきます》って言わなあかんって」
「今度マッツーに会うたら言うたるわ。先生、いったい何をお考えになられておられていらっしゃるのでしょうか? なんでもかんでもさせていただきますってつけたらええっちゅうもんちゃうでしょ、と娘をしからせていただいたんですけどよろしかったでしょうか?って」
「マッツー、お母さんとフランス語で喋りたがったはるで」
「う……今のをフランス語では言えん……シンプルに言うことにするわ。Vous etes bizzare! Vouz avez tort!」
「どういう意味?」
「アンタおかしい! アンタ間違うてる!」
「《出場させていただきます》ってそんなおかしいの?」
「これに限って言うたらさ、先生の意図はわかる。陸上競技の歴史とか発展とかにも思いを馳せろってことやし、それ自体は間違いちゃうねん。でも、あんたらみたいな敬語を全然知らん、遣えへん子どもに《出場させていただきます》って言え、だけ言うたらさ、今のあんたみたいになんでも《させていただきます》つけたらええと思うやろ、アホやから。陸上競技の先人を敬うことと、現代社会における正しい敬語の遣いかたを、いっぺんに教え込もうとして墓穴掘ってんねん。失敗の巻」
「ほな、なんて言うの?」
「出場いたします、でええやん」
「絶対アカンと思う」
「なんで? 出場することは、たしかに先人が引いてくれたレールを辿ることやけど、あんたら選手が汗流して勝ち取ったものでもあるやん。出場するんじゃあって叫んでもいいくらいやん」
「お母さん、おかしい」
「いつ、誰に対して出場しますって言うかによって、言いかたは変わってくるよ。陸協の役員さんに向かってなら《今年の京都府下大会に出場させていただきます、リバ高のさなぎです》って言うてもええわ。けど、例えばキョーカやしのぶのお母さんに《さなぎちゃん、次の試合どうなん?》って聞かれて《出場させていただきます》って言うのは絶対おかしい。意味がない。《出場します》とか《ハイ、出ます》やろ? 誰を思って、誰を敬って発言してるのか、自覚して言葉は遣わなアカンの。《アイ先輩に合羽をお借りしました》の《お借りした》はアイ先輩に対する敬意で、《しました》は目の前のオダ先輩に対する敬意。アイ先輩への敬意は《貸してくださった》でも表せる」
「おおおおおおおおおお」
「感動すんな」
日本と、日本語と、日本人の将来は、西日本の若者には任せられんっつーことを日々実感している。
と、愚痴ってたら、今日、変な見出しを見つけた。
英女王のおもてなしにほほ笑むオバマ米大統領
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110525/erp11052510170004-n1.htm
おもてなし の「お」は誰に対する敬意によるものだろう?
答えろ、産経新聞。
Toutes les grandes personnes ont d’abord été des enfants. (Mais peu d’entre elles s’en souviennent.) ― 2011/05/25 18:16:29
(このエントリのタイトルは『星の王子さま』冒頭から)
「日本の大人はどうしたのだろうか?」を繰り返す武田邦彦さん
http://takedanet.com/2011/05/110525_9881.html
↑ どこまでもお役所仕事しかしない連中を皮肉っている部分を抜粋すると:
*********************
日本の大人はどうしたのだろうか?
被曝量の計算ができないことはないはずだ。文科省の役人は国家試験を通っているのだから、算数はできるはずだ。
また、いくら縦割り行政でも、同時に国民の一人だから、文科省の役人は農水省の基準を知っているはずだ。
だれも、子供を守ろうとしない? なぜだろうか?
*********************
ほか、下記もご参照あれ。
http://takedanet.com/2011/05/post_741d.html
http://takedanet.com/2011/05/post_dd9a.html
「原発利権に群がる大人たち」(きっこさん)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-0037.html
↑ 長い投稿文なので、きっこさんが最も怒っている部分を抜粋すると:
*********************
(どっさり前略)1983年1月26日に、当時の敦賀市長だった高木孝一は、石川県羽咋郡志賀町で開催された「原発推進の講演会」で、こんな講演を行なってる。内橋克人著『原発への警鐘』(講談社文庫)から引用させていただく。
「原発と地域振興」
只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。(がっつり中略)火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!
えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか‥‥。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)
※内橋克人著『原発への警鐘』(講談社文庫)より引用。
‥‥そんなワケで、当時の敦賀市長だった高木孝一が、「原発を造ればカネが儲かる」「電力会社はいくらでもカネを出してくれる」と得意満面に語るのは構わない。こんなこと、原発に限らず、道路だってダムだった基地だっておんなじ構図だからだ。だけど、あたしは、最後の部分だけは絶対にゆるせない!(すっぽり後略)
*********************
きっこさん、中途半端に引用してごめんなさい。
皆さん、リンク先へ行ってきっこさんのレポート全文にお目通しください。
さらに、村松さんである。
蓑虫の話が延々と続いて挫折しそうになるけれど(笑)、最後までたどり着いてください。精神のバランスを確保できます。それよりこの投稿を読む時間の確保が先だけどね。
http://kokorogadaiji.jugem.jp/?eid=218
きっこさんとともに「怒髪天を突く」状態になった人に、とくにおすすめ。
(いちばん読んでほしい部分はこの引用箇所ではないんだけど、ま、いーや)
*********************
(とんでもなく前略)
世の中にはいろいろな立場がある。
「カネが儲かることがいちばん大事」という立場もある。
「生命とカネとどちらが大事か?」
このように命とカネを対比すれば、誰でも命を選ぶ。
しかし、実情はさほど簡単ではない。
(中略)
僕らが抽象的に生命や自由を考えるときには、全くフリーハンドで価値の高低を決めるが、実際の場面では、見えない靭帯で世間と結びついている。
実際の場面では自分を支えている靭帯を捨て離脱して、新しい原理に移行することになる。受け皿は目に見えず、自分と家族を支えるにはあまりにも心もとなく見える。
僕らの目の前にあるのはそのような選択だ。
(中略)
原発事故は、あらゆるものがそのようなカネの靭帯と機械性のリンクで結びついていることを決定的に露出させてしまったのである。
政界、経済界、金融界、行政はもとより、マスメディア、広告、それにつながる言論、学界……それから教育。放射能汚染の土地から子どもたちを守る力がない。
(まだまだあるが後略)
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私はといえば、いつものことだが地震にも津波にも核にもなーんも関係ない原稿を締め切りに追われてせっせとせっせとせっせと書き続ける日々である。命より、金(仕事)。
とにかく、ひとりの人間としてどう振る舞うべきなのか、自問し続けている。