Poisson d'avril2014/04/01 22:23:05

音楽を聴くのに飽きてiTunesをラジオに替えて適当に押したらFrance Infoが鳴ったんだけど、ちょうど新首相の任命式典の実況中継をしていた。これ、ほんとの話なのかな。だって今日はPoisson d'avrilだもんね(笑)。で、報道サイトをいくつか見るとどこも一様にマニュエル・ヴァルスの着任を報じているので、どうやらほんとうの話のようだ。1962年生まれ。ふーん。若いねえ。それにちょっとダニエル・オトゥイユに似てる……。うん、似てる似てる♪ しばらくオトゥイユの出演映画を観ていないからかもしれないけど(笑)、うんうん、ヴァルス君、オトゥイユに似てると思う!

けさ、友達に会いに行くために阪急電車に乗ったんだよ。そんなに混んでなくて、座席はぽつ、ぽつ、と空いていて、どっちに座ろうかなとほんの百分の一秒迷ったね。私の前にいた若い女の子がためらわずすたすたすたと進んで車両の真ん中あたり、同じような若い女性とおぼしき茶髪の頭部が見える座席の隣にすっと座った。それにつられて私も前に進みそうになり、茶髪ガールのすぐ斜め後ろに空席を見つけたのだけれど、ふとその空席の隣にはすでに背広の男性が座っていた。う、と思って自分のすぐ脇を見下ろすとそこにも空席があり、その隣を占めていたのも背広の男性だった。私はそれ以上前に進むのをやめて即座にすぐ脇の座席に身を沈めた。茶髪ガールの斜め後ろの背広と、今や私の隣にいる背広との違いは、前者はオヤジで後者は若者であるという違いに他ならない。前者がオヤジであるとなぜわかるのか、座席の背もたれ越しに頭が見えるだけなのに、とおっしゃるのかね。頭で十分だよ、いうまでもないだろ、ハゲなの、ハゲ。きれいなスキンヘッドならさ、これまたちょっと話は違うんだけどね、その背広氏のハゲの直径は7センチくらいで、中途半端にとてもハゲだったさ。私はね、車窓から沿線の桜を眺めたかったのよ。阪急沿線には桜が多くて、通勤していた時代にも、この季節は車中花見が楽しみだった。通路側に座ったら、隣の誰かの横顔越しに窓の外を見ることになるから隣の誰かが誰であるかは重要なのである。そこしか空席がなかったら、私ももう年増やけん、ハゲでもスケベでも座ったが、ここに若い男の子がいるのになんで座らない理由があろうか。したがってハゲは却下。
若い男の子といっても特別にイケメンだったわけではない。座って車窓を見るふりしてその横顔を舐めるように(笑)眺めたが、好みにはほど遠い(ごめんね。あ、前の背広氏もごめんね。ハゲに罪はないのよ)。そして、驚くべきことと言うべきかどうかわからないが、彼(に限らないと思うけど)はほとんど微動だにせず、動かすのはスマホの画面を滑る指だけだった。ほんとにぴくりともせず、右手の指だけが、四角い薄っぺらい機械の上をすっすっと動くだけなのだ。彼は梅田のひとつ手前の十三で降りたが、「次は十三〜」のアナウンスが流れて初めて指の動きを止めて膝に置いていた鞄を持ち上げ、一度座り直し、上着を直し、立ち上がり私の膝の前をすり抜けるように去った。……のだがそれだけが私の見た彼の「人間らしい動作」で、「次は十三〜」があるまで、すっすっ……すっすっ……だけだったのである。これ、なかなかすごいことである。そんなに集中できるのね、スマホ操作に。
帰りの阪急電車の中では、向かい合った4人座席のひとつに座ったが、私以外の3人が全員、行きの電車の彼と同じことを始めた。全員を間断なく観察していたわけではないけれども、すっすっ……すっすっ……3人ともすっすっ……すっすっ……すっすっすっ……おおお、まったくすごい集中力。目がよってるよお嬢さん。ぴくりとも動かずに何かに熱中するそのエネルギー、ほかの何かにつかったほうがいいんじゃないの。

相変わらずラジオはマティニョン宮に到着した新首相のことばかり喋っている。ああ、ダニエル・オトゥイユの映画、観たくなったよ。すごく観たくなったよ。

Il était un petit navire...2014/04/03 00:40:02

今シーズンは例年より早く花粉対策に突入した。いつも杉のピークを過ぎる3月下旬からしか点眼・点鼻・内服薬を使わないのだが、4月に入ると間もなく始まる檜のピークに、それでは間に合わないので、約1か月早く耳鼻咽喉科を受診した。でも、ほんとのこというと花粉症のために医者ヘ行ったのではなく、ドライノーズ(空気の乾燥のために鼻孔内が乾くこと)じゃないかと思って、だって鼻の中が痛いから、何とかなりませんかセンセ、と行ったのであった。しかし耳鼻科医は鼻の乾きなど大丈夫と笑い飛ばして、そんなことよりあなたは早く花粉対策をしなさいと、例年のワンセットを処方したのであった。

それからまもなく、ウイルス性の結膜炎になったらしくて右眼がまっ赤になり、上下両まぶたがパンパンに腫れて、眠っている間に目やにが噴出して目が開かないほどである……という散々な状態に慌てて眼科ヘ行き、心配ありませんよという優しいお言葉と点眼薬をもらって、最悪の状態から少し回復はした。したが、間もなくかゆみが治まらなくなり、これは結膜炎ではなく、花粉だとぴんときた。
まだ2月だというのに……。杉花粉しか飛んでいないはずなのに。

何年か前、花粉シーズンのまっただ中、耳鼻科医が処方してくれるアレルギー用の点眼薬が全然効かないので眼科に駆け込み、これを使っているんですけど効かないんです、とかゆみを治める目薬を頼んだのだが、私が差し出した点眼薬を見て眼科医は言った。「これが効かないのなら効く点眼薬はありません」
この年から、花粉シーズンの目のかゆみを治めることは諦めた。耳鼻科医もあれやこれやとさまざまな点眼薬を出して試させてくれるのだが、いずれも差した瞬間にひんやりして気持ちいいという以外の利点が見つからない。
こうしてブログ書いてる間も、目のかゆみのために私は涙が止まらないのである。
2月の終わりから薬を飲んでいた成果が少しばかりあったのか、3月は穏やかに過ごしたけれど、春分過ぎたあたりから目がつらいつらい。
この冬は雪と雨が多かったので、生乾きな感じの洗濯物を室内で乾かす日々が続いた。娘がいないので、彼女が宿題やらなんやらをひろげてあれこれの活動に使用していた居間が空いているのですっかり物干し場と化している。
2、3年前に隣家が家を建て替えたがそのおかげで向こうから見て北隣の我が家はまったく太陽の恩恵を受けなくなってしまった。きれいに晴れた日でも冬場は直射日光がない。建て替わってすぐのシーズンは物干しに並べている植木のいくつかが枯れてしまったほどだ。ったくどうしてくれるよ忌々しい。そんなわけで、とにかく天候に関係なく洗濯物は乾かないので部屋干し癖がついてしまった。やがて花粉が飛び始める。できるだけ花粉を浴びたり吸ったりしないように、屋外で干すのは御法度とした。
しかし、しかしですよ。今日は少し洗濯物を溜め込んだので大量の洗濯を敢行。……したはいいけど、部屋干し用の物干しに全部がかからない。しょうがないので屋外物干しにいくつかをかけた。問題はそれを取り込むときである。パンパンとはたいてから室内に持ち込むのはもちろんだが、はたいている最中に、はたかれた花粉が私に飛び移る。それが、きっといつまでも取れないのだ。
鼻水鼻づまりとは無縁だが、目のかゆみが甚だしい。花粉でかゆいのか、疲れてかゆいのか。たぶん、両方なのだろう。
しんどい。誰か私に目をちょうだい。

Moi non plus, je n'aime pas les jeux d'olympiques.2014/04/05 21:53:27

表紙もイマイチだ。オリンピックのメインスタジアムには見えないぞ。地区予選会場みたい、中学生の。
『街場の五輪論』
内田樹、小田嶋隆、平川克美共著
朝日新聞出版(2014年2月)


つねづね申し上げているように、東京オリンピックの招致には大反対だったわけである。東京だろうが大阪だろうが名古屋だろうが、大反対なのである。私はスポーツ観戦は好きだし、オリンピックで活躍するなんて、およそスポーツ好きな人間なら一度は夢見る頂点の栄誉だ。そのことだって否定しない。でも、オリンピックというイベントは全然好きではないのである。個別のゲームの観戦はしないでもない。昔から体操の演技は好きであった。ナディア・コマネチなんて私が男なら、今の表現でいえば「萌え」まくっていたであろう。新体操とかシンクロはあまり好きではなかったが、水泳の岩崎恭子ちゃんとか長崎宏子ちゃん(だったよね)には大いに期待したものだったし。でも、なんというか、個別に応援したい選手を目一杯応援する機会であるとか、よく観ておきたい種目をとびきり上等なプレイヤー達のプレイで観られる機会であるとか、普段は知らないスポーツについても観戦の機会があるとか、そういう個人的な趣味の範囲を満足させてくれる要素というのは、それぞれの競技のそれぞれの大会で得ればよいことであって、オリンピックというごたいそうなイベントにしてご提供いただかなくても困らないのである。こんな私のような者でもスポーツに打ち込んだ経験も勝利に酔った経験も怪我でプレイを断念した経験もあるので、思うような結果を出せなかった選手の気持ち、存分に力を出し切っても負けた選手の気持ち、てなものだって少しはわかるのである。目の前の勝負に全力を出し切ることだってたいへんなのに、背後でメダルの数をカウントされたり、国家の威信がどうのこうのと言われたり、経済的波及効果は何億円とか算盤はじかれたりして、そりゃいったいスポーツなのかいって話だよ。お国のために戦うなんて、もう第二次世界大戦の敗戦でこりごりじゃんか。お国のために戦うという言葉を使わなくても、ニッポンのみなさんの期待に応えますっていうのはつまり、同じことじゃんか。やめようよ、もう、そういうの、ってつくづく思うのよ。気持ち悪いって。というわけで、なぜ東京にオリンピックが来て欲しくなかったかと言うと、このイベント、ひたすら気持ち悪いからである。いえ私はね、前の東京オリンピックの年に生まれたざんすよ。自分の年を数えたり、生まれた頃の時代を想像するのにこれはとても便利だよ。1964年という年、当時は冬季五輪も同じ年に開催されていたからどっかで冬のオリンピックやってたんだよね、それと阪神がリーグ優勝してるのよウチのオヤジは大喜びだったらしいよ私が虎の優勝を呼んだって(笑)。海外旅行もできるようになったんだってこの年から(それまでできなかったってのが信じられないんだけどね、そんな国そんな時代だったんだよ)。敗戦後約20年経って、やっと顔を上げて世界に向けて「こんにちは、ニッポンです」っていえるようになった頃だったんだ。オリンピックはそんなニッポンにキラキラのメダルをくれたんだ。だから開会式の10月10日を体育の日として日本人の記憶に刷り込みたいと思ったんだろうに、どっかのアホがハッピーマンデーとか言って10月10日を忘却の彼方に押しやってしまった。その頃からじゃないか、オリンピックが金の亡者たちのための金儲けのためだけのイベントに成り下がったのは。2020年。きっと、それぞれにとって忘れ難いさまざまな出来事に彩られることになるであろう2020年、その一年の中でひときわ輝く東京オリンピック。ほんとうにそうなればいい。そのとき、日本と日本人が、心の底から世界の人々を迎え入れることができ、心の底から国際交流と親善のために選手と関係者と観戦に来る人々をもてなすことができ、心の底から世界の人々と笑い、語らうことができ、豊かな自然を湛える美しい国土と清廉な大和魂を印象づけることができればいい。何の憂いもなく、心に疚しいことの微塵もなく、後ろめたい気分などかけらもない、晴れ晴れとした気持ちでオリンピックを開催できるなら、いい。

しかし、そんなこてゃーありゃーせんがよー、と思う人たちが、なぜそう思うのかを好きなだけくっちゃべっているのが本書である。2013年10月に行われた鼎談を収録したものだ。

ふだんウチダのブログや書き物を読んでいる私には、目新しい内容ではないことはわかっていた。それでもこの本を買ったのは、やはりオリンピック招致キャンペーンが余りにも気持ち悪くそらぞらしく、無邪気に一生懸命になっている人たちには悪いけど安倍や猪瀬が目立ちたいだけのパフォーマンスにいいようにつきあわされているようにしか見えなくて、吐きそうになるくらい嫌だった、だから、この本を読めば、「そうよ、そのとおりよねウチダ」「同感だわウチダ」「あなたって私の分身のようだわウチダ」「私の気持ち全部知ってるのねウチダ」「あなた以外に私を理解してくれる人なんかいないわウチダ」……とこのようにウチダLOVE全開になれて鬱々とした日々のモヤモヤをすっ飛ばせるかと思ったのである。

しかし。

たしかに内容は、「そうよ、そのとおりよね」「同感だわ」の連続なんだけど、うなずく相手がウチダではないのである。小田嶋や平川なのである。この本さ、わたし、頼んでもいないのにAmazon.co.jpから内田樹の新刊が出ますよってメール来たのよ、それって内田樹が著者ってことでしょ。でもよく見たら共著で、しかも鼎談だって。どうしようかなってかなり迷ったけれどもやはり先述のような理由から買うことを決め、予約を入れたのである。こんなふうにまだ出てもいない本を予約して買うなんて、チョー珍しいことなのだ、わたしの場合。いちおう期待したのである、中身に。なのに届いた本を読むと(数時間で読んでしまった)、小田嶋と平川ばかりが喋っている。ウチダ、セリフ少なっ。これ、そう思うの私だけかな? なんかさ、すっごく、めっさめさ、騙された気分(笑)。

しかし、まあ、3人が3人とも今回の五輪招致騒ぎを苦々しく思い、招致が決まって憂鬱になっている人々なので、主張は一緒で、同じ考えをもつ者にとって読みやすくひたすら相づちを打ちながら読み進める1冊には違いない。自分のモヤモヤを誰でもいいから言葉にしてくれないかなと思ったらこれを読めばきれいに言葉になっていて、一時的にはスッキリする。しかしその「モヤモヤ」は著者たちももっているので、けっきょくこのモヤモヤなんとかしてくれよどうにかならんかい、という感じで鼎談が終わるので、モヤモヤの根本原因の解決には、もちろんならない。ならないが、オリンピックなんかやめようぜと思う人が少なくとも自分を含めて4人居ることがわかったんだし、ならばもう少しいるだろうということで、希望をもつこともできる。

何の希望?
東京オリンピックの中止。
……無理か……。

何の希望?
まともな思考の日本人も少しは存在すること。
ほんまやで、たのむわ。

Il neige...2014/04/07 22:27:29

筆記用具、持ってる?
『書く力をつけよう 手紙・作文・小論文』
工藤信彦著
岩波ジュニア新書(1983年)


娘からぽつりぽつりと来るメールを読むたびに、ああほんまにお前は作文コンクールなるもので三度も賞を獲ったのか、ほんまにお前は出願時の自己PR書提出と試験日の小論文とで高校入試を突破できたのか、それって全部何かの間違いだったんじゃないのか、といちいち思う。それほどまでにヤツの文章には誤字誤変換が多く、口語と文語の区別ができてなくて、主従がねじれて、文章の主体が不明で、議論は支離滅裂である。今始まったことではないし、我が娘に限った話ではない。そんなことから、2、3年前だが、ここはひとつ青少年の未来のために小論文塾をやるぞという話が私の周囲で一度盛り上がったのだが、塾用のサイトをつくるぞ!と言っていた人の体調がすぐれず立ち消えになった。だがもし始めていたらどうだったか。どんな形で始めたにせよ、今の子どもたちの手の施しようのないほどの「書けなさ」に愕然とするばかりだったんじゃなかろうか。書けないだけではない。きちんと話せない。ひと昔前の日本人と違って今の子どもたちは人前で話すことを怖がらないが、それときれいに話せるということとは別問題である。ふだんラジオを聴いているのでよくわかる。若いアナウンサーたちは、アナウンサーを名乗るための訓練を受けている人たちである。美しい声の持ち主たちである。発音もよい。明朗である。しかし、話しかたは美しくない。ニュースを読んでいる時を除いて。はっきりと言葉を発音するが、例外なく「ら抜き」であり、必要以上に語尾が伸びる。とにかくなんでもどんな時でも最後に「で」をくっつけて、「それでぇ〜」「○○でぇ〜」「△△になったんでぇ〜」「なのでえー、それは違うということでぇー」……。
破綻しているのは娘の文章だけではない。日本全体の話し言葉と書き言葉だ。つまり日本語の遣われかたそのものが破綻している。
私たちの先行世代が育てて世に出した駆け出し社会人たちがこのていたらくであるということは、先行世代の日本語もアヤシイものであり、こうなると、私たちが育てて世に出さんとしている青少年たちはもっとアヤシく、私たち=青少年の親たちの日本語もアヤシイ。アヤシイもんたちがアヤシイもんたちを育ててアヤシさの二乗三乗にしたらアヤシイがふつうになりアヤシイのスペリオールが出現しさらにアヤシイものを求める世となってしまうだろう。アヤシイ日本語に歯止めが効かなくなる。

そんなところで、こそこそと小論文塾サイトを開いても、焼け石に水。

そうした絶望感に苛まれていたある日、仕事帰りに立ち寄った本屋で目に留まったのが本書である。

表紙がいい。
HBの鉛筆がある。万年筆もある。

著者の工藤先生は1930年生まれの国語の先生だ。
本書はとても真面目で地に足着いた、綴り方の学習書である。
日記を書くことの楽しさと、思わぬ効用を語る。
手紙を書く時の礼儀作法を説く。
感想文を書く時の、対象作品に対する心得を、丁寧に述べる。
奇をてらったテクニックや、必ず試験に出るテーマだとか、これを知っておけば試験はクリアできるとか、そんなことは1行も書いてなくて、文章を書くという行為のシンプルなよさ、楽しさを知らせたいという情熱にあふれている。

《みなさんは、文章を書くということを、どのように考えていますか。心のなかにもやもやと存在しているものを、ことばで書き表わしてみると、自分の感じたり考えたりしていることが、はっきりと見えてきて、それによって自分をあらためて見直すということがあるでしょう。文章には、心で感じたり考えたりしていることを、整理する働きがあります。
 また、文章を通して自分が考えたことを相手に伝え、相手からもまた考えを示されて、お互いに心を通じあって生きてゆくことができます。これは、人生において文章のもつ重要な役割です。》(2ページ)

冒頭のこの数行で、この先生がどれほど日本語と日本語で書くことを愛しているかがわかるというものである。なんと、文章を書くということは単純で素直な営みなのであろうか。こんなに単純で素直なことならなぜに私たちは文章を書くことにこれほど四苦八苦するのか。

《ことばは心を裏切ると、よく言います。感じたことや考えたことをことばで表現してみると、どこか気持ちとくいちがってくるのです。ことばはなかなか心を正直に伝えてくれません。ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしまいます。》(3ページ)

「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」うだなんて、ああ、工藤先生、あなたは詩人ね。書けずに苦しみ、んんががががコンチクショウ、と叫ぶさまを、「ことばを見出せないもどかしさがペンを止めてしま」う、とこれほどまでに美しい表現で言い放った人がいたか? しかも、べつに美辞麗句を連ねているわけではない。
しかし私たちが日常ぶち当たっているのはまさしく「ことばを見出せないもどかしさ」なのである。

感想文の章で工藤先生は三好達治の詩を引いて、こう述べる。

《詩の読み方には、その作品を読む人のさまざまな読み方があっていいでしょう。この詩で注目したいところは、〈雪ふりつむ〉という表現です。
 みなさんの知っている雪はどのように降りますか。遠い異国となってしまったサハリン(旧南樺太)生まれの私の記憶の中には、雪は降らせるものではなく、降りゆくものでしかありません。(中略)雪の降り方が一様でないように、人びとの雪の感覚もまた、多彩なのです。したがって、いくつかの感じ方があるのではなく、一人の人間には一つの感じ方しかできないことを知ることが、大切なのです。》(113〜114ページ)

日本語は、雨や雪、風や陽射しなど天候や自然現象の表現に富むとはよくいわれるところだ。とはいえ、数多の表現のあることと、ある人間の感じかたのありようとはかかわりがない。降る雪をみてどう感じるかは雪を見る本人固有のものだ。
三好達治が「ふりつむ」と表現した雪は、三好が見た雪だ。三好の見た雪を想像する。もはや降る雪を三好と同じ時間空間では見られない以上、想像するしかない。ここで想像力が問われるが、「一人の人間には一つの感じ方しかできない」。とすれば、「ふりつむ」ってあんなんかな、こんなんかなと思い描くのではなくて、ただ三好が見た雪を三好になって心眼で見る。
そうすると、この詩を対象にした感想文なんぞ、シンプルにシャッと書き上がるであろう。
だが、けっして、近道をガイドする学習書ではない。そうではなくて、きちんと射るべき的を射ること、「コア」を見誤らないこと、回り道になってもたどるべき場所をたどること。それらのことは工藤先生も力説しておられる。

それにしても、工藤先生の文章は「の」がきれいだ。「の」を美しく使うこと。現在失われている用法のうち、いちばん忘れて欲しくないのが「の」である。どの「の」のことか、わかる?

Donc, c'est pour ça...2014/04/10 09:03:25

『遊覧日記』
武田百合子 著 武田花 写真
ちくま文庫(1993年)


娘の友達の進学祝いに、ノートやらペンやらを揃えながら、ふと、小さな本はどうだろうと思って考えた。小さな本、というのはサイズのことではなく、もらったほうがべつに重く感じないで済む、という意味だ。その子はいずれ海外留学も計画しているので、なんか「世界に羽ばたく」感全開!の本がいいのかなと思ったけど、ではなくて武田百合子のエッセイの文庫にした。

武田泰淳のある小説が気に入って、その流れで武田百合子のことを知った。読みたい読みたいと思いながら後回しにしていて、いまさらながらなんだがようやく去年、2冊の文庫を入手し、しみじみ読んだ。『ことばの食卓』と『遊覧日記』だ。


私は、文章書きの例に漏れず須賀敦子の文章が好きで(みんな好きだよね?)、こんなふうにしっとり書けたらいいなあと読んでは溜め息をついている。
ある時、装幀のたたずまいがいたく気に入ったある随筆集を衝動買いした。外国暮らしの長い日本女性の、その滞在先でのあれこれを綴ったものだった。きれいな文章なんだけど、「須賀敦子さん意識しまくり」が見事に透けて見えてしまう。いや、これは私が須賀ファンなのでそのように読んでしまうのかもしれない。すぐれたエッセイに与えられるそれなりの文学賞を受賞されている人なので、私ごときが難癖つけるなんておこがましいけど、そしてなによりご本人は須賀敦子に似せてる気なんて微塵もないかもしれないのだけど、でも、この本には須賀敦子の文章にあるような「かの地の空気」はなくて、須賀敦子っぽい文体と構成は、ある。とそんなわけで、衝動買いしたけど、期待はずれでがっかりした本の巻、だった。

武田百合子のエッセイは、とても、いい。
文法や、文章を書く上でのルールとか、細かいことで突っ込める箇所は、実はたくさんあるけれども、とてもきれいな日本語である。須賀敦子のように異国の空気をそのまま目の前に運んでくれるようなことはないけれど、武田百合子の描写はストレートで、ふだんどうでもいいような、見逃してしまいそうな、日常の断片を読者の代わりに観察してつぶさに綴りあげる。それを読んで読者は、まるで対象を武田と同じように見ている気持ちになる、のではない。むしろ、そんなふうに見て書いてしまう武田百合子というご婦人の、ものを見る目に感心してしまう。人って怖いな、と思うのだ。

娘の友達には、手元にある2冊のエッセイ集を読み比べて、『ことばの食卓』のほうを贈ることにした。いや、自分が読んだやつじゃなくて、新たに買いましたけど。『ことばの食卓』のほうが、話題がより平坦で、だからこそひとつひとつの言葉がきらめいて見える。ぞんざいな言葉遣いをしがちな若者には、また、英語至上主義に踊らされて、目が外ばかりに向きがちな若者にはこちらのほうがいいと思った。

で、『遊覧日記』である。
「遊覧」つまり物見遊山日記である。いいなあ。羨ましー。
《夫が他界し、娘は成人し、独りものに戻った私は、会社づとめをしないつれづれに、ゴム底の靴を履き、行きたい場所へ出かけて行く。》(10ページ)
羨ましいでしょ?(笑)
浅草がお気に入りだったそうで、浅草へのおでかけ記が冒頭から3編続く。私には浅草へは若い頃一度、半日ほど歩いた経験しかない。その記憶の浅草も相当古いが、武田百合子の描く当時の浅草も、また昔のものだ。だが、浅草という土地のイメージが醸し出す何かが、エッセイを極端にノスタルジックなものにはしていない。武田の、風景や人物を描写する筆致におかしみがあって、対象はなんであれ、自分もこんなふうに描き出したいと思うのだ。
《女はワニ皮の大きなハンドバッグを、しわ深い膨らんだ指で大切そうにいじりながら、池を見ている。紫色の光るブラウスと豹の模様のビロードのスーツに、肥り返った体を押しこみ、ひすい色の耳輪をぶら下げている。厚く塗った白粉と口紅の横向きの顔は、六十を過ぎていそうだ。それでも元気そうだ。立派だ。年季の入ったストリッパーかもしれない。》(16ページ)
《いやに彫りが深くて色白の、元美貌、そのため却って、お金のなさそうな人にみえる老紳士》(34ページ)

上野や富士山麓の章があり、京都の章もある。いろいろなところヘ行って、こんなふうに旅や散策を綴れるっていいよなと思う。しかし、最後の章「あの頃」を読み、深く反省する。
武田百合子が晩年どのように、好きに、気ままに生きたとしても、誰に何を言われる筋合いはないというものだ。「あの頃」を生きた人であるからには、「あの頃」以降に生まれた者は一生逆立ちしてもかなわない。
「あの頃」とは終戦間もない頃。焼け出されて弟とその日暮らしをしていた頃。進駐軍のいいなりになるしか生きる術のなかった日本と日本人の頃。
だが、「あの頃」の章ですら、おかしみに満ちていて、人間、こうでなくちゃ、物書き、こうでなくちゃ、とやはりしみじみ読むのである。

Et vous, vous pensez à quoi, Victor?2014/04/13 09:55:27

『ユリイカ 詩と批評』2013年10月号
特集 武田百合子 歩く、食べる、書く
青土社

ものすごく、久しぶりにウィングス京都ヘ行った。去年、アーサー・ビナートの講演を聴きに来て以来だろうか。公的イベントはしょっちゅうあり、市の仕事で取材に来たことも過去にはある。そのほかには、お気に入りのバンドがクリスマスライヴをしたことがあって、1500円払って聴きに来たっけ。そんなわけでふだんはまったく用事がない場所なんだが、しかし、けっこう使えるよ、という情報をくれたのは実は娘だった。予約の入っていないスペースを、自習室として開放してくれるらしい。知っている人がいるとつい喋ってしまう、パソコンがあるとついユーチューブを開けてしまう、お菓子があるとすぐ食べてしまう、の「やってはいけないことを全然守れないで」賞を受賞してばかりの娘には、恰好の勉強部屋だ。同じような「ビョーキ」の学生たちが、チラ、ホラときて、カリカリと、あるいはぼーっと(笑)勉強していくらしい。ウィングスの図書室では、ほかの公立図書館と同様、「学校の試験勉強のため」に机と椅子とを貸してはもらえないので、調べものは調べもので別途しなくてはならない。ウィングス京都の図書室は、学生が調べものをするほどには蔵書はない。フェミニズムや女性問題を扱うなら別だが。しかし、その分コンパクトで、探しやすく整理されていることに今回初めて気がついた。「図書室は、リニューアルしたんです」とカウンターの人の言。そうなんだ。以前は書架を覗こうともしなかったのでどんなだったかわからないし比べようもないけど、貸し出し制限が5冊というのも、つい借り過ぎて、貸し出し期間中本に没頭してほかに何もできなくなるという事態に陥りがちな私にはちょうどいい。

おすすめの本のラックに、10月号の「ユリイカ」が載っていた。
特集・武田百合子だって。
ユリイカなんて気が向いたときにしか手にとらないから、武田百合子を特集していたなんて、知らなかったよ。知っていて、先にこの特集を読んでいたら、前に言及した2冊のエッセイ集を、私は買っただろうか。買わなかった気がする(笑)。

いろいろな人が武田百合子について書いている。多くは『富士日記』について行を割いている。『日々雑記』についても、多い。そっか。ではいずれこの2冊も読むことにしよう。

このユリイカを借りて、武田百合子特集をひととおりぱらぱらめくったあと、いちばん気になったのは、実は巻頭にあった詩人・中村稔さんの「人生に関する断章」という連載だ。この号のタイトルは「ミュージカル『レ・ミゼラブル』について」。

たしか最近、米映画でリメイクが行われたよね、これ? あの『プラダという名の悪魔』という映画に出てた、メリル・ストリープにいじめられる女子新入社員役の口の大きな女優がファンテーヌを演じていた、と記憶している。映画としての評価はどうだったのか知らないけど、DVDレンタルで借りて、CGを駆使したつくりがつくりものっぽくて(いや、映画はつくりものなんだけどさ)、とってつけたようなパリ・コミューンのシーンも学芸会みたいで、ちょっとな、うーん、みんなよく歌って頑張っているけど(それはほんと)全体としてはいまひとつ、という感想を持ったのだったが。

中村稔さんは、あくまで舞台のミュージカル『レ・ミゼラブル』について言及なさっている。この舞台のたいへんなファンらしい。劇中に歌われる歌の歌詞(英語)を書き出し、訳詞を検討し(さすがは詩人)、と熱がこもっている。日本での初演は1980年代で、ファンテーヌは岩崎宏美、マリウスは野口五郎、コゼットは斉藤由貴、エポニーヌは島田歌穂だったそうだ。島田歌穂はこの役が当たってその後一気に大物女優に成長したとか。しかし、中村さんによれば島田以外の3人はとんでもないミスキャスト(笑)、ミュージカルというのは歌も演技も抜群に秀でていなければならないのに3人はいずれも一方にしか長がなく、それゆえに劇全体を貧相なものにしていた、と手厳しい。そうなのね(笑)。

ミュージカル『レ・ミゼラブル』はフランス製の映画にもなった。仏製ミュージカルではどんなふうに描かれているのだろう。いままでミュージカル『レ・ミゼラブル』にはまるで興味がなかったが、中村さんのように一ファンとして真剣にミュージカルを論じておられるのを読むと、むしょうに観たくなった。
だいたい、原作は物語とか小説というよりも「フランス史」と呼んでもいいほど、フランスの国家としての歴史のいちばんごちゃついた数十年間を舞台にしている。王制から共和政、また王政復古、そしてパリ・コミューンという激動の時代があって、さらには大戦を経て、そして今のフランス共和国があるのよと思って、原作は読まなくてもいいけどそういう時代背景をいちおう考えてそれぞれの登場人物を眺めなければ、面白みは半減すると思うのだ。

従姉の娘たちが本を読める年頃になった時、私は「世界文学全集」を1冊ずつ贈った。全部で20巻くらいあったと思うのだが、第1回配本が『ああ無情』だった。もちろんそれは、コンパクトな抄訳で、小学生に読めるように装幀の工夫されたものだったが、贈る前に、中身を読み返し、抄訳をまとめた人の苦労も考えず『あ、あの場面をはしょってる。よくないなあ」なんて勝手な感想をもったものだった。でも、これをきっかけに、『ああ無情』の完訳を読みたいと思ってくれたら嬉しい、というようなメッセージをつけて贈ったような覚えがある。よく言うよね(笑)。完訳全巻は、よほどのフランス好き、ユーゴ好きが気合いを入れて読まなければ読めるシロモノじゃない。はい、私も、途中で挫折したんです。

ユーゴは、何年も何年もあとに自分の書いた小説が、舞台化される可能性は少し考えたかもしれないが、映画やミュージカルとなって世界中で愛されることになると想像していたであろうか。ましてやマリウスを野口五郎が演じて挙句こき下ろされるなんて、そんな光景を目にしたら何を思ったかしら、と、堀川通の八重桜を見ながら思ったりもしたさ。



京都はもんのすごい観光客ラッシュである。でも一人当たりの単価は下がってるそうだ。みんなしぶちんやな。

Que c'est beau! Tout est beau!2014/04/14 21:04:22

「二条城に行きたい」
「なんで、また」
「スマホがそう言うてる、二条城の桜が見頃やって」

スマホが、言ったのか、そんなことを(笑)。
二条城に限らず、京都ではまだまだ桜がきれいである。染井吉野よりそのほかのさまざまな山桜は開花が少し遅いし。でも二条城はウチから近いからそう言ったのだろう。いや、スマホではなく小百合が。


「初めて来たわ、二条城」
「マジ? 関西人ちゃうやん」
「いや、こんな超ど級観光地は、遠方の人のほうがようきゃはんねんで」
「そやな」
「初めて来たけど、来てよかったわあ」
「そうか」
「素晴しいやん、ここ。さすがは京都や」
「まあな」
「外人ばっかりやな。すごい集客力。インターナショナル〜」
「この人らにとって一生に一度の二条城かなあ」
「リピーターかもしれん」
「ユーロ高やしな」

私も家から近くなければこんなに何度も来ないだろう。
どこがおすすめ?と尋ねられたらたいてい二条城と答える。「二条城ならご一緒しますよ」と言えるからだ。小百合が言うように、京都に住んでいても(住んでいるから、ともいえるが)観光地には疎い。人混みが嫌いだから、オンシーズンはなおさら近づかない。けっきょく春と秋には行かないということになるので、その観光地の最も美しい風景は見たことがないわけである。
その点、二条城はなんといっても近いので、億劫がらずにちょこちょこっと行って帰れる。


小百合は「素晴しい」を連発した。国宝の二の丸御殿のそこここで、本丸御殿の前で、天守址で、庭園で。イタリアンレストランを経営している小百合は、集客ポイントに敏感だ。何が人の注意を惹くのか、何が人を欲求を満足させるのか、幸せな気持ちにさせるのか。いったん自分のテリトリー(店)に足を踏み入れた人は、絶対に笑顔にして帰らせる自信がある。あるが、足を踏み入れてもらわなければ戦うこともできない。どうすれば数多あるレストランの中から自分の店を選んでもらえるか。そんなことばかり考え続けて25年間、店を流行らせてきた。恋人どうしで来てくれたカップル客が結婚し、子ども連れで来てくれるようになり、その子が大人になって友達や彼氏彼女を連れてくる。
「京都の観光名所はほら、修学旅行で来る人多いやろ。修学旅行で来て感激した場所に今度は恋人と来るとか、新婚旅行で来るとかして、ほんで家族旅行で来て、フルムーンで来て、とかしてる人多いで、絶対。それぐらい何回も引き寄せられるもんが、あるな。さすがは京都や」
いやいや、君の店も、さすがやで。小百合はマネージメントにとても秀でている。彼女の姉もそうだ。いくつもの会社や店をやり繰りしていたお父さんの血を、娘二人は正しく引いている。

私はといえば、このように誰かを連れて二条城に来ることがとても多いのだが、ガイドはしない。一緒になってほほぉーと観光する。二条城に入って、歩いて、御殿や庭を見て、話すことは人によって全然違う。用件があってきた人とはその用件の話をするが、そうでなかったら、流れに任せて話題もさまざまだ。何に価値を見出すか、それは人によってまるで違うのが、興味深い。国宝の御殿の中を歩くだけでほぼ通過してしまうが、梅や桜の枝ぶりには見入ったり。ふすま絵には関心を示さず、柱の瑕をいちいち注視する人とか。同じ史跡に身を置いても、これほど人の反応とその時の心持ちと話すことが変わるのかと思うと、当たり前のこととはいえ、面白くも、少し切ない。
何度訪れたとしても、その時点の二条城は、時間と空間をも含めて考えると、唯一無二であるのだ。


Ce que je voulais faire2014/04/18 00:29:33

今年何を手に入れたいか、何を実行したいかを、いつかブログに書き出したと記憶している。
そのうちの、「母とミュンヘンに行く」はとうてい実現不可能のようである。彼女の状態はだんだん下降している。特別機をチャーターできる身分ならともかく、搭乗手続きやら出入国管理やら、ウチを出てから目的地へ着くまでのもろもろを頭の中に箇条書きにするまでもなく、無理だ、無理。歩行困難な母には平坦なフロアでもハードルが高く、手首の壊れた私には、母を載せた車椅子と自分の荷物の両方をコントロールするのは耐えられない。そんなわけでこれは脱落。


「魔法のようにしゅるるっと抜けるワインのコルク抜き」。いろいろなお店でいろいろなワインオープナーが売られているが、いったいどれが「魔法のようにしゅるるっと」コルクを抜いてくれるのか、全然わからないのでまだ入手できないでいる。

「ミシンを修理に出す」。出したところで「夢見るお裁縫三昧の日々」には到達できないとわかっているので、今年中に実行できるか甚だ疑問。


「退職」は実現してしまった(笑)。わーいわーい。毎日が日曜日♪
と、思いきや、あれもこれもあれもこれもで「会社辞めたらこれがしたい」と思っていたことがほとんど実現していないことに、ふと、呆然としているわたくし。

勤め先の業務内容の性格上、繁忙のピーク時は寝る間も食う間も休む間もない。私の場合、いくつか抱えていた定期刊行物の制作のピークにくると日付が変わらないと帰れなかったし、ここんとこずっと母をほうっておけないからやむなく仕事を持ち帰って家で明け方までに仕上げるとか、母を寝かしつけてから職場に戻るとか、そんなことが数日続く。でも、3、4年前までは、そんな日々がローテーションで巡ってくる生活でも、一日眠りこけたら疲れがとれた。仕事が閑散とする時期もローテで巡ってくるので、その間にほげーっとすることで、また巡ってくるキツい時期を乗り越えられた。しかし、3年くらい前から疲れがとれなくなり、不眠を引きずるようになり、突然起き上がれなくなるなど普段の生活に支障が出始め、そうした支障はいろいろに工夫して一時的にはやり過ごせても、また無理が生じる。


だから、退職してやりたかったことは、とてもたくさんある。
仕事にかまけて、ほんとうに何もできない日々を過ごした。長く過ごし過ぎた。


●毎朝門掃きしたい。水を打ちたい。
●毎日家の中のどこかを掃除をしたい。2か月や3か月に一度、狂ったように大掃除するのでなく、ふだんからこまめに掃除したい。
●毎日きちんと料理したい。決まった時間に食事をしたい。
●植木の世話をきちんとしたい。放置して凄まじい形になったものとか、雑草に負けてかれたものとか、私の可愛い鉢植えたちはなかなかにソヴァージュである。


●真面目に娘のことを考え、娘の将来を考え、行動したい。
●真面目に母に向き合い、エンドレスな介護について覚悟し、行動したい。


●もっと縫いものをしたい。
●もっと編みものをしたい。
●もっと映画を観たい。
●もっと舞台を観たい。
●もっと美術館やギャラリーヘ行き絵の鑑賞をしたい。

だけどいちばんしたかったことは何かというと、「読みたい本を読みたい」。
「読みたい」と思った本だけ読む生活は、ここ数年してこなかった。ただ、読みたくなかったはずの本が、読んでいくと面白く、結果的に満足していることも多々ある。読みたくなかった本というのは、当然ながらかつての勤務先で、仕事の都合上読まざるを得なかった資料の類いだ。こんなもんふんっとページを繰り始めながら、内容の濃いものだと仕事そっちのけで没頭してしまう。そんな本はたいてい短時間で読んでしまうが、何日も頭の中を占領することがある。すると、読みたいと思って枕元に置いてある本を、思うように読めないのだ。


疲れきっているうえに、アタマの中はほかの本でいっぱい。
ベッドに乗っかったら瞬時に寝てしまう私を、その顔のすぐそばに積まれた本たちはどう思って眺めていたであろうか。


勤めという縛りから解放された私はこれらの欲望をすぐに叶えられると思ったが、今、叶っているのは料理と食事くらいだろうか。

毎日誰かが訪ねてきて、毎日誰かに会いにいく。


何も起こらず空気も動かないような日々などに興味はないが、でもやっぱしもっと本を読みたいよ。
(出演:我が家の鉢植えたち)



On a toujours une conscience tourmentée, cela ne dépends pas du tout de l'âge.2014/04/25 00:16:56

焼きたてのパンと一緒に♪
『55歳からのハローライフ』
村上龍著
幻冬舎文庫(2014年4月)


行きつけの書店(けっしていちばん好きな書店ではないが)で前にもらった金券100円分があったので、文庫本でも買おうと立ち寄った。その書店のレイアウトは、会社勤めの若い男女を意識しているということのよく伝わる、わかりやすい配架になっている。こっち向いたら政治経済社会、そっち向いたら京都本著名人本スピリチュアル系心に残る言葉系。私はいつも、出入り口付近のその「参道」はすっと抜けて、実用書(旅行、料理、手芸)の壁または思想・哲学・文学系書架を眺める。買うことはほとんどない。誰が、どんなことを、どんな装幀の本の中で述べているのか、その概略をつまめたらそれでいい。いや、ほんとうは買いたいのだ、目についた本を全部。でも、我が家は私の蔵書のせいで敷居も鴨居もしなって傾き建具を引くことができないありさまゆえ、これ以上本を増やすわけにはいかない。と、けなげにもいつも諦めているのである。涙をのんでいるのである。……というのは、ほとんど嘘である。たしかに欲しい本全部は買っていない。全部は買っていないが、さんざん吟味した挙句、これだけ買うわごめんね我が家、とつぶやきながら究極の一冊を手に、それでも書架の前にしばし立ちすくみさんざん逡巡する。いったいどのくらい時間を費やすつもりなんだ早く決心してレジへ行け、と己に言い聞かせてやっとキャッシャーに足が向く。……というのはごく稀なケースである。私はたいてい時間に追われているので、そんなに贅沢に時間を費やして本を買うかどうかを迷い悩み続ける余裕はないのだ。したがって、どうしよっかなエエイ買うてまえ〜と2、3冊つかんでちゃっちゃとレジに並んでいる、というのがほとんどのケースなのである。これ以上本を増やすわけにいかないと自分に言い聞かせるようになってからもう幾年も経っている。その間、言い聞かせているのはいったい誰なのよと自問するのも時間の無駄とばかりにおおおっこれはっよし買うでえっと衝動買いに近いというか衝動買いばかりで本を買うので、本は増える。衝動買いするのは装幀の美しい本が多い。そして中身はチョー軽薄orチョー冗長orチョー説教臭いというわけで結論チョー期待外れ、だったりするので、男とおんなじだ、なんてあたしは本を見る目がないのだろう、と打ちひしがれたりする間もなく増えた本に唖然として溜め息をついている。ここ何年もの間にたしかに少なくない本を古本屋に売ったけれども、やっぱ本は増えている。私はけっして蔵書家などではない。でも我が家のキャパは超えている。しかしそうした厳しい現実から逃避するのは大得意である。で、今回のように、よく空が晴れて陽光麗しく、財布の中には金券、なんて日は、我が家の実情を忘れてルンルンと本屋へ向かうのだ。

最近の文庫は漫画単行本(コミックス)みたいな表紙が増えて、子ども向けアニメのノベライズなのかライトノベルなのかエロ漫画なのか、いや文学賞受賞作家のシリアスな小説だった、みたいなケースが多々ある。紛らわしい……。いくら文庫でももうちょっと装幀、真面目に考えようよ。そんなわけで、私は文庫に限っていえば衝動買いはしない。美しい装幀なんかないからだ。文庫の場合は、図書館で読んだ単行本にいたく感動して忘れられず、どうしても欲しいけどあの分厚い単行本は高いよな……と思っていたら文庫になっていた!よしゴーバイ!!みたいな時に限るのである。……というのは今回の場合まったく当てはまらなかった。文庫の書架の前へ来て、ケバい表紙たちに辟易しながら、なんやこれ、なんやこれ、もうちょっとさ、しゅっとして気の利いた表紙はないのんかい、持ち歩けへんやんこんなん、と心の中で悪態をつきながら、やっぱやめとこと通過しかけて、ある本に目が釘付けになった。それが本書だ。

55歳のハローワークやて、ぷぷぷっ、今のあたしにぴったりやん(私は目下プー子〈失業女〉であるから)、さすがはリュウね♪、あら、これ小林薫ちゃう? そうちゃう? そうやん、小林薫でドラマ化って帯ついてるやん、そうなんふーんテレビは見いひんけど小林薫やて、ええわあ、と、私はそのまま考えを反芻することなく、平積みになっていた本書をガッとつかんで、文庫を生まれて初めてと言っていいだろう、衝動買いした。
表紙はイラストで、熟年男女が手をつないでいる後ろ姿だが、斜め後ろから見える男の目元が小林薫だった。私は小林薫を激しく好きである。状況劇場に所属していた頃からのファンである。おっさんになってもほんまにええ男である。

平日の昼間のせいかレジカウンターにはキャッシャーがあまりいなくて、しばし列の後ろで待った。そのあいだに、表紙、そして帯をよく眺めると、55歳のハローワークじゃなくて『55歳からのハローライフ』なのだった。ワークじゃなくてライフ(笑)。ワイフでもなくてライフ。なんやねん、それ。あ、そうか。再就職の話ではなくて、人生の再出発の話なのだ。
子どもが成人して一段落した時にふと配偶者を眺め、「嫌」だという思いが募って離婚に踏み切る。定年前に会社をリストラされるが再就職の望みは薄い。早期退職して夫婦で旅行したかったのに妻は乗り気でなく。ある日ふと出会った女、熟年を迎えて生まれて初めて女にときめいたのに。とか、どれもこれも、身につまされる(笑)。
中編小説が5編収録されていて、どれも、読ませる。さすがはリュウね。本書には、いつもうじゃうじゃ出てくる変態オヤジは出てこないが(ひとりだけ出てくるが主要人物でない)、そのぶん、まともでまっとうな一小市民の人生にこれほどまでに苦悩と困難があるのか、でも、そうだよな、みんなそうだよなと、うんうんわかるわかると読み進むのである。読み進むが、結末まで来て、なんだか説教臭い終わりかたに、釈然としない。村上龍は述べている。この小説の主題は、中高年にエールを送ることだ。しょぼくれてないで、顔をあげて前を向いて、まだまだ続く未来への道を歩こう。そう元気づけるために書いたという。主人公たちはみな作家と同世代で、作家は非常なシンパシイを感じつつ書き進み、読者がよしオレもアタシも頑張ろっと前向きになってくれたらいいと願った、みたいなことを述べている。

ま、それはいいけど。
最後の5行くらいで、妙に主人公が希望に満ちたり、再出発を誓ったり。つまりは、いい方向へ向かって終わるのだが、中編小説集でどれもそういうふうに終わられると、ちょっとつまらない。この中編小説集の趣旨が最初から55歳へのエールだからしょうがないと言えばしょうがないのだけど、救いようのない話がひとつぐらいあってもいいのに(笑)と思うのは私だけだろうか。

思えば村上龍の作品は、変態オヤジがよく出てくるとはいえ、どちらかというと未来に希望のもてる終わりかたをするものが、もともと多いかもしれない。ここで引き合いに出すのはあまりに唐突だが、村上春樹はラストで読者を突き放して置いてきぼりにするのが常套手段だ。けったいな話が、それで妙にリアリティに満ちる。
本書の物語はいずれもたいへんよくある話で、自分の身に起こってもおかしくはなく、だからそれだけに、さまざまなエピソードののちに、主人公がわかったふうなことをつぶやいて終わるかたちをとっていることで、リアリティが減じている。残念。物語の起伏や挿話の運ばれかたも隙がなく、とても面白い。小説ってこう書くのね、の見本みたいである。でも、ひとつぐらいは主人公とその相方が奈落の底に落ちる話でもよかったのに(しつこい?)。

《うんと遠くにいる相手のところまで行って大切な何かを伝えるって、それだけですごい価値がある気がする。》(63ページ「結婚相談所」)

Avril2014/04/30 23:37:49


ロートレックが好んで描いたのはジャヌ・アヴリルという名の踊り子だった。
西洋美術史か、あるいは美学概論か、そんな名称の必修科目が美大にはあり、その学年末レポートのために、私はひたすら最愛のロートレックについて調べていた。
彼の人生はとても短かった。短かったけれど、まるで自分の人生の短いことを最初から知っていたように彼は踊り子たちを描きまくって愛しまくって果てた。作品によく登場したのはラ・グリュとジャヌ・アヴリル、そしてイヴェット・ギルベールという歌手。ロートレックのポスターは、よく批評されているように躍動感にあふれている、なんて私は思ったことがない。前世紀のパリのキャバレーの、放蕩者たちの遊び呆ける様子だとか場末の空気だとかダンスフロアのむんむんした熱気だとかが伝わってくる、なんて嘘だろう。だって実際のそれを知らないもの。でも、レポートにはそんな嘘八百をしれっと書いて提出して合格点をもらった気がする。
たしかにロートレックは、モンマルトルに通いながら、そこに集う男女を観察し、幾つものスケッチを描き、臨場感あふれる構図でポスターを仕上げた。対象(モンマルトル、キャバレー、踊り子)を深く愛していたに違いない。しかし、趣味で描いていたのでもなければ本能から描かずにおれなかったというのでもない。彼が創ったのは商業ポスターだ。ロートレックは居合わせた人々の中でも誰よりもシビアに対象を視ていた。そして、時間を故意に切り取り、効果的に貼り合わせた。意表をつく構成が功を奏し、パリジャン、パリジェンヌたちの気を惹くことに成功していたのだ。
在学中は何も知らなかったが、卒業してからフランス語を勉強し始めて、ジャヌ・アヴリルの「アヴリル」という姓が「四月」という意味だと知る。そして、そのことじたいが何の意味もないことも知る。姓が四月だろうと八月だろうと本人の生まれ月を表しているわけがなく、苗字が「○月」さん、という人はやたらいるのであった。留学中、寮で友達になった背の高いアフリカの男の子、出身国は忘れたが皮膚は真っ黒だったのでアフリカの中央のほうだったと思う、彼の姓はジャンヴィエ(=Janvier、一月)といった。え、そうなの、あたし一月生まれよ、と言ってみたが、彼は「俺は違うよ」と言った、まるで、なぜそこに絡むんだよとでも言いたげに。

四月が終わる。

月の半ばに宇治の平等院を訪れた。鳳凰堂が美しく塗り替えられて新装開店!という感じである。新装開店だが何のセールをしているわけでもない。ないのにどえらい人であった。ものすごい数の観光客。参拝者というべきなんだろうが、誰も参拝しているようには見えない(笑)。修学旅行生が黒蟻のように集まっていた。まさに行楽日和の美しい春の一日。こんな日に京都へ来られて、みなさま、お幸せね。

入場人数制限をしている鳳凰堂は別料金。受付で訊くと、1時間半待ちといわれたので、やめる。
以前は煤竹色をしていた鳳凰堂だが、べんがらだろうか、きれいに塗られて上品に紅く染まっていた。屋根の鳳凰も金箔が貼られて、青空に映える。きれいである、ほんとに。
とんでもなく行楽客であふれているのにそれをちっとも感じさせないことに成功している幾つかの写真をお見せしましょう。鳳凰堂ばかりですけど。

真っ赤な霧島ツツジと。

正面から。

枝垂れ葉桜の、枝垂れの隙間から。

ツツジとともに。

青もみじの向こうに鳳凰。

松葉の向こうにも鳳凰。

宇治へは、在職中にお世話になった知人に会いに行ったのである。宇治市関係の定期刊行物に4年余りかかわった。知人は、私の仕事を過剰に高く評価してくれていた。その刊行物はやがて休刊が決まったが、私が最後の挨拶に行ったとき彼女は人目はばからず号泣した。永久に続く刊行物などあり得ない。いずれどこかで線を引くのだが、どんな時もクライアントに泣かれたことはなかったのでその時は非常に戸惑ったが、でも、嬉しくもあった。

退職したことを報告し、互いの近況を語り合った。似たような年格好なので、同じような年代の親を抱える。おのずと介護の話に花が咲いた。不謹慎かもしれないが、互いの親の衰えぶり自慢というか、ウチはそこまで行ってない、ウチではその点はもうダメ、なんて。子育て中の母どうしが子どもの話題を共有できるのと似ている。かなり似ている。

春、宇治市はかきいれどきである。宇治川沿いの桜が満開になり、つづいて琴坂の山吹が坂道の両脇を、真っ黄色(正しくは山吹色だな)に点描する。そして平等院の藤が花房を垂れ、三室戸寺の紫陽花が境内を青く染めあげる。そうして宇治川の鵜飼の声を聞くと、夏だ。

何もかもが目覚め、芽吹く春。生き物の生命の循環と、人の生活習慣の区切りを重ね合わせ、四月を年度の始まりとし、三月に卒業を祝い四月に入学進学を祝う日本の慣習は、私は悪くないと思う。欧州かぶれ人だったので、いっときは長い夏休みを学年の終わりにして涼しい秋に始まったほうがいいのにと本気で思っていたが、10月になっても夏日が続く場所に住んでいるとそんな考えは無意味だと気づくのである。

ここでは、春も短い。
四月は、花冷えのきつい月でもある。
そしていきなり初夏の陽光に見舞われる。
さまざまな花が咲いては散っていく。
四月は千変万化。

ロートレックを虜にしたジャヌ・アヴリルも、ダンスフロアを出れば生活に疲れたひとりの女だった。見事な足さばきで男たちの目を釘付けにした舞姫の姓が四月というのは、やはり偶然ではないように思えてならないのだ。