ひとは幸せな記憶を長くはとどめておけないものだからせめて辛い記憶は埋もれたままにしておくれ2008/12/15 20:04:35

やめてほしいイベントが二つある。
「流行語大賞」と「今年の漢字」。



流行語大賞を云々するシーズンになると、流行り言葉っていったい何だ?と、まずそこから定義をし直さなきゃという面倒くさい(実に面倒くさい)気持ちになるのが、まず嫌である。
流行語って、その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体のなかで、その人たち誰もがつい口にして情報共有感または連帯感を確認できて、なおかつ、楽しくウキウキした気分になるとか、その語をやたらと用いることで人とかモノとか事象を揶揄したりリスペクトしたりするという気分で盛り上がれるとか、そういう類のものだと思うんだけど。
ひとつの国で「流行語大賞」というからには、【その語の意味を共有する人々が集う場所もしくは住む地域もしくは所属共同体】イコールその国、ということになる。

歴代流行語大賞については何も知らないが、毎年候補語がメディアで取り沙汰されているのを見ていると、何が面白いんだかさっぱりわからない芸人のギャグだとか、有名人がたまたま口走ったのをマスコミがやたら書き立て皆の耳に馴染んでいるというだけのフレーズだとか、そんなものばかり並んでいて、それを「流行した言葉」と位置づけてええんかい?と首をかしげてしまうのだ。

ちなみに2008年、私と娘の口にやたらのぼったのは、「いみがわからへん」。
小学校のときはやたら「いみふめー!」と叫ぶ娘(とその周囲の小学生たち)の真似をして私も「いみふめー!」を連発していたが、「いみふめー!」は、子どもの中学校入学とほぼ同時に「いみがわからへん」に変化した。

「いみがわからへん」は、娘がいうには、数学科担当教諭で部活の副顧問でもあるサブロッチ先生の口癖らしくて学校でも話題らしいんだけど、私が思うに、娘はサブロッチに会う前から「いみがわからへん」といっていたはずなのである。むしろサブロッチのほうが生徒の口真似をしていて、いつのまにか口癖と指摘されるほど頻繁に用いるようになったんだ。

実はあるとき私は、子どもみたいに「いみふめー!」というのをやめて、意味がわからないときはちゃんと「そんなの、意味がわからへんよ」、と意思表示するようにしようと心がけ始めた。それは昨年末頃のことだ。それから、しばらくして娘は「いみふめー」のかわりに「いみがわからへん」というようになった。そして、自分でも気づかないうちに、連発するようになった。

たぶん、子どもをもつ各家庭で同じようなことが起きていて、中学生になった子どもたちは「いみふめー」をやめて「いみがわからへん」というようになり、サブロッチにも波及した……のである。

どうでもいいことである(笑)。
が、私たちは、それぞれが「いみがわからへん」というとき、あるいは相手がいうのを聞いたとき、サブロッチを思ったり、数学のテストの悲惨な結果を思ったり、部活のきつさを思ったり、漢字では書けないくせに「いみふめー」といっていた頃の可愛らしさを思ったり、この言葉ですべてを片づけて逃げようとしている自分を思ったり、するのである。
なかなかこれで、いろいろな事どもを含むのである。そしてやがて使わなくなるのである。流行語ってこういうもんじゃない?



もうひとつの「今年の漢字」。
「流行語大賞」とは違ってこちらはローカルイベントである。
ご存じない方のほうが多いに決まっている。
説明するのも腹立たしいが説明すると、「その年の世相を表す漢字一字」を決めるイベントである。

この国がちっともよくならないのは、関西に元気がないことが理由のひとつだと思っている。首都圏に次ぐ経済規模のこの地域に元気がないと、例えば地方分権の議論も盛り上がらない。首都機能分散とか道州制とかにしても、関西の発言に説得力がないと進まないであろう(私は道州制なんか反対だけど)。
関西が元気かどうかは、ひとつは阪神タイガースの動向がものをいう。
もちろん、ほかにもいろいろある。ガンバ大阪も寄与してるんだろう。よく知らないけど。こういうスポーツや文化面の振興は、それを嗜好する人以外にはあまり波及しないものである。

比して、件のイベントが年中行事としてあるって、どやねん。
毎年その年を振り返って「今年の日本社会はああだったこうだった」と話すとき、「いいこと」を思い浮かべる人っている?
個人の一年間の生活を回顧するのとは違う。合格した、結婚した、子どもが、孫が生まれた、卒寿を迎えた……自分としては慶事あふれた年だったけど、世の中、社会は……。
世相を思うと、自分とは直接関係がなくても大きなニュースが頭をよぎる。そして大きなニュースとは悪いニュースのほうが圧倒的に多いのだ。

このイベントをワイドショーやラジオでやんややんやと取り上げるのは関西、あるいは京阪神だけだろうと想像する。ここの住民は、暮れになると毎年、いやでも一年を回顧し、「あれはひどかったわねえ」「お気の毒なことやったなあ」「あんな悲惨なこともう嫌やで」などとけしからん出来事や悲しい事件をいっぱい思い出す。
ああ、なんてひどい年だったんだろう……いったいいつまでこんな世の中が続くんだろう……。どんなに幸せいっぱいで過ごした人でも、そのような思いでいっぱいになってしまって、暗澹たる気持ちで一年を終えるのである。

やめてよ。まったく余計なことをしてくれる。そう思いませんか。
こんなイベントが十年以上も続いているから、われわれはいつも閉塞感に苛まれ、気持ちが晴れないまま、憂鬱なまま生かされてしまうのである。

ある年を漢字一字で表す。その試みは悪くない。各人がそれぞれの思いで一字を思い浮かべる。日本人ならではの知的遊戯だ。著名な方々がテレビなんかで「私の一年を漢字一字で書くとこれでーす」なんて遊んでいるのは罪がない。
しかしそれを人に押しつけないでほしい。考えさせないでほしい。
一年を振り返る必要のある者だけがやればいいだろ。
何もかも忘れたい人間だっているんだ。
投票なんかさせるな。学校とか公共施設とかに投票箱なんか置かせるな。
結果に影響を受け易い人間だっているんだ。

私は、このイベントが全国区になる前に消滅することを心から願う者のひとりである。
なんといっても、投票数はまだ11万程度だ。最多獲得票数は6000票ちょっと。
そんな票数で世相を表す一字と騒ぎ立てるのはとても滑稽。
日本のほとんどの人が「今年の漢字」なんか知らないし、結果に振り回されたりもしていないけれど、たぶん、私たちの地域にはつい振り回されている人々がいる。
そのせいで、関西は元気がないのだ。
「いやな一年でしたね」を合言葉に年を終わるなんて、まっぴらだ。

愛するウチダさんも言っている。
《……お正月番組の打ち合わせ。タイトルはどうしましょうかと訊かれたので、「変わるな!日本」というのをご提案する。「いいじゃん、このままで」というのが私の最近の万象についての基本姿勢なのである。》

来る歳も相変わらず幸せでありますように。

賞味期限のごまかしを云々する前に(続)2008/01/31 20:38:14

前エントリの続き。

本書を読んで、「うわーこれアタシだっ」とグサグサ来たのも事実だが、やはり「うっそー」と驚いたことも少なからずある。その中の最たるものは「家族の行動がバラバラ」だということだ。家族構成員が全員大人で、それぞれが自立して各自責任をもって行動しているということでは、もちろんない。まだ幼少の子どもがいる家庭ですら、そうなのである。

前回、クリスマスツリーやケーキをきょうだいの人数分用意する家庭があることに触れたが、喧嘩にならないように用意することは、たしかに悪いことではない。だが著者が重要視しているのは、「ほかの誰かと協力して何かを作り上げる」機会を親が積極的に奪っているという事実である。

ウチの娘がまだ小学校低学年だった頃、地域のイベントとしてクリスマス会やひな祭り会があり、ケーキのトッピングは子どものたちの喜ぶメインイベントとして用意されていた。しかし、六~十人で一つの班を作って、協力して飾りつけ、出来映えを競うというものだった。大騒ぎである。喧嘩もする。クリームだらけになってワイワイ騒ぎながら、それでも自然とリーダーシップをとる子が現れ、子どもたちそれぞれの作業の得手不得手が明らかにもなる。アイデアを出し合ってきれいで美味しそうに飾ろうとする。私の覚えている限り、もんのすごおいケーキばかりだったけれど、食べたら同じさといわんばかりに、子どもたちは上機嫌でそうしたイベントを終えるのである。

だが本書によれば、親しい家庭どうしが集まって開くパーティーなどでは必ず一人に一個、トッピング用のケーキを割り当てるという。これは現在の主流なのだろうか?

そして語られている家庭の多くが、朝食も夕食もバラバラに摂っている。もちろん事情はあろう。平日はお父さんが早く、きょうだいそれぞれ学校が異なると出発時間が違うので、朝食はバラバラになる。しかし、まだ5歳や6歳の子どもたちでさえ、休日は寝ている親より早く勝手に起きて、それぞれ冷蔵庫から惣菜パックなどを出して食べたりしている、という状態を、家族のそれぞれがこうして自主性をもって一人で行動することはいいことだというふうに肯定的にとらえる傾向が強いのには閉口する。こういう家庭では、正月、クリスマスに限らず家族の誕生日など「みんなで食べる」機会にも「それぞれが好きなものを飲んで食べている」。個性や個人の趣味嗜好を重視するのはけっこうだが、何か違っているように思えてならない。
そのように幼少から「勝手に」「自由に」「一人で」振る舞うのを当然として育った子どもが大人になったとき、協調性が欠けるとか、堪え性がないとか、人の意見を聞かないとか非難されたりしても、その子のせいではない。そうしたことが原因で大きな不祥事にでもなったとき、その責任を、親は取れるか?

本書には、家族はバラバラだけど、携帯でちゃんとつながってますからといった主婦(小学生の親だったと思う)も登場する。このひと言はショッキングであった。そうか、それほどまでに携帯は重要なんだ。命綱なんだ、イマドキの家族の。
便利なツールであることは、私だって否定しない。
高校生になったら持たせてね、という我が娘や、ダメダメ選挙権と同時だよ、なんていう私自身などはすでに過去の遺物として珍重されるに違いない。

もう一つ、なるほどと思ったことは、インタビューに答える主婦たちの言葉の乱れである。それはもう、凄まじい。笑える。
若者や子どもの言葉の乱れ、国語力の低下がいわれてもう幾久しいが、私たちはたしかに、「元・言葉の乱れた若者たち」だったし。カタカナ語を連発する官僚たちはほぼ同世代だし。こんな私たちに育てられた世代がきれいな日本語を使えるはずがない。
言葉遣い(だけではないが)が、子どもじみているのである。

言葉は生きものだ。正しい日本語はこれだ、なんて範はない。そんなに肩に力入れなくても、乱れたら必ず軌道修正の動きが起こって、必ず中庸が存在するようになるものだ。そう思っていたけれど、本書を読んでいささか暗い気持ちにさせられた。言葉が死んでいるのだ。本来もっているはずの語源や意味という輝きを失っている。

子どもじみているのに、言葉はすでに死んでいるなんて。

諦めなくてはいけないのかもしれない。

賞味期限のごまかしを云々する前に2008/01/30 20:19:06

『普通の家族がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓』
アサツーディ・ケイ200Xファミリーデザイン室
岩村暢子著
新潮社(2007年)


ずいぶん前に図書館に予約リクエストを入れておいた本だけど、暮れになってようやく私の手許に来てくれた。

面白すぎる。
もう抱腹絶倒。

なぜそんなに面白いかといえば、本書はまさに「よそさまを覗き見している」気分を大いに味わえるからである。不謹慎だけれど、本来人間は覗き見が好きであるからして、よそさまの家のご様子がよくわかる本書は非常に愉快なのである。

といっても、本書はそのように不謹慎で不真面目で不遜な書物ではけっしてない。

よそさまを覗き見する気分で本書を読み進みながら、私たちは我に返る。
「え、これ、どっかで聞いた話よねえ」
「う、これ、なんだかウチとそっくりじゃん」
「げ、これ、あたしのいつもの台詞じゃん」
「ぐ、これ、もしかして……」
もしかすると、ではなく、間違いなく本書が語っているのは「私たちのこと」なのである。現代の子育て世代の食卓がいかに貧相なものであるか。各家庭の経済事情でやむなく貧相な食生活に陥っているのではなく、いかに積極的に「貧しい食」へ突き進んでいることか。自分たちの食卓がこんなにも貧しいことに、いかに無頓着でいることか。

岩村さんの前著にはすでに触れたけど。
http://midi.asablo.jp/blog/2007/12/26/2530974

前著は、私たちの母親世代のことが主に述べられていた。読み方はひとぞれぞれだけど、私の場合、「なんでウチの母ちゃんてばいつもああなんだろう」と何かにつけて感じていたことの幾つかは、謎が解けたように思えた。それは、だからといって母と娘の相互理解が進むとか、文化風俗慣習の継承を促すとか、そんなことにはけっしていきなりつながらない。母は母のまま、私は私のままだ。だけど、私の場合(なんどもいうけど)、ちょっぴり母に優しくなれそうに思った分だけ、岩村さんの本を読んだ甲斐は確かにあったのである。

で、今回の『普通の家族……』だが。
前著でおせち料理の家庭内継承について多少述べていた岩村さんは、本書では「クリスマス」と「お正月」に的を絞って現役子育て世帯を対象に実施した調査結果をレポートしている。この二大イベントは、日本の普通の家庭ではいったいどのように過ごされているか……たぶん、私と同じような世代の人たちにはだいたい想像がつくであろう。それはもちろん「クリスマス重視、お正月軽視」である。

クリスマスには、夫は戸外の電飾に励み、妻の手作りリースを玄関ドアや室内のあちこちに飾り、これまた妻の趣味であるトールペイントでこしらえたサンタやトナカイを所狭しと並べ、子どもの人数分だけ(!)ツリーを置き、子どもの人数分だけ(!)クリスマスケーキを用意し、チキン(ファストフードだったり、デパ地下だったり)料理を買ってきて、ワインとシャンメリー(子ども用)で「ムードたっぷり」に盛り上がって楽しむ。

なぜ「子どもの人数分」必要かというと、「きょうだいは平等であるべきだから」だそうだ。
ケーキは市販のスポンジを人数分買って、きょうだいそれぞれがトッピングする。
「ツリーもケーキも、子どもの作品ですから」
……その気持はわからなくもない(泣笑)。
ウチは一人っ子だ。何人もお子さんのいるご家庭、どうですかっ。きのめさん、おさかさん。

いっぽう、お正月。元旦の食卓にはカップ麺とペットボトル飲料。「お正月にはおせちというものを食べるのだということを子どもにはきちんと伝えたいから」という家庭では、小さな「おせちパック」みたいなものを買っておいて、テーブルの真ん中に「飾って眺める」。本物のおせちは夫か妻どちらかの「実家で食べる」。
でも訪問した実家では、彼らはまったく動かない。姑と義姉が忙しそうに立ち働いているのを見ると「お客様の私も手伝わないと悪いかなあ」と思うそうだ。思うけど、これ運んで、それ盛りつけて、なんて「用事をいいつけられると、何で私が、と思う」そうだ。
注連縄や鏡餅の役割を知っているかという質問には「魔除けでしょ」といい、どんな正月飾りをどこに置いているかを聞くと「ウチではそういう季節のお供えの場所は決まってる」とか「みんなの目につきやすいテレビの上」とか「いっさい飾らない」。

ことほど左様に、お正月は虐待されている。そしてクリスマスは歪んだ優遇のされ方をしている。
日本古来の伝統を何が何でも維持しなくては、などというつもりはない。
岩村さんも、そんなことは言ってない。
でも、このように、「格差」が見える二大イベントの食卓は、どちらもやはり貧相なのである。どちらも「外注」なのである。
食が貧しいと、心身の発達に影響するのだぞ。
自戒も込めて、いう。食卓を見直そうよ。
私はスローフードとかロハスとか、なんとかビオとかには興味はない。
でも、やっぱもうちょっと、立ち止まって考えて、食卓を用意したい。そう思ったのだった。

内田さんのサイトで今日、本書関連のイベントが紹介されていた。
東京方面の方、ぜひどうぞ。
http://www.shinchosha.co.jp/event/index.html#200802

おてて、つないで♪2008/01/08 20:47:07

『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』
内田樹著
講談社(2007年)


1月5日、娘と二人で「初図書館」した。
自転車置き場で3歳くらいの男の子が顔中涙鼻水だらけにしてわあわあ泣いていた。舗道まで出ては引き返し、自転車置き場の自転車の間をあてなく歩き、図書館入り口前でぐるりと歩いてはまた舗道に向かう。
迷子だ。お母さん、といって泣いているのだろうけれど、もはや言葉になっていない。むやみに舗道へ出ると危ないので私は駆け寄ろうとしたが、ふと足を止め、様子窺いをすることにした。
図書館からはけっこうな数の人々が頻繁に出入りしている。私が男児に声をかけようとした直前、男児の脇を中年男が「オレ関係ねえ」とばかりに知らん顔ですり抜けていった。隣接する別館から出てきた年配の婦人ふたり連れは「迷子やわあ」と眺めて通り過ぎていった。小学生たちは男児を気にして視線を投げつつ、なす術なく通過。いったいどれだけの人々が迷子の幼児を放置するだろうか、と観察する気になったのである。しかし、観察はものの数秒で終わった。迷子の男児が再び図書館入り口に向かいかけたとき、彼と同じくらいの年頃の女児の手を引いた女性が、彼に声をかけた。男児は大きな口をあけてわあわあ泣いたまま、女性の問いかけに頷いたり、かぶりを振ったりしている。女性はこっちにおいでという仕草をして、図書館内に彼を連れていった。
よかった。男児が保護されたこともだが、どこから見ても迷子にしか見えない小さな子をほうっておく人たちばかりじゃなくて、と心底思った。私はほとんど男児に駆け寄りかけていたので、どのみちそんなに「実のある」観察はできなかったと思うけれど。

件の女性が声をかけたとき、娘が「あ、あれがお母さんじゃない?」と言ったが、私は「違うよ」と訂正した。わけは、女性がまったく男児に触れようとしなかったからだ。声をかけるときも、しゃがんで男児の目線に合わせることはせず、上から見下ろすばかりで、手招きし、図書館内へ一緒に入るよう促すときも、1メートルほど先に立って歩いて、手を自分の後ろでひらひらさせただけだった。
母親なら、我が子を見つけたら(喜んで見せる親も叱りつける親もそれぞれあるだろうが)駆け寄ってまず子どもの顔の高さに自分の顔をもっていくだろうと、私は思ったのだ。思ってから、最近の母親はそうはしないかもしれないな、と「あれがお母さん」といった娘の見解に妙に得心するところがあった。

道端だろうと電車内だろうと百貨店だろうと、ひどい罵り方で子どもを叱りつける母親を星の数ほど見た。彼女らは、子どもが行儀悪いからとか、言いつけや約束を守らないからとか、そういう理由で叱っているのではなく、ただその振る舞いが、自分にとって気に入らないものだからアタマに来て罵っているのだ。私にはそんなふうに感じられるケースばかりだった。
夏に訪れた観光地でのことだ。ひとりでは靴をうまく履けないくらいの幼児が、どうにかこうにか靴を足に引っ掛けて、先にさっさと歩く母親に追従しようとするのを、母親は振り向きざまに「なんでそんな履き方しかでけへんねん!」と怒鳴りつけ、次いで「ほんまにそういうのが嫌いなんじゃ!」と言い放って舌打ちし再び背を向け歩き出した。そんな言葉を浴びせられた子どもは、だから泣きながら履き直すかといえばそうはせず、無表情で、足指の先に靴を引っ掛けたままで、母親の後をついていくのだ。
叱る、罵るケースだけではない。
自転車の往来や大きなカートを転がす旅行者も多いある大通りの舗道で、いかにも歩き始めたばかりといった可愛らしい足取りの幼児がよちよちと歩いていたが、驚いたことに母親らしき女はその2メートルもの先に背を向けて歩いているのだ。時折振り向いて、「ママここだよー早く歩こうねー」なんていう。いったのち、また背を向けて歩き出す。
別の日には、信号を待っていた家族連れらしき集団から、ひとり3、4歳くらいの男児がいきなり後ろへ(車道とは反対方向に)飛び出して、舗道をゆるゆると自転車ころがしていた私は慌てて急ブレーキをかけた。もう少しスピードを出していたらぶつかるところだった。一緒にいた親が驚いて振り向き子どもを抱き上げ「危ねえな!」と私を睨みつける、とかなら、まだいいのである。その子の父親(たぶん親だと思うのだが)は、私の自転車の急ブレーキの音には反応しなかった。ぼけえーっと私を見上げるその子に私がかけた「だいじょうぶ?」の声に「ん?」てな感じで振り向いて、「自転車、来るよ」とその子にいっただけだった。
公園で子どもを遊ばせておいて、ファミレスで子どもがそこらじゅうこぼしまくって食べてる横で、スーパーの売り場で子どもが勝手に商品をいじくっているのに目もくれず、自分はケータイの画面から眼を離さない。そんな親は毎日何人も見る。

表出の仕方はさまざまだが、みな同類だ。

なんでみんな、子どもの手をつながないんだよ?
なんで、子どもから眼を離すんだよ?

手をつないで導いてもらえない子ども。同じ目線で語りかけてもらえない子ども。ケータイを見る「ついで」にしか視線を投げてもらえない子ども。
こんなにも幼い頃から「自立」という名の「孤立」を強いられている子ども。「自己責任」のうえで、「自己決定」し、その結果について「自己評価」させられている子ども。

子どもにそんなことを強いるわけは、親がよかれと思っているからに他ならない。もう年功序列は崩壊、優良企業も倒産のおそれと背中合わせ。我が子が生きていく社会は誰も助けてくれない能力主義社会なのだから。そして、その親たちも、そのように育てられたのだから、「だから私たちはこうして自立し、自己責任において自己決定してこの社会を生き抜いている」と、自己評価しているのだ。

「その親たち」と私が呼んだ世代は、昨今「モンスター親」「クレイマー」などと揶揄される40代を中心とした親たちとは異なる。すぐにかっとなったり、あるいは冷静にしろ、問題をトコトンまで追及して責任を問う、などといった行動にはおよそ興味がない。彼らは自分にしか関心がない。関心の的は、「こんなによく働く夫をゲットした自分」「こんなに美しくお洒落な妻を手にした自分」「こんなにブランドものの服がサマになる可愛い子どもを産んだ私」であり、けっして「働く夫」「美しい妻」「可愛い子ども」そのものではないのである。また、それら《「働く夫」「美しい妻」「可愛い子ども」から見た自分》でもない。あくまで自分に見える自分。

個性の尊重と自立心の確立、そのような、よさげに聴こえる言葉を乱発して、文科省を筆頭にこの国の社会やメディアは人々を翻弄してきたが、その成果がこんな形でしっかりと現れている。もはや誰もが、本当の友達ももてず、頼れる隣人や仲間をもてず、相談できる同僚や先輩や師ももてず、よるべなき「個」として生きるしか道がなくなり、まさにそれを苦にせず生きているのである。

本書『下流志向』は、著者が2005年に行った講演がもとになっている。その講演に先立ってよりどころとされたのは、「学びから逃走する」子どもたちについての佐藤学の議論や、勉強しなくなった子どもや根拠もなく自信たっぷりでいる子どもにかんする苅谷剛彦や諏訪哲二の調査研究、希望の格差を論じた山田昌弘の著作などである。
2007年1月、本書が刊行されたが、私はタイトルと装訂デザインになんとも暗雲立ち込めたゲンナリしたものを感じたので、購入する気になれず図書館へ出向いた。そのときすでに数十人もの予約が入っていたのでいったん諦めた。数か月後再び予約しようと思ったとき、市内の十を超える公立図書館は合わせて30冊以上の『下流志向』を蔵書していた。そのとき、予約人数は200人を超えていたが、案外早く回ってくるかもという予想を裏切ることなく、ほどなくしてある秋の日、本書を読むことができた。

ただし、この話題自体はもう語りつくされた感がある。
私は、たまたま、佐藤氏をはじめとする彼らの議論にも馴染んでいたので、本書で語られる内容そのものには新鮮味を感じなかった。「学ばない子どもたち」「働かない若者たち」はもうすでに社会の多数派を形成し、この国の未来を脅かしている。脅かす、というのは失言か。彼らは彼らそれぞれ、個々にとって「快適な」場所さえあればよく、ひとりで生きていけるような社会でありさえすればオッケーなのだ。周りは、すでにそんな人々ばかりである。

私たちは、いったいどうすればいいのか。本書はその問いには直接答えてはいない。これこれをこうしたら、というような応急処置では快方に向かえないからである。
子どもたちが積極的に学びへ向かえるように、まず、仕向けるのは親の義務である。子どもがもっているのは「教育を受ける権利」であり「義務」ではない。「義務」を負うのは親のほうである。親は子どもに学ぶ喜びを味わわせなくてはならない。学ぶことが快感だ、次々と学ばずにいられない、子どもがそう在るように育てるのが親の義務だと、ウチダは言っている。まずはそこから、やり直すしかないのである。

さて、この本のブームはどうやら去ったらしい。寒くなってから以降、『下流志向』はわざわざ予約手続きを取らなくても、いつ図書館に行ってもたいてい書架にあった。私は、借り出し冊数に余裕のあるときは、既読のものでも必ずウチダの本を借りることにしているので、『下流志向』は繰り返し私の手許に来てくれ、愛するウチダの肉声がそこで響いているかのような臨場感を私に味わわせてくれている。
本書の面白いところは、講演会場のフロアからの質疑応答も収録していることだ。質問者の中には、どうしてもウチダの議論に納得できない人も見える。そうした質問者に透けて見えるココロは「そんなのそれぞれの勝手じゃないか」である。講演会場に来ていたのは社会的地位のある企業人たちだと思われるのだが、彼らですら、すでに、「自己決定/自己評価組」なのである。

我が家といえば、最近は私が身をかがめなくても、娘と目線が同じである(泣)。さてこれから彼女にどう対処していけばいいのだろう。彼女がしっかりひとりで歩いていってくれるのはもちろんだが、必要なときに手を差し伸べてくれる友人に恵まれ、彼女の意見や主張に耳を傾け、糺してくれる人々と手を携えて生きていってくれるようにするには。
愚かな親はただただ悩み迷い続けるのである。

娘の母の、ものがたり2007/12/26 18:56:00

『〈現代家族〉の誕生  幻想系家族論の死』
岩村暢子 著
勁草書房(2005年)


本書を「有意義に」読める人は限られる。
常連さんなら、おさかさん、ぎんなんさん、ろくこさん限定。

あるいは1960年以降生まれ(で、厳密には1968年生まれまで。私見だが)の女性のみなさん限定。(先のお三方でこの生まれ年にあてはまらない方がいらしたら、ごめんなさい)

なぜ上記の人々なら「有意義に」読めるかというと、本書は、1960年以降生まれの女たちの《母親》たちについてつぶさに書かれた本だからだ。
あなたのお母さんが、どのような時代にどのようなものを食べて生き、どのように結婚生活を送り子育てをして、あなたが成長したあとどのようにあなたとかかわっているか、が書かれている本だからだ。



たとえば私の母。
母は、自分では気づいていないが、「新しいもの信奉者」である。とにかく「新しいもの」は他の何にも勝る、という考えが無意識に彼女の行動を規定する。古いものや手づくりのものは「もっさい」(今の全国区ワードでいう「ダサい」)。木箱や和綴じ本、職人が手彫りした人形、などは「古くさい昔のもの」としてどんどん彼女の周囲から消えていく。彼女にとってはスーパーで売っているプラスチックの事務用小引き出しや百円均一ショップのノートのほうが「新しくて便利で価値がある」。薄汚れてみすぼらしくなリ、実用価値がなくなったら速攻で捨てる。そのこと自体けっして悪いことだとは思わない。しかし、それはしばしば家族のほかの者にとってはかけがえのない品だったり、もうそれと同じものを作れる人間はこの世に存在しないといっていいほど稀少な品だったりするのである。
(……といったが、では母の部屋とか母の暮らしぶりがすっきりしていて無駄なものの何もないシンプルライフかというとけっしてそうではなく、百貨店などでもらった紙袋、包装紙、レジ袋など絶対に捨てることなくとっておくのである。←この癖は私にもある。娘にもある。我が家に伝わるDNA。)

たとえば私。
私は、古いもの、薄汚れたもの、見知らぬ人がその手で使い込んだもの(古本)あるいは手づくりしたもの(手芸・工芸品)などに惹かれるほうである。布や木の製品はプラスチック製品より気軽さや簡便さに劣る。古いものは、モノによっては使い途がない(レコード)。けれどそうしたものほど愛着が増す。というわけで私の好きなものは更新も廃棄もされずたまる運命にありがちだ。私は、昔愛読した本や雑誌のバックナンバーを読み、今は聴く術のないレコードのジャケットを眺めて、時代の空気の匂いを思い出すのが好きである。また、旧仮名遣いで書かれた童話の本などを古書店で見つけたら買わずにいられない。さらに、ウチには曽祖父の代に使用していたと思われる(今となっては用途不明の)道具などなどが残っているが、そんなの、ゴミに出すなんて論外!なんて思っちゃうほうである。

これらは我が家における私たち母と娘の例だと思っていたが、どうやらそうでもないらしいのである。

戦前または戦中に生まれ、戦中と敗戦直後を幼少期に過ごし、戦後民主主義の洗礼を受け、パンと脱脂粉乳の学校給食で育ち、サラリーマンの妻となり、「団地」に引っ越し、1960年代に娘を産み、卓袱台を捨て、「三種の神器」続いて「3C」を購入し、娘にはピアノやバレエなど「洋物」のお稽古事をさせ、その娘を少なくとも短大以上に進学させた。

私たちの母親世代は、個別に細かな差異はあるものの、おおよそ ↑ このような人生を歩んできた。農家に生まれて染め屋に嫁いだ私の母親の場合、上の【サラリーマンの妻となり、「団地」に引っ越し】と【娘にはピアノやバレエなど「洋物」のお稽古事をさせ】のところが違うだけである。

180度価値観の変わった世の中に生き、怒涛のように押し寄せる新情報新製品新生活様式を全身に浴びた。母親たちは先を争うように新しいものを試し、気に入り、取り入れた。その一方で彼女らは、生家の親から受け継いだはずのさまざまな事どもを、きっぱりさっぱりすっきり、捨て去ってきた。古いものに固執しないというのは、彼女らの世代に大なり小なり見られる傾向であり、その頭には、「みんながやっているからウチもそうした」「みなと同じほうがいい」という考え方と、「ウチはウチ、よそはよそ」「それぞれの考え方があるからそれぞれが好きな方法を採ればいい」という考え方が同居する。

このような母親に育てられた私たち60年代以降生まれの女は、強い自己主張をもち、そのときどきで行きたいほうへ進み好きなものを選び、バブルに乗じて金と時間と精神を浪費した。親にいっさい文句を言わせなかった。そして自立した(はずの)、家庭をもった(はずの)今も、親を頼りにしている。

私たちは60年代後半から70年代にかけて少年時代、青春時代を送った。そのノスタルジーは強烈で、急速なテクノロジーの発達のためにもう同じ方法では再現不可能になった数々の「文化」を、「デジタル」で残していこうと躍起になっている。三丁目の夕日だとかなんとかっていう映画をつくったり、仮面ライダーやその他もろもろかつてのヒーローを復刻させたり、懐メロコンピアルバムをつくったりしているのは私たちである。

本書には、こうした世代の娘をもつ母親たちの物語が浮き彫りになっている。調査結果をまとめたものなので、誰もが対象読者であるし、誰にでもわかりやすい。だが。

私は思った。「男にはわからない。わかってたまるか」

母たちの生き様は、娘の人生のありように光も影も与えるが、その与え方は、けっして「父と娘」または「父と息子」「母と息子」には起こり得ない、与えられ方になる。そのことはおそらく、「母と娘」にしか自明でない。母と娘の関わりは、ほかの誰にもわからないのである。



この著者の名は最愛の内田樹のブログで見知った。アサツー・ディ・ケイ社の「200X年ファミリーデザイン室」という部署の室長さんらしい。本書以前に『変わる家族 変わる食卓』という本を2003年に出しており、本書はその続編という位置づけである。
『変わる家族 変わる食卓』は、アサツーが始めた1998年からの調査をまとめたものである。調査対象は、1960年以降生まれの主婦が作る家庭の食卓。
《1998年から始まったこの調査は、2005年6月現在で、総計151世帯、3171の食卓日記と五千数百枚の食卓写真、そして151人の現代主婦たちへの詳細な個別面接データを収集し分析》(1ページ)した結果をまとめたものである。
その「食の崩壊」の実態への反響は大きかったが、誰もが一様に示したのが「この本の主婦たちは特殊な成育環境にあったのではないか」という反応であったという。そして「この主婦たちの母親世代はきちんとした昔ながらの食事を作っていた人たちなのに」、なぜその娘たちはこんな食卓しか作れないのかという疑問。
著者はその疑問を解明せんと母親世代への調査を行ったのである。



著者の「食」に関する調査は、とにかく食生活が危ないという危機感に立ったものであった。自分の娘の食事を同居の母に任せっきりの私など何も言う権利はないが、朝全然起きない、食事を作らないお母さんがいるということは、別の教育関係の本などで知っている。いちおう私は「朝食担当」なので、大人は後回し or 抜きでも、娘にだけは何でもいいから食っていけとばかりに、とにかく食べさせている。以前は朝に「ご飯」を食べたがったが、最近学校給食がご飯メインなので朝はパンを好むようになった。ワンパターンだが食パンやバゲットに卵やハムなどのおかずを組み合わせるローテーションで凌いでいる。むかしむかし、女優の秋吉久美子が出ていたCMに、赤ん坊にカップ麺を食べさせるシーンがあった。大好きな女優だが、そのシーンには激しい拒絶と嫌悪を感じたものだ。



《幼稚園に行く娘(6歳)の朝食はカップ麺とプチトマト。「朝は起きられないし忙しいから食事の支度にかけられる時間は1~2分」》、7歳と6歳の子どもの昼食は《手作りカステラとカップ麺(……)「料理は手を抜こうと思えば抜けるから、できるだけ手をかけないのがポリシー。私がちゃんと手作りするのはケーキだけ」》(本書8、9ページ)



古いものを捨て去ってきた母と、古いものの郷愁にいつまでも浸る娘。
それぞれが、程度は異なれど激動の時代を生きた。母と娘が対照的であること自体は罪がない。だが、本書で問題視されているのは、この二つの世代の間に、「食」の継承がいっさいなされなかったことなのである。
なぜ、そんなことになったのか。
本書を読めば、それがわかる。
母ちゃん、そうだったんだね、と、涙するもよし、そーだよ母ちゃんのせいなんだよ、と責任転嫁の上塗りをするもよし。
とくに、おせち料理に関する考察が面白い。あなたの母は、どんなおせちを作りましたか? そしてあなたは、どんなおせちを用意しますか? あなたは、どんなおせちが「伝統的」だと思っている?

崩壊した、と思っているモノの実体は、最初から幻想だったのである。

男にわかってたまるか。男たちよ、「食の崩壊」を嘆きたきゃ、嘆くがいいさ。私たちは「食の崩壊」の原因を「フロメシネルしかいわない夫」や「子どもの寝顔しか見ないお父さん」に求めようとは思っていないさ。
とりあえず今のところ、これは女に特有の物語だ。いつか同じネタで、男たちが「女にわかってたまるか」という日が来るかもしれないが(意外と早いかも)。

奇跡かもしれないのだから2007/10/03 18:13:35

『「おじさん」的思考』
内田樹 著
晶文社(2002年)


我が最愛の内田さんのブログをアーカイヴに至るまでくまなく読みつくしている私には目慣れた文章の続くエッセイ集だけれども、そして初出年月日も若干古かったりもするのだけれども、日頃あれこれつい思い悩むようなこと、日常遭遇するさまざまな事どもへの「明快答」が列挙されていて、実に気分のいい一冊なのである。
愛するウチダが書くと、政治も宗教も教育も、犯罪もフェミニズムも哲学も、すべて私たち日本人ひとりひとりの生き方考え方在り方を自問自答することに帰する。自分には無関係な議論、日々の雑事からは遠く離れた出来事とスルーしがちなことが、ああホントだねとあてはまり、思いあたり、反省を要することに気づかされる。私の場合、これがとっても心地いいのでウチダを読むのをやめられない。

今日、彼は自身のブログで《「生きていてくれさえすればいい」というのが親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。》と書いている。

使用語句は異なれど、愛するウチダは自身のこの一貫した考え方を幾度となく書いているはずで、ゆえに彼の膨大な数の著作のあちこちに同様のフレーズが掲載されているはずだ。
したがってウチダを読みあさりまくっている私は、幾度となく「子どもは生きていてくれさえすればいいのだ」と反芻しているはずなのだが、育児中はつい、すぐ忘れる。ほんとに、忘れる。忘れてつい、子どもに「もっと高く」「もっと強く」と求めてしまう。



ウチの娘ときたら、また怪我をした。
小学校のサエキ教頭(仮名)の太く低くそれでいて上ずった声がケータイの向こうから「緊急事態」を告げている。
私はバタバタと原稿を書き進めていたが、思考を中断されていささか不機嫌である。
サエキ教頭の声は上ずってはいるけれど、彼の状況説明を信用するなら娘の怪我は全然大したことないのである。
「校庭でボール遊びをしていまして、どうやら友達が至近距離から投げたボールを、さなぎちゃんは受け損ねたようなんです」
「はあ、それじゃあまた突き指ですね」
「そのようです」
なら保健室の冷却剤で冷やしときゃいいじゃんか。湿布のストックあったら巻いといてくれよ。とりあえず陸上の放課後練習はやめて帰れっていってくれ……というようなことを申し上げようとしたのであるが、「そのようです」といった後サエキ教頭は「が……」と言葉を継いだ。
「腫れ方が尋常ではありません」
「はああ……骨折かもしれないと?」
「なきにしもあらず、です……」(沈痛な声)

ちょうど午前・午後の診察時間のはざまで、開いている整形外科を見つけるのに少し時間を要したようだ。サエキ教頭が再び電話してきて、「すぐ診てくれるところがありましたので、直行します! お母さんもすぐ来てください!」と相変わらず声のトーンは緊急事態モード。
骨折でもしていたら、少しは懲りて大勢の男子にひとり混じって激しいボールゲームに興じるというようなことを控えてくれるんじゃないか。とにかくここ何年か、ほとんど月イチで突き指してるんじゃなかろうか。だいたい3月の捻挫だって男子とバスケットで遊んでいたときだったし。こないだも階段から落ちて青あざつくっていたし、その数日前には体育館で滑って派手なすり傷つくっていたし。
思いがけず指がパンパンに腫れてきて、怖くて不安で大泣きしているに違いない。いい薬である。などとのん気にチャリンコを転がしていたのであるが。

医院の待合室に入ると深刻な顔をしたサエキ教頭の横にへらへらと笑いながら「しまった」という顔で舌を出す娘。
「またやったのか」
「だってリュウがすごい至近距離で顔めがけて投げるからさ」
「顔は守ったわけだな」
「手に当たって、あいた、って思ったけど、こんなのしょっちゅうやってるからそのままにしてたらなんだかボンボン腫れてきてさ」
「痛い?」
「うん。多少ね」
しかし、彼女の表情を見て、何より本人自身が大したことはないと自覚しているようなので安心した。泣いてないじゃんか、と冷やかすと、泣くような怪我じゃないもん、と平然。
その横でサエキ教頭は「大事に至らないといいんですがね、骨折してないといいんですがね」と繰り返す。

あ、そうか。
教頭の憂いは今月来月と続く大小さまざまな陸上競技大会にあるのだ。骨折していたらたとえ指でも「とうぶん安静!」を言い渡されるだろう。そうなると出場は絶望的だ。これら大会の中には学校の威信のかかった団体戦もある。
「さなぎちゃんは本校のエースですからねえ……」
もちろん、サエキ教頭は学校の威信がかかっているなんてけっしていわない。勝たねばならないともいわない。出られないと残念ですから、としかおっしゃらないのであるが。
が、さなぎが抜けた後の残りのメンバーで勝ち抜くことは、実際、難しいであろう。それに結果より何より、全員の士気がどーんと下がる。抜けるのが誰であろうと、チームとはそういうものだ。
娘もそれは自覚している。自分だけの身体じゃないんだぞ。バレエの先生にも、陸上のコーチにも、和太鼓の先生にもつねづね耳にタコほどいわれている。
本当だ、みんなに迷惑かけてしまうなあ、参ったなーと嫌な気分になる私に向かって、
「でもさー折れてたら、きっともっと痛いんじゃないかなあ。折ったことないけど」
と、娘はこともなげである。

触診とレントゲンで、右手薬指第二関節側副靱帯が伸びているとわかった。
「10日ほどは腫れと痛みが続くから安静にね」とドクター。
「安静とおっしゃるのはどの程度の安静でしょうか」と私。
「ボールを投げたり受けたり、手を振り回したり、鉄棒したりはだめです」
「走ってもいい?」とさなぎ。
ドクターは苦笑いを見せながら「ま、走るのはいいでしょう」
(たぶん、わ、遅刻しちゃうよ、というようなときの「小走り」くらいしか、ドクターの頭にはないのだ。笑)

待合室で不安げな表情のサエキ教頭に診察結果を告げる。
「学校に連絡します!」(満面の笑み)
ああ、とりあえずよかった、大事にならなくて。



もし骨折していたら、まったく本人にとっても学校にとっても、はたまた各種お稽古教室にとっても、私にとっても非常によくない状況が待っていたに違いない。しかし、そのよくない状況のさなか、私は平常心で娘のことを「生きていてさえくれればいいんだから」と見守ることができただろうか。きっとまたきれいに忘れて「まったくもうこいつは」と心の中で舌打ちしたり、つい誰かに愚痴ったりしたに決まっている。

『「おじさん」的思考』のなかには、内田さんが男手ひとつで育ててきたお嬢さんが、巣立っていった日の短エッセイもある。
《人間としてどう生きるかについての説教はもう一八年間飽きるほどしたはずだから、いまさら言い足すことはない。ひとことだけ言葉があるとすれば、それはこんなフランス語だ。sauve qui peut (中略)「生き延びることができるものは、生き延びよ」(中略)全知全力を尽くして君たちの困難な時代を生き延びてほしい。》(154~155ページ)


ひとつ間違えれば大怪我をする危険もあったのに、君はそれを免れてきた。
こんなに各地で子どもが事件事故に巻き込まれているのに、君は飛行機に乗っても船に乗っても列車に乗っても車に乗っても、キャンプで山・海・川へ行っても無事に帰還してきた。
この強運を、素直に喜びたい。
生きていてさえくれればいい。
君の誕生じたいが、私には奇跡だったのだから。
今もこうして君とともに在ることも、奇跡かもしれないのだから。

摩天楼に君を想ふ2007/09/12 19:36:48

『街場のアメリカ論』
内田樹著
NTT出版(2005年)


今日は9月12日である。今朝の新聞に、グラウンド・ゼロでの追悼集会風景の写真が載っていた。そういえば、昨日は9月11日だったのであった。

生意気盛りであった20代半ばの頃、親友の小百合(仮名)と米国旅行へ出かけた。ある年の9月、私たちはそれぞれの職場でそれぞれの上司に取り入って、有給と土日をくっつけて12日間の休暇を得た。
この旅はなかなか愉快だったので、詳しくそのドタバタ紀行を書きたいと思っているが、今日の本旨は別にあるゆえ次の機会に。

小百合と私はある夜、エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階に上り、輝く摩天楼を見渡し、それぞれほうってきた恋人のことを想っていた。当時私の恋人は例のジャズ通で、「俺も行きてえ」なんてゆっていたが「女どうしの旅なのよっ」と邪険にした。小百合も同じようなことを言っていた。だが私たちは二人とも、やはり旅の半ばで男も連れてくりゃよかったと、ちょっと感傷的になっていた。そういう乙女心に、ニューヨークの夜景はきゅるきゅると沁みた。会いたいなあ。会いたいよお。エンパイア・ステイト・ビルディングの最上階から、きらきらのパノラマにくらくらしながら、私たちはニューヨークの何も、見ていなかった。さらには、フェリーに乗って夕陽に輝くマンハッタン島を下から眺めるという体験までしたのに、何も、見ていなかった。

というのも、あの9月11日の、同時多発テロの映像がテレビ画面に映し出されたとき、まず私が放った言葉は「こんなビル、ニューヨークにあったっけ?」であったからである。なんと不謹慎か。私、このビル見ていたはずだよな……。報道を見て地図で確かめて、私はあの小百合との旅行を思い出していた。思い出にひたってのち、我に返って出来事の規模の重大さに唖然となった。唖然となったけれど、次につい口に出した言葉は「だから言わんこっちゃないよ、アメリカめ」だった。どこまでも不謹慎である。

ここで「なぜ私はアメリカが嫌いか」を述べるつもりはない。アメリカ嫌いは別に私だけの事象ではなく、日本人全員に関わることだから、私がとくとくと述べる必要はないのである。個人的にアメリカ人に恨みはない。私はタイソン・ゲイにも拍手を送るし、今でもハリソン・フォードは大好きだ。アメリカが好きな場合も嫌いな場合も、日本人は誰しも共通して、アメリカに対してひと言で言い表せない複雑な感情をもっているものだ。それが普通の日本人である。
この感情について明快に説明しているのが、愛するウチダの『街場のアメリカ論』なのである。

同じような行動様式の人も多いと思うけど、私も、本を読むとき、まえがき→あとがき→目次の順に読む。そこまでいってしばらくはその本を読み終えた気になってしまう。実際それで事足りる本の多いこと(笑)。愛するウチダの『街場のアメリカ論』も、正直言っちゃうとその類に入る(爆。ただし、私の場合、ウチダが「何を」書いているかよりも「どのように」書いているかが重要なので、全部読むけれども)。

私は本書が大好きである。予約満杯でなかなか手にできないウチダの著作の中で、この本はなぜか、けっこういつも図書館の書架にある。だからあれば必ず借りて読む。これまで幾度借りたことだろうか。借り手がいないのは面白くないからだとおっしゃる方も居られよう。
でも、騙されたと思って一度「まえがき」だけでも目を通してほしい(けっこう長いんだけど)。当ブログの常連さん(○○塾関係者)たちは、騙されたと思って「あとがき」だけでも読んでほしい。
それでも「いやだよ」とおっしゃる方に、引用大サービス。

《日本のナショナル・アイデンティティとはこの百五十年間、「アメリカにとって自分は何者であるのか?」という問いをめぐって構築されてきた。その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってよい。》(8ページ)
《アメリカからの自立はアメリカへの依存を基礎とするしかなく、アメリカの許諾を得ずに政策決定をするためには、その自決権の行使についてアメリカからの許諾を得なければならない。》(18ページ)
《アメリカが日本に期待しているのは他の東アジアの国々と信頼関係が築けず、外交的・軍事的につねに不安を抱えているせいで、アメリカにすがりつくしかない国であり続けることである。》(23ページ)以上「まえがき」より

《メディアがもてはやす「切れ味のよい文章」はたいていの場合、「同時代人の中でもとりわけ情報感度のよい読者」を照準している。(…)
 でもその気遣いの欠如(…)が文章を腐りやすくする。》(258ページ)
《「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々にも届くことばを書き記すこと。それは排他的で誘惑的なエクリチュールとはめざすところがずいぶん違う。私はそういう書き方をしたいと思ったのである。》(260ページ)以上「あとがき」より


それでも「それがどうしたんだよ」とおっしゃる方にはなす術がない。私の拙い筆力では本書の有用性を語りつくせないのである。親米派で、また国際社会や米国を研究(それがたとえ余興でも)し、確固たる何がしかの信念をもたれる方には本書は物足りないかもしれない(というより確実に物足りない)ので、これ以上は申し上げられない。しかし心の片隅に、ふん、アメリカがどうした、けっ偉そうに、という気持ちのある方、また、いや9・11はひどい話だよ、うん、しかし……みたいな「つっかえ虫」がいる方は、本書を手にとってみてほしい。


話をいきなりブーンと戻すが、エンパイア・ステイト・ビルディングで想った彼と、小百合はめでたく結婚して現在に至る。え、私? 訊かないでください~♪(そんな歌はない)

ウチダに首ったけ!2007/08/31 12:24:28

内田樹が第6回小林秀雄賞を受賞した。
やばい。
これで内田さんが有名人になってしまう。あの茂木さんのように。
やだ。それはぜったいにやだ。
私だけのウチダだったのに……!

ウチダとの出会いは、いつだったかもう忘れた。
どこかで新聞への寄稿を読んだ。
ほどなくして、我が家で購読している2紙にも寄稿を始めたことがわかった。
まっとうなことを切れ味よくわかりやすく書いていた。
奇特な意見の持ち主ではなく、誰もが同意しそうなことを、しかしウチダでなければ思いつかないような例の挙げ方で、解説していく。
ひと目惚れではなかったけれど、ウチダの文章がわが心を侵食していくのにさほど時間はかからなかった。私が範としたいのはこういう文章なのだ、とウチダに触れて初めて気がついたかもしれない。
多くの人の文章を読み、感動し、お手本にもしていたけれど、所詮書く人間が違うのだから書かれる文章が異質なものになるのは当たり前、もとより文章は「真似る」ものではないし……と真面目な考えでいた。が、ウチダに出会ってからの私は次第に彼に同化してしまいたい、いっそウチダになりたい、と考え始めていた。
もとより内田さんとは知の蓄積の質量が異なるので逆立ちしたって私はウチダになれない。わかっているけれど。

ウチダに惚れてからあまり時を置かずに、彼の顔写真を見る機会があった。これも新聞か雑誌の紙上で。
うわ、おとこまえ……。

お察しのとおり、これで本格的に私はウチダに恋をしてしまった。
あとからいろいろ見聞して、私がたまたま見たその写真はかなり写りのいいものだったと判明する(内田さん、すみません、笑)が、彼が「ええおとこ」であるという私の確信は天変地異が連日ほぼ恒久的に訪れようとも揺るがないものになっていたのである。

ウチダのブログは時に抱腹絶倒、時に感涙、時に怒りを読者にもたらす。たしかに勢いに任せて書き殴っている感は否めない。だからこそ、更新時点でのウチダの脳内が透けて見えるようで、私は大好きである。アクセス数の桁がすごいんだけど、たぶん私はかなりそのカウントに貢献している。更新されてなくても毎日読むし、一日に何回も読む。読んでうっとりしている。

ウチダの著作は、図書館では常に「予約が満杯」でなかなか手にすることができない。『下流志向』なんか200人待ちになっていた。それでも201人目として予約を入れたが、読めるのはいつのことやら。
少ないものでも10人以上の予約待ちを経て、ほとんどを読み終えたけれども、なかでも私がいちばん好きだったのが『私家版ユダヤ文化論』であった。最終章のほうでは涙が出てくるのだ、ほんとうに。
今回の受賞対象になった著作である。
よかった、『下流志向』や『東京キッズリターンズ』とかじゃなくて。

『私家版ユダヤ文化論』については、日を改めてきちんとエントリしようと思っている。
今、私の手元には『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋、2005年)がある。
ブログに書きためたものを編集し加筆したものだが、どの章も面白い。でも著者自身が言及しているように、日頃ブログを愛読しているとあまり新鮮味は感じられないのも事実だ(笑)。
私のようにどっぷりと入れ込んでいると、それでも幸せなんだが。ああ、恋は盲目。

今日の新聞に、小学校の授業時間数を増やすことが決定したと書かれてあった。同じ記事中に、高学年で週に一度オーラル中心の英語の授業も始めるとあった。
でも、そんなのやってもしかたない。
それはわが娘が実証している。
娘の小学校では先駆的に低学年から「英語で遊ぼう」という授業を実施しており、外国人講師を招いて歌やゲームをして遊ぶ時間を設けている。
講師陣の国籍や民族出自はさまざまで、語学習得云々より、世界にはいろいろな人がいるということを肌で感じるのはいいことだと思う。しかし。
で、英語のほうだが、6年生になった娘は、今でもたぶん「私は日本人です」「私の名前は○○です」「あなたの好きな果物はなんですか」(以上、5年生までに習ったとされているセンテンスの一部)を、自発的に英語で述べることはけっしてできない。「りんご」を英語で綴ることもできない。
ほらみろ、である。低学年でよその国の人と触れ合ったら、次はよその国の文学に触れよう、というほうへ行くならまだしも、高学年になっても相変わらずずっと「遊んで」いるのである。

『知に働けば蔵が建つ』には、内田さんがつねづね述べている「外国語教育の基本はまず『読むこと』である」ことを取り上げた章もある。
国際化、というが、私たちはそんなに「外国人」と実際に会って話す機会があるだろうか? インターネットの普及で、私たちはタイムズ誌やルモンド紙のサイトにいける。各国のブロガーたちの日記にも行ける。しかし、日常的に海外諸紙の論考を読んだり、ブログにコメントを残したりしている人がどれほどいるだろうか。そんなにはいないと思う。なぜか。
《外国語が「読めない」からである。もったいない話である。》(275ページ)
数年前から中学高校における英語教育もオーラル中心になっているそうだ。その結果、決まり文句を少々よい発音で発声できる人は増えたが、英文を読み書きできる若者は少なくなった。ましてや英米文学を読もうと大学で専攻する学生は希少種になった。
身についた「ちょっとばかしいい発音」で世界を渡り歩いていけるかといえば、ノンである。

……と、もうこの話はやめるが、何がいいたかったかというと、私とウチダの思考は相似形である。そのことを私はひそかに愉しみ、こっそりとウチダへの愛を胸のうちで育んでいたのであるが、彼がこんな賞を獲ってしまったら、彼も茂木さんみたいにメディアに引っ張りだこになってしまうのではないか。

ここに宣言しておくが(なんて狭小範囲な宣言だろうか)、ウチダは私のものだ。誰にも渡さない。ちょっと、そこの女子学生! 近づきすぎだよっ
……笑うやつは笑えっ。(泣)

内田樹さんに愛を込めて。