Ecrire2014/05/31 21:14:50



『エクリール 書くことの彼方へ』
マルグリット・デュラス著 田中倫郎訳
河出書房新社(1994年)


実をいうと、デュラスをほとんど読んだことがなかった。
あまりに大家すぎて、私のようにそもそも小説に興味のない人間が、ちょっとばかしフランスをかじったからといって読むのは恐れ多かった。私の持っていた印象では、フランソワーズ・サガンよりも「情念」の濃い人が、デュラスだった。フランソワーズという名前はなんとなく(全世界のフランソワーズさんごめんなさい)軽薄な感じがし、マルグリットという名は情熱的な感じがするのだった。
でも、私はそんなにフランソワーズさんもマルグリットさんもたくさんは知らないから、この「感じ」は、それぞれの作風に拠るものだ。作風といったって、サガンは短編集だけ、デュラスは『インディア・ソング』しか読んでない(しかも当時はじぇんじぇんわかりませんでした。笑)のだから作風を云々する資格なんかないのだが、サガンは都会の曇り空、デュラスは田舎の灼熱の太陽、みたいな。



《私が孤独になるのは家の中にいるときよ。家の外じゃだめで、家の中に閉じこもっているときね。庭だと、鳥や猫がいるでしょ。》 (「書く」9ページ)

なんで「よ」とか「ね」を語尾につけるんだろう。「でしょ」とか、なによ(笑)。そういう情緒的な文章なのだろうか。なんだかなー。いえ、田中先生の訳にケチつけたりしませんよ、けっして。それを差し引いても、デュラスの魅力を伝えて余りあるもの。


デュラスは、書くことは孤独だという。というより、孤独でなければ書きえない、といっている。孤独であることは、書くことに必須だと。

《書くことにともなう孤独というのは、それがなかったら、書きものが生まれないか、なにを書こうかと探しあぐねて血の気を失い、こなごなになってしまうようなものよ。》(「書く」11ページ)


《本を書く人間のまわりにいる人たちと離れていることが常に必要なの。それが孤独。作家の孤独、書きものの孤独よ。(中略)肉体のこの現実の孤独が、侵すことのできない、書きものの孤独になっていくのよ。(中略)レイモン・クノーが下した唯一の判断はこの言葉よ、「書きなさい、それ以外のことはなにもしなさんな」。》(「書く」12ページ)


《穴の中、穴の奥、完璧に近い孤独の中にいて、書くことだけが救いになるだろうと気づくこと。本の主題なんかなにもなく、本にするという考えもまったくもたないこと、それが一冊の本にとりかかる前の、自己発見、自己再発見なのよ。広大ながらんどうの広がり。できあがるとは限らない本。無を目前にしているのよ。》(「書く」21ページ)


とりとめない文章のようだが、ひと言ひと言が、じつに深みを感じさせる。やっぱ情念の人。濃い気持ちがこもっている。短いセンテンスに、毅然とした意志が見える。
《書くことが私から離れたことは一度もない。》(「書く」13ページ)
《書くというのは語らないことよ。黙ること。》(「書く」33ページ)
《絶望しているにもかかわらず、それでも書く。違う——絶望とともに書く。どんな絶望かといわれれば、今感じているものは名づけられない。》(「書く」35ページ)


書くことは、原始的なことだという。
生命以前の原始性に立ち戻ってしまうことだという。肉体の力がなければものは書けない、ともいう。
《書くことに近づくためには、自分より強い力が必要で、書かれること以上に強くなければならない。たしかに奇妙なことね。》(「書く」27ページ)
《原始的な自然で起こる出来事のあいだには脈絡がなかったでしょう。だからプログラミングなんかありえなかったのよ。そんなものは私の生活で一度も存在しなかった。ただの一度も。(中略)私は毎朝書いていたわ。でも、時間割りなんかなにもなかった。》(「書く」41ページ)


本書は、書くという動詞が書名になっているが、書くということだけがえんえんと語られているわけではない。 デュラスは「書く」のなかに、かつての愛人への思いを書き、息子への愛を書き、映画への情熱を書き、ナチスドイツへの憎しみを書き、蠅の死を書く。彼女は多くの作品を映像化したので、というより、映像化するために書かれた作品が多かったといったほうがいいだろうか、だから文章が色濃く映像的なのだろう。本書には「書く」のほかに「若きイギリス人パイロットの死」など数編の短編が収められているが、どれも、ページを繰るたび、一枚ずつ、絵画が提示されるような、明快な風景が瞼に浮かぶ。寺山修司の映画を見る感覚に似ている。
いわゆるライトノベルというジャンルを、私はあえて読まないが、ライトノベルには、センテンスごとに絵画が立ち上がってくるかのような力はないのではないか。映像が浮かぶというのは説明的であるということでは、けっしてない。横道にそれるが、やたら説明的に感じるという理由で、村上春樹などは、力強さといった意味で私にはもの足りないのである。


だからデュラスのほうがいいとか好きとか、比較できるほど読んではいないし、この本で感銘を受けたのはそういうことではない。映像的だとか絵を見るようだとかそういった印象とは関係なく、激しく同意するのは次に引用したような箇所だ。書く人間は、書き始めるときにはなにももっていないのだ、これから書こうとすることについて。書き始めて、やっと、なぜ書こうとしていたのかがわかり、書き終えて初めて書きたかったことがわかる。

「よ」とか「ね」は要らないんだけど、引用するわね(笑)。

《書くという行為は未知なるものよ。書く前は、自分が書こうとしていることについてなにも知らない。しかも、まったく明晰な状態においてね。》(「書く」73ページ)
《これから書くものが何かがわかっていたとしたら、人は絶対に書かないでしょうよ。》(「書く」74ページ)
《書かれるものの到来の仕方は風に似ていて、むき出しで、それはインクであり、書きものである。その移行の仕方は、この世のほかのどんなものとも違う特異性をもっているだけだけど、ただひとつ似ているのは命そのものよ。》(「書く」74ページ)


※出演:我が家の時計草 たち。今年もよく咲いてます〜♪

Donc, c'est pour ça...2014/04/10 09:03:25

『遊覧日記』
武田百合子 著 武田花 写真
ちくま文庫(1993年)


娘の友達の進学祝いに、ノートやらペンやらを揃えながら、ふと、小さな本はどうだろうと思って考えた。小さな本、というのはサイズのことではなく、もらったほうがべつに重く感じないで済む、という意味だ。その子はいずれ海外留学も計画しているので、なんか「世界に羽ばたく」感全開!の本がいいのかなと思ったけど、ではなくて武田百合子のエッセイの文庫にした。

武田泰淳のある小説が気に入って、その流れで武田百合子のことを知った。読みたい読みたいと思いながら後回しにしていて、いまさらながらなんだがようやく去年、2冊の文庫を入手し、しみじみ読んだ。『ことばの食卓』と『遊覧日記』だ。


私は、文章書きの例に漏れず須賀敦子の文章が好きで(みんな好きだよね?)、こんなふうにしっとり書けたらいいなあと読んでは溜め息をついている。
ある時、装幀のたたずまいがいたく気に入ったある随筆集を衝動買いした。外国暮らしの長い日本女性の、その滞在先でのあれこれを綴ったものだった。きれいな文章なんだけど、「須賀敦子さん意識しまくり」が見事に透けて見えてしまう。いや、これは私が須賀ファンなのでそのように読んでしまうのかもしれない。すぐれたエッセイに与えられるそれなりの文学賞を受賞されている人なので、私ごときが難癖つけるなんておこがましいけど、そしてなによりご本人は須賀敦子に似せてる気なんて微塵もないかもしれないのだけど、でも、この本には須賀敦子の文章にあるような「かの地の空気」はなくて、須賀敦子っぽい文体と構成は、ある。とそんなわけで、衝動買いしたけど、期待はずれでがっかりした本の巻、だった。

武田百合子のエッセイは、とても、いい。
文法や、文章を書く上でのルールとか、細かいことで突っ込める箇所は、実はたくさんあるけれども、とてもきれいな日本語である。須賀敦子のように異国の空気をそのまま目の前に運んでくれるようなことはないけれど、武田百合子の描写はストレートで、ふだんどうでもいいような、見逃してしまいそうな、日常の断片を読者の代わりに観察してつぶさに綴りあげる。それを読んで読者は、まるで対象を武田と同じように見ている気持ちになる、のではない。むしろ、そんなふうに見て書いてしまう武田百合子というご婦人の、ものを見る目に感心してしまう。人って怖いな、と思うのだ。

娘の友達には、手元にある2冊のエッセイ集を読み比べて、『ことばの食卓』のほうを贈ることにした。いや、自分が読んだやつじゃなくて、新たに買いましたけど。『ことばの食卓』のほうが、話題がより平坦で、だからこそひとつひとつの言葉がきらめいて見える。ぞんざいな言葉遣いをしがちな若者には、また、英語至上主義に踊らされて、目が外ばかりに向きがちな若者にはこちらのほうがいいと思った。

で、『遊覧日記』である。
「遊覧」つまり物見遊山日記である。いいなあ。羨ましー。
《夫が他界し、娘は成人し、独りものに戻った私は、会社づとめをしないつれづれに、ゴム底の靴を履き、行きたい場所へ出かけて行く。》(10ページ)
羨ましいでしょ?(笑)
浅草がお気に入りだったそうで、浅草へのおでかけ記が冒頭から3編続く。私には浅草へは若い頃一度、半日ほど歩いた経験しかない。その記憶の浅草も相当古いが、武田百合子の描く当時の浅草も、また昔のものだ。だが、浅草という土地のイメージが醸し出す何かが、エッセイを極端にノスタルジックなものにはしていない。武田の、風景や人物を描写する筆致におかしみがあって、対象はなんであれ、自分もこんなふうに描き出したいと思うのだ。
《女はワニ皮の大きなハンドバッグを、しわ深い膨らんだ指で大切そうにいじりながら、池を見ている。紫色の光るブラウスと豹の模様のビロードのスーツに、肥り返った体を押しこみ、ひすい色の耳輪をぶら下げている。厚く塗った白粉と口紅の横向きの顔は、六十を過ぎていそうだ。それでも元気そうだ。立派だ。年季の入ったストリッパーかもしれない。》(16ページ)
《いやに彫りが深くて色白の、元美貌、そのため却って、お金のなさそうな人にみえる老紳士》(34ページ)

上野や富士山麓の章があり、京都の章もある。いろいろなところヘ行って、こんなふうに旅や散策を綴れるっていいよなと思う。しかし、最後の章「あの頃」を読み、深く反省する。
武田百合子が晩年どのように、好きに、気ままに生きたとしても、誰に何を言われる筋合いはないというものだ。「あの頃」を生きた人であるからには、「あの頃」以降に生まれた者は一生逆立ちしてもかなわない。
「あの頃」とは終戦間もない頃。焼け出されて弟とその日暮らしをしていた頃。進駐軍のいいなりになるしか生きる術のなかった日本と日本人の頃。
だが、「あの頃」の章ですら、おかしみに満ちていて、人間、こうでなくちゃ、物書き、こうでなくちゃ、とやはりしみじみ読むのである。

1 est defini comme le successeur de 0, mais...2014/01/09 18:32:58

史上最強の雑談(7)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


「一(いち)」とは何だろう。
「一つ(ひとつ)」に含まれるのはどこからどこまでか。
自問してみるも、明快な答えにはたどり着けない。たどり着けないけれど、それでも、ひとりひとりがそれなりに「一」を認識し、意味するところをわかったつもりで言葉として用いている。「一(いち、ひと)」のつく言葉は多い。夥しい。昨今、「一段落」を「ひと段落」と発音する誤用が蔓延し、こともあろうに公共の電波でアナウンサーまでが誤用している。しかし、誤用は時を経て「それも間違いとは言えない」となり、やがて「それが正しい」となってしまうのだろう。「あらたし」が「あたらしい」と誤用されるうち通用したように。だから、ま、今回、そこは措く。

人はいったいいつから「一」を認めるのか。「一」とは数字であるがゆえに、数学者はこの「一」というものについて整然たる理路でもって解説できるのではないかと思われがちだが、本書の中で岡は、数学では「一は何であるかという問題は取り扱わない」と断言している(103ページ)。だが、だからといって「一」のことを「あるかないかわからないような、架空のものとして」扱っているわけでもない(104ページ)。「内容をもって取り扱っているのです」(同)。

では、「一」の内容とは何だろう。
数学的には考えも及ばないから、自分の体感で述べたいが、「いち」とか「ひとつ」とかいうとき、それはあるときは「個」であり、あるときは「全」であるといえる。
個別対応をする、とは、十把一絡げでなくひとりひとりに相(あい)対するということだ。あるいは、その人の、またはその家庭の状況を斟酌して採るべき処置を検討するということだ。
個性豊か、だとか、個性を尊重、だとかいうけれど、これもいわばある種の個別対応だ。人をその集団でなく、ひとりずつ別の要素としてみる。評価する。
長い行列をつくって歩く蟻たちを黒い紐状の線を描く集団ではなく、一匹一匹、虫としての個体を見つめ、その生に思いを馳せるとき(笑)、その思考は蟻の個性を尊重し、蟻に対して個別対応をしているといえるだろう。
全力を尽くす、とは、「私」の持てる力を全部何かに注ぎ込むことだ。その時の「全力」は、「私」という「ひとり」の人間に宿るものである。
全身にみなぎる力、とは、「私」という「ひとり」の人間の体に満ちる力である。
全校生徒、とは、ある「ひとつ」の学校に属する生徒のことである。
全国大会、とは、日本という「ひとつ」の国の代表にふさわしい「一番」を決する大会である。

唯一とは、たったひとつのことだけど、統一とは、実に多くのものを内包したうえで成し遂げられるものである。唯一は、「私」の気持ち次第で何でも「唯一」と認めることができ、他者に異議を唱える権利はないけれど、統一は、「私」の気持ちのほかに他者の同意が必要だ。

彼は唯一無二の親友だ。(ふうん)
これが唯一、わたしの家にあってもいいと思えるデザインなの。(あっそう)
父について唯一許せないのは足が臭いことよ。(だろうな)

今日はブルー系で統一してみたわ。(何言ってんの、靴が赤いよ。ダメ)
体育祭用のクラスTシャツをボーダー柄で統一したいんだが。(そりゃ反対意見が噴出するよ)
秀吉がやったようにこの国を統一したい。(アンタじゃ無理よ。ホントに戦(いくさ)するつもり? 馬鹿だね)

人間の体を構成する細胞や遺伝子に至るまで、小さな「一」については無限にその「個体」を追究することができる。いっぽうで、世界はひとつ、地球はひとつ、宇宙はひとつ……と、大きな「一」も無限に膨張する。
私たちはもはやその両極端のきわみまで、とりあえず、理屈で、理解することができる。
冷静に考えて、素晴しいことだと思う。「一」という概念はミニからマックスまですべてに適用可能なのだ。それを無意識に私たちは使いこなしている。
このこと以外に「一」は順序を決めたり数を数えたりするためのカウントの道具の最初のかけ声である。いち、に、さん。ひとつ、ふたつ、みっつ。カウントする際の「一」に個性も全身もない。また、3-2=1(3ひく2は1)と解を求めたときの「一」にも、唯一だの統一だの、意味はない。そのことも、私たちは使い分けている。

《小林 岡さん、書いていらしたが、数学者における一という観念……。
 岡 一を仮定して、一というものは定義しない。一は何であるかという問題は取り扱わない。
 小林 つまり一のなかに含まれているわけですな、そのなかでいろいろなことを考えていくわけでしょう。一という広大な世界があるわけですな。
 岡 あるのかないのか、わからない。
 小林 子供が一というのを知るのはいつとかと書いておられましたね。
 岡 自然数の一を知るのは大体生後十八ヵ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてにこにこ笑うようになる。つまり肉体の振動ではなくなるのですね。そういう時期がある。そこで一という数学的な観念と思われているものを体得する。生後十八ヵ月前後に全身的な運動をいろいろとやりまして、一時は一つのことしかやらんという規則を厳重に守る。その時期に一というのがわかると見ています。一という意味は所詮わからないのですが。
 小林 それは理性ということですな。
 岡 自分の肉体を意識するのは遅れるのですが、それを意識する前に、自分の肉体とは思わないながら、個の肉体というものができます。それがやはり十八ヵ月の頃だといえると思います。
 小林 それが一ですか。
 岡 数学は一というものを取り扱いません。しかし数学者が数学をやっているときに、そのころできた一というものを生理的に使っているんじゃあるまいかと想像します。しかし数学者は、あるかないかわからないような、架空のものとして数体系を取り扱っているのではありません。自分にはわかりませんが、内容をもって取り扱っているのです。そのときの一というものの内容は、生後十八ヵ月の体得が占めているのじゃないか。一がよくわかるようにするには、だから全身運動ということをはぶけないと思います。
 小林 なるほど。おもしろいことだな。
 岡 私がいま立ちあがりますね。そうすると全身四百幾らの筋肉がとっさに統一的に働くのです。そういうのが一というものです。一つのまとまった全体というような意味になりますね。だから一のなかでやっているのかといわれる意味はよくわかります。一の中に全体があると見ています、あとは言えないのです。個人の個というものも、そういう意味のものでしょう。個人、個性というその個には一つのまとまった全体の一という意味が確かにありますね。
 小林 それは一ですね。
 岡 順序数がわかるのは生まれて八ヵ月ぐらいです。その頃の子に鈴を振ってみせます。初め振ったときは「おや」というような目の色を見せる。二度目に振って見せると、何か遠いものを思い出しているような目の色をする。三度目を振りますと、もはや意識して、あとは何度でも振って聞かせよとせがまれる。そういう区別が截然(せつぜん)と出る。そういうことで順序数を教えたらわかるだろうという意味で言っているのです。一度目、二度目、三度目と、まるっきり目の色が違う。おもしろいのは、二度目を聞かしたとき、遠い昔を思い出すような目の色をする。それがのちの懐しさというような情操に続くのではないか。だから生後八ヵ月というのは、注目すべき時期だと思います。》(「「一」という観念」102~105ページ)


本書の中で、この「一」に関するわずかな記述が最も共感を覚えた部分であったことを白状しよう。この最強の雑談の内容をブログで紹介しようと思ったのも、この「一」についての岡の記述を書きとめたい一心だったのである。しかし、それは本の後半だし、なんだか数学者が乳児の成長論みたいなことをゆってるとこだけを切り取って披露するのもちょっと違うと思ったのだった。つらつらと、いかに本書がエキサイティングか、深読みできるか、現代に通じるか、この数学者がどれほどエエ男か、なんてことを書き連ねてやっとたどり着いた(笑)わけだが、自明のことを、誰もがそんなのわかりきってるやんと思っていることこそをを解きほぐしてきれいに説明してみせる技は、暮れに書いた谷川俊太郎も実はそうだし、愛するウチダはもちろん、わっしいこと鷲田清一、虫ジジイの解剖学者養老大先生もそうだし、未だに喪失のショックから立ち直れない亡き西川先生もその技に長けておられたのだった。ということは、研究ジャンルや職業に関係なく、語りに説得力のある人というのはいつの世もあちこちに存在してくださる。そしてある共通項をもっている。人としての情緒を豊かに涵養できる世でありたい。普通に生きるのが当たり前の世でありたい。争いは何も生まないし、戦争は愚かな振る舞いである。過剰な科学技術は武器や爆弾の例もあるように破壊に通じるだけである。――といったことがその思索の根底にあり、揺るがないのである。

Tu peux enlever de la peau de pomme sans cassée?2013/10/31 20:02:26

史上最強の雑談(6)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


ある知人が、齢93になるさる御方から茶を習っている。93という御歳で人にものを教えることができるという、その事実だけでもうひれ伏したいくらい尊敬に値する。わたしは茶道はまったく門外漢だが、そのことは今さらどうしようもないので恥じることはないと思っている。しかし茶道を心得た人(にもいろいろあるので一概には言えないけれども)はおしなべて態度が謙虚で(態度だけだったりもするけど)、気働きにすぐれている。気が利くのである。みなまで言わずとも判じるのである。冴えているわけである。さらに、茶を嗜む人は食事の時など手の動作が美しい。もちろん立居振舞もたおやかできれいだ。それは、舞踊をする人のピシッと背中の伸びた美しさとはちょっと違う。もう少し、体の重心が下に位置しているような、そして危なげなく、しかしけっしてどっしりしているのではなくて、和服の裾さばきも軽やかに、しなやかに動作されるのである。凛々しさとなよやかさが共存し均衡した美しさを保つのは日本人のなせる業だと思うのだがどうであろうか。
知人が知る茶人には90を超えた人がぞろぞろいるといい、どの御方もしゃきっとなさってて頭脳明晰言語明瞭、茶の湯の心を後世に伝えねばという使命感の強さには圧倒されるという。知人の師匠も、そうと知らずにそのかたを街角で見かけたらたぶんただの縮こまったお婆さんにしか見えないのだ。見えないのに、ひとたび茶室に入ったら彼女は縮こまった婆さんなどでは全然なく、360度の視界をもち些細な瑕疵も見逃さず間髪入れずに叱咤するスパルタ師匠なのである。怖い(笑)。
美を愛でる、美を追求するということは特別なことではない。足元に落ちてきた枯葉の色に季節を感じたり、絵具では出せない微妙な色を見出したり、その葉にもかつて命が宿っていたことに思いを馳せたり。だか、といったようなことは、いちいち言葉にするとめんどくさいが、人であれば瞬時に心をよぎるのである。きらりん、とからだのどこかに響くなにものかだ。理屈でなく、情緒なのである。いい男とすれ違うその瞬間に胸キュンとなるその感じ、それはただキュンとするだけである。ただううっとかおおっとか胸に迫るものがあったり、ぎゅっと心をつかまれたりぐりぐりされたりする感じ。おお、前からよさげなスーツを着て歩いてくる30代後半とおぼしき青年は目鼻立ちがすっきりくっきりしていてなかなかイケメンな感じだわおいしそうだわつまみぐいしたいわ、なんて、言葉にしてしまうとたしかにこれくらい、あるいはこれ以上の感動(?)を、0.001秒くらいの間に胸に響かせているにしても、言葉でなく情緒で人は喜怒哀楽を素直に感じては吐露するものなのである。毎秒のように。

情緒豊かな人は、生命の尊さにあふれているのである。それは純粋である。

《岡 情緒というものは、人本然のもので、それに従っていれば、自分で人類を滅ぼしてしまうような間違いは起きないのです。現在の状態では、それをやりかねないと思うのです。》(「人間と人生への無知」45ページ)

《岡 (前略)欧米人には小我をもって自己と考える欠点があり、それが指導層を貫いているようです。いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。》(「人間と人生への無知」48ページ)

《岡 (前略)何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾とか水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやった方が幾分利益があればできるものです。(中略)人は自然を科学するやり方を覚えたのだから、その方法によって初めに人の心というものをもっと科学しなければいけなかった。それはおもしろいことだろうと思います。(中略)大自然は、もう一まわりスケールが大きいものかもしれませんね。私のそういう空想を打ち消す力はいまの世界では見当たりません。ともかく人類時代というものが始まれば、そのときは腰をすえて、人間とはなにか、自分とはなにか、人の心の一番根底はこれである、だからというところから考え直していくことです。そしてそれはおもしろいことだろうなと思います。》(破壊だけの自然科学)55~58ページ)

《岡 (前略)つまり一時間なら一時間、その状態の中で話をすると、その情緒がおのずから形に現れる。情緒を形に現すという働きが大自然にはあるらしい。文化はその現れである。数学もその一つにつながっているのです。その同じやり方で文章を書いておるのです。そうすると情緒が自然に形に現れる。つまり形に現れるもとのものを情緒と呼んでいるわけです。
 そういうことを経験で知ったのですが、いったん形に書きますと、もうそのことへの情緒はなくなっている。形だけが残ります。そういう情緒が全くなかったら、こういうところでお話しようという熱意も起らないでしょう。それを情熱と呼んでおります。どうも前頭葉はそういう構造をしているらしい。言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情熱が起るについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世界の人ともいっておるのです。(後略)
(中略)
 岡 きょう初めてお会いしている小林さんは、たしかに詩人と言い切れます。あなたのほうから非常に発信していますね。》(「美的感動について」71~74ページ)


情緒豊かな人は、詩人でもあるだろう。やなせたかしは詩人だった。わたしは、たった1冊持っているやなせたかしの詩集の中の、りんごの皮を切れないようにむく、という短い詩が好きだった。切れずに長く手許から下がっていくりんごの紅い皮、それはまるで赤い川のようでもあった。彼のその詩を読んで以来、わたしはりんごの皮を剥くときはただひたすら切れないように剥くことだけを念頭において剥くようになった。あとから実を切り分けること、芯を取り除くこと、食べること、料理に使うことなど何も考えず、巻きぐせのついたリボンのようにくねくねと垂れ下がるりんごの皮の姿を想像しながら(だってそれをリアルに見ながら剥くことはできないから)。何年も何年もあとになって、小学校の家庭科の宿題にりんごの皮むきをマスターせよといわれた娘が、不器用な手で、無心に、りんごの皮を切れないように丁寧に剥く、その剥かれて垂れ下がるりんごの皮を見てわたしは、昔好んだやなせたかしの詩の数々を思い出した。今は我が家では、りんごは皮を剥かずにいただくのを常としているので、もうりんごの皮を切れないように剥くことはしなくなった。それでもわたしはりんごを使って料理をするとき、やなせたかしの詩のフレーズと、切れることなく剥けたりんご1個分の「赤い川」、得意げにそれを両親と弟に見せる自分、娘に見せる自分、わたしに見せる娘、そしてそれぞれの感嘆の声などが、ひゅんひゅんと脳裏を交錯するのを感じる。だからどうだということはない。これまでもなかったし、いまもない。やなせたかしさんは矍鑠としていつもお元気そうだった。おそらく亡くなる間際まで、しゃきっとして、りんごの皮を切れないように剥いておられたであろう。きっとそうに違いない。詩人だったから。

Parce que c'est l'imagination, le math!2013/09/17 19:13:31

史上最強の雑談(5)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


「史上最強の雑談」についてのコメントを再開。購入以来何度も繰り返し読み、ブログに感想を綴り始めてからも幾度となく読了しているし、読めていないわけではないのだけど、あまりにも内容が「この国の今」への忠言めいていて、ふんふんふーんと読み流し&書きなぐるわけにはいかないという意識が強く働いてしまって、ブログに書くならきちんと書かないとな、と思って先送りばかりしているのである。やっとアップできる程度にまとまった(かな?)。

まったくもって本当に痛快、半世紀前の対談とは思えないほど、現在に通じる。

数学者の藤原正彦さんが著書『祖国とは国語』のなかでさかんに「情緒」という言葉を使っているが、数学をやる人って、数字と記号と図形とx軸・y軸しか頭の中になさそうなのに(失礼。笑)、意外とロマンチストであり芸術家肌であり、花鳥風月を愛でる人だったり、センチメンタルで涙もろくて夢追い人だったりする。

高校時代に習った数学教師は二人いて、どっちの発言だったか覚えていないが、

「平行線は永遠の彼方で交わるんだよ」

私は耳を疑ったものだ。ほんとうに交わるのかどうかはどうでもいいが、そいつ(つまりガチガチの数学教師)の口から「永遠の彼方」なんつう言葉が出てくるなんていう事実に仰天した。
私はますます数学と数学者を敬遠するようになり、美大時代は、一年次で単位取得すべき一般教養科目群に数学も並んでいたし、デザイン学部はほぼ全員が選択していたが、恐ろしくて避けたのだった。何を恐れたのだろう? 数学教師に惚れてしまうのを恐れたのである。

人は見かけによらない、とよく言う。私は「見かけによらない内面」をもつ人にてんで弱い。顔はイケてないけどハートはイケメン、ガリガリ痩せっぽちだけど力持ちで寛容。そんな人、素敵やん。私の中でステレオタイプのように在る「Aの人はア」「Bの人はイ」という図式にあてはまらない、「Aなのにイ」みたいな人に出会うとわりかし簡単にノックアウトされるのである。ま、それで失敗も多々あるけれど。
(だって往々にして「Aなのにイとみせかけてやっぱしコチコチのア」だった、ってことはよくある。笑)

数学系の人を避けて生きていたはずだけど、まさかの留学中に引っ掛かってしまった。夏季集中講座受講のために滞在したグルノーブル大学の9月期のクラスで、ドイツのカールスルーエから来たステファンに出会った。隣り合わせに座り、会話のレッスンなどで組むうち意気投合してクラスの前後にお茶したり食事したりするようになった。ソフトな外観に舌足らずなドイツ訛りのフランス語がキュートだった。一緒に街を歩くときはよく画廊を覗いた。展示作品を観て「なんだか主張が感じられないわ」「観る人に媚びてるような受け狙いの作品ね」などと私が知ったふうな口を利くと、「僕は門外漢だからわからないなあ」「きれいなものはきれいだし、やあきれいだな、ハイ終わり、でも別にいいじゃん」なんて言う。ある抽象的な立体作品についてどう思うか聞いたとき。彼は「これ、作者の恋心だな、きっと。もやもやしてて不定形だけどカラフル。恋愛ってそういう感じじゃん?」と、ドイツ人にしては気の利いたセリフを吐いた。なかなかやるなおぬし、みたいな気持ちが私の中にむくむくと起き上がりつつあった。
でも、私はモンペリエに引っ越すことが決まっていたので、あまり親しくし過ぎないようにしようと思っていた。すでにグルノーブルにたくさん友達ができていて、彼ら彼女らと別れるかと思うとけっこう辛かった。ステファンは私に何度もホントにモンペリエ行っちゃうの?と訊いた。ステファンはグルノーブルに残って正規学部生として学業を続けることになっていたのだ。

「ここで何の勉強するの? 何の専攻?」
「数学だよ」

ステファンは数学専攻の学生だったのである。なんと、まあ。どうしよ。私は、自分の気持ちが歯止めの効かないほうに移動しつつあるのをはっきりと感じていた。ヤバい。

「数学を学ぶ者にとってフランスってのは特別な国なんだ」
「どうして?」
「有名な学者はみんなフランス人で、数学者か哲学者あるいは両方だろ」
「そうなん? 私知らない。あ、パスカルとか?」
「また大人物を例に出したもんだね(笑)。もっと近いところでもたくさんいるんだよ、○○とか△△とか……」
「ふーん」
「それに、フランスで数学を学ぶことにもすごく意味があるんだよ」
「なんで?」
「だって数学はイマジネーションだからさ」


  *

「だって数学はイマジネーションだからさ」

ゆってくれるじゃないの、ステファン。このときの私に、高校時代の教師の言葉「永遠の彼方」の記憶が蘇ったわけではなかったけれど、「印象を裏切る数学者の公式」が体感としてどこかに残っていたのだろう、私は自分で「今まさに数学者にノックアウトされかかっている自分」を感じていた。

本書『人間の建設』は、私の時空を超えたアイドル小林秀雄の著書だから買い求めたのだが、上で述べたような気持ちの揺れ動きを、雑談相手の数学者・岡潔に感じている。
というより、小林が数学者と対談していることは表紙にも帯にも明記してあるのだから、私は最初からそれと知ってこの本を読み始めたのである。つまり、青春時代、数学者に覚えたときめきを追体験したかったのだろうか。あの日あの時の数学系男子を捕まえときゃ、今の体たらくはなかったかもしれないなあ。
なんて悔恨を反芻するだけはつまらないから、ここはひとつ、めいっぱい岡潔にときめいちゃうことにする。おほほほほ。



《岡 (前略)欧米人がはじめたいまの文化は、積木でいえば、一人が積木を置くと、次の人が置く、またもう一人も置くというように、どんどん積んでいきますね。そしてもう一つ載せたら危いというところにきても、倒れないようにどうにか載せます。そこで相手の人も、やむを得ずまた載せて、ついにばらばらと全体がくずれてしまう。これ以上積んだら駄目だといったって、やめないでしょうし、自分の思うとおりどんどんやっていって、最後にどうしようもなくなって、朝鮮へ出兵して、案の定やりそこなった秀吉と似ているのじゃないですか。いまの人類の文化は、そこまできているのではないかと思います。(中略)欧米の文明というものは、そういうものだと思います。
(中略)
 小林 数学の世界も、やはり積木細工みたいになっているのですか。
 岡 なっているのですね。いま私が書いているような論文の、その言葉を理解しようと思えば、始めからずっと体系をやっていかなければならぬ。
(中略)
 小林 それが数学は抽象的になったということですね。そういう抽象的な数学というものは、やはり積木細工のようなものですか。
 岡 いろいろな概念を組合わせて次の概念をつくる。そこから更に新しい概念をつくるというやり方が、幾重にも複雑になされている。(後略)》(「数学も個性を失う」29~31ページ)


原発なんか張子細工やんけと思っていたが、積木細工のほうがぴたりとくるかもな。ジェンガみたいなもんかもな。


《岡 (前略)世界の知力が低下すると暗黒時代になる。暗黒時代になると、物のほんとうのよさがわからなくなる。真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐ実社会と結びつけて考える。それしかできないから、それをするようになる。それが功利主義だと思います。西洋の歴史だって、ローマ時代は明らかに暗黒時代であって、あのときの思想は功利主義だったと思います。人は政治を重んじ、軍事を重んじ、土木工事を求める。そういうものしか認めない。現在もそういう時代になってきています。ローマの暗黒時代そっくりそのままになってきていると思います。これは知力が下がったためで、ローマの暗黒時代は二千年続くのですが、こんどもほうっておくと、すでに水爆なんかできていますから、この調子で二千年続くとはとうてい考えられない。徳川時代はずいぶん長いと思うけれども三百年です。このままだとすると、人類が滅亡せずに続くことができるのは長くて二百年くらいじゃないかと思っているのです。世界の知力はどんどん低下している。それは音楽とか絵画とか小説とか、そんなところにいちばん敏感にあらわれているのじゃなかろうかと思うのです。音楽だって絵画だって美がわからなくなっている。(後略)》(「数学も個性を失う」33~34ページ)


現代日本はローマ時代より明らかに知力が低いから暗黒時代なんてもんじゃないよね。ずっと先の未来で、人類が今の私たちの時代を振り返ったときなんと形容するだろう? 暗黒より暗くて黒い、闇夜より泥沼より奈落の底より暗い社会。首脳の「脳」の程度が低くて、人種差別や弱い者いじめは得意な国。金儲けが下手だから余計に躍起になってカネカネカネと目を血走らせる国。そんな国に洗脳され、人と自然が共存していた本来のこの郷土の美しさを忘却の彼方へ放り投げてしまった人々。


《小林 (前略)たとえばベルグソンがアインシュタインと衝突したことがあるのですが……。
(中略)
 ベルグソンに「持続と同時性」というアインシュタイン論があるのです。アインシュタインの学説というものは、そのころフランスでも、もちろん専門的な学者だけが関心をもっていたもので、ああいう物理学的な世界のイメージがどういう意味をもつかということは、だれも考えてはいなかった。はじめてベルグソンがそれに、はっきりと目をつけたわけです。
 岡 おもしろいですね。
 小林 それで批評したのですが、誤解したのですね。物理学者としてのアインシュタインの表現を誤解した。それでこんどは逆に科学者から反対がおこりまして、ベルグソンさん、ここは違うじゃないかといわれた。ベルグソンはその本を死ぬときに絶版にしたのです。
 岡 惜しいですね。それは本質的に関係がないことではないかと思いますね。
 小林 ないのです。というのは、私の素人考えを申しますと、ベルグソンという人は、時間というものを一生懸命考えた思想家なのですよ。けっきょくベルグソンの考えていた時間は、ぼくたちが生きる時間なんです。自分が生きてわかる時間なんです。そういうものがほんとうの時間だとあの人は考えていたわけです。
 岡 当然そうですね。そうあるべきです。
 小林 アインシュタインは四次元の世界で考えていますから、時間の観念が違うでしょう。根本はその食い違いです。
 岡 ニュートン以後、物理学でいっている時間というものは、人がそれあるがゆえに生きている時間というものと違います。それは明らかに別ですね。
 小林 そこが衝突の原因なんです。
 岡 そうですか。そんなところで衝突したって。絶版にする必要がないのに。
 小林 だから、おれとおまえとは全然ちがうのだ、といってしまえばよかったのです。》(「科学的知性の限界」35~37ページ)


雲仙岳噴火から22年、奥尻島の津波から20年、阪神大震災から18年が過ぎた。新潟中越地震から9年、台風23号からも9年、東日本大震災から2年半、台風12号から2年が過ぎた。
でも、数字は物理的時間でしかない。被災した人、災害で大切な人を亡くした人、生活を根こそぎ奪われた人たちにとっては、時間のカウントなど意味をなさない。私たちはコンマ01秒単位の世界で記録に挑むアスリートの活躍に一喜一憂するが、そこでカウントするタイムと日々生きながら流れる時間とは種類が違う。


《岡 (前略)数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ数学だとはいえないということがはじめてわかったのです。じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。人には知情意と感覚がありますけれども、感覚はしばらく省いておいて、心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。だから、その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、情が同調しなかったら、人はほんとうにそうだとは思えませんね。そういう意味で私は情が中心だといったのです。そのことは、数学のような知性の最も端的なものについてだっていえることで、矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。そしてその感情に満足をあたえるためには、知性がどんなにこの二つの仮定には矛盾がないと説いて聞かしたって無力なんです。(中略)矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。(中略)人というものはまったくわからぬ存在だと思いますが、ともかく知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです》(「科学的知性の限界」39~40ページ)


数学の世界だけではないだろう。iPS細胞とやらについても、はたしてみんな「感情」が納得しているのか? 山中教授はとてもナイスガイなので彼の業績にケチをつける気は全然ないけれど、私は、それでいったいヒトをどうしようというの? とでもいえばいいだろうか、ある種の、釈然としない何か、腑に落ちない何かがつっかえて、素直にすごいすごいといえなかったりする。

画期的研究についてさえ、そういうケースはあるのだから、あほぼんどものやってるママゴト政治なんざ矛盾だらけであり、それを解消する知性なんざ彼らにはかけらもない。ましてや誰の「感情」も、極右あほぼんどものお遊びを受容したりするわけはないのである。ああ、もういい加減にしてくれよな。

それにしてもときめくでしょ、岡潔!

Et le Math perd son caractere, c'est ca?2013/04/16 21:51:11

史上最強の雑談(4)

『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


私たちは著名人に弱い。ジャンルを問わず、弱い。私など、取材で名の知れた人に会うことが決まった時は周囲に言いふらすし(おいおい、守秘義務は? 笑)、印刷物が上がったら上がったでニーズのない人にまで配りまくって不思議な顔をされる(「これ、何? この人興味ないんですけど?」)。「その道」の権威から売れない芸人まで、世界を股にかける芸術家からローカルな地元の名士さんまで、これまでさまざまな人に会ってじかに話を聞く機会に恵まれた。それで感じることは、いったん名が売れてしまったら、その名が独り歩きし勝手に当人の人格をつくりあげて流布する危険性とつねに背中合わせで、その事実がその人を強くもするし、潰しもするということだ。私のこれまで会った人たちは幸いその世界で生き延びておられるようである。会って初めてとても素敵な人であるとわかったケースもあれば、あんなに憧れていたのに今日の取材をあんなに楽しみにしていたのに幻滅したあ~、なんてケースもある。最初から「好かんなー」と思っていて、やはりその気持ちを変えることができなくて「やっぱし好かん」人もある。

ダンサーを目指す娘には、範としたいダンサーが何人かいて、DVD鑑賞したりYouTubeで動画を観たりしてつねづね意識している。それ以外にも、評判をとるダンサーには必ず素晴らしい長所があり、部分的にも見習う点がいくつもあるのでこれまたよく見て勉強している。だが、いくら世界が「現代のトップ」「彼女の右に出るもの未だ皆無」と称賛しても、娘にとっては「あんまり好きちゃうねん、この人の踊り」的な、あるダンサーがいる。超ビッグネームのプリマである。バレエを好きな人はみんなこのプリマを好きと言う。でもでも、娘は「好きちゃうねん」。そりゃ、しゃあない。誰にでも何にでも好き嫌いはあるっつーこった。
たとえば、日本女性全員がイエスといっても私だけは絶対ノーというであろう問いに「キムタクはイケメンか?」というのがある(誰も問わないけど)。仮に、ウチの三軒隣に呉服屋とか乾物屋があったとしてそこの若旦那がああいう顔をしていたら私は彼がイケメンであることを大肯定したであろう。しかし、そうではない。キムタクは芸能人で、ジャニーズで、トップアイドルなのだ。こういう世界に生きる人が「イケメン」であるというとき、一般人を「イケメン」というとき、その「イケメン」の基準は同じであってはいけないと思う。ま、それはどうでもいいが、全員が是としても自分だけが非ということはよくある。

このケースと同じで(同じか?)娘はその「世界が認めるプリマ」の舞台映像を見ても「なんか違う」と感じ、好きになれないでいたのだ。
だが、その当のプリマに先月の海外遠征で指導を受ける機会があった。スタジオで指導をする彼女の一挙手一投足、その声の透明さと張り、明朗で説得力のある言葉、どれもが娘を魅了した。白鳥や妖精や王妃を踊る舞姫ではなく「一指導者」としてそのダンサーを仰ぎ見たとき、「なにがなんでもこの人の持ってるもん全部吸収せな、と思った」そうである。

私だって、そんなキムタクのインタビューがもし実現したら小躍りするだろうし、全然関心なかったくせに一瞬にして「キムタクは超イケメンよ」と目をハートにして周囲に言いふらす、そんな自分を想像するのはあまりにたやすい。とりあえず誰であれ著名な人物には弱い(笑)。

写真や映像による情報はけっしてすべてを言い尽くさない。その人がその人である実際、その存在理由の核心といったものは、実物に接して初めて、たぶん、体感する。その人を理解するまではなかなか遠い道のりかもしれないけど、何か強烈に迫りくるものをじーんと感じることはある。

《小林 岡さんがどういう数学を研究していらっしゃるか、私はわかりませんが、岡さんの数学の世界というものがありましょう。それは岡さん独特の世界で、真似することはできないのですか。
 岡 私の数学の世界ですね。結局それしかないのです。数学の世界で書かれた他人の論文に共感することはできます。しかし、各人各様の個性のもとに書いてある。一人一人みな別だと思います。ですから、ほんとうの意味の個人とは何かというのが、不思議になるのです。ほんとうの詩の世界は、個性の発揮以外にございませんでしょう。各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。個性はみなちがっているが、他の個性に共感するという普遍的な働きをもっている。それが個人の本質だと思いますが、そういう不思議な事実は厳然としてある。それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのですけれども、個人のものを正しく出そうと思ったら、そっくりそのままでないと、出しようがないと思います。一人一人みな違うから、不思議だと思います。漱石は何を読んでも漱石の個になる。芥川の書く人間は、やはり芥川の個をはなれていない。それがいわゆる個性というもので、全く似たところがない。そういういろいろな個性に共感がもてるというのは不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。》(「数学も個性を失う」26~27ページ)


わかりにくかったと思うけど、キムタクやプリマの例は、彼らにすでに強烈な「個」が備わっていて、唯一無二であることは否定しようもなく、しかも多くの共感を得ており、彼らに付随するもの、関わり産みだされるもの、そうしたすべてが彼らの「個」を離れていない、ということに、上記引用箇所で岡潔の言及していることが符合すると思ったのである。強い個性を放つ漱石や芥川の小説を嫌いな読者もいるだろうが、そのようなことをものともせず、漱石や芥川の小説は存在する。私がキムタクをどう思おうと、そんなこととは別の次元で彼が日本のトップアイドルであるという事実は存在する。キムタクが今後どうなるかはわからないけど、時代が唯一無二と認めたものは歴史に残る。逆に言えばそれほど個性が強く発揮されなければ、「千篇一律」「どんぐりの背比べ」で埋没してしまう。そうしたことは数学という学問、あるいは数学者個人の論文にもいえるのだと、岡潔は言うのである。

で、我が身を振り返ったりするわけである(笑)。
べつに時代が認めてくれんでもいいけど、今生きる世界で、唯一無二といえる仕事をしているだろうか、私は?

Les boissons alcooliques qui symbolisent le pays2013/03/19 19:31:00

史上最強の雑談(3)



『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


私の父は大酒飲みだったが、そう強くはなかった。飲むほどに酔い、最後は必ずへべれけになった。だんだん自分だけの世界に入っちゃって一人問答が始まるが、ろれつが回らなくなるので、何を言っているのか周囲にはわからない。そのうちむにゃむにゃ言いながら居眠り。毎日の晩酌がこの調子で、「お父さん、もう寝てんか」と母が促すまで、首をこくりこくりさせながらでも飲んでいた。
いつでもどこでも、そんな状態になるまで飲まなければ飲む値打ちがないとでも思っていたのか、たとえば外へ飲みに出かけても、「これ以上飲んだら明日に差し支えるし」「これ以上飲んだら家に帰り着けへんかもしれんし」「これ以上飲んだら寝てしまいそうやし」今日はここで飲むのを止める、ということのいっさいできない人であった。だからひとさまに言えない失敗談には事欠かない。私が知っているだけでもけっこう凄まじい(笑)。おまけに父は、前夜の酒の記憶が翌日に全然残らない人だったので、失敗による学習もいっさいなかったわけである。

いっぽう、父の兄と弟はシャレにならない大酒飲みである。シャレにならないと書いたのは、この二人は全然酔わないからである。本物の酒豪である。そりゃ、いい気分にはなってるようだし、舌の回りはよくなるし、愚痴や昔話ばかり出てくる日もあるけど、その程度。どれだけ飲んでも平気な顔をして、たいてい陽気ないい酒で、さらには翌日も前夜のことをよく覚えているのが常だった。伯父と叔父、この二人の飲みかたは、「酒に飲まれるのんべのダメ親父」を父にもつ私から見れば奇跡に近かった。

家業を継ぎ祖母と暮らしていたのは父だったので、正月には伯父一家と叔父一家が我が家へ集まりいつもたいへん賑やかだった。祖母も、もともと大酒飲みだがあまり強くないほうだったから(つまり父は自分の母親に正しく似たようだ)、正月の酒盛りサバイバルで生き残るのは伯父と叔父。泊まっていくこともあったがたいていは朝から来て夜までずっと飲み続け、「ほなごっつぁんでしたー」と、しゃんとした姿勢で家族を引き連れて帰っていった。あとには、酔いつぶれてトドのように横たわる祖母と父、そして箱膳や盆の上に徳利や猪口が転がっていた。そしてほぼ空になった一斗樽。

一斗樽をひとつ、一升瓶を2〜3本。いつもの晩酌用の酒の納品とは別に、出入りの酒屋が暮れに届けるのが慣わしだった。祖母と母は御節の準備に余念なく、私たち姉弟は手の届くところの拭き掃除をしたり、塗の椀や膳を拭いたり、玄関に屏風を置きお鏡さんを飾ったり、注連飾りの買い出しを言いつけられたりなど、今思うとたくさんたくさん手伝わされた。どの家もそうだった。暮れは家族がみんなで正月準備をした。で、私は、どの家にも日本酒が一斗樽で届くものだと思っていた。必ずしもそうではない、というか、一斗樽のほとんどを元日で空けてしまう家というのはかなり少数派だということを(笑)知ったのは、かなりのちのことである。

祖母が病に臥し、父たち三兄弟も年をとり、正月三が日を過ぎても一斗樽が空かなくなったので、ある時母が「樽で買うのはもう止めまひょか」と言ったが父は樽にこだわったらしい。父は銘柄などはどうでもいいほうで、酒屋のご主人の奨めを快く受け入れて持ってこさせていたと思う。正月に我が家に鎮座していた一斗樽の銘が何だったか、私には全然覚えがない。そんなふうだから、正月の酒は樽で買わなあかん、という父の言い分にしても、単にたくさん飲みたかっただけだろうと思っていたが、樽酒の旨さをそれなりに楽しんでいたのかもしれないな、と、本書の下記のくだりを読んで思った。


 
《小林 ぼくは酒のみでして、若いころはずいぶん飲んだのですよ。もう、そう飲めませんが、晩酌は必ずやります。関西へ来ると、酒がうまいなと思います。
 岡 酒は悪くなりましたか。
 小林 全体から言えば、ひどく悪くなりました。ぼくは学生時代から飲んでいますが、いまの若い人たちは、日本酒というものを知らないのですね。
 岡 そうですか。
 小林 いまの酒を日本酒といっておりますけれども。
 岡 あんなのは日本酒ではありませんか。
 小林 日本そばと言うようなものなんです。昔の酒は、みな個性がありました。菊正なら菊正、白鷹なら白鷹、いろいろな銘柄がたくさんございましょう。
 岡 個性がございましたか。なるほどな。
 小林 店へいきますと、樽がずっと並んでいるのです。みな違うのですから、きょうはどれにしようか、そういう楽しみがあった。
 岡 小林さんは酒の個性がわかりますか。
 小林 それはわかります。
 岡 結構ですな。それは楽しみでしょうな。
 小林 文明国は、どこの国も自分の自慢の酒を持っているのですが、その自慢の酒をこれほど粗末にしている文明国は、日本以外にありませんよ。中共だって、もういい紹興酒が飲めるようになっていると思いますよ。
 岡 日本は個性を重んずることを忘れてしまった。
 小林 いい酒がつくれなくなった。
 岡 個性を重んずるということはどういうことか、知らないのですね。
 (略)
 アメリカという国は、個性を尊重するようでいて、じつは個性を大事にすることを知らない国なんです。それを真似ているんですから。食べ物にも個性がなくなっていきますね。(略)
 小林 (略)ぼくらが若いころにガブガブ飲んでいた酒とは、まるっきり違うのですよ。樽がなくなったでしょう。みんな瓶になりましたね。樽の香というものがありました。あれを復活しても、このごろの人は樽の香を知らない。なんだ、この酒は変な匂いがするといって売れないのです。それくらいの変動です。日本酒は世界の名酒の一つだが、世界中の名酒が今もって健全なのに、日本酒だけが大変動を受けたのです。
 (略)その代り、ウイスキーとか葡萄酒がよくなってきた。日本酒の進歩が止まって、洋酒のイミテーションが進んでいる。
 岡 日本酒を味わうのと小説を批評するのと、似ているわけですね。
 小林 似ていますね。
 岡 近ごろの小説は個性がありますか。
 小林 やはり絵と同じです。個性をきそって見せるのですね。絵と同じように、物がなくなっていますね。物がなくなっているのは、全体の傾向ですね。
 岡 世界の知力が低下しているという気がします。日本だけではなく、世界がそうじゃないかという……。小説でもそうお思いになりますか。
 小林 そうでしょうね。
 岡 物を生かすということを忘れて、自分がつくり出そうというほうだけをやりだしたのですね。
 よい批評家であるためには、詩人でなければならないというふうなことは言えますか。
 小林 そうだと思います。
 岡 本質は直観と情熱でしょう。
 小林 そうだと思いますね。
 岡 批評家というのは、詩人と関係がないように思われていますが、つきるところ作品の批評も、直感し情熱をもつということが本質になりますね。
 小林 勘が内容ですからね。
 岡 勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観の中で書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(略)》(「国を象徴する酒」19〜24ページ)



なぜ、「よい批評家であるためには、詩人でなければならない」のだろう? 手許の『コクトー詩集』(堀口大學訳/新潮文庫)の、堀口によるあとがきにこう書いてある。《コクトーには、彼が「評論による詩」Poésie Critique と呼ぶ一連の作品がある。『閑話休題』Le Rappel à l'Ordre『ジャック・マリタンへの手紙』Lettre à Jaques Maritain(略)などがそれだ。昔から優れた詩人は同時にまた優れた批評家でしばしばあったが、コクトーもまた極めて優れた批評家だ。(略)「一作をなすごとに、僕はわざとその作に背を向けて反対の方向に新たに歩き出した」とは、彼が自らの創作態度を語る言葉だが、まさにその通りを彼は実行した。》(「あとがき」235〜236ページ)

私には優れた詩人と優れていない詩人の見分けかたはわからない。詩を鑑賞するのは好きであるが、読んでもつまらない詩は好きでないし、世間で評価されていなくても好きな詩はある。だが、私の好み云々は横へ措くとして、人に強い印象を与えうる詩とそうでない詩はたぶん歴然としてある。人の心に強く迫る詩を、迫られた読み手が好むとは限らないが、迫る詩を書いた詩人はおそらく優れた詩人の範疇に入る。読み手が、読んだ詩の感想を「ふーん」「あ、そうですか」程度で片づける場合その詩は読み手の心を捉えてはいないが、心を捉えなければ詩の存在価値はない。つーっと読み流されては「詩」として受け容れられなかったに等しい。詩が詩であるためにはその一行一行ごとに読み手を立ち止まらせなければならない。先を読みたいけどこの一行に、この一語に心がひっかかって進めないのよどうしよう離してよああもう、てな感じで身悶えしながら、奥歯ですりつぶして嚥下するまでたっぷり時間のかかるのが、詩である。そんな詩を書けるのが、優れた詩人である。

つまり、批評も同じであろう。なにしろ批評である。賞賛にしろ罵倒にしろ、もってまわった言いかたや、まわりくどい表現や、遠回しな(まわってばかりだけど。笑)言葉遣いをしていては批評にならない。批評の対象、批評の対象を愛好する者、そして批評の読み手、誰もを立ち止まらせ、うーんと唸らせ、ああ心がひっかかる、と容赦なく身悶えさせなければ優れた批評文とは言えないだろう。
ということは、批評家と詩人の仕事は、言葉や文章の表現方法、あるいは単に操作技術といってもいいが、その点において同じであるのだ。こと表現するという行為において、何か、あるいは誰かに対する「気遣い」「気兼ね」「憚り」「手加減」「配慮」「遠慮」「忌憚」「斟酌」なんぞが垣間見えたとき、それは詩に非ず、また批評に非ず、である。

コピーライターというやくざな商売は詩や批評の対極にあるといっていい。私はいつも、スポンサーを称賛する文章を自分ではない別の誰かの口を借りて書いている。「別の誰か」は、スポンサー商品の愛用者またはその予備軍、あるいは広告代理店そのものを想定する。つまり顧客だ。お客様は神様である。お客様に対して「気遣い」「気兼ね」「憚り」「手加減」「配慮」「遠慮」「忌憚」「斟酌」なしに口を利くことなど、できるわけがないのである。というわけで、私は詩人にも批評家にもなれないのである。


MUMYO, c'est l'ignorance profonde ou exprès2013/03/14 00:00:44

史上最強の雑談を読む(2)


『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


天気予報がよく当たる。今朝のラジオで「今はすっきり晴れていますが午後曇り始め夕方には雨になります。夜にかけては強い風をともなう大雨となります。春の陽気から一気に気温も下がります、ご帰宅の遅い方は防寒具を」といっていたが本当にそのとおりになった。いま外は土砂降りである。昼間はへんに温かったけど、肌寒くなった。でも、寒くても、雨がいい。春は粒子がいっぱい飛ぶ。花の美しい季節だが、三日に一度の割合で降ってくれるほうがいい。降って街を洗い流してほしい。マジ。

放射性物質のついたスギ花粉に中国製大気汚染煤のついた黄砂。んでもってダチョウやエミュの卵の殻でつくった高性能マスク。曇らない特殊加工を施した密閉度の高いゴーグル。目のかゆみを緩和する点眼薬。くしゃみ、鼻水、鼻づまりを押さえる点鼻薬。早期から飲めばアレルギー症状を軽減する内服薬。国民の多くが苦しんでいるというのに何の対策も取らないで、あの手この手で金儲けする奴ばかりが登場する。この国、そういうシャレにならない国なんだ。汚染されるずっとずっと前から花粉も黄砂も飛んでいた。黄砂はよその国から飛んでくるし、へっぴり腰だから文句も言えないんだろうけど、さんざん植林した挙句使わずじまいで花咲き放題の杉くらい、自己責任なんやから切りなさいよさっさと、と言いたい。ヒノキも。イネ科のカモガヤも。しゃしゃしゃああああっと刈り取ってくれっ。

知る権利は民にあるが、中途半端に知ることが苦悩や対立を生むことも確かだ。偏向な知識を互いにひけらかすことが、脱原発と原発推進の間の無意味な溝を深めている(そう、深まるのは溝なのよ、絆じゃないの)。知ることは大切だが、何が正しいかの物差しのない状況では、むやみに知ったために却って辛い生を生きねばならないこともある。

知らぬが仏とはよくいったが、仏教の言葉に「無明(むみょう)」という語がある。意味は、どうしようもないほど、醜悪といっていいほどの無知、だそうだ。『大辞泉』には「最も根本的な煩悩」とある。「無明」、つまり明るくない、というか明かりが無い、つまり真っ暗。落ち込むだろうな、「お前って、無明」なんて言われたら。立ち直れねえ(笑)


《小林 岡さんは、絵がお好きのようですね。ピカソという人は、仏教のほうでいう無明を描く達人であるということをお書きになっていましたね。私も、だいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。どこかの展覧会にいきまして、小さなピカソの絵をみました。それは男と女がテーブルをはさんで話をしている。ピカソの絵ですから、男か女かわからない。変なごつごつしたもので、とてもそうは見えないけれども、男と女が話しているなと直感的に思った。そうすると、いかにもいやな会話を二人がしているんですな。これは現代の男女がじつに不愉快な会話をしているところをかいたのだなと、ぼくは勝手に思っちゃった。
 岡 それは正しい直観だと思います。
 (略)
 男女関係の醜い面だけしかかいていません。あれが無明というものです。人には無明という、醜悪にして恐るべき一面がある。(略)釈迦は、無明があるからだということをよく説いて聞かしているのです。人は自己中心に知情意し、感覚し、行為する。その自己中心的な広い意味の行為をしようとする本能を無明という。(略)
 小林さんの学問に関するお話は、いかにももっともと思います。それを無明ということから説明すると、人は無明を押えさえすれば、やっていることが面白くなってくると言うことができるのです。たとえば良寛なんか、冬の夜の雨を聞くのが好きですが、雨の音を聞いても、はじめはさほど感じない。それを何度もじっと聞いておりますと、雨を聞くことのよさがわかってくる。そういう働きが人にあるのですね。雨のよさというものは、無明を押えなければわからないものだと思います。数学の興味も、それと同一種類なんです。》(「無明ということ」12~15ページ)


小林秀雄の「無常といふ事」が大好きで何度も繰り返し読んでいるわたくしであるが、岡潔いうところの「無明ということ」もなかなか手ごわそうである。このくだりを読んで、岡潔の著作に一気に関心が高まったことを白状する。
無明とは、全然イケてないくらい、まさに終わってるほど無知だけど、そのうえジコチューな行動をとらせる本能だけど、それさえクリアしたら、にわかに人生ワクドキに展開する。イマふうに言えばこういうことなのか?(笑)
無明とは、学びが足りないゆえの知識の欠乏などではなく、どちらかといえば、知ること学ぶことができるのにあえてそれをせず、というよりそれから逃げて、むしろ無知無学を標榜してあたかもそれが強みであるかのようにふるまうことではないか。そりゃ、醜悪だな。愛するウチダいうところの、学びから逃走する子どもたちだな。

本書によれば、無明の輩はすでに1965年(本書のもとの出版年)に跋扈していたわけだから、そりゃ、今、日本が文字どおり「世も末」をリアルにゆくのは道理だな。

L'esprit de la recherche2013/03/09 04:30:39

史上最強の雑談を読む(1)


『人間の建設』
小林秀雄、岡潔 著
新潮文庫(2010年)


もとは1965年に出版された『対談 人間の建設』である。私の手許にある文庫本は、もう21世紀の文庫本だから字が大きい。1ページに並ぶ行数も少ない。それでも薄い本だ。こんなに薄いのに、なかなか読破できなかった。薄い本だろうと厚い本だろうと物理的な時間がないので読み進めないのもしかたないんだが、途中まで読めば結末が見えてしまうくだらない小説とは違って、なんつっても「史上最強の雑談」だからして、話がどう転びどう展開しどう曲がっていくのかが全然見えないし、ほいでもってさすがは「史上最強の雑談」だけあって、面白いけど難しい。難しいから同じところで足踏みして何度も反芻しながら読み、ますます面白いので同じところを何度も読む、をやっていくと全然読み終わらないのである。

1965年っていえば弟が生まれた年なのよね(笑)。そのときすでに、人間がとるべき道はこの史上最強の二人がちゃんと雑談の中で示唆してくれていたんだよね。示唆していたというよりは、これでもかっつーくらいに明言している。どうして日本人は、この雑談を銘として歩まなかったのか? 雑談かもしれないけど、史上最強だぞ。史上最強の売文屋であり批評家の小林秀雄に、史上最強の奇人であり天才数学者の岡潔だぞ。ああ、この人たちの言に学んでいれば、日本はこんな阿呆な国にはならなかった。日本人はもっとまともだった。極右ジミントーのわしら原発軍隊大好きだからどんどんつくっちゃうもんね違憲だけど政権、なんかをのさばらせておくような、痴呆国民に成り下がりはしなかったのに。

時間は取り戻せない。失った美しい豊穣の大地も取り戻せない。ああ。

愚痴っても何がどうなるわけでもないので、本の話を続ける。

まず、ほんとにとても面白いから万人におすすめする。でも一回ザーーーッと読んだだけでは何も面白くないわけである。読み手の理解力とか知識とかは関係ない。むしろ、読むそのときのコンディションにかかわる。気持ちにかかわる。どんな時にも読んでみてほしい。体調のいい時、アタマがスッキリしてる時、暇な時、忙しさに目を回しちゃいるがそれでもメシは食うんだよ、的な食事のあとのコーヒーブレイクに、荒んでいる時、苦しい時、悲しい時、八方ふさがりな時。
読むときの気持ちで、本からもらえるエネルギーやメッセージは異なってくる。それはもちろん、本書だけではない、他の本でもそうだ。でも、本書は、こんなに薄っぺらい文庫本なのに、オッサン二人の雑談なのに、それほど読み甲斐があるという点で、恐るべし、なのである。


《小林 (略)いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。だから、学問が好きという意味が全然わかってないのじゃないかな。
 岡 学問を好むという意味が、いまの小中高等学校の先生方にわからないのですね。好きになるように教えなくてはいけないといっても、どういうことかわからないのですね。なぜわかりきったことがわからないか。なぜ大きな心配ほど心配しないのか。現状はわかりきったことほどわからない。どこに欠陥があるからそうなっているということを究めて、そこから直さぬといかんでしょう。
 小林 学問が好きになるということは、たいへんなことだと思うけれども。
 岡 人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむずかしい。
小林 好きになることがむずかしいというのは、それはむずかしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。(略)つまりやさしいことはつまらぬ、むずかしいということが面白いということが、だれにあでもあります。(略)むずかしければむずかしいほどおもしろいということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければいけないとぼくは思う。(略)》
(「学問をたのしむ心」10〜11ページ)


もう1965年の時点で、学校は、勉強することを好きになるように教えてくれる場所ではなくなっていたのだった。そりゃ、ダメなわけだよ、いまの教育現場が。

さて、こんな感じで数回に分けて本書の感想を書いていこっかな。と思っている。


Tu te souviens?2012/06/03 18:12:35

ポンピドーセンター。ちょうどマティス展をしていた(観なかった)。


『九月の空』
高橋三千綱著
角川文庫(1995年)


旅のお伴に文庫を3冊。ひとつは『私の身体は頭がいい』(内田樹)、もうひとつは『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー/澁澤龍彦訳)、そして本書。
なんでパリへ行くのにこの3冊なん? 共通点はたったひとつ、著者(訳者)たちは私の異常な偏愛の対象となっている方々であるということである。
と、いってみたけれど、実は単なる偶然で、機内じゃ退屈して寝るしかないに決まっているけどどうせ寝るなら睡眠薬代わりに何かあったほうがよかろうと思って文庫棚から適当にがさがさっと抜いたらこの3冊だったのだ。
偶然とはいえ、われながらナイスチョイスだわん、と手提げバッグに入れる。
いずれももうイヤになっちゃうくらい(でもけっしてイヤにならないのよ)繰り返し読んだ本たちである。いずれも、京都での日常とも目的地パリとも何の関係もないし、自分と自分にかかわるあらゆる事どもをどう並べ替えても、これらの本からは何ひとつ連想することがない。今の私と、昨日まで職場に埋没していた私を断ち、加えて、断った私をどこへも連れていかずユーラシアの上空に宙ぶらりんにしておくに余りある効果をもつ本たち。そして、今日までパリの非日常に溺れていた私を断ち、もういちどユーラシアの上空に放り出し、万が一そこで星屑に混じって消え失せてしまっても私自身の中には一粒の後悔も残らないほどパリの記憶から遠く隔離してくれるに余りある効果をもつ本たち。

『九月の空』は高橋三千綱の芥川賞受賞作品である。
小説というもんに精通していない私は芥川賞(に限らないけど)受賞作のよさがいまひとつわからない。何がどうだからこれが芥川賞で、何がダメだからあれは芥川賞でないのか。その違いももちろんわからない。文学賞はそれこそ星の数ほどもあるけど(……ないか。笑)、それぞれの賞の趣旨は違っているようで実は全然違っていないようにも思える。要は面白ければええんちゃうのとつい素人は開き直るのだが、面白いことは最低条件で、なおかつ時を経ても読者を惹き込む力のある小説――後年とある傑作を読みその作品の生い立ちを見ると、あ、受賞作品だった、というような――のことではないかと思う。芥川賞受賞作品と聞いて私が考え込むことなく瞬時に思い浮かべることのできるのは『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)だけなんだが、村上作品のいくつかは時代を反映しすぎていて、今読み直すといささか色褪せ感を禁じえないものが少なくないことを考えると、『限りなく――』の力強さはやはり群を抜いているといっていい。
角川文庫『九月の空』には、剣道少年・勇の青春三部作が納められている。『五月の傾斜』と『二月の行方』がなぜ芥川賞ではなくて真ん中の『九月の空』が受賞作品なのか、その理由は私にはわからない。わからないが、五月と二月は当時の社会背景が多少リアルに描かれているために、後年色褪せるかもしれないが、九月は、若干、昔の高校生って純情やったんやねえ可愛い♪な感じはもちろんあるけど、だからって思春期の男女の息遣いやためらいや好奇心の表れに昔も今もたいして変わらないことは、読めば妙に得心できたりするに違いない、だからこのあと何十年もこの作品は色褪せない、と、審査員は考えたのだろう。といったら審査員を褒めすぎか。

主人公・勇は、著者自身を投影したところもあるようだ。勇の生い立ちは、三千綱と重なるところがある。本書だけでなく、裕福だった家が一転貧しさにあえぐ状況となり各地を転々としなくてはならなかった三千綱の少年時代をモデルにした作品が多数ある。三千綱の実父である作家・高野三郎は、見ようによったら、アンタただの親馬鹿やなあ、然とした褒め言葉を息子の作品群に注いでいる(本書・解説)。たとえば、風の匂いや空気感の描写にとくに優れていることを指して、

《季節感が若者の行動と、心理を捉えて、強烈な躍動感を漂わせていた。》(262ページ)
《このように季節の風を、人物の心理面に敲きつけて、激写するように人間心理を外面的角度から描写する態度は》(263ページ)
《風や空、あるいは夜のネオンを単なる風景としてではなく、その中で、一瞬の行動にあらわれた人物の表情、心理をも閃光を当てるように瞬間描写している。》(264ページ)

などと絶賛である。
だが、その、著者の力量の根拠を、本人のアメリカ体験によるものだとしているところが、私は気に食わない。そうだろうか? 

《日本の風土で小さくこり固まったものでは叶わぬわざとおもわれてならなかった》(263ページ)
《ユーモアが全篇に漲っていることでもあり、これはアメリカ体験が、彼の文学風土の中に強い生の姿を植えつけている》(263ページ)
《じじむさくぐじぐじと日本の風土に育った人間には、真似のできない速度化した描写タッチである。カリフォルニアの空を見あげて、アメリカの土地に蝟集してくるさまざまな国籍の白人、黒人、日本人以外のアジア人群と密着した体験が、彼の「青春」を色彩化している。》(264ページ)

いったい、日本の風土とはそんなに小さく固まってぐじぐじしているもんだろうか? 単に肌の色、目の色、髪の色も多彩な人々の中にいれば彼の青春は色彩化されるのか? 『五月の傾斜』は1977年、『九月の空』は1978年の発表である。日本社会を染める色彩は2012年の今とは比べものにならないほど、……どうだっただろう? 高度成長期の時代、意味なく根拠なく人々は未来に希望を抱き夢を描いて、グロテスクなほどに派手な色彩感が人心を覆っていたのではないかと、当時すでに青春時代だった私は思い起こすのである。たしかに、著者の思春期はもっと時代を遡る。戦後の呪縛から抜け切っていなかった頃の日本は当時の大人にとって狭くじじむさくぐじぐじしたもので、戦勝国アメリカは明るく華やかでカラフルでドライだったかもしれない。しかし、四つの季節の移ろいだけでなく、朝と昼、夕暮れと真夜中の湿度の変わりかたや皮膚に感じる気温の生ぬるさや厳しさの違和感は、日本の風土と真正面に向き合って生きなければならなかった経験が著者に覚えさせたもので、また、それを言語表現化する才能は、アメリカ体験のおかげなどではなく、作家である父から受け継ぐところ大であったに違いない。高野は謙遜しているのかどうかしらないが、ま、たしかに息子の文才はワシのおかげよハッハッハと書くわけにもいかなかっただろうが、波瀾万丈の幼少期を息子に強いた己の経済事情が幸いにして彼の豊穣な表現力を育てた、とも書けなかったのかもしれない。

現代日本文学作品は、よく外国でも読まれている。「世界の」村上春樹だけでなく、え、そんなんまで翻訳されてるの? と驚く事例はけっこうある。日本の文壇でもてはやされている作家はほぼ例外なく大なり小なり海外でも紹介されている。友達は今、フランスですでに定評を得ている川上弘美の未訳本を翻訳中だ(今回訪ねたとき冒頭3ページくらいで「挫折しそうよ~」と苦笑していた)。ただ、昨今の作品は、すべてがそうではないにしても無味無臭というか、無国籍っぽいというか、ボーダーレス時代もしくはグローバル化を映してニッポン色は濃くないといってよいであろう。三千綱作品のようなコテコテの日本色・日本臭はないから、文字どおり意味どおり訳せば翻訳作品に仕上がるだろうと思う。三千綱作品は、本書だけでなく、いつか書いた『カムバック』にしても、チョー日本的だ。英語だろうがフランス語だろうが、訳したところでいったい誰が作品世界を理解しうるだろう。

《半年前、刃を振りかざしてくる寒風に、身を縮めた。》(6ページ)
《躯が脹れ上がり、毛穴から熱気が発散する。》(8ページ)
《六時を少し過ぎたばかりの空は、深い森を横切る渓流の水をすくったように高い所で透み渡っている。校庭は森閑としている。》(10ページ)

訳せるもんなら訳してみろといいたい(笑)。