桃子2008/03/12 19:17:48

 昔流行った漫画のヒロインが桃子って名前でさ。その桃子が可愛くってお洒落で、おまけに頭もいいって設定でさ。あたし、夢中でその漫画読んだよ、桃子になりきっちゃってさ。桃子とあたしじゃあ、実際には全然違うんだけどさ。あたし、ブスだし、センスないし、バカだし。だけど、あたしも十代で赤んぼ産んだんだ。ヒロイン桃子と同じようにさ。子どもの父親とは別の男と暮らしていたのも、ヒロイン桃子と同じ。
 じつは、あたしの赤んぼ、「桃子」って名前なんだ。例の漫画読み始めたときに、あたしもデキちゃったのがわかってさ。まったくこの漫画、胎教代わりに読んだようなもんだよなあ。あとからそう思ったんだ。なぜって、あたしの桃子は漫画の桃子そっくりに、可愛くて、頭もいい子に育ったんだ。こんな親なのにね。願いは叶うんだなあと思ったよ。漫画の桃子にあやかって桃子と名づけたときから、桃子みたくなってくれって、念じながら育てもん。そしたら、年頃になるとお洒落もするようになって、それがまた、センスいいんだ。ウチは貧乏だからいい服は買ってやれないけど、チープシックっていうんだよね、安いものをうまく着こなすのが上手なんだ。わが娘ながら、感心感心。
 そのうち、デートなの、なんていって出かけることが増えて、まったくおませなもんだよ。悪い虫がついちゃ困ると思ってつい心配するんだけどさ、大丈夫、人柄は保証つき、なんて、あたしが訊くたびにいうんだよ。
 ところであたしの今のダンナは、ダンナといっても内縁関係のままだったけどね、見た目は冴えない男だけど、ふふ、ほら、夜の、アレのほうがテクニシャンだからさ、あたしも離れられなくてさ。とりあえずちゃんと食い扶持稼いでくれるんだから、いまどきよしとせにゃあ、なんだよ。
 ある晩、ダンナが給料日だからってんで上等のステーキ肉買ってきたんだ。大喜びで支度しようとすると、お前は座ってな俺が焼くから、とダンナがいい、桃子までが、そうそう休んでてよ、なんていう。それで座ったんだ。
 そしたら、悪戯っぽい眼で桃子が動かないでね、といって椅子に座ったあたしを紐で縛りつけるんだよ。そこまでしなくってもじっとしてるよって笑ってたんだけど、そのあとは本当に早かったね。両手両足縛られたあたしが最期に見たのは、桃子の、これ以上ないというほどきれいな笑顔。その口許は、ばいばいっていっていた。
 あたしは、いつのまにかあたしの後ろに来ていたダンナに、何か重いもので殴られて、絶命した、と思ったらあっという間に服を引き剥がされて、そのあといつのまにか敷き詰められてたビニールシートの上で、バラバラに解体されちまった。さすが上手ねえ、わあー、お肉ってピンク色ぉー、と桃子がはしゃいでいる。あったりめえよ、と得意げなダンナ。牛屠場で十五年のバリバリだもんなあ……やれやれ。
 あたし、享年三十二。ダンナ、三十三歳と桃子、十八歳は、あたしのおいしいところだけをジュージュー焼いて食べたあと、あたしの残りは密封ポリ容器に園芸土と一緒に突っ込んで、部屋をきれいに片づけて、二人で外国へ行っちまった。バカだねえ、今ちょうど、この部屋から見える川べりの桜が満開だってのに。

コメント

_ おさか ― 2008/03/27 09:43:29

きゃー
そ、そうきましたか
この漫画って「ハイティーン・ブギ」ですね、なんてノーテンキなことを言ってる場合じゃない
すごい、すごい話ですね
狂おしい春
この「桃子」という名前は私にはちょっと鬼門なんですが(笑
新しいちょーこさんを見たようでたのしい春です

_ ちょーこ ― 2008/03/27 13:20:37

え、なんで「桃子」は鬼門なの? だんなさんの昔の彼女?

私、ハイティーン・ブギはプチセブンで連載当初読んでいたんだけど、翔と桃子が暮らし始めて子どもが生まれたあたりからつまんなくなって読むの止めた気がする……けっきょくどう話が終わったか知らないのだ。
でも私の周囲はこの漫画に入れ込んでいる子、すごく多かった。マッチとか三原順子で映画化されたときは、あまりの乖離に死にそうになっていた、みんな。

_ おさか ― 2008/03/27 14:04:43

>昔の彼女?
ちゃいまんがな(爆
長女の同級生にそういう名前の子がいてね・・・・ここではお話できまへん、お会いしたときにっ(そんなんばっかでんな、わてら

ハイティーンブギの桃子ちゃんは確か、死んじゃうんですよね、病気かなんかで。
映画は武田久美子じゃなかったでしたっけ。せりふ棒読みだったみたいで、感動的な場面のはずなのに失笑がもれていたと友達が言っておりました(笑

_ ちょーこ ― 2008/03/27 17:00:17

あはは、ちがうんですか。なーんだ(笑)

武田久美子はこの映画がデビューでしたね。
棒読みもしゃーないでしょ。マッチの翔にトシちゃんの重なんつートンデモキャストなんだから新人の下手さ加減なんてたいして目立たなかったんじゃなかろうか。

_ ぎんなん ― 2008/03/31 22:11:04

したがき、読んだんですよー。文章塾にもコメントしてないので遠慮してました。

すっごく笑いました。
惨劇が実に他人事のようにすっとぼけた語り口が好きです。
ハイティーン・ブギは知らないのですが、楽しめました。

で、ですね。
最初に読んだときから疑問に思ってるんですよ。

……なんで食べちゃうんですかね?
とーちゃんステーキ肉買ってきてるのに!

義理の父娘がデキちゃうのも、邪魔になったかあちゃん殺しちゃうのも、バラバラにして捨てて二人で海外にしけこんじゃうのも、全然疑問は無いんです。
でも「食べる」ってもうひとつ別の次元のような気がするんですよ。処理するためってのも、興味(一度食べてみたい?)ってのも、いまいち動機として薄い気がして。
肉やホルモンの扱いに慣れているらしいとーちゃんがどんなに手際よくやったって、人ひとり分解すると血の臭いや内臓の臭いがかなりするとおもうんですよ。とっとと処理してさっさと逃げたいだろうし、初めて人間の分解過程に出くわしてその肉を美味しく食べられる桃子ちゃんはかなりネジがとんでますよね。
しかも、とーちゃんステーキ肉買ってきてるのに!

食べなくてもよかったかなーと個人的には思いますー。日々欲望のままに動物的に暮らす人間の馬鹿さ加減を描きたいのか、肉親をもりもり食べちゃうくらいネジのとんだ人間を描きたいのか、あいまいになってしまった気がします。

……すみません、猟奇的な感想で(汗)

_ ちょーこ ― 2008/04/01 10:08:25

おほほ、いらっしゃいませ。遠慮無用よ♪

そう、疑問というか、考えたかったのはそこなんです。
どのようなことから、食べたいと思うだろうか。
この話でどうしても書きたかったのは、「食べられちゃうあたし」だったのですが、どうすればダンナと桃子が食べてくれるだろうか。いろいろ思い巡らしましたが、けっきょく、「あまり深く考えずに食べてしまう」ということにした(なんじゃあ、そりゃあああーー……って言わないでね)のです(笑)。

じつはある本を読んだのです、大変面白い本でした。
でですね、その本のテーマとは別に、もしかしてそういうこともあるのではないか、と。そういうこと、というのは、人をバラバラに解体していくうち、見えていなかった肉の色や骨組みがあらわになって、「おおお美味しそうだ」という感動や対象への違う意味でのいとおしさが出てくるかもしれないという可能性。
ただし、あまりのことに人はそれをいちいち認識しないかも。ただ「ええい、食っちゃえ」と。

そのあたりを書けたらよかったのですが、いずれにしても私の筆力では話が飛躍しすぎて感じられるでしょうね。

それにしても、よくぞぎんなんさんにここ(この話)へお越しいただけた、と思っています。さっき言った「本」、いずれマイブログで取り上げますが、書いてるのぎんなんさんじゃないかと思うくらい、筆運びが「漢」だったの。お楽しみにー♪

_ きのめ ― 2008/04/01 12:34:48

とりあえずは、知り合いのブログには、時間のある限りいつも目は通しているんですよ。
ただ、コメント書くのは少し遠慮してます。
どうも、流れをはずすことが多いものですから。
なにせ、頭の中で考えてることが、文章にまとまらなくて。

「桃子」、食べちゃうシーンを入れることによって逆に悲惨な陰湿さがでなかったのかな。わたしは、こういうラスト、好みなんですよ。

_ ちょーこ ― 2008/04/02 09:53:46

きのめさん、ようおこし。

>とりあえずは
いえいえ、わかっておりますですよ。私も目を通すのが精一杯ですもん。

>悲惨な陰湿さがでなかったのかな。
そうそう、あっけらかんと食べられたかった。
あまり猟奇的なイメージが感じられなかったとしたら、それは狙いどおりだったので、嬉しいです。

_ ろくこ ― 2008/04/07 12:56:48

自分が食べるほうじゃなくて
食べられるほうを書かれているのをみて
やっぱりこの作品は
母性を描いたものなのかなーと思いました
実はだいぶ前に多分公開されてまもなく読んだのですが
自分が思ったことをアウトプットするのに
こんなに時間がかかってしまいました
昨日の晩
あー、そうだ、私なら自分が食べる側か、あるいは自分を食べる話にしたかもしれない、とひらめき
そこには母性が描かれているに違いない、という結論にいたりましたよ

_ ちょーこ ― 2008/04/07 19:02:28

>自分が食べる
じっさい、ウチのさなぎは食べたいくらい美味しそうな肉づきです(笑)。
しかし、生んだ子を食べずに生き延びる話にしたところが「母性」だとおっしゃるならそれはそうかもしれない。
結果的にろくこさんがそう読んでくださったことに、なんだか感謝・感動です。
どちらかというと、精神に潜在する(普段出てこない)衝動を書こうとしたよなアタシ、と思っていたので。

この文章の語り手は受動的に生きてきたところがあり、それは私の人生と重なりますよ。……と思ったのは皆さんにコメントもらうたび読み返して発見したのだが。

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