おかげでよう育ちますねん2010/07/13 00:55:24

よく降りますねえ、今年の梅雨は。
おまけに止んだあとは決まってかんかん照り。
水も太陽も不足なしってんで、金魚たちとは裏腹に植物たちの元気なこと。
よく咲く時計草。

正面から見るとこんな顔。
今何時っ そうね だいたいねええーーー♪♪

これは去年種を植えたアボカド。大きくなったでしょ。
これは少し前の写真。今はもっと葉が大きくなって背も伸びています。

小梅の実。鳥や鼠が食べにきますが美味しくないと見えます(笑)。
そして次は……
今年のニューフェイス、かぼちゃです。凄い勢いで葉が大きくなってびっくり。今、大きなプランタに移してあります。
もし実が生れば、拍手喝采もんやね。

雨ニモ負ケズ2010/07/15 00:39:28


雨ニモ負ケズ。
祭りにくり出す人々。(地元紙サイトより)
わが町は大雨洪水警報が出ていたんですけど。

雨ニモ負ケズ。
神の使いとして八坂神社へ祈祷に向かうお稚児さん。(地元紙サイトより)
昨日も一日中、嫌っつーほど降っていましたけど。


雨ニモ負ケズ。
川は氾濫寸前。動画で見たい方はここへ。



ゴジラが出そうな空だった2010/07/16 18:23:11

夕焼けの影響で、うっすらと赤く染まった宵々山(15日午後7時5分、京都市中京区新町通六角から南を望む) 

「宵々山、セピア色に 祇園祭
祇園祭は15日夕、宵々山を迎えた。断続的に雨が降り続いた京都市内では、低く垂れ込めた雲が夕焼けで赤く染まり、町全体がセピア色に沈んだ。南北の観音山や放下鉾などがひしめく中京区・新町通の山鉾町でも、提灯(ちょうちん)のともった山や鉾が幻想的に浮かび上がった。
京都地方気象台によると、西側に立ちこめた雲や大気中に大量に含まれた水の粒に西日が当たり、光が散乱したために起きた現象とみられる。(……)午後10時までの人出は12万人(京都府警発表)で、昨年より12万人少なかった。」(地元紙より抜粋、フォトキャプションも)


昨日の夕方、雨の止んだ空が赤みを帯び、まるで天変地異の前触れのように下界をも怪しげな赤茶色に染めた。一昔前の、毛染めに失敗してちりちりに赤くなった女の髪を光に透かしたときのような、不健康なよどんだ色。陸上競技場のトラックの色に似た粉塵が立ち込めているようで、窓を開けて遠方を見ればそこにゴジラの勇姿があった。……みたいな空だった。

外へ出て西の空の写真を撮りたい気分だったが、とにかくガチガチに原稿山積みで気持ちに余裕がなかった。今日、ひとつプレゼンが終わって、山積み原稿のもとへいま帰社したんだけど、何にも書く気になれなくて(そのわりにいまぐだぐだとブログを書く私)、昨日の赤い空を懐かしんで窓の外を見ている。今、夕方突然落ちてきた、これでトドメだどうだ参ったか的な超豪雨が止み、切れかけた雲の隙間から透き通った青空がところどころに見える。ようやく、梅雨明けだ。

娘は毎晩、お稽古から帰ったあと宵山へ繰り出して祭三昧。私も10代の頃は行かなきゃいけないようにして毎晩出かけた。誰とも誘い合わせなくても、町へ行けば囃し方に父や弟や男友達がいて、粽売りに女友達がいて、パトロール隊に近所のおっちゃんがいた。出くわしたクラスメートに混じって一緒に歩きもしたけど、わりとひとりでくまなく山鉾を巡ったりもした。16日の真夜中になるとあばれ観音が見られるし、各山鉾の御旅所囃子もあるし、なもんだから可愛らしく子どもの時間に帰宅するわけにはいかなかったのである。
それを思えば娘は常識的な時間に帰宅しているなあ。今夜一緒に行くさくらは少し家が遠いから早めに帰宅するだろう。そのあとで「お母さん、もう一回一緒に行こう」と言いそうな気がする。それまでには帰っておいてやろうかな。

さ、原稿書こ。

47万人(笑)2010/07/17 06:57:56

時折雨が降るなか、見物客で埋め尽くされた宵山(16日午後7時10分、京都市下京区四条通寺町から西を望む)

「鉾包む 熱気と人波
 祇園祭 宵山に47万人

京都の夏を彩る祇園祭は16日、宵山を迎えた。京都市中心部の山鉾町には、悪天候で前日まで外出を控えていた人がどっと繰り出した。週末とあって仕事帰りの会社員も加わり、人出は昨年より9万人多い47万人(京都府警発表)に上り、祭りムードはようやく最高潮に達した。
昼間の雨も夕方には小降りになり、山鉾町かいわいは、夜が深まるにつれて人出が増えた。四条通の長刀鉾や函谷鉾、月鉾の周辺をはじめ、数基の山鉾が一列に連なる室町通や新町通も身動きが取れないほど混雑した。
囃子(はやし)方が鉦(かね)や太鼓、笛で祇園囃子(ぎおんばやし)を奏でる中、浴衣姿の女性や子どもたちが「厄よけのちまきどうですか」「明日は出ません。今晩限り」と声を掛け、行き交う市民や観光客は祭りの夜を満喫していた。」(地元紙より、フォトキャプションも)


毎年、いったいどこから出てくるんだいキミタチというくらいの人波が押し寄せる宵山。昨日の夜、真夜中近くに帰宅した娘が「ひと多すぎ」とぐったりしていた。アンタもその中のひとりなんやししゃあないやん。36基の山鉾のうち27基をしっかり見てきたそうだ。毎年かわりはないのに、それでも見たくなるんだよね。これ、なんだろうね、この妙な高揚。
さすがに、お母さんもう一回一緒に行こうとは言わなかった(笑)が、「家族連れとかが、さ、もう帰るで電車乗らなあかんし、とかいうたはんの聞こえてきたら、ああ地元でよかったあって思うわあ」と祇園さんの氏子である幸せをかみしめていた娘であった(笑)。

今日の山鉾巡行も、テレビ鑑賞だな。
後祭りには、気合い入れて参加しますわ。

テレビ鑑賞2010/07/18 06:56:17

昨日、アサブロの不具合で更新できなかったのでちょっと遅くなりましたが、祇園祭の先祭りのクライマックス、山鉾巡行をテレビで見ました。

しめ縄切りです。神の子が結界を切り、山鉾は神の域へ進みます。
持っているのは真剣。あぶないよっ

切りましたっ
これでお稚児さんの大役は果たせたわけです。
お母さん、泣いたはりました。そらそやねえ。


無事に進む長刀鉾。
辻回し。パワステとかないんでたいへんです。
青竹を敷いて水をかけて濡らして、その上を車輪が滑るようにします。

こうして見ていると、テレビカメラっていいとこに陣取ってますよねえ。

ほら、ちょっとヨコ向いたでしょ。1回に30度から40度回転させて、だいたい3回くらいで90度回ります。

ハイよくできました(笑)いってらっしゃーい。

このあと後続の山鉾がどんどん続きます。
奉行にくじ改めをしてもらうと普通はそのまま進むんですが、曳山や一部の歩き囃子の鉾はここで奉行にお披露目したり囃子を奉納したりします。奉行っていってますが市長のことです。

いつか当ブログでも言及した綾傘鉾の棒振り囃子。
いろっぽいわーすてきやわー♪

蟷螂山(とうろうやま)です。蟷螂ってカマキリ。動くんですよ、このカマキリ。奉行前では回転してました。巡行中は、頭はもちろん鎌を上げたり羽根を広げたり、で忙しいカマキリ君です。なぜご神体がカマキリなのかは、私は近所に住んでいながら知りません。


さて、午前中は、テレビの前に座ったり、巡行中継のゲストの会話が鬱陶しいなと思ったり、けっこうケータイでちゃんと撮れるやん、ブラウン管画面とか独り言いったり、洗濯機を何回も回したり、洗濯物を何度も干したりしながら家にいましたが、午後は巡行した山鉾が各町へ帰るため近所を通るので、それを見物に新町六角へ行きました。
こういうふうに、狭い道を、電線に引っかからないようにしながらゴトゴト通ります。
昔はここで待ち構え、粽(ちまき)を投げてもらいましたが、危険だからといって粽投げは廃止されたんですよね。あれはいつのことかなあ。
放下鉾のお稚児さん。お人形です。舞を披露したはります。ちゃんと人形遣いさんがおられるんですね(長刀鉾の生き稚児の後ろで支えてる囃子方さんも人形遣いみたいなもんですね)。

かつて父と弟がお世話になった北観音山。

ご帰還。お疲れさまでしたーー。
ご覧くださった皆様も、お疲れさま、ありがとうございました。m(_ _)m
またお越し ♪ 

まだ終わりとちゃいますねん2010/07/19 12:09:28

「祇園祭・神幸祭
 祇園祭の神幸祭が17日夕、行われた。京都市東山区の八坂神社を出発した3基の神輿(みこし)は、「ホイット、ホイット」の掛け声と飾り金具の音を響かせて氏子地域を練り歩いた。/午後4時から八坂神社で神事が営まれた。午後6時すぎ、中御座(ござ)、東御座、西御座の3基の神輿が石段下にそろい、夕日を浴びて輝かしい姿をみせた。/法被姿の輿丁(よちょう)が、担いだ両手を真上に伸ばす「差し上げ」を行った後、ゆっくりと回転する「差し回し」を披露して祭神への敬意を表すと、見物客から大きな拍手が起こった。/3基は東山、中京、下京各区の氏子地域をそれぞれ練り、四条通寺町東入ルの御旅所に1週間鎮座、24日の還幸祭で八坂神社に戻る。」(地元紙サイトより)

山鉾巡行の行われる17日は「先祭り」のクライマックス。であるからして、まだ祇園祭は終わりではないのである。
このあとの後祭りは山鉾よりもぐっと小さな神輿ではあるけれども、それだけにぐっと身近な「おらが祭り」。24日の還幸祭には我が町内会は総出でお手伝いor見物するのが慣わし。ウチの子もボランティアで子ども神輿(上で引用した記事中の「3基」には含まれない)のお手伝いをしたりしている。

日本中にさまざまな祭りがある。優雅なもの、勇壮なもの、神聖なもの。私たちの祭りは阿波踊りのように踊る楽しみはない。だんじりのように命懸けの迫力があるかといえばない。けれども、なんだろう、村や町に古来残る祭りというものはいずれもその地の民にとって必要十分な姿で継承されているもんなんだなと今さらなんだが思わずにはいられない。私たちは盆踊り程度なら好む人もいるけれど、お祭りどすえ踊らなどないしゃはりますんさあさ踊ろ踊ろほれほれ、というようなメンタリティはあまり持ち合わせていない。ものすごいスピードで駆ける山車の上でさらに飛び跳ねてみせるだんじりは、よそ者が見るぶんには楽しいが、いざ主催する立場に思い巡らし、もし我が町的精神でもの言えば、そんなんあぶのうおまっせ、やめまひょ、で話が終わりそうである。祭り(だけではないが)が民の精神をかたちづくる。その逆もまた真である。

時計草三昧2010/07/20 22:24:44

いつか時計草の写真をアップしたら多方面より関心の高い感想をいただいたので、また嬉しがって載せることにする。

こういうふうに竿やらハンガーやらに蔓伸ばして巻きついちゃうのよ。並んでいるのは蕾。これが全部いっぺんに咲くと壮観なんだけど、ひとつずつしか咲かないの。


蔓が上へ上へと伸びるので、けっこう上のほうでしか咲かなくなって、たいていはこういう角度でしか花を見られないのである。↓

無理矢理こっち向かせて写真を撮る(笑)




いろいろな色のが咲くと楽しいんだろうけどなあ。



可哀想な人たちに思いを馳せて自分を励ますという構図の功罪2010/07/21 21:05:58



『ラティファの告白 アフガニスタン少女の手記』
ラティファ著 松本百合子訳
角川書店(2001年)


タイトルが示しているように、本書は小説ではなくラティファというアフガニスタンの女性のアフガニスタンでの生活を綴ったものである。ラティファは二十歳になって、半ば亡命に近いかたちで渡仏した。フランスのジャーナリズムにアフガニスタンで起きていることを、とくに女性に起きていることを語るためである。本書はラティファが語った内容が仏訳されてまずフランスで出版され、それが日本でも翻訳出版されたものだ。フランスでは現在、アフガニスタン救済を呼びかけるNPO等の活動がけっこう活発なので、当時ラティファの本はかなり売れて読まれた結果ということなのだろう。

小説ではないから、過日とりあげた『ボッシュの子』と同様、物語的な盛り上がりや起伏がない。惨い現実が次々と語られていく。ひとつひとつのトピックは、あまりに惨たらしくあまりにひど過ぎて、穏やかに可もなく不可もなくのお気楽人生をすでに半世紀近く送る私にはとうてい想像つかないことばかりである。もちろん、それは著者のラティファにとっても惨たらしく耐え切れない事実なのであるが、彼女の語り口がそうなのか、仏語訳のせいなのかあるいは仏語からの和訳のせいなのか、どうもとりとめのない作文を、いや作文として読めばすこぶる優秀作品なんだけど、読まされている感じが否めない。しかし、それは言いっこなしだな。

イスラム原理主義というやつは、どうしてこれほどまでに生あるものに対し残酷になれるのだろうか。私にとって関心のあるイスラム国家といえばマグレブ三国とパレスチナで、残念ながらそれ以外の国に関する知識は非常に寒いのであるが、たとえば、アルジェリアにおける武装イスラム集団のテロは一時非常に活発だったのでいつも報道にかじりついていたが、奴らはただ殺すだけでは気が済まないようなのである。とくに女性に対してとことん残酷である。90年代によく読んだルポの内容はいまうろ覚えだが、殴りつけて息の根を止めた妊婦の腹を切り裂いて胎児を引っ張り出し切り刻んで捨て置くとか、首を絞めながら輪姦した挙句股間から真っ二つに裂いて吊るしておくとか、身体のパーツ(腕や脚はもちろん眼球とか乳房とか性器とか)をご丁寧にも全部ばらばらにして並べておくとか、とにかく、その行為にどういう意味があるんだよ20字以内で説明せよ、とか、女性性へのその憎悪の根拠は何なんだよお前たちは誰の腹から生まれてきたんだよこれについて思うところを50字程度で書け、と詰問したくなるような、えげつないにもほどがあるのだ、惨殺ぶりに。

本書にも、似たような記述は出てくる。タリバンがカブールを制圧して以来、まったく被らなくてもよかったチャドリ(顔をすっぽり覆う黒いヴェール)の着用が強要され、仕事をする自由、外出する自由を奪われるのは女性たちである。ちょっと近所へ行くだけだからと何も着けずに外へ出た7、8歳の女児たちが「強姦され、殺されて性器を引きちぎられてゴミ捨て場に捨てられていた」とか、タリバンが召集した場所で学生たちが見たものは、「観音開きの扉に全裸の女性の死体が真っ二つに裂かれて一片ずつ左右の扉に貼りつけてあった」などなど。それは見せしめであり、俺たちタリバンに逆らう者はこうなるぞと主張しているのだと著者は言う。タリバンはもちろん男性も殺す。しかし死体を弄ったりはしないのだ。女性がいなければ男性だって世に存在できないのに、女性をこの世から壊滅しようとしているようだと著者は言う。女性から自由を奪い、希望を奪い、意思を奪い、心を奪う。女性は生まれながらにして男性の奴隷でありその庇護なしには一歩も行動してはならないのだ。14、5歳で結婚させられ、子どもを生めば用無し扱いされてとっとと捨てられる(=殺される)。

地球上で最も愚かな生物は人間のオスだというのが私の持論だ。オスだけでは繁栄できないのにオスがいちばん偉いといわんばかりに振舞う。この愚かさはイスラム原理主義者だけでなくあらゆる場所に生息する人間のオスに大なり小なり共通である。
メスだってメスだけでは繁栄できない。しかしメスはそのことを自覚している(いた)。

フランツ・ファノンの本を読んだのがイスラム教のなんたるかを知った最初だったのだが、女子割礼(性器切除)の風習や、チャドリやブルカを纏うことの意味について勉強するにつれ、やっぱしオスはアホやなあ、と何につけ結論づけるのが癖になってしまったいけない私がいる。そんなアホなオスが大好きな私もここにいる。

ところで、私は昔から小説よりもノンフィクションが好きだが、ジャンルは社会的弱者のおかれている惨状をレポートしたものというのが多い。お母さんの借りてくる本って絶対ナチスとかパレスチナとかチェチェンとかチェルノブイリって書いてある、とこれはあるとき娘にいわれたことなんだけど(笑)、根性なしの私はすぐにああもうダメだ立ち直れないという精神状態にしょっちゅう陥り、そのたびに、そうした気の毒な立場にいる人たちのことを読み、その苦しみに思いを馳せ、自分のプチ逆境など逆境のうちには入らないのだわと奮い立ち持ち直す、ということを繰り返してきた。とにもかくにもこの私が、まともに生きてこれたのは、世界中で迫害され虐待され無残に殺されていった幾多の悲しい人々のおかげなのである。といえなくもないと思うとまた、私って何たるエゴイストかとずんと落ち込むのである。んでもってまた、プーチンの悪行三昧暴露本などを読んで許さん!などと独り言を言い立ち直っている(私もたいがいアホである)。この思考パターン、どうよ。あんまりよくないよね。前向きなようで、かなり後ろ向きだよね。

さてさて、本書が出版された当時、著者のラティファは21歳。だからいまはもう30歳になっている。どこでどう暮らしているのだろうか。フランスで愛する人と一緒に生きているのか。本書によればラティファと母親がパリへ着いたとほぼ同時くらいに、タリバンは彼女の生家に押し入り略奪した挙句火をつけたという。子ども時代の思い出の詰まった家がなくなり、家族は離散してしまった。それでも、ラティファは全アフガニスタン女性を代表して声を挙げるために、フランスへ来てよかったと思っているのだろうか。

ずつうでゆううつ2010/07/23 23:45:50

けっこうええおとこ。


『ボオドレール 悪の華』
シャルル・ボードレール著 鈴木信太郎訳
岩波文庫(2000年/初版1961年)


なんでかわかんないけどアタマ痛い……すごく痛くて今日はぜんぜん仕事にならなかった。頭痛はしょっちゅうなんだけど今日みたいに激痛が収まらない日は、それほどしょっちゅうではない。こういう時って思考不可能だから思考しなくてもいいことにばかり、思考が走る。走るけど、仕事しない、思考。
家の本棚の隅っこにあったボードレールの詩集を職場のデスクに置いている。なぜそんなものをそんなところに置いているかというと、こういう、思考が思考の仕事をしないときに、ぼーっと眺めるのにうってつけだからである。なぜ自分がこの詩集を持っているのか実は私にはもうわからない。この本が欲しい、読みたいと思った記憶はない。誰かに贈られた記憶もない。だいいち誰も贈らないだろ悪の華なんて、と思うし。
旧字旧仮名遣い表記なので、読みにくいことこのうえない。不思議なもので、これが日本人作家や著述家の書いたオリジナル日本語文だと読むのはちっとも苦にならないのだが、紅顔毛唐碧眼の輩(←よい子の皆さんはこんなこと言ったり書いたりしてはいけませんよ。ほほほ)の文章の翻訳が旧字旧仮名遣いになってるとまるで宇宙語のようである。まだ漢文漢詩のほうが意味が伝わる。
頭の中で、昔よくあった(いまもあるのか?)灯油缶みたいなのを曲がった金属バットでガンガンガンガンと、頭の内壁にくっつけて打たれるような、不愉快な痛みと耳鳴りが続くようなとき、本書の、旧字旧仮名遣いの、小難しさのファッションショーのような詩文を目で追う。そこには書き手の苦悩とか思想とかが見え隠れするはずだが、見えていようが隠れていようが私にはまったく読み取れない。が、『悪の華』は十分にここでの役割を果たしてくれている。とりあえず難しい字の並んだ本を読んでいると、さぼっているようには見えないし、時たま、あらそうねホントねナットクだわ、と共感する詩に出会うこともある。


憂鬱

市(まち) 全体に 腹を立てた 雨降り月は
隣の墓地の 蒼ざめた亡霊どもには 暗澹と
した冷たさを、また霧深い場末の町には
死の運命を、甕傾けて 肺然と注ぎかける。

わが猫は 床石の上で 寝床の敷藁を探して
絶えず 疥癬の痩せた体を揺すぶっている。
老いぼれ詩人の魂が 寒がりの幽霊のやうな
悲しい声をたてながら 雨樋の中を うろついている。

寺院の鐘が泣くやうに鳴り、燻った薪が
裏声で 風邪をひいた柱時計に伴奏する、と、
こちらでは、水腫(ぶく)れにむくんで死んだ老婆の遺品(かたみ)、

厭らしい匂ひの染みたトランプの札の、
ハートのジャックの色男と スペードのクヰンの二人、
返らぬ昔の恋愛を ぼそぼそ陰気に語つてゐる。

(222ページ)
(旧字は現代字に改めた。以下同)


この詩集には「憂鬱」と題された詩が連続して4編収められている。
二つ目の憂鬱。

(……)
雪の降る年々の 重い粉雪にうづもれて
陰鬱な 探究心の喪失から 生れる果実(このみ)の
倦怠が 不滅の相を帯びながら 拡がる時に、
蹌踉(そうろう)と過ぎてゆく月日より長いものは 何もない。
(……)


三つ目はつまんない。
四つ目の憂鬱。

(……)
——さうして、太鼓も音楽もない、柩車の長い連続が
わが魂の中を しづしづと行列する。希望は、
破れて、泣いてゐる。残忍な、暴虐な苦悶は
わがうなだれた頭蓋骨の上に 眞黒な弔旗を立てる。




憂鬱だ。仕事の進捗を思うと憂鬱だ。雨漏りしていた天井を思うと憂鬱だ。娘の進学を思うと憂鬱だ。痛む歯を思うと憂鬱だ。いじられる歯の本数を思うと憂鬱だ。今夏の暑さを思うと憂鬱だ。今夏の暑さできっと来春のスギもヒノキも大豊作だと思うと憂鬱だ。明日の朝ご飯の献立どうしよう、と思うと憂鬱だ。





私の憂鬱に比べれば、ボードレールもジュリーも、何よその程度でぐだぐだいわないでよ、てくらいの憂鬱じゃんか。というか、そういうのを憂鬱ってゆーんかい? みたいな、なんていうのか、憂鬱の方向性の違いみたいなものが存在する。暴虐な苦悶とか、悲しい声で雨樋の中をうろつく寒がりの幽霊なんて、憂鬱の域を超えている。「毎日ボク眠れないやるせない♪は・は・は」なんてそれは憂鬱じゃなくて不眠症じゃないの? でもジュリーは美しいので許す(実はジュリーのLPレコードをたんまりもっている私)。

毎朝、カラダが全身最大のエネルギーを絞り出すようにして私の脳に「会社行きたくない」と訴える。登校拒否児童の精神と肉体の状況ってもしかしてこんな感じなんだろうかと想像してみる。してみるが解決にはならないので、とりあえず脳は、そういわずにさ、一緒に行こうよ、などとカラダに言い聞かせているようである。もうずっと長いこと、私のカラダはキレが悪く、重くて、あちこち痛くて、いつの間にこんなことになってしまったのかと思うほど、何をするにも動作が遅く、反応が鈍い。だからいっときに比べて1時間以上早起きしないと朝の家事がすべて終わらない。五月以降、私は皿を2枚、ガラスコップを2個、割った。モノが手につかないのである。

明日は還幸祭。お神輿わっしょい! 私たちのクライマックス。神輿に祈願するの忘れないようにしなくちゃ。

かけ声は「ほいっとほいっと」なの2010/07/24 22:56:10

頭痛のなくならない昨日今日。しかし歯を食いしばって娘を祭りへ送り出し、ようやく祭りの夜を迎えました。
還幸祭。祇園祭後半のクライマックスです。




神輿は三基。恥ずかしながらそのいわれなどについて知識を持ち合わせていない。なので、解説なし。
私はただ毎年間近で見て興奮するのみ。小さい頃は花火もしたけど。世話人の皆様、お疲れさまでした。

あ。祈願するの忘れてた。