T'es bizare... ― 2011/09/28 02:36:24
村上 龍著
ベストセラーズ(2003年)
本書の表紙、とても素敵だ。どっかから拝借したこの表紙画像には帯が巻かれてあってその半分が隠れてしまっているのが何とももったいない(ああ、マータイさん亡くなってしまわれたわね……合掌)。私はこういう絵が大好きだ。本書には、何葉も、おそらく同じ画家の、似たタッチの油絵がカラーで挿してある。どれもが美しく、切なく、力強くて、悲しい。何も言葉では言おうとしていないのに、絵を見つめているとメッセージが迫りくるような錯覚にとらわれる。たぶん、こうした絵を見ても、これぽっちもなあああんんとも思わない人もいるのだろう。絵だとか音楽だとかはこのように受け手によって解釈も感動もまるで異なるのが面白く、絵だとか音楽だとかが生き残っているゆえんであると思う。
さて、こういうトーンをもつ絵を描く子が、美大のときの仲間にいた。清美(仮名)という名前だったのになぜか愛称はおシマ(仮称)だった。なぜ彼女はおシマだったのか。一度訊ねたが、おシマは「さあ、なんでかなあ。昔からおシマって呼ばれてきたからもうわからない」と頼りない。名字に「島」や「縞」や「嶋」や「志摩」があるわけでも、母親や祖母や姉妹や従姉妹に「しま」という名の人がいるのでもなかった。岩下志麻という女優がことのほか好きな私は、清美のようなその名前のとおりの純で飾り気のない子と岩下志麻との間に何の共通点も見いだせないのに彼女がおシマと呼ばれるのが不思議でその由来にけっこうこだわってみせたが、おシマは「さあ、なんでやろぉ」しか言わないのであった。おシマは、岩下志麻ではなく鈴木京香がセーラー服の女子高生の頃に戻ってかりっと痩せてスッピンになって、そんでそこからもう一度、一、二年、歳を重ねて、制服から生成りのワンピースに着替えて麦藁帽子をかぶらせたらホラ、おシマになったよ、というくらい、可愛かった。清楚できれいな子だった。男子学生はみなおシマが好きだった。おシマのことを好きであることは男子学生の間ばかりでなく女子学生の間でも常識であった。常識というより当大学生の心得というか、まず何を置いてもおシマが好き、それは暗記必須英単語集のマスターに近いというのはきっと喩えが変だが、誰もがすっと黙って静かに越えるべきちっちゃなハードルだった。女子はそんな男子を赦すしかないのである。だっておシマだから。おシマは何も目立ったことはしなかった。いつも楚々とした笑みをたたえて、すごい絵を描いていた。そう、私は、おシマの油絵が大好きだった。さっきの話じゃないけど、アブストラクトなその大画面は、美しく、切なく、力強くて、悲しい。おシマの卒業制作作品は、圧巻だった。私はこの絵に出会うためのこの大学に入ったんだな。しみじみと、本気でそう思った。
本書を読み進みながら、ときどき挟み込まれた挿画に、おシマを思い浮かべて、あの絵を思い浮かべて、あの絵はどこに行ってしまったのだろう、おシマは今どこにどうしているのか、そんなことを考えた。
さて、村上龍である。なんでこの人はこんなに変態ばかり書くのだろう。ページをめくれどもめくれどもヘンタイしか出てこない。ヘンタイオヤジばかりではない。ヘンタイねーちゃんも山のように出てくる。そのヘンタイ度も普通の秤では測りきれずに針を振り切って壊れてしまうくらいである。数々の名峰を極めてありとあらゆる頂きを登り詰めた超一級のヘンタイだ。ってそんなこというと、あんた素人だねえ、ぷっ。と笑う人がいるだろうか。私は好んで官能小説や性愛小説を読んだりしない。だから村上龍の変態小説と他の作家のそれとの比較検討はできない。子どもの頃、西村寿行のミステリーが好きだった。そこに描かれるのは犯罪と欲情との見事な絡み合いで、究極の事態に追い込まれると人間ってどんなモノでもどんな条件でも、欲しいものは欲しいんだな、ということが味わい深く描かれているのがとても好きだった。つまりは、性描写なんて、その場に犯罪の匂いがしたり、その後に凄惨な流血シーンが待っていたり、罪の意識や捨て去った尊厳に心を惑わされながらそれでも「やってしまう」どうしようもなくダメな性(さが)を描いたものでなくては、まるっきりつまらないのである。普通の官能小説なんてもんは(ほとんど読まないので批判めいたことを言える立場じゃないけど)「それ」しか書いてなくて、「それ」に終始しちゃってるもんだから、私としては「それ」がいったいどないしたっちゅーねん、としか言えなかったりするのである。しかし、村上龍の場合は、もう、げんなりさせられるほど変態シーンばかりなのに、物悲しさが目の前に立ちこめて、変態ジジイの変態プレイに心の中で口をポカーンと空いたまま、でも、その変態プレイの裏の、隠せない心の傷みたいなものを覗こうとしている純真な読者たる自分を発見するのである。こういう気分にさせてくれる作家は、村上龍だけだ。本書は変態短編集だが、村上龍じゃなければとても最後まで文字を追い続けることができなかっただろう。村上龍であるということがまず私を辛抱強くさせている、それは事実だ。理屈抜きに好きな作家の作品には、出来不出来は棚上げしても、中身にのめりこむ。
本書に出てくる変態たちはニューヨークや南仏に出かけ、高級料理や超一級ワインに舌鼓を打つ。いけすかないすけこましなわけであるが、そのいけすかなさも少し大目に見てやりたい、そんなふうに思ったのは、ある短編で南仏の田舎町の描写に触れたときである。広がる葡萄園、頂上まで家に覆われた小高い丘。私に郷愁の念をかきたてたその一編は、小説としてはたいして面白くはなかったが、私を一瞬過去に連れ出してくれたので、よしよしオッケー、なのであった。
Je me demande si tu m'aimes toujours et si je peux faire quelque chose pour toi, et, et s'il vaux mieux qu'on se voit plus... ― 2011/09/26 20:43:20
もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれないのだ。もう二度と、電話やメールを交わすことはないかもしれないのだ。じゃ、おやすみ。それが最後の言葉になるかもしれないのだ。
いちいちそんなことを考えて日々暮らしてはいない。けれど、あれがあいつとかわした最後の言葉になってしまった、の「あれ」を、覚えているか君は? 二度と会えなくなってしまった人との、最後の交信を、覚えている?
私は、見事に覚えていない。私より先に逝った人たちとの話ばかりしているのではない。意図的に会わなくなった人も、いるだろう? その人と、最後に何を話したか。私が相手に投げて捨てた言葉はなんだったのか。もう覚えていない。そのくせ、忘れられない言葉がいつまでもいつまでも皮膚の奥に入り込んでしまった「そげ」のように、引っ掛かって残って、疼く。
「かつて君と関係があったからこんな話を持ってきたんじゃないんだ。一仕事人として、一仕事人に頼んでるんだよ」
あるとき慎吾が私に言った言葉だ。あれほどまでに長い間私たちは恋人であったのに、それを清算したのはそれなりの理由があったのだからしょうがないんだけれど、あんなにべたべたしてたのに、私が慎吾から聞いた台詞で真っ先に思い出すのがこれだ。味気ないにもほどがある。私たちは、コーヒーだけで、毒にも棘にも薬にもならない会話をいくつかやり取りして、仕事の話は不成立に終え、かつての余韻に浸ってみたいよな、もう少しつき合えよ、ウォッカを飲みたいね……なんつう会話はひと言もせず、その喫茶店をあとにして別の方向に歩いた。最後に私は慎吾になんと言ったのだろう。慎吾は私になんと言ったのか。全然覚えていない。先述したイケてない台詞だけが耳にこびりついている。慎吾は今何をしているのだろう、とふと思い出すことがあって、そんなときに思い出すのがこの台詞だ。声まで覚えている。色気がないにもほどがある。
「君の活躍を世界の片隅で祈っています」
川瀬君がよこした手紙の最後の一文だ。川瀬君はバリ島で出会ったナイスガイで、ジャカルタで働いていたが休暇でバリに来ていたのだった。実は大失恋を引きずっていて、どうにも立ち直れなくてダメなんだーみたいなことも言っていた。私はそんな川瀬君に何を言っただろうか。私も川瀬君も若かった。私は披露するような恋バナのネタがなかった(つまみ食いばかりしてたから)。だけど川瀬君は全身全霊で愛したその年上の女性を思い切ることができたらやっと二本足で立って歩けるような気がするんだといっていた。若いのに、私の何倍も濃縮した人生を生きている、そんな気がして、一緒にいるのがチョイこっ恥ずかしかった。帰ってしばらくしてから、彼から手紙が来た。ジャカルタでの契約が終わって九州の実家に帰って仕事を探していると書いてあった。日本で働くのは性に合わないとも。そして私のことを持ち上げ誉めそやして、上の一文で手紙を締めくくっていた。なんなんだよお前は。たしかそんなふうな感想をもった。失恋からは立ち直ったのか? で、あたしのことはそれでいいのか別れ際はあんなに辛そうだったじゃんかよ? 川瀬君ともバリでの一週間だけという短期間だったけどあんなにべたべたしたのに、覚えているのはその最後の手紙の一文だけなのだ。何が世界の片隅だよ。たしかに、今どこにいるのかわからない。南アジアが似合っていたけど、意外と大阪の消費者金融にいたりするかも知れん。ただ、なんにせよ私は彼が放ったひと言を覚えているけれど、彼は私の言葉を覚えているだろうか? 私も覚えていない言葉を、相手は覚えていてくれたりするもんだろうか? ああ、あんな女いたっけな、あいつ今どこで何してんだか……そんなふうに思い出すことがあるんだろうか? そのとき、どんな台詞をともなって、私は脳裏に浮かび上がるのだろう?
「おまえ、やっぱり桜井はあかんのけ?」
雅彦とはくだらない話や面白い話をいっぱいしたのに、桜井君の告白幇助の際のこの台詞ばかりが思い出されて泣けてくる。桜井君はあのとき、私がごめんなさいを言った後、受話器の向こうで泣き出したみたいだった。「あ、おまえ、桜井泣かしたなー責任とってつきあったれよ」「あほなこといわんといてえさ」「桜井、ええやつやぞぉ」「知ってるよ。でもそれとこれとはちがうやん、もう。切るよ」「あっおい、おいってば」
雅彦は帰らぬ人になってしまい、桜井君はテレビ番組のテロップに名前が出るほどの凄腕ギョーカイ人となってしまい、これまた遠い人なのであった。桜井君とは電話口でごめんなさいを言ってから卒業までひと言も話せなかったので、同窓会で会わなければ、唯一自分が最後に放った言葉を覚えている相手になるところだったのだが、同窓会でくだらない話をいっぱいしたので、東京へ帰る彼に最後になんと声をかけたか忘れてしまった。ただ私は、中学生のときの面影を色濃く残す桜井君と喋りながら、雅彦のことばかり思い出されて、でも、あの電話での告白のことを話題に出したら泣いてしまいそうで、だから、桜井君アンタあたしにコクったやんなあ、なんて笑い話はできなかった。ほかの同級生がカラオケで懐メロを歌っているとき、桜井君は私に訊いた。
「フランス人って、そんなにいいの?」
吹き出した。いや、べつに、そんなことないけど。日本の男とは傷が深くなりすぎるんだよ、どんなに皮膚が再生しても痕が残ってまた掻きむしってしまうしね、たいした傷じゃないのに、いつまでも消えない。そういいかけたけど、言わなかった。そんなふうに、真面目には話せなかった。いや、べつに、なんでかなあ、あはは。でも、桜井君の台詞としての最後の記憶が上の台詞っていうんはちとサビシイから、今度京都に帰ってきてくれたらもう少しマシな会話をしようと思ったりする。
これが最後、にしたくない相手がいる。どうか消えてしまわないでほしいと切に願う人がいる。私はこんなにも、寂しがり屋だから、誰ひとり、もう失いたくない。でも失わないために何をすればいいのか、それが全然わからない。会いたい。
Rappelles-toi, Barbara...! ― 2011/09/18 10:25:56
Jacques Prévert
Folio (1991)
私がたった一冊持っているジャック・プレヴェールの詩集だ。彼の名を知るきっかけになった作品「Déjeuner du matin」と、彼の詩をさらに愛するきっかけとなった作品「Barbara」が所収されている。「Déjeuner du matin」はたいへん簡単なフレーズで成り立っていて、仏語学習初級者にも解る。そう、何を隠そう、この詩を読んだのは通っていた大阪の仏語学校で使用していた教材の中でだった。フランス人講師は、この詩は複合過去形だけでできてるから簡単さ、同様にカミュの『異邦人』は現在形と複合過去形でできてるからこれも簡単、初めて読む仏語小説にはぴったりだよ。と言っていた。私は、美大生の頃にロートレックの小さな画集を買った、フランスものを多く扱う古書店へ行き、カミュとプレヴェールを探したが、そこではプレヴェールが見つからず、しかしカミュの『Etranger』は見つけて買うことができた。フォリオの文庫だったけど、とてもダサイイラストの表紙だった。フォリオの文庫の表紙はその後何回もデザイン替えされている。いまの表紙はけっこうイケてるはず。話をプレヴェールに戻すが、その後私は、フランス語学校で中級に進んだので、使用する教材が変わり、ぱらぱらとめくると、今度は「Barbara」なる詩が掲載されていた。その教材は、家庭学習用のカセットテープが販売されていたので迷わず買い、とぅるるるるるるーと早送りして「Barbara」のページを再生した。プレヴェールの詩「Barbara」を、たいへんええ声の男性が朗読していた。Rappelles-toi, Barbara... この詩に惚れたというよりも「ええ声」に惚れたのではないかという指摘は、たぶん外れていない。私は、そのカセットテープはとっくに失くしてしまったが、Rappelles-toi, Barbara...と聴く者に呼びかけるあの声をまざまざと思い出すことができるのだ。やがて渡仏し、さっそくまちの本屋で本を探すことを覚えた私は、ジャンフィリップ・トゥサンの『浴室』ほか一連の原書と、プレヴェールの詩集Parolesを買った。プレヴェールの詩集はいくつかあったが、鍵を握る(何のだ、笑)2作品が両方とも収録されている詩集ということでこれにした。たくさんの作品があるんだけど、当然読んで理解することができるほどには、まだ仏語が上達していなかった。とりあえず、日本にいた時にさんざん読んだ2作品を繰り返し読むことに留まっていた。
私はフランス歌謡なんぞには興味がなかったので、仏語教室の私より年長の学友たちが「これ、いいわよ」といって餞別にくださったカセットテープの内のひとつの背に、コラ・ヴォケールの名前があったけど、だからって何の感動も覚えなかった。ジョルジュ・ムスタキやイヴ・モンタンなどもいただいたが、ふうん、と思っただけだった。そのうちに、彼らが歌うシャンソンの詩がプレヴェールによるものであることが多々あるということを知る。「Barbara」はピアフが歌っていたし、もらったイヴ・モンタンのカセットには「枯葉」が収録されていた。「枯葉」ってマイルスのトランペットのレパートリーだと思っていたから歌詞があるなんて知らなかったさ。
昨日、9月17日、コラ・ヴォケールが亡くなったというニュースを読んだ。93歳だったって。失礼ながらまだご存命とは思っていなかったので二重の意味でびっくりした。彼女はモンタンより先に「枯葉」を歌った人である。ニュースサイトから動画を探したが、「枯葉」はなかった。
Démons et merveilles 投稿者 mouche45
Les Feuilles Mortes 投稿者 ingi-agzennay
最後に初級レベルの例の詩を試訳する。
簡単だけど、悲しいのよ。
Déjeuner du matin
Il a mis le café
Dans la tasse
Il a mis le lait
Dans la tasse de café
Il a mis le sucre
Dans le café au lait
Avec la petite cuiller
Il a tourné
Il a bu le café au lait
Et il a reposé la tasse
Sans me parler
Il a allumé
Une cigarette
Il a fait des ronds
Avec la fumée
Il a mis les cendres
Dans le cendrier
Sans me parler
Sans me regarder
Il s'est levé
Il a mis
Son chapeau sur sa tête
Il a mis son manteau de pluie
Parce qu'il pleuvait
Et il est parti
Sous la pluie
Sans une parole
Sans me regarder
Et moi j'ai pris
Ma tête dans ma main
Et j'ai pleuré
朝の食事
彼はコーヒーを注いだ
カップに
彼はミルクを注いだ
コーヒーカップに
彼は砂糖を加えた
カフェオレの中に
小さなスプーンで
彼はかきまぜた
彼はカフェオレを飲むと
カップを置いた
私には何も言わずに
彼は火を点けた
煙草に
彼は輪っかをつくった
煙で
彼は灰を落とした
灰皿に
私には何も言わずに
私を見もせずに
彼は立ち上がり
載せた
自分の帽子を自分の頭に
彼は着た
レインコートを
雨が降っていたから
そして彼は出て行った
雨の降る中を
ひと言も口にせずに
私を見もせずに
そして私、私は抱えた
両の手で自分の頭を
そして私は泣いた。
Le réacteur n°1 de la centrale nucléaire dévastée de Fukushima Dai-ichi avait réservé une surprise. ― 2011/05/13 21:36:14
浜岡原発が停止する。
停止した原発って、危険はないの?←素朴な疑問
だけど期間限定らしい。「安全確保」の暁にはまた動かすらしい。なんで? 安全確保って何さ。
いろいろと(利権がらみで)あるだろうが、まずは全部止めて、原発なしでやってくぞ、って話はでけんもんなんかい?
ウチでは前から夏場は冷房なしで過ごしている。さすがに冬は凍死したくないので暖房使うけど、ババハハムスメネコの4名、身を摺り寄せて同じ部屋でほぼ一日過ごす。自販機はほぼ使わないし、深夜は大晦日以外に外出しない。
もちろん、私自身が生まれてこのかたそうだったかというとそんなことはなく、バブリー親父ギャルなのでそりゃもう社会のエネルギーを湯水のごとく使ってゴミを垂れ流して生きてきた、恥ずかしいほどに。ヨーロッパで少し過ごして、たまたま出会ったシンプル質素に生きているひとたちを少し見習おうと思ったのをきっかけに、自身も親になり、まじめに次世代を考えたときに、姿勢を正さねばいかんと思ったさ。本当に、これでもかというほど、地球にはそこいらじゅうに引っかき傷がついている。
私が美大生でいた頃までは、まだ地球は毛布をかぶって寝ていたのかもしれない。
社会へ出てからは、チェルノブイリがあり、ベルリンの壁が崩れ、各地で紛争や大虐殺、テロがあり、日本は阪神淡路の震災があり、奥尻の津波があり、中越の地震も、府北部の洪水もあったし。湾岸戦争、同時多発テロ、アフガン空爆。スマトラの津波があり、四川大地震もあって。そして東北。
北海道には一度も行ったことのない私だが、東北は幾度となく訪れている。とりわけお気に入りは青森県なので、今回の震災の被害は大きくなかったが、青森まで行く途中、もちろん仙台も盛岡も小岩井も遠野も会津も喜多方も行ったさ。ごめん、順不同だ。帰りは秋田も山形も通って帰ったさ。私の町は夏、暑いので、夏に東北へ行くとものすごく涼しく感じたものだ。「暑いっしょ」「暑くないです」「どこから来たね」「京都」「ええとこだが」「でも夏はここより暑いです」「みんな涼しげに着物着て歩いとる」「いえいえ、それ、ドラマだけ(笑)」
そんな会話を宿の人やお店の人とよく交わした。
大好きな弘前ではいつも同じ民宿に泊まった。「次は彼氏と来なね」何度かそういわれていながら毎回独りだったけど、あの温かさはなんとなく独り占めしておきたいというか、誰とも分け合いたくないというか。いや負け惜しみだ、ほっといてくれ。
思い出話になっちゃったが。
そうじゃなくて。
本気で、【必要なものだけ】にしか電力を使わないようにすれば、全国の原発が止まっても、火力と水力を動かせば十分まかなえる。
みなさんは、太陽光や風力という自然エネルギーについてどうお考えだろうか。
何も破壊せず、それ自体ゴミにもならず、生態系や健康被害を出さないなら本当に素晴しいけど、そうはいかない。太陽光パネルは、寿命が来たら粗大ゴミじゃないの? あの、貧弱で、やる気のない扇風機にしか見えない風力発電機(私、大っ嫌いなの、アレ)は、山や田園や海上にすくっと立っていなさるが、アレが立っている場所にあった自然は壊れたのではないのか? 海底の生物たちはあんなものにドシーンと来られて住処を失ったに違いないではないか? 化石燃料を食い尽くす火力、放射能を撒き散らす原子力。自然エネルギー発電はそれよりマシだと本当に言えるのだろうか?
言えないよ。
言えない。
原子力信奉をやめて自然信奉に改宗しても、ひとりひとりが無駄遣いをやめなければ何も変わらない。
何らかの形で悲劇は繰り返す。
だから、もっと考えよう、真剣に。
明日、貴重な休みです。
何しようかな~
……掃除だな(笑)
***
武田邦彦先生が講演されるそうです。
http://takedanet.com/2011/05/post_b861.html
http://takedanet.com/2011/05/post_c131.html
最近の投稿ではこれが好きだった……
http://takedanet.com/2011/05/1105122_9694.html
たくさんの方がそれぞれたくさん発言するようになっているみたいで、喜ばしい。
相変わらず阿呆な広告コピーで食っている自分がチョイミゼラブルだけど、うんニャ、そげんこついうたらいかんばい。生きていかなアカンのじゃけえ。
*
ジャーナリスト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/690fa101ec86b0db439bf633856fc6cc
岩上安身オフィシャルサイト(アーカイヴ)
http://iwakamiyasumi.com/archives/8030
*
女性週刊誌は頑張っているって知ってた?
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110513-20215/1.htm
「女性自身」には小出裕章先生も発言している。
*
[動画] 福島原発放射線汚染の地域毎の影響の可視化
http://genpatsu.wordpress.com/2011/05/13/visualization-map-radiation/
チェルノブイリを超えた放射能汚染
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-6f19.html
*
世界はどう動いていくだろう……
ヨーロッパの原発状況
http://www.liberation.fr/carte-interactive-situation-nucleaire-europe-apres-fukushima.html
Nicolas Sarkozy doit s'entretenir avec le Premier ministre nippon Naoto Kan... ― 2011/03/30 18:37:44
ニコラったら、麗しのカーラさんじゃなくて原発作業ロボ連れてくるんかな。米製より仏製が性能は上よって?
すみません。ふざけたいわけじゃない。
フランスは原発大国であり先進国だ。核保有国でもある。
だからってその国民が核について正しく理解しているわけではない。ま、もちろん、いったい誰が核について「正しく」理解しているだろうかと問われれば、誰ひとりいないと答えるしかないけどね。
福島第一原発が事故ったとの報に最も敏感にそして迅速に動いたのはフランス人だった。それは放射能がどんなに危険なものかをよく知っているからといえば聞こえはいいが、実際には、政府が退去命令を出したこともあるけど、故郷の実家の親とか友人たちが過剰反応し日本列島が速攻で汚染されているかのようにパニクって帰れコールを起こしたからだ。公式発表は曖昧ではっきりしないし(したところで日本語だし)、いきおいネットで仏サイトでニュースをゲットするとやはり大騒ぎしてるし、関東圏の日本人も買占めしたりして右往左往しているし、よくわからんけど実家を安心させるためにもここはとにかく帰るべ、という人が多かったんじゃないかな。もちろん、誰よりも本人がパニクっていた可能性もあるけど。
仕事や学業で来日し、そこで日本人と出会い結婚し、家庭を築いたフランス人を少なからず知っている。カップルのありようはさまざまで、どの家庭もが皆サンパな(=感じがいい、好感の持てる)訳じゃないんだけど、それぞれなりに今日までのプロセスがあることを思うと、こういうときの配偶者の態度、原発推進派なのか反対派なのか、みたいなことも含めて、平時には現れないはずの潜在意識や隠し持っていた哲学、平たくいえば生活する上での不具合の申し立て、もっとあっさり言うと配偶者への不平不満、なんかが一気に噴出したりはしないのかな、といい気味だ、じゃなくて(笑)憂える事態じゃないのだろうか。いやこれは日仏カップルだけに限ったことではないんだけど。いや、わかってる。余計なお世話だ。
なにがいいたかったんだろう。
そう、余計なお世話だ。
助けたげよう、手伝ったげよう、そう申し出てくれていたフランスやアメリカに最初から素直に頼ってればいいのに。そう考える日本人は多いだろう。私もだ。非常時なんだし。でも何をどうしてもらったらいいのかすらわかんなかったんだから、それぐらいお子ちゃまレベルだったんだから、もう何をいってもしかたない。今ようやく何をすべきかわかりましたから助けてください、そうお願いしたということだからそれはそれでいい。
でも大統領が来んでもええやん。
阪神淡路大震災が起こったとき、私はフランス人スタッフの中で働く、という環境にいた。知的でいいやつばかりだったが、ものごとすべて、あるいは日本すべてを見下す傾向のある人たちで、それは悪意からではなくて、彼らの国民性に中華思想がどうしようもないほど染みついているからなのでしかたないのだが、それでも日本人の私にとってはかなり鼻につく発言が多かったことは事実だ。
震災のせいで、私たちの職場と関わりのある、ある紳士(日本人)が亡くなった。その死を私たちは大変悼んだが、でもけっきょく、ウチのフランス人スタッフらは、少し交通が落ち着いた頃を見計らい、めいめいカメラを持って、グループをつくって出かけた。街の姿が一変しているから、神戸に行ったことのある人もはぐれちゃうといけないし、みんなで行けば心配ないよね、という感じで。
何をしにいったかというと、物見遊山である。
炊き出しするでなく、物資を持っていくでもなく、また、亡くなった例の紳士宅は崩壊してしまっているし家族は避難していたしでお見舞いに行くでもない。行って眺めて写真に収めてくるだけならそれは物見遊山だ。
翌日出社したスタッフが得意げに写真を披露してくれたとき、その写真の数々は文句なしに衝撃的だったが、写されているもの云々とは別の次元で、私は静かな怒りと彼らへの殺意を抱いた。いや、それはすぐに消えたんだけどね。仕事もあったし。
ニコラはナオトに何を言うのだろう。
未曾有の大震災に遭われてお見舞い申し上げます。
国際社会に対する日本の貢献度を引き合いに出すまでもなく、われわれフランスはこの日本の苦難を少しでも軽減するための援助を惜しみません。必要なものは何でもリクエストしてくださいスィルヴプレ。原発処理作業スタッフはいくらでもいますからとっかえひっかえ提供します。ムッシュナオトカン、くじけちゃいけません。大丈夫、原発はもっと頑丈に作ればいいんですから、福島のは無理にしてもね。ご所望ならヒントはいくらでも差し上げましょう。
……言わないかな。
言うかも、でしょ?
余計なお世話だ。
ムッシュナオトカン、今回の大災害を教訓に、将来的には原発を全廃する方向で行かなくてはなりません。フランスも脱原発を模索しているのです。クリーンエネルギー創出のため、日仏の叡智を結集しましょう。
……言わないよね。
Merci beaucoup, c'est si gentil! ― 2011/03/22 12:43:46
何を歌っているかわからないけど、愛情込めて励ましてくれてるのは、わかる。
フランスにいたときのクラスメートに、マリ・ルイーズという台湾の女の子がいた。マリ・ルイーズという名は、フランスでそういうふうに呼んで欲しいという本人の希望で勝手に名乗っているもので、マリ・ルイーズが欧州人の血を引くとか洗礼名を持っているとかではない。
留学先にはアジア人学生がたくさんいた。マリ・ルイーズと一緒のクラスのとき、ほかには韓国人のヤンランやスキョン(いずれも女子)、大陸中国のチャンさん(男性)がいて、マリ・ルイーズもふくめてアジアングループを作りおしゃべりに花を咲かせた。そこに別のクラスのヨンチョル(韓国男子)とかシャオメイ(大陸中国女子)とかジャン・マルクとかリシャール(いずれも台湾男子)やカトリーヌ(同女子)なんかが加わって、実にいろいろな議論をした。私たちの国の外交もこんなふうに愉快に進むといいのにね、なんてよく笑ったものである(ちなみに会話は「初級」フランス語で行っていたが、私たちがワイワイ話しているところへ、あるいはそのあとに欧米系の学生が駆け寄ってきて「ねえねえ、あなたたち何語で話してるの、中国語?日本語?」なんてよく言ってくれたもんだ。私たちの下手な会話はアジア系言語にしか聞こえなかったらしい)。
今書いたように、台湾の子だけが欧風ネームを名乗っているのが、大陸中国人たちには滑稽に映っていたようで、彼らはよくこっそりと「なんで普通に自分の名前使わないんだろ」なんて私に耳打ちしてきたものだ。
マリ・ルイーズと初めて話をしたときに、ご両親のどちらかがフランス系なの?なんて的外れな質問をした。すると彼女は違う違うと笑って否定し、自分たちの名前はヨーロッパの人には発音しづらいのでこのように別名を名乗るのが通例となっている、というようなことをいった。え、そーお? そんなこと思いもしなかった。それって、台湾の人はみんなそうするの? たぶん、とマリ・ルイーズ。大陸の人は、香港人は? するとマリ・ルイーズは「よその国の事情は知らないわ」とこともなげに、興味なさそうに答えた。
アジアングループで話をしていたとき、マリ・ルイーズではない別の台湾の女の子が、話の流れで自国のことに言い及んで、「台湾という国はね、あ、失礼、台湾って国とはいえないのよね」と発言したことがあった。するとすかさず、大陸中国のある女の子が「そんなことないわ、台湾はれっきとしたひとつの国よ」と、ぱしっと言い切った。その座にいた誰もがそうそう、そうだよと大陸チャイナガールに同意した。「大陸中国の姿勢とか国際法的にどうであれ、僕らの感覚では台湾てのはもうすでに異文化圏のよその国だよな」といったのはたしか先述のチャンさんだ。
あの頃から20年近く経っている。けれど、中台間も、日中間も、そこに積み上がる問題を何も消化できていないようである。
アジア情勢とその問題にあまり目を向けてこなかったので何も言う立場にないが、20年以上前から、国と国のお付き合いは芳しくなくても、個と個は実にうまくいっていたと、自分の経験に照らせばそういうほかはない。肌や髪や目の色素の薄い人たちの国にいると、それらが濃い人たちを見るとどこの国の誰であろうと同胞だと思えたものだ。フランスにいたとき、街でアジア系の学生に出会えば必ず互いに声を掛け合い、どこの人? やっぱり日本人!だと思ったー♪ あなた韓国でしょ、私のクラスメートと同じ喋りかただもん、なんていってすぐ仲良くなった。相手が欧風の名前を名乗れば台湾人だとすぐにわかったし、マリ・ルイーズ言うところの「通例」はなかなかお役立ちであった。
アジアングループの面々とは、語学講座の期間が終わったらもう会わなかったし、住所を交換したマリ・ルイーズとも、手紙を一度交換しただけだ。でも、中国、台湾、韓国でなにかがあると、彼らの顔を思い出す。どうか無事でいて欲しいと思う。彼らは私やあのとき輪の中にいた日本の男女のことを覚えているだろうか。
Pourquoi tu veux aller à Tunis? ― 2011/01/21 18:55:54
高田京子 詩・写真
イリエス・ベッラミン、フランク・ミラー訳
彩流社(2005年)
社会人駆け出し2年目だったか生意気にも休暇をとって、小百合とニューヨークへ旅行した。滞在中、偶然入ったジャズバーで、ディジー・ガレスピーがライヴをしていた。当時つきあっていた慎吾から教わってガレスピーというトランペッターの名前もその風貌も知っていたので、思わぬ偶然に私は小躍りしたものだった。とはいっても彼のオリジナル曲まで覚えてはいなかったので、風船みたいに膨らむガレスピーのほっぺたを眺めながら、何吹いてんだかわかんないけどこの雰囲気はいいなあ、なんて小百合に言うと、英語のわかる小百合は「これからチュニジアンナイトっていう曲を演奏するみたいよ」といった。へえ。
マグレブから西アフリカあたりの文化に興味をしんしんともち始めていた私は、もちろんチュニジアもターゲットのひとつであったので、キョーミシンシンで耳を傾けた。だが、そのときの私には、なぜ、今吹かれている曲がチュニジアの夜という題名なのか、当然といえば当然なんだけど、ぜんぜんわからなかった。だが、とにもかくにも、もうメロディーだって忘れてしまったのだけれど、「チュニジアの夜」はたいへん盛り上がり、なんだか聴くほうも演るほうもノリノリで、私たちは図らずも、得がたいほどに楽しいひとときを過ごしたのであった。
以来、ガレスピーはともかく、チュニジアという国は、ファノンのアルジェリアよりも、クスクスのモロッコよりも、サリフ・ケイタのマリよりも、私の気持ちを惹きつける国となった。わが国ではあまり語られることのない国だから、数少ない紀行文や研究論文の類を読み、憧憬の思いを募らせていた。あるとき、老後はチュニジアに移住したいねん、なんてことを、フランスの誰かに話したのだが、なんでえ?あんなけったいな国、みたいな返答をされたことがある。ま、美しいものを創る文化はあるけどな、と言い足してはくれたけど、普通フランス人はマグレブをよく知っているから、彼らのものさしだと日本人がチュニジアに移住するということが測りきれないのであろう。
今、チュニジアで起こっていることは、いくらなんでも、皆さんご存じと思われる。私は紺碧の空と海に映える白い壁とレリーフ、鮮やかな色彩の衣装や絨毯、伝統舞踊音楽、といった部分しか見ていなくて、うかつにも政治体制についてまったく不明であった。えらいことになっているかの地の映像を見て、娘が言った。ちっとも住み心地よさそうじゃないけどなあ、チュニスっていう町。そりゃまあ暴動中だからな。画面から暴動取り除いたとしても、どうってことないやん、どうしてお母さんは住みたいの? ウチは行かへんで。来んでええわ。老後穏やかに過ごすために行くねん。暴動してんのに? アタシの老後まで暴動やってへんと思うわ、いくらなんでも。わからんでえーお母さんの老後ってもうすぐやん。黙れ。
黙れ、だよほんとにもう。……チュニジアは、どこに行くんだろう?
日本では詳しい報道が全然ないから、フランスのニュースサイトと、粕谷さんとか猫屋さんのブログを参考にして〈老後のために〉勉強している私。踏ん張りどころなんだよな、きっと。頑張れ、チュニジアンたち。私の老後のために麗しき国土を守りたまえ。
※追記1) チュニジアンナイト、じゃなくてナイトインチュニジア、でした。小百合の聞き違いや言い間違いではなくて、私の記憶違いです。だってもう四半世紀も前の思い出だからね(笑)
※追記2)本の話を全然しなかったので少しだけ。著者の高田さんには昔出版された旅のエッセイ集「チュニジア 旅の記憶」がある。以降、彼女に何があったのかわからないけど、この本では詩人に変身である。いずれにしろ写し出されたチュニジアの風景が、美しすぎる。言葉を寄せつけないほどに。
以上(1)(2)ともに22日1:59a.m.
Listening test ― 2010/12/29 12:01:54
もっといえば、小学校の国語のテストにもリスニング問題というのが出題されていた。娘が持ち帰った問題用紙を見ると、「放送をよく聞いて次の問いに答えなさい」なんて設問がある。どんな問題が出るのか訊くと、たとえば、児童A、児童B、児童Cの学習発表を聞いて、誰が何について発表していたかそれぞれの主題を選択肢から選びなさいとか、誰の発表がわかりやすかったかあなたの意見を述べなさいとか、そんな感じだ。あるいは、売り声を聞いて何を売っているかとか(笑)、それはテストだったかどうか忘れたが(笑)とにかく、けっこう、「聞く」学習が増えていたように思う。それは、PISAの結果を見て慌てた役人たちが、日本の子どもの読解力が低下しているぞ大変だなんとかしなければいかんぞおっと読解力にすぐれているのはフィンランドだフィンランドはどんな勉強をしているのだろうフィンランドに行こうフィンランドの教科書を使おうフィンランドの子どもたちみたいに勉強させよう、といい、フィンランドの真似した読解の授業なんて私は冗談だと思っていたのだが、ほんとうにフィンランドの教科書の日本語訳が出版されて、ほんとうにそれを使って授業がされるようになったのだった。その流れで聴き取り授業も登場したように思う。が、それとは関係なく、英語の授業における聴き取り学習はかなり以前から実施されていたそうだ。国際化国際化と連呼して久しいもんな、たしかに。もう何年も前だがどっかの大学教授を取材した時、彼がぼそっと言っていたことが記憶に残る。「公立中高卒の子って、英語上手なんだよね。発音もいいしね。なんていうのか、たとえばDo you play tennis? Yes I do.くらいならスラスラって言えちゃうよね。もっと混みいった会話ができる子もいるよね。この点は、私学卒の子に勝るんだよ。でもねー読めないんだよね、長文がね。ついでにいうと書けないんだよね。英作文とか全然。こっちは私学がましなんだ。あ、英作文云々よりさ、日本語作文、全然なんだよね。公立私立関係なくね」。つーことは、公立校では文科省指導のもとに、会話重視の英語学習に力を入れて、道で会った外国人に道案内くらいはできるようになりましょう、それが国際化デビューへの第一歩であるかのように、子どもと教師を鼓舞して英会話マスターの道を進ませてきたわけである。娘の学校の英語の授業では驚くほど長文を読ませる機会が少ない。去年参観に行ったときには、声を出させてばんばん英語で発言させていた。宿題は山のように出るが、疑問文&回答文のコンビネーションを○秒以内でスラスラ暗唱できるように、といった内容がほとんどで、長い文章をしっかり読んで日本語にするとか要約するとか、そんな宿題見たことない。でもねえ、先生、高校入試問題って長文読解がメインなんだけどねーー。ま、いいけどね。今さら遅いし。というか、私は娘が英語できないことを愚痴るつもりでコレ書いてるんじゃなくて、いったいいつから「リスニング」というようになったかなと思ったからである。私が学生の頃も、もちろん聴き取り学習はあったのだが、「ヒアリング」と呼んでいた。そうじゃない? 高校2年生のときの担任は英語科担当で、私は美大系か外語系か進路を決めかねていたのだが、英語が好きならチャレンジしてみろと、若干難易度の高い「ヒアリング学習セット」というのを私のために見繕ってくれたのであった。折しも同学年にアメリカからの留学生が来ていて、彼女と仲良くなっていたこともあり、その「ヒアリングセット」と彼女との会話とで、けっこう英語に浸かった高校時代だった。だが、当時、聴き取り学習を指して「リスニング」という習慣はなかったのである。ところで、くだんの留学生の日本語上達のほうが私の英会話上達より速かったので、早々に彼女は学習相手にはならなくなっちゃった。また、英語ではなく他教科に難点のあった私は外語系への進学は早々と止めたんであった。例があちこちへ飛ぶが、私は英検の受験経験はないが仏検はある。仏検でも「ヒアリングテスト」と言っていたぞ。そのうち、というよりまったくもっていつからかはわからないけどいつの間にか「ヒアリング」というのが「ご意見お伺い」「公聴会」みたいな意味で使われる機会に遭遇するようになり、学習の現場では「リスニング」大勢となった。 hear と listen、あるいは look と see、中高時代からその区別には難儀してたけど、実際どうなん? わかる人いたら教えてー。娘に説明できひんねん困ってんねん。