Nous allons déménager à la fin de l'année.2012/12/05 00:46:36

何日か前に書いたと記憶しているが、勤務先が事務所を移転することになり、にわかにバタバタと騒がしい毎日が続いている。何しろ、それでなくても慌ただしい年の瀬、私は担当している定期刊行物が佳境となる月なので、はっきりいって古いファイルの制理とか、書架の本の仕分けとか片付けとか、んなもん、やってる暇はないのだ。だけど引っ越しにルンルンの社長は私のすぐそばでどかどかと本棚から本を降ろし片っ端からロープで括っている。あのーそれ、全部捨てちゃうんですか、それともそっちは保管分ですか、なんて訊ねるのも鬱陶しい。こっちは分刻みで取材入れられて分刻みで原稿の催促されてんのよ静かにしてよ掃除も故紙回収も三軒向こうでやってくれっなどと理に合わない文句がアタマを巡る(笑)。

でも、引っ越しとは無縁の家に育ち、居を移したといえばフランスに一年住んだことくらいしかない、そのような私にとっては移転ってとっても新鮮なのだ、実は。だから本当は社長と一緒になってルンルンしたい(笑)。

先日、まだ契約前だったが、中を見せてもらえるというので新事務所となる物件を見に連れてってもらった。

畳があげてある。茶室仕様にするそうだ。
ガラス障子の向こうは坪庭。

ハシリ(台所)の吹き抜け。ゆーときますが、新居じゃなくて新事務所。
ま、今の事務所のハシリも吹き抜けやけどな。おまけに天窓もあるけどな。
※ハシリのことを「ダイドコ」と書いてました、失礼。正確には「ダイドコ」はハシリに隣接する部屋のことで、いわば茶の間、ダイニングルームなの。12月11日訂正。

2階へ。階段、急やでえー(笑)。今の事務所もこんなんやねん。絶対落ちる社員、いる。

坪庭を見下ろす。ゆーときますがマイホームやのうてオフィスやし。
うん、今の事務所の庭には灯籠はないな。お地蔵さんがやはるけどな。お地蔵さんと別れんの、寂しいな。

キュートな欄間。これには惚れた♪


御苑のすぐ近くですねん。そういえば、昨日あたりから天皇皇后両陛下が帰ってきたはります。今日の取材帰り、地下鉄から地上へ上がったら烏丸丸太町の交差点、きれいに交通規制されてて、ほんで美智子さんに手ぇ振ってん。おばはんやわーあたし(笑)。日の丸振らへんだけマシやろ?


事務所外観。赤い車は社長のん。

引っ越しまで2週間を切ったが、いったいそれまでにどれだけ仕事が積み上がっていることか。生きて年越せることを、みんな祈ってくれよな。

Salop le typhon, le pire!2011/09/05 20:22:10

睡眠不足と疲労で意識朦朧がピーク(って何書いてんだあたし)になった金曜日、職場の外へ一歩出たとたん、緊張の糸が切れて本当にそのまま路上で寝込んでしまいそうになったが、ひゅうううううううううという恐ろしげな風の音と、取引先の敏腕営業ウーマンがけたたましく鳴らしてくれたケータイの着信音のおかげで、なんとか自宅までの道のり、時間にして20分、歩き抜くことができた。私のまちでは金曜の夜の風がいちばんすごかったので、前エントリで書いたようなオバサン右折車にはねられました事件とか、まだ幼い頃に家のトタン屋根が飛ばされた記憶とか、今はもうアスファルトの下になってしまった表通りを流れていた川が豪雨のために氾濫して、おまけに川べりの柳が風でなぎ倒されて流されて、通り沿いの家は床下浸水と柳の枝葉のダブルパンチだったとか、そんな古いアルバムの断片のような絵が脳裏に浮かんでは消えた。でも、その恐ろしい風に耐えながら、夜中、帰路についているあいだじゅう、その敏腕営業ウーマンが、自分の部下のふがいなさを愚痴るのである(笑)。その彼女の部下という人物には、私も日々ほとほと手を焼いているので、敏腕営業ウーマンの愚痴は痛いほどよくわかる。私はその部下嬢から見ても下請けの業者の人間なので、部下嬢が根拠なく高飛車に出たり、根拠なく自分のミスを人のせいにしたり、根拠なくただただ締め切り間際になって人を追い立てることしかしないというのも、立場ゆえに理解できる。しかたがないのである。アホはもう直らない。直らないアホでも私の職場にとっては大顧客の担当者であるゆえ、世界中がこの部下嬢をアホだと認めても私は部下嬢に逆らえないのである。で、先の敏腕営業ウーマンは、そうした私の苛立ちをよくわかってくれる人であるので、全然仕事のできない部下のせいで、よく働く下請け三文ライターが機嫌を損ねないように配慮して、自分の部下を罵倒しているのである(笑)。気持ちはありがたいがだからって同調することは、これまた下請けの悲しさでできないのである。少しは私も部下嬢のしでかした瑕疵のもろもろを「チクル」くらいはするが、どうやら、敏腕営業ウーマンによると、彼女のところの社内では、私がこうむっている程度の「被害」では済んでいないようなのだ(笑)。そりゃそうだろなー。あの部下嬢と組んで仕事するというのは、ある意味、首輪かハーネスつけてチワワかミニチュアダックスを連れまわして仕事しろって言うようなもんだよな。どういうことが言いたいかというと、つまり部下嬢はこっちの話を理解しないのである。こっちの話とは全然別の次元の返事がくるのである。話のキャッチボールができないのである。それでいてわかった気でおられるようでどこかマイペースなのである。従順に見せて従わないのである。だったらそんなの社員として雇っておくなよといいたいが、そこは大会社の悲しさで雇ってしまったもんは無碍にクビにはできないのである。私の勤務先では経営者が「こいつ嫌い」と思ったらしゃーっと解雇される。もちろんかたちは自主退職で。件の部下嬢なんて、わが社なら雇用はありえない人材である。しかし、そのように異星人並みの「できなさ」であるからして、敏腕営業ウーマンも私も、部下嬢の「こんなに仕事できませんエピソード」を百も列挙して笑い飛ばしてストレス解消しているといえる。不健康だが、これも、歯車の、とあるひとつのかたちである。会話のかみ合わない人間が一人いるけれど、そいつのかみ合わなさを「ダシ」にして、つまりいろいろうまくいかないことの理由をそこへ全部掃き溜めて、そうしておくことでなんとかかみ合ってまわる歯車。考えてみれば、取引先だろうと部下だろうと、あまりによくできる人材がいたら、それはそれでしんどいじゃないか、だってあたしだってデキナイ子だもんさ。そんなふうにオチつけながら、暴風に耐えて帰宅した。家の中ではバリバリみしみしがたがたと家のどこの部分が音を立てているのかわからないけど、そんな音と、興奮した猫が、一晩中やかましかった。私は暴風と敏腕営業ウーマンの電話に支えられながら、少し疲労回復して、翌日、乾かないとわかっているけどせなしゃあない洗濯をして、掃除をして、合間合間にごろごろした。美容院を予約していたので重い体を引きずって行った。予約客のほとんどが台風を理由にキャンセルしたといっていた。貸し切り状態の美容室で同年代の美容師と懐メロの話題に花を咲かせては、若手美容師に知らんやろ~と自慢するけど、どうでもよさげな表情の若手美容師はヘッドから肩へのマッサージが上手なのであまりの気持ちよさにあまり昭和ネタでいじめるのはやめてあげようと思ったりするのである。軽く綺麗になった髪をなびかせといいたいが、外へ出れば超スローペースの台風はあいかわらず時に突風時に大雨を繰り返してそのあたりをうろうろしておるようなのであった。日曜は順延された高校の文化祭が開催される予定だがどうかなとちょっと心配する。でも、私たちの心配はその程度であった。私たちのまちはほんとうに被害がない。今回の12号がもたらした被害の最たるものは、二条城の壁が剥がれたってだけだった。平和だ。だがニュースを見て、近隣他県が被った容赦ない台風の爪痕に言葉もない。半年前に私たちは未曾有の大震災を経験した。私たちはつい災害をその人的被害の規模で語るが、失われた命の重さは同じだ。こんちくしょう台風め馬鹿ていねいにゆっくりゆっくり嘗め回すようにわが郷土を削りとっていきおってからに。こんなことがあると、取引先の担当者が極めつきのアホだったとしても、生きてるだけで幸せじゃないかと思わざるを得ないのである。合掌。

Il fait plus en plus l'automne, n'est-ce pas?2011/08/17 02:57:48


百貨店へ行き、買い物を済ませて普段用のないほかの売り場をうろうろしていると、どうぞどうぞお座りくださいと半ば強引に椅子に座らされマッサージ機器の試用を勧められた。あ、いえ、う、などと五十音図のア行しか口に出せないまま、そのおじさんの有無を言わせぬ様子に否応なく機器に足を突っ込んで、スイッチを入れられたとたん、おおおっ(やはりア行)。ふくらはぎから下をくまなくこれでもかとマッサージしてくれるだけでなく、床に寝転んで足を投げ出し、今ふくらはぎをあてている箇所に太腿をあてれば大腿部のリンパマッサージも可能だという。これはすごい。約10分間のマッサージで、まるで全身がほぐされたような効果がある。「肩こりにも効きますよ」「足のマッサージが?」「そおなんです!」ほほー。久々に感嘆したが、製品に値札がついていて、105,000円。そりゃそーだよなー。


すったもんだした挙げ句、何ともかっちょわるい結末に終わった五山送り火なんだけど、今日、例年のように静かに行われた。
いや、「静か」なのは先祖の霊を送る側の「気持ちだけ」なんであって、実際には見物人たちはビール片手に「おっ灯った灯ったきれいやなー」などと口々に叫ぶので騒がしいのである。

あるかたがご自身のブログに「大文字焼き」と書いておられた。こう表現する人が多いのは知っているし、だからどうだっつーことは別に何もないんだけど、今この時期にこのタイミングで著名なかたのブログに堂々とそう書かれると、「五山送り火」が「大文字焼き」という珍称でしっかり記憶されるではないか、と、郷土行事をこよなく愛する私は危機感を覚え、抗議のメールを送った。



京都市民として、今回の五山の送り火にかんして、「被災地の薪」をめぐっての顛末はただただ恥ずかしい限りです。

実は、私は被災地の松を薪にして送り火に使うという計画があったことを、「中止」(最初の)が報道されるまで知りませんでした。知って驚き、申し訳ない気持ちになりました。と同時に違和感も覚えました。

五山送り火は全国的に知られるお盆の行事かもしれませんが、当地に住むわれわれにとっては、先祖の魂を迎えてまた送るとき、天への案内をするためにまちを取り囲む五山に灯をともし、霊が迷わず帰るためのしるべにほかならず、それ以上でもそれ以下でもありません。
わずかな時間ですが、送り火の灯るあいだは亡くなった身内、ご先祖さまに思いをしばし馳せます。静かな時間です。

どなたが立てられた計画かは知りませんが、あのように未曾有の大震災で気の遠くなるほどのかたがたが亡くなられ、あるいはその生死の判明しないままの方がまだ何千人とおられる、その事実と、五山の送り火の意味は、正直申しまして少し異なるように思いました。震災で亡くなった方がたを思わないわけではけっしてなく、その魂はきっと私たちのまちをも見守ってくださっているでしょうし、われわれも、安らかに眠られんことを祈る毎日には違いないんですけど、ここ(京都のまちなか)に代々住んでいる者にとっては盂蘭盆会は、「ウチのお盆」でしかなく、五山に灯る火で浄土に帰るのはウチのじいちゃんばあちゃんたちだけなんです。排他的なことを言うのではなく、そういうもんなんです。地域の伝統行事の要素のひとつでしかないんです。

被災地の松云々は、まったくブサイクな結末というしかありませんが、そもそもいったいどなたがそんなズレたことを言い出したのだろうか、とも思いました。

で、メールを差し上げた趣旨は実はこれとは関係なく。
お盆に京都の五山に灯をともす行事は「五山の送り火」、中でも左右の大の字に特化して「大文字送り火」と申します。
「大文字焼き」ではありません。せんべいやどら焼きじゃないんですよ〜。「大文字焼き」と記載されている箇所を直していただけると一読者として望外の喜びです。



なんなんよ、「大文字焼き」のくだりは最後の数行だけじゃんか、と言われる貴兄に。ごもっとも。
そうなのよ、なんかさ、ファンメール書いてるうちに、今回の騒動っておかしくね?と思えてきてさ。で、途中でわれにかえってああそうだ用件は「大文字焼き」だったと気がついたんだけど。
ま、いいや。

こんな記事を見つけた。

http://getnews.jp/archives/135466

このページの下のほうにある参考リンクでようやく発案者のかたの名前などを知った次第。
「がれきマラソン」の顛末に通じるもんあるよね、ね、よっぱさん。



5月に同窓会があったが、同級生全員の消息を調べて現住所の名簿作成をするという作業をしていた世話役グループに、今でも仲良くしている朋美が入っていたので、進捗状況をよく教えてもらった。3月頃、私の娘の卒業祝いを手に家を訪ねてくれたが、そのとき、早くも物故者がいることを聞かされた。
ひとりは知っている。高校に進学して間もなく、心臓発作で亡くなった男の子だ。校舎内に倒れていたのを発見されたがもう手遅れだったと聞いた。とんでもない秀才だったので、日本は国の将来を担う重要な頭脳を失ったと本気で思ったものだった。
だが、私の知る限り、早世したのは彼だけだった。物故者の名前を聞いていて、ああそういえばこのひと病弱だったなと思い当たるのが約2名、え、そんな同級生いたっけ?とまことに不謹慎ながら顔を思い出せない名前がひとり。そしてもうひとりの名を聞いて驚いた。雅彦。彼とは小・中学校とも一緒で、よく遊んだしよく話した。私の当時の思い出の中で非常に多くを占める友人のひとりだった。朋美のように、卒業後も友人として会い、付き合い続ける同級生がいる一方で、雅彦のように、中学を出てぷつんと縁がなくなって疎遠になった友達もいる。中学の同級生たちはけっこうまめで、頻繁に同窓会を開催していた(らしい)が、私はほとんど行かなかったので、疎遠になっていた友達はますます疎遠になっていた。雅彦がそうした場に姿を現していたかどうかは知らない。雅彦は全然来てなかったんじゃないか、ふとそんな気がした。
朋美にとっても、雅彦の死はショックだったと思う。
「びっくりしたよ、トシちゃんから聞いて」
雅彦は三つ子のひとりなのである。瓜二つの利彦と、少し顔立ちの違った光彦。双児ですら珍しかったので、三つ子の彼らは何かと注目されていた。揃いも揃って今の言葉で言えばイケメンで、勉強もできて、運動会ではスターだった。当然女子によくモテた。草食系などでは全然なく、彼らにはいつも女の子の噂がついてまわり、実際にいろんな子とそれぞれが付き合っていた。私は、三つ子をそういう目で見たことはなかった。どっかすましている光彦とは話が合わず、プレイボーイの利彦とは接点がなかった。同じような顔をしてたのに雅彦だけは、ふざけ合いっこから真面目な話までよく言葉を交わし、時間を共有した。彼は私の好きな男の子と仲良しだったので、何かと面倒を見ようとしてくれた。その子に全然脈がないことがわかってしょぼくれる私に、別の男の子を紹介してくれたりした。わかってないヤツだったが、私は雅彦のとぼけた行動が好きだった。つい何でも頭でっかちに考えてしまう私に、ええやんけ、そんなん、みたいなひと言二言を投げて、パンパンに入った力をすっと抜いてしまうような不思議な存在でもあった。人差し指と親指でつくった鉄砲を私のこめかみにあて、「おまえ、考え過ぎ。」と言った後、「ところで桜井はやっぱあかんのけ?」と終わった話を引っ張り出して笑わせるようなやりかたで。(桜井は例の紹介された別の男子)

同窓会には、三つ子のうち利彦だけが出席だった。
「昨日,一周忌やったんや」
まだ一年しか経っていない? 雅彦が亡くなったのはそんなに最近のことだったのかと私は動揺した。いったいどうして? 訊ねた私に利彦が「いや、長患いでね」とか「交通事故でなあ」とか何でもいいからもっともらしい理由を言ってくれていたらよかったのに、利彦は「いや、その……いろいろあってな……」と含みのある言いかたをして話を止めてしまった。問い詰めてもそれ以上は何も言ってくれなかった。私ではなく、仲の良かった親友らには何か話しているのではと思って同窓会後数人と連絡を取り合って聞いたけど、利彦は雅彦の死について誰にも何も語っていなかった。

遺族が話そうとしないものを追及するわけにはいかない。

以来、雅彦が私の脳裏に、小学生や中学生の雅彦の姿で、現れては消える。屈託ない笑顔やすっとぼけた表情がフラッシュバックする。何とも落ち着かないこの状態を収拾できずに困っている。私は身内のことはそっちのけで、ただ雅彦のことだけを考えていた。そんな盆だった。

Si cela vous intéresse...2011/08/02 06:14:33

よく虫に刺されるのでキンカンは夏の必需品。こないだ肩を刺されたのでそこに塗ったら、おおおっ快感! 見ると「肩こり」に効くと書いてある! なんと。というわけで凝ったところに塗って刺されたとこに塗って(笑)キンカンまみれ。猫が嫌がる嫌がる(笑)。



大阪で今中氏の講演。今週末だ。知るのが遅かった……。
もし、事情の許す関西の方は、ぜひ。
今中さんは小出さんの仲間。

***
今中 哲二 先生の講演会

私たちの暮らしとエネルギー
わかりやすい原子力のお話
~ 福島原発事故:科学・技術の発展が私たちにもたらしたもの ~

講師:今中哲二先生(京都大学原子炉実験所・助教)
月日:2011年8月7日(日)
開場:13:15
講演:14:00 ~ 16:30
場所 : 大阪女学院 ヘールチャペル
大阪市中央区玉造2丁目26番54号

交通アクセス :
環状線『玉造』下車 西500m 空堀町 交差点北入 徒歩8分、 地下鉄 長堀鶴見緑地線『玉造』下車 ① 番出口西へ 徒歩3分、 中央線『森ノ宮』下車西500m青少年会館西側入 徒歩10分、 市バス 幹線85系統(玉造-杭全)『玉造2丁目』下車すぐ正門
、『清水谷高校前』下車北100m徒歩3分

対象:大阪女学院の生徒・学生、職員、同窓生、保護者と友人
(上記以外でも、この講演会を聴きたい方は参加できます)
参加費:無料 (カンパ制)
問合せ:Eメール ahau60[あ]gmail.com     
        ※[あ]を半角の@に置き換えて下さい。

***

……ほか詳細はこちらで。チラシのダウンロードもできる。
http://ameblo.jp/ahau60/entry-10959249500.html

今中さんも小出さんも、ええお年なのに、「助教」である。どなたかが准教授と勘違いしておられたのではないかと思うが、助教である。原子炉研で脱原発を唱えるような変わりもんは出世とは無関係なのである。

J'ai mal partout!2011/06/08 14:33:55

『つえつきばあさん』
スズキ コージ著
ビリケン出版(2000年)


いつもいつもいつもしんどい、という限りなく更年期的症状に近い状態にはカラダもアタマも慣れつつあるのだが、近頃そこらじゅうが痛いのである。頭とか腹ではなく膝とか肘とか指の第二関節とか踵とか土踏まずとかいわゆる整形外科的疼痛である。そんなもんアンタ前からじゃないの、あっちもこっちも痛い、なんてのはさあ、とおっしゃる向きも多かろうが、現在のように同時多発的な痛み発症というのは、なかなかどうして、私の場合珍しいのである。じつは今年初めから膝関節が痛くて曲げ伸ばしが困難になり、正座するのがひと苦労なのである。正座できないというのは、我が家での暮らしにも支障があるし、居酒屋のお座敷席でも難儀するとあって、非常に不都合な真実である。しかし、そんなことになってしまったのには原因があり、したがってこれは治癒する痛みだという診断が下され、そして医師のいったとおり、GW過ぎると痛みはかなり軽減した。したのだが、膝が楽になって喜んだのもつかの間、さきほどならべたてた部位の数々がいっせいにブーイングを飛ばすように痛み始めたのである。まともに歩けないから家の中ではほとんど伝い歩きである。外を歩くときくらいはしゃきっとしようと思って無理するので、職場や自宅に戻ったとたん、前かがみで足を引きずり、ほとんど老婆。これじゃあスズキコージのつえつきばあさんのほうがよほど元気でダンサブルなのである。年に一度の祭りの日。山奥のあちこちの集落から人々が集まって踊る。つえつきばあさんたちもつえつきおどりを踊るのである。こういう年中行事があるから元気でいられるのだな。膝を傷めた時、かかりつけの整形外科医は「絶望的なほどの運動不足がそもそもいちばん問題」といった。つまり、あまりにも体を動かしていないから、突然動かした時の負荷が何倍にも膨れ上がってしまうのである。運動不足解消には何がよいか。つえつきばあさんの例のように、やはり年中行事に限るのだ。私の場合、原則祭りは見物オンリーだ。これではいかん。参加型の祭りが必要だ。祭りでないといかんこたあなかろうに、とおっしゃる向きは多かろう。たしかに、早朝や夕方に近くをジョギングするとか、いや、走らずとも歩くだけでよいではないか、ウォーキングしなはれ、というか、通勤は徒歩に変えなさい。ハイハイ、おっしゃるとおりです。最近よさげなスポーツジムもできたことだし、体験エアロにでもいってみっか。いろいろと、私だって、検討しないわけではないのだ。しかし、どれもこれも生活の中での優先順位をいうと下位にきてしまう。時は金なり。一秒でも惜しい毎日を過ごしているのでジテキン(自転車通勤)はやめられない。ましてやジムなんぞに行く暇はない。しかし、地域の年中行事は優先順位のトップに上がる。地域の夏祭り、子ども祭り、地蔵盆、レクレーション、運動会。どれひとつとして外したことはない。どういうわけか、休日に仕事を入れられそうになっても「すみません、町内行事があるのでほかの日にしてください」というわがままが通る。お母さん、●月●日、買い物行こうよという娘にも、あかん◆◆祭りの日やもん、というと聞き分けがいい。というか「ウチも行くー」である。現にウチの娘は夏の神輿担ぎに必ず参加している。べつに義務づけられているわけではない。ないが、季節がめぐると、参加せんでどうする、みたいな気持ちになるのである。炎天下でほぼ丸一日まちを練り歩く。ハードワークだ。体力使うぞ。そうだ。私にもそういう行事があればいいのだ。杖つかないと歩けなくなる前に、この夏の盆踊りには参加を表明しよう。うう、痛い。ふざけているようだが大真面目である。そこらじゅうが痛いのである。

Pourquoi il faut regarder la carte allemande?2011/06/01 02:14:37

風の影響で、こちらにも若干飛んで来そうな気配です。西日本の皆さんも明日は、気をつけてね。
http://savechild.net/?page_id=875

(追記)
放射性物質拡散予報に関してだけいえば、こちらのほうがよいかもです。SaveChildからリンクで行けますけど。
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329

※この気象図は原発故障当初から、おなじみ中部大学の武田先生がリンクしてくださってたので、以来私もたびたびチェックしてたんですが、なんせドイツ語わからないので、こちらを見つけてほっとしています。

同様の図はフランスのニュースサイトでも見られますが、測定結果ばかりで、予報やシミュレーションを求めるなら今のとこ最良は ↑ だと思います。

どうしてドイツの予測をあてにせんといかんかというと、日本の気象庁は「みんなが混乱するから何も発表しないでね」とか通達したからです。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/others/News/message_110318.pdf

Pourquoi vous ne faites rien, comme ça?2011/05/30 22:20:05

子どもに付き添って行った整形外科の待合室でアエラという雑誌をぱらぱらめくった。最新号と、ひとつ前の号があって、最新号では内部被曝のメカニズムの説明と、震災前と震災後で夫婦間のメンタリティが変わったかどうかのアンケート調査結果と考察がまとめてあったのが、目を引いた。ひとつ前の号は放射性物質が子どもに与える影響について細かくレポートしてあった。よくいわれていることだけれども、公式見解として「大丈夫」と言われていることが全然大丈夫じゃないだろって話である。どの教育施設/福祉施設でも保護者の要望を容れて独自の測定と判断で対策を講じている、という話だった。

原子力発電というのは国家事業なので、実際に稼働しているのは営利最優先の私企業かもしれないけど、その企業活動を監視するのは国の責任だし、なんか起こったらしでかしたアホな子分(私企業)を叱り飛ばしてここは親分の出番だとばかりに指揮をとらにゃあイカンのだが、どうやら今回の場合、子分にとってのほんとうの親分は現政権じゃないからいうこときかないし、親分は親分で昔の元親分さんたちから仕事引き継がないうちにエラいことになって、しかも子分とのつきあいがないから会話してもらえないというありさま、てわけだ。ここまできても、まだ椅子取りゲームやるのかな? ナオトカンに国の将来なんて任せられない、そんなの、震災前からわかってることじゃん。じゃガッキーに任せる? 冗談でしょ。誰にも任せられない。同じ穴の狢だもん。そうじゃなくて、今国会で話し合うことってそれか? ちゃうやろ!

ああ、話が逸れた。この土日で私たちの街は台風が通過していったが、この台風上陸の報に、ホントに恐怖を覚えたよ。風は、静かに積もった塵や埃を吹き上げるでしょ? 放射性物質は無数の細かい塵や埃にくっついて、空中を浮遊しているし、地面や木々の葉っぱに乗ってるし、屋根にも壁にも積もっている。それが静かに堆積しているうちに拭き取ってかためて蓋しておく、それが鉄則。なのに、こんな非常時に限って梅雨入りは例年より早いし、台風は夏が来る前からガンガン発生するし。
どうやらみんなで寄ってたかってこの国を滅ぼそうとしているな。おい、地球。

話が逸れっぱなしだ。すまん。
国が何もやってないって話は武田先生が毎度の調子で愚痴っている。
「政府も少しは何かやってください」
http://takedanet.com/2011/05/110530_ef2d.html

ホント、国民の目の高さで見ればマジ「何もしてない」。
その最たるは「保安院」「原子力安全委員会」。なぜか両組織とも経産省管轄。ナオトカンは楽しそうにガイジンと喋りに行ってるし、枝野くんは毎日なんか喋ってるし、そらな、なあんもしてへんことないわな、そやな、そやけどな、そんなんなんもしてへんのといっしょやねん悪いけど。アマチュアトーデンに至っては、もうっそれやったら3年前にズっこけたアタシのクライアントのほうが組織としてまだましやったで、みたいな。

行動すべき人たちが何もしないから子どもを心配するごく真っ当な母親たちが右往左往しなくてはならない。
http://takedanet.com/2011/05/post_4a28.html
http://twitter.com/#!/gurukuru_pah

このたびのような大きな深刻な災いは、日本国民みんなが背負わなくてはならない。それはたしかにそうでございます。しかし、申し訳ないけど、放射性物質を分かち合う気はありませんのです。
問題は、本格的に私たちの街にも及ぼうとしています。
http://no-radioactive-waste.blogspot.com/
http://www47.atwiki.jp/tsunamiwaste/
http://onodekita.sblo.jp/article/45244519.html
あなたの街も、事情は同じでしょ?

我が家の食卓にはしょっちゅう焼き魚がのぼりますが、どこから来たお魚なのか、よく見て買わないといけませんね。
http://takedanet.com/2011/05/post_002e.html
こんなことならもっと地理と地学をよく勉強しておくのでした。

えーっと、書きたかったことは、そういうことではなくて、いつかこのブログでも少し述べたのだけど、
http://midi.asablo.jp/blog/2011/03/30/5765900
これほど甚大な災害を前にして、そしていつ自分の身にふりかかってくるやもしれぬ災いを憂いて、そして自分たちや子どもたちのことに思いを馳せるとき、夫婦の間で微妙な、あるいは明らかなズレや断絶を感じなかったかどうか。アエラの記事は統計にいくつかの夫婦への取材をからめて検証している。
多数派ではないけれど、震災を機に「コイツとは離婚だ」と思った人が少なくない。
なんか、とてもわかる。
私は夫婦もんではないけど。
ああ、このひとってこんなひとだったんだー……
ということがペリペリペリと薄皮剥くように心ならずも剥いてしまって、ああ、見なくていいものを見てしまった、みたいな。
それは夫婦間に限らず、友人、同僚、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、ご近所同士、といった関係間にも現れる。
被災者のかたがたは当事者だから、かえって人との絆を強めたかもしれないが、被災地から遠くない関東圏では、そうした「気の持ちかた」の差からくる「すれ違い」がけっこう大きな問題なのではなかろうか。
私たちの街のようにとても遠くても、やはり、その人の、今回の諸問題の捉えようがモロ見えたとき、「え、そういう了見?」「え、その程度の認識?」なんて驚くことたびたび。「え、そんなことも知らないの?」「え、じゃあ、子どもたちのことはどうでもいいの?」……好感を持っていた相手でも、感覚のズレ、価値観の相違が決定的になってしまうとそれまでと同じようには見られないもんだ。浅い関係の他人に対しても、そんなふうにギクシャクした思いをもってしまうのに、まして、それが夫婦なら。
しかし、しかし。そういうのって、辛いんだろうか。離婚を決める人は辛いからそうするんだろう、もうこんなヤツのそばに居たくないと。でも「こんなヤツ」をうまい手綱捌きで動かす人もいる。むしろ、こんなヤツならもう執着しない、いつだって綱切ってやる、せいぜい今のうち働いてもらおう、みたいな気分にもなるのかも。
とくに、小さい子どもをもつ家庭の両親は、二人で意見を一致させて行動をとらないと……。だって、可愛い子の命と将来の生活にかかわることだから。可愛い子は深刻な病に陥るかもしれない。そうなったとき、責任転嫁せず手を携えて子どものために共闘できるか。
若い親たちに、踏ん張れ、頑張れと祈らずにはいられないのである。

Il a peur des radiations, moi non, je me dis que quand c'est ton heure (de mourir), tu ne choisis pas quand cela doit arriver.2011/04/07 01:17:16

「何でもない日常を平凡に過ごすことがホントありがたいですね」
「そうですね」
「ウチは本社から米と水を(被災地に)送らしてもらいました」
「そうですか」
「私ごとを言いますと、姉が1歳の子どもを連れて里帰りしています、北関東から」
「1歳ですか、それはそのほうがいいですね」
「ダンナは逆単身赴任で気の毒ですが」
「そんな家庭、多いでしょうね」
「多いようですよ。姉のママ友さんたちも、何らかの形で子どもを連れて避難してるらしくて。残っているのは男ばかりで(笑)」
「子どもは放射能から遠ざけるに越したことはありませんからね、賢い選択です」
「いつまでいる気なんだろう、とちょっぴり思ったりしてますが(笑)」
「原発が落ち着いて、漏れるにしても微量だということが確認されればいいでしょうけどね。なんとなく、そんな時は永遠に来ないような、そんな気、しません?」
「長引きそうですよね」
「なんか、一段落して、ああ、少し安心できるかな……と思ったときにドカンとふたたび爆発起こりそうな。そんなことになったら原発を廃炉に導くまでに50年、周囲の自然環境が元に戻るまで100年」
「やめてくださいよ。姉がずっとウチに居るじゃないですか」

ある大手レストランチェーンを取材した時の、店長さんとの会話概略。茶化しておられたが、ほんとうはその1歳の姪御さんが可愛くてしょうがないのだ。「姉は小うるさいからダンナの元へ帰して、姪っ子は僕が預かってもいいかもな」とつぶやいておられた。

「歓送迎会のシーズンでしたが、まったくありません。宴会ゼロです」
「卒業式もままならない被災地を思うと、そんな浮かれた気分になれないのでしょうね」
「そういうこともあると思いますが、それより人がいないんです。ここは土地柄、自衛隊員さんにすごく贔屓にしてもらっていますが、皆さん出払ってしまって」
「あ、なるほど。そういえば不在者投票していましたね」
「宴会だけでなく、普段の寄り合いやグループでの食事にもよくご利用いただいてたんで、その方々が軒並みいらっしゃらないと大打撃です」

自衛隊駐屯地に近い、ある和食レストラン取材時の会話概略。私たちの街の自衛隊のみなさんも駆り出されているのだな。

「なんやのあんたら、なにもかも中止にしてしもて。震災に便乗してサボることばっかり考えて。あんたらはいつも楽しよ、楽しよて、そんなふうにしか考えへん」
「そんなあ。女将さん、そんなことありませんよ。やむを得ず、なんです」
「なにが、やむを得ず、よ。だいたい、昔からやる気ないわなあ」

印刷物制作屋の私はあちこち走り回って各地の「お祭り」を取り上げた。だが軒並み中止になった。それは、不特定多数の人々がぎっしり集まる場所には警察官と警備員が必要だが、みんな駆り出されて出払ってしまって、イベントじたい十分な体制を整えることができないからだ。くだんの女将さんも、いつもならイベントの恩恵にあずかるのだが…………

Deux forts séismes frappent la Birmanie et la Thaïlande2011/03/25 00:59:09

午後8時25分、ビルマ、ラオス、タイのあたりでM6.9の地震があったそうだ。

http://www.20minutes.fr/article/693530/monde-deux-forts-seismes-frappent-birmanie-thailande

大きな被害が出ていませんように。

Je ne peux pas penser à autre chose en ce moment qu'à vous et au peuple japonais. Toutes mes prières sont pour le Japon.2011/03/18 22:21:37


一日がすごく長い。
そりゃま、毎日12時間働いているから実際長いんだけど。
ずっとニュースサイトを自動更新させながら開けている。更新されるたびにチェックできるわけではないのだが、それでも最新情報はとりあえず得られる。いや、言われなくてもわかっている。最新情報を得たところで私には何もできない。ただ、ああ気の毒に、ああたいへんだ、どうか無事でいて、彼らをお助けください神様、と心の中でつぶやくだけだ。

とりあえず私たちは大丈夫。何度もそう告げてはいるけれど、報道に温度差のある海外では、ことさらに原発の状況とその影響がルポルタージュされているようで、食いもんあるか?なんて心配するメールが届く。あるよ。困ってないよ。

そんな返事を書きながら、ため息をつく。


自分の時計が被災地情報で刻まれるので、被災者の置かれている状況に変化や進展が見られないと長く感じるのである。


取引先との打ち合わせから戻った上司が言った。
「●●寺の前を通りかかったから、義援金入れてきた」
「へえ、いいことなさいましたね。でも、ホントに被災地へ届くんでしょうか」
「そこやねん、一抹の不安は。義援金入れるとこ、普通の賽銭箱やった」
「それって、お寺の収入として遣われちゃうかもですね(笑)」
「ほんまになあ……大きな寺ほど強欲やからなあ」
「こんなときこそ、だだっ広い境内や本堂や、道場とか研修場とか提供したらどうなんでしょうね。頼まれるの待ってんと、受け容れます、来てください、って言うたらエエのに」
「賛成や。けど、それはそれで社寺間の大いなる競争みたいなもんを引き起こして醜い争いになるような気がせんでもない」
「あ、そうですね。一段落した頃にウチは何人受け容れたぞみたいな坊さま談話が飛び交いそうな」
「いややなー。聞きとないなー、そんなん」

と、ことほどさように市民の信頼を得ていない我が町の裕福社寺の面々であった。が、地元紙のニュースサイトで、「仏教各派救援へ動く 施設開放も検討」という記事が配信されていたのを見た。そりゃ、そうだよね。こういうときこそ宗教者らしいことやらなきゃ、人間でもほとけでもないよといいたい。

普通に寝て起きて、洗濯して食事つくって、いつものようにコートを着込みマフラーと手袋を着け、自転車にまたがって職場へ向かう。原稿を急かすクライアントに心の中で舌打ちしながらもう少し待ってと懇願したり、今たいへん混んでましてと言い訳したり。そんな、ともすればチキショーバカヤローとわめいてばかりの日常がいかに幸せなものかを改めてかみしめては、いる。

いるが、それでも私には私の、まったくもって憂鬱にさせてくれるさまざまなモンダイが、眼前に数え切れないほど多くのハードルとなって立ちはだかってくれる。私は家も流されていないし、原発からも遠いし、現状に文句を言う筋合いは何もないかもしれないが、手に負えない、私ひとりでは解決に程遠い難題をいくつも抱えている。


通学用のスニーカーを買おうね。ハイソックスは紺でないとあかんって。お弁当箱と水筒、可愛いの見にいこうか。……


今のようにほぼ毎日10時間以上仕事に拘束され、月に7日くらいは午前様の日があり、休日の半分は潰される、というような生活をしていると、私の家庭と体は本当に崩壊してしまう。最近マジでそう思うようになってきた。


母親は目に見えて衰えてきている。病気ではないが、いろいろとよく間違えたり忘れたりすることが多くなった。このことはもう数年来起こっているのだけれど、運動能力の低下は顕著で、やはり歩けなくなると外に出るのが嫌になるし、外に出ないと刺激がないので記憶力やコーディネート力が低下する。そんなわけで任せていたいろいろなことを任せられなくなり、といって何もさせないわけにもいかないのでできることとできないことをこちらで調整してやってコントロールしながら、できることはできるだけこなしてもらわなくてはならない。そんなに複雑でも難しくもないことなんだが、いかんせん私に時間がないのでじっくり検討する機会がないのだ。てことはつまり、母が担ってくれていた家事はなし崩し的に私の役割と化しており、まったく毎日一秒だって家では座っていられない。
娘は何でもひとりでできるようになったが、とりあえずオカネのかかるヒトなので、もっと副収入が欲しいのだけれど、現状では家で一秒も空いた時間がない。これではスーパー闇仕事も請けられない。


それより、ヤツのために4月からお弁当ライフである。
これまでも年間に数日程度とはいえ、給食休みや休日練習や競技会とかなんとかいってお弁当の日はあったのだが、それはあくまで非日常的なイベントであった。これが毎日となると生活習慣を根底から考え直さねばならない。そこの奥さん、笑っているけど、アタシにはターイヘンなことなんざんす! でもでも、だんなさんの分、上の子の分、下の子の分というふうに毎日毎日複数つくって家族を送り出しているお母さんたちは実際山のように居られるのである。しかもキャラ弁なんかつくってらっしゃるのである。まるで魔法使いである。
私は魔法使いにはとうていなれない。


だから今年に入ってから実は、簡単に作れるお弁当おかず、とかお弁当にもぴったりの作り置きおかず、とかいろいろ練習してお弁当向きおかずレパートリーを増やしている。週末ごとにいろいろな惣菜をどかっと作って毎週連日試食会、って感じ。おおむね好評である。
我が家はそんなに好き嫌いはないので、食事はたいてい大雑把な支度でも何でも食べてくれるが、娘は減量期間がしょっちゅうあるし、母はものが噛めないときている。おのずと草食動物の餌みたいなおかずになってしまうが、パワーはつけないといけないので、育ち盛りの子どもじゃないけど栄養価の高い献立をこころがけている。
娘が盛んに陸上のトレーニングにいそしんでいたときはガンガン食べさせたが、結果、ものすごくウエイトアップして筋肉モリモリ(笑)。これじゃ舞台に立てませんよというくらい逞しくなっちゃったのであった。ついた筋肉はなかなかとれないが、ウエイトダウンは徐々に進み、小さくいくつも目標を置いて小刻みに達成しているようである。

食糧確保もままならない被災地の皆さんを思うと、贅沢な難題だとはわかっているが、だからといって放棄できない。はあー。と、眼前の山積み問題あるいは無数のハードルってやつのひとつふたつを披露してみた。ま、がんばるさ。とりあえず私は母親で世帯主だからさ。