Les ecolieres ― 2008/04/16 18:04:03
ジャンは、これまで自分が借りていた部屋を引き払い、富ばあさんの部屋に移るつもりである。自分の蔵書は富ばあさんの遺品とともに二階に片づければいい。ジャンの持ち物といえば蔵書のほかにはわずかな衣服とノートパソコン、そして布団がひと組。ところが富ばあさんは、フランス製のコーヒーミル、伊万里や有田のうつわ類をこともなげに使い込んでいたし、清水(きよみず)の酒器や信楽の花器が床に無造作に並んだままになっていた。
ジャンはそうしたものの処分を任されていた。擦り切れた座布団や半纏は捨て、わずかに残っていた古い着物やコートは古着屋に引き取らせた。こたつは脚を外して仕舞えるタイプだったので拭き掃除をして片づけ、こたつ布団はゴミに出した。小さな住居ながら、残すもの捨てるものを仕分けしていくだけで結構な作業量だ。ジャンは知らず苦笑いをしていた。とりあえず自分がいた部屋は空っぽにしなくちゃなあ、と青空を見上げると太陽がほぼ真上にきていた。もう昼だ。
ジャンは腕を上げたり下ろしたり、背筋を伸ばしたり縮めたりしながら路地を出て道路に立った。制服姿の、学生というよりは子どもたちが連れだって帰ってくるのが見える。まだ授業は昼までなのだろう。いかにも新調したてのブレザーの中で、華奢な体躯が泳いでいる。プリーツスカートはその少女たちには不似合いな丈だが、それが初々しさを際立たせていることはジャンにもよくわかった。チヤン、レゼコリエェ、とつい口に出したジャンに少女たちは、ある者は訝しげに、ある者は愉快そうに、それぞれ視線を投げ捨てていった。
ジャンはそれらの視線に向けてボンジュー、と申しわけ程度の大きさの声で言った。きゅきゅきゅっという音に似た笑い声を立てて遠ざかる女子中学生たちを見送りながら、ジャンは富ばあさんの小説の一場面を思い浮かべていた。
川土手の道を歩く女学生は、一様にみな、分厚い本を包んだ風呂敷包みを抱え、踝まであるスカートを揺らし、上着と揃いの色のベレーを被り、なにやら楽しげに、しかし上品な笑い方で、主人公の富美子(ふみこ)の前を通り過ぎる。富美子は、自分はけっして着ることのないであろうその女学生の正装を、毎日、同じ時間に同じ場所に立ち、羨望の眼差しでみつめ続ける。
富美子の時代からこんなに世代を隔てても、女子学生の制服姿は変わらずまぶしくて、飽くことなくみつめ続ける対象としてこれに勝るものはないよ。ジャンはそういう意味のことを口の中でもごもごつぶやいたあと、「コンビニ、行きましょ」と日本語で自分に呼びかけ、ポケットの中の小銭を確かめた。
伯父 ― 2008/04/10 15:55:54
さほど遅い時間ではなかったが、そんな時間にそんな場所をぶらつく人ではない。同年代のオヤジたちと一緒というのならまだしも、たったひとりで、というのは考えにくい。ただ、そのときはその人がほんとうに伯父なのかどうかがわからなかった。あ、伯父さん、と思ったのに声をかけそびれたのは、目つきがなんとなく虚ろでとぼとぼ歩いている様子があまりに伯父らしくなかったからだった。背格好、服装、後頭部のはげ具合、すべて伯父を表して余りあるほどであったが、ただその覇気のなさが、まったく伯父ではなかった。
伯父夫婦は二十年以上、長男夫婦と同居していた。孫は三人を数え、それぞれ祖父母によくなついて、立派に成長した。長男とはつまり私の従兄だが、彼は、同居を続けるには使い勝手が悪くなった古い家を取り壊して三階建ての新居を建てよう、と父親に提案したそうだ。
だが伯父は反対した。
住んでいる家は、町なかでもとくに目を惹く立派な構えの日本家屋である。重要文化財に指定されてもいいくらいの重厚なつくりだと私などは思うのだが、指定なんぞされたらそれはそれで住みにくいわい、と伯父が笑っていたのはいつだったか。
文化的な値打ちなどではなく、先祖代々住み続けた家への愛着。伯父にとっては、柱も梁も、自分の代で壊すなどとうていできない相談であった。
けっきょく、父親から譲り受けた別の土地に、従兄は新居を建てて引っ越した。
これまでの家を改修するという選択肢もないではなかったが、従兄とその妻にとっては「中途半端な金の使い方」でしかなかったらしい。老夫婦との同居も可能なほど大きさも間取りも充分な新居をつくったが、伯父はもとの家を離れなかった。
私はこの春中学生になった娘を連れて、伯父と伯母を訪ねた。ふたりきりじゃ寂しいでしょう、と問う私には答えず、伯父は、真新しい制服に身を包んだ娘をまぶしそうに見つめて、そうかそうかそんな歳になったんか、そうかそうかと満面の笑みを浮かべて頷いた。こちとら耄碌するわけだと伯母と顔を見合わせては笑う伯父の表情に、あの夜の光景が私の脳裏をよぎった。やはりあれは伯父だった。確信めいたものが胸をつきあげたが、だからどうだというのだ、私にはこうしてたまに訪ねることしかできないのだし、と私もまた娘の制服姿をまぶしく感じながら、なす術がないのであった。
宴 ― 2008/03/16 17:40:13
——春という字を、賜りました。
ああ、かの人の、なんと澄んだ朗々たる声……。
宮がかすかに背を震わせたのを、隣におわす帝がお気づきになったかどうか。
尾上の花の散らぬまにまに
心とめけるほどのはかなさ
開かぬ花のいとおしい春
山端の風がほのめかす春
かの人の響き渡る詠声に、満開の枝々も打ち震えているようだ。宮はからだの奥に熱を覚える。かの人のあの息遣いを、再び耳許に受けたかのように。
「中将、見事じゃ」
「勿体のうございます」
宴では探韻と呼ぶ詩遊戯に興じるのが慣わしであった。ひと文字記した紙札がいくつか予め用意され、詠み手は籤を引くように紙札を探り、引いた文字で韻を踏み歌を詠む。詩式は自由だが、奔放に過ぎては失笑を買う。何しろ居並ぶ公達(きんだち)はそれぞれ衣束冠帯の正装に身を包んだ、文才(もんざい)疎かならざる面々である。
つぎつぎと、文字を引いての歌詠みが進むが、宮にはもはや聴こえない。座に控える中将の視線を項に痛いほど感じながら、しかし見つめ返したい欲望を懸命に抑え、顔を庭の中央から逸らさず、聴き入るふりに専念する。
ひとり詠み終えるごとに、楽の音が間奏を雅やかに披露する。
笙や篳篥、筝弦に鼓。宮は、かの人との一夜に思いを馳せて瞼を閉じる。
「宮を見よ、よほど感じ入ったようであるぞ。その火照りよう、ほほ」
帝の言葉に宮は我に返り、その頬はなおいっそう上気する。
「お、おそれながら」
宮はやっとのことで言葉を発した。「舞が見とうございます」
「ほほ、よろしい。探韻はしまいなされ。で、宮のご所望はどの舞かの、どの舞い手かの」
「いつぞやの……」
「青海波かの。ならば中将じゃ」
帝は花枝を折らせ、宮にとらせた。
——賜りましてございます。
枝のとり際、中将の指が宮の掌をこそっと愛おしげに撫でた。
枝を唇にかの人は、ぴんと袖を張り、返す。たったそれだけの所作の、なんと美しいこと。春はそなたのためにあるようじゃ、と思わず口にしそうになる宮。
楽奏が高まり、中将の瞳が宮を射抜く。いいえ、我々ふたりのためにどの季節も美しいのです、宮さま。
宮の皮膚が、かの人の唇を思い出す。空の青はますます冴え、花膚にいっそう紅が差す。
桜子 ― 2008/03/12 19:18:21
桜子は今夜も、百合さんのレッスンを見学している。百合さんは桜子よりも五歳年上だ。小学校一年のとき、このバレエ教室に入った。ここの六年生クラスに、百合さんはいた。自分たちよりずっと背も高く、スタイルもきれいなお姉さんたちのなかでも、群を抜いて上手な百合さんのことは、まもなく識別できるようになった。指先まで一寸残らず意識したしなやかな動き、優雅な微笑み。まっすぐな膝、美しく反った足の甲。百合さんは誰の目にも完璧だった。百合さんのプリエ、百合さんのシャッセ、百合さんのグラン・ジュテ。レッスンが佳境にさしかかると、百合さんの頬が、腕が、背中が紅潮してピンク色に染まる。桜子は、そんな百合さんを見ているとき、自分の頬も紅潮するのをはっきりと感じるのだ。
コンクールの予備選を通過した百合さんに、特別レッスンプログラムが組まれた。桜子は欠かさず見学したいと思ったが、本人の気が散るし夜遅くまでかかるから帰りなさい、と先生にいわれた。だけど、見学室から通路に出るわずかな空間に、スタジオからは見えない死角があるのを桜子は前から知っていて、そこに身体を小さく丸めてひそんでいた。
ある晩、フェッテを繰り返していた百合さんが突然倒れた。
倒れる直前、ばちん、という強い音を聴いたような気がした。
スタジオと見学室をさえぎるガラスは重厚で、遮音性が高い。
だけど、百合さんの歪んだ表情からこぼれる苦しそうな呻き声が、はっきり聴こえる。百合さん。桜子の心は恐怖に震えた。心臓が破裂するかと思うほど激しく打った。まもなく救急車が来て、百合さんは担架で運ばれた。隠れていたのが見つかったけれど、先生は桜子を一瞥しただけで救急車に乗り込み、ドアが閉まる寸前、人差し指を立てて唇にあて、桜子を睨みつけた。怖い、怖い目だった。
この夜以来、百合さんがレッスンに来ることは二度となかった。いま桜子は、先生の自分に対する指導がなんだか厳しく熱心になったような気がしている。見学室はいつも、桜子のクラスレッスンを見つめる小さな女の子でいっぱいだ。桜子は十二歳。桜子が初めて百合さんを見たときの、百合さんの年齢になっていた。桜子の心が、奮い立つ。
桃子 ― 2008/03/12 19:17:48
じつは、あたしの赤んぼ、「桃子」って名前なんだ。例の漫画読み始めたときに、あたしもデキちゃったのがわかってさ。まったくこの漫画、胎教代わりに読んだようなもんだよなあ。あとからそう思ったんだ。なぜって、あたしの桃子は漫画の桃子そっくりに、可愛くて、頭もいい子に育ったんだ。こんな親なのにね。願いは叶うんだなあと思ったよ。漫画の桃子にあやかって桃子と名づけたときから、桃子みたくなってくれって、念じながら育てもん。そしたら、年頃になるとお洒落もするようになって、それがまた、センスいいんだ。ウチは貧乏だからいい服は買ってやれないけど、チープシックっていうんだよね、安いものをうまく着こなすのが上手なんだ。わが娘ながら、感心感心。
そのうち、デートなの、なんていって出かけることが増えて、まったくおませなもんだよ。悪い虫がついちゃ困ると思ってつい心配するんだけどさ、大丈夫、人柄は保証つき、なんて、あたしが訊くたびにいうんだよ。
ところであたしの今のダンナは、ダンナといっても内縁関係のままだったけどね、見た目は冴えない男だけど、ふふ、ほら、夜の、アレのほうがテクニシャンだからさ、あたしも離れられなくてさ。とりあえずちゃんと食い扶持稼いでくれるんだから、いまどきよしとせにゃあ、なんだよ。
ある晩、ダンナが給料日だからってんで上等のステーキ肉買ってきたんだ。大喜びで支度しようとすると、お前は座ってな俺が焼くから、とダンナがいい、桃子までが、そうそう休んでてよ、なんていう。それで座ったんだ。
そしたら、悪戯っぽい眼で桃子が動かないでね、といって椅子に座ったあたしを紐で縛りつけるんだよ。そこまでしなくってもじっとしてるよって笑ってたんだけど、そのあとは本当に早かったね。両手両足縛られたあたしが最期に見たのは、桃子の、これ以上ないというほどきれいな笑顔。その口許は、ばいばいっていっていた。
あたしは、いつのまにかあたしの後ろに来ていたダンナに、何か重いもので殴られて、絶命した、と思ったらあっという間に服を引き剥がされて、そのあといつのまにか敷き詰められてたビニールシートの上で、バラバラに解体されちまった。さすが上手ねえ、わあー、お肉ってピンク色ぉー、と桃子がはしゃいでいる。あったりめえよ、と得意げなダンナ。牛屠場で十五年のバリバリだもんなあ……やれやれ。
あたし、享年三十二。ダンナ、三十三歳と桃子、十八歳は、あたしのおいしいところだけをジュージュー焼いて食べたあと、あたしの残りは密封ポリ容器に園芸土と一緒に突っ込んで、部屋をきれいに片づけて、二人で外国へ行っちまった。バカだねえ、今ちょうど、この部屋から見える川べりの桜が満開だってのに。
Son chemin ― 2008/03/12 19:17:12
「その本の題名はなんていうんですか」
通りの角に建った小ぶりなマンションに一昨年引っ越してきた若い夫婦のかたわれである。夫婦揃って愛想がよく、町内会にもすぐに馴染んで皆の評判もよかった。昨年子どもが生まれたが、この町内会も少子化の例に漏れず、したがってその赤子は近隣のアイドルであった。
「ソンシュマン、といいます」
ジャンはなんとなくかしこまって、真面目に答えた。そんしゅまん、そんしゅまんだってうふふ、と女は隣に座った亭主に愉快そうな様子で告げる。その膝で赤子もソンシュマン、らしき言葉を口にし、ブラヴォー、とジャンの顔がほころんだ。
今夜は町内会の飲み会である。表通りの小さな居酒屋を二時間半借り切って、寝たきり老人(これが少なくないのだが)とその介護者以外はほとんどが参加する大宴会。年に二度ほどこうした機会をもうけるのが慣わしだ。二、三年あるいは四、五年で町を出ていくような学生たちも必ず来てくれる。わけは、宴会の費用は町内会費から出るからで、ふだん町費を徴収されている者にとっては不参加の理由がないからであった。
「で、それ、どういう意味なんですか」
女が再びジャンに訊いた。「みち、ですね」とジャンがいい終わらないうちに、離れた席から「誰の道? ソンって誰をさしてるの?」と声がした。宴席の隅のほうにいた、町内会長の次女だった。
ジャンは意外な質問を受けたのがとても嬉しそうである。
「彼女の道、という意味です。彼女、は主人公ですね。それはたぶん、トミサンのこと」
ほおお、とジャンの周囲がどよめく。誰かが、会長のお嬢さんは仏文科だったなあ、といい、再びどよめき。
路地奥の長屋に老いてから住み着き、そして亡くなった富ばあさんこと山中富さんがかつて小説を出版していたことは、富さんと親しくしていたフランス人青年ジャンがその小説の翻訳本を自国で出版して持ち帰るまで、町の誰ひとり知らなかったことだった。
「物語の最初、小さな女の子が、います。ひとりで、裸足で道を歩くところ、あります。遠くに見える山は、桜がたくさん咲いています。とても、きれいな場面です」
山桜が織りなす濃淡さまざまの紅(くれない)色を、皆がそれぞれ思い浮かべ、遠い目をしたり目を閉じたりしながらうんうんと頷いた。ひとり、会長の次女だけがジャンの表情をじっと見つめていた。幾分顔を赤らめて。その様子をまた会長が心配顔で見ていたが、ジャンは自分が訳した物語の世界に浸りきっているのか、心ここにあらずといった様子で、「早く春になるといいですねえ、桜のお花見、しましょね」といい、周囲の賛同を集めていた。
revenant ― 2007/12/20 18:20:45
しばらく帰国しますヨロシク、とジャン青年が町内会長宅へ挨拶に訪れた。一か月後にはまた日本へ来るというから、ほんの一時帰国である。ジャンに好感を持っていた町内会長は、帰ってきてな、居らんと寂しいよと笑顔で見送りつつ、今後このようにたびたび帰国するのだろうか、それだと町内の役員は頼めないなあと、頭の隅で別の心配をした。
ジャンが住んでいる路地奥の三軒長屋のうち二軒は空き家になっている。富ばあさん亡きあと、その家は借り手がない。もう一軒はかれこれ二年以上前から空き家である。この長屋の持ち主は以前町内の住人だったが、今は隣町に住んでいる。引っ越すときに町内のほかの土地は売ったが、この路地奥は買い手がつかず、古い家のまま残しておいたら、そのうちに物好きな借り手がぽつぽつ現れた。他県から来た学生や芸術家、また外国人留学生などが入居しては出ていったが、やがて富ばあさんが住み着き、しばらくしてジャンが来た。ジャンは、来日当初は他都市の大学の留学生だったらしいが、学業修了後、住みたかったこの町で仕事を見つけることができたので日本に居ついている、と町内の者は皆聞いていた。
長屋の持ち主が久しぶりにやってきて町内会長宅で話したところによれば、富ばあさんがいた家の家賃を、ジャンが払い続けているという。「連絡はいつも電話なんで、はっきり聴けてないんやが、トミサンデブナンときどき来る、とかなんとかいいよるんや。必要やから借りておきたいって。なんやわからんが、家賃きっちり払うてもうたらそれでええ、というたんやが」
ジャンの発言には時折不思議な言葉が混じる。だがそれはいつものことだから町内の住人はその意味を推測したり、わかれば該当する日本語を教えてやったりできるので、意思の疎通に困ったことはほとんどないのだが、富ばあさんの絡む話だと全然見当がつかないことがしばしばである。とはいっても、それで困ることもやはりなかった。町内会長は家主の話を聞き流していた。
一か月経って、ジャンは予告どおり再び長屋へ帰ってきた。そして町内会長宅に挨拶に訪れ、一冊の本を差し出した。
「トミサンの、ショセツ。翻訳しました。ドゾ」
「しょ、しょせつ? 小説? 富ばあさんの? 翻訳だって?」
町内会長はわけがわからずただ驚き、そのフランス語の書物を縦にし横にし、裏返したりめくったりして眺めた。タイトルらしき大きな字の下に「Tomi Yamanaka」と、たしかにある。何枚かめくると再び題名と著者名があり、下のほうに、ジャンの名前らしきものが記されていた。ほう、ほうと、わけがわからないままただ頷く会長にジャンは照れくさそうな笑みを見せていった。
「やっとできた。わからないとき、トミサンの家でじっと考える。トミサンのレヴナン来て、教えてくれる。トミサンのおかげ」
トミサンのレヴナン。町内会長はいつかの家主の来訪を思い出し、合点がいったというように「富ばあさんの幽霊が来たのか」と確かめるようにジャンに問いかけた。
ジャンは、そう、そのことだよと言うように目を見開いて、ウイと答えた。
Moulin de cafe ― 2007/10/25 15:47:06
富ばあさんと普段から行き来していたジャンがいつものように声をかけたとき、富ばあさんは年中出しっぱなしの炬燵の側で横たわり、息絶えていた。もう齢九十に達していたので自然死と推定された。警察などの出入りでいっとき町内は騒然となったが、事件性はなく町内会の関心は葬儀の執り行い方に移った。
ジャンはずっとめそめそしていたが、町内の誰よりも富ばあさんのことをよく知っていて、生涯独身で子どもはいない、兄弟は皆とうの昔に逝った、その家族らの消息は知らなかった、などの情報を提供した。さらに、費用や親戚への連絡をどうしようと途方に暮れる皆に向かって「トミサンのお金、友達、持ってる」と不思議な発言をした。
富ばあさんがためていた現金をジャンが預かっていたらしい。ごく少額だが葬儀費用の足しにはなりそうだった。使い込んでいなかったかどうかは不問にされた。もうひとつの「友達」とは富ばあさんがひいきにしていた米屋、酒屋、惣菜屋、クリーニング屋などの電話番号簿だったのだが、これらの店に電話をすると店主たちは一様に富ばあさんを悼み、次いでジャンが信頼されていたことに触れ彼を褒めるのだった。
その電話番号簿に珈琲豆店の名があるのを皆が訝しんだが、ジャンはきっぱりと「トミサン、カフェ好き、よく知ってた。ムーランドゥカフェある」といった。
富ばあさんの家はまだ亡くなった日の状態のままになっていた。ジャンは自分の家のように上がりこんで、炬燵の横にある硝子扉つきの小物棚をカチャリと開けた。骨董品のようなコーヒーミルを中から出して「これで挽いたよ、豆」といい、あんなにしっかりと手で豆を挽いていたのに信じられない、というようなことを口にして、ジャンはまた泣いた。狭い部屋に、珈琲の香りがたちこめていた。
ツダとダン ― 2007/10/23 20:02:12
もうひとつ行きつけの店があったが、頻度は「ツダ」と変わらないけどそこのマスターは私の顔を見ると「お、いらっしゃい。今日もモカ?」と訊いてくれるハンサムダンディであった。私が入り浸っていた頃は「DAN」といったが、あるとき改装して「暖」になっていた。ああ、ダンはこのダンの意味だったのか、マスターが「団さん」てわけじゃなかったのね。でも、小さな変化だったけどどうも「暖」は違うような気がして、改装後のその店の扉を一度も開けたことがないのである。
家庭教師 ― 2007/10/23 19:42:22
佳子さんというその大学生のお姉さんは、私が言うのは大変生意気だが、容姿も話し振りも可もなく不可もなくといった感じであった。しかし教え方は非常に上手であったのだろう。中学一、二年の復習を終えて三年の範囲を学習したあと、夏休み頃には難関私立高受験用の問題集にとりかかるほどであった。佳子先生は母に自分の出身校でもある女子高を勧めます、と言ったそうである。女の園と制服のある学校は私にとっては論外だったので、ある日、「これ以上難しい問題はしなくていいでしょ」と言い募った。すると佳子先生は少し悲しそうな顔をして、それもそうねと自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
佳子先生が来る日には、少し上等のコーヒーとケーキを用意してもらえた。将来何になりたいの? 画家よ、サラリーマンは嫌。あら、サラリーマンも悪くないわよ。そんな会話をした。珈琲の香りを嗅ぎながら、先生の彼氏がサラリーマンなんだろうなと少し大人びた想像をした。
レベルの低い公立高に楽勝で合格した私に、佳子さんは私が以前欲しいといった高村光太郎の詩集をお祝いに持ってきてくれた。「悔いのない高校生活を過ごしてね」。佳子さんは私の手を握ったあと母に深々とお辞儀をして、さして上等でもない我が家の玄関の扉を丁寧に両手で閉めて、帰っていった。