「誰ひとり、けっして誰ひとりとして、母さんのことを泣く権利はない。」本当は誰もがこう思うのではないか……の巻2009/07/31 18:01:58

『異邦人』
アルベール・カミュ著 窪田啓作訳
新潮文庫(初版1954年)


今、手許にないので私の家にある新潮文庫『異邦人』の版は何年のものかわからないけど70年代のものだと思う。初めて読んだときどれほど衝撃を受けたかとか、面白く感じたかとか、何も記憶に残っていない。シェイクスピアやドストエフスキー、ブロンテ姉妹やディケンズ、カフカやパール・バック、ユーゴやスタンダールらとともに、よくわからないけど越えねばならない山の一つとして、カミュの『異邦人』は私の前にあっただけである。読んでみると、どうってことはなかったのである。これが、どうってことはないことはない、と気づくのはもう少し(というよりかなり)後である。さらに仏語学習教材としてテキストをいじくりまわした頃には、どうってことはないことはないどころか、私はアルベール・カミュと一体化していた(誰とでも一体化するヤツである)。

不条理という語句が本書を語るときによく使われる。それはそれとして、私は、肉親を亡くしたときに自身に起こるレスポンスを正直に表現して見せた男の話だと今はわかるのである。彼がたまたま海岸で、太陽光で一瞬視界を遮られたため、やばいっと思って放った弾が当たってしまったが、この件についても男は正直に話したわけである。正直であることは時に罪である。嘘をつき、芝居をすることが周囲との潤滑油になる。共同体の中ではじかれずに生きていこうと思えばつまらぬことに知恵を使う必要もあるのだ。それ自体を不条理と呼んでもいいし、それを拒否してロンリーウルフでいることを不条理と呼んでもいいのだろう。主人公は母を重んじ、愛していた。処刑を前に母への深い愛情に覚醒するシーンが最後にある。
「誰ひとり、けっして誰ひとりとして、母さんのことを泣く権利はない。」

(もしよかったら拙稿部分試訳をお目通しください)
http://midi.asablo.jp/blog/2008/12/25/4026928


おととい、友人からすごく久し振りにメールが来た。彼の母親の訃報だった。
なぜ亡くなったのか、詳細はわからない。
詳細は書かず、亡くなった日と葬儀の日取りが母親の写真とともに記されていて、彼女のために祈ってください、と1行、末尾に書かれていた。

友人は30代のフランス人画家で、二年ほど前までの三年間、日本に住んでいた。それ以前にも何度か短期滞在を繰り返していた日本大好き青年であった。滞在中はしょっちゅう私の町へ遊びに来た。フランスから友達が来ると必ずこの町へ来てこの町を案内した(私も巻き込まれた)。いちど、彼の弟夫婦と母親が日本旅行を企て、もちろん彼自身も同行して、こぞって私の家に来た。弟の奥さんがインド洋の島の生まれで、エキゾチックな夕食を手づくりしてくれた。私の母と娘と、友人とその母と弟夫婦と、途中から割り込んだ友達約1名が加わって、許容量を超えた空間は凄まじいありさまを見せていたが、それほどに賑やかで楽しい夜を、しばらく味わったことがなかったので、とてもよい思い出として私たちは大事にしていた。友人の母は猫が好きで、家には猫を勝手に住み着かせていた。代々の猫のその営みを幸せそうに語ってくれた。我が家の猫を腕に抱き、器量よしさんだこと、といっていとおしそうに撫でてくれた。

私の母よりも歳は若かったが、さすがに海外旅行は疲れるとみえて(このときの旅行は十日間で三都市回る強行軍だった)、ウチに泊まった翌朝もなかなか腰が上がらなかった。見どころがいっぱいあるまちだから、この次はもっとゆっくり来てくださいね、というと、本当ね、○○も見てないわ、△△も訪ねてないわ、必ずまた来るわよ、と嬉しそうにいっていた。

友人は、泣いたに違いない。大きな体を震わせて母親にすがりついて。彼の弟も。奥さんも。けれど、泣かなかったかもしれない。あまりの出来事に呆然として。友人は喪主だ。取り仕切らなければならないことが山ほどあったろう。私たちへ訃報を送るのもそのひとつだ。冷静に、母が天に召されるのを見送らねばならない。

その葬儀の日が今日である。時刻も、ちょうど今頃だ。
彼女のために祈る。
さよなら、ドゥニーズ。安らかに。

そういえばエスパー魔美は14歳で超能力が開花したんだっけ、とマンガは読んでないけど娘のために何度も録画したTVドラマをちょっと思い出したの巻2009/06/25 20:02:47

今年もこんなのがたくさん生りました♪


『14歳の本棚 部活学園編―青春小説傑作選』
北上次郎編
新潮文庫(2007年)


ついこないだウチの娘が13歳になったばかりだというのに、娘の周辺では次々に友達が14歳になっていく。偶然に過ぎないのだけど、6月から8月に集中してやたら友達の誕生日がある。去年はこの時期100円ショップに駆け込んでストラップや髪留めをみつくろっていたウチのさなぎは、今年はさすがに百均商品1点オンリーで済ませるのは気が咎めるらしく(笑)チマチマためた小遣いを全部はたく勢いで友達のプレゼントを物色している。

(しかし小遣いといっても、彼女には小学生時代には「お小遣い」を与えていなかった。おつかいにやった時に持ち帰ったお釣りの38円とか14円とかをそのまま与える程度だった。中学生になって月に100円、二年生になって200円にアップした。アップといっていいかは疑問だが。皆さんお間違えのないように、去年1000円今年2000円ではない。だからどうやっても次々来る友達の誕生日をクリアできるとは思えないのだけど。笑)

こないだちょっと触れた仲良しのさくらちゃん。彼女も7月が誕生日だ。がんばる中学生の鏡・さくらには、いしいしんじの『トリツカレ男』を私からプレゼントすると約束してある。さくらちゃん家にはたびたびさなぎがお邪魔していろいろともてなしていただいていることもある。
『トリツカレ男』に加えてもう一冊どれにしようかなと物色していて、14歳をターゲットにした本(13歳のとき同様の結果しか、期待はしていなかったが)ってどんなんかいなと、14歳をキーワードに探してみた。

14歳(検索トップは千原ジュニアだった……誰か読んだ人がいたら中身教えてほしい)
14歳からの世界金融危機(そそらないタイトルだ……)
14歳からの社会学(アバウト)
14歳からの哲学(故池田晶子さんの本)
これでいいのだ14歳(バカボンのパパに聞く……とか何とか副題がついてた。面白いかも。笑)
14歳からのお金の話(お小遣いはいくらか、という話ではなさそうである)
14歳からの商い(流行ってるんやねえ、こーゆーの)
14歳からの仕事道(「希望学」の玄田さんの本である。「よりみちパン!セ」シリーズ)
14歳の子を持つ親たちへ(愛するウチダと名越医師との対談。持ってるが、実はイマイチ)
14歳からの世界恐慌入門(だから、そそらないって。意味わからんって)
14歳からの政治(薦めたかないがウチの子は好きかもしれん。泣)
14歳からの日本の選挙(同上)
14歳からの戦争学(だから、それってどーよ)
14歳の危機―自立を先送りする子どもたち―(自立できん30代が多いのは中学生時代に原因があるって話なのだろうか?)
ヴィーナスは14歳(ぷちぴちプルプル写真集。これっ。お母さんはそんな子に育てた覚えは……!)

やはりろくなものがなかった中で(ほとんど読んでないのでそげなこつ言う資格はないが)、一冊だけ光っていたのは本書、『14歳の本棚 部活学園編』であった。実はこの本は図書館の文庫書架の前にボーっと立っていて偶然目に留まったものだった。ちょうど私の目の高さに並んでいたのである。なんとなく引っ張り出して、表紙を見て内心をををををを!!!と叫んでいた。そこには森鴎外、井上靖、大岡昇平の名前が並んでいたのである。

これは中学生を主人公にした短篇もしくは長編の抜粋が編まれたものである。
ラインナップをばらしちゃう。ついでに独断評価を著者名の横に♪
「空のクロール」角田光代 ○
「ブラス!ブラス!!ブラス!!!」中沢けい ×
「ヰタ・セクスアリス」(抄) 森鴎外 ⇒読んでない
「夏草冬濤」(抄) 井上 靖 ◎
「クララ白書」(抄) 氷室冴子 ⇒読んでない
「決戦は金曜日」川西 蘭 ◎
「F列十二番」松村雄策 ◎
「青山学院」大岡昇平 ◎

角田さんのは、えっ終わり?と思うような終わりかたがごく微妙に物足りなかったが、大変面白い一編である。実は角田さんの本を一冊も読んでいなかったのだが、受賞作や評判を呼んでいる長編にいずれ手を伸ばそうかという気になった。
川西蘭とか松村雄策とか、まるで知らない名前だったのだが、それぞれすごく味のある作品だ。そんな中学生いるか?と、思うようなくだりもあるけど、昔は中学生は骨太だったからなあ。この二作品は、石につまずいて転んでよく石を見たら宝石だった、というたとえが適切かどうかは別にしてそう形容したくなるほど私には発見であった。
井上靖の『しろばんば』をこよなく愛する私は、主人公・洪作のその後が気になったまま、続編を読まなかった。なんとなく青春時代に忘れ物をしたようだった。本書の中で、中学生になった洪作と会った。ううう、やはり洪作は可愛いのである。感涙。
大岡昇平は内容に関わらず大岡昇平であるというだけで二重丸。

このシリーズにはあと二つあって、『14歳の本棚 初恋友情編』『(同)家族兄弟編』がある。興味のあるかたはそちらも検索されてどんな本か覗いてみてください。私の場合、『部活』以外はまったく関心を惹かなかった。図書館にはどちらもあったけど、いずれも、表紙の最初に書かれている作家名でアウトであった(笑)。

「14歳」をキーワードに検索したら、当然このシリーズもひっかかった。けれど、ほかの実用書まがいのろくでもない本に隠れて目立たなかった。たまたま「14歳」だから書名検索でひっかかったけど、例えば中学生に読ませたい古今の小説が集められた本を探すとき、どんなキーワードが有効なんだろう? 前も書いたけど、お話の主人公になるにも読者になるにも、かなり中途半端な年代、それが中学生だ。中学生に読ませたい本の主人公はもちろん中学生とは限らないが、主人公が同世代だと感情移入しやすいのは確かだ。
(さなぎは私の嫌いなイシダイラのフォーティーンとか何とかいう本を読んで、たいして面白くなかったけど登場人物が同じ年頃だったから気持ちがよくわかった、などといっていた)

ということで、さくらには本書を『トリツカレ男』にプラスしてプレゼントすることに決めたのである。
14歳は飛躍の年齢かもしれない。さくらは今、心身が充実しているのか「むっちゃテンション高い」(さなぎ談)。先月誕生日だったしのぶには彼氏ができたし。
だけど挫折の年齢かもしれない。陸上部きっての俊足ユウカは、誕生日を前に剥離骨折した。

さてウチの子の14歳はどんなふうに訪れるのだろう。

WBC(ダブルビーシー)って何の略? ワールドベースボールクラシック。えっワールドベースボールカップとちゃうの? という会話が懐かしい。侍ジャポン、おめでとう♪の巻2009/03/24 17:52:32

『勝利投手』
梅田香子 著
河出書房新社(1986年)


よく行く定食屋には巨大画面のテレビがあって、いつもは昼のワイドショーをガンガン鳴らしているのだが、高校野球のシーズンは例外なく高校野球中継をつけている。今日、高校野球のカードはどこどこだったっけ、なんて思いながらその店に入ると、店奥のテレビのまわりはもう食べ終わったとおぼしきオヤジたちが、黒山ならぬ黒ところどころハゲの山をつくっていた。黒ところどころハゲ山の向こうはとても高校野球には見えない派手なユニフォームが映っていて、ようやく私は、あ、今日がWBCの決勝だったと思い至ってこの店の混雑を納得した。女将が「みんなテレビ目当てやねん」と繁盛にもかかわらず疲れきった表情で苦笑いを見せた。
食事が終わっても試合は終わらない。めったに注文しない食後のコーヒーを頼む。ゆっくり味わって、飲み干しても、まだ終わらない。残念ながら昼休憩はタイムアウト。その頃には同様に仕事に戻らなければならないオヤジたちも多くいたと見えて、黒とこ(以下省略)はもうあとかたもない。私は駆け足で職場に戻りウエブで速報をチェック。便利な世の中だなあ、今どき「一球更新」なんてあるのね、と感心しながら。
歓喜の優勝シーンの映像は観られなかったが、長いこと野球の実況なんて見聴きしていないので、久々に興奮した。※仕事中でしたが(笑)

いつかも書いたかもしれないが、私は野球バカである。実況を見ていると人が変わる(と思っているのは自分だけかもしれないけど)。日本のナショナルチームがオリンピックで負けようがWBCで優勝しようがどうでもいいし、地元の高校が甲子園で勝てなくても問題にしないけど、試合を見始めたらどっちの味方をするでもなくただただ見入ってしまう。選手たちの一挙手一投足につい叫んでしまう。投げて、打って、捕るという動作そのものが好きである。ピッチャーセットポジションから投げました打ったああーーー三遊間抜けたああーーーサードコーチャーの手が回るランナー三塁を蹴ってホームイン!という実況中継アナウンスを聴くのが好きである。審判のストラッカウト!と告げるポーズがいろいろあるのも好きである。

野球は好きだが巨人というチームは幼少時から大嫌いである。別に巨人のどこそこが嫌だったというのではない。中学生のときには午後の授業をサボって高田繁や定岡正二のサイン会に百貨店の屋上へ行ったし、王さんがアーロンを抜いて世界記録を達成したときには感涙にむせいだ。単に私は、テレビをつければそれしか映っていない、という状況にあるチームの味方はしたくなかったのである。まったくどいつもこいつも巨人の話ばっかしおってからにぃセリーグは6球団、プロ野球は12球団あんだぞぉ巨人だけ巨人と呼ぶな読売と呼べぇ。というような屈折した少女心理にぴたっとハマったのが川上巨人V10なるかという年にそれを阻みペナントを獲った与那嶺中日であった。
昭和49年の中日ドラゴンズ優勝は、「中日優勝!」ではなく「V9常勝巨人V10ならず」という勝ち組視線の文言で語られ、長島引退というビッグイベントに完全にかき消されていたが、少ない情報の中から私は星野仙一や高木守道や木俣達彦の名前を引っ張り出して脳にインプットし、中日追っかけ人生を始めたのであった。

『勝利投手』はフィクションである。しかし主人公の野球少女は中日ドラゴンズに入団する。そこに登場する、少女の恋の相手となる選手以外は、すべて実在のプレイヤーや監督、コーチである。
そう、これは女の子がドラフトで指名されて中日に入団し、プロ球界にデビューするという話である。本気で水原勇気に憧れていた野球バカにとってはワクワクものの小説だ。本屋で見つけて飛びついて買ったことを覚えている。あの単行本、今も我が家の書架にあるだろうか。もしかして、置き場所に困って泣く泣くいくつかの本を処分したときの、古書店行きのダンボール箱の中に入れてしまったかもしれない。今見ればレトロ感昭和感たっぷりの、当時の中日のユニフォーム。それを着た少女投手の、キュートなイラストが表紙であった。
小説は、星野仙一が監督をしていた頃の中日が舞台である。実名を使っているが、きちんと取材を重ねたのだろう、小説の人物が実在の人物にきれいに重なり、読んでいて違和感もイヤミも覚えなかった。もちろんそれは私が中日ファンだったからに過ぎないのかもしれないが。女の子がプロ野球選手になるのは野球規則で禁じられている(いた?)ので、少女投手は、もし男であれば存在もしない幾つものハードルを、越えなければならない。何とか勝ち星にたどり着くシーンに、素直に感動した記憶がある。

野球に夢中になり始めたのは星野がエースだった頃だ。彼よりいい投手はいくらでもいたけれど、彼ほど観る者の心を熱くしてくれた投手はいなかった。彼の次に中日のエースナンバー20番をつけたの小松辰雄で、私は彼が星陵高校にいたときから大ファンだったが、それでも20番をつけた小松には違和感を覚えた。それほど「中日のエース星野・背番号20」に入れ込んでいたのである。
星野が率いたチームがオリンピックで負けた時、寄ってたかって誰もが負けを彼のせいにしていたけれど、何も知らないくせにこいつら、と私はひとり毒づいた。何も知らないくせに。現役時代の星野の渾身の投球を、知らないだろお前ら。

原辰徳については、東海大学附属相模高等学校野球部のときから巨人に輪をかけて大嫌い×無限大(笑)であったが、泣き虫なので大目に見てやることにする(笑)。よかったな、侍ジャポン(と、あえてジャ「ポ」ン、といってみる。笑)。決勝打はイチローで、MVPは松坂で、けっきょく大リーガーたちに全部持ってかれてしまったのがなんとなく悔しいけどな(笑)

PS:『勝利投手』、ありました。今度写真見せます。2009.3.25

こんなに太陽を好きなのはアルベールのせいかもしれないわ2008/12/25 21:22:12

前にどこかに書いたかもしれないけれど、私は太陽がとても好きである。
夏は嫌いだが、それはどんより空のもとであっても蒸し風呂のように暑い自分の町の夏が嫌いなだけで、ここでなかったら夏は好きなのである。太陽がさんさんとふりそそぐ、地球人に生まれた喜びを堪能できる夏。
バリ島やラングドック=ルシヨン、コートダジュールの夏の素晴らしいこと。

しかし、いつからそんなふうに考えるようになったのか、実はよくわからない。
中学、高校1年生くらいまでは、やたらとインドア派だった。
青空のもとでの活動というのを毛嫌いしていた。
高2で、所属していたバスケ部を退部して、私は、デッサンと洋楽鑑賞と読書に耽る放課後を過ごすようになった。動から静へと移行したように見えるが、陽光を厭わなくなったのはこの頃からだと思われるのだ。
私は、体育館を使えない日は炎天下を走らされるバスケ部員でなくなってから、デッサン教室に通ったりスケッチしに遠出をしたりと、徒歩や自転車で出歩くことが多くなった。色彩の勉強を本格的に始めて、自然の色を注視するようになり、季節の移ろいにより敏感になった。
それまで私にとって季節とは大暑・極寒の二種類だった。なぜか昔は今より冷え性だったので、冬も辛かった。二つしかない季節のどちらも辛いので、即ち一年中、面白くないのであった。

自然の存在に覚醒し、太陽の恵みをじかに感じるようになったとき、たぶん私はカミュの『異邦人』に出会った。
主人公はひなたぼっこが好きだ。汗が垂れ落ちるのを不快とも思っていない。流れる汗をぬぐう手間を惜しみ、陽光に目を逸らさなかったから、銃の引き金を引くはめになった。
しょうがないじゃん。なのに斬首刑なんてヒドイ話。
初めて読んだときの、高校生の私の感想はそんなものだったと思う。
私だって、同じ状況なら同じ行動をとり、裁判で同じ発言をするだろう。
「太陽のせいだ」と。

『異邦人』とは勝れて購入欲をそそる邦題ではある。
でも、誰が誰にとっての異邦人なのか、初めて読んだときの私にはわからなかった。
アルジェという街、アルジェリアという国について何も知らなかった。それがフランスの代表的な植民地で、そこではフランス人がまるで当たり前のように、大昔からの父祖の地に住むかのように暮らしていたとか、今はもう植民地じゃないとか、戦争があったとか、そんなことをよく知らずにいて、なんとなく、ムルソーはここではガイジンだから『異邦人』なのかなあ、くらいにしか思っていなかった。

etranger という語に「よそもの」「のけもの」という意味があるのを知るのはもちろん、ずっと後のことで、フランス語の勉強を始めてからだった。etrange という形容詞は「変わってる」様子を意味するほかには「疎外された」状態を表すのにも用いる。

***********************
『よそもの』
アルベール・カミュ

 今日、母さんが死んだ。あるいは昨日かもしれない。老人ホームから電報を受け取ったけれど、「ハハウエノ シヲイタム マイソウアス」これでは何もわからない。たぶん昨日なのだろう。
 老人ホームはアルジェから八十キロ離れたマランゴというところにある。二時の長距離バスに乗れば夕方までには着くだろう。そうしたら、通夜もできるし、次の日の晩には帰ってこれる。ぼくは社長に二日間の休暇を申し出た。こんな場合は許可しないなんてことはできないものだ。けれど社長は不満そうだった。だから、「ぼくのせいではありませんし」といってみたが、社長は答えなかった。それでぼくは、こんな余計なことをいうべきではなかったな、と思った。どっちにしても、休暇の言い訳なんか必要なかったのだ。むしろ、社長の方が弔意を示してくれてもいいくらいだ。とはいえ、たぶん彼は、あさって、出社したぼくが喪に服しているのを見てから、それをいうつもりなんだろう。今のところは、まるで母さんはまだ死んでいないみたいだ。埋葬が終わったら、今とは逆に、ひとつの出来事と評価され、もっとおおやけの性格を帯びるようになるのだろう。

(どーんと中略)

ずいぶんと久し振りに、ぼくは母さんのことを思った。母さんが、どうして人生の終わりに「いいなずけ」を持ったのか、どうしてまた生き直す振りをしたのか、わかったような気持ちがしたのだった。あの、あの場所、幾つもの人生の灯が消えていく老人ホームの周りでも、夕暮れは憂いに満ちた休息に似ていた。死が近づいて、母さんはそのとき自由を感じ、もう一度生き直そうと思ったに違いなかった。誰ひとり、けっして誰ひとりとして、母さんのことを泣く権利はない。そしてこのぼくも、ぼくも今、まったく生き直そうとしているのを感じるのだ。幾つもの星座と星ぼしに満ちた夜の帳を前にして、さっき噴き出た大きな怒りがぼくの中から、罪を洗い流し、希望を捨て去り空っぽにするかのように、ぼくは初めて世間の無頓着に心をひらいた。世間を自分とそっくりに、いわば兄弟のように感じ、ぼくは幸福だと思ったし、それまでも幸福だったのだと気づいたのだ。一切が成し遂げられるため、そしてぼくが孤独でないと知るためぼくに残された望みは、処刑の日、たくさんの見物客が押し寄せ憎悪の叫びを上げて、ぼくを迎えてくれることだけだ。


Albert Camus
L'etranger
folio No.2 Gallimard 2002

手紙の誤字も詩になる2008/07/12 20:03:08

『愛する人にうたいたい』
川滝かおり 詩
林静一 絵
サンリオ(1982年)


そのむかし、林静一さんというイラストレーターが大好きであった。例の投稿詩の雑誌『詩とメルヘン』には、彼の絵がよく出ていた。投稿詩のなかには苦悩を鋭利な言葉でうたったものも、哀しみや絶望を叫ぶかすれた声が聞こえるかのようなリアルなものもあったが、多くは恋する乙女のはにかみや幸せをかみしめるカップルのつぶやき、あるいは若い失恋であった。そういう詩に林さんの絵はとてもよく合っていた。可愛い絵なのだが少女趣味ではなく、少女マンガチックでもない。描かれた少女や静物は黙して語らずけっして詩の前には出てこない。なのに詩の核心、あるいは落としどころをぶれることなく絵にしている。
挿画家たるもの絶対こうでないといけないのだが、画家のみなさんはちょっと売れ始めると、添えものであることを忘れて自分を前に出そうとなさる。画家が頑張っても絵に負けない文章や詩はあるものなんだが、絵に負けてしまう文章や詩に画家がはりきって絵をつけてしまうとなんじゃコラ、みたいな話になってしまうので要注意だ。それをきっかけに仕事を失う画家もいる。
といって、添えものという身分をわきまえ過ぎてあまりに謙虚であり続けた結果、技量はすごいのに陽の目が当たらずじまいということもある。商業イラストの世界で生きる人はけっこう難しい綱渡りをしている。みんな、それなりに偉いのである。

林さんの絵は、絶妙だった。
出しゃばらないけど、すでに詩と一体化していて、その詩はもう、林さんの絵なしには、じつは成立しないのである。だが、その詩は林さんの絵ある限り、林さんの絵「なしでも十分鑑賞に値する」と読み手に思わせることができる。
林さんの絵はすごいのである、そういう意味で。

川滝さんの詩は、いわゆる普通の人がノートに書き綴ったような、おとなしい可愛らしい詩である。等身大で、同世代の女性の心にまっすぐに届く。『詩とメルヘン』に投稿詩が載り、はじめての詩集を出したとき、この人は普通の専業主婦だったらしい。
本詩集が成功しているとしたらその理由は、主婦っぽさ、家庭の匂いを排除していながら、全体に、燃えるような大恋愛期はもう過ぎた、平穏な日常にいる女性の、記憶や気づき、ふと心に訪れる迷いを、難しい言葉を使わずに連ねていることにあるのだろう。
林静一の絵でなければ買わなかったこの詩集のなかに、めっちゃ共感できる数行に出会ったのは確かである。私も若かったし、感じやすかったんだな。


《赤く咲く花よ
 教えてくださいわたしに
 季節がくればふたたび
 同じ赤さで咲くことのできる力のわけを
 枯れた心のよみがえるすべを》(25ページ『教えてください』より)

《覚えておいて
 あとで思い出そう
 あなたを好きなわたしの気持ち》(41ページ『覚えておいて』より)

《かさを捨て
 雨にぬれたいときがある
 雨にうたれて歩いてみなくては
 心がわからないときがある》(65ページ『風景』より)

《彼の顔も家も
 思い出すことはない
 けれどあの花のいろだけが
 とつぜんあざやかに
 胸によみがえってくる
 そんな夕暮れがある》(69ページ『初恋のいろ』より)

《すぐに忘れてしまえるよう
 消えてなくなりそうな
 たよりないのがいちばんだ》(73ページ『別れの場面』より)

とりわけ好きだったのが、次の2編だ。

《サンダルのまま
 玄関で封を切ったりはしない
 手紙をにぎりしめ
 ポケットのお金をまさぐって
 駅への道を走ったりしない》(15ページ『手紙』より)

《「手紙が送れてごめんなさい」

 ああ妹はきっと幸福
 こんな誤字を平気で書いて
 せんたくばかりしていれば》(21ページ『誤字』より)


四半世紀前のこの詩集には、黒電話もダイヤルも出てくる。
誤字に気づかぬ相手のさまを、微笑ましく思えた時代だった。
恋も仕事も暮らしも、変わったなあと思ういっぽう、上に挙げたような言葉で、恋心は今も表現されるじゃないか、とも思う。

だけど私は歳をくっちまったので、いま川滝さんの詩を読むと、別にこれ詩でなくてもいいんでないかい、改行しないで文にして普通の文章に紛れ込ませてもさ、といじわるばあさんのようにつぶやくのである。

虫の眼差しは詩になる2008/07/10 14:04:17

『池井昌樹 詩集』
思潮社(現代詩文庫、2001年)


ふと詩が読みたくなって、図書館の詩歌の書架の前に立つ。

私は詩の世界をあまり知らない。
詩も小説と同じく、教科書や参考書に載っていた書き手に興味をもった場合に限り、単行本に手を出した。興味をもった場合というのはごく少なくて、中原中也の話は前にしたが、他には高村光太郎や室生犀星ぐらいしか、日本の詩人はない(谷川俊太郎は別格として)。なのになぜかゲーテやバイロンの文庫があって、今読んでも難解なのにこれをいったい当時の私はどう読んだのだろうと不思議でしかたがないのだ。

イラストポエムに凝っていたローティーンの頃には、やなせたかし(たしかやなせたかしのイラストポエム集はもっている。『りんごの皮を切れないようにむく』という詩が載っているやつで、その詩が好きで、以来私はりんごの皮を切れないように剥くのが上手になった)が主宰している『詩とメルヘン』という雑誌もあって、絵も詩も応募したけど軒並みダメだった(応募作品のレベルはたいへん高かったぞ、今思っても)。自分ではええ詩じゃー!と思っても、他人には何ひとつ伝わらない。詩というのは独りよがりな言葉遊びから始まるとはいえ、そこに終始している人とそうでない人とで明暗が分かれるのだろう。

他人さま全員に同じように伝わることもありえない。
程度の差こそあれ、もし「何か」が伝わったらめっけもんである。
幾つもの行のなかのひと言がその人の心の琴線に触れさえすれば、詩としては大成功なのではないか。

詩歌の書架の前に立ち、あまり考えずに知らない詩人の本を取った。

《ながれる雲を眼で追いながら
 あなたのなまえを考えていた
 空にはしろいまんげつがあり》(表紙より)

漢字とかなの使い分け方にすこし惹かれて、池井昌樹の詩集を借りることにした。同じ出版社の現代詩文庫シリーズからは、おびただしい詩人のおびただしい詩集が出されている。辻仁成の詩集も出ている(詩も書くんだ、この人)。吉本隆明の詩集も出ている(詩なんか書くんだ、この人)。

池井昌樹のこの本をめくると、冒頭からずっと、自分の子どもや妻に呼びかけるような詩がたくさん出てくる。愛する人と結婚して、可愛い赤子が生まれて、愛しくてたまらない妻も子もこの家も!というような心情がひたひたと伝わってくる。こういう、家庭の平穏を謳い上げるタイプの詩が私はすこぶる苦手である。自分を含めて身近に愛し合い信頼しあい尊重しあう夫婦の例がひとつもない、ということに起因していると思っているのだが、そんな読み手の私をせせら笑うように池井の詩は、父(自分)にまとわりつく息子の肌の柔らかさを讃え、かたわらの妻の微かな寝息をいつくしみ、家という空間を愛で続ける。ぱらぱらと目で追っていくだけで、J'en ai marre, ca suffit! もうたくさんだ、という気になってしまう。私は言葉の上っ面だけを見て食傷気味になり、たぶん池井の表現の本質を見てはいないのだろう。

《ぼくが夜詩を書こうとすると
 一匹の奇態な虫が落ちてきて
 途端に姿をくらましたのだが
 あしもとかどこかそこいらに
 ひそんでいるにきまっていて
 いまにもひんやり触られそうで
 きがきじゃなくて
 視線を落としてみれば良いのに
 眼が合いそうでそれもできない》(24ページ「不惑遊行 白紙」より)

上のような書き出しが目に留まって、前言取り消し、もう少し読もうという気になった。私は虫を書いたものは好きである。虫は意外と人を見ている、複眼だし、あっち向いててもこっち見てるよな、と思ったりするから、虫の気持ちのわかるような文や詩は好きである。
単なる家族愛賛美屋さんじゃない(当たり前じゃないか多数の詩集を出してるんだから)とわかると、なんだこれと思った詩もそれなりに魅力的に映るから、読み手というのは(私だけかもしれないが)勝手なものだなと思う。

《人をあやめる夢を見た
 七夕の翌朝は良い天気になった
 鴉をよけてゆこうとすると
 後から女房が追いかけてくる
 漆黒のポリ袋がなにかでふくらみきっている
 もってやろうというと
 結婚式の夢を見ちゃった
 うれしそうにしている》(99ページ「結婚」より)

人をあやめる夢を見た夫と結婚式の夢を見た妻が一緒に持って歩く黒いゴミ袋。彼はいつこの詩を書いたのだろう。

《僕は思い出すのだ
 あのようにわらいさだめくもののいたこと
 あのようにわらいさざめく日のあったこと
 はるか遠くで
 やがてまた
 わらいさざめきあわんことを
 錆びた把手(はんどる)をにぎっている
 ここからではもうちいさく見えるあなたの背後に
 青青と裾野をひろげた
 積乱雲のような山が光る》(106ページ「おとうさんの山」より)

《河が生んだ
 魚をおもう
 河が生んだ
 魚の死をおもう
(中略)
 喰い
 夢見
 まんしん傷め
 傷みにも酔い
 ののしりあい
(中略)
 おもいのこさず
 かともおもえず
 飾りたてられ
 囃したてられ
 ようやく終わる
 われらの生を訝しむのだ
(中略)
 われらを孵した
 遙かな水源の沈黙をおもう》(107ページ「母よ」より)

詩は、いいものである。
夜帰宅すると、隣近所や商店街で見聞きしたことを、母がひっきりなしにしゃべる。
遙かな水源は沈黙しててほしい、と心底おもう瞬間である(笑)。

その箱を開けてはいけません(3)2008/06/22 16:47:36

『箱男』
安部公房作
新潮文庫(1982年)※作品初版1973年


箱男、というと、某ぶ○し○う塾に投稿されたどなたかの小粋な一編を思い出す。それ以外にも、箱の中に人が潜んでいるという設定で書かれた文章はいくつかあった。那須さんの『筆箱の中の暗闇』もうそうだけれど、箱の中というとその言葉には何やら深遠さがつきまとう。箱は、一面を除いて閉じられていて、本来その空間には限界があるもののはずなのに、箱は出口のないトンネルのように長かったり、底なし沼のように深かったりするのである。とにもかくにも、蓋を開けてみないことには中身の正体がわからない。開けたとたん何かが飛び出るのなら、話はそこで終わって明快だが、タチの悪いことには、なかなか開かずに音だけがするとか、全開せずに小さな穴だけが開いてそこから覗いて中を推測するしかないとか、そういうケースがままあるのである(あるか?)。

安部の『箱男』とは、箱の中にちんまり座っている小さな男ではない。段ボール箱を頭からかぶった男のことである。彼は、頭のてっぺんから体全体の3分の2程度を箱ですっぽり覆い、下半身はドンゴロスを巻きつけるなどしておおい、道路でも川土手でも好きな場所に座れるようにしている。かぶっている箱はかなり大きなものである。箱の側面から手を出したりはしないで、全部隠している。箱男は、かぶった段ボール箱の中で、拾ったものを食い、本を読み、日記を書き、自慰にふける。箱の内側にはいくつかフックがセットしてあって、ペンだのメモ帳だの手鏡だの懐中電灯だのがぶら下げてある。箱男は、段ボール箱の「座り」をよくするために、自身の頭に雑誌(たぶん少年漫画誌みたいな厚みのある軽いもの)をくくりつけて安定させている。

箱男は路上生活者である。
寝るときは箱をかぶったまま、そのへんに座る。
箱の中で体育座りして、小さく丸くなる。
アパートのゴミ捨て場とか、繁華街の裏通りの、家電量販店が不要梱包材をかためて置いている場所などで、そのようにしていれば、誰もその箱の中で人間が生活をしているとは思わないのである。

箱男は路上生活者である。
路上生活者は移動しなくてはならない。
歩く必要があるのだ。
だから、前が見えないと困る。
したがって、箱男の箱には、ちょうど目の位置に小窓がある。
ご丁寧に、その小窓にはカーテンがつけられていて、それは半透明のビニール片などでできている。
外から箱男を眺める人間は、箱男の視線はわからないけれども、箱男は、そのビニール越しに、もしくは(カーテンは二、三枚の短冊状のものを連ねて貼ってあるので)カーテンをちょいとめくって外を窺うことができる。

《……呼び止められた事さえある。そのたびにぼくは、いつものくせで、傾けたビニールのカーテンの隙間から、黙って相手を見返してやったのだ。あれには誰もが参るらしい。警官や、鉄道公安官でさえ、尻込みしてしまう。》(43ページ)

そりゃ、そうだろう(笑)
迂闊だったな、と思った。
箱の中を覗く、という発想はよくあるし、よくあるとはいえそこにはまたいろいろな想像、さらなる創造が可能である。
しかし、箱の中から覗かれる、というのは、しかも箱の中に住むちっちゃな妖精の視線などというファンタジックなことじゃなしに、等身大の人間が箱の中から普通の人々を「覗きながら移動する」だなんて。

安部公房といえば『飢餓同盟』や『他人の顔』などすぐ思い浮かぶタイトルはあるが、例によってどれも読んだことはなかった。『箱男』のほかに読むとすれば、どれを推薦してくれますか、みなさん。

『箱男』は、箱男の成立の過程を追ううちはぞくぞくして面白いのだが、箱男が女に出会ったり贋箱男と絡んだりするところから、主題が人間の内面の葛藤のようなものに移って面白くなくなってしまう。中から外を覗く、というその行為、しかもはたから見ればゴミと見間違うようないでたちで生活を営みつつ他者を覗く、という行為そのものが書き連ねられていたら、もっとよかったなあ、と個人的な好みから思った。

不法投棄のごとく道端に捨てられたように見える段ボール箱。近寄るとそれはいきなり立ち上がってあなたを睨みつけるかもしれない。こわ。

ぴくりとも動かないからといって、もし、そこの人。
その箱を開けてはいけません。なぜならその箱は……。




いよいよ明日から!
お天気イマイチっぽいけど、みなさんよろしくね! ↓
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「母ちゃん、死ぬな!」2007/11/07 19:18:57

『カムバック』
高橋三千綱 著
新潮社(1985年)


「木の目さん、これ読んで!」(もう何年も前にきっとお読みですよね。いえ、ただ、中日勝ったんで、野球ネタでイヤミを言いたかっただけなんです)

野球狂少女だった頃、スポーツ紙や野球週刊誌月刊誌、あらゆる野球漫画に目を通し、野球というものがどのように表象されているかを知り尽くすことに余念がなかった。もちろん自分でもプレーした(というほどのことはなく、ただみようみまねでやってみただけだが)。いつか水原勇気のようになってみせるとまで誓ったが、現実には地区予選ベスト8止まりの卓球少女でバスケに転向してからは怪我に明け暮れ挫折した。だからよけいに野球への情熱はとどまるところを知らず膨張し、野球同人誌を作って野球への愛を書きまくり、会員たちと愛情比べをした。高校で部活をやめてからいきなり時間ができたので、地元の球場へはおこづかいの許す限り通った。アクセス可能な球場は幾つもある。いつも閑古鳥の泣いている球場でいい席を安く買い、遠くからもよく聞こえるおじさんたちの痛烈な野次に笑うのも楽しみだったし、超満員で隣にいる友達との会話も困難なくらいの大声援の中、応援の踊りを踊るのも好きだった。高校野球のシーズンはデッサン教室にまで携帯ラジオを持ち込んで一喜一憂した。愛した高校球児がプロに入ってダメになっても噂を追いかけた。追いかけたといえば、贔屓のチームの贔屓の選手に会いに宿舎やグランドまで行くなんてことぐらい、当たり前だった。

野球を描いた小説が、この世にどれほどあるかは知らない。あらゆる野球漫画を読みつくした私だが、野球小説(そんなジャンルはないけれど)についてはあまり知らない(いえ、小説自体あまり知りません、いまさらですが)。
高橋三千綱の本は、この『カムバック』のほかに『さすらいの甲子園』をもっているだけだ。この作家について知っていることも少ない。でも、実をいうと探偵小説を除くと私の家にある「小説の本」の中では私にとってベストワンなのである。

30歳未満の若い人には、この本で描かれる野球界は古典的な印象を与えるだろう。本書ではまだ米国のメジャーリーグがまるで天上界のように描かれているし、移籍や引退、また男女関係の描写も前時代的だ。でもその「前時代」に熱狂していた者にとっては、胸熱くなる珠玉の短編集なのである。
だから木の目さんにもおすすめ。

主人公たちは、高校野球のスターだったり、貧しくて進学を諦めながらスカウトに見出されプロ入りする地味な選手だったり、挫折を経て第二の人生を歩もうとする中年選手だったり、プライドを捨てて次世代育成に専念する元一流選手だったり。

いわば野球選手の人生模様が描かれるのだが、プレー上の技術的なことはもちろん、閉鎖的な組織、名門校に見られる序列やしがらみなど入念な裏づけを取って書かれていることが窺えて、野球狂にも安心して読める内容である。
だが、現在の野球界はおそらくかなり状況が違うから、ダルビッシュ世代にはついて来れない内容かと思う。

同世代の友人知人にすすめたり貸したりすると「うんうん、いい話だねえ、良き時代だねえ」なんていう。ひとまわりほど若い人に読ませると「ふっるー。でも、おもしれえかもぉー」などという。30歳以上50歳未満限定かなあ(笑)。

『遊撃』で主人公が死んだ友の名を叫んでバッターボックスに入るとき。
表題作『カムバック』で幼い娘の言葉に父が耳傾けるとき。
読み手は涙する。
愛ゆえに白球を追う。友情に応えたいから身を引く。ここには野球を介して、ただ単純でまっすぐな人間の愛と情が描かれている。ただその一点だけに着目すれば、けっして古臭くはないのである。

本エントリーのタイトルにしているのは、本書の中の、とある短編の主人公が心の中で叫ぶ台詞。

猫に支配される幸せ2007/10/02 19:44:04

ちょっとだけよ♪ なんて、出し惜しみするほどのもんではないのであるが。


『猫語の教科書』
ポール・ギャリコ 著 スザンヌ・サース 写真  灰島かり 訳
大島弓子 描き下ろしマンガ
ちくま文庫(1998年第一刷、2005年第八刷)


 上記写真でチラ見せしているのは私が作ったばかりの絵本であって、ギャリコの『猫語の教科書』ではない。『猫語の教科書』の「本当の執筆者」はツィツアという名の雌猫である。その証拠に、本書の表紙にはタイプライターを打つツィツアの写真が掲載されている。ツィツアは、交通事故で母を亡くし、生後6週間で世の中に放り出されたが、1週間後には「私はどこかの人間の家を乗っ取って、飼い猫になろうと」(23ページ)決意して即座に実行に移す。わずか6週間の間にも、ツィツアの母は彼女に「この世で生き抜くための術」を教えていたらしい。ツィツアは、住宅の大きさや手入れが行き届いているかどうか、家族は何人か、また所有されている車が高級車かどうかなどをよく観察し、乗っ取ろうと決めた家に狙いを定めると、庭の金網によじ登り、ニャアニャアと悲しそうな声で啼いてみせる。
「向こうから私がどんなふうに見えるか、自分でもよーくわかっていましたとも。」(27ページ)
さっそくその家の夫人が子猫のツィツアを保護しようと夫に提案する。なかなか夫はうんといわない。少しのミルクをもらったのち外に出されてしまうが、自身の魅力を知り尽くしているツィツアは、周到に計画し、猫なで声を駆使して、まずは毛布を敷いた木箱を手に入れ、納屋に設置させることに成功する。しかも、その手配は夫のほうがしてくれた。
「私の勝ちだわ。私は笑いながら眠りにつきました。/もうここまでくれば、あとはもう時間の問題。さっそく明日の晩にでも、彼をモノにするとしましょう。」(38ページ)

このように、本書は、美人猫ツィツアが次世代の猫たちに贈る処世術指南書なのである。懸命にタイプした原稿を、とある出版社に勤める編集者の自宅の前へ置き、しかるべき形で伝えられていくよう託したのである。しかし、編集者にはまったく解読できなかったので、暗号好きのポール・ギャリコに解読の仕事がまわってきたというわけなのだ。
ギャリコが記した序文によると、これは暗号というよりも、単にミスタイプだらけの文章であった。最初の数行を読み、この文章の書き手が猫であると判明すると、ミスタイプの法則性が一気に解明したそうである。肉球でぷにょぷにょした猫の手では、QとWのキーを同時に叩くことや、文字キーと改行キーを間違って叩くこともあったであろう。猫をこよなく愛するギャリコは、麗しい雌猫の懸命なタイピングをあますことなく「翻訳」した。内容の充実に感嘆すると同時に、複雑な気持ちにも襲われた。なぜなら、世の猫の飼い主たちはまさか自分たちが「乗っ取られている」なんて思いもしないであろうから。これを読んだ愛猫家たちは不快な思いをするのではないか?

たとえばツィツアは「第3章 猫の持ち物、猫の居場所」で、こんなことも述べている。
「ベッドを乗っ取るべきかどうかは、猫の気分しだいです。ここでも人間はひどく矛盾していて驚かされるけれど、でも猫にとっては好都合。人間は猫にベッドの上で寝てほしい、と同時に寝てほしくないの。ね、おかしいでしょ? 人間って、根っから矛盾したおかしな生き物なのよ。」(61ページ)
「ところがベッドが猫の毛だらけになるとか、(中略)爪でふとんがいたむとか、(中略)そのくせ人間は自分がベッドにもぐりこむと、猫に足もとにいてほしくなったり、もっとそばにきて丸くなってほしかったり(後略)」(62ページ)
人間の弱みを的確に突いて、ベッドを乗っ取るテクニックについて述べている。そして、ベビーベッドにはけっして上るなという警告も忘れない。実にしたたかで賢く抜け目ない。
「人間は、自分で作り出した伝説に支配されちゃうのね。」(64ページ)

猫を愛し、愛猫サンボと暮らすギャリコは、ツィツアの渾身の原稿を読み終えたとき、少しだけサンボを疑いの目で見るが、「まさかね! うちの猫にかぎって!(中略)サンボは明らかに、いつも通り、まったく疑いなく、私に夢中だった。」(200ページ)
というわけで、人間というものは猫に乗っ取られていながら自分が猫を世話していると思い込んで幸せに癒されているわけである。

前に、ギャリコの『ジェニイ』に触れたけれども、『ジェニイ』が猫の冒険譚であるのに対し、本書はいかに平和で穏やかな日常を手に入れるかに重点が置かれているだけあって、突拍子もない大事件は描かれない。だがツィツアも恋をし母になる。よそのうちでも可愛がられたりする。飼い猫の日常に時々訪れる大波小波。猫を飼う者には、その行間までたまらなくいとおしく感じられる。ツィツアが語る人間たちはときに滑稽だが、ツィツアはけっして人間を馬鹿にしてはいない。人間を知り尽くし、利用もするが、愛すべき存在であるとも考えているのだ。……と、愚かな人間たちに考えさせてしまうほど、ツィツアの語り口は巧妙だ。

我が家の猫をじっと見る。
猫を飼う生活が始まってまだ2年にもならないのに、私たちはこの家の歴史が始まって以来ずっと私たちのリーちゃんと一緒に居るような気さえしている。私のケータイは猫の写真だらけで、娘は暇さえあれば猫の絵を描き、私は猫の絵本まで作ってしまい、私の母はほぼ10秒おきに「リーちゃん、リーちゃん」と話しかけている。

忘れてならないのは、容姿に自信を持って毅然とした態度で臨めば、必ず成功するってことなのよ。

ツィツアがいいそうなこんな台詞を、我が家の猫も反芻しているに違いないのだ。

時間は時計の「針」で知りたいわよね2007/05/28 09:20:31

『フローラ逍遥』
澁澤龍彦著
平凡社(1987年)


我が家の時計草が今年もたくさん蕾をつけている。
物干し場に麻紐を何本も張って、一面時計草の蔓でうまるように画策したのだけれど、気まぐれな蔓は年によってあっちへ伸びたりこっちへ伸びたり、紐のない場所にばかり伸びてくれるので、「時計草のカーテン」は非常に貧相である。今年もまた、紐のないほうへいくつも茎と蔓を伸ばして互いに巻きつきあって、もつれるようになりながら、それでも等間隔についた蕾がふくらみかけている。今日は開いたかな、明日は開くかな。全部が無事開花するとは限らないのだけれど、今から夏にかけては、洗濯物干しが楽しい朝のイベントになる季節なのだ。

街のアンティーク雑貨店を取材した時、青い器に見覚えのある花が浮かべられて、ディスプレイされていた。店主に、この花はもしかして時計草ではないですか、と尋ねたら、ええそうですよ、いっぱいあるもんですから。はあ、いっぱいあるとおっしゃいますと。裏の壁一面に生えとりますねん。

雑貨店の裏手の壁をびっしりと、時計草の蔓がうめつくしていた。横長のプランターが10個ほど、壁に沿って置かれていて、そこからいくつか伝い棒が立てられていたが、上の階の窓の桟から大きな目の網が吊るされており、時計草たちはその網にしっかり蔓を巻きつけて繁茂していた。

私は時計草なんてそう簡単にお目にかかれないと思っていたので、こんな近所に時計草の壁があるなんて、と取材の趣旨そっちのけで店主としばし、時計草に談笑した。

時計草は、開花すると時計の文字盤のような、もちろんアナログの、ちょいとアールデコ調の面白い表情を見せる花である。植物の種類に疎い私が、その花に出会ったのが『フローラ逍遥』の中であった。

この本は著者が『太陽』という雑誌に連載していたエッセイをまとめたものだそうだ。私はこの本をきっかけに澁澤ワールドに足を突っ込みかけて、つま先だけ触れて引っ込めた。だからけっきょく、著者の世界にうんと浸りきったわけではないのだが、それでも本書には、うんとうんと浸らせてもらった。
何しろ本書は装訂が美しい。本屋でひと目見て惚れて購入したと記憶している。ハードカバーでケース入り。ケースと表紙は本文の挿画としても使われている花の絵で、たっぷり贅沢に覆われている。
挿画というのは、東西の植物誌から拝借したらしき数々の花の細密画。その控えめで美しいことといったら。花の魅力を、ただ対象を忠実に描くだけの技法で、200%も表現している。とうてい、写真の力の及ぶところではない。なぜ昔の人はこのように奇跡的な眼力を持ちえたのかと、そりゃ機械がなかったからさとわかってはいても、驚きを禁じえないし、嫉妬すら覚えるのである。

というわけで、画と文とどちらが主役かわからないようなこの本の、主役はもちろん澁澤さんのエッセイである。花の名を題にして、その花にまつわる思いやエピソードが連ねられている。澁澤さんの著作をあらかじめ読まずにこの本に触れたことが私には幸いして、深読みをすることなく、花びらのように軽やかな文章を読んでは絵を見つめ、絵を見ては文章に戻り……を、ただ単に繰り返すだけで幸せに浸れた。
ほとんどが知っている花の名と姿であったが、なかで時計草だけが知らない植物であった。時計草だけが、実物ではなく本書にある挿画の姿で、長らく私の脳裏にあった。

その、挿画そのままの姿の時計草を、くだんの雑貨店の、青い器の中で見た時の、私の喜びといったら。
私の興奮にただならぬ気配を感じたのであろう、店主は、取材と撮影を終えて帰り支度をする私に、時計草のひと束をくださった。あの裏の「壁」から、等間隔に蕾のついた幾茎かを、切り分けてきて、手土産にくださったのである。

その時計草の茎たちは、ついていた蕾を順々に見事に咲かせた。やがて端に白い髭のような根が見えたので、短く切って土に挿した。
それが今、我が家の物干しを不細工ながら飾っている時計草のカーテンである。

ところで、本書の中で最も気に入っているエッセイは「時計草」ではなく、「椿」である。
ある宴席で、澁澤さんのお友達がなにやら歌を歌うと言い出し、「澁澤、この歌詞をフランス語に訳してくれよ」というので、何とかばたばたと訳した。その歌詞の中に「つんつら椿」というくだりがあって、そこを迷った挙句「カメ、カメ、カメーリア」と訳したが、はたして友人氏がそのくだりを歌ったとき会場は大いに笑ったと。「私は今でも、つんつら椿をカメ、カメ、カメリアと訳したのは生涯でいちばんの名訳だと思っている」と、そういうふうに書かれていた。
カメ、カメ、カメリア……って、澁澤さんたら。
著者が、ちょっぴりお茶目なインテリの、だけど宴会の大好きなただのオジサンに感じられた、とても好きな一編である。